AAR/グランド・アルメは世界最強ォォ/十日目 最終戦争
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[[AAR/グランド・アルメは世界最強ォォ]] *状況確認 [#g0c6860a] Coalitionを組む段階になって、ついに各陣営の参加国が判明した。 |>|CENTER:参戦国|h |CENTER:~France陣営|CENTER:~Ottomans陣営| |COLOR(RED):France|COLOR(RED):Ottomans| |Russia|Germany| |Commonwelth|Mughals| |Great Britain|| |Portugal|| Germanyをこちらの陣営に招こうと声を掛けたものの ついに応じる事はなかった。 RussiaとCommonwelthがFrance陣営に加わっている事を目の当たりにして 挟撃されることが確定したGermanyはかなり怯んだ様子であった。 Franceが万全の態勢ではないのにこちらから仕掛けても良いのかと指摘を受けたが これ以上相手に時間を与えれば手遅れになると感じていた。 互いに健闘を祈りつつ陣営ごとのVCにそれぞれ分かれ、最後の作戦会議を行う。 Franceが独力ではGermanyを倒すことができなくなってしまい、またMughalsの足止めを目的とした アジアAI国家の参戦が不発に終わってしまった為、計画の再編を行った。 #ref(AAR1020.jpg) Mughalsの介入がしばしの間遅れるとあって、まずはGermanyに全軍で進撃しこれを殲滅後Commonwelth領にて軍の再編 続けて北上してくるOttomans軍を撃退し、再度Commonwelth領で再編を行うミッドランド構想である。 常にこちらが先手を打ち、GermanyとOttomans=Mughalsの軍の合流を邪魔をし続け主導権を握る寸法だ。 もちろん、少しでも波長がずれれば確固撃破に陥るし FranceやPortugalはCommonwelth領で戦う必要があるため兵站が伸びきり 不撤退に陥らない為にも会戦レベルの戦いでは勝ち続ける事が重要なのだ。 *Great War [#n918c59f] #ref(AAR1021.jpg) 傭兵交じりのFrance軍ではあるが、態勢は整った。 まずはFrance=Portugalの全軍をCommonwelth両側に走らせ、Commonwelth=Russiaと合流を果たさねばならない。 #ref(AAR1022.jpg) 敵の位置を見たいので敢えて通常歩行で東へ向かっていると、Germanyの主力を発見 どうやらドイツ中央部が本営になっているようだ。 #ref(AAR1023.jpg) 軍を一まとめにし、こちらから仕掛ける事を決断する。 周囲の友軍にも援軍を求め、突撃を敢行...と後ろからどこからともなくOttomans軍が出現。 Commonwelthからは領土通過の知らせはなかったし、元々伏せてあったのか? #ref(AAR1024.jpg) まずはFrance主力をGermanyにぶつけ、後続の部隊も方々より合流を急がせる。 France本土より遅れて出立した部隊が運よくOttomansの増援をキャッチ Germany側の戦線とOttomans側の戦線で分断に成功した。 #ref(AAR1025.jpg) Germany側の戦線にはGermany,France,Commonwelth,Portgalが駆けつけみるみる内に規模が膨れ上がり 死傷者<援軍のペースで軍量表示がなかなか減らない。 対してOttomans戦線の方はFrance側が続々と本土より援軍を差し向け さらにPortugalがこれに増援を差し向けたことで、Ottomans軍はついに崩壊した。 #ref(AAR1062.jpg) Ottomans戦線がFrance陣営側の勝利に終わった為、Germanyが単独で戦線を維持していたが France陣営側が続々と援軍が流れ込むのに対し、奮戦空しく敗退した。 (画像は途中から駆けつけたのPortugalから貰ったものなので若干内容が異なる。) 追撃を進言するもCommonwelthとRussiaは南部のOttomansに気を取られ Franceは元々Manpowerが枯渇していた為に補充が間に合わず、断念せざるを得なかった。 #ref(AAR1027.jpg) その間、Germany領の占領に従事していたPortugalがゲリラ攻勢により溶かされたり 南部でRussiaの軍団レベルが壊滅したりで尚も予断を許さない状況が続いた。 *来た!見た!勝った! [#g7ddd664] Franceの軍団の割合が歩兵3:砲兵:1まで回復した頃 Russiaが悲鳴に似た声を上げた。 #ref(AAR1028.jpg) Russia「Ottomansの210k軍団が北上してくる」 どうやら、バルカン半島側に配備されていたRussia・Commonwelthの防衛部隊をOttomans=Mughals軍が突破し Germanyとの連絡を図ろうとしているようだ。 #ref(AAR1029.jpg) さすがにこれはまずいという事で散らばりつつあった軍がGermanyに確固撃破を受けないように 全軍をCommonwelth領へ戻すよう指示を出した。 #ref(AAR1030.jpg) Krakowに集結をさせていたFrance軍に対しOttomans軍は怯まず攻勢を掛け、あっと言う間に大会戦に発展していった。 #ref(AAR1031.jpg) 元々こちらはCommonwelthを基軸にプランを立てていたこともあって友軍の増援もスムーズに行うことが叶い 200k,300k,400kとみるみる内に軍が膨れ上がっていく。 #ref(AAR1032.jpg) Ottomansの潰走が時間の問題になった時、遅れてGermanyも援軍に駆けつけてきた。 #ref(AAR1033.jpg) 確固撃破に持ち込みたいので、短期決戦が望まれるも 壊滅寸前のOttomans戦線にGermanyが滑り込んできた...が、もはや勝敗は決しており直ぐに撤退を開始した。 (画像はOttomansから貰ったものなので若干内容が異なる。) 会戦レベルでは連勝し幸先好調である。 *オールスターバトル [#lcda0be2] 勝利はしたもの、Commonwelth=Russia両軍はOttomansの攻勢に備えたいという事で GermanyをFrance=Portugalで抑え込む方針に変更。 #ref(AAR1034.jpg) 尚も頑強に抵抗を続けるGermanyと睨み合いになり、Germany=Commonwelth間では中・小規模の争いが続いた。 #ref(AAR1035.jpg) 北方のバルト海沿岸のプロビには、資金に余力のあるFrance=Portugal=Russiaが 続々と傭兵を送り込み占領を開始しており、徐々にGermanyの国力を削ぎつつあった。 #ref(AAR1036.jpg) 一方、バルカン半島ではCommonwelth=RussiaがOttomans相手に徐々にではあるが押され始め Ottomans主力が再び北上を開始した。 #ref(AAR1037.jpg) Germany=Ottomans=Mughalsの合流が時間の問題となった頃 France=PortugalはGermanyの主力の駆逐に成功し、ユトランド半島に追いやることに成功していた。 それを追撃しつつも道中で逃げ遅れた軍団を平らげ、着実にGermany軍を追い詰め連携を阻止する。 旧Hansa領に残るGermany軍の壊滅を狙うも、質と量が拮抗していて 少し削っただけでTirolのアルプス山岳プロビへ逃げ込まれてしまい、手が出せない状況に。 #ref(AAR1038.jpg) 出口だけ塞いで身動きを取らせないようにRussia=Portugalにしばし封鎖を任せ Franceは兵員回復の為に、一度本国に戻し補充を急がせた。 すると、またもどこからともなくOttomans軍が出現 今までもそうだがTuscanyから『Militaly Accese』を貰い、輸送船を使って上陸を果たしていたようだ。 #ref(AAR1040.jpg) Russia軍が体を張って進路を阻むも、Germany=Swedenの加勢もあってもはや全滅寸前かと思われたが 続々と西から援軍を派遣し、Russiaを助けにかかる。 #ref(AAR1039.jpg) この会戦でFrance陣営が勝利を収めたことでOttomansは再びバルカン方面に軍が潰走し Germanyは再び孤立をしてしまった。 しかし、会戦級すべてのキルレシオが半端ないが これが将軍パワーなのだろうか。 #ref(AAR1041.jpg) Germanyの息もかなり荒くなってきた、持って後一回分の会戦を行えるかどうかの戦力だ。 *エンクロージャー(物理 [#a5046622] Ottomans軍の救援も空しく、Germany軍はFrance=PortugalとCommonwelth=Russiaにサンドイッチにされたまま 孤軍奮闘をする他になくなってしまった。 #ref(AAR1042.jpg) 途中、占領に従事していたPortugal軍に対して奇襲を行い 戦力を削ごうとする動きを見せたものの、この頃には西・東で動きが固まっており、直ぐに援軍が駆けつけれる体制に整っていた為 直ぐに撃退をされてしまった。 #ref(AAR1043.jpg) 撤退をしたGermanyに止めを指すべきと提案し、France軍単独で追跡をするとMughalsの軍がスタンバイしていた。 #ref(AAR1044.jpg) 瀕死のGermany軍を庇わんとばかり軍を重ねて牽制してみせるが GermanyとMughalsが一か所に重ねすぎて消耗していたのを目撃したので 後続の友軍をその場でゆっくり待つことに。 #ref(AAR1045.jpg) Russia=Commonwelth=Portugalの軍が到着したのを見計らって合図をし、攻撃を開始する。 この時何故かCommonwelthの国王が司令官になってしまい(政治的圧力?)、思いのほか接戦にもつれ込んだ。 #ref(AAR1046.jpg) しかし、南より追加でPortugal軍が合流したことが最後の一撃になり Germany軍は撤退を開始、Mughals軍が線上に取り残され逃げ遅れてしまった。 #ref(AAR1047.jpg) 目の前に転がるおいしそうなPrestigeとArmy Traditionを前に 参戦していた軍団が血みどろの大運動会に興じ、全滅していくMughals軍。 それを目の前に何もできずに居るOttomans軍団が涙を誘う。 #ref(AAR1048.jpg) 彼らを助ける事は叶わずOttomans軍は不本意ながら撤退を開始するが そんな事を許す訳が無く、Russiaが行く手を遮る。 #ref(AAR1049.jpg) すぐさま周辺各軍が援軍に駆けつける。 #ref(AAR1050.jpg) そして見慣れた光景に。 #ref(AAR1051.jpg) 北では取り残された一部のGermany軍が包囲され、お亡くなりに。 #ref(AAR1052.jpg) これの仕返しかどうか分からないが、西から順次出発しつつあった占領部隊に向け 突如Germany軍が突進を掛けてきた。 質でなら勝てると踏んで勝負に出たようだが、残念ながらその読みは完全に外れており(理由は後述) 結局押しきれないと悟ってかしばらくした後撤退をしていった。 #ref(AAR1053.jpg) Ottomansの主力が流れ着いたバルカン半島でもCommonwelth=Russiaが攻勢に出ており 流れは完全にFrance陣営側に傾きつつある。 #ref(AAR1054.jpg) 一方でGreat Britainも各所で海上封鎖と強襲上陸を繰り返し 相手の収入を締め付けつつあった。 ヨーロッパ方面でOttomansの主力が敗れ イスラム圏に控えてあったらしき遊撃部隊が増援の為に北上していくのを目撃したらしく すぐさまカイロへ強襲上陸してゆさぶりを仕掛ける。 France「勝ったな...。」 *最後の抵抗 [#ie1e84bb] #ref(AAR1055.jpg) バルカン半島では南へ反転攻勢を始めたCommonwelth=Russiaに対してOttomans=Mugalsが必死の抵抗を見せていた。 前回のRussia戦で活躍したMughalsも同伴していることもあって、ややも危うしと思われたものの Germany戦線が安定してそちらから引き抜かれた軍団を援軍に差し向けた結果、押し返しに成功した模様。 #ref(AAR1056.jpg) この戦いでOttomansはバルカン半島から追い落とされてしまい 頼みのManpowerも完全に枯渇し、巻き返しはより一層厳しくなった #ref(AAR1057.jpg) Germany戦線では各国の占領軍が展開を開始し、Germany軍はただそれをうな垂れて見ている他になかった。 #ref(AAR1058.jpg) Ottomansもウラル=アルタイ地域を占領しかえしてみせるが、もはや大局には影響は無い。 #ref(AAR1059.jpg) 万策尽きたか、ついにGermanyが「Blitzkrieg!!!」と叫びながらParisに進撃し、最後の華を飾ろうとした。 ちなみにこれまで何度もParisに向けて進撃して来たことはあったのだが こんな事もあろうかとご覧の通りParisを大量生産して 探し回ってる隙に殲滅してしまっていた。 (↑の画像のは本物のParisにやっと辿り着いた図) #ref(AAR1060.jpg) そして空気の読めないFranceは軍を差し向けこれを殲滅に掛かる。 #ref(AAR1061.jpg) 溶けた...。 1704年10月29日。 これを最後にOttomans陣営の抵抗は止み、無条件降伏を申し込んだ。 戦いは9年と5カ月、27日に及んだ。 *戦後処理 [#d6233d12] |>|#ref(AAR1063.jpg) | |CENTER:対象国|CENTER:講和内容|h |Germany|旧Denmark領を除くスカンディナビア半島プロビの対Russia割譲を行う。| ||Ingermanlandの対Russia割譲を行う。| ||旧Commonwelthバルト海沿岸プロビ(Danzig/Marienburg/Warmia/Ostpreussen/Memel/Kurland/Osel/Reval/Narva)の対Commonwelth割譲| |Mughals|Mahe/Maldives以外のインド洋、東南アジア、オセアニアに領有するすべてのプロビを対Great Britain割譲を行う。| ||Mahe/Maldivesの対Portugal割譲を行う| |Ottomans|旧Morocco領とZanzibarトレードノードに領有するプロビの対Portugal割譲を行う。| ||旧Argeria/Tunis領と西アフリカ内地の対France割譲を行う。| ||Taipeiの対Great Britain割譲を行う。| ||Kiev/Crimeaトレードノードに領有するプロビとConstantinopleを除くバルカン領の対Commonwelth割譲を行う。| ||Astrakhanトレードノードに領有するプロビと旧Nogail/Uzbek領の対Russia割譲を行う。| やはり、戦争は勝たなければだめだって偉い人が言ってた。 上の条文は最終日のしかも深夜という事もあり、成果発表として載せるに留まり 遂に履行される事はなかったので、エピローグにでものっけて脳内変換でもしておく。 終了後にGreat BritainがCommonwelthがFrance陣営に参戦してなかったら そもそも敵方になっていたと明かしていたが、もし仮にそうなっていたら海上戦が激熱だったのか あるいは、PortugalがあちらについててFrance陣営終了のお知らせだったのだろうか。 なかなかぞっとする話である。 最終戦争中のFranceとGermanyの陸軍の質について触れたがネタばらしすると Franceは信仰の守護者によるMoral+10%と政体をAbsolute MonachyのDespline+10%を使い 対して、Germanyはこれを忘れていたようで、ほぼ同一ランクか一歩劣るレベルにまで肉薄していたのだ。 今回の戦争で大活躍したFranceのオール6将軍2人のSSをサルベージして載せようとしたが見つからず 終了時点までに既に戦死しており、歴史の闇に葬られた形になってしまった...。 国境付近で主力がぶつかり合ってる間に彼らに預けた30kの2個軍団を遊撃に使い 敵の後続部隊を食べてたりしたのだが、一切合財痕跡が残ってなくてマジここ共産圏かと思った。 (初戦のGermanyとOttomansを分断したのがその神将軍だった。) 後日、Germanyが「FranceはTuscany戦でManpower失ったけど神将軍手に入れて結果として得した」と 言っていたが、キルレシオを見る限りまさにその通りである。 Iroquois戦後の「友達増えたね」な展開と言い、最終戦争前のTuscany戦と言い なんだか今回のFranceは負けて得する事が多かった。 #ref(AAR1064.jpg) これぞまさに「負けて、勝つ!」 *最終日終わりに際して [#ic1ac766] ---- |CENTER:~Country|CENTER:~Income|CENTER:~Tresury|CENTER:~Force Limit|CENTER:~Army Total|CENTER:~Manpower|CENTER:~Navies Limit|CENTER:~Navies Total|h |CENTER:Commonwelth|CENTER:121.77|CENTER:3888.65|CENTER:98|CENTER:74615|CENTER:4588|CENTER:27|CENTER:3| |CENTER:France|CENTER:251.34|CENTER:10767.09|CENTER:206|CENTER:88028|CENTER:11768|CENTER:214|CENTER:190| |CENTER:Germany|CENTER:59.41|CENTER:18083.01|CENTER:138|CENTER:0|CENTER:16561|CENTER:87|CENTER:0| |CENTER:Great Britain|CENTER:214.46|CENTER:2174.89|CENTER:65|CENTER:33516|CENTER:53889|CENTER:238|CENTER:267| |CENTER:Mughals|CENTER:84.12|CENTER:638.50|CENTER:109|CENTER:44403|CENTER:1449|CENTER:80|CENTER:36| |CENTER:Ottomans|CENTER:230.48|CENTER:17383.99|CENTER:296|CENTER:71712|CENTER:81407|CENTER:222|CENTER:5| |CENTER:Portugal|CENTER:189.40|CENTER:12715.10|CENTER:126|CENTER:113000|CENTER:52184|CENTER:321|CENTER:320| |CENTER:Russia|CENTER:145.80|CENTER:12419.24|CENTER:175|CENTER:182156|CENTER:49837|CENTER:38|CENTER:7| ---- ゲームセットの時点で、ついにFranceが収入トップになってしまった。 原因はPortugalとGreat BritainのLight ShipがWestern Europaから移動していたからのようだ。 Germanyの陸軍全滅が大戦を通して4か国に袋叩きにあった事を証明していると言えよう。 Ottomans=Mughalsも必死で助けようと試みていたが、やはりCommonwelthがFrance陣営に就いた事で 容易には到達できなくなってしまった事が大きい。 そのOttomansもかなり削ったはずが、月間Manpower産出量がGhazi込みで7104(次いでFranceの3575)もあったので、ざっと1年間で85248ものManpowerが生み出されていた事が発覚。 Ottomansが本調子じゃなかったのは質で劣っていたからであるから マルチのOttomans対策は、質で勝り会戦級で勝利を重ねて戦勝点を稼ぐことが一番なのかもしれない。 #ref(AAR1065.jpg) Ottomansの船舶がなんでこんなに減ってるかについては 最後勝敗が決した後、ネタでOttomans海軍vsPortgal=France海軍でサラミス沖で海戦を行い 見事ボロ勝ちしたからである。 (画像はOttomansから貰ったものなので若干内容が異なる。) やっぱりGalleyスパムは3倍数無いと勝てないようだ...。 *総括 [#d2581aaf] 今回のFranceは初期拡張の段階で拡張方針を明確にして (納得してもらえたかは別として)周辺各国と利害調整を済ませていたのが功を奏したかもしれない。 というのも、初期拡張がOttomans波に早い割にプレイヤーと利害対立起きやすいポジションなので 正気の所、開幕に包囲網を組まれて殺されてもおかしくなかった。 France生存はBrugndyに東進の必要性を迫ったが、Brandenburgとの対立を引き起こした事でFranceの発言力は高まり EnglandとPortugal方面には領土欲を全て捨てつつも、世界最強海軍で牽制し続けて陸海共に不動の地位に君臨し続けた。 EnglandとBrugandy、Portugalがそこまで好戦的じゃなかったというのも大きかったが プロビ取ってから「おい、そこ俺の庭なんだが」とならないようにするのはマルチではとても大切なのだ。 しかし、Iroquois戦だけは今思い起こしてもやはり失敗であった。 あの時は一人で倒しきれると過信してテストプレイすらしていなかったが どうやら内地に急いで向かい過ぎて補給線がつながっていなかったのが敗因だった。 EnglandとPortugalも、あの時点でFrance側だったので呼べば来ていたかもしれない。 っていうか、RussiaとCommonwelth以外すべてFrance側だったので全員呼べばよかった...。 結果はご覧の通りであったけど、その後の国際情勢はFranceゲーからちゃんぽん化に向かったので マルチの流れ的には良かったに違いない。 このAARを読んでくださった方には存分に伝わったであろうことだが やはりEU4はFrance/Ottomansの国力が凄まじいので、私のようなNoobやこれからマルチをやろうという方には そうした国家を駆った方がバランス的によろしいのかもしれない。 嗚呼、革命帝国作りたかったなぁ...。 *エピローグ [#j3b7813a] 鋭意執筆中...。 [[AAR/グランド・アルメは世界最強ォォ]]
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[[AAR/グランド・アルメは世界最強ォォ]] *状況確認 [#g0c6860a] Coalitionを組む段階になって、ついに各陣営の参加国が判明した。 |>|CENTER:参戦国|h |CENTER:~France陣営|CENTER:~Ottomans陣営| |COLOR(RED):France|COLOR(RED):Ottomans| |Russia|Germany| |Commonwelth|Mughals| |Great Britain|| |Portugal|| Germanyをこちらの陣営に招こうと声を掛けたものの ついに応じる事はなかった。 RussiaとCommonwelthがFrance陣営に加わっている事を目の当たりにして 挟撃されることが確定したGermanyはかなり怯んだ様子であった。 Franceが万全の態勢ではないのにこちらから仕掛けても良いのかと指摘を受けたが これ以上相手に時間を与えれば手遅れになると感じていた。 互いに健闘を祈りつつ陣営ごとのVCにそれぞれ分かれ、最後の作戦会議を行う。 Franceが独力ではGermanyを倒すことができなくなってしまい、またMughalsの足止めを目的とした アジアAI国家の参戦が不発に終わってしまった為、計画の再編を行った。 #ref(AAR1020.jpg) Mughalsの介入がしばしの間遅れるとあって、まずはGermanyに全軍で進撃しこれを殲滅後Commonwelth領にて軍の再編 続けて北上してくるOttomans軍を撃退し、再度Commonwelth領で再編を行うミッドランド構想である。 常にこちらが先手を打ち、GermanyとOttomans=Mughalsの軍の合流を邪魔をし続け主導権を握る寸法だ。 もちろん、少しでも波長がずれれば確固撃破に陥るし FranceやPortugalはCommonwelth領で戦う必要があるため兵站が伸びきり 不撤退に陥らない為にも会戦レベルの戦いでは勝ち続ける事が重要なのだ。 *Great War [#n918c59f] #ref(AAR1021.jpg) 傭兵交じりのFrance軍ではあるが、態勢は整った。 まずはFrance=Portugalの全軍をCommonwelth両側に走らせ、Commonwelth=Russiaと合流を果たさねばならない。 #ref(AAR1022.jpg) 敵の位置を見たいので敢えて通常歩行で東へ向かっていると、Germanyの主力を発見 どうやらドイツ中央部が本営になっているようだ。 #ref(AAR1023.jpg) 軍を一まとめにし、こちらから仕掛ける事を決断する。 周囲の友軍にも援軍を求め、突撃を敢行...と後ろからどこからともなくOttomans軍が出現。 Commonwelthからは領土通過の知らせはなかったし、元々伏せてあったのか? #ref(AAR1024.jpg) まずはFrance主力をGermanyにぶつけ、後続の部隊も方々より合流を急がせる。 France本土より遅れて出立した部隊が運よくOttomansの増援をキャッチ Germany側の戦線とOttomans側の戦線で分断に成功した。 #ref(AAR1025.jpg) Germany側の戦線にはGermany,France,Commonwelth,Portgalが駆けつけみるみる内に規模が膨れ上がり 死傷者<援軍のペースで軍量表示がなかなか減らない。 対してOttomans戦線の方はFrance側が続々と本土より援軍を差し向け さらにPortugalがこれに増援を差し向けたことで、Ottomans軍はついに崩壊した。 #ref(AAR1062.jpg) Ottomans戦線がFrance陣営側の勝利に終わった為、Germanyが単独で戦線を維持していたが France陣営側が続々と援軍が流れ込むのに対し、奮戦空しく敗退した。 (画像は途中から駆けつけたのPortugalから貰ったものなので若干内容が異なる。) 追撃を進言するもCommonwelthとRussiaは南部のOttomansに気を取られ Franceは元々Manpowerが枯渇していた為に補充が間に合わず、断念せざるを得なかった。 #ref(AAR1027.jpg) その間、Germany領の占領に従事していたPortugalがゲリラ攻勢により溶かされたり 南部でRussiaの軍団レベルが壊滅したりで尚も予断を許さない状況が続いた。 *来た!見た!勝った! [#g7ddd664] Franceの軍団の割合が歩兵3:砲兵:1まで回復した頃 Russiaが悲鳴に似た声を上げた。 #ref(AAR1028.jpg) Russia「Ottomansの210k軍団が北上してくる」 どうやら、バルカン半島側に配備されていたRussia・Commonwelthの防衛部隊をOttomans=Mughals軍が突破し Germanyとの連絡を図ろうとしているようだ。 #ref(AAR1029.jpg) さすがにこれはまずいという事で散らばりつつあった軍がGermanyに確固撃破を受けないように 全軍をCommonwelth領へ戻すよう指示を出した。 #ref(AAR1030.jpg) Krakowに集結をさせていたFrance軍に対しOttomans軍は怯まず攻勢を掛け、あっと言う間に大会戦に発展していった。 #ref(AAR1031.jpg) 元々こちらはCommonwelthを基軸にプランを立てていたこともあって友軍の増援もスムーズに行うことが叶い 200k,300k,400kとみるみる内に軍が膨れ上がっていく。 #ref(AAR1032.jpg) Ottomansの潰走が時間の問題になった時、遅れてGermanyも援軍に駆けつけてきた。 #ref(AAR1033.jpg) 確固撃破に持ち込みたいので、短期決戦が望まれるも 壊滅寸前のOttomans戦線にGermanyが滑り込んできた...が、もはや勝敗は決しており直ぐに撤退を開始した。 (画像はOttomansから貰ったものなので若干内容が異なる。) 会戦レベルでは連勝し幸先好調である。 *オールスターバトル [#lcda0be2] 勝利はしたもの、Commonwelth=Russia両軍はOttomansの攻勢に備えたいという事で GermanyをFrance=Portugalで抑え込む方針に変更。 #ref(AAR1034.jpg) 尚も頑強に抵抗を続けるGermanyと睨み合いになり、Germany=Commonwelth間では中・小規模の争いが続いた。 #ref(AAR1035.jpg) 北方のバルト海沿岸のプロビには、資金に余力のあるFrance=Portugal=Russiaが 続々と傭兵を送り込み占領を開始しており、徐々にGermanyの国力を削ぎつつあった。 #ref(AAR1036.jpg) 一方、バルカン半島ではCommonwelth=RussiaがOttomans相手に徐々にではあるが押され始め Ottomans主力が再び北上を開始した。 #ref(AAR1037.jpg) Germany=Ottomans=Mughalsの合流が時間の問題となった頃 France=PortugalはGermanyの主力の駆逐に成功し、ユトランド半島に追いやることに成功していた。 それを追撃しつつも道中で逃げ遅れた軍団を平らげ、着実にGermany軍を追い詰め連携を阻止する。 旧Hansa領に残るGermany軍の壊滅を狙うも、質と量が拮抗していて 少し削っただけでTirolのアルプス山岳プロビへ逃げ込まれてしまい、手が出せない状況に。 #ref(AAR1038.jpg) 出口だけ塞いで身動きを取らせないようにRussia=Portugalにしばし封鎖を任せ Franceは兵員回復の為に、一度本国に戻し補充を急がせた。 すると、またもどこからともなくOttomans軍が出現 今までもそうだがTuscanyから『Militaly Accese』を貰い、輸送船を使って上陸を果たしていたようだ。 #ref(AAR1040.jpg) Russia軍が体を張って進路を阻むも、Germany=Swedenの加勢もあってもはや全滅寸前かと思われたが 続々と西から援軍を派遣し、Russiaを助けにかかる。 #ref(AAR1039.jpg) この会戦でFrance陣営が勝利を収めたことでOttomansは再びバルカン方面に軍が潰走し Germanyは再び孤立をしてしまった。 しかし、会戦級すべてのキルレシオが半端ないが これが将軍パワーなのだろうか。 #ref(AAR1041.jpg) Germanyの息もかなり荒くなってきた、持って後一回分の会戦を行えるかどうかの戦力だ。 *エンクロージャー(物理 [#a5046622] Ottomans軍の救援も空しく、Germany軍はFrance=PortugalとCommonwelth=Russiaにサンドイッチにされたまま 孤軍奮闘をする他になくなってしまった。 #ref(AAR1042.jpg) 途中、占領に従事していたPortugal軍に対して奇襲を行い 戦力を削ごうとする動きを見せたものの、この頃には西・東で動きが固まっており、直ぐに援軍が駆けつけれる体制に整っていた為 直ぐに撃退をされてしまった。 #ref(AAR1043.jpg) 撤退をしたGermanyに止めを指すべきと提案し、France軍単独で追跡をするとMughalsの軍がスタンバイしていた。 #ref(AAR1044.jpg) 瀕死のGermany軍を庇わんとばかり軍を重ねて牽制してみせるが GermanyとMughalsが一か所に重ねすぎて消耗していたのを目撃したので 後続の友軍をその場でゆっくり待つことに。 #ref(AAR1045.jpg) Russia=Commonwelth=Portugalの軍が到着したのを見計らって合図をし、攻撃を開始する。 この時何故かCommonwelthの国王が司令官になってしまい(政治的圧力?)、思いのほか接戦にもつれ込んだ。 #ref(AAR1046.jpg) しかし、南より追加でPortugal軍が合流したことが最後の一撃になり Germany軍は撤退を開始、Mughals軍が線上に取り残され逃げ遅れてしまった。 #ref(AAR1047.jpg) 目の前に転がるおいしそうなPrestigeとArmy Traditionを前に 参戦していた軍団が血みどろの大運動会に興じ、全滅していくMughals軍。 それを目の前に何もできずに居るOttomans軍団が涙を誘う。 #ref(AAR1048.jpg) 彼らを助ける事は叶わずOttomans軍は不本意ながら撤退を開始するが そんな事を許す訳が無く、Russiaが行く手を遮る。 #ref(AAR1049.jpg) すぐさま周辺各軍が援軍に駆けつける。 #ref(AAR1050.jpg) そして見慣れた光景に。 #ref(AAR1051.jpg) 北では取り残された一部のGermany軍が包囲され、お亡くなりに。 #ref(AAR1052.jpg) これの仕返しかどうか分からないが、西から順次出発しつつあった占領部隊に向け 突如Germany軍が突進を掛けてきた。 質でなら勝てると踏んで勝負に出たようだが、残念ながらその読みは完全に外れており(理由は後述) 結局押しきれないと悟ってかしばらくした後撤退をしていった。 #ref(AAR1053.jpg) Ottomansの主力が流れ着いたバルカン半島でもCommonwelth=Russiaが攻勢に出ており 流れは完全にFrance陣営側に傾きつつある。 #ref(AAR1054.jpg) 一方でGreat Britainも各所で海上封鎖と強襲上陸を繰り返し 相手の収入を締め付けつつあった。 ヨーロッパ方面でOttomansの主力が敗れ イスラム圏に控えてあったらしき遊撃部隊が増援の為に北上していくのを目撃したらしく すぐさまカイロへ強襲上陸してゆさぶりを仕掛ける。 France「勝ったな...。」 *最後の抵抗 [#ie1e84bb] #ref(AAR1055.jpg) バルカン半島では南へ反転攻勢を始めたCommonwelth=Russiaに対してOttomans=Mugalsが必死の抵抗を見せていた。 前回のRussia戦で活躍したMughalsも同伴していることもあって、ややも危うしと思われたものの Germany戦線が安定してそちらから引き抜かれた軍団を援軍に差し向けた結果、押し返しに成功した模様。 #ref(AAR1056.jpg) この戦いでOttomansはバルカン半島から追い落とされてしまい 頼みのManpowerも完全に枯渇し、巻き返しはより一層厳しくなった #ref(AAR1057.jpg) Germany戦線では各国の占領軍が展開を開始し、Germany軍はただそれをうな垂れて見ている他になかった。 #ref(AAR1058.jpg) Ottomansもウラル=アルタイ地域を占領しかえしてみせるが、もはや大局には影響は無い。 #ref(AAR1059.jpg) 万策尽きたか、ついにGermanyが「Blitzkrieg!!!」と叫びながらParisに進撃し、最後の華を飾ろうとした。 ちなみにこれまで何度もParisに向けて進撃して来たことはあったのだが こんな事もあろうかとご覧の通りParisを大量生産して 探し回ってる隙に殲滅してしまっていた。 (↑の画像のは本物のParisにやっと辿り着いた図) #ref(AAR1060.jpg) そして空気の読めないFranceは軍を差し向けこれを殲滅に掛かる。 #ref(AAR1061.jpg) 溶けた...。 1704年10月29日。 これを最後にOttomans陣営の抵抗は止み、無条件降伏を申し込んだ。 戦いは9年と5カ月、27日に及んだ。 *戦後処理 [#d6233d12] |>|#ref(AAR1063.jpg) | |CENTER:対象国|CENTER:講和内容|h |Germany|旧Denmark領を除くスカンディナビア半島プロビの対Russia割譲を行う。| ||Ingermanlandの対Russia割譲を行う。| ||旧Commonwelthバルト海沿岸プロビ(Danzig/Marienburg/Warmia/Ostpreussen/Memel/Kurland/Osel/Reval/Narva)の対Commonwelth割譲| |Mughals|Mahe/Maldives以外のインド洋、東南アジア、オセアニアに領有するすべてのプロビを対Great Britain割譲を行う。| ||Mahe/Maldivesの対Portugal割譲を行う| |Ottomans|旧Morocco領とZanzibarトレードノードに領有するプロビの対Portugal割譲を行う。| ||旧Argeria/Tunis領と西アフリカ内地の対France割譲を行う。| ||Taipeiの対Great Britain割譲を行う。| ||Kiev/Crimeaトレードノードに領有するプロビとConstantinopleを除くバルカン領の対Commonwelth割譲を行う。| ||Astrakhanトレードノードに領有するプロビと旧Nogail/Uzbek領の対Russia割譲を行う。| やはり、戦争は勝たなければだめだって偉い人が言ってた。 上の条文は最終日のしかも深夜という事もあり、成果発表として載せるに留まり 遂に履行される事はなかったので、エピローグにでものっけて脳内変換でもしておく。 終了後にGreat BritainがCommonwelthがFrance陣営に参戦してなかったら そもそも敵方になっていたと明かしていたが、もし仮にそうなっていたら海上戦が激熱だったのか あるいは、PortugalがあちらについててFrance陣営終了のお知らせだったのだろうか。 なかなかぞっとする話である。 最終戦争中のFranceとGermanyの陸軍の質について触れたがネタばらしすると Franceは信仰の守護者によるMoral+10%と政体をAbsolute MonachyのDespline+10%を使い 対して、Germanyはこれを忘れていたようで、ほぼ同一ランクか一歩劣るレベルにまで肉薄していたのだ。 今回の戦争で大活躍したFranceのオール6将軍2人のSSをサルベージして載せようとしたが見つからず 終了時点までに既に戦死しており、歴史の闇に葬られた形になってしまった...。 国境付近で主力がぶつかり合ってる間に彼らに預けた30kの2個軍団を遊撃に使い 敵の後続部隊を食べてたりしたのだが、一切合財痕跡が残ってなくてマジここ共産圏かと思った。 (初戦のGermanyとOttomansを分断したのがその神将軍だった。) 後日、Germanyが「FranceはTuscany戦でManpower失ったけど神将軍手に入れて結果として得した」と 言っていたが、キルレシオを見る限りまさにその通りである。 Iroquois戦後の「友達増えたね」な展開と言い、最終戦争前のTuscany戦と言い なんだか今回のFranceは負けて得する事が多かった。 #ref(AAR1064.jpg) これぞまさに「負けて、勝つ!」 *最終日終わりに際して [#ic1ac766] ---- |CENTER:~Country|CENTER:~Income|CENTER:~Tresury|CENTER:~Force Limit|CENTER:~Army Total|CENTER:~Manpower|CENTER:~Navies Limit|CENTER:~Navies Total|h |CENTER:Commonwelth|CENTER:121.77|CENTER:3888.65|CENTER:98|CENTER:74615|CENTER:4588|CENTER:27|CENTER:3| |CENTER:France|CENTER:251.34|CENTER:10767.09|CENTER:206|CENTER:88028|CENTER:11768|CENTER:214|CENTER:190| |CENTER:Germany|CENTER:59.41|CENTER:18083.01|CENTER:138|CENTER:0|CENTER:16561|CENTER:87|CENTER:0| |CENTER:Great Britain|CENTER:214.46|CENTER:2174.89|CENTER:65|CENTER:33516|CENTER:53889|CENTER:238|CENTER:267| |CENTER:Mughals|CENTER:84.12|CENTER:638.50|CENTER:109|CENTER:44403|CENTER:1449|CENTER:80|CENTER:36| |CENTER:Ottomans|CENTER:230.48|CENTER:17383.99|CENTER:296|CENTER:71712|CENTER:81407|CENTER:222|CENTER:5| |CENTER:Portugal|CENTER:189.40|CENTER:12715.10|CENTER:126|CENTER:113000|CENTER:52184|CENTER:321|CENTER:320| |CENTER:Russia|CENTER:145.80|CENTER:12419.24|CENTER:175|CENTER:182156|CENTER:49837|CENTER:38|CENTER:7| ---- ゲームセットの時点で、ついにFranceが収入トップになってしまった。 原因はPortugalとGreat BritainのLight ShipがWestern Europaから移動していたからのようだ。 Germanyの陸軍全滅が大戦を通して4か国に袋叩きにあった事を証明していると言えよう。 Ottomans=Mughalsも必死で助けようと試みていたが、やはりCommonwelthがFrance陣営に就いた事で 容易には到達できなくなってしまった事が大きい。 そのOttomansもかなり削ったはずが、月間Manpower産出量がGhazi込みで7104(次いでFranceの3575)もあったので、ざっと1年間で85248ものManpowerが生み出されていた事が発覚。 Ottomansが本調子じゃなかったのは質で劣っていたからであるから マルチのOttomans対策は、質で勝り会戦級で勝利を重ねて戦勝点を稼ぐことが一番なのかもしれない。 #ref(AAR1065.jpg) Ottomansの船舶がなんでこんなに減ってるかについては 最後勝敗が決した後、ネタでOttomans海軍vsPortgal=France海軍でサラミス沖で海戦を行い 見事ボロ勝ちしたからである。 (画像はOttomansから貰ったものなので若干内容が異なる。) やっぱりGalleyスパムは3倍数無いと勝てないようだ...。 *総括 [#d2581aaf] 今回のFranceは初期拡張の段階で拡張方針を明確にして (納得してもらえたかは別として)周辺各国と利害調整を済ませていたのが功を奏したかもしれない。 というのも、初期拡張がOttomans波に早い割にプレイヤーと利害対立起きやすいポジションなので 正気の所、開幕に包囲網を組まれて殺されてもおかしくなかった。 France生存はBrugndyに東進の必要性を迫ったが、Brandenburgとの対立を引き起こした事でFranceの発言力は高まり EnglandとPortugal方面には領土欲を全て捨てつつも、世界最強海軍で牽制し続けて陸海共に不動の地位に君臨し続けた。 EnglandとBrugandy、Portugalがそこまで好戦的じゃなかったというのも大きかったが プロビ取ってから「おい、そこ俺の庭なんだが」とならないようにするのはマルチではとても大切なのだ。 しかし、Iroquois戦だけは今思い起こしてもやはり失敗であった。 あの時は一人で倒しきれると過信してテストプレイすらしていなかったが どうやら内地に急いで向かい過ぎて補給線がつながっていなかったのが敗因だった。 EnglandとPortugalも、あの時点でFrance側だったので呼べば来ていたかもしれない。 っていうか、RussiaとCommonwelth以外すべてFrance側だったので全員呼べばよかった...。 結果はご覧の通りであったけど、その後の国際情勢はFranceゲーからちゃんぽん化に向かったので マルチの流れ的には良かったに違いない。 このAARを読んでくださった方には存分に伝わったであろうことだが やはりEU4はFrance/Ottomansの国力が凄まじいので、私のようなNoobやこれからマルチをやろうという方には そうした国家を駆った方がバランス的によろしいのかもしれない。 嗚呼、革命帝国作りたかったなぁ...。 *エピローグ [#j3b7813a] 鋭意執筆中...。 [[AAR/グランド・アルメは世界最強ォォ]]
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