AAR/二番煎じのJihad/3話 俺たちは強い(17世紀)
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[[AAR/二番煎じのJihad]] AAR/二番煎じのJihad/3話 俺たちは強い(17世紀)? 17世紀に入ったので現状の確認をして見ます &ref(51.jpg); &ref(52.jpg); &ref(53.jpg); &ref(NAJ_1601_06_15_1.png); 列強の一角といって良い程になったとはいえ技術力ではまだまだ 収入も半分程度でしかない。アジアの富を得る為にインド・マラッカなどを攻めたい 1601年 ティムール領を回復するためにはペルシャから奪う必要があるのだが オスマン・ペルシャ同盟のために手が出せない その為イエメンに宣戦し、ペルシャを誘い出す オスマンが付いてきてくれるのがうれしい 1607年 &ref(54.jpg); 同盟参戦のため戦勝点が倍必要になるので、4州のみ それでもティムールとつながることが出来た 1618年 再びイエメン・ティムールと戦争 1627年 軍事技術が時代に追いつく。西洋化から115年かかった 1639年 civil war開始 反乱が起きるが正統性があがるので悪くない 1644年 &ref(57.jpg); ロシアとの国境が決まる しかし互いにこれが最終的な決着とは思っていない 1647年 &ref(58.jpg); ロシアがオイラットに攻め込まれているのを見て戦争を決断 面倒な欧州との戦争は避けて、より弱い国から500州を達成するつもりだったが 方針変更 1651年 &ref(59.jpg); 後からはじめたNAJD・ロシア戦争が終わったというのに いまだ続くオイラット・ロシア戦争をみて、今度はオイラットに宣戦する 何でコンクエストで宣戦しているのか &ref(60.jpg); 1656年 &ref(61.jpg); 終戦コンクエストのせいでdip300使用 ティムール経由とはいえ東への道がつながった 1657年 ペルシャを引き釣り出すためにインドに進出 1668年 &ref(63.jpg); インド領のコア化コストの高さ(+150%)に、うんざりして東南アジアを目指す 1678年 オスマン参加でロシアに宣戦し、続いてペルシャに宣戦する すでにオスマンは、NAJDと共闘しているためペルシャ側に参加できない 全力でペルシャを叩きティムール領の回復が一気に進んだ 一方ロシア側は、かなり圧されていた オスマンは十分な兵力があるのだが あまり戦ってはくれないようだ 1681年 &ref(64.jpg); かつては、NAJDの弱兵はアフリカ・アジアでしか勝てないといわれたが ついに寡兵を持ってロシア軍を破る 相手の将軍も優秀だが、英雄カナサニの名が欧州に鳴り響いたことだろう 他にも戦争しているが、細かいことは省いてしまいました だって記録が残ってないんだもの ----------------次------------------- [[AAR/二番煎じのJihad/4話 ゴールを目指して(18世紀)]]
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[[AAR/二番煎じのJihad]] AAR/二番煎じのJihad/3話 俺たちは強い(17世紀)? 17世紀に入ったので現状の確認をして見ます &ref(51.jpg); &ref(52.jpg); &ref(53.jpg); &ref(NAJ_1601_06_15_1.png); 列強の一角といって良い程になったとはいえ技術力ではまだまだ 収入も半分程度でしかない。アジアの富を得る為にインド・マラッカなどを攻めたい 1601年 ティムール領を回復するためにはペルシャから奪う必要があるのだが オスマン・ペルシャ同盟のために手が出せない その為イエメンに宣戦し、ペルシャを誘い出す オスマンが付いてきてくれるのがうれしい 1607年 &ref(54.jpg); 同盟参戦のため戦勝点が倍必要になるので、4州のみ それでもティムールとつながることが出来た 1618年 再びイエメン・ティムールと戦争 1627年 軍事技術が時代に追いつく。西洋化から115年かかった 1639年 civil war開始 反乱が起きるが正統性があがるので悪くない 1644年 &ref(57.jpg); ロシアとの国境が決まる しかし互いにこれが最終的な決着とは思っていない 1647年 &ref(58.jpg); ロシアがオイラットに攻め込まれているのを見て戦争を決断 面倒な欧州との戦争は避けて、より弱い国から500州を達成するつもりだったが 方針変更 1651年 &ref(59.jpg); 後からはじめたNAJD・ロシア戦争が終わったというのに いまだ続くオイラット・ロシア戦争をみて、今度はオイラットに宣戦する 何でコンクエストで宣戦しているのか &ref(60.jpg); 1656年 &ref(61.jpg); 終戦コンクエストのせいでdip300使用 ティムール経由とはいえ東への道がつながった 1657年 ペルシャを引き釣り出すためにインドに進出 1668年 &ref(63.jpg); インド領のコア化コストの高さ(+150%)に、うんざりして東南アジアを目指す 1678年 オスマン参加でロシアに宣戦し、続いてペルシャに宣戦する すでにオスマンは、NAJDと共闘しているためペルシャ側に参加できない 全力でペルシャを叩きティムール領の回復が一気に進んだ 一方ロシア側は、かなり圧されていた オスマンは十分な兵力があるのだが あまり戦ってはくれないようだ 1681年 &ref(64.jpg); かつては、NAJDの弱兵はアフリカ・アジアでしか勝てないといわれたが ついに寡兵を持ってロシア軍を破る 相手の将軍も優秀だが、英雄カナサニの名が欧州に鳴り響いたことだろう 他にも戦争しているが、細かいことは省いてしまいました だって記録が残ってないんだもの ----------------次------------------- [[AAR/二番煎じのJihad/4話 ゴールを目指して(18世紀)]]
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