AAR/オラニエの交易自習室/オラニエ1
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[[AAR/オラニエの交易自習室]] *第一話 早すぎたオランダ独立戦争 (1444-1500年)[#udcaec1d] &ref(732.jpg); **もくじ [#m49556f4] #contents **はじめに [#o7cc699d] &ref(y.jpg); はーい。朕のゆっくり交易教室始まるよー。朕みたいな天才目指して頑張ってってねー。 &ref(w.jpg); 知らないネタは使うものではありませんぞ閣下。存じ上げない方のために、私はネーデルラント連邦共和国の初代総督でありますオラニエ公ウィレムと申すものです。 &ref(y.jpg); 今回のプレイはオランダプレイでしか解除できない2つの実績と、ついでに植民地帝国らしい実績をできるだけ取ろうって感じのプレイだよー。朕は交易については未だによくわかってないからもっぱら読者の皆様からの意見を聞きたいがためのAARだよー。 |&ref(722.jpg,,80%);| |CENTER:図の水色線を境に北部7州、南部10州と分けます| &ref(y.jpg); あとそれからこれは少し大事な話。実際のネーデルラント17州の名前とこのゲームでのプロヴィンスの名前が若干違うけど17州という数は同じだよ。そこで数に重きを置いた朕は史実では南部10州に含まれるけどアントウェルペンを北部に含めて無理やり便宜上7、10に分けてるよー。北部6州、南部11州とかいう言葉を使いたくないがためです。許してちょー &ref(w.jpg); もうメタいとかメタくないとか関係なさそうですね・・・ &ref(y.jpg); そんなこと気にしてたら生きていけないよー。あと文語というか説明文的な書き方は受けが良かったのか悪かったのかよくわからないからもう少し砕けた書き方をしていこうかなーとか思ってたりーしてー。それじゃあ早速やっていこうか。ゆっくりしていってね! **ユトレヒトの台頭 [#o2cc2864] ***ユトレヒト=ゲルデルン戦争(1445-1446) [#c7ae5ef2] 1444年11月11日、かの生き物は突如として現れた。ここはベネルクス地域の小さな都市の一つユトレヒト。かの生物は皇帝を自称しユトレヒトの教会に登りこう叫んだと言われている。 &ref(y.jpg); 「朕の植民地帝国実現の夢の第一歩として東隣のゲルデルン公国に宣戦するよー」 ユトレヒトの市民は困惑した。だがいつの世にも無謀な愚か者はいるものだ。初めはごく少数の者たちが賛同するのみであったが、フリースラントとの同盟締結も後を押して次第にこれはユトレヒト中に波及し、1445年には5000人の志願兵を募るに至った。そしてついにユトレヒトの市民はゲルデルン公国領の旧領奪還をその名分としフリースラントと共にゲルデルン公国に攻め入ったのであった。 |&ref(737.jpg,,70%);| |>|CENTER:交戦勢力| |ユトレヒト|ゲルデルン公国| |フリースラント|| |>|CENTER:戦力比較| |8,000|3,000| |10|5| |>|CENTER:戦争の結果| |>|・ユトレヒトがゲルデルン公国を併合| ***第一次ブルゴーニュ侵攻(1451-1454) [#b6629c0c] ユトレヒトの民衆は白熱していた。ゲルデルン公国に対する勝利は全ユトレヒト市民を歓喜させ、やがて低地地方の統一を謳う者も増えてきた。しかしこのシャヤカ=ハーンと名乗る生き物は狡猾であった。 &ref(y.jpg); 「まだ朕のユトレヒト一国でブルゴーニュと戦うことはできないよー。同じくブルゴーニュを敵対視する南の大陸軍国フランス様と同盟するよー。」 ユトレヒト市民はまだこの不思議な生き物を完全に信頼しきってはいなかったが、ベネルクス統一へと向けてフランス王国との同盟をこぎつけたのであった。そして時は流れ1451年。フランスがイングランドとの百年戦争を終結させたとの知らせを受けたユトレヒト市民は直ちにフランスと共にブルゴーニュ公国へと宣戦を布告した。長くブルゴーニュ公との関係を保ってきたフリースラントはこのユトレヒトの動向を見るとユトレヒトとの同盟を破棄しブルゴーニュを擁立した。しかしこれもシャヤカ=ハーンにとっては計算の内であったのだろう。1452年にフリースラントを占領するとこの地域一帯をユトレヒトへと組み込んだのであった。一方そのころフランス軍は次第に北上を始め、ブルゴーニュ軍を敗走させ続けていた。シャヤカ=ハーンはこの勝利をあたかもユトレヒト軍のものと言わんばかりに言い広め、ユトレヒト軍の士気を高めて無人となったブルゴーニュ領を着々と占領していった。そして1454年、ユトレヒトはブルゴーニュからホラントとブレダの2州を割譲させ和平したのであった。この戦争は低地地方で最も強大な勢力であったブルゴーニュ公国を破ったことからユトレヒト市民の低地地方統一の信念を確かなものとしたが、同時にこの拡大を恐れた周辺国が警戒を始めるようになったきっかけでもあった。 |&ref(744.jpg);| |>|CENTER:交戦勢力| |ユトレヒト|ブルゴーニュ公国| |フランス王国|フリースラント| ||ハンガリー王国| ||アーヘン| ||クリーヴズ| |>|CENTER:戦力比較| |49,000|82,400| |9|3| |>|CENTER:戦争の結果| |>|・ユトレヒトがフリースラントを併合| |>|・ブルゴーニュ公国がユトレヒトにHolandとBredaを割譲| |>|・ハンザ同盟、リガ、ミュンスターによる対ユトレヒト同盟の形成| ***第一次ユトレヒト懲罰戦争(1456-1459) [#i3298313] ユトレヒト市民は彼らの勝利に酔っていた。当然ではあった。何故なら当時低地地方で最大の勢力を誇っていたブルゴーニュ公国を打倒したのであるのだから。しかしこの勝利はフランス軍の活躍ありきであったことを知る者はほとんどいなかった。1456年、このユトレヒト市民の甘い幻想を打壊す出来事が起こった。ハンザ同盟とリガがユトレヒト懲罰を掲げ侵攻を始めたのである。当初ユトレヒト軍はリガ軍、ミュンスター軍を殲滅しその領土を占領する勢いを見せたが、ハンザ同盟軍が越境を始めるとその優勢も次第に崩れていった。ブルゴーニュ公国がフランス軍の通行権を許可しなかったためにユトレヒト軍は単身でハンザ同盟軍と対峙しなければならなかったからである。さらにこの戦争の主導権がフランスにあったのも災いした。フランスはリガ、ミュンスターと個別に和平しそれぞれの領土をユトレヒトに割譲させたのであった。このことはさらに周辺国の警戒心を強めついにはオーストリア、ベーメン、ファルツまでもが対ユトレヒト大同盟に加わった。この戦争はフランスが敗北を認めることで終結した。 |>|CENTER:交戦勢力| |フランス王国|ハンザ同盟| |ユトレヒト|リガ| ||ミュンスター| |>|CENTER:戦力比較| |59,000|19,500| |9|3| |>|CENTER:戦争の結果| |>|・ユトレヒトがリガを獲得| |>|・オーストリア、ベーメン、ファルツが対ユトレヒト大同盟に加入| ***第二次ユトレヒト懲罰戦争(1463-1465) [#hf5fe564] しかしユトレヒトの苦難はまだほんの始まりに過ぎなかった。1463年、時の神聖ローマ皇帝であるオーストリア大公国が対同盟を率いてユトレヒトに宣戦を布告したのである。ユトレヒト市民は大きく動揺した。神より戴冠されし神聖ローマ皇帝の怒りを買ってしまったからだ。しかしシャヤカ=ハーンは言い放った。 &ref(y.jpg); 「フランスに任せよう」 ユトレヒト軍は一切の戦闘を行うことなくこの戦争は1465年にオーストリアが負けを認めることで終結した。この戦争でのオーストリアの敗北を見てユトレヒト市民は神聖ローマ皇帝に代わる新たな権力者を自国に求めるようになった。 |>|CENTER:交戦勢力| |フランス王国|オーストリア大公国| |ユトレヒト|ベーメン| ||ミュンスター| ||ファルツ| |>|CENTER:戦力比較| |59,300|49,800| |14|9| |>|CENTER:戦争の結果| |>|・オーストリア大公国の敗北| ***第二次ブルゴーニュ侵攻(1466-1469) [#v6d31466] 立て続く懲罰戦争を受ける中、ユトレヒト市民には不安を隠しきれないものも現れていた。しかしシャヤカ=ハーンはこの社会的孤立は全てフランスの講話内容のせいだと吹聴し、巧みに市民の心を操った。そして1466年、イングランドがブルゴーニュに宣戦を布告したとの知らせを受けたシャヤカ=ハーンは再びフランスと共にブルゴーニュ公領へと侵攻を始めたのである。この戦争でもシャヤカ=ハーンはフランス軍に頼り切り更なる領土拡大を実現した。しかし対ユトレヒト大同盟に対抗するためにはフランスとの本土直結が必要と考えたシャヤカ=ハーンはブルゴーニュに対しフランスへのRethelの割譲も要求している。しかしこのあざとい考えを見抜けたユトレヒト市民はなきに等しく、大衆はこれをシャヤカ=ハーンの寛大なる心持故だと考えた。 |>|CENTER:交戦勢力| |ユトレヒト|ブルゴーニュ公国| |フランス王国|ハンガリー王国| ||アーヘン| ||クレーヴス| |>|CENTER:戦力比較| |55,300|40,000| |11|0| |>|CENTER:戦争の結果| |>|・ユトレヒトがAntwelpenを獲得| |>|・フランス王国がRethelを獲得| ***第三次ブルゴーニュ侵攻(1482-1486) [#a7191327] ここまでこればユトレヒト市民は盲目であった。このシャヤカ=ハーンなる生き物を神と讃える者もいたが、カソリックに対する忠誠の厚かった市民たちはシャヤカ=ハーンを「神より選ばれし我らが総督」と称賛しこれをユトレヒトの政治体制の中心とすることを定めた。そしてシャヤカ=ハーンもかなり調子に乗っていた。最早ベネルクス統一などたやすいものだと考えていた。神より選ばれし総督はこうのたまった。 &ref(y.jpg); 「この戦争で北部7州を勢力下に入れるよー」 1482年、シャヤカ=ハーンに使えし従順なるユトレヒト市民たちはフランスと共に再びブルゴーニュ公領に侵攻した。このブルゴーニュの危機を見て周辺のヨーロッパ列強は次々とブルゴーニュに宣戦した。イングランド、スペイン、スウェーデン、オーストリア。最早袋叩きである。ブルゴーニュ公国からZeelandとNamurを割譲させた直後にそれは起こった。ブルゴーニュ公が崩御したのである。このブルゴーニュ公が有していた土地はフランスとオーストリアとの間で分割され哀しき袋叩き戦争は幕を下ろしたのであった。またこの頃からシャヤカ=ハーンはネーデルラント北部7州の直轄統治を、南部10州には各5州ずつの従属国を置く統治体制を模索し始めていた。 |&ref(762.jpg,,90%);| |>|CENTER:交戦勢力| |ユトレヒト|ブルゴーニュ公国| |フランス王国|ハンガリー王国| ||アーヘン| ||ロレーヌ| |>|CENTER:戦力比較| |55,300|40,000| |11|0| |>|CENTER:戦争の結果| |>|・ユトレヒトがZeeland・Namurを獲得| |>|・ブルゴーニュ分割| **植民地政策の始まり [#i496a503] ***フェズ遠征(1491-1492) [#t28b521d] ブルゴーニュ公が有していた低地地方一帯が神聖ローマ皇帝であるオーストリアに継承されたとなっては安易に統一戦争を続けるのは愚かな行為であるが、ユトレヒト市民の拡張的野心は止まることろを知らなかった。シャヤカ=ハーンはこの市民の熱狂を一旦別のところへと向けるべくアフリカ北西部に新たに生まれたフェズ王国に目を向けた。 &ref(y.jpg); 「神より守られし我らがユトレヒト市民はヨーロッパにとどまっているほどちっぽけな存在じゃないよ。アジアへの東廻りルートの確保のために先ずはタンジール地方を抑えるよー」 最早この奇妙な生物を疑う者などユトレヒトにはいなかった。市民は開戦事由も、勧告もなしにフェズ王国へ侵攻を始めると瞬く間にその全土を占領していった。この戦争によりユトレヒトはタンジール地方を獲得しフェズ王国をその従属国とすることに成功したが、この急速な拡張政策は北アフリカへの進出を目論んでいたカスティーリャ=アラゴン王国や、ポルトガル王国、そしてイングランド王国の警戒を買い対ユトレヒト大同盟は西欧全域に及ぶこととなった。 |>|CENTER:交戦勢力| |ユトレヒト同盟|フェズ王国| |>|CENTER:戦力比較| |10,000|3,000| |20|0| |>|CENTER:戦争の結果| |>|ユトレヒトがタンジールを獲得| |>|フェズ王国がユトレヒトの従属国となる| |>|西欧列強のほぼすべてが対ユトレヒト大同盟に参加| ***第三次ユトレヒト懲罰戦争(1493-1497) [#l18d7469] シャヤカ=ハーンは狡猾であったが、やや軽率すぎた。この生き物はかつて自分が体験してきた時空を超えた経験を絶対視しすぎていたのであった。ただ一つ、いつもと違う点を見逃していたのだ。いや、気づいてはいたのだろうが軽視しすぎていたのだろう。それはカスティーリャ=アラゴン王国の成立である。シャヤカ=ハーンは1444年から1821年までの世界を幾度となく体験してたが、未だかつてこの2王国間の同君連合の成立を見たことがなかったのである。そう、この同君連合はイングランド・オーストリアと組めばフランスを抑えるのには十分な力を持っていたのだ。 1493年、ユトレヒト同盟の拡張政策を警戒したイングランド王国はこれに対し宣戦を布告。第三次ユトレヒト懲罰戦争の幕が開いた。フランスはユトレヒト同盟を保護すべくイングランド、カスティーリャ=アラゴン、ポルトガルを相手取ったが、南北からの挟撃によりやがてフランス軍は後退していき、フランスは大敗を喫することとなった。 |&ref(769.jpg);| |CENTER:戦後のフランス王国| |>|CENTER:交戦勢力| |フランス王国|イングランド王国| |ユトレヒト同盟|カスティーリャ=アラゴン王国| ||ポルトガル王国| ||ミュンスター| ||ベーメン| |>|CENTER:戦力比較| |83,000|145,700| |30|119| |>|CENTER:戦争の結果| |>|・イングランドがフランスの持つ旧領をほぼ奪回| |>|・フランス陸軍の大幅な損耗| **おわりに [#ba536c36] ***しゃやか=はーんの休日 [#k92a84ba] &ref(y.jpg); フランス軍が負けた・・・だと・・・ &ref(w.jpg); このゲームは20回ほどプレイしてきましたが欧州国家でのプレイ時では今まで一度もイベリアン・ウェディングを見たことはありませんでしたからね。まさかここまで強いとは・・・。でもこのゲームのフランスが強すぎるだけで史実ではこれくらいのパワーバランスだったのではと思いますがね。 &ref(y.jpg); 何にせよこれからどうするか手を打たないとね。フランス様抜きでオーストリア相手に南部10州を回収しきれるとは思えないからねー。それじゃあ次回までゆっくりしていってね☆ *[[第二話 共和制帝国の誕生>AAR/オラニエの交易自習室/オラニエ2]] [#c032f912]
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[[AAR/オラニエの交易自習室]] *第一話 早すぎたオランダ独立戦争 (1444-1500年)[#udcaec1d] &ref(732.jpg); **もくじ [#m49556f4] #contents **はじめに [#o7cc699d] &ref(y.jpg); はーい。朕のゆっくり交易教室始まるよー。朕みたいな天才目指して頑張ってってねー。 &ref(w.jpg); 知らないネタは使うものではありませんぞ閣下。存じ上げない方のために、私はネーデルラント連邦共和国の初代総督でありますオラニエ公ウィレムと申すものです。 &ref(y.jpg); 今回のプレイはオランダプレイでしか解除できない2つの実績と、ついでに植民地帝国らしい実績をできるだけ取ろうって感じのプレイだよー。朕は交易については未だによくわかってないからもっぱら読者の皆様からの意見を聞きたいがためのAARだよー。 |&ref(722.jpg,,80%);| |CENTER:図の水色線を境に北部7州、南部10州と分けます| &ref(y.jpg); あとそれからこれは少し大事な話。実際のネーデルラント17州の名前とこのゲームでのプロヴィンスの名前が若干違うけど17州という数は同じだよ。そこで数に重きを置いた朕は史実では南部10州に含まれるけどアントウェルペンを北部に含めて無理やり便宜上7、10に分けてるよー。北部6州、南部11州とかいう言葉を使いたくないがためです。許してちょー &ref(w.jpg); もうメタいとかメタくないとか関係なさそうですね・・・ &ref(y.jpg); そんなこと気にしてたら生きていけないよー。あと文語というか説明文的な書き方は受けが良かったのか悪かったのかよくわからないからもう少し砕けた書き方をしていこうかなーとか思ってたりーしてー。それじゃあ早速やっていこうか。ゆっくりしていってね! **ユトレヒトの台頭 [#o2cc2864] ***ユトレヒト=ゲルデルン戦争(1445-1446) [#c7ae5ef2] 1444年11月11日、かの生き物は突如として現れた。ここはベネルクス地域の小さな都市の一つユトレヒト。かの生物は皇帝を自称しユトレヒトの教会に登りこう叫んだと言われている。 &ref(y.jpg); 「朕の植民地帝国実現の夢の第一歩として東隣のゲルデルン公国に宣戦するよー」 ユトレヒトの市民は困惑した。だがいつの世にも無謀な愚か者はいるものだ。初めはごく少数の者たちが賛同するのみであったが、フリースラントとの同盟締結も後を押して次第にこれはユトレヒト中に波及し、1445年には5000人の志願兵を募るに至った。そしてついにユトレヒトの市民はゲルデルン公国領の旧領奪還をその名分としフリースラントと共にゲルデルン公国に攻め入ったのであった。 |&ref(737.jpg,,70%);| |>|CENTER:交戦勢力| |ユトレヒト|ゲルデルン公国| |フリースラント|| |>|CENTER:戦力比較| |8,000|3,000| |10|5| |>|CENTER:戦争の結果| |>|・ユトレヒトがゲルデルン公国を併合| ***第一次ブルゴーニュ侵攻(1451-1454) [#b6629c0c] ユトレヒトの民衆は白熱していた。ゲルデルン公国に対する勝利は全ユトレヒト市民を歓喜させ、やがて低地地方の統一を謳う者も増えてきた。しかしこのシャヤカ=ハーンと名乗る生き物は狡猾であった。 &ref(y.jpg); 「まだ朕のユトレヒト一国でブルゴーニュと戦うことはできないよー。同じくブルゴーニュを敵対視する南の大陸軍国フランス様と同盟するよー。」 ユトレヒト市民はまだこの不思議な生き物を完全に信頼しきってはいなかったが、ベネルクス統一へと向けてフランス王国との同盟をこぎつけたのであった。そして時は流れ1451年。フランスがイングランドとの百年戦争を終結させたとの知らせを受けたユトレヒト市民は直ちにフランスと共にブルゴーニュ公国へと宣戦を布告した。長くブルゴーニュ公との関係を保ってきたフリースラントはこのユトレヒトの動向を見るとユトレヒトとの同盟を破棄しブルゴーニュを擁立した。しかしこれもシャヤカ=ハーンにとっては計算の内であったのだろう。1452年にフリースラントを占領するとこの地域一帯をユトレヒトへと組み込んだのであった。一方そのころフランス軍は次第に北上を始め、ブルゴーニュ軍を敗走させ続けていた。シャヤカ=ハーンはこの勝利をあたかもユトレヒト軍のものと言わんばかりに言い広め、ユトレヒト軍の士気を高めて無人となったブルゴーニュ領を着々と占領していった。そして1454年、ユトレヒトはブルゴーニュからホラントとブレダの2州を割譲させ和平したのであった。この戦争は低地地方で最も強大な勢力であったブルゴーニュ公国を破ったことからユトレヒト市民の低地地方統一の信念を確かなものとしたが、同時にこの拡大を恐れた周辺国が警戒を始めるようになったきっかけでもあった。 |&ref(744.jpg);| |>|CENTER:交戦勢力| |ユトレヒト|ブルゴーニュ公国| |フランス王国|フリースラント| ||ハンガリー王国| ||アーヘン| ||クリーヴズ| |>|CENTER:戦力比較| |49,000|82,400| |9|3| |>|CENTER:戦争の結果| |>|・ユトレヒトがフリースラントを併合| |>|・ブルゴーニュ公国がユトレヒトにHolandとBredaを割譲| |>|・ハンザ同盟、リガ、ミュンスターによる対ユトレヒト同盟の形成| ***第一次ユトレヒト懲罰戦争(1456-1459) [#i3298313] ユトレヒト市民は彼らの勝利に酔っていた。当然ではあった。何故なら当時低地地方で最大の勢力を誇っていたブルゴーニュ公国を打倒したのであるのだから。しかしこの勝利はフランス軍の活躍ありきであったことを知る者はほとんどいなかった。1456年、このユトレヒト市民の甘い幻想を打壊す出来事が起こった。ハンザ同盟とリガがユトレヒト懲罰を掲げ侵攻を始めたのである。当初ユトレヒト軍はリガ軍、ミュンスター軍を殲滅しその領土を占領する勢いを見せたが、ハンザ同盟軍が越境を始めるとその優勢も次第に崩れていった。ブルゴーニュ公国がフランス軍の通行権を許可しなかったためにユトレヒト軍は単身でハンザ同盟軍と対峙しなければならなかったからである。さらにこの戦争の主導権がフランスにあったのも災いした。フランスはリガ、ミュンスターと個別に和平しそれぞれの領土をユトレヒトに割譲させたのであった。このことはさらに周辺国の警戒心を強めついにはオーストリア、ベーメン、ファルツまでもが対ユトレヒト大同盟に加わった。この戦争はフランスが敗北を認めることで終結した。 |>|CENTER:交戦勢力| |フランス王国|ハンザ同盟| |ユトレヒト|リガ| ||ミュンスター| |>|CENTER:戦力比較| |59,000|19,500| |9|3| |>|CENTER:戦争の結果| |>|・ユトレヒトがリガを獲得| |>|・オーストリア、ベーメン、ファルツが対ユトレヒト大同盟に加入| ***第二次ユトレヒト懲罰戦争(1463-1465) [#hf5fe564] しかしユトレヒトの苦難はまだほんの始まりに過ぎなかった。1463年、時の神聖ローマ皇帝であるオーストリア大公国が対同盟を率いてユトレヒトに宣戦を布告したのである。ユトレヒト市民は大きく動揺した。神より戴冠されし神聖ローマ皇帝の怒りを買ってしまったからだ。しかしシャヤカ=ハーンは言い放った。 &ref(y.jpg); 「フランスに任せよう」 ユトレヒト軍は一切の戦闘を行うことなくこの戦争は1465年にオーストリアが負けを認めることで終結した。この戦争でのオーストリアの敗北を見てユトレヒト市民は神聖ローマ皇帝に代わる新たな権力者を自国に求めるようになった。 |>|CENTER:交戦勢力| |フランス王国|オーストリア大公国| |ユトレヒト|ベーメン| ||ミュンスター| ||ファルツ| |>|CENTER:戦力比較| |59,300|49,800| |14|9| |>|CENTER:戦争の結果| |>|・オーストリア大公国の敗北| ***第二次ブルゴーニュ侵攻(1466-1469) [#v6d31466] 立て続く懲罰戦争を受ける中、ユトレヒト市民には不安を隠しきれないものも現れていた。しかしシャヤカ=ハーンはこの社会的孤立は全てフランスの講話内容のせいだと吹聴し、巧みに市民の心を操った。そして1466年、イングランドがブルゴーニュに宣戦を布告したとの知らせを受けたシャヤカ=ハーンは再びフランスと共にブルゴーニュ公領へと侵攻を始めたのである。この戦争でもシャヤカ=ハーンはフランス軍に頼り切り更なる領土拡大を実現した。しかし対ユトレヒト大同盟に対抗するためにはフランスとの本土直結が必要と考えたシャヤカ=ハーンはブルゴーニュに対しフランスへのRethelの割譲も要求している。しかしこのあざとい考えを見抜けたユトレヒト市民はなきに等しく、大衆はこれをシャヤカ=ハーンの寛大なる心持故だと考えた。 |>|CENTER:交戦勢力| |ユトレヒト|ブルゴーニュ公国| |フランス王国|ハンガリー王国| ||アーヘン| ||クレーヴス| |>|CENTER:戦力比較| |55,300|40,000| |11|0| |>|CENTER:戦争の結果| |>|・ユトレヒトがAntwelpenを獲得| |>|・フランス王国がRethelを獲得| ***第三次ブルゴーニュ侵攻(1482-1486) [#a7191327] ここまでこればユトレヒト市民は盲目であった。このシャヤカ=ハーンなる生き物を神と讃える者もいたが、カソリックに対する忠誠の厚かった市民たちはシャヤカ=ハーンを「神より選ばれし我らが総督」と称賛しこれをユトレヒトの政治体制の中心とすることを定めた。そしてシャヤカ=ハーンもかなり調子に乗っていた。最早ベネルクス統一などたやすいものだと考えていた。神より選ばれし総督はこうのたまった。 &ref(y.jpg); 「この戦争で北部7州を勢力下に入れるよー」 1482年、シャヤカ=ハーンに使えし従順なるユトレヒト市民たちはフランスと共に再びブルゴーニュ公領に侵攻した。このブルゴーニュの危機を見て周辺のヨーロッパ列強は次々とブルゴーニュに宣戦した。イングランド、スペイン、スウェーデン、オーストリア。最早袋叩きである。ブルゴーニュ公国からZeelandとNamurを割譲させた直後にそれは起こった。ブルゴーニュ公が崩御したのである。このブルゴーニュ公が有していた土地はフランスとオーストリアとの間で分割され哀しき袋叩き戦争は幕を下ろしたのであった。またこの頃からシャヤカ=ハーンはネーデルラント北部7州の直轄統治を、南部10州には各5州ずつの従属国を置く統治体制を模索し始めていた。 |&ref(762.jpg,,90%);| |>|CENTER:交戦勢力| |ユトレヒト|ブルゴーニュ公国| |フランス王国|ハンガリー王国| ||アーヘン| ||ロレーヌ| |>|CENTER:戦力比較| |55,300|40,000| |11|0| |>|CENTER:戦争の結果| |>|・ユトレヒトがZeeland・Namurを獲得| |>|・ブルゴーニュ分割| **植民地政策の始まり [#i496a503] ***フェズ遠征(1491-1492) [#t28b521d] ブルゴーニュ公が有していた低地地方一帯が神聖ローマ皇帝であるオーストリアに継承されたとなっては安易に統一戦争を続けるのは愚かな行為であるが、ユトレヒト市民の拡張的野心は止まることろを知らなかった。シャヤカ=ハーンはこの市民の熱狂を一旦別のところへと向けるべくアフリカ北西部に新たに生まれたフェズ王国に目を向けた。 &ref(y.jpg); 「神より守られし我らがユトレヒト市民はヨーロッパにとどまっているほどちっぽけな存在じゃないよ。アジアへの東廻りルートの確保のために先ずはタンジール地方を抑えるよー」 最早この奇妙な生物を疑う者などユトレヒトにはいなかった。市民は開戦事由も、勧告もなしにフェズ王国へ侵攻を始めると瞬く間にその全土を占領していった。この戦争によりユトレヒトはタンジール地方を獲得しフェズ王国をその従属国とすることに成功したが、この急速な拡張政策は北アフリカへの進出を目論んでいたカスティーリャ=アラゴン王国や、ポルトガル王国、そしてイングランド王国の警戒を買い対ユトレヒト大同盟は西欧全域に及ぶこととなった。 |>|CENTER:交戦勢力| |ユトレヒト同盟|フェズ王国| |>|CENTER:戦力比較| |10,000|3,000| |20|0| |>|CENTER:戦争の結果| |>|ユトレヒトがタンジールを獲得| |>|フェズ王国がユトレヒトの従属国となる| |>|西欧列強のほぼすべてが対ユトレヒト大同盟に参加| ***第三次ユトレヒト懲罰戦争(1493-1497) [#l18d7469] シャヤカ=ハーンは狡猾であったが、やや軽率すぎた。この生き物はかつて自分が体験してきた時空を超えた経験を絶対視しすぎていたのであった。ただ一つ、いつもと違う点を見逃していたのだ。いや、気づいてはいたのだろうが軽視しすぎていたのだろう。それはカスティーリャ=アラゴン王国の成立である。シャヤカ=ハーンは1444年から1821年までの世界を幾度となく体験してたが、未だかつてこの2王国間の同君連合の成立を見たことがなかったのである。そう、この同君連合はイングランド・オーストリアと組めばフランスを抑えるのには十分な力を持っていたのだ。 1493年、ユトレヒト同盟の拡張政策を警戒したイングランド王国はこれに対し宣戦を布告。第三次ユトレヒト懲罰戦争の幕が開いた。フランスはユトレヒト同盟を保護すべくイングランド、カスティーリャ=アラゴン、ポルトガルを相手取ったが、南北からの挟撃によりやがてフランス軍は後退していき、フランスは大敗を喫することとなった。 |&ref(769.jpg);| |CENTER:戦後のフランス王国| |>|CENTER:交戦勢力| |フランス王国|イングランド王国| |ユトレヒト同盟|カスティーリャ=アラゴン王国| ||ポルトガル王国| ||ミュンスター| ||ベーメン| |>|CENTER:戦力比較| |83,000|145,700| |30|119| |>|CENTER:戦争の結果| |>|・イングランドがフランスの持つ旧領をほぼ奪回| |>|・フランス陸軍の大幅な損耗| **おわりに [#ba536c36] ***しゃやか=はーんの休日 [#k92a84ba] &ref(y.jpg); フランス軍が負けた・・・だと・・・ &ref(w.jpg); このゲームは20回ほどプレイしてきましたが欧州国家でのプレイ時では今まで一度もイベリアン・ウェディングを見たことはありませんでしたからね。まさかここまで強いとは・・・。でもこのゲームのフランスが強すぎるだけで史実ではこれくらいのパワーバランスだったのではと思いますがね。 &ref(y.jpg); 何にせよこれからどうするか手を打たないとね。フランス様抜きでオーストリア相手に南部10州を回収しきれるとは思えないからねー。それじゃあ次回までゆっくりしていってね☆ *[[第二話 共和制帝国の誕生>AAR/オラニエの交易自習室/オラニエ2]] [#c032f912]
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