AAR/メディチ家の足跡/パックス・イタリアーナ
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[[AAR/メディチ家の足跡]] *パックス・イタリアーナ [#x7eef335] |CENTER:&ref(Statue.jpg);| |平和の女神パックスの石像| 悲しいことに、人類は戦争がなかった時代をほとんど経験したことがありません 今でもどこかの国が武器を使い、兵を動かしています 古代から現代まで、そしてきっと未来も 人は戦いと共に生きてきましたし、これからもそうなるでしょう それでも平和に生きたいと望む人はいます おそらく全ての人がそう願っています ではかつて平和を実現した国々は、どうやってその偉業を成し遂げたのでしょうか ローマ帝国、中国の歴代王朝、オスマン帝国、イギリス、アメリカ 非武装中立を貫いたのでしょうか いや違います 彼らは圧倒的な力で持って戦争を抑え、そうやって平和を実現しました そしてローマ帝国衰亡史を著したエドワード・ギボンは、古代地中海世界を支配したローマ帝国による平和を パックス・ロマーナと呼んだのです **光栄ある孤立 [#e2639e2c] 18世紀も終盤に入ってから、イタリアは戦争での勝利を追求することをやめました 新たに見出したのは平和下での君臨 そのためには同盟国のせいで戦争に巻き込まれるような自体も避けねばなりません 必然的にイタリアは孤立することになりました もし、これが弱小国家であれば他の列強の餌食になることは免れなかったでしょう しかし、イタリアの国力を以てすれば不可能なことではありません イタリアは開始以来初になるほどの平穏を堪能することができました 国威は下がってしまいましたが、それでもイタリア人は幸せそうです 自分たちの家族が戦争で死ぬことのない時代 イタリアが経験したことのない時代です 使い道のないお金もどんどん貯まっていきます 植民国家へ1000ダカットぐらいの寄付も度々しているのですが、それでもどんどん貯まります ついにはお金の表示も10Kという手を抜いたものになりました ああ平和だ・・・ ところで、世にはマンネリ化という言葉があるそうです まあイタリアには縁がない話ですけどね 関係ありませんが、少し涙を誘うことがありました なんとニューイタリーの総督がメディチ家の末裔だったのです |CENTER:&ref(eu4_70_compressed.jpg);| |軍事バカである| まあだからなんだということではありませんけど 後ろに見えるカスティーリャカナダとニューイタリーの戦争はニューイタリーが勝って領土を広げてました **ただのマンネリ化では? [#s4bdd258] いや違うんです 一応戦争をやっていないわけではないんです 安定度アップイベントが起こったので、大義名分無しの戦争もやっています その結果拡大したのが下の画像のニューイタリーです |CENTER:&ref(eu4_89_convert_20140401232336_compressed.jpg);| |敗北したチカソーは領土を二分された| 西に若干拡大しています 他にもいくつか事件は起こりました まずはキューバでのイベントです |CENTER:&ref(eu4_75_compressed.jpg);| |もうやることがないからって税金あげすぎた| 関税が高すぎて独立の気運が高まっている様子 そういえば独立した植民国家を一つも見ていません そもそも植民国家はどのようにして独立したのでしょうか 19世紀にナポレオン戦争が勃発します スペインやポルトガルはナポレオンのフランス軍に占領され、ラテンアメリカの植民地はほったらかしになってしまいました この混乱に乗じ、ベネズエラで独立運動が始まります 一度はスペイン軍に敗北した独立軍ですが、ここでシモン=ボリバルが登場しました ボリバルはコロンビアで大コロンビアの独立を宣言し、最終的にアルゼンチンとチリを除く南アメリカのスペイン植民地独立を達成 彼は南アメリカを統合した国家建設を目指しましたが、各地域が独自の国家形成を始めたために失意のうち没しました チリとアルゼンチンを独立させたのはサン=マルティンという男ですが、彼もその後失意のためフランスに渡り世を去りました もう一つの植民地メキシコでは、副王配下の将軍がクーデターを起こして独立します なんだかあっけないですね ブラジルではナポレオンに追われたポルトガル王室が逃げ込みます ナポレオンが没落したあと国王はポルトガルに戻ったのですが、一人ブラジルに残った王太子が独立宣言を出し、ブラジル帝国として独立しました これらラテン=アメリカ諸国は独立しても経済的にはイギリスに従属しました かつてはスペインのものだったため参入が難しかった南アメリカの市場は、イギリスが牛耳ることになったのです アメリカで出されたモンロー宣言はアメリカ大陸へのヨーロッパ不介入を要請したものですが、これも合衆国が南アメリカの市場確保を狙ったものでした いやはや人の欲望とはそうそう尽きるものではないようです それと、イタリアでは他国に先んじて奴隷制の廃止がされました 奴隷を主要産品としていた地域は生産物が別のものに置き換わったようです 先進国イタリアはもう奴隷なんて野蛮で道徳に反するもの使いません |CENTER:&ref(eu4_74_compressed.jpg);| |非人道的な奴隷制なんて廃止だ廃止| おそらく産業革命が起こって奴隷の必要性が減ったとかそういうのが本音でしょうが、それには目を瞑っておきます **最後の王 [#ue495179] つまり何もしていないわけではないのです 頑張って他国との差をつけようと金策に手を尽くしてはいます そのおかげで月収450ダカット、黒字は100ダカットに及ぶようになりました 特にマラッカでの交易収入は凄まじく、ここだけで70ダカットもの利益を上げています 実は戦争がなかったのにも一つ理由があります イタリアでは前王が亡くなって以来4/5/4とやたら有能な貴族たちが支配権を持っていたのです |CENTER:&ref(eu4_92.png);| |最後まで王家はアヴィス家だった| そして1804年、成人したアスカニオ・マリア・デ・アヴィスが即位しました イタリア最後の国王 有終の美と言いますが、この人も最後を飾るだけあってそれなりに優秀な能力を持っています 女性かとも思ったのですが、将軍になれるのを見るとどうやら男の人のようです 因みに後継者の名前はナポレオンでした 作為的な何かを感じます 残念なことに、この年の冬に戦争が起こりました オスマン帝国とセルビアの戦争です セルビアに独立保障をかけていたイタリアは盟主として参戦することとなりました 豊富な資金と強大な軍事力を持つイタリアはオスマン帝国の海上戦力を殲滅し、全土を封鎖 オスマン帝国の周りにイタリア船がびっしりと張り付いているのはなかなか壮観です 戦争は二年で終わり、イタリアはキプロスとナクソスを獲得、セルビアは旧領を取り戻しました 対してオスマン帝国はシリアの独立を認めさせられます 瀕死の重病人ここに極まれり、といった感じでしょうか |CENTER:&ref(eu4_101_convert_20140401232347_compressed.jpg);| |コンスタンティノープルはイタリア船の影に怯え続けることだろう| イタリアは地中海に浮かぶ島嶼地域を手中に収め、監視体制を強めることができました パックス・イタリアーナは途切れてしまったものの、被害の少なさに対し得るものは多かったのでまあいいでしょう これが世界に君臨するイタリアの力 列強も思い知ったに違いありません 後のことですが、オスマン帝国はロシアに敗戦しアルジェリアにも領土を渡していました 列強が思い知ったのはオスマン帝国の弱さのほうだったみたいです 多分オスマン帝国は史実のように凋落の道を辿るのでしょう もちろんイタリアの強さも世界に知れ渡っています ブラジルで紛争が起こったので白紙和平を要求したところ、なんと相手は受け入れたのです 嬉しいことこの上ありません あまりに驚いて画像は撮り忘れました **物語の終わり [#s8fb1f75] 超大国イタリア その国威は世界に響き渡り、その軍隊はどんな国のそれよりも精強です 天国ではコジモ・デ・メディチもたまげているでしょうか そんなイタリアの物語も遂に終わりを迎えようとしています 400年の長きに渡って紡がれてきた物語 それでは、イタリア最後のお話を書き上げることにしましょう 前 [[AAR/メディチ家の足跡/苦難の果てに見たもの]] 次 [[AAR/メディチ家の足跡/イタリアの足跡]] [[AAR/メディチ家の足跡]]
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[[AAR/メディチ家の足跡]] *パックス・イタリアーナ [#x7eef335] |CENTER:&ref(Statue.jpg);| |平和の女神パックスの石像| 悲しいことに、人類は戦争がなかった時代をほとんど経験したことがありません 今でもどこかの国が武器を使い、兵を動かしています 古代から現代まで、そしてきっと未来も 人は戦いと共に生きてきましたし、これからもそうなるでしょう それでも平和に生きたいと望む人はいます おそらく全ての人がそう願っています ではかつて平和を実現した国々は、どうやってその偉業を成し遂げたのでしょうか ローマ帝国、中国の歴代王朝、オスマン帝国、イギリス、アメリカ 非武装中立を貫いたのでしょうか いや違います 彼らは圧倒的な力で持って戦争を抑え、そうやって平和を実現しました そしてローマ帝国衰亡史を著したエドワード・ギボンは、古代地中海世界を支配したローマ帝国による平和を パックス・ロマーナと呼んだのです **光栄ある孤立 [#e2639e2c] 18世紀も終盤に入ってから、イタリアは戦争での勝利を追求することをやめました 新たに見出したのは平和下での君臨 そのためには同盟国のせいで戦争に巻き込まれるような自体も避けねばなりません 必然的にイタリアは孤立することになりました もし、これが弱小国家であれば他の列強の餌食になることは免れなかったでしょう しかし、イタリアの国力を以てすれば不可能なことではありません イタリアは開始以来初になるほどの平穏を堪能することができました 国威は下がってしまいましたが、それでもイタリア人は幸せそうです 自分たちの家族が戦争で死ぬことのない時代 イタリアが経験したことのない時代です 使い道のないお金もどんどん貯まっていきます 植民国家へ1000ダカットぐらいの寄付も度々しているのですが、それでもどんどん貯まります ついにはお金の表示も10Kという手を抜いたものになりました ああ平和だ・・・ ところで、世にはマンネリ化という言葉があるそうです まあイタリアには縁がない話ですけどね 関係ありませんが、少し涙を誘うことがありました なんとニューイタリーの総督がメディチ家の末裔だったのです |CENTER:&ref(eu4_70_compressed.jpg);| |軍事バカである| まあだからなんだということではありませんけど 後ろに見えるカスティーリャカナダとニューイタリーの戦争はニューイタリーが勝って領土を広げてました **ただのマンネリ化では? [#s4bdd258] いや違うんです 一応戦争をやっていないわけではないんです 安定度アップイベントが起こったので、大義名分無しの戦争もやっています その結果拡大したのが下の画像のニューイタリーです |CENTER:&ref(eu4_89_convert_20140401232336_compressed.jpg);| |敗北したチカソーは領土を二分された| 西に若干拡大しています 他にもいくつか事件は起こりました まずはキューバでのイベントです |CENTER:&ref(eu4_75_compressed.jpg);| |もうやることがないからって税金あげすぎた| 関税が高すぎて独立の気運が高まっている様子 そういえば独立した植民国家を一つも見ていません そもそも植民国家はどのようにして独立したのでしょうか 19世紀にナポレオン戦争が勃発します スペインやポルトガルはナポレオンのフランス軍に占領され、ラテンアメリカの植民地はほったらかしになってしまいました この混乱に乗じ、ベネズエラで独立運動が始まります 一度はスペイン軍に敗北した独立軍ですが、ここでシモン=ボリバルが登場しました ボリバルはコロンビアで大コロンビアの独立を宣言し、最終的にアルゼンチンとチリを除く南アメリカのスペイン植民地独立を達成 彼は南アメリカを統合した国家建設を目指しましたが、各地域が独自の国家形成を始めたために失意のうち没しました チリとアルゼンチンを独立させたのはサン=マルティンという男ですが、彼もその後失意のためフランスに渡り世を去りました もう一つの植民地メキシコでは、副王配下の将軍がクーデターを起こして独立します なんだかあっけないですね ブラジルではナポレオンに追われたポルトガル王室が逃げ込みます ナポレオンが没落したあと国王はポルトガルに戻ったのですが、一人ブラジルに残った王太子が独立宣言を出し、ブラジル帝国として独立しました これらラテン=アメリカ諸国は独立しても経済的にはイギリスに従属しました かつてはスペインのものだったため参入が難しかった南アメリカの市場は、イギリスが牛耳ることになったのです アメリカで出されたモンロー宣言はアメリカ大陸へのヨーロッパ不介入を要請したものですが、これも合衆国が南アメリカの市場確保を狙ったものでした いやはや人の欲望とはそうそう尽きるものではないようです それと、イタリアでは他国に先んじて奴隷制の廃止がされました 奴隷を主要産品としていた地域は生産物が別のものに置き換わったようです 先進国イタリアはもう奴隷なんて野蛮で道徳に反するもの使いません |CENTER:&ref(eu4_74_compressed.jpg);| |非人道的な奴隷制なんて廃止だ廃止| おそらく産業革命が起こって奴隷の必要性が減ったとかそういうのが本音でしょうが、それには目を瞑っておきます **最後の王 [#ue495179] つまり何もしていないわけではないのです 頑張って他国との差をつけようと金策に手を尽くしてはいます そのおかげで月収450ダカット、黒字は100ダカットに及ぶようになりました 特にマラッカでの交易収入は凄まじく、ここだけで70ダカットもの利益を上げています 実は戦争がなかったのにも一つ理由があります イタリアでは前王が亡くなって以来4/5/4とやたら有能な貴族たちが支配権を持っていたのです |CENTER:&ref(eu4_92.png);| |最後まで王家はアヴィス家だった| そして1804年、成人したアスカニオ・マリア・デ・アヴィスが即位しました イタリア最後の国王 有終の美と言いますが、この人も最後を飾るだけあってそれなりに優秀な能力を持っています 女性かとも思ったのですが、将軍になれるのを見るとどうやら男の人のようです 因みに後継者の名前はナポレオンでした 作為的な何かを感じます 残念なことに、この年の冬に戦争が起こりました オスマン帝国とセルビアの戦争です セルビアに独立保障をかけていたイタリアは盟主として参戦することとなりました 豊富な資金と強大な軍事力を持つイタリアはオスマン帝国の海上戦力を殲滅し、全土を封鎖 オスマン帝国の周りにイタリア船がびっしりと張り付いているのはなかなか壮観です 戦争は二年で終わり、イタリアはキプロスとナクソスを獲得、セルビアは旧領を取り戻しました 対してオスマン帝国はシリアの独立を認めさせられます 瀕死の重病人ここに極まれり、といった感じでしょうか |CENTER:&ref(eu4_101_convert_20140401232347_compressed.jpg);| |コンスタンティノープルはイタリア船の影に怯え続けることだろう| イタリアは地中海に浮かぶ島嶼地域を手中に収め、監視体制を強めることができました パックス・イタリアーナは途切れてしまったものの、被害の少なさに対し得るものは多かったのでまあいいでしょう これが世界に君臨するイタリアの力 列強も思い知ったに違いありません 後のことですが、オスマン帝国はロシアに敗戦しアルジェリアにも領土を渡していました 列強が思い知ったのはオスマン帝国の弱さのほうだったみたいです 多分オスマン帝国は史実のように凋落の道を辿るのでしょう もちろんイタリアの強さも世界に知れ渡っています ブラジルで紛争が起こったので白紙和平を要求したところ、なんと相手は受け入れたのです 嬉しいことこの上ありません あまりに驚いて画像は撮り忘れました **物語の終わり [#s8fb1f75] 超大国イタリア その国威は世界に響き渡り、その軍隊はどんな国のそれよりも精強です 天国ではコジモ・デ・メディチもたまげているでしょうか そんなイタリアの物語も遂に終わりを迎えようとしています 400年の長きに渡って紡がれてきた物語 それでは、イタリア最後のお話を書き上げることにしましょう 前 [[AAR/メディチ家の足跡/苦難の果てに見たもの]] 次 [[AAR/メディチ家の足跡/イタリアの足跡]] [[AAR/メディチ家の足跡]]
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