AAR/オスマン帝国の勃興/01 メフメト2世の時代
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[[オスマン帝国の勃興>AAR/オスマン帝国の勃興]] *東ローマ帝国の終焉 [#t3b72767] **若き王 [#va495458] 即位したばかりのメフメト2世は野心に燃えていた。 かの千年帝国東ローマ帝国に引導を渡し、その後継者となり、世界に自らを知らしめるという野望である。 その為には邪魔者を消さなければならない。 そう考え、周りの国々に戦争を仕掛けた。 #ref(01.jpg); 結果、かの高名なスカデルベルグも、ついには命運果て、アルバニアは併合された。 内患である君候国も全て、オスマン帝国に併合されることになった。 またトルコ人の保護を名目として白羊朝AqQoyunleにも侵攻し、中核州Erzurumの割譲とアルメニアの独立で和平し白羊朝を解体した。 もはや邪魔者はいない。終わりの時が来た。 しかしメフメト2世は慎重であった。 #ref(02.jpg); 世界の都コンスタンティノープルを狙っているとは悟られないように、南部ギリシャのペロポネス半島の割譲要求を名目としたのである。 その為アテネに侵攻し併合した。 そして戦争を避けるために来訪したビザンチン帝国の交渉団はオスマン帝国との交渉で難儀していた。 「王は何を望んでいるのですか?」 「我々が貴方にに提供できるものは、もはや何もありません」 「まだあるではないか」 「まさか・・・」 「コンスタンティノープルだ」 #ref(03.jpg); こうして交渉は決裂し、ビザンチン帝国はオスマンと戦争状態になったが、同盟国は同盟を履行せず味方のいない絶望的な戦いを続けたが、ついにはコンスタンティノープルが陥落し、歴史から消えた。 *衣鉢を継ぐ者 [#p68514a6] **内政処理 [#f9779caa] 念願のコンスタンティノープルを手に入れたぞ!。 しかしその都市の巨大さ故にOverextendionが危険域に入っていた。 故にメフメト2世は決断した。 コンスタンティノープルに遷都する。そして東ローマ帝国の後継者は誰であるのか知らしめるのだ!。 #ref(04.jpg); この決定により治世は安定したという。 また王はキリスト教徒に寛大であった。 #ref(05.jpg); 大主教の存続を許し、正教と和解した。 また後年もその寛大さを示し続けた。 #ref(11.jpg); またメフメト2世は外交ideaを取った。 **次なる野心 [#b4da7d84] ビザンチン帝国は滅ぼした。次はその周辺領域を征服し、帝国の後継者であるオスマンの正当な土地を回収するべきであろう。 そう考え、トレビゾンドとアルメニア、セルビアとワラキアを攻めた。しかしセルビア、ワラキアと接しているハンガリーと今敵対するのは不味い。そう考えセルビアを傀儡化し、ワラキアの土地を支配させ、緩衝国として存続させた。 しかし今である。いずれ力をつけた時には・・・。 今敵対するのが戸惑われるのは、別の戦争計画が進行していたからである。相手はベネチアである。 **ギリシャ域の回復 [#wdc8c033] 長年マムルーク朝と戦争し、疲弊しきったベネチアから正当な土地を回収するのは容易に見えた。 #ref(07.jpg); もはやアドリア海の女王を冠した時代は終わったのだ。 そしてクレタ島を巡る交渉に来たベネチアの交渉団はこういったという。 「クレタ島はベネチアの生命線」 「この島が無くては地中海交易はできません」 「変わりにナクソスと引き渡す準備があります。」 これに対しメフメト2世はこういったという。 「世は世界を貰いたいのではない。奪いたいのだ」 #ref(08.jpg); 交渉は決裂し、戦争が始まったがもはやベネチアに力は無く、クレタ島、ナクソス、ロードス全てオスマン帝国の手中に収まった。 これを境に周囲の国々は危機感を持ち、第一次オスマン包囲網を形成するにいたった。 しかしメフメト2世はマムルーク朝だけ外交で解決し脱退させ、後の国は些事とし、ヴェネチアの支配から逃れていたコルフに侵攻した。 #ref(10.jpg); ハンガリーが戦争のリーダーになったが、もはやオスマンに適わずコルフの割譲とクロアチアの独立で和平を結んだ。 これによりハンガリーは動乱に見舞われ、反乱により戦争している場合でなくなった。 またその勢いでボスニアも滅ぼし、セルビアに割譲した。 *イスラム世界 [#x75ed900] **婚姻政策 [#i6852ba1] 今までキリスト教世界に重心を置いていたが、一連の戦争により西は征服したとし、メフメト2世は東に目を向けた。 そしてオスマンに対する包囲網の盟主で迷惑な黒羊朝Qara Qoyunleに対し戦争を仕掛け領土を奪っていった。その合間にキプロスを滅ぼした。 また北のクリミア汗国の継承者がいないのに目を付け、婚姻し同盟を結んだ。 同君連合が組めるかもしれないからである。 これは大変な間違いであった。 #ref(15.jpg); 同盟を組んでいることをいいことに、戦争につき合わされたのである。 かといって同盟を切ると、関係度が下がり、同君連合を作れない・・・。 ずるずると戦争に付き合わされたが、結局同君連合は結べず、無駄に大量を消耗しただけであった。 この反省をいかし、キプチャク、イエメンに対しては強硬姿勢で臨み、戦争によって同君連合を結んだ。 #ref(14.jpg); **最後の仕事 [#e19307a3] メフメト2世は戦争の合間にも様々な施策を行った。二つ目の政策に攻撃重視ideaを取ったり、外交ideaを完成させたり、トリポリを傀儡化したり等。 最後に傀儡国の併合に手をつけた。 #ref(18.jpg); そして1497年オスマンを帝国たらしめた偉大なる君主メフメト2世は71歳で亡くなった。 その功績によりメフメト2世は征服者ファーティフと呼ばれるようになった。 次の君主はイブラハム1世となった。 #ref(19.jpg); この五十年の間に西はアドリア海、北はロシア、東はカスピ海、南はインド洋まで勢力圏は広まった。 #ref(20.jpg); こちらは世界地図。 #ref(01.png); [[メフメト2世の時代>AAR/オスマン帝国の勃興/01 メフメト2世の時代]] [[オスマン帝国の勃興>AAR/オスマン帝国の勃興]] イブラハム1世の時代
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[[オスマン帝国の勃興>AAR/オスマン帝国の勃興]] *東ローマ帝国の終焉 [#t3b72767] **若き王 [#va495458] 即位したばかりのメフメト2世は野心に燃えていた。 かの千年帝国東ローマ帝国に引導を渡し、その後継者となり、世界に自らを知らしめるという野望である。 その為には邪魔者を消さなければならない。 そう考え、周りの国々に戦争を仕掛けた。 #ref(01.jpg); 結果、かの高名なスカデルベルグも、ついには命運果て、アルバニアは併合された。 内患である君候国も全て、オスマン帝国に併合されることになった。 またトルコ人の保護を名目として白羊朝AqQoyunleにも侵攻し、中核州Erzurumの割譲とアルメニアの独立で和平し白羊朝を解体した。 もはや邪魔者はいない。終わりの時が来た。 しかしメフメト2世は慎重であった。 #ref(02.jpg); 世界の都コンスタンティノープルを狙っているとは悟られないように、南部ギリシャのペロポネス半島の割譲要求を名目としたのである。 その為アテネに侵攻し併合した。 そして戦争を避けるために来訪したビザンチン帝国の交渉団はオスマン帝国との交渉で難儀していた。 「王は何を望んでいるのですか?」 「我々が貴方にに提供できるものは、もはや何もありません」 「まだあるではないか」 「まさか・・・」 「コンスタンティノープルだ」 #ref(03.jpg); こうして交渉は決裂し、ビザンチン帝国はオスマンと戦争状態になったが、同盟国は同盟を履行せず味方のいない絶望的な戦いを続けたが、ついにはコンスタンティノープルが陥落し、歴史から消えた。 *衣鉢を継ぐ者 [#p68514a6] **内政処理 [#f9779caa] 念願のコンスタンティノープルを手に入れたぞ!。 しかしその都市の巨大さ故にOverextendionが危険域に入っていた。 故にメフメト2世は決断した。 コンスタンティノープルに遷都する。そして東ローマ帝国の後継者は誰であるのか知らしめるのだ!。 #ref(04.jpg); この決定により治世は安定したという。 また王はキリスト教徒に寛大であった。 #ref(05.jpg); 大主教の存続を許し、正教と和解した。 また後年もその寛大さを示し続けた。 #ref(11.jpg); またメフメト2世は外交ideaを取った。 **次なる野心 [#b4da7d84] ビザンチン帝国は滅ぼした。次はその周辺領域を征服し、帝国の後継者であるオスマンの正当な土地を回収するべきであろう。 そう考え、トレビゾンドとアルメニア、セルビアとワラキアを攻めた。しかしセルビア、ワラキアと接しているハンガリーと今敵対するのは不味い。そう考えセルビアを傀儡化し、ワラキアの土地を支配させ、緩衝国として存続させた。 しかし今である。いずれ力をつけた時には・・・。 今敵対するのが戸惑われるのは、別の戦争計画が進行していたからである。相手はベネチアである。 **ギリシャ域の回復 [#wdc8c033] 長年マムルーク朝と戦争し、疲弊しきったベネチアから正当な土地を回収するのは容易に見えた。 #ref(07.jpg); もはやアドリア海の女王を冠した時代は終わったのだ。 そしてクレタ島を巡る交渉に来たベネチアの交渉団はこういったという。 「クレタ島はベネチアの生命線」 「この島が無くては地中海交易はできません」 「変わりにナクソスと引き渡す準備があります。」 これに対しメフメト2世はこういったという。 「世は世界を貰いたいのではない。奪いたいのだ」 #ref(08.jpg); 交渉は決裂し、戦争が始まったがもはやベネチアに力は無く、クレタ島、ナクソス、ロードス全てオスマン帝国の手中に収まった。 これを境に周囲の国々は危機感を持ち、第一次オスマン包囲網を形成するにいたった。 しかしメフメト2世はマムルーク朝だけ外交で解決し脱退させ、後の国は些事とし、ヴェネチアの支配から逃れていたコルフに侵攻した。 #ref(10.jpg); ハンガリーが戦争のリーダーになったが、もはやオスマンに適わずコルフの割譲とクロアチアの独立で和平を結んだ。 これによりハンガリーは動乱に見舞われ、反乱により戦争している場合でなくなった。 またその勢いでボスニアも滅ぼし、セルビアに割譲した。 *イスラム世界 [#x75ed900] **婚姻政策 [#i6852ba1] 今までキリスト教世界に重心を置いていたが、一連の戦争により西は征服したとし、メフメト2世は東に目を向けた。 そしてオスマンに対する包囲網の盟主で迷惑な黒羊朝Qara Qoyunleに対し戦争を仕掛け領土を奪っていった。その合間にキプロスを滅ぼした。 また北のクリミア汗国の継承者がいないのに目を付け、婚姻し同盟を結んだ。 同君連合が組めるかもしれないからである。 これは大変な間違いであった。 #ref(15.jpg); 同盟を組んでいることをいいことに、戦争につき合わされたのである。 かといって同盟を切ると、関係度が下がり、同君連合を作れない・・・。 ずるずると戦争に付き合わされたが、結局同君連合は結べず、無駄に大量を消耗しただけであった。 この反省をいかし、キプチャク、イエメンに対しては強硬姿勢で臨み、戦争によって同君連合を結んだ。 #ref(14.jpg); **最後の仕事 [#e19307a3] メフメト2世は戦争の合間にも様々な施策を行った。二つ目の政策に攻撃重視ideaを取ったり、外交ideaを完成させたり、トリポリを傀儡化したり等。 最後に傀儡国の併合に手をつけた。 #ref(18.jpg); そして1497年オスマンを帝国たらしめた偉大なる君主メフメト2世は71歳で亡くなった。 その功績によりメフメト2世は征服者ファーティフと呼ばれるようになった。 次の君主はイブラハム1世となった。 #ref(19.jpg); この五十年の間に西はアドリア海、北はロシア、東はカスピ海、南はインド洋まで勢力圏は広まった。 #ref(20.jpg); こちらは世界地図。 #ref(01.png); [[メフメト2世の時代>AAR/オスマン帝国の勃興/01 メフメト2世の時代]] [[オスマン帝国の勃興>AAR/オスマン帝国の勃興]] イブラハム1世の時代
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