AAR/オマーン国際AAR/5章 大動乱
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[[AAR/オマーン国際AAR]] *大動乱 [#ia5db89b] '''宿敵ポーランド・リトアニア共和国を破ったロシアは''' '''ドイツをモデルとした兵制改革を開始した''' '''しかし折り悪く大飢饉が襲い全土で''' '''農民蜂起・離反コサックによる反乱が起こった''' '''各地で王位僭称者が現れる中''' '''トルコは自称「ドミトリー」を支持し''' '''モスクワ目がけてイェニチェリを進軍させる''' &ref(http://art41.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820595.v1430214664.jpg); '''露土戦争の始まりである''' *露土戦争 [#mfbddbf2] マルチ開始当時のRussia・Ottomans・Great Britain・Omanの4国で分割する予定を覆し Ottomansが一国で中国を取りきる決意したのには理由がある Ottomansはその地政学的優位・プレイヤースキルを駆使し 超大国として東欧に君臨していたが その「超大国」あまりに周辺国に包囲網を 組まれるのを早期から警戒していた 準属国OmanはそのOttomansの脅威を利用して アジア・アフリカ交易を独占していたが 仮に欧州勢がOttomansを袋叩きにしても 地理的にOmanを叩くのは不可能であり その権威にフリーライドしている状態だった 自分を守れるのは自分しかいないという現実に気づいたのか 未来に負うであろうヘイトを前倒ししても一緒とばかりに Ottomansは自国の増強の為に中国の独占を決意したようだ 1630年、中国の分割が満蒙はRussia・COTはOman・他はOttomans という形で完了した時、Ottomansの固い自衛の意志は北に向いた &ref(http://art57.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820613.v1430214664.png); 当時Russiaは主な大陸利権を獲得し終わったばかりで 内政の成熟にはまだ時間が必要だった この機をOttomansは見逃さなかった **外交 [#wad4683d] Russiaと戦争するに際して外交状況の整理が必要だった &ref(http://art41.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820650.v1430214664.png); Russiaはポーランド・リトアニア共和国の分割において Germanyと連携しており利権上の対立も無く見られた このためGermanyに強いバランサー意志があるなら 露土戦争が起こった際Russia側での参戦が考えられる しかしGermanyは背後にScandinavia・Spain・Tuscanyの 三国同盟との対立を抱えており介入しようなら 100年前の懲罰戦争の再現するかもしれない 一方でGermanyはGreat Britainと同盟関係にあり 三国同盟がGermanyを攻めるならGreat BritainのGermany側での介入も考えられる Great Britain自体はOttomansと同盟関係にあり露土戦争そのものへの介入は考え難い また、この時点の可能性は薄いが Ottomansの膨張に危機感を持った欧州勢が 一丸となって十字軍を結成するのも考えられなくはない これらを踏まえるとOttomans・Omanが外交アクションを起こすべき対象は Great Britain・Scandinaviaに限られる 事前に様々な交渉をすると情報が漏れ対Ottomans脅威で 欧州勢が連携してしまう危険性があるためである 機密性重視で外交対象は最小限に抑え、単純な交渉に抑えるべきであり 開戦一年前に金銭的見返りに中立か友軍としての参戦を要求するのみにした 開戦年月は1640年1月1日で合意し 実際に外交をするのはOttomansにまかせ 期限までに戦線に兵が送れるよう準備に勤しんだ **開戦前夜 [#lac26e15] 開戦前日(リアルの意味で)にお互いの国力を見せ合った Ottomans:月収240d MP800k 陸軍扶養限界500k 実働陸軍300k Oman:月収220d MP400k 陸軍扶養限界200k 海軍扶養限界200 対Russiaについては欧州・アジアの2戦線を分けて考え それぞれに適した役割を分担した Russia・Ottomansの国力が集中しているのは共に欧州側であり Ottomansは欧州側に全力を注ぎOmanはサポートに回り アジア側については対Russia太平洋艦隊も含めて Omanが単独で担当した 現時点のRussiaは陸軍について300kもでないと判断し 事前情報収集によるとアジアに数十k確認されたので アジア戦線には100kで足りると判断し Omanとしてはそれぞれ100kずつ配置することが妥当と考えられる 欧州戦線:Ottomans軍+Oman軍100k対Russia軍200k? アジア戦線:陸軍Oman軍100k対Russia軍数十k? 海軍Oman海軍200対Russia海軍30 以上の戦線を予期し粛々と1640年を待っていると Russia側の異変に気づく Russiaのアジア側の数州が反乱軍に占領されたまま放置され よくプロビンス詳細画面を見ると欧州側もいくつか包囲下にあるのも発見する 反乱原因は…そう西欧化によるものだった 1630年代に西欧化に着手するのは明らかにミスであるし ついでに言えばRussiaの収入はそれなりの額が予想され もしかしたら1600年頃から西欧化を始めているが 遅々として進まないという状況だったかもしれない 西欧化の反乱中に対外戦争が困難であることは周知の通りであり あまりのタイミングの良さに戸惑いを隠せなかった しかし既に兵生産を終え配置作業についていたので 情けをかけるには遅く 遂に開戦日が訪れた Ottomans「ケバブ同盟はRussiaに以下の内容で宣戦します」 Ottomans「オイラート・Russia内ムスリム領土の解放」 Oman「あと太平洋艦隊の解体と北海道の割譲でお願いします」 Ottomans「西欧化中に戦争されるのが好ましくないならこれら条件を飲んで下さい」 Spain「えっ…今西欧化してるのか(困惑)」 Russia「……すべては飲めませんねぇ」 Ottomans「では全土占領するまでですね」 Oman「ええ、一応西欧化は反乱タブから中断できるので覚えておいて下さい」 Russia「……」 領土の一部が反乱に侵されている状態での宣戦布告に Russiaはやはり絶望したようだ 客観的に見ても明らかにRussiaに分が悪く Russia敗北は必至と考えられたのか 他国家の介入は全く行われなかった **モスクワへの道 [#qf3958b4] 先に立てた計画の配置を元にRussia領内への進軍を開始した CBはConquest Kasimovである &ref(http://art41.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820641.v1430214664.png); (一軍団は大体30kです) しかし宣戦した日が悪く 満州側のOman軍は厳しい冬に酷く消耗し アジア方面に反乱軍が跋扈し正規Russia軍がいないのを確認すると Ottomans領中国内に撤退した 欧州側への進軍は 全土占領を視野に入れた分散的なものだった &ref(http://art41.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820715.v1430214664.png); しかしRussia軍がノヴゴロド郊外で100k程まとまって待ち構えており Ottomansプレイヤーが強行軍コマンドの仕方を忘れていたため いくつかの師団が捕まって敗走し再編成を余儀なくされた &ref(http://art57.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820707.v1430214664.png); 一方でシベリアから輸送中のRussia軍を捕まえることに成功し 補充中のRussia主軍との合流を阻止 &ref(http://art57.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820677.v1430214664.png); この機にモスクワで補充中のRussia主軍に 再編成したOttomans・Oman連合軍が襲いかかり 南Russiaから撤退させその隙に モスクワ・その周辺の包囲を再開した &ref(http://art57.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820696.v1430214664.png); 冬になるとアルハンゲリスクで合流したRussia主軍・シベリア方面軍が モスクワ奪還に来襲し この戦争の数機を決する戦いが始まった &ref(http://art49.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820687.v1430214664.png); 消耗を嫌って分散進軍したことが今度はRussiaに裏目に出て ルジェフでOttomans軍がこれを捕捉 モスクワには十分な援軍が届かず防御側Omanの勝利が予見された しかし実際蓋を開けるとRussiaとOmanの将軍能力差 そして致命的な士気差が防御側優位・ユニット差を覆し みるみるうちにOman側の士気が減っていった ベラルーシ・ウクライナ側の包囲は薄く広く Germanyが介入しようものならアリを蹴散らすに同じ このタイミングでのモスクワ撤退は負け筋であり 敗北は許されずOttomansの援軍を要請し ウクライナ方面・カシモフ占領軍からの引き抜きで、すんでのところで辛勝した これをもってRussiaは持ち直し不可能と判断し 停戦に合意した 講和条件として オイラート・ウズベクの解放 北海道の割譲 を要求したがRussia側はこれに難色をしめし では停戦を破棄し全土占領するまでと通告した所 Russiaは破滅的な決断を下した Russiaの決断 可能な限り全ての属国を解放 北海道の割譲 今回マルチからのドロップアウト こちらの提案した講和条件は戦勝点的にも100点に満たない軽いものだったため ドロップアウトは予想外で残念だったが Russiaはこれを曲げずその通りになった 講和条件そのものの軽さではなく Russiaの未来を憂いての判断だったのだろうか いずれにせよこの時点でのドロップアウトは 早計であったと言えるだろう しかしRussiaの悲劇的結末は キプチャク平原すべてをOttomansに譲った時点で不可避だったのかもしれない この地域はマンパワー・文化的にもRussiaの繁栄には不可欠で その地理的位置からもまさにRussiaの心臓である 心臓を失った結果、体に血が巡らなくなりどうなるかは言うまでもない &ref(http://art41.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820604.v1430214664.jpg); Russiaの崩壊によりOttomansは背後の憂いを克服し 欧州情勢には再び混乱が訪れる *Russia戦後 [#a67f562f] Russiaからプレイヤーが抜けたため Russia領土を残ったプレイヤーで分割することにした Omanは海岸領土を主張し それ以外はOttomans・Scandinavia・Germanyの三国で 分割されることになった これはGermanyに取って死活問題であった 数少ない外交的パートナーを失った結果自身を強化する必要があり Germanyの獲得領土は旧ポーランド・リトアニア共和国領すべてを包摂した このGermanyの地理的巨大化は16世紀の包囲網を再結成させる 一方でRussiaの東部領土の殆どを獲得した Ottomansを抑える勢力は存在しなかった 「敵を作り上げOttomans包囲網を未然に防ぐ」 というOttomansの思惑は満額以上で実現したのだった **世界地図@1648年 [#y8a664e2] &ref(http://art49.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820658.v1430214664.png); 各国がほとんどの利権を回収し終えてる Spain・Great Britainは欧州利権を完全に回収し新大陸経営に集中している 英西植民国家間同士の戦争があったらしいが AIが始めたことなので問題化せず白紙和平に収めたようだ Germany・Tuscanyは中間地帯に緩衝国を抱えている 両者の合意が取れてないのか ハンガリーには手がつけられていない Scandinaviaは低地地域を抑え 更にRussiaの吸収にも着手 予想外の強国化に驚いている Oman・Ottomansはアジア国家・Russiaの亡骸が 残っておりまだ伸びしろがある状態だ Russiaの植民伝説は…… 露土戦争後発覚したのだが、北米ではなく南のオーストラリアに植民していた! ドロップアウトしてこのあとAIが植民をするとなると、Great Britainもお手上げのようだ **内政 [#l367274a] 露土戦争が終結すると内政モードに移行した かねてより収入は支出を遥かに越え 内政資金はありあまっており君主点が貯まり次第建築を進めた マルチ開始時点で1000を越える艦隊を作ることを目標にしており とりあえず海岸州には海軍系建築物を充実させていった またOmanは高額生産物州を多く抱えており これら州に生産系Lv2+工場+交易系Lv3を建てて 交易・生産のブーストを図った 交易に関しては自国だけでなくOttomans・Spain領内の州の 生産も関わってくるため 特に基礎のTrade Valueの多い州に関しては 交易建築を進めるよう促した 内陸州には陸軍系建物を、そして神道の改宗が進まない 日本の州には行政系建物をLv6まで建てることにした 一見効率的な建築だが未来志向が欠けており 大きな矛盾を抱えていることを後に知る しかしOmanの保有ダカットは圧倒的であり この時点では大きなアドバンテージを建築で得ることが出来たのは確かだ 海軍扶養限界は800を超え、将来取るアイデア次第では 扶養限界が1000を越えるのは約束された 当然この数値は他国を圧倒しており 制海権はOttomans・Oman勢力の不動のものとなった Ottomans・Oman関係も 内政でリードしたOmanはOttomansを抜き 収入面でこのころから1位になった &ref(http://art49.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820631.v1430214664.png); Ottomans「何か足りネェよなぁ…上納金とか」 このころのOmanが最も輝いていたような気がする *中国統治について [#w4e3e52e] 注意!今のVersionと大きく異なります &ref(http://art49.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820621.v1430214664.png); 中国も殆どはOttomans領でOmanは港市支配にとどまる 本来のCOT支配の目的は交易会社ボーナスによる商人ブーストが建前だったが ボーナス関係なく中国の交易物をザンジバルに運ぶには この地域の支配は必要で、一方向に流出するだけのアユタヤCOTのように 譲ることはできなかった 北京についてはマラッカ方面に流せないため Great Britainに譲ったのだが結局Ottomansが取っている 一応事前に通告したのだが、BTが高いだけに 一度取ってしまえば返すのは難しいだろう Great Britainからも催促が無かったのでこれに関しては忘れることにした 中国支配とは関係ないのだが…… 今回のプレイは台帳閲覧不可設定だったため 表計算ソフトで各州の内政をまとめて管理していたのだが 中国州に関しての入力を完全に忘れており 中国州を持っていると日本文化を受容できないことが発覚した つまり日本文化州はBT98ありその受容には全土のBT合計が490以内である必要があり これにとどまる様調整していたのだが 中国州の記載漏れによって実際のBT合計が500を越えてしまった 日本文化の受容は内政計画上不可欠であり この解決としてやむを得ず中国州を保護国Mingとして 独立させることで合計BTを予定通りにしたのだが これが予想外にうまくいった まずMingは保護国であるため交易力の半分が 宗主国Omanのものになり 中国ノードにおけるOmanのプレゼンスは 交易船を浮かべれば独立前とさほど変わらず済む さらにMingはTrade ideaを解放しており MingがCollectできる交易地外で 余っている商人をTransferに使ってくれており 具体的にはフィリピン・アユタヤ・ベンガルノードでの TransferをOmanの代わりにしてくれていた &ref(http://art57.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221822215.v1430216711.png); Transferには交易価値にボーナスが付加されるため 単に一方向に流れる交易地でも効果があり これを勝手にやってくれるとはまさに保護国冥利を尽くしてくれている あれ…これって本来の某2国間関係と同じなような… *[[6章 ドイツ三十年戦争 前半>AAR/オマーン国際AAR/6章 ドイツ三十年戦争 前半]]に続く [#y5916cdc]
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[[AAR/オマーン国際AAR]] *大動乱 [#ia5db89b] '''宿敵ポーランド・リトアニア共和国を破ったロシアは''' '''ドイツをモデルとした兵制改革を開始した''' '''しかし折り悪く大飢饉が襲い全土で''' '''農民蜂起・離反コサックによる反乱が起こった''' '''各地で王位僭称者が現れる中''' '''トルコは自称「ドミトリー」を支持し''' '''モスクワ目がけてイェニチェリを進軍させる''' &ref(http://art41.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820595.v1430214664.jpg); '''露土戦争の始まりである''' *露土戦争 [#mfbddbf2] マルチ開始当時のRussia・Ottomans・Great Britain・Omanの4国で分割する予定を覆し Ottomansが一国で中国を取りきる決意したのには理由がある Ottomansはその地政学的優位・プレイヤースキルを駆使し 超大国として東欧に君臨していたが その「超大国」あまりに周辺国に包囲網を 組まれるのを早期から警戒していた 準属国OmanはそのOttomansの脅威を利用して アジア・アフリカ交易を独占していたが 仮に欧州勢がOttomansを袋叩きにしても 地理的にOmanを叩くのは不可能であり その権威にフリーライドしている状態だった 自分を守れるのは自分しかいないという現実に気づいたのか 未来に負うであろうヘイトを前倒ししても一緒とばかりに Ottomansは自国の増強の為に中国の独占を決意したようだ 1630年、中国の分割が満蒙はRussia・COTはOman・他はOttomans という形で完了した時、Ottomansの固い自衛の意志は北に向いた &ref(http://art57.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820613.v1430214664.png); 当時Russiaは主な大陸利権を獲得し終わったばかりで 内政の成熟にはまだ時間が必要だった この機をOttomansは見逃さなかった **外交 [#wad4683d] Russiaと戦争するに際して外交状況の整理が必要だった &ref(http://art41.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820650.v1430214664.png); Russiaはポーランド・リトアニア共和国の分割において Germanyと連携しており利権上の対立も無く見られた このためGermanyに強いバランサー意志があるなら 露土戦争が起こった際Russia側での参戦が考えられる しかしGermanyは背後にScandinavia・Spain・Tuscanyの 三国同盟との対立を抱えており介入しようなら 100年前の懲罰戦争の再現するかもしれない 一方でGermanyはGreat Britainと同盟関係にあり 三国同盟がGermanyを攻めるならGreat BritainのGermany側での介入も考えられる Great Britain自体はOttomansと同盟関係にあり露土戦争そのものへの介入は考え難い また、この時点の可能性は薄いが Ottomansの膨張に危機感を持った欧州勢が 一丸となって十字軍を結成するのも考えられなくはない これらを踏まえるとOttomans・Omanが外交アクションを起こすべき対象は Great Britain・Scandinaviaに限られる 事前に様々な交渉をすると情報が漏れ対Ottomans脅威で 欧州勢が連携してしまう危険性があるためである 機密性重視で外交対象は最小限に抑え、単純な交渉に抑えるべきであり 開戦一年前に金銭的見返りに中立か友軍としての参戦を要求するのみにした 開戦年月は1640年1月1日で合意し 実際に外交をするのはOttomansにまかせ 期限までに戦線に兵が送れるよう準備に勤しんだ **開戦前夜 [#lac26e15] 開戦前日(リアルの意味で)にお互いの国力を見せ合った Ottomans:月収240d MP800k 陸軍扶養限界500k 実働陸軍300k Oman:月収220d MP400k 陸軍扶養限界200k 海軍扶養限界200 対Russiaについては欧州・アジアの2戦線を分けて考え それぞれに適した役割を分担した Russia・Ottomansの国力が集中しているのは共に欧州側であり Ottomansは欧州側に全力を注ぎOmanはサポートに回り アジア側については対Russia太平洋艦隊も含めて Omanが単独で担当した 現時点のRussiaは陸軍について300kもでないと判断し 事前情報収集によるとアジアに数十k確認されたので アジア戦線には100kで足りると判断し Omanとしてはそれぞれ100kずつ配置することが妥当と考えられる 欧州戦線:Ottomans軍+Oman軍100k対Russia軍200k? アジア戦線:陸軍Oman軍100k対Russia軍数十k? 海軍Oman海軍200対Russia海軍30 以上の戦線を予期し粛々と1640年を待っていると Russia側の異変に気づく Russiaのアジア側の数州が反乱軍に占領されたまま放置され よくプロビンス詳細画面を見ると欧州側もいくつか包囲下にあるのも発見する 反乱原因は…そう西欧化によるものだった 1630年代に西欧化に着手するのは明らかにミスであるし ついでに言えばRussiaの収入はそれなりの額が予想され もしかしたら1600年頃から西欧化を始めているが 遅々として進まないという状況だったかもしれない 西欧化の反乱中に対外戦争が困難であることは周知の通りであり あまりのタイミングの良さに戸惑いを隠せなかった しかし既に兵生産を終え配置作業についていたので 情けをかけるには遅く 遂に開戦日が訪れた Ottomans「ケバブ同盟はRussiaに以下の内容で宣戦します」 Ottomans「オイラート・Russia内ムスリム領土の解放」 Oman「あと太平洋艦隊の解体と北海道の割譲でお願いします」 Ottomans「西欧化中に戦争されるのが好ましくないならこれら条件を飲んで下さい」 Spain「えっ…今西欧化してるのか(困惑)」 Russia「……すべては飲めませんねぇ」 Ottomans「では全土占領するまでですね」 Oman「ええ、一応西欧化は反乱タブから中断できるので覚えておいて下さい」 Russia「……」 領土の一部が反乱に侵されている状態での宣戦布告に Russiaはやはり絶望したようだ 客観的に見ても明らかにRussiaに分が悪く Russia敗北は必至と考えられたのか 他国家の介入は全く行われなかった **モスクワへの道 [#qf3958b4] 先に立てた計画の配置を元にRussia領内への進軍を開始した CBはConquest Kasimovである &ref(http://art41.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820641.v1430214664.png); (一軍団は大体30kです) しかし宣戦した日が悪く 満州側のOman軍は厳しい冬に酷く消耗し アジア方面に反乱軍が跋扈し正規Russia軍がいないのを確認すると Ottomans領中国内に撤退した 欧州側への進軍は 全土占領を視野に入れた分散的なものだった &ref(http://art41.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820715.v1430214664.png); しかしRussia軍がノヴゴロド郊外で100k程まとまって待ち構えており Ottomansプレイヤーが強行軍コマンドの仕方を忘れていたため いくつかの師団が捕まって敗走し再編成を余儀なくされた &ref(http://art57.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820707.v1430214664.png); 一方でシベリアから輸送中のRussia軍を捕まえることに成功し 補充中のRussia主軍との合流を阻止 &ref(http://art57.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820677.v1430214664.png); この機にモスクワで補充中のRussia主軍に 再編成したOttomans・Oman連合軍が襲いかかり 南Russiaから撤退させその隙に モスクワ・その周辺の包囲を再開した &ref(http://art57.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820696.v1430214664.png); 冬になるとアルハンゲリスクで合流したRussia主軍・シベリア方面軍が モスクワ奪還に来襲し この戦争の数機を決する戦いが始まった &ref(http://art49.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820687.v1430214664.png); 消耗を嫌って分散進軍したことが今度はRussiaに裏目に出て ルジェフでOttomans軍がこれを捕捉 モスクワには十分な援軍が届かず防御側Omanの勝利が予見された しかし実際蓋を開けるとRussiaとOmanの将軍能力差 そして致命的な士気差が防御側優位・ユニット差を覆し みるみるうちにOman側の士気が減っていった ベラルーシ・ウクライナ側の包囲は薄く広く Germanyが介入しようものならアリを蹴散らすに同じ このタイミングでのモスクワ撤退は負け筋であり 敗北は許されずOttomansの援軍を要請し ウクライナ方面・カシモフ占領軍からの引き抜きで、すんでのところで辛勝した これをもってRussiaは持ち直し不可能と判断し 停戦に合意した 講和条件として オイラート・ウズベクの解放 北海道の割譲 を要求したがRussia側はこれに難色をしめし では停戦を破棄し全土占領するまでと通告した所 Russiaは破滅的な決断を下した Russiaの決断 可能な限り全ての属国を解放 北海道の割譲 今回マルチからのドロップアウト こちらの提案した講和条件は戦勝点的にも100点に満たない軽いものだったため ドロップアウトは予想外で残念だったが Russiaはこれを曲げずその通りになった 講和条件そのものの軽さではなく Russiaの未来を憂いての判断だったのだろうか いずれにせよこの時点でのドロップアウトは 早計であったと言えるだろう しかしRussiaの悲劇的結末は キプチャク平原すべてをOttomansに譲った時点で不可避だったのかもしれない この地域はマンパワー・文化的にもRussiaの繁栄には不可欠で その地理的位置からもまさにRussiaの心臓である 心臓を失った結果、体に血が巡らなくなりどうなるかは言うまでもない &ref(http://art41.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820604.v1430214664.jpg); Russiaの崩壊によりOttomansは背後の憂いを克服し 欧州情勢には再び混乱が訪れる *Russia戦後 [#a67f562f] Russiaからプレイヤーが抜けたため Russia領土を残ったプレイヤーで分割することにした Omanは海岸領土を主張し それ以外はOttomans・Scandinavia・Germanyの三国で 分割されることになった これはGermanyに取って死活問題であった 数少ない外交的パートナーを失った結果自身を強化する必要があり Germanyの獲得領土は旧ポーランド・リトアニア共和国領すべてを包摂した このGermanyの地理的巨大化は16世紀の包囲網を再結成させる 一方でRussiaの東部領土の殆どを獲得した Ottomansを抑える勢力は存在しなかった 「敵を作り上げOttomans包囲網を未然に防ぐ」 というOttomansの思惑は満額以上で実現したのだった **世界地図@1648年 [#y8a664e2] &ref(http://art49.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820658.v1430214664.png); 各国がほとんどの利権を回収し終えてる Spain・Great Britainは欧州利権を完全に回収し新大陸経営に集中している 英西植民国家間同士の戦争があったらしいが AIが始めたことなので問題化せず白紙和平に収めたようだ Germany・Tuscanyは中間地帯に緩衝国を抱えている 両者の合意が取れてないのか ハンガリーには手がつけられていない Scandinaviaは低地地域を抑え 更にRussiaの吸収にも着手 予想外の強国化に驚いている Oman・Ottomansはアジア国家・Russiaの亡骸が 残っておりまだ伸びしろがある状態だ Russiaの植民伝説は…… 露土戦争後発覚したのだが、北米ではなく南のオーストラリアに植民していた! ドロップアウトしてこのあとAIが植民をするとなると、Great Britainもお手上げのようだ **内政 [#l367274a] 露土戦争が終結すると内政モードに移行した かねてより収入は支出を遥かに越え 内政資金はありあまっており君主点が貯まり次第建築を進めた マルチ開始時点で1000を越える艦隊を作ることを目標にしており とりあえず海岸州には海軍系建築物を充実させていった またOmanは高額生産物州を多く抱えており これら州に生産系Lv2+工場+交易系Lv3を建てて 交易・生産のブーストを図った 交易に関しては自国だけでなくOttomans・Spain領内の州の 生産も関わってくるため 特に基礎のTrade Valueの多い州に関しては 交易建築を進めるよう促した 内陸州には陸軍系建物を、そして神道の改宗が進まない 日本の州には行政系建物をLv6まで建てることにした 一見効率的な建築だが未来志向が欠けており 大きな矛盾を抱えていることを後に知る しかしOmanの保有ダカットは圧倒的であり この時点では大きなアドバンテージを建築で得ることが出来たのは確かだ 海軍扶養限界は800を超え、将来取るアイデア次第では 扶養限界が1000を越えるのは約束された 当然この数値は他国を圧倒しており 制海権はOttomans・Oman勢力の不動のものとなった Ottomans・Oman関係も 内政でリードしたOmanはOttomansを抜き 収入面でこのころから1位になった &ref(http://art49.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820631.v1430214664.png); Ottomans「何か足りネェよなぁ…上納金とか」 このころのOmanが最も輝いていたような気がする *中国統治について [#w4e3e52e] 注意!今のVersionと大きく異なります &ref(http://art49.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221820621.v1430214664.png); 中国も殆どはOttomans領でOmanは港市支配にとどまる 本来のCOT支配の目的は交易会社ボーナスによる商人ブーストが建前だったが ボーナス関係なく中国の交易物をザンジバルに運ぶには この地域の支配は必要で、一方向に流出するだけのアユタヤCOTのように 譲ることはできなかった 北京についてはマラッカ方面に流せないため Great Britainに譲ったのだが結局Ottomansが取っている 一応事前に通告したのだが、BTが高いだけに 一度取ってしまえば返すのは難しいだろう Great Britainからも催促が無かったのでこれに関しては忘れることにした 中国支配とは関係ないのだが…… 今回のプレイは台帳閲覧不可設定だったため 表計算ソフトで各州の内政をまとめて管理していたのだが 中国州に関しての入力を完全に忘れており 中国州を持っていると日本文化を受容できないことが発覚した つまり日本文化州はBT98ありその受容には全土のBT合計が490以内である必要があり これにとどまる様調整していたのだが 中国州の記載漏れによって実際のBT合計が500を越えてしまった 日本文化の受容は内政計画上不可欠であり この解決としてやむを得ず中国州を保護国Mingとして 独立させることで合計BTを予定通りにしたのだが これが予想外にうまくいった まずMingは保護国であるため交易力の半分が 宗主国Omanのものになり 中国ノードにおけるOmanのプレゼンスは 交易船を浮かべれば独立前とさほど変わらず済む さらにMingはTrade ideaを解放しており MingがCollectできる交易地外で 余っている商人をTransferに使ってくれており 具体的にはフィリピン・アユタヤ・ベンガルノードでの TransferをOmanの代わりにしてくれていた &ref(http://art57.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/221822215.v1430216711.png); Transferには交易価値にボーナスが付加されるため 単に一方向に流れる交易地でも効果があり これを勝手にやってくれるとはまさに保護国冥利を尽くしてくれている あれ…これって本来の某2国間関係と同じなような… *[[6章 ドイツ三十年戦争 前半>AAR/オマーン国際AAR/6章 ドイツ三十年戦争 前半]]に続く [#y5916cdc]
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