AAR/Return to Europe/前章1206-1444
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*1444年までのモンゴル史~ [#h5436631]
**本来はCK2のAARとして上げるべきもの? [#a0ed3259]
なのでサーバーにもやさしく画像の添付は少な目のつもりだっ...
とりあえず、仮想の状態での出発なので皆さまの今後閲覧時の...
***CK2での環境とかは、 [#l4df0b51]
使用バージョン:steamプレイなので最新バージョン
DLC:全部有り
開始国家 :モンゴル帝国
開始年月日 :1224年
難易度 :普通
目標 :世界征服
その他の自分ルール:
・公爵、王爵は作らない、奪わない
・末子相続制を変更しない
・似非アイアンマンモード。負けたらやり直すとかなし
ちなみにCK2とはParadox社の姉妹ゲームCrusador Kings IIのこ...
**モンゴル帝国とは [#r1bd99bf]
首都はクズロルダ/Kyzylorda(サマルカンドの近くです。CK2の...
モンゴル帝国(モンゴルていこく)は、モンゴル高原の遊牧民...
中世モンゴル語ではイェケ・モンゴル・ウルス (Yehe Monggol...
テングリ教を国教とし、征西の過程でテングリ教を世界宗教に...
モンゴル帝国は15世紀までにユーラシア大陸とアフリカ大陸の...
1444年時には東アジアでの支配領域を大きく失っていた。
シナにおいては黄河以南を明朝を立てた漢人に回復され、女真...
|CENTER:&ref(mongol_khanate2.jpg,nolink);|
|15世紀中葉のモンゴル帝国|
**モンゴルの「帝国」化と「征西」 [#w7ede8de]
***初代皇帝(大ハーン)チンギス/Genghis (在位1206-1238) [...
|CENTER:&ref(Khagan1 Genghis the Great.jpg,nolink);|
|世界史の英雄チンギス・ハーン|
1206年、モンゴリアを統一したテムジンはクリルタイでハーン...
1218年からは中央アジアのオアシス地帯に対して遠征軍を発し...
同じ遊牧民のクマン族と同盟し北の安全を確保したチンギスは6...
チンギスは初め、征服国では現地の諸侯の領地を安堵した。し...
|CENTER:&ref(12280819_The_Tengri_Reformation.jpg,nolink);|
|チンギス・ハーンのもう一つの功績|
|テングリは世界宗教へと昇華した|
一方のクマン・ハンはハンガリーへ侵攻。これを征服したが、1...
戦争の初期には西欧軍が優勢で、チンギス・ハーンは同盟を履...
その戦いの中でチンギスは戦死。モンゴル軍は潰走した。
***第二代皇帝 カジュ/Khudu (在位1238-1296) [#af...
|CENTER:&ref(Khagan2 Khudu the Confessor.jpg,nolink);|
|第2代懺悔帝カジュ|
1240年、チンギスの末子カジュはクリルタイで第二代大ハーン...
モンゴルの皇位継承の混乱と西欧による十字軍を奇禍として、...
ジハードを撃退し帝位継承の混乱を平定したカジュはモンゴル...
モンゴル本国から連れてきていた5万の騎馬軍は十字軍とジハー...
カジュは征服したメソポタミアとイラン、ペルムからサマルカ...
1246年9月 西欧諸国軍とブルガリア北部で決戦、モンゴル軍は...
しかし、11月には主戦国のクマン汗国が降伏してしまい、ハン...
またこのとき、ブルガリアのいくつかの諸侯はクマン汗国から...
1251年テングリの最高位僧の呼びかけでブルガリア聖戦に参加...
テングリを信仰する諸侯を支援すべく、カジュ・ハーンは聖戦...
モンゴルの主力騎馬軍は30年前の勢いこそなかったが、それで...
ブルガリア、ハンガリーはテングリの支配下となったが。その...
|CENTER:&ref(12541204_StrangesFromBeyondTheSea.jpg,nolink...
|海の彼方からの異人|
1254年、アステカを名乗る国の使者がイングランドに上陸。
彼らはモンゴル人のような見かけと奇異な服装をし、太陽神を...
海を越えてきた未知のエキゾチックな人たちは言葉も通じない。
奇妙見かけの船で大西洋岸に沿って上陸できる全ての土地で、...
彼らの申し出を拒否すると、あからさまに恐ろしい呪いと大海...
|CENTER:&ref(12571208_SunsetInvation.jpg,nolink);|
|Sunset Invation|
3年後の1257年、アステカ人は約束?通り、日の沈む方角から大...
1269年5月ローマ教皇は異教徒に奪われた失地回復の十字軍を呼...
1273年5月天然痘の大流行。アステカが海を越えて持ち込んだ伝...
1276年7月アイユーブ朝が失地回復を呼びかけるがアステカに大...
その間、カジュはグルジアや中東諸国を征服しつつ延べ8人の側...
***第三代皇帝 アンバガイ/Ambaghai (在位1296-1345) [#b...
|CENTER:&ref(Khagan3 Anbaghai the Bold.jpg,nolink);|
|第3代皇帝大胆帝アンバガイ|
アンバガイは即位直後に兄嫁に暗殺されかかるなど、帝位継承...
末子相続制のモンゴル帝国は代替わりの度に幼君を立てること...
そのかわり治世はとても長いものになることが多かった。
他に類を見ない巨大な版図を支配した偉大なハーンの跡を継ぐ...
各地で発生した叛乱をそれでも2年で平定したアンバガイは、モ...
モンゴル本土から呼んでいた遠征軍ではなく、帝国西方領域で...
アンバガイ・ハーンは征西再開の手始めにルーシ諸国を各個撃...
1285年には森林湖沼に到達。そのままスカンジナビア諸国へ侵...
|CENTER:&ref(12960623_DelicaciesFromTheFarWest.jpg,nolink...
|西の果ての珍味|
1296年6月 モンゴルの宮廷でもアステカの珍味が食されるよう...
アステカが彼らの遠い故郷クエルナバカからもってきたのは天...
彼らの食事は(おそらく食べられる)いくつかの奇妙な植物を...
ココアと呼ばれる木の豆で作られた甘い飲み物『チョコレート...
1297年にはノブゴロドを征服して支配領域をバルト海沿岸を南...
|CENTER:&ref(12980114_TheFallOfGreatPlains.jpg,nolink);|
|大草原の秋|
1298年11月アステカからの使者がアンバガイ・ハーンに謁見。...
曰く、アステカにとって、馬は恐怖の代名詞であったが、いま...
アステカは騎兵連隊を編成し彼らのいう北の平原の叛徒を鎮撫...
ショーン自治領とスー連邦はすでに、彼らの帝国に組み込まれ...
大陸全体がテノチティトランの大帝都から支配されるのは時間...
奇しくも、海の向こうでも騎馬軍は最も頼りになる兵種である...
妙な被り物をした者たちの話をうのみにするのはとどうかと思...
1300年12月ヴェネチアの商人一行がモンゴル帝国を旅したマル...
マルコ・ポーロなるもの、どうやら東のクビライの家臣だった...
|CENTER:&ref(13001219_TheTravelsOfMarcoPolo.jpg,nolink);|
|東方見聞録|
その後1302年5月にアキテーヌを支配するアステカに対する十字...
どうやら、先の2つの使者団は同盟を求めていたのか?と合点?...
イスラム諸国への征服事業はスカンジナビア半島とルーシの平...
1312年にはメッカ征服。1321年にアイユーブ朝からアラビアと...
しかしその後、北と南で独立を求める叛乱が相次ぎ、アンバガ...
セルジューク朝はテングリとの聖戦に敗れたビザンティン帝国...
カソリック国への征西の再開は1341年に入ってから行われた。...
1340年代に入ってからの征西の結果、アンバガイ・ハーンはモ...
逆に包囲されることになったクマン汗国との関係は悪化してい...
***第四代皇帝 トクタミス/Tokhtamis (在位1345-1403) ...
|CENTER:&ref(Khagan4 Tokhtamis the Great.jpg,nolink);|
|第4代大ハーン トクタミス|
トクタミスも汗位継承の際に3度の内乱を経験した。モンゴルの...
1350年、3度目の内乱の平定を終えたトクタミス・ハーンは征西...
ハンガリーがクマン汗国に独立戦争を挑んでいたため介入した...
トクタミス・ハーンは戦争のもうひとつの当事国クマン汗国に...
1355年にはアラビアで叛乱が発生。トクタミス・ハーンは現地...
シリア、アラビア半島、イスラエルを征服して今まさにエジプ...
|CENTER:&ref(TheIronHhan01.jpg,nolink);|
|ティムールの乱|
1361年2月26日、バルラス部族出身のイスラム化したモンゴル人...
エジプトを征服するためにモンゴル軍主力がイスラエルにいた...
モンゴル軍はこのころまでに(回復可能な)常備軍として4万騎...
この大移動の際にモンゴルは初めて水軍を大量に用いた。バル...
1363年中にはティムールを駆逐、トクタミス・ハーンは東部領...
西欧では1366年12月に対アステカの失地回復が呼び掛けられ(...
|CENTER:&ref(フランス十字軍の結末.jpg,nolink);|
|テンプル騎士団領成立|
1370年、西欧の混乱によってモンゴルの正面ではカソリックの...
機は熟したと判断したトクタミス・ハーンはティムール襲来に...
モンゴルによるシリア侵攻中に、フランス十字軍でカソリック...
トクタミス・ハーンは西にアイユーブ朝を破り、軍を返してア...
トクタミス・ハーンはこれを東西からの挟撃と海上輸送(強襲...
トクタミス・ハーンの征西の矛先はアフリカに向けられた。137...
トクタミス・ハーンは被征服国の王を藩屏としつつ改宗を進め...
1385年から2年間続いた大規模な内乱が治まるとトクタミス・ハ...
1382年からアフリカ北岸を西へ征服をつづけ1385年にはついに...
兵力の集結が終わった1389年6月アステカに宣戦しアステカ領モ...
|CENTER:&ref(13860613_鳥の被り物!.jpg,nolink);|
|衣装がかっこいい。特に鳥の被り物はしゅんいつ!|
|思えばこのときからAZTECに憧れていたのかも|
1390年1月には西アフリカ内陸部の最後のイスラム教国マリに侵...
アフリカの奥地からジブラルタル海峡まで兵力を戻し、トクタ...
|CENTER:&ref(13940407_invation_andarsia.jpg,nolink);|
|アラルコンへ侵入|
1395年にはアラゴンを支配していたピサに宣戦。しかし、カソ...
アラゴンを征服していたピサとモンゴル領イベリアの間に突然...
さすがに4万の騎兵軍だけで戦おうとはカソリックの牙城を侮り...
|CENTER:&ref(14010117_The_Fall_of_Rome.jpg,nolink);|
|1401年ローマ陥落|
1401年にカソリックの総本山ローマを陥落させるも、1403年ト...
***第五代皇帝 ダヤン/Dayan (在位1403-1439) [#h7655ff9]
|CENTER:&ref(Khagan5 Dayan the Great.jpg,nolink);|
|第五代大ハーン ダヤン|
ダヤンは父トクタミスとドイツ人の母から生まれた金髪碧眼の...
|CENTER:&ref(13710503_Dayan_seems_to_like_me_even_more.jp...
|トクタミスは治世の後半で得た息子を自ら大切に育てた。|
ダヤン・ハーンはモンゴル史上最も皆から愛されて皇帝となっ...
先の皇帝たちと何が大きく違うのかといえば、ダヤン・ハーン...
父の戦争を引き継いだとはいえ、ダヤン・ハーンは即位後2年で...
1406年2月クマン汗国のアサロップ・ハーンを中心にモンゴル帝...
|CENTER:&ref(14060220_domestic_war2_1.jpg,nolink);|
|モンゴル史上最大の叛乱|
先帝以来の外交努力が実りアラビアのワリイド・ハーンが加わ...
ダヤン・ハーンが当初叛乱は2~3年で終わるとした予想を裏...
アサロップ・ハーン率いる反乱軍は攻囲戦が上手く手早く開城...
内乱の長期化はいつの世にも隣国の益、自国の損であった。
長期の内乱の間に先の戦争で奪ったばかりのジェノヴァがイタ...
結局、モンゴル帝国を二分した足掛け21年に及ぶ大乱は1427年1...
モンゴル国内にはダヤン・ハーンに逆らえる者はもはやいなか...
ネゲヴのスルタンですら改宗に応じたほどだった。
1414年2月に鄭和の大航海。漢人が船でアラビアに到着した。
|CENTER:&ref(14140207_the_voyages_of_ZhengHe.jpg,nolink);|
|東の元朝に叛乱した国のくせに|
モンゴルに連戦連敗のカソリックの権威が失墜し西欧の宗教が...
|CENTER:&ref(14270124_Rolld.jpg,nolink);|
|EU4の様だ。色的にはテングリがプロテスタントっぽい|
ダヤン・ハーンが次に行動を起こしたのはイベリア方面だった。
1427年11月に始まったレオン、ポルトガルの征服が完了したの...
このころのフランスは北部をテンプル騎士団が支配し、南部は...
南フランス(アキテーヌ)の支配者はアキテーヌ王から一時ト...
|CENTER:&ref(14310520_invation_brittany.jpg,nolink);|
|ブルターニュ征服|
1431年11月、ブルターニュ王とダヤン・ハーンが相対したメー...
ブルターニュ領南アイルランドを征服したことによってアイル...
|CENTER:&ref(14321229_invation_sccotland.jpg,nolink);|
|スコットランド侵攻の図|
1434年3月、スコットランドの仕置きをすませたダヤン・ハーン...
南岸にテンプル騎士団が上陸してアステカ領イングランドを少...
|CENTER:&ref(14351221_invation_KightsTempler.jpg,nolink);|
|明るい灰色で紛らわしいテンプル騎士団領|
1435年11月、先のイングランド征服戦に介入して漁夫の利を得...
ダヤン・ハーンはこれに謀略を仕掛け(こちらのユニットをス...
全くと言っていいほど被害がなかったモンゴル軍を大陸へ輸送...
そのころ神聖ローマ帝国はロラード派を信奉するドイツ諸侯が...
ダヤン・ハーンは旧テンプル騎士団領に集結していたほぼ無傷...
侵略は順調に進んだかに見えたが、オランダやオーストリアの...
宗教にかかわらず、時は無情で平等だった。
1439年5月神聖ローマ帝国征服戦争の最中、ダヤン・ハーンは74...
***第六代皇帝(大ハーン)チャガタイ/Chagatai (1439-) [#...
|CENTER:&ref(Khagan6 Chagatai of Mongol Empire.jpg,nolink...
|第六代大ハーン チャガタイ|
二代続けて戦争中の皇位継承となったモンゴル帝国だったが、...
皇位継承から半年後の1439年11月24日、神聖ローマ帝国は降伏...
チャガタイ・ハーンは1440年にイタリア侵攻を開始。
南北アルプス周辺を支配するフェラーラへ28000騎をもって侵攻...
続けてシチリア王国、教皇領にも宣戦し3国同時侵攻となった...
1445年12月5日、ローマ教皇がモンゴルの皇帝に跪いて許しを請...
ここに1218年チンギス・ハーンのホラズム侵攻から始まった足...
|CENTER:&ref(ck2_map_4_1445.jpg,nolink);|
|War is over|
**Index [#dfb8b442]
[[はじめに>AAR/Return to Europe/はじめに]]
[[第一話Paused解除への道>AAR/Return to Europe/第一話Pause...
終了行:
*1444年までのモンゴル史~ [#h5436631]
**本来はCK2のAARとして上げるべきもの? [#a0ed3259]
なのでサーバーにもやさしく画像の添付は少な目のつもりだっ...
とりあえず、仮想の状態での出発なので皆さまの今後閲覧時の...
***CK2での環境とかは、 [#l4df0b51]
使用バージョン:steamプレイなので最新バージョン
DLC:全部有り
開始国家 :モンゴル帝国
開始年月日 :1224年
難易度 :普通
目標 :世界征服
その他の自分ルール:
・公爵、王爵は作らない、奪わない
・末子相続制を変更しない
・似非アイアンマンモード。負けたらやり直すとかなし
ちなみにCK2とはParadox社の姉妹ゲームCrusador Kings IIのこ...
**モンゴル帝国とは [#r1bd99bf]
首都はクズロルダ/Kyzylorda(サマルカンドの近くです。CK2の...
モンゴル帝国(モンゴルていこく)は、モンゴル高原の遊牧民...
中世モンゴル語ではイェケ・モンゴル・ウルス (Yehe Monggol...
テングリ教を国教とし、征西の過程でテングリ教を世界宗教に...
モンゴル帝国は15世紀までにユーラシア大陸とアフリカ大陸の...
1444年時には東アジアでの支配領域を大きく失っていた。
シナにおいては黄河以南を明朝を立てた漢人に回復され、女真...
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|15世紀中葉のモンゴル帝国|
**モンゴルの「帝国」化と「征西」 [#w7ede8de]
***初代皇帝(大ハーン)チンギス/Genghis (在位1206-1238) [...
|CENTER:&ref(Khagan1 Genghis the Great.jpg,nolink);|
|世界史の英雄チンギス・ハーン|
1206年、モンゴリアを統一したテムジンはクリルタイでハーン...
1218年からは中央アジアのオアシス地帯に対して遠征軍を発し...
同じ遊牧民のクマン族と同盟し北の安全を確保したチンギスは6...
チンギスは初め、征服国では現地の諸侯の領地を安堵した。し...
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|チンギス・ハーンのもう一つの功績|
|テングリは世界宗教へと昇華した|
一方のクマン・ハンはハンガリーへ侵攻。これを征服したが、1...
戦争の初期には西欧軍が優勢で、チンギス・ハーンは同盟を履...
その戦いの中でチンギスは戦死。モンゴル軍は潰走した。
***第二代皇帝 カジュ/Khudu (在位1238-1296) [#af...
|CENTER:&ref(Khagan2 Khudu the Confessor.jpg,nolink);|
|第2代懺悔帝カジュ|
1240年、チンギスの末子カジュはクリルタイで第二代大ハーン...
モンゴルの皇位継承の混乱と西欧による十字軍を奇禍として、...
ジハードを撃退し帝位継承の混乱を平定したカジュはモンゴル...
モンゴル本国から連れてきていた5万の騎馬軍は十字軍とジハー...
カジュは征服したメソポタミアとイラン、ペルムからサマルカ...
1246年9月 西欧諸国軍とブルガリア北部で決戦、モンゴル軍は...
しかし、11月には主戦国のクマン汗国が降伏してしまい、ハン...
またこのとき、ブルガリアのいくつかの諸侯はクマン汗国から...
1251年テングリの最高位僧の呼びかけでブルガリア聖戦に参加...
テングリを信仰する諸侯を支援すべく、カジュ・ハーンは聖戦...
モンゴルの主力騎馬軍は30年前の勢いこそなかったが、それで...
ブルガリア、ハンガリーはテングリの支配下となったが。その...
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|海の彼方からの異人|
1254年、アステカを名乗る国の使者がイングランドに上陸。
彼らはモンゴル人のような見かけと奇異な服装をし、太陽神を...
海を越えてきた未知のエキゾチックな人たちは言葉も通じない。
奇妙見かけの船で大西洋岸に沿って上陸できる全ての土地で、...
彼らの申し出を拒否すると、あからさまに恐ろしい呪いと大海...
|CENTER:&ref(12571208_SunsetInvation.jpg,nolink);|
|Sunset Invation|
3年後の1257年、アステカ人は約束?通り、日の沈む方角から大...
1269年5月ローマ教皇は異教徒に奪われた失地回復の十字軍を呼...
1273年5月天然痘の大流行。アステカが海を越えて持ち込んだ伝...
1276年7月アイユーブ朝が失地回復を呼びかけるがアステカに大...
その間、カジュはグルジアや中東諸国を征服しつつ延べ8人の側...
***第三代皇帝 アンバガイ/Ambaghai (在位1296-1345) [#b...
|CENTER:&ref(Khagan3 Anbaghai the Bold.jpg,nolink);|
|第3代皇帝大胆帝アンバガイ|
アンバガイは即位直後に兄嫁に暗殺されかかるなど、帝位継承...
末子相続制のモンゴル帝国は代替わりの度に幼君を立てること...
そのかわり治世はとても長いものになることが多かった。
他に類を見ない巨大な版図を支配した偉大なハーンの跡を継ぐ...
各地で発生した叛乱をそれでも2年で平定したアンバガイは、モ...
モンゴル本土から呼んでいた遠征軍ではなく、帝国西方領域で...
アンバガイ・ハーンは征西再開の手始めにルーシ諸国を各個撃...
1285年には森林湖沼に到達。そのままスカンジナビア諸国へ侵...
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|西の果ての珍味|
1296年6月 モンゴルの宮廷でもアステカの珍味が食されるよう...
アステカが彼らの遠い故郷クエルナバカからもってきたのは天...
彼らの食事は(おそらく食べられる)いくつかの奇妙な植物を...
ココアと呼ばれる木の豆で作られた甘い飲み物『チョコレート...
1297年にはノブゴロドを征服して支配領域をバルト海沿岸を南...
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|大草原の秋|
1298年11月アステカからの使者がアンバガイ・ハーンに謁見。...
曰く、アステカにとって、馬は恐怖の代名詞であったが、いま...
アステカは騎兵連隊を編成し彼らのいう北の平原の叛徒を鎮撫...
ショーン自治領とスー連邦はすでに、彼らの帝国に組み込まれ...
大陸全体がテノチティトランの大帝都から支配されるのは時間...
奇しくも、海の向こうでも騎馬軍は最も頼りになる兵種である...
妙な被り物をした者たちの話をうのみにするのはとどうかと思...
1300年12月ヴェネチアの商人一行がモンゴル帝国を旅したマル...
マルコ・ポーロなるもの、どうやら東のクビライの家臣だった...
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|東方見聞録|
その後1302年5月にアキテーヌを支配するアステカに対する十字...
どうやら、先の2つの使者団は同盟を求めていたのか?と合点?...
イスラム諸国への征服事業はスカンジナビア半島とルーシの平...
1312年にはメッカ征服。1321年にアイユーブ朝からアラビアと...
しかしその後、北と南で独立を求める叛乱が相次ぎ、アンバガ...
セルジューク朝はテングリとの聖戦に敗れたビザンティン帝国...
カソリック国への征西の再開は1341年に入ってから行われた。...
1340年代に入ってからの征西の結果、アンバガイ・ハーンはモ...
逆に包囲されることになったクマン汗国との関係は悪化してい...
***第四代皇帝 トクタミス/Tokhtamis (在位1345-1403) ...
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|第4代大ハーン トクタミス|
トクタミスも汗位継承の際に3度の内乱を経験した。モンゴルの...
1350年、3度目の内乱の平定を終えたトクタミス・ハーンは征西...
ハンガリーがクマン汗国に独立戦争を挑んでいたため介入した...
トクタミス・ハーンは戦争のもうひとつの当事国クマン汗国に...
1355年にはアラビアで叛乱が発生。トクタミス・ハーンは現地...
シリア、アラビア半島、イスラエルを征服して今まさにエジプ...
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|ティムールの乱|
1361年2月26日、バルラス部族出身のイスラム化したモンゴル人...
エジプトを征服するためにモンゴル軍主力がイスラエルにいた...
モンゴル軍はこのころまでに(回復可能な)常備軍として4万騎...
この大移動の際にモンゴルは初めて水軍を大量に用いた。バル...
1363年中にはティムールを駆逐、トクタミス・ハーンは東部領...
西欧では1366年12月に対アステカの失地回復が呼び掛けられ(...
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|テンプル騎士団領成立|
1370年、西欧の混乱によってモンゴルの正面ではカソリックの...
機は熟したと判断したトクタミス・ハーンはティムール襲来に...
モンゴルによるシリア侵攻中に、フランス十字軍でカソリック...
トクタミス・ハーンは西にアイユーブ朝を破り、軍を返してア...
トクタミス・ハーンはこれを東西からの挟撃と海上輸送(強襲...
トクタミス・ハーンの征西の矛先はアフリカに向けられた。137...
トクタミス・ハーンは被征服国の王を藩屏としつつ改宗を進め...
1385年から2年間続いた大規模な内乱が治まるとトクタミス・ハ...
1382年からアフリカ北岸を西へ征服をつづけ1385年にはついに...
兵力の集結が終わった1389年6月アステカに宣戦しアステカ領モ...
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|衣装がかっこいい。特に鳥の被り物はしゅんいつ!|
|思えばこのときからAZTECに憧れていたのかも|
1390年1月には西アフリカ内陸部の最後のイスラム教国マリに侵...
アフリカの奥地からジブラルタル海峡まで兵力を戻し、トクタ...
|CENTER:&ref(13940407_invation_andarsia.jpg,nolink);|
|アラルコンへ侵入|
1395年にはアラゴンを支配していたピサに宣戦。しかし、カソ...
アラゴンを征服していたピサとモンゴル領イベリアの間に突然...
さすがに4万の騎兵軍だけで戦おうとはカソリックの牙城を侮り...
|CENTER:&ref(14010117_The_Fall_of_Rome.jpg,nolink);|
|1401年ローマ陥落|
1401年にカソリックの総本山ローマを陥落させるも、1403年ト...
***第五代皇帝 ダヤン/Dayan (在位1403-1439) [#h7655ff9]
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|第五代大ハーン ダヤン|
ダヤンは父トクタミスとドイツ人の母から生まれた金髪碧眼の...
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|トクタミスは治世の後半で得た息子を自ら大切に育てた。|
ダヤン・ハーンはモンゴル史上最も皆から愛されて皇帝となっ...
先の皇帝たちと何が大きく違うのかといえば、ダヤン・ハーン...
父の戦争を引き継いだとはいえ、ダヤン・ハーンは即位後2年で...
1406年2月クマン汗国のアサロップ・ハーンを中心にモンゴル帝...
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|モンゴル史上最大の叛乱|
先帝以来の外交努力が実りアラビアのワリイド・ハーンが加わ...
ダヤン・ハーンが当初叛乱は2~3年で終わるとした予想を裏...
アサロップ・ハーン率いる反乱軍は攻囲戦が上手く手早く開城...
内乱の長期化はいつの世にも隣国の益、自国の損であった。
長期の内乱の間に先の戦争で奪ったばかりのジェノヴァがイタ...
結局、モンゴル帝国を二分した足掛け21年に及ぶ大乱は1427年1...
モンゴル国内にはダヤン・ハーンに逆らえる者はもはやいなか...
ネゲヴのスルタンですら改宗に応じたほどだった。
1414年2月に鄭和の大航海。漢人が船でアラビアに到着した。
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|東の元朝に叛乱した国のくせに|
モンゴルに連戦連敗のカソリックの権威が失墜し西欧の宗教が...
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|EU4の様だ。色的にはテングリがプロテスタントっぽい|
ダヤン・ハーンが次に行動を起こしたのはイベリア方面だった。
1427年11月に始まったレオン、ポルトガルの征服が完了したの...
このころのフランスは北部をテンプル騎士団が支配し、南部は...
南フランス(アキテーヌ)の支配者はアキテーヌ王から一時ト...
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|ブルターニュ征服|
1431年11月、ブルターニュ王とダヤン・ハーンが相対したメー...
ブルターニュ領南アイルランドを征服したことによってアイル...
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|スコットランド侵攻の図|
1434年3月、スコットランドの仕置きをすませたダヤン・ハーン...
南岸にテンプル騎士団が上陸してアステカ領イングランドを少...
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|明るい灰色で紛らわしいテンプル騎士団領|
1435年11月、先のイングランド征服戦に介入して漁夫の利を得...
ダヤン・ハーンはこれに謀略を仕掛け(こちらのユニットをス...
全くと言っていいほど被害がなかったモンゴル軍を大陸へ輸送...
そのころ神聖ローマ帝国はロラード派を信奉するドイツ諸侯が...
ダヤン・ハーンは旧テンプル騎士団領に集結していたほぼ無傷...
侵略は順調に進んだかに見えたが、オランダやオーストリアの...
宗教にかかわらず、時は無情で平等だった。
1439年5月神聖ローマ帝国征服戦争の最中、ダヤン・ハーンは74...
***第六代皇帝(大ハーン)チャガタイ/Chagatai (1439-) [#...
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|第六代大ハーン チャガタイ|
二代続けて戦争中の皇位継承となったモンゴル帝国だったが、...
皇位継承から半年後の1439年11月24日、神聖ローマ帝国は降伏...
チャガタイ・ハーンは1440年にイタリア侵攻を開始。
南北アルプス周辺を支配するフェラーラへ28000騎をもって侵攻...
続けてシチリア王国、教皇領にも宣戦し3国同時侵攻となった...
1445年12月5日、ローマ教皇がモンゴルの皇帝に跪いて許しを請...
ここに1218年チンギス・ハーンのホラズム侵攻から始まった足...
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|War is over|
**Index [#dfb8b442]
[[はじめに>AAR/Return to Europe/はじめに]]
[[第一話Paused解除への道>AAR/Return to Europe/第一話Pause...
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