データ/National Ideas/Asia
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|>|[[コメント欄>データ/National Ideas#s1f415f8]]| #contents *東アジア [#EastAsia] |CENTER:20|>|>|>|>|CENTER:|c |~各国NI|~日本|[[アイヌ(Ainu)>#ANU]]|[[朝倉(Asakura)>#ASA]]|[[足利(Ashikaga)>#ASK]]|[[尼子(Amago)>#AMA]]| |~|~|[[安東(Ando)>#AKT]]|[[一色(Isshiki)>#ISK]]|[[伊東(Ito)>#ITO]]|[[今川(Imagawa)>#IMG]]| |~|~|[[上杉(Uesugi)>#UES]]|[[宇都宮(Utsunomiya)>#UTN]]|[[大内(Ouchi)>#OUC]]|[[大友(Otomo)>#OTM]]| |~|~|[[小笠原(Ogasawara)>#OGS]]|[[織田(Oda)>#ODA]]|[[菊池(Kikuchi)>#KKC]]|[[北畠(Kitabatake)>#KTB]]| |~|~|[[河野(Kono)>#KNO]]|[[佐竹(Satake)>#STK]]|[[斯波(Shiba)>#SBA]]|[[島津(Shimazu)>#SMZ]]| |~|~|[[少弐(Shoni)>#SHN]]|[[宗(So)>#SOO]]|[[武田(Takeda)>#TKD]]|[[伊達(Date)>#DTE]]| |~|~|[[千葉(Chiba)>#CBA]]|[[長宗我部(Chosokabe)>#CSK]]|[[筒井(Tsutsui)>#TTI]]|[[土岐(Toki)>#TKI]]| |~|~|[[徳川(Tokugawa)>#TKG]]|[[南部(Nanbu)>#RFR]]|[[日本(Japan)>#JAP]]|[[畠山(Hatakeyama)>#HTK]]| |~|~|[[北条(Hojo)>#HJO]]|[[細川(Hosokawa)>#HSK]]|[[毛利(Mori)>#MRI]]|[[山名(Yamana)>#YMN]]| |~|~|[[琉球(Ryukyu)>#RYU]]|||| |~|~朝鮮|[[朝鮮(Korea)>#KOR]]|||| 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Jomon|威信&color(green){+1/年};|縄文人は縄文時代に日本で居住していた人々のこと。&br;現在の日本人は朝鮮から渡ってきた(渡来系)弥生人、&br;もしくは縄文人と弥生人の混血と言われているが、&br;アイヌは縄文人のDNAを色濃く受け継いでいるとされる。&br;昔の日本では、弥生人=日本人で縄文人=蝦夷=アイヌと捉えられてきたが、&br;現在では否定されている。| |狩人と戦士|Hunters and Warriors|敵損耗&color(green){+1};|アイヌ民族は狩猟のための弓矢などの技術に長けており、&br;それは和人との抗争など軍事行動の際にもいかされた。&br;1591年の九戸の乱においては松前氏によってアイヌから召集された弓兵が参戦し、&br;毒矢を用いて攻撃を行ったとされている。| |ユーカラ|Yukar|国教寛容度&color(green){+2};|アイヌ民族における叙事詩の総称。&br;アイヌは文字を持たないので口承で伝えられてきた。&br;「クトネシリカ」(Kutune Shirka)が有名。&br;ユーカラの英雄ポイヤウンペの物語。&br;また、その愛刀をクトネシリカという。&br;日本ではKutune→イタドリ=虎杖と意訳され、「虎杖丸の曲」という名で広まった。| |激しい抵抗|Fierce Resistance|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|当然、和人からの侵略に対するアイヌの抵抗の事である。&br;当時のアイヌの酋長コシャマインやシャクシャインの蜂起が有名。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+15%};|| ***朝倉(Asakura)v1.24[#ASA] v1.24で専用NIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|規律&color(green){+5%};|~| |隠れた外交|Hidden Diplomacy|外交枠&color(green){+1};|おそらく朝倉氏中興の祖第7代朝倉英林孝景が行った&br;応仁の乱時の西軍から東軍への鞍替えの事を言っている。&br;朝倉英林は当初主家の斯波義廉に従い、西軍主力として活躍した。&br;しかし、将軍足利義政及び細川勝元から&br;裏で交渉し、守護権限行使の密約をもらって東軍に寝返った。&br;その後、越前守護代の甲斐氏と戦い、越前を平定、越前守護に任じられる。| |越前和紙|Echizen Paper|交易品生産量&color(green){+10%};|越前和紙は越前で製造される和紙。&br;室町期に和紙の産地が形成され、朝倉氏が保護したとされる。&br;現代においても和紙生産日本一である。&br;重要無形文化財指定。| |一乗谷の都市|Ichijodani City|開発コスト&color(green){-10%};|朝倉氏の拠点。応仁の乱にて荒廃した京より多くの公家、文人が避難したとされ、&br;華やかな京文化が開花した。北ノ京とも呼ばれた。| |朝倉宗滴|Asakura Soteki|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|朝倉宗滴は朝倉英林孝景の子であり、&br;長年に渡り朝倉氏の参謀(実質の当主とも)として活躍した。&br;本名は朝倉教景で宗滴は法名。&br;全国にその武は轟いており、加賀の一向一揆と戦った九頭竜川の戦いでは、&br;一万で三十万の軍勢と戦い、勝利している。&br;宗滴が語ったものをまとめた書「朝倉宗滴話記」も存在し、&br;「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」という部分が有名。&br;| |十七箇条の家訓|Seventeen Clan Code|正統性&color(green){+1/年};|朝倉孝景条々のこと。朝倉敏景十七箇条とも。&br;朝倉英林孝景が制定した分国法。敏景は英林孝景の別名。&br;17ヶ条からなる領内統治の家訓で分国法の初期の一例とされる。| |仏教宗派の支配|Control of Buddhist Sects|国教寛容度&color(green){+2};|越前には曹洞宗の大本山永平寺や&br;天台宗の有力寺院の平泉寺など有力な寺院がある。&br;一向宗も多く、朝倉氏は一向宗に悩まされる事となる。| |継体天皇の遺産|Legacy of Emperor Keitai|侵略的拡大&color(green){-10%};|継体天皇は第26代天皇。&br;現在の皇室は継体天皇を初代として樹立されたとする論がある。&br;継体天皇は母の故郷である越前で育ったとされ、最初は越前を統治していたとされる。&br;干拓や港を開いて産業振興を行ったとの伝承があり、越前開闢の祖とされる。&br;その後、越前から招聘されて皇位に付いた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|安定度コスト&color(green){-10%};|| ***足利(Ashikaga)v1.23[#ASK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|戦争疲弊&color(green){-0.2/月};|| |>|~|後継者誕生確率&color(green){+50%};|~| |源氏の棟梁|Head of the Genji|陸戦で得る威信&color(green){+100%};|源氏本家が断絶したのち、足利氏当主は清和源氏経基流の嫡流として武門の筆頭格の名家とみなされるようになった。| |朝廷の守護者|Defenders of the Imperial Court|正統性&color(green){+1/年};|室町幕府の仕事の一つに朝廷の保護があった。&br;朝廷行事に関する諸費用のやりくりを足利氏が受け持つ代わりに、朝廷側も様々な便宜を足利氏にはかった。| |東山文化|Higashiyama Culture|威信&color(green){+1/年};|室町幕府8代将軍・足利義政の建立した「慈照寺銀閣」に代表される文化。&br;能、茶道、華道、庭園、「わび・さび」などが生み出され、日本の伝統文化の原点を成した。| |唐船奉行|Tosen-Bugyo|国内ノード交易力&color(green){+25%};|室町幕府の役職名。中国・朝鮮・琉球との交易を司った。| |奉行衆と奉公衆|Bugyoshu and Hokoshu|顧問コスト&color(green){-15%};|奉行衆は文官官僚集団のこと、奉公衆は武官官僚集団のことである。| |幕府直轄地|The bakufu Chokkatsuchi|税収&color(green){+15%};|| |将軍- 守護制の改革|Reform the Shogun - Shugo System|属国収入&color(green){+25%};|v1.23で名前のスペルミスが修正(Shogu→Shugo)された。| |~|~|属国からの扶養限界ボーナス&color(green){+100%};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| ***尼子(Amago)v1.25[#AMA] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|インフレ削減&color(green){+0.1/年};|| |>|~|陸軍維持費&color(green){-5%};|~| |近江源氏|Omi-Genji|陸軍伝統低下&color(green){-1%/年};|宇多源氏源成頼の子孫で、代々近江の守護として勢力を持った佐々木氏の一族を指す。&br;尼子氏は佐々木氏の流れを組む京極氏の分家。| |出雲守護|Izumo Shugo|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|出雲守護は室町以降代々京極氏が世襲しており、尼子氏はその守護代であったが、&br;京極氏の衰退により晴久の代で出雲守護となる。| |要塞化された城群|Fortified Strongholds|要塞防御&color(green){+15%};|尼子氏の本城である月山富田城は堅城として名高い。&br;また、本城を取り囲む10の支城は尼子十旗と呼ばれ、月山富田城の守りを更に強固とした。| |十勇士|Ten Brave Warriors|陸軍士気&color(green){+10%};|山中鹿介を筆頭とした尼子十勇士のことを指す。| |沿岸交易の支配|Dominate the Coastal Trade|州からの交易力&color(green){+10%};|戦国時代、瀬戸内海は海賊が横行していたため、山陰への寄港も多かった。&br;山陰の重要な港である美保関港は尼子氏が押さえており、鉄交易により莫大な利益を得ていた。| |杵築|Kizuki|国教寛容度&color(green){+2};|杵築大社は、出雲大社のこと。&br;明治に入るまで出雲大社は杵築大社と呼ばれていた。出雲国一宮(出雲国で一番格の高い神社)。| |石見銀山|Iwami Ginzan|交易品生産量&color(green){+10%};|世界遺産にも認定された日本最大の銀山。&br;世紀前半の最盛期には世界の産出銀の約3分の1を占めていたと言われる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***安東(Ando)v1.23[#AKT] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|交易効率&color(green){+10%};|| |>|~|輸送船コスト&color(green){-20%};|~| |秋田への行軍|March of Akita|被白兵ダメージ&color(green){-15%};|秋田(飽田)は、古来より蝦夷に対する抑えの拠点であり、秋田には専当の国司(秋田城介)があてられた。&br;安東氏は室町以来秋田城介を名乗っている。| |アイヌ交易|Ainu Trade|首都ノード交易力&color(green){+20%};|安東氏やその従属下にあった蠣崎氏はアイヌとの交易で利益を上げていた。| |一族の統一|Clan Unification|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|安東氏は鎌倉以来、湊を拠点とした上国安東氏と檜山を拠点とした下国安東氏に分裂していた。&br;16世紀半ばの愛季により両者は統一される。| |貿易の拡大|Trade Expansion|商人&color(green){+1};|江戸時代、蝦夷の渡島郡は、大半が米の収穫のない土地であった&br;その為、領有する蠣崎氏改め松前氏は、石高知行ではなく、&br;蝦夷地(アイヌの土地)の特定区域を商場(あきないば)と称してアイヌとの交易権を知行として与えた。&br;この商場は次第に広がり、1679年のシャクシャイン蜂起の頃には北海道全域にあった。&size(10){&br;※松前氏は豊臣政権時には、安東氏より独立しているが(ゲーム上でも渡島は1590.8.10より安東から織田の州になり、その後、徳川の州となる)、&br;松前氏中興の祖である蠣崎信広は安東氏の娘と婚姻しており、その子が次の当主となっているので、松前氏を安東氏の一族としているのであろう。};&br;&size(6){%%決してパラド社が適当に調べて間違えた訳でも、安東氏について7つも思いつかなかった訳ではない。%%};| |他文化の統合|Integration of Other Cultures|文化転向コスト&color(green){-15%};|安東氏配下だった蠣崎氏は、アイヌの棲み処であった蝦夷の沿岸を徐々に和人が住む地域へと変えていった。&br;v1.23で名前が一部修正(other→Other)された。| |奥州の日之本将軍|True Shogun of Oshu|規律&color(green){+5%};|15世紀、下国当主康季は若狭国羽賀寺の再建の勅令を受けた際、&br;奥州十三湊日之本将軍と称し、天皇もその呼称を認めていた。| |養子制|Adoption System|後継者誕生確率&color(green){+50%};|安東氏の後身の秋田氏は江戸時代に三春藩を治めたが、藩主11代のうち4人が養子である。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|植民地人口増&color(green){+15};|| ***彝(Yi)v1.22[#CYI] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|| |>|~|要塞防御&color(green){+20%};|~| |彝族のカースト制強化|Strengthen the Yi Caste System|安定度コスト&color(green){-10%};|彝(イ)族には厳しい階級制があり、5層に分かれる。&br;支配層と奴隷層があり、それぞれ黒彝、白彝と呼ばれる。&br;最上位に族長の階層でもある「茲莫」(ヅモ)。&br;次に奴隷主の「諾」(ノホ)。ここまでが黒彝で人口の約7%を占める。&br;以下は、白彝で一般層の「曲諾」(チュソ)。&br;その下は奴隷とされる「安家(瓦加とも)」(ワチャ)。&br;最後に家内奴隷の「呷西」(ガシ)である。| |山中の奥|Deep in the Mountains|敵損耗&color(green){+1};|彝族は中国王朝と戦いながら南進し、四川や雲南の深い山奥に籠った。| |茲莫領域の繋がり|Chain of Zimo Domains|増援速度&color(green){+15%};|茲莫(ヅモ)は、彝族の族長のこと。| |彝族の太陽暦|Yi Solar Calendar|税収&color(green){+10%};|彝族は十月太陽暦という暦法を昔から使用していた。&br;この暦法は一年を十ヶ月に分け、毎月三十六日があり、合計360日、5~6日を過年日とした。&br;地球が太陽を一周する時間は365.25日と精確に計算している。&br;世界中のどんな古代暦法よりも正確な歴法であった。| |ピモ主義の促進|Promote the Bimoism|国教寛容度&color(green){+2};|ピモ(Bimo)は、彝族における司祭的役割を果たす宗教職能者のこと。| |天墓の修復|Renovate the Skyward Tombs|正統性&color(green){+1/年};|彝族の墓には、「向天墓」と呼ばれる彝族漢族折衷のピラミッド型墳墓がある。| |~|~|信心&color(green){+1/年};|~| |黒虎の子孫|Children of the Black Tiger|陸軍士気&color(green){+10%};|中国の民族には、虎を始祖とする民族がいくつか見られ、&br;彝族も黒虎を始祖とする伝承が残っている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源回復速度&color(green){+10%};|| ***一色(Isshiki)v1.22[#ISK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|外交枠&color(green){+1};|| |>|~|守備兵数&color(green){+25%};|~| |丹後守護|Shugo of Tango|首都ノード交易力&color(green){+10%};|明徳の乱で功を上げた一色満範が丹後守護に任じられて以降、細川忠興に滅ぼされるまで200年近く丹後を支配した。| |侍所所司|Minister of Samurai-Dokoro|不穏度&color(green){-1};|侍所は、鎌倉幕府と室町幕府において、軍事・警察を担った組織。所司はそのリーダー。&br;室町においては赤松氏、一色氏、京極氏、山名氏(四職)が交代で所司を務めた。| |天橋立|Bridge of Heaven|外交評判&color(green){+1};|天橋立(あまのはしだて)は、京都府北部の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て、&br;全長3.6キロメートル及ぶ湾口砂州。日本三景の一つ。&br;古代より奇勝・名勝として知られ、平安時代の百人一首にも登場する。| |旧領地の奪還|Reclaim Old Territories|請求権捏造コスト&color(green){-25%};|一色氏は室町幕府の成立以来、代々丹後守護を務め本拠地としてきたが、&br;6代将軍足利義教の命で一色義貫が暗殺されると、守護職は若狭守護武田氏に与えられてしまい、大きな打撃を受けた。&br;これ以降一色氏は丹後の奪還を目指して武田氏と激しく争った。| |稲富流砲術|Inadome Gunnery|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|一色氏の家臣であった稲富祐直を開祖とする鉄砲術。&br;祖父稲富祐秀が鉄砲名人・佐々木義国に学んで認可を得た砲術を受け継ぎ、編み出したとされる。| |道路網の改良|Upgrade the Road Network|移動速度&color(green){+15%};|| |港の拡張|Expand our Ports|開発コスト&color(green){-10%};&br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| ***伊東(Ito)v1.23[#ITO] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|諜報網構築力&color(green){+20%};|| |>|~|守備兵増加速度&color(green){+25%};|~| |御家人の家柄|Gokenin Family|威信&color(green){+1/年};|御家人とは、鎌倉幕府の将軍と主従関係を結び従者となった武士のこと。伊東氏は「曽我兄弟の仇討」で討たれた御家人・工藤祐経の子・伊東祐時を祖とする。| |伊東領の統一|Unify the Ito Domain|無償指揮官枠&color(green){+1};|伊東氏は南北朝統一の頃には日向国中央部を支配していたが、&br;南部には日向守護である島津氏が支配していた。また、北部には土持(つちもち)氏が支配しており、&br;土持と伊東の両者は初めは確執は少なかったものの伊東が次第に勢力に伸ばすに連れ確執が表面化、&br;土持が島津と同盟を結んだことがきっかけにより、1456年に戦端が開かれ、&br;以来1577年の伊東義祐が日向を追われるまでの約100年間抗争を繰り広げた。| |天孫降臨の地|Land of God's Landing|侵略的拡大&color(green){-10%};|日本神話では、天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、高天原から日向国の高千穂峰へ天降ったとされる。&br;邇邇藝命の曾孫が初代神武天皇とされる。| |反守護運動|Anti-Shugo Movement|コア化コスト&color(green){-10%};|室町時代の日向守護は島津氏であり、伊東氏と島津氏は日向国の領有を巡り、対立。&br;1397年島津氏久の清武城の攻撃から1577年の伊東義祐が日向を追われるまでの約200年間抗争を続けた。| |~|~|州獲得に必要な戦争点コスト&color(green){-5%};|~| |四十八の城砦網|Network of Forty-Eight Fortifications|要塞防御&color(green){+20%};|伊東氏最盛期は日向一帯を支配したが、その際、本城である佐土原城、都於郡(とのこおり)城を含む&br;48の支城、砦により領地を治めた。伊東四十八城として知られる。| |新信仰への共鳴|Sympathy for New Faiths|異教寛容度&color(green){+2};|新信仰とはキリスト教のこと。伊東氏一族の伊東マンショは落ち延びた豊後で受洗。&br;1582年には天正遣欧少年使節の主席正使、大友宗麟の名代としてローマへ出発。&br;ローマ法王との謁見を果たし、後年司祭に叙任されている。&br;v1.23で名前が一部修正(new→New)された。| |林業の開発|Development of Forestry|建造物コスト&color(green){-10%};|江戸期に伊東氏を藩主とする飫肥(おび)藩は山に囲まれ耕地が少なかった為、財政が窮乏していた。&br;飫肥藩2代藩主祐慶は対策として杉の植林事業を興したとされる。&br;植林された杉は飫肥杉とよばれ、建築や造船用の木材として重宝された。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易品生産量&color(green){+10%};|| ***今川(Imagawa)v1.23[#IMG] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|| |>|~|規律&color(green){+5%};|~| |将軍職の資格|Claim to the Shogunate|関係改善&color(green){+10%};|今川氏は足利将軍家の親族である吉良家の分家であり、&br;「御所(足利将軍家)が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ」と言われていたように、&br;足利宗家の継承権を有していたとされる。| |~|~|請求権捏造コスト&color(green){-25%};|~| |東海道の支配|Control of Tokaido|交易効率&color(green){+10%};|義元の晩期には駿河から、遠江・三河・尾張・伊勢を結んで東海道の交易を支配した。| |今川の歴史|History of the Imagawa|アイデアコスト&color(green){-10%};|九州探題を務めた一族の今川了俊の著作『難太平記』のこと。&br;足利氏の歴史とともに今川氏の歴代の活躍を記述した。| |改定された家法|Revised Clan Laws|不穏度&color(green){-1};|9代当主氏親(1473~1526)が制定した家法「今川仮名目録」を、&br;11代当主義元(1519~1560)が補訂を行っている。&br;「今川仮名目録」は東国最古の分国法(戦国大名が統治のため制定した法のこと)とされる。| |三国同盟|Triple Alliance|外交枠&color(green){+1};|1554年に結ばれた武田氏、北条氏、今川氏間の同盟のこと。&br;一般にそれぞれの領地の頭文字をとって甲相駿三国同盟といわれる。&br;v1.23で名前のスペルミス(Tripple)は修正された。| |富士山の影|In the Shadow of Mount Fuji|威信&color(green){+1/年};|富士山は、標高3776mの日本最高峰の山。&br;古来より霊峰とされ、修験道の霊場であった。&br;また、古代では富士山は駿河国のものであるとされ、万葉集や竹取物語においても、&br;「駿河なる富士の高嶺」「駿河の国にあるなる山なむ」という表現が広くみられる。| |上洛|March to Kyoto|コア化コスト&color(green){-10%};|11代当主義元は、天下への号令を示すため、京都を目指したとされる(※上洛自体を否定する説もある)。&br;その道中、進軍の妨げとなった織田家と抗争となり、「桶狭間の戦い」により義元は討ち取られ、上洛は幻となる。| |~|~|不当な要求&color(green){-10%};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|正統性&color(green){+1/年};|| ***上杉(Uesugi)v1.22[#UES] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|軍事伝統減少&color(green){-1%/年};|~| |関東管領|Kanto Kanrei|外交枠&Color(green){+1};|関東管領は、鎌倉府長官の鎌倉公方を補佐する役職。関東統治におけるNo.2。&br;上杉家は関東管領を独占し、事実上関東十州を支配した。| |山内家と扇谷家|Yamanouti and Ogigayatu Branches|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|上杉家の主要な分家に山内家と扇谷家があり、戦国時代前期には関東で大きな影響力を持った。| |鎌倉府|Kamakura Office|増援コスト&color(green){-25%};|鎌倉は頼朝以来、関東における政治拠点として最重要拠点であった。&br;鎌倉公方や関東管領はこの権威を利用して坂東の武士を従えた。| |越後の竜|Dragon of Echigo|陸軍士気&color(green){+10%};|言わずと知れた上杉謙信のこと。越後の虎とも。戦国期において謙信とその配下の軍はほぼ無敗を誇った。| |軒猿衆|Nokizaru|諜報網構築&color(green){+20%};|軒猿とは越後における忍者集団で、その情報網は上杉家の軍事的覇業を助けた。| |阿賀北衆|Agakita-shu|規律&color(green){+5%};|揚北衆とも。越後の北部、頼朝以来阿賀川以北に住まう豪族たちの総称。&br;独立性が非常に高く、謙信ですらその扱いに苦慮したが、一方で精強であった。| |伝国の辞|Denkoku no ji(注)|アイデアコスト&color(green){-10%};|米沢藩中興の祖、上杉鷹山が次代藩主治広に示した藩主としての心得。以後、幕末まで上杉家で受け継がれた。&br;『一、国家は先祖から子孫に伝えるところの国家であって、自分で勝手にしてはならない』&br;『一、人民は国家に属している人民であって、自分で勝手にしてはならない』&br;『一、国家と人民のために存在、行動する君主であって、君主のために存在、行動する国家や人民ではない』&br;(注)EU4の画面では「Denoku no ji」となっているが、脱字だと思われる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***宇都宮(Utsunomiya)v1.22[#UTN] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|建造物コスト&color(green){-10%};|| |>|~|陸軍伝統低下&color(green){-1%/年};|~| |藤原氏の末裔|Fujiwara Descendant|外交官&color(green){+1};|宇都宮氏は、藤原北家の関白藤原道兼の曾孫宗円を祖とすると言われている。| |那須与一の遺産|Legacy of Nasu no Yoichi|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|那須与一は、源平合戦時に活躍した武将で、弓の名手として知られる。&br;与一とは十一男を意味する通称(実際那須与一は十一男)で、名を資隆する。&br;「平家物語」の「扇の的」の話が有名。なお、那須氏は下野国豪族として、戦国末期まで存続した。&br;宇都宮氏3代朝綱の子寄資が那須氏の養子となり、那須氏4代当主となったとされたり、&br;宇都宮氏と那須氏が下野国の領有を争って度々干戈を交えたりと、縁は深い。| |白河の障壁|Barrier of Shirakawa|首都ノード交易力&color(green){+15%};|白河の関のこと。奥州三関の一つに数えられる関所で、都から陸奥国に通じる。&br;東山道の要衝に設けられた関門として名高い。&br;現代でも、東北より北を「白河以北」という表現が残っており、東北と関東の境界として度々用いられる。| |西日本の分家|Cadet Branches in Western Japan|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|宇都宮の分家には、豊前、筑後、伊予と西日本で大きな力を持つ勢力となった一族がいる。| |下野国の統一|Unify the Shimotsuke Lands|人的資源&color(green){+20%};|宇都宮氏は下野国内部に那須氏他多くの国人衆と下野国の領有を争った。&br;特に鎌倉以来の下野守護である小山(おやま)氏とは、室町以降、何度も激闘を繰り広げた。| |関東の調停者|Mediator of Kanto|侵略的拡大&color(green){-10%};|十七代当主宇都宮成綱が出ると、宇都宮氏は近隣の争いに介入して、&br;影響力を高めていき、ついには北関東の覇権を握る事となった。| |日光山|Mount Nikko|異端寛容度&color(green){+2};|日光山は、現日光の山岳群、特にその主峰である男体山を信仰対象とする山岳信仰の修験道であった。&br;古来より神仏習合(神道と仏教が混淆し、1信仰として再構成された現象)が発展した地として有名。&br;江戸幕府を開いた徳川家康が亡くなった際、日光山に霊廟が建てられ、東照大権現として祀られた。&br;その霊廟が日光東照宮であり、日光二荒山神社等と共に世界遺産に認定された。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};|| ***大内(Ouchi)v1.23[#OUC] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|不穏度&color(green){-1};|| |>|~|艦船関連コスト&color(green){-10%};|~| |百済の直系|Descendant of Baekje|外交評判&color(green){+1};|百済(くだら、ペクチェ)は、古代の朝鮮半島南西部にあった国家。&br;百済の聖明王の王子である琳聖太子が周防国多々良浜に着岸し、&br;その子孫が同国大内村に住み、以来、姓を多々良、氏を大内としたといわれている。| |朝鮮交易|Korean Trade|首都ノード交易力&color(green){+20%};|室町時代、朝鮮との交易は、対馬の宗氏が統制していたが、大内氏は朝鮮と直接取引を行っていた&br;。絹や扇子、刀剣など美術工芸品を輸出し、朝鮮人参、虎皮、豹皮、経典を輸入し、多大な利益を得た。| |海賊からの保護|Protect Against Piracy|海軍士気&color(green){+15%};|室町時代、倭寇が横行し、明や朝鮮との交易の妨げとなっていた。&br;大内氏はこの倭寇の取り締まりを行い、結果、明や朝鮮との交易を独占した。&br;v1.23で名前が指摘されないと分からないレベル(against→Against)で修正された。| |博多商人|The Merchants of Hakata City|商人&color(green){+1};|博多港は、堺と並ぶ当時の一大交易港であり、その博多を大内氏が押さえていた。&br;堺商人と細川氏、博多商人と大内氏が対明貿易において対立し、1523年に寧波の乱が起こる。&br;結果、大内氏と博多商人は対明貿易を独占し、多大な利益を得ることとなる。| |商業外交|Mercantile Diplomacy|交易誘導&color(green){+15%};|大内氏は朝鮮や明との交易に関し、独占を果たしており、&br;しばしばその権益を外交のカードとして利用していた。| |西洋人を歓迎|Welcome the Westerners|異端寛容度&color(green){+1};|1551年31代当主義隆は、宣教師フランシス・ザビエルと引見し、&br;望遠鏡、置時計、眼鏡などを献上され、山口にキリスト教の布教を許している。| |~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~| |郎党派閥|Retainer Factions|顧問コスト&color(green){-10%};|31代当主義隆の時代、家中は陶隆房を筆頭とした武断派と相良武任を筆頭とする文治派に分裂していた。&br;この分裂が後に陶隆房が謀反を起こした大寧寺の変を起こし、大内氏は大名として滅亡する。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%};|| ***大友(Otomo)v1.22[#OTM] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|税収&color(green){+10%};|~| |一族の結束|Unite the Clans|人的資源&color(green){+20%};|大友氏は初代能直が源頼朝に豊後守護を与えられた。&br;その後数代の間で、戸次氏、立花氏、田原氏、一万田氏、入田氏など数多くの庶子家に別れた。&br;この一族庶子が室町・戦国期、大友宗家の有力家臣化していった。| |豊後の支配者|Lord of Bungo|交易品生産量&color(green){+10%};|鎌倉以来、豊後守護は大友氏が世襲した。&br;大友氏が豊後守護であることは、室町幕府が崩壊するまでの約350年続いた。| |忠臣|Loyal Retainers|規律&color(green){+5%};|1578年に耳川の戦いにおいて、島津氏に大敗して以降、&br;凋落の一途を辿り、周辺豪族は次々に離反を起こす。&br;しかし、家中には変わらず大友氏を支え続けた家臣も多くおり、&br;立花道雪、高橋紹運、立花宗茂などが有名である。| |南蛮貿易の歓迎|Welcoming the Nanban Trade|首都ノード交易力&color(green){+15%};|南蛮はポルトガル人のこと。&br;1543年にポルトガ船が到来して以来、主に九州の大名でポルトガルとの貿易が活発となった。&br;大友氏も例外なく、府内港にポルトガル船を来航させ、&br;マカオを拠点としたポルトガル商人と積極的に貿易を行った。| |キリスト教への改宗|Christian Converts|宣教師&color(green){+1};|第21代当主宗麟義鎮は、1551年にフランシスコ・ザビエルと引見して以来、&br;キリスト教へ傾倒し、領内の布教活動を保護した。&br;自身も洗礼を受け、ドン・フランシスコと名乗った。&br;キリスト教へ改宗した大名はキリシタン大名と呼ばれ、&br;宗麟義鎮はキリシタン大名の代表格である。| |~|~|教皇影響度&color(green){+1/年};|~| |天正少年使節|Tensho Embassy|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|1582年に九州のキリシタン大名の名代として少年を中心としてローマへ派遣した使節団。&br;第21代当主宗麟義鎮も名代として伊東マンショを派遣した。&br;帰国時、活版印刷を持ち帰り、日本語書物の活版印刷が初めて行われた。| |国崩し|Kunikuzushi|攻囲能力&color(green){+10%};|第21代当主宗麟義鎮は1576年にポルトガルよりフランキ砲を輸入した。&br;このフランキ砲は国崩しと名付けられ、日本最初の大砲とされる。&br;島津氏の豊後侵攻の際、宗麟義鎮は臼杵城に籠城し、使用したとされる。&br;その巨大な砲弾と威力で敵の島津軍を驚かせ、島津軍撤退まで守りきる一因となった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|砲兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***小笠原(Ogasawara)v1.22[#OGS] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|敵損耗&color(green){+1};|~| |信濃守護|Shinano-Shugo|要塞防御&color(green){+20%};|小笠原氏は代々信濃守護を任された。| |諏訪大社|Suwa Taisha|威信&color(green){+1/年};|長野県の諏訪湖周辺に二社四宮の境内がある神社で、信濃国一宮(信濃国で一番格の高い神社)。&br;日本最古の神社の1つといわれ、周囲四隅には、御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が建てられていることが特徴。&br;6年に一度行われる御柱祭が有名で、御柱を更新する行事。&br;特に御柱に人が乗ったまま坂へ御柱を落とし滑る「木落し」は圧巻である。| |木曽馬|Kiso-uma|生産効率&color(green){+5%};|木曽を中心に飼育される日本在来種の馬。&br;馬としては小型で足も遅いが、非常に丈夫で急な山道を登る力に長けている。&br;山に覆われ険しい山道も多いまさに日本向けの馬といえる。| |~|~|騎兵戦闘力&color(green){+5%};|~| |郡の統一|Unification of the Kori|人的資源&color(green){+15%};|信濃国は郡が10あり、最も郡が多い国であった。&br;その為、信濃守護である小笠原氏の他にも多くの国人衆が存在した。| |小笠原流|Ogasawara-ryu|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|小笠原流とは、有職故実(ゆうそくこじつ、古来の先例に基づいた慣習や儀式などのこと)の流派。&br;小笠原流弓馬術礼法等があり、室町時代中期以降、小笠原氏が武家社会における&br;故実の指導的存在となったことから、同家の故実が武家に重んじられた。| |中山道の改善|Improving the Nakasendo|交易力&color(green){+10%};|江戸時代に、中山道が整備されると人々の往来が活発となった。| |善光寺|Zenko-ji|国教寛容度&color(green){+2};|長野市にある無宗派の単立寺院。。本尊の一光三尊阿弥陀如来は日本最古と伝わる。&br;江戸時代末にはお伊勢参りと共に善光寺参りが流行り、&br;「遠くとも一度は詣れ善光寺」「牛に引かれて善光寺参り」と言われるようになった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***織田(Oda)v1.24[#ODA] v1.24で1444GC開始時から選択できるようになり、合わせて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |楽市楽座|Rakuichi & Rakuza|交易品生産量&color(green){+10%};|信長により行われた施策。&br;当時は市には市場税や営業税がかかり、&br;座(商工業組合のようなもの)は専売権を持つなど&br;既得権益を多く占め、独占を行ってきたが、&br;そのような税や専売権を撤廃し自由化を行うことで、&br;経済を活発化させた。&br;信長が行った事で有名だが、六角氏や今川氏の方が先に行ったという話もあったりする。&br;なお、以降のNIも全て信長絡みで他どこいった状態だけどまあ仕方ないよね。| |天下布武|Tenka Fubu|コア化コスト&color(green){-10%};|信長が美濃を攻略し、岐阜と改名したあたりから使用された言葉。&br;「天下に武を布く」の意味で、日本統一の意思表示と捉えられている。&br;信長の師とも言える沢彦の進言とも言われる。&br;信長はこの言葉を印章として使用した。&br;なお、布武の部分は色々と解釈があり、単純に「武力で統一する」や&br;「七徳の武」から来る「太平の世を作る」という解釈や、&br;礼儀作法の書「礼記」の「堂上布武」からの「歩く」という解釈もあり、幅広い。| |~|~|州獲得に必要な戦争点コスト&color(green){-10%};|~| |織田家の司令官|Oda Generals|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|多分、信長が有力家臣に方面軍を任せた事を言っている。&br;羽柴(豊臣)秀吉が中国方面、柴田勝家が北陸方面、&br;滝川一益が関東方面等、各地方の軍団長を任せ、多方面に渡って諸大名を制圧していった。| |権勢ある要塞|Influential Strongholds|指揮官包囲&color(green){+1};|安土城のこと。近江(滋賀県)の琵琶湖東岸に位置した信長の居城。&br;1576年より3年の月日をかけ築城された。&br;当時最大級の天守を持っていたが、本能寺の変後に焼失したとされる。| |三段撃ち|Triple Firing|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|1575年に織田・徳川連合軍対武田軍の長篠の戦いで&br;織田軍が行ったとされる鉄砲の運用法。&br;当時の鉄砲は発射までに時間を要するという弱点を補う為、&br;隊列を三段に組み、発射後に隊列を入れ替えて間断なく発射したとされるが、&br;最近では役割分担で鉄砲だけ入れ替えたとするのが定説となりつつある。&br;なお説明文では” allowing one to fire while two others reload”と、どちらにもとれる表現になっている。| |西方の後援|Patronization of the West|技術コスト&color(green){-5%};|ここの西方はキリスト教の事。&br;信長はキリスト教を保護し、布教を許した。&br;一般に既存の仏教が嫌いで牽制目的と言われるが、&br;嫌っていたのは既得権益や腐敗した僧と思われ、寺社への寄進は結構している。&br;なので、南蛮技術の取得や貿易目的だったという説もある。| |検地|Kenchi|人的資源&color(green){+20%};|検地は、田畑の面積と収穫量の調査のこと。北条や武田など有名所の戦国大名も行っているが、&br;中央から全国的に検地を行ったのは信長が初めてとされる。&br;ただ、信長の時代の検地は自己申告制の指出検地であったとされ、&br;その後に秀吉が行った役人を遣わせ実測するという検地(太閤検地)とは違ったようである。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};|| ***菊池(Kikuchi)v1.22[#KKC] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|連隊雇用コスト&color(green){-10%};|| |>|~|不当な要求&color(green){-25%};|~| |名門|Distinguished Family|不穏度&color(green){-1};|平安時代中期に刀伊(女真族)の入寇を撃退した大宰帥藤原隆家を祖とする菊池氏は鎌倉幕府の御家人となり、&br;元寇の際にも大いに武功を挙げた。&br;15代当主・武光は南朝方の有力武将として一時九州を制圧する勢いを示した。| |火の国|Land of Fire|威信&color(green){+1/年};|古くは、肥前、肥後は火山が多いことから火国と称されていた。&br;「火の国」とも呼ばれ、転じて「肥の国」となったのち、&br;前・後に分けられ「肥前」「肥後」となった。| |阿蘇神社|Aso Shrine|正統性&color(green){+1/年};|肥後国一宮(肥後国で一番格の高い神社)。阿蘇神社大宮司を世襲した阿蘇氏は菊池氏、相良氏に並ぶ大豪族であった。| |領土の要塞化|Fortify the Domain|陸軍士気&color(green){+10%};|| |宗教の共存|Religious Coexistence|異端寛容度&color(green){+1};|肥後は、戦国時代や安土桃山時代に、仏教や神道、キリスト教などの宗派が見られた。| |~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~| |三家老|Three Chief Retainers|自治度変化&color(green){-0.05/月};|菊池氏の重臣である赤星氏、城氏、隈部氏は三家老と称された。| |拠点の中心|Central Stronghold|要塞防御&color(green){+15%};|菊池市家臣の鹿子木氏が建てた隈本城を、&br;豊臣政権時代に北肥後を領主とした加藤清正によって改修された城が熊本城である。&br;熊本城は、肥後が細川氏の統治に変更された後も細川氏の本拠となり、改修が続いた。&br;明治時代に起こった西南戦争では、官軍が熊本城に立て篭もり、&br;薩軍は強襲を行ったが、遂に落ちることなく、難攻不落の堅城と名を馳せた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|外交枠&color(green){+1};|| ***北畠(Kitabatake)v1.24[#KTB] v1.24で追加された新規国家の専用NI。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|不穏度&color(green){-1};|| |>|~|分離主義年数&color(green){-5};|~| |伊勢の統一|Unification of Ise|税収&color(green){+10%};|北畠氏は村上源氏中院家庶流で公家である。&br;第5代北畠顕能が建武政権期に伊勢国司を任じられて以後、伊勢に定着、武家化していった。| |天照の祝福|Blessing of Amaterasu|国教寛容度&color(green){+2};|天照は天照大神の事で、日本の総氏神。&br;太陽を神格化した神で天岩戸の神隠れで有名。&br;伊勢にある伊勢神宮はこの天照大神を祭神とする。&br;第4代北畠親房は伊勢神宮外宮の神官の渡会家行の支援を受けたり、&br;内宮と外宮の対立に巻き込まれたりと色々と縁は深い。| |天皇の後援者|Supporters of the Emperor|外交評判&color(green){+1};|北畠氏は南朝後醍醐天皇の忠臣であり、&br;第4代北畠親房は後醍醐天皇亡き後、南朝の軍事的指導者となった。&br;また、第7代北畠満雅は南北朝合一後、約定を違えて&br;北朝が天皇位の独占を行った際はそれに反発し、挙兵した。| |九鬼水軍|Kuki Suigin|ガレー戦闘力&color(green){+20%};|伊勢国の隣国志摩国を本拠とした九鬼氏に率いられた水軍衆。&br;織田信長に仕えた九鬼嘉隆が有名で嘉隆により志摩一国を平定、領有を認められ、&br;その後は織田軍の水軍衆として伊勢長島の戦いや木津川口の戦いで活躍した。&br;特に木津川口では鉄甲船を開発、毛利水軍に大勝した事で有名。&br;江戸期には大名として存続、明治を迎える事となる。&br;北畠氏と関係ないように思えるが、信長に仕える前は一応北畠氏に仕えていた。| |上流の人|Men of Quality|君主と同一文化の顧問コスト&color(green){-20%};|上記に書いた通り、北畠氏は公家であり、&br;武家化した後も代々公卿(三位以上の貴人や参議の官)に登っている。| |伊賀流|Iga-Ryu|諜報網構築力&color(green){+20%};|伊賀流は、伊勢の隣国伊賀国に伝わっていた忍術流派。&br;甲賀と並ぶ最も有名な忍術流派。&br;服部・百地・藤林の上忍三家に代表される多くの著名な忍者を輩出している。| |北畠顕家の行軍|March of Kitabatake Akiie|移動速度&color(green){+15%};|北畠顕家は第4代北畠親房の長男、第5代北畠顕能の兄。&br;父と共に建武の新政の補佐を行った。&br;その際、陸奥国へ下向、東北統治を任される。&br;後に室町幕府を興す足利尊氏へ朝廷より追討令が下ると挙兵、&br;京へ進軍し、道中の敵に対し連戦連勝、尊氏の軍も2度破り、九州へ敗走させた。&br;この際の行軍は600kmを16日間という脅威の速度で進軍したとされ、&br;豊臣秀吉の中国大返し(200kmを10日間)よりも早い進軍速度であった。&br;その後、尊氏が九州にて勢力を回復し帰還した際も挙兵、京へ進軍したが、&br;味方との連携に失敗したのもあり次第に劣勢となり、遂には21歳の若さで討ち取られた。&br;絶世の美男子だったとされる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍士気&color(green){+10%};|| ***元(Yuan)v1.23[#YUA] v1.21より条件を満たすことで、元にformすることができるようになった。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+25%};|| |>|~|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|~| |大哉乾元|Dai Zai Qian Yuan|コア化コスト&color(green){-25%};|「大哉乾元」とは、『易経』の注釈部分の<彖傳>にある一文。&br;「万物をつくりだす天の原理とはなんと偉大なものか!」という意味。&br;大元の始祖、クビライ・カーン(フビライ・ハン)は&br;ここから「大元」の国号を制定したとされる。| |神聖で魅惑的で野蛮な王国|&size(12){A Savage Kingdom Holy and Enchanted};|陸軍士気&color(green){+10%};|元ネタは、18世紀のイギリス詩人サミュエル・テイラー・コールリッジが書いた&br;三大幻想詩の1つ「クーブラカーン」の一節&br;「A savage place! as holy and enchanted」&br;と思われる。「クーブラカーン」は大元初代皇帝クビライ・カーンのこと。&br;また、詩に出てくる「Xanadu(ザナドゥ)」は、&br;クビライが今の北京に造営した都「上都」のことで、&br;後世では、Xanaduは幻想的な楽園(桃源郷)の代名詞として使用される。| |三教九流の厚遇|&size(12){The Three Teachings and Nine Schools All Respected};|技術コスト&color(green){-10%};|三教は、儒教・仏教・道教のこと。&br;九流は、儒家・道家・陰陽家・法家・名家・墨家・縦横家・雑家・農家の九学派のこと。&br;大元は宗教については寛容であった。| |ケシクと衛軍|Keshik and Weijun|与白兵ダメージ&color(green){+10%};|ケシクはモンゴル側の、衛軍は中国側の親衛隊のこと。| |家のように1000マイル|A Thousand Miles As If At Home|使節の移動時間&color(green){-10%};|大元の前身であるモンゴル帝国の頃より、道路網が発達した。&br;大元時代は、「ジャムチ」と呼ばれたいわゆる駅伝制があり、&br;主要道路に10里ごとにおかれる宿駅が置かれ、宿と人馬を提供した。&br;駅伝を利用する公用の旅行者は、通行手形として牌符を携行し、&br;シャムチを自由に利用することができた。&br;v1.23で名前が地味に修正(As If At→as if at)された。| |~|~|移動速度&color(green){+15%};|~| |支那-モンゴル政権|Sino-Mongol Administration|統治効率&color(green){+5%}; |支那は中国のことで、大元の皇帝は、&br;モンゴル帝国の皇帝であり、中華皇帝でもあった。| |パクス・モンゴリカ|Pax Mongolica|交易品生産量&color(green){+10%};|パクス・モンゴリカは、パクス・ロマーナから派生した言葉で、&br;13世紀から14世紀に渡りユーラシア大陸を支配した&br;モンゴル帝国の覇権による平和で安定した時代を指す。&br;陸路・海路ともに交易が活発になり、経済活動は更なる発展を遂げることとなる。&br;一方で、14世紀のペストの大流行は、モンゴル帝国の時代にユーラシア大陸を&br;横断する広大なネットワークが形成されたことが原因の1つとも言われる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|領有可能ステート数&color(green){+5};|| ***河野(Kono)v1.23[#KNO] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| |>|~|海軍伝統&color(green){+1/年};|~| |伊予守護|Shugo of Iyo|海軍扶養限界&color(green){+25%};|河野氏は代々伊予守護を司った。| |~|~|水兵維持費&color(green){-5%};|~| |分家候補の統合|Integration of Cadet Branches|ガレーコスト&color(green){-20%};|東予には、分家である予州家があり、長く惣領の座を狙っていた。| |大山祇神社|Oyamazumi Shrine|海軍士気&color(green){+20%};|伊予国一宮(伊予国で一番格の高い神社)。| |湯築城|Yuzuki Castle|自治度変化&color(green){-0.05/月};|河野氏の本拠| |内海の支配|Rule Over the Inland Sea|ガレー戦闘力&color(green){+15%};|瀬戸内海を東西に移動するうえで、河野氏は避けて通れない。&br;v1.23で名前が地味に修正(over→Over)された。| |アジア大陸との交易|Trade With Continental Asia|交易範囲&color(green){+20%};|v1.23で名前が地味に修正(with→With)された。| |村上水軍|Murakumi Suigun|私掠効率&color(green){+20%};|村上水軍は、日本中世の瀬戸内海を拠点に活動した水軍衆、海賊衆である。&br;能島、来島、因島の3家が存在し、その内、来島が河野氏の配下となったが、&br;独自勢力としての動きもしており、従属関係とも言えない状態であった。&br;1588年に海賊禁止令が出され、海賊行為ができなくなった。&br;江戸期では来島は1大名となり、能島と因島は毛利家家臣となった。| |~|~|敵船捕獲確率&color(green){+10%};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%};|| ***佐竹(Satake)v1.22[#STK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍扶養限界&color(green){+25%};|| |>|~|戦争疲弊&color(green){-0.02/月};|~| |常陸源氏|Hitachi Genji|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|常陸源氏は、源新羅三郎義光を祖とする。武田氏に代表される甲斐源氏と同族。| |二頭政治|Dual Administration|税収&color(green){+10%};|15代当主義篤(1470~1517)は、分家の山入佐竹氏を討滅後、弟義言を山入地方に、&br;弟正義を檜沢・高武方面に配置し、義言、正義はそれぞれ佐竹北家、佐竹東家の祖となり、&br;宗家を中心とする共同支配体制を確立した。その後、南家、西家が創設される。&br;なお、東西南北については、本城太田城から見ての館の位置に由来する。&br;&size(8){訳出が難しく、効果から見て上記でも妥当と思われるが、戦国期に佐竹氏は17代義昭・18代義重・19代義宣の3代にわたり前当主が隠居後も実権を握る体制が取られており、通常「二頭政治」と言えばこちらを指すような気もする…};| |一揆の抑制|Suppression of Ikki|不穏度&color(green){-1};|第11代当主義盛は、嗣子なく没した為、関東管領山内上杉憲定の子義憲を迎えて当主とした。&br;これは山入氏ら一族の反発を招き、1407年、山入一揆が起こる。&br;乱は一年で沈静化したが、その後も宗家に敵対した。&br;山入氏は足利尊氏に従事した師義(9代当主義篤の弟)を祖としており、&br;幕府と独自に関係を持っていた山入氏は幕府から支援を受け、&br;宗家は鎌倉公方から支援を受けたため、一族の内訌を超え、&br;関東地方における幕府と鎌倉公方の代理戦争と化した。&br;1504年に山入氏義が討たれるまでの約100年間闘争が行われることとなる。| |鹿島神宮|Kashima Jingu|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|茨城県鹿嶋市にある常陸国一宮(常陸国で一番格式の高い神社)。&br;香取神宮、息栖神社とともに東国三社の一社。&br;雷神、かつ剣の神とされる武甕槌命(タケミカヅチ)を祭神とする。&br;相撲の起源とも深くかかわりのある場所として知られる。| |東国連合|Eastern Coalitions|外交枠&color(green){+1};|第18代当主義重(1547~1612)の時代、関東では北条氏、&br;東北では伊達氏が勢力を拡大、対立していた。&br;また、常陸国内にも小田氏等の対立もあり、苦戦をしていた。&br;そこで、義重は反北条として武田氏、上杉氏、里見氏や関東諸勢力と同名を結び、対抗した。| |強固な中心統治|Strong Central Rule|開発コスト&color(green){-10%};&br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};|中心地は水戸城のこと。水戸城は大掾(だいじょう)氏に築かれ、&br;大掾氏の本拠であったが、1416年に江戸氏に奪われて以来、江戸氏の本拠になる。&br;1590年に佐竹氏が豊臣氏より本領安堵を受けると、江戸氏を攻め、水戸城は佐竹氏のものとなる。&br;その後、常陸国一帯を平定した佐竹氏は本拠を太田城から水戸城へ移した。&br;水戸城は那珂川周辺の扇状地にあり、海より直接船が往来できた為、舟運が発達した。&br;後、御三家水戸徳川家の本拠にもなり、&br;徳川時代に作られた庭園、偕楽園は日本三大庭園の1つとして有名。| |誉れ高き名声|Honorable Reputation|関係改善&color(green){+30%};|19代当主義宣は、豊臣秀吉に「律儀者」と評された徳川家康に&br;「今の世に佐竹義宣ほどの律儀な者はみたことがない」&br;「しかし、あまり律儀すぎても困る」と評されている。&br;これは、関ヶ原の戦いで、佐竹氏が日和見の態度を取ったことを念頭に置いたものである。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|砲兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***斯波(Shiba)v1.22[#SBA] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|建造物コスト&color(green){-10%};|| |>|~|税収&color(green){+20%};|~| |武衛の伝統|Tradition of Military Service|陸戦で得る威信&color(green){+50%};|武衛とは、兵衛府の唐名(中国名)で、天皇や内裏の護衛職で言わば天皇の親衛隊の役職。&br;室町以降、斯波氏当主は左兵衛督に任官された為、武衛家と称されていた。| |三州の守護|Shugo of Three Provinces|交易品生産量&color(green){+10%};|斯波氏は、越前、尾張、遠江の三州の守護を世襲していた。| |管領職の強化|Consolidation of the Kanrei Position|外交官&color(green){+1};|幼少の室町幕府3代将軍・足利義満を補佐した管領・細川頼之の手腕により管領職は将軍に代わり幕府を統括する職務として確立した。&br;政変により頼之を失脚させ管領となった斯波義将は長期にわたって成人した足利義満を補佐し、その公正な治世により「名管領」と謳われ、より一層管領職の位置を固め斯波氏の全盛期を築いた。| |熱田神宮|Atsuta Shrine|陸軍士気&color(green){+10%};|尾張国三宮(尾張国で3番目に格の高い神社)。&br;三種の神器の1つであり、最も有名な剣の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社である。&br;また、織田信長が桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願したとしても知られる。| |奥州との結びつき|Oshu Ties|騎兵コスト&color(green){-10%};|斯波氏の一門には、奥州、羽州に定着した庶流が多くあった。&br;奥州探題を歴任した大崎氏、羽州探題を歴任した最上氏、&br;高水寺城を拠点にした高水寺斯波氏等が有名。| |斯波一族郎党の制御|Rein in the Shiba Retainers|雇用可能顧問&color(green){+1};|斯波氏は多くの一族家臣を従えていたが、斯波氏の執事の甲斐氏、&br;尾張守護代の織田氏、越前守護代の朝倉氏など斯波本家に匹敵する力を持った重臣が現れた。&br;特に朝倉氏には越前、織田氏には尾張の実効支配を奪われ、下剋上の象徴の1つとなった。| |最上一族|Mogami Family|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|最上氏は、斯波氏の分家であり、羽州探題を世襲し、のち出羽国の戦国大名として成長した。&br;特に第11代当主義光は、関ヶ原の戦い以後の最盛期で、&br;計57万石(実高は100万石とも称する)を領する大大名となった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|生産効率&color(green){+10%};|| ***島津(Shimazu)v1.22[#SMZ] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|陸軍伝統低下&color(green){-1%/年};|~| |薩摩隼人|Satsuma Hayato|陸軍士気&color(green){+10%};|隼人とは、九州南部にいた大和朝廷にまつろわぬ者のこと。&br;時代が下ると薩摩をつけて薩摩人の勇壮な男を指すようになった。| |薩南学派|Satsunan school|人的資源回復&color(green){+15%};|薩摩国を中心に栄えた儒学の一派。| |三州統一|Reunion of Three provinces|生産効率&color(green){+10%};|島津氏は、薩摩・大隅・日向に広がる島津荘の統治者として現れた。&br;鎌倉時代に一時期、三州の守護を獲得したが、すぐに失い、それ以来、三州の統一は島津氏の悲願であった。&br;三州統一がなされるのは1577年に伊東氏を豊後に追うときのこととなる。| |釣り野伏|Tsurinobuse|規律&color(green){+5%};|戦国島津氏が多用した戦術で、戦っている味方をあえて引かせ、想定の位置に敵が来た時に、用意した伏兵と共に反撃を行った。&br;島津氏はこの戦術で十倍とも二十倍ともいわれる敵を撃破していった。| |種子島|Tanegashima|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|島の名前でもあるが、それに由来する火縄銃のことでもある。&br;島津氏は鉄砲伝来の地として、鉄砲戦術を研究し、その扱いに長けていた。| |沖縄貿易|Okinawa Trade|交易誘導&color(green){+20%};|島津氏は琉球王国を属国として介し、東アジアと交易をおこなって利益を上げていた。| |早くからの近代化|Early 'Westernizetion'|技術コスト&color(green){-5%};|戦国時代に西欧といち早く接触した島津氏は、そうした国からの文物を受け入れていった。&br;幕末には、琉球に西洋の船が仕切りに来航しており、&br;このことが島津斉彬を集成館事業と呼ばれる洋式産業を興させる原因となった。&br;このことは日本国内において、殖産興業富国強兵の先駆けとなった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|税収&color(green){+10%};|| ***順(Shun)v1.29[#CSH] Ver1.28にて専用のNIが追加された。 アイデアの正式名は大順(Great Shun)である。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|人的資源&color(green){+25%};|~| |貧しい家の出|Humble Beginnings|人的資源回復速度&color(green){+10%};|順王朝を建国した李自成は農民出身である。| |闖王|The Dashing King|外交評判&color(green){+1};|闖王は、明反乱の初期の指導者である高迎祥が名乗った号。&br;後にその後継者として李自成が名乗った。| |隠された財産|Hidden Treasury|利息&color(green){-0.5};|| |天意に順ぜよ|Obedient to Heaven|安定度コスト&color(green){-10%};|| |~|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~| |完成された攻囲戦法|Perfection of Siegecraft|攻囲能力&color(green){+10%};|| |棒から銃へ|From Sticks to Guns|歩兵戦闘力&color(green){+15%};|| |天命の請求|Claim to the Mandate|正統性&color(green){+0.5/年};|| |~|~|天命&color(green){+0.03};|~| |~|~|能力主義&color(green){+0.5/年};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|威信&color(green){+1/年};|| ***少弐(Shoni)v1.23[#SHN] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|貿易効率&color(green){+10%};|| |>|~|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|~| |大宰少弐|Vice-Minister of Dazai-fu|外交評判&color(green){+1};|少弐家は大宰少弐の官職を代々有し、その権威をもって、北九州の統治をおこなった。&br;v1.23で名前が気づかないレベル(Vice Minister→Vice-Minister)の修正がされた。| |日本の防人|Defender of Japan|陸軍士気&color(green){+10%};|少弐家は北九州の御家人として、二度の蒙古襲来も積極的に撃退した。&br;一族からも多大な犠牲を出した結果、戦後には九州最大の守護大名となった。| |対馬を通じた外交|Diplomacy through Tsushima|外交官&color(green){+1};|少弐氏の配下だった宗氏は朝鮮との外交を積極的に行った。| |長崎|Nagasaki city|商人&color(green){+1};|九州は大陸との交易を、活発に行っていた。特に長崎は良港として各国の商人が行き交った。&br;但し、少弐氏と関係があるかは微妙なところ。| |肥前の熊|Bear of Hizen|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|肥前の熊とは、竜造寺隆信のこと。&br;少弐氏の配下で、大友氏衰退に伴って、一時的とはいえ、五州二島の太守として、九州の覇権を取った。&br;しかし隆信は少弐氏を滅ぼした武将である。| |葉隠|Hagakure|陸軍伝統低下&color(green){-1%/年};|葉隠れとは、肥前佐賀藩で書かれた武士の心構えを説いた書。&br;文中の一節、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」は有名。| |鍋島藩の改革|Nabeshima Reform|技術コスト&color(green){-5%};|鍋島家の肥前佐賀藩は、長崎の地に近かったこともあり、&br;幕末では西欧の技術を次々取り入れ、藩政改革を行った。&br;鍋島家は男系で少弐氏につながる家系。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| ***清(Qing)v1.29[#QNG] Ver1.29にて各女真国家/満州とNIが分離し、新規に追加された。 アイデアの正式名は大清(Great Qing)である |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|コア化コスト&color(green){-20%};|| |>|~|侵略的拡大&color(green){-10%};|~| |八旗の拡大|expand_the_banners|八旗雇用可能数&color(green){+30%};|ヌルハチが編成した軍事組織。&br;女真族全構成員を8色の旗のもとに編成、戸籍と軍隊組織を兼ねた。&br;後に蒙古八旗、漢軍八旗も編成された。| |緑営軍|The Green Standard Army|人的資源&color(green){+15%};|元は満州のアイデア。効果は変更された(人的資源回復速度+20%)。&br;漢人によって編成された軍団。&br;清朝において主力の八旗軍を補助する役割を果たした。| |~|~|人的資源回復速度&color(green){+15%};|~| |弁髪か死か|Pigtail or Death|不穏度&color(green){-2};|元は満州のアイデア。&br;清朝が支配下の漢人に弁髪を義務付けた「薙髪令」のスローガン。&br;髪型を変えない者を死刑とした。| |ボグド=ハン|Bogda Khan|正統性&color(green){+1/年};|ボグド=ハンはモンゴルの君主の号。&br;清朝の2代目ホンタイジはボグド・セチェン・ハーンを名乗ったとされる。&br;ボグダは「賢明な」や「正統なる」と訳される。&br;清朝の歴代君主は中華皇帝と同様にモンゴルのハンも名乗った。| |~|~|分離主義年数&color(green){-5};|~| |~|~|能力主義&color(green){+1/年};|~| |中華の法|Chinese Laws|統治効率&color(green){+5%};|元は満州のアイデア。しれっと名称修正(The Chinese Lawsの「The」が削除)と、&br;効果が変更された(安定度コスト-10%)。&br;明の衰退と清の興隆に伴い、漢族を支配下におくことになった2代皇帝・ホンタイジは、&br;漢族知識人を積極的に取り入れ、漢族王朝風の統治機構を整備していった。| |総督|The Viceroyalties|ステート維持費&color(green){-15%};|総督は明の時代から臨時官として総督が置かれたが、&br;清代では8総督が常設され、各地方の長官を務めた。| |~|~|自治度変化&color(green){-0.05/月};|~| |十全武功|The Ten Great Campaigns|陸軍士気&color(green){+15%};|第6代乾隆帝時代に10の地域への対外遠征のこと。&br;乾隆帝は10回の戦争にすべて勝利を得たとみずからの武功を誇り、&br;自らを「十全老人」と自称し,この文字を玉璽に刻み,また『十全記』を著わした。&br;10回とは、対ジュンガル(2回)、対回部(ウイグル)、四川奥地 (2回) 、&br;台湾、緬甸(ビルマ)、越南(ベトナム)、ネパール(2回)である。&br; 全部勝利と言っているが局地的に負けたり大苦戦したりしている。&br;しかし、結果的に清の最大版図を築くことに成功し、&br;現在の中国の版図の基礎となっている。| |~|~|陸戦で得る威信&color(green){+50%};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|顧問コスト&color(green){-15%};|| ***宗(So)v1.29[#SOO] Ver1.29にて新規に追加された国家で、併せて専用のNIが追加された。 中世から近代にかけて対馬を支配した一族。朝鮮や中国との外交を担当する役割を担った。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|交易効率&color(green){+10%};|| |>|~|交易誘導&color(green){+20%};|~| |倭館|Wakan|首都ノード交易力&color(green){+25%};|中世から近世にかけて、朝鮮半島南部に設置された日本人居留地のこと。&br;はじめ朝鮮では商船入港は禁止されてなかったが、&br;倭寇が横行するようになると、制限をかけられ、入港地を限定された。&br;宗氏は江戸時代倭館を拠点に朝鮮との外交、通商を行った。| |倭寇の伝統|Wakou Tradition|ガレー戦闘力&color(green){+10%};|倭寇は東アジアで活動した海賊の総称。&br;対馬も倭寇の拠点の一つであり、&br;倭寇を発端に宗氏と朝鮮で戦いが起こったこともある(応永の外寇)。&br;なお、どちらかと言えば、宗氏は倭寇を取り締まった側である。| |~|~|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|~| |対馬を巡る争い|Fight for Tsushima|海軍士気&color(green){+20%};|しばしば倭寇の撲滅を目標として、&br;対馬にて朝鮮と宗氏との間で戦が起こってる。| |八幡船|Bahan Ship|私掠効率&color(green){+20%};|八幡船(ばはんせん)は、室町から安土桃山にかけ出没した日本の海賊船のこと。&br;八幡は倭寇の別名を意味する。江戸時代では密貿易を意味する言葉となった。&br;倭寇の船が八幡大菩薩の幟を立てて航海したから、らしい(確証なし、伝承)。| |不屈の交渉人|Tough Negotiators|外交評判&color(green){+1};|徳川家康から朝鮮出兵で悪化した朝鮮との関係修復を命じられた宗義智は、1609年に朝鮮との和平を成立させた。&br;この功績により、宗氏は幕府から独立した機関で朝鮮と独占的に交易することも認められた。| |港湾整備|Port Maintenance|海軍扶養限界&color(green){+25%};|| |~|~|水兵維持費&color(green){-5%};|~| |小学校|Elementary School|技術コスト&color(green){-5%};|小学校の語源は1685年(貞享2年)対馬府中藩主宗義真が、&br;府中(厳原)に「小学校」と名づけた学校を建て、家臣の子弟の教育を行った。&br;これが、日本で「小学校」の名のつく施設の最初であるとされる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍伝統&color(green){+1/年};|| ***大理(Dali)v1.22[#CDL] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+10%};|| |>|~|異端寛容度&color(green){+2};|~| |苴咩都市の刷新|Renovate the City of Jumie|威信&color(green){+1/年};|大理国は937年に成立した白(ペー)族の国家。&br;中心地は、雲南の?海地区(現代の雲南省大理)にあり、&br;大理国の前に成立した南詔の時代から苴咩(しょび?)地区と呼ばれていた。| |茶馬古道|The Tea-Horse Route|キャラバン力&color(green){+20%};|雲南省で取れた茶(磚茶)をチベットの馬と交換したことから名付けられた交易路のこと。| |儒教の影響|Confucian Influences|税収&color(green){+10%};|中国の唐代で発達した漢字や儒教・仏教等の文化は、&br;朝鮮や日本と同様、ベトナム北部にも多大な影響を及ぼした。&br;この広大な文化圏を東アジア文化圏と呼ぶ。| |仏陀の教え|Teachings of Buddha|不穏度&color(green){-1};|同上。| |本主節|Benzhu Worship|安定度コスト&color(green){-10%};|白族は、土地を司り、村人の禍福をすべて掌握する神を本主として祀る信仰がある。&br;村ごとに本主があり、本主は産土神や伝説上の英雄であることが多い。&br;そして毎年、日は村ごとに異なるが、本主を祀る祭りが開かれ、本主節と呼ばれる。| |棚田|Rice Terraces|開発コスト&color(green){-10%}; |雲南には白族以外に哈尼(ハニ)族が古くから定住していて、&br;唐や宋の時代は、南詔や大理国に属していた。&br;哈尼族の住む元陽には、8世紀頃から作り築いた世界最大の棚田があり、&br;現代では「紅河哈尼棚田」として世界遺産に認定されている。&br;なお、哈尼族は、本項の稲作など日本と風習や文化に共通項が多く見られる。&br;日本人のルーツの一つと言われ、日本人にとって重要な存在である。| |滇の青銅|Dian Bronze|生産効率&color(green){+10%};|滇(テン)は紀元前3世紀頃、雲南東部の昆明ににあったとされる国。&br;多くの青銅器や彫像が発掘されており、高い青銅文化をもっていたとされる。&br;また、前漢の武帝が滇王に下賜したと推定されている「滇王之印」が出土されていることで有名。&br;「漢委奴国王印」に類似した金印で、当時の中国と周辺諸国の関係を裏付ける貴重な品である。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易品生産量&color(green){+10%};|| ***武田(Takeda)v1.22[#TKD] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |>|~|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |甲斐源氏の棟梁|Leader of Kai Genji|陸軍士気&color(green){+10%};|甲斐源氏は甲斐国に土着した清和源氏の河内源氏系一門で、&br;源義光(新羅三郎義光)を祖とする諸家を指し、武田氏はその宗家。&br;なお、信玄で有名ないわゆる甲斐武田氏は、武田氏の中の分家格であり、&br;武田氏の宗家は安芸武田氏や若狭武田氏である。| |河川ダムの守護|Shugo of River Dams|交易品生産量&color(green){+10%};|武田氏の領有する甲斐国は、笛吹川と釜無川両河川の氾濫原があり、&br;古来から大雨による水害が発生する地域があった。&br;19代当主信玄晴信(1521~1573)は、釜無川と御勅使川の合流地点に堤防を築き、氾濫を抑えた。&br;この堤防は信玄堤と呼ばれる。| |情報網|Information Network|外国の諜報検知力&color(green){+10%};|19代当主信玄晴信(1521~1573)は情報を重要視したとされ、狼煙や伝馬制などの通信手段を整備した。&br;「三ツ者」「透破」と呼ばれるいわゆる忍者集団により、全国に広域な情報網を張り巡らせた。&br;また、「歩き巫女」に扮して情報収集を行った「くノ一」望月千代女も知られている。| |~|~|諜報網構築力&color(green){+10%};|~| |黒川金山|Kurokawa Gold Mine|関係改善&color(green){+30%};|山梨県甲州市に位置する金山で、武田氏の資金源となった。| |甲州法度|Koshu Hatto|アイデアコスト&color(green){-10%};|甲州法度は、19代当主信玄晴信(1521~1573)が定めた分国法。正式名は甲州法度之次第。&br;分国法とは、戦国時代に戦国大名が領国内を統治するために制定した法。喧嘩両成敗の条項が有名。| |二十四将|Twenty-Four Generals|無償指揮官枠&color(green){+1};|19代当主信玄晴信(1521~1573)の家臣で、講談や軍記などで特に評価の高い24人を指す名称。&br;武田二十四将。武田四天王や山本勘助の名が見られる。また、その当主の信玄は「甲斐の虎」の異名をもつ。&br;なお、武田二十四将は江戸時代から見られるようになった呼称で当時実在した呼称ではない。| |甲陽軍鑑|Koyo Gunkan|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|甲陽軍鑑は、武田氏の戦略・戦術を記した軍学書。&br;信玄晴信、勝頼期の合戦記事を中心に、軍法、刑法などを記している。&br;天下を手にした徳川氏が軍法を甲州流に改めていたこともあり、甲州流軍学が盛んになり、&br;本書は甲州流軍学の聖典とされ、江戸時代には出版されて広く流布し、読み物として親しまれた。&br;なお、史書としては他の一次史料と比べ、誤りが多く評価が低い。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| ***伊達(Date)v1.22[#DTE] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|外交評判&color(green){+1};|~| |奥州探題|Oshu Shugo|コア化コスト&color(green){-10%};|奥州探題は奥州の守護に代わり設置され、奥州総大将、奥州管領を経て&br;1400年より斯波氏の分家である大崎氏が任官、代々世襲された。&br;大崎氏衰退により、伊達稙宗が陸奥守護、伊達晴宗が奥州探題を任命された。| |婚姻による拡大|Expansion by Marriages|侵略的拡大&color(green){-10%};|第14代当主稙宗は、洞(うつろ)と呼ばれる自らの血縁を家臣や周辺諸国へ&br;結婚や養子により一門とし自身の統治に置くシステムにより、大きく勢力を伸ばした。| |連歌師集団|Renga Group|アイデアコスト&color(green){-10%};|第17代政宗は文化人でもあり、伊達家は連歌を好んだといわれており、多くの連歌師を抱えていた。| |竜騎兵隊|Dragon Corps|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|竜騎兵は近世ヨーロッパのマスケット銃などの火器で武装した兵科を指すが、&br;伊達家では大阪の陣にて騎馬鉄砲隊が使用されたといわれる。| |朱印船|Red Seal Ships|大型船コスト&color(green){-5%};|| |~|~|大型船戦闘力&color(green){+10%};|~| |慶長使節|Keicho Embassy|技術コスト&color(green){-5%};|1613年に、伊達政宗がローマ教皇へ派遣した使節団。&br;大使を努めた支倉長常が有名。| |集中的な領域開発|Intensive Domain Development|開発コスト&color(green){-10%}; &br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};|17代政宗は仙台へ居を移すと、新田の開拓と用水路の開削、流通路の確立等領内開発に努め、&br;幕府公認の表高62万石に対して実高100万石以上の収入を確保した。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易力&color(green){+15%};|| ***千葉(Chiba)v1.23[#CBA] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|威信&color(green){+1/年};|~| |平氏の血統|Taira Lineage|外交評判&color(green){+1};|千葉氏は桓武天皇の孫・高望王の五男・良文を祖とし、桓武平氏の中でも古い系統である。| |将門の夢|Dream of Masakado|陸軍士気&color(green){+10%};|千葉氏の祖とされる平良文は将門の叔父にあたり、&br;平将門の乱平定後、その遺領は良文が継いだとされる。| |鎌倉公方との連合|Coalition With Kamakura Kubo|請求権捏造コスト&color(green){-25%};|千葉氏は、京都将軍家に通ずる関東の有力守護がいる中、一時期を除き鎌倉公方とその後継である古河公方を支持した。&br;後に京都派と古河派に分裂して一族は衰亡するものの、古河公方の体制下で一定の勢力を保ち続けることができた。&br;v1.23で名前が修正(with→With)された。| |佐倉歌壇|Sakura Kadan|関係改善&color(green){+20%};|千葉氏代二十三代当主勝胤(1471~1531)は和歌に通じており、&br;一族、家臣等で構成された和歌集団を千葉氏の本拠佐倉にちなみ、&br;佐倉歌壇と称され、しばしば歌会が開かれていた。| |香取神宮|Katori Jingu|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|下総国一宮(下総国で一番格の高い神社)。古来は、蝦夷に対する平定神して崇敬された。&br;また、武道・武術の神として武道者にも崇拝された。&br;室町時代、千葉氏と一時期対立し、社域に乱入、神領侵犯が行われた。| |南関東の灌漑|Irrigation of Southern Kanto|生産効率&color(green){+10%};|南関東は中世まで利根川等の川の氾濫により川の中下流部は湿地帯が広がっていた。&br;江戸以降、大規模な干拓・灌漑事業が行われ広大な耕地となった。| |水軍改革|Naval Reform|海軍士気&color(green){+15%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源回復速度&color(green){+15%};|| ***朝鮮(Korea)v1.29[#KOR] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|建造物コスト&color(green){-10%};|| |>|~|首都ノード交易力&color(green){+25%};|~| |ハングル文字|The Hangul Alphabet|技術コスト&color(green){-5%};|Ver1.29でスペルミス修正(Hanguel→Hangul)。平易に読み書きができるように作られた表音文字。&br;李氏朝鮮第4代国王・世宗によって考案・制定された。&br;この文字ができるまでは漢字による表記のみであった。| |経国大典|Grand Code for State Administration|安定度コスト&color(green){-10%};|李氏朝鮮時代の政治の基準になった法典。| |郷約|Hyang'yak System|生産効率&color(green){+10%};|元々は中国の郷村社会で道徳の実践と相互扶助をはかるために設けた規約。&br;十六世紀初頭に朝鮮にも導入された。| |亀甲船|Geobukseon|船舶の耐久力&color(green){+5%};|亀の甲羅のように甲板を防壁で覆った船。| |戸牌制|The Hopae System|人的資源&color(green){+10%};|家人の住所や職業、姓名を記したものである戸牌を門戸に掲げることによって、&br;人口管理を行う制度。| |奎章閣|The Kyujanggak|アイデアコスト&color(green){-10%};|李氏朝鮮時代の王立図書館。| |経済改革|Economic Reform|税収&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***長宗我部(Chosokabe)v1.25[#CSK] v1.24で専用NIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |一領具足|Ichiryo Gusoku|陸軍維持費&color(green){-5%};|一領具足は、長宗我部氏が行った農民への制度。&br;一言で言うと「半農半兵」の政策。&br;農民に開墾領地を与え、平時には農作業を行うが、&br;戦時には一領の具足(一揃いの武器と鎧)を携えて戦に召集する集団。&br;精強で忠誠心の高い軍として知られる。&br;土佐物語においては「死生知らずの野武士なり」と書かれている。| |土佐七雄|Seven Clans of Tosa|人的資源&color(green){+15%};|土佐七雄は、戦国期の土佐にいた有力な7つの豪族の総称。&br;土佐国は守護代として入国した細川氏の勢力であったが、&br;応仁の乱後の細川氏の衰退により、在地豪族が各々勢力を伸ばした。&br;長宗我部氏の他、本山氏、吉良氏、安芸氏、津野氏、香宗我部氏、大平氏を指す。| |四国の統一|Unification of Shikoku|侵略的拡大&color(green){-10%};|第21代長宗我部元親の時代には、四国を平定し、最盛期を誇った。| |百箇条|100 Article Code|規律&color(green){+5%};|長宗我部元親百箇条の事。長宗我部掟書とも。&br;第21代長宗我部元親及びその息子の22代盛親が1596年頃に発布した分国法。&br;内容は身分、財産、官職、訴訟、交通、軍事、文教等非常に多岐で、&br;武士庶民問わず規定した領国法と家法双方の性格を持つ。| |水軍の拡張|Expand the Navy|艦船関連コスト&color(green){-10%};|| |芸能の神|God of Arts|威信&color(green){+1/年};|長宗我部氏は秦氏の後裔と称しており、秦河勝を祖としている。&br;泰氏は古代の渡来民族で、秦の始皇帝の子孫の弓月君が日本に渡来が始まりとされている。&br;推古天皇の治世に登場した秦河勝は聖徳太子の側近として活躍しその地位を向上させ、&br;京都の広隆寺を建立したとされる。&br;秦氏は渡来人として大陸から文化・芸能・工芸に深く関与したとされ、&br;後世、秦河勝は芸能の神として信仰されている。| |寺社への支援|Support of the Temples|国教寛容度&color(green){+2};|上記の長宗我部元親百箇条の第1条及び第2条には社寺の崇敬や修復が書かれており、&br;寺社の復興に力を置いた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|船舶の耐久力&color(green){+5%};|| ***筒井(Tsutsui)v1.22[#TTI] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|要塞防御&color(green){+20%};|| |>|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~| |僧兵|Warrior Monks|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|筒井氏は大和国添下郡筒井を本拠とし、興福寺に属する僧兵から身を興したとされる。&br;興福寺は鎌倉以来、大和守護を務める。| |永享の乱の勝利|Winner of Eikyo Civil War|戦争疲弊&color(green){-0.02/月};|ここでいう永享の乱は関東で起こった永享の乱ではなく、大和永享の乱のこと。&br;大和永享の乱で北朝側の筒井氏は、南朝側の越智氏、箸尾氏と激しく争った。&br;筒井氏は一時は敗北するも幕府の介入もあり、10年に及ぶ戦乱の末、勝利を治めた。&br;なお、ゲーム上のテキストでは、越智氏と十市氏を破ったとあるが、&br;大和永享の乱では十市氏は筒井氏側に立っており、誤りである。| |春日大社|Kasuga Shrine|威信&color(green){+1/年};|二十二社(国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣を受ける二十二の神社)の一社。&br;世界遺産にも認定されている。興福寺との関係が深く、神仏習合が進むにつれ、&br;春日大社と興福寺は一体のものとなっていった。&br;室町期、大和国の国人衆は、興福寺の衆徒、もしくは春日大社の神人として組織された。| |山岳戦|Mountain Warfare|敵損耗&color(green){+1};|大和国の南部、吉野は極めて山が多く、攻めにくい。| |南の首都|The Southern Capital|正統性&color(green){+1/年};|日本では長く京都が首都であるが、その前は、&br;奈良市にある平城京が日本の首都であり、「奈良の都」と呼ばれる。| |賢明な日和見主義者|Wise Opportunists|侵略的拡大&color(green){-10%};|順慶の代、筒井氏は織田信長の家臣となり、明智光秀の与力大名となった。&br;1582年、本能寺の変が起こり続けて、山崎の戦いが起こった。&br;その際、順慶は明智・羽柴の双方から加勢を依頼されたが、&br;順慶は一度は明智側に従って山崎の南方にある洞ケ峠まで兵を進めながらも、&br;最終的にはどちらに付くか日和見をしたという伝説がある。&br;(実際は洞ヶ峠に着くことなく大和へと撤兵して中立を保った)&br;この伝説により、「洞ケ峠の順慶」といわれ、日和見主義の代名詞とされた。| |伝統と革新|Tradition and Innovation|アイデアコスト&color(green){-10%};|興福寺は、710年に藤原不比等により名付けられ、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。&br;大和国の荘園をほぼ握り、大和武士と僧兵等を擁した為、鎌倉以来、守護を置けず興福寺を守護とした。&br;筒井氏はこの大和武士より興った。&br;室町中期以降、荘園制崩界や相次ぐ兵火による消失で力を失っていき、&br;筒井氏はそれに乗じて独立、戦国大名への道を進んでいく。&br;それでも興福寺は太閤検地にて2万1000石余の知行を受け、&br;徳川の時代にも同一の知行を維持され、現代に至り、世界遺産に認定された。&br;古き伝統を持ちながら時代時代の新しき文化により生まれた文化財が多く残っている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|布教強度&color(green){+2%};|| ***土岐(Toki)v1.23[#TKI] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|| |>|~|守備兵増加速度&color(green){+20%};|~| |美濃源氏|Genji of Mino|移動速度&color(green){+15%};|美濃源氏は、中世に美濃国に土着し本拠とした清和源氏の流れを汲む一族の呼称。&br;清和源氏の嫡流である源頼光、頼国親子が美濃守を受領した事が美濃源氏の端緒であり、&br;頼国の曽孫光信のときに美濃国土岐郡土岐郷に居住して、土岐氏を名乗った。| |蘭奢待|Ranjatai|威信&color(green){+1/年};|蘭奢待(らんじゃたい)は、東大寺正倉院に収蔵されている香木。天下第一の名香と謳われる。&br;権力者にとって非常に重宝された。ごくわずかの人のみ朝廷に蘭奢待の切り取りを許された。&br;土岐氏では、13代当主頼武が朝廷に蘭奢待の切り取りを申請、許可されている。| |桔梗の旗|Banner of Bellflower|人的資源&color(green){+15%};|桔梗紋のこと。&br;桔梗は「吉更=さらに吉」の草木として尊ばれ、美濃の土岐一族を代表する紋である。&br;有事の際はこの旗の下に美濃各地の土岐一族が結集したため「桔梗一揆」と恐れられた。| |要衝の城|Strategic Castles|要塞防御&color(green){+5%};|稲葉山城を指す。稲葉山城は、土岐氏の重臣斎藤氏の本城となる。&br;金華山(稲葉山)の山頂に位置する山城であり、堅城で知られる。&br;また、この地は西南北の周辺地域や諸国へと至る&br;主要街道の基点が重なり、流通・往来の主軸であった長良川の扇状地帯である。&br;結果、水運、陸運の結節点となっており、美濃国内外の制御をするに重要な拠点となっている。&br;なお、稲葉山城は後に斎藤道三から始まる美濃斎藤氏の本拠となり、&br;織田信長の美濃平定後は破却され、改めて岐阜城を建築している。&br;ただ、歴代のこの城の持ち主はあまりいい目にあっていない。| |~|~|守備兵数&color(green){+25%};|~| |荘園の横領|Peculation of Estates|税収&color(green){+10%};|土岐氏の重臣斎藤妙椿(1411~1480)は応仁の乱時、&br;貴族の荘園(私有地)や国衙領(公領、国有地)を横領し、美濃国内を統一した。| |伝統に対する革新|Innovation Over Tradition|アイデアコスト&color(green){-10%};|応仁の乱以後、幕府の権威は地に落ち寺社や管領、守護といった権勢を振るった勢力は、&br;長い権力闘争や荘園制崩界により衰微していった。&br;それにより、守護代や下級身分の者が主家を倒す下剋上が起こり、&br;旧権力体制に従わない独自に領国内を統治する戦国大名が出現する。&br;土岐氏も例外ではなく、一族同士の内訌、権力闘争により衰退し、&br;一介の油売りであったとされる斎藤道三に下剋上され、当主頼芸は美濃国を追放、&br;美濃国守護土岐氏は大名として滅亡することとなる。&br;v1.23で名前がちょびっとだけ変更(over→Over)された。| |氾濫の制御|Flood Control|交易品生産量&color(green){+10%};|美濃には、木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川が流れており、&br;下流部で合流・分流を繰り返し、たびたび水害を起こしていた。&br;その為、江戸時代以降何度となく改修が行われてきた。&br;1754年に木曽三川の分流を目的とする治水工事、宝暦治水が有名。&br;%%土岐氏全く関係ないとか言ってはいけない%%| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|連隊雇用コスト&color(green){-10%};|| ***徳川(Tokugawa)v1.24[#TKG] v1.24で1444GC開始時から選択できるようになり、合わせて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|侵略的拡大&color(green){-10%};|~| |三河武士|Mikawa Bushi|陸軍士気&color(green){+10%};|三河武士は松平氏や徳川氏に仕えた三河国出身の家臣の総称。&br;一般的に非常に精強で忠誠心が強いとされる。&br;有名な所では本多忠勝や榊原康政、鳥居元忠など。&br;また、%%非常にめんどくさい%%頑固であるとも言われ、君主に意見を曲げず諫言を行う等のエピソードも多い。&br;そちら方面では「鬼作左」こと本多重次などが代表格。| | 関所網の強化|Strengthen the Sekisho Network|諜報網構築力&color(green){+20%};|関所は、戦国時代に織田信長や豊臣秀吉により廃止されたが、&br;江戸幕府が開かれると再度配置された。&br;江戸期の関所政策は「入鉄炮出女」と呼ばれ、江戸に持ち込まれる鉄砲「入鉄砲」と、&br;江戸を出る女「出女」を取り締まった。| |旗本|Hatamoto|規律&color(green){+5%};|旗本は元々は、主君の軍旗を守る近衛兵のような武士団のことで、&br;信頼された直属の家臣であった。&br;江戸期に入ると将軍家直属の家臣の内、石高が1万石未満で将軍に拝謁出来る家格のものを指す。&br;通常、旗本といえばこちらを指す。&br;ものすごくざっくり言うと将軍と直接主従関係がある人の中で&br;1万石以上の領主が大名、&br;1万石未満だけど将軍と直接会える人は旗本、&br;1万石未満で将軍と直接会えない人は御家人である。&br;その数は「旗本八万騎」と呼ばれるが、これは御家人や陪臣含めた数と言われている。&br;旗本だけだと5千強くらいだったと言われる。| |目付|Metsuke|安定度コスト&color(green){-10%};|目付とは職名の1つで、簡単に言うと監察官である。&br;現代でもある人物が悪い事をしないように見張ったり監督したりする人を&br;「お目付け役」なんて言ったりするよね。| |松平分家|Matsudaira Branches|自治度変化&color(green){-0.05/月};|松平は元々は徳川家康が改姓する前の姓氏。&br;非常に多くの分家があり「十八松平」や「十四松平」と呼ばれ宗家松平氏(徳川氏)を支えた。&br;なお、松平のアクセントは「ま【つだ】いら」ではなく&br;「【ま】つだいら」と頭高に置くのが正しいとされているが、&br;子孫の中にはどうでもいいという人もいるようだ。| |東照宮|Toshogu|国教寛容度&color(green){+2};|東照宮とは江戸幕府を開いた徳川家康を神格化した&br;東照大権現を祀る神社のこと。&br;日光東照宮が思いつくかもしれないが、&br;あくまで東照宮の一つで全国各地にあり、&br;現存で約130社ほどある。&br;先に挙げた総本宮で霊廟がある日光東照宮と、&br;家康の遺言に従い造成された最初の東照宮である久能山東照宮が有名。| |飢饉対策|Famine Policies|不穏度&color(green){-1};|江戸時代はしばしば大飢饉が起こっており、多数の餓死者を出したとされる。&br;幕府も様々な飢饉対策を行っており、&br;八代将軍徳川吉宗にて奨励された&br;代用食物の甘藷(サツマイモ)栽培の奨励が有名な対策である。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|開発コスト&color(green){-10%};|| ***南部(Nanbu)v1.23[#RFR] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|建造物コスト&color(green){-10%};|| |>|~|規律&color(green){+5%};|~| |北部の源氏|Genji in the North|陸軍士気&color(green){+10%};|南部氏は甲斐源氏の分家であり、&br;新羅三郎源義光の曾孫にあたる光行が1189年の奥州征伐に従軍し、&br;その功績によって源頼朝より糠部(ぬかのべ)五郡、南部の地を賜わり、南部氏と称した。| |「9つの門」の所有者|Owner of the 'Nine Gates'|騎兵コスト&color(green){-10%};|ここでいう「9つの門」は九戸を指す。南部氏の領有である糠部(ぬかのぶ)郡は&br;古来アイヌから守るため、四角な柵を設け、&br;東西南北に四つの門をつけ番人をおいた。&br;その後、この囲いで馬を育てたため、木戸(門)に一から九戸まで、番号をつけ、&br;一戸に一牧場を置く「九戸四門」の制とした。&br;糠部郡で育てられた馬は南部馬と呼ばれ、名馬の産地として有名となった。&br;なお四戸以外は、地名として現存する。| |京都との関係|Connection With Kyoto|外交官&color(green){+1};|v1.23で名前が地味に修正(with→With)された。&br;%%こっちよりChosonjiを修正して頂きたい。%%| |反抗的属国の失脚|Downfall of Rebellious Vassals|不穏度&color(green){-1};|南部氏は度々自身の家臣や庶子に反乱を起こされている。&br;津軽地方を横領した津軽為信や、&br;宗家に叛意を持ち九戸政実の乱を起こした九戸政実などが挙げられる。| |中央集権化改革|Centralization Reform|税収&color(green){+10%};|戦国時代、南部氏の本拠は三戸城や九戸城であったが、&br;南部領の統治には北にありすぎた為、不来方(こずかた)の地を本拠に移し、不来方城を改築、&br;地名を盛岡に改め、中心とした。| |中尊寺|Chosonji Temple|白兵ダメージ&color(green){+10%};|岩手県平泉にある天台宗東北大本山の寺院。世界遺産に認定されている。&br;奥州藤原氏により建立、当時の文化、繁栄を象徴する建造物であり、金色堂が有名。&br;なお、「Chosonji Temple」とあるが、「Chusonji Temple」の誤りと思われる。| |飢饉の打破|Defeating the Famines|開発コスト&color(green){-10%};&br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};|東北地方は古来より夏季に冷たい北東風「ヤマセ」よる冷害や&br;豪雪等で作物(特に米)が被害を受け、凶作、飢饉が度々起こる地域である。&br;南部盛岡藩では、江戸時代に大小あわせて94回、凶作や飢饉に見舞われてる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|生産効率&color(green){+10%};|| ***日本(Japan)v1.22[#JAP] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|安定度コスト&color(green){-10%};|| |>|~|規律&color(green){+5%};|~| |天皇の下の統一|Unification under the Emperor|不穏度&color(green){-2};|| |土地所有改革|Reformed Land Holding|人的資源&color(green){+20%};|明治政府による1873年の地租改正のこと。&br;はじめて農民個々人による土地私有が定められ、納税形態も村単位の米納から個人単位の金納となった。&br;また同年に本格的な徴兵令が施行されたが、&br;地租改正も徴兵令も1871年に壬申戸籍が編成されたことにより実現したものだった。| |近代化|Modernization|技術コスト&color(green){-5%};|明治政府は西洋技術を取り入れて積極的な富国強兵政策を進め、急速な近代化に成功した。| |~|~|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| |海の遺産|Maritime Legacy|船舶の耐久力&color(green){+10%};|古くから海洋立国だった日本は海軍の増強に尽力し、清やロシアとの海戦で勝利した。| |日出ずる処|Land of the Rising Sun|威信&color(green){+1/年};|「日出づる処」は日本を指す呼び名。&br;607年、第2回遣隋使として小野妹子が隋の煬帝に宛てた国書を持って派遣された。&br;その国書は「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」と書き出されていた。&br;「日出づる処」は日本を、「日没する処」は中国を指す。| |開拓団|Kaitakudan|植民地人口増&color(green){+20};|江戸時代まで完全な支配が及んでいなかった北海道に開拓使が置かれ、旧士族や屯田兵の入植が進められた。| |列強外交|Great Power Diplomacy|侵略的拡大&color(green){-15%};|日清・日露戦争の勝利で列強入りした日本は、他の大国の注意をそらしながら東アジアで勢力を伸ばした。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵戦闘力&color(green){+15%};|| ***畠山(Hatakeyama)v1.22[#HTK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|人的資源&color(green){+20%};|~| |管領候補|Kanrei Candidate|威信&color(green){+1/年};|管領は室町幕府の将軍に次ぐ地位であり、&br;足利氏一門である斯波氏、細川氏、畠山氏(三管領)から交代で任じられた。| |不屈将軍|Indomitable Generals|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| |高野山|Mount Koya|国教寛容度&color(green){+1};|和歌山県北部に位置し、空海(弘法大師)が修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つ。&br;山内には真言宗総本山の金剛峯寺など多数の寺院が存在する。| |~|~|後継者誕生確率&color(green){+50%};|~| |畠山郎党|Hatakeyama Retainers|顧問コスト&color(green){-10%};|| |若江城|Wakae Castle|自治度変化&color(green){-0.05/月};|畠山氏の河内経営の拠点。河内守護代である遊佐氏が代々城主となった。| |一族統一|Unify the Clan|正統性&color(green){+1/年};|畠山家は多数の分家が存在している。&br;特に畠山義就と畠山政長による家督争いは応仁の乱の一因といわれ、&br;乱後も義就の流れを組む総州家と政長の流れを組む尾州家は内紛を続け、畠山氏は以後衰退していく。| |雑賀衆|Saika-shu|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|雑賀衆は、紀伊国の雑賀郷を中心とした地侍の集団で、&br;女性や子供も鉄砲を扱えたとされる鉄砲傭兵の集団として知られる。&br;応仁の乱後より畠山氏に仕え、各地を転戦した。&br;雑賀衆の中で最も有名であろう鈴木氏の棟梁は「孫一(孫市)」の名を名乗ったとされ、&br;日本で初めて鉄砲により討死したとされる三好実休義賢(長慶の弟)を討ち取った重意や、&br;信長時代の重秀(大抵のゲームの孫市はこの重秀である)、&br;関ヶ原の戦いの前段である伏見城の戦いにて鳥居元忠を討ち取り、後に伊達家や水戸徳川家へ仕えた重朝が有名。&br;ただし、重意と重秀は史料が乏しく講談や軍記物からの出典が多いため、存在自体も疑いがあり、現在でも謎が多い。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| ***北条(Hojo)v1.24[#HJO] v1.24で専用NIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|開発コスト&color(green){-10%};|| |>|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~| |鎌倉幕府の遺産|Legacy of the Kamakura Shogunate|正統性&color(green){+1/年};|鎌倉幕府は12世紀後半に鎌倉で興った武家政権。&br;源頼朝が平氏の政権を打ち倒して設立した。&br;すぐに嫡流が断絶し、その後執権の北条氏が支配者となった。&br;戦国期の北条氏は元々伊勢氏であり、&br;2代北条氏綱の時代に北条に改姓した。&br;相模国主としての正統性を得るために継承したと言われている。&br;鎌倉時代の北条氏とほぼ関連がないので、明確的に区別する為、&br;戦国期の伊勢北条氏はしばしば後北条氏と呼ばれる。| |夜戦|Night Combat|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|河越夜戦を指す。日本三大奇襲戦の1つ。&br;1546年に北条軍が山内・扇ヶ谷両上杉と古河公方を相手に10倍もの兵力差を覆して勝利し、&br;関東南西部の勢力圏を決定づけた。&br;川越城に籠城中に第3代北条氏康自らが夜戦を仕掛け、&br;扇ヶ谷上杉当主上杉朝定他有力武将を何名も討死させ、潰走させた。&br;ただ史料が少なく否定的な説もある。| |統治改革|Reform the Administration|アイデアコスト&color(green){-10%};|北条氏は早くから伝馬制を復活させるなど、&br;内政で評価の高い武家である。| |徳政|Tokusei|不穏度&color(green){-1};|徳政は為政者の代替わりや天災の際に行われる貧民への救済政策や訴訟処理等の政策のこと。&br;徳政令は徳政の政策の一つで厳密にはイコールではない。&br;北条氏では第3代北条氏康が永禄三年(1560年)の徳政令が有名。| |北条の城|Castles of the Hojo|要塞防御&color(green){+20%};|北条氏の拠点小田原城を指す。相模小田原の地に建造された城。&br;特徴は城を堀や土塁で囲む外郭を持った惣構である。&br;小田原城の総構は日本の中でも長大で全長9kmあり、難攻不落とされた。&br;武田氏や上杉氏が小田原城を包囲したが、落すことができず退却している。&br;1590年の小田原征伐でも豊臣軍相手に籠城したが、降伏している。| |関東の統一|Unification of Kanto|人的資源&color(green){+15%};|北条氏の最盛期を築いた第4代北条氏政の時代には、&br;関東全域に近い勢力を誇り、関八州の覇者と称された。| |小田原評定|Council in Odawara|君主と同一文化の顧問コスト&color(green){-15%};|小田原評定は北条氏の重臣会議。&br;月2回開かれ、評定衆による合議により諸事を決定した。&br;なお、現代では故事成語として使われることが多く、&br;「結論の出ない会議」という意味であまりよい意味ではない。&br;これは豊臣氏による小田原征伐の際に「籠城か出撃か」「降伏か決戦か」の主張が分かれ、&br;いつまで経っても決まらなかったことからとされる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源回復速度&color(green){+15%};|| ***細川(Hosokawa)v1.22[#HSK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|ガレー戦闘力&color(green){+20%};|~| |管領|Kanrei|正統性&color(green){+1/年};|管領は室町幕府の将軍に次ぐ地位であり、&br;足利氏一門である斯波氏、細川氏、畠山氏(三管領)から交代で任じられた。| |分家と郎党|Branches and Retainers|不穏度&color(green){-1};|細川氏は近畿や四国を中心に多くの分家と、国ごとの国衆を傘下に持っていた。&br;他家がお家争いで没落していく中、細川家は一族の結束を保ち、&br;これによって応仁の乱以後、ほとんど幕政を独占することとなる。| |堺町|Sakai City|国外ノードにおける交易力&color(green){+10%};|堺は室町頃より日本最大の貿易港となり、&br;その富によりどの勢力も手をだせなくなり、事実上自由都市となった。&br;堺を自治する組織は会合衆とよばれ、メンバーは豪商であった。| |東軍|The Eastern Army|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|応仁の乱において、当時の細川家当主細川勝元は、東軍の中心的人物となって山名持豊と激しく争った。| |足軽|Ashigaru|人的資源&color(green){+20%};|日本の歩兵のこと。応仁の乱から、武者に代わって戦場の主役となっていった。| |山伏|Yamabushi|諜報網構築力&color(green){+20%};|山中で修行をする修験道の行者のこと。&br;当主の細川政元は修験道に凝り奇行で有名だったが、一方で山伏を使い各地の情報を集めていたとも言われている。| |宝暦の改革|Horeki Reform|開発コスト&color(green){-10%};&br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};|肥後熊本藩6代藩主細川重賢(1721~1785)主導で行われた改革。&br;当時熊本藩は財政が窮乏しており、藩財政改革が可及であった。&br;質素倹約、殖産興業など数々の経済施策を行い、また、教育や司法制度の革新も行った。&br;結果、藩財政は好転し、当時の藩政改革モデルの一つとなった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| ***苗(Miao)v1.22[#CMI] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|要塞維持費&color(green){-10%};|| |>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~| |魂の生贄|Sacrificing to the Spirits|国教寛容度&color(green){+2};|苗(ミャオ)族は、すべてのものに霊魂や生命が宿ると信じ、祖先の祭祀を怠らない。&br;新年を迎える際は、酒や肉、米などを祖先に捧げる風習がある。&br;また、鼓社祭と称される祖霊の祭りでは、牛や豚、鶏を生贄に捧げる儀式が行われる。| |龍舟節|Dragon Boat Festivals|不穏度&color(green){-1};|龍舟節は、毎年端午節(農暦の5月5日)に行われる祭りのこと。&br;祭りの中で、龍舟と呼ばれる龍を模した舟を使用し、清水江で競う「龍舟競渡」が有名である。| |部族の統一|Unity of the Tribes|陸軍士気&color(green){+10%};|苗族は、貴州省を始め中国南部やインドシナ半島に広く分布しており、&br;赫蒙(モン)族、黎(リー)族、瑶(ヤオ)族等と交わりながら多くの支族ができた。&br;支族は、女性の服装や文様で区別され、紅苗、青苗、黒苗、白苗などと呼ばれる。| |苗族の銀|Miao Silver|威信&color(green){+1/年};|苗族の民族衣装は、銀飾は有名で、特に女性は&br;頭飾り、首飾り、腰飾り、手飾り、指輪やブレスレットからペンダントなどまでと全身を銀で着飾る。&br;銀の装身具は美の象徴であり、また豊かさと高貴な身分をも象徴する。&br;親は娘のために私財を投げ打って銀の装身具一式を揃え、それを嫁入り道具として持たせる。&br;よって、苗族の村には必ず銀匠がおり、伝統と高い技術力を持っている。| |慣習的な結婚規則|Customary Marriage Laws|安定度コスト&color(green){-10%};|苗族中には、同族同士で結婚してはならなかったり、同族以外の結婚を禁ずる慣習があった。&br;また、祭りの中には、自由恋愛の場であったりして、若い男女が「遊方」、&br;日本で言う「歌垣」、恋歌を掛け合うといった風習もある。&br;また、早婚や略奪婚といった慣習も残っている。| |山への潜伏|Mountain Retreats|敵損耗&color(green){+1};|| |苗族反乱の遺産|Legacy of the Miao Rebellions|戦闘で得る陸軍伝統&color(green){+50%};|苗族は、古代の中国王朝から間接統治を受けていたが、度々王朝に対し、反乱を起こしている。&br;清の時代には「雍乾蜂起」、「乾嘉蜂起 」、 「咸同蜂起」と3度の大乱を起こしている。&br;この3度の蜂起は60年ごとであった為、&br;苗族には「三十年一小反、六十年一大反」という諺がある。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+15%};|| ***明(Ming)v1.22[#MNG] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|要塞維持費&color(green){-20%};|| |>|~|アイデアコスト&color(green){-10%};|~| |万里の長城の九辺鎮|Nine Garrisons of the Great Wall|要塞防御&color(green){+5%};|中国王朝は何度も修復を繰り返したが、&br;明代に大規模かつ堅固に修復され、現代に残る形となった。| |~|~|守備兵数&color(green){+25%};|~| |三大営の復活|Revive the Three Grand Divisions|規律&color(green){+5%};|京営は明の中央守備軍。各地域の守備軍から選抜された。&br;永楽帝の時代に五軍営、三千営、神機営の三大営を京営とした。&br;1449年土木の変で壊滅したため、1451年に兵部尚書・于謙の手で再編成された。| |内的爛熟|Inward Perfection|安定度コスト&color(green){-10%};|元を滅ぼし久々に漢民族王朝を復興した明のもとで、&br;儒教の新しい流れが作られ、漢籍の百科全書「永楽大典」が成立し、&br;景徳鎮磁器が黄金期を迎えるなど、漢文化は爛熟期を迎えた。| |黄河の治水|Repair the Yellow River Dykes|生産効率&color(green){+10%};|潘季馴の提唱により、複数に分かれていた黄河の流れを一本化して土砂を押し流す束流攻砂が行われた。| |塩の専売の復元|Restore the Salt Monopoly|交易効率&color(green){+10%};|開中法に基づき、明代を通して塩の専売が行われた。| |一条鞭法|Single Whip Law|税収&color(green){+10%};|16世紀末に張居正によって一条鞭法が施行され、人頭税と地税が銀納で一本化された。| |紅夷砲|The Red Cannon|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};|袁崇煥や呉三桂は、ポルトガルから取り寄せた最新式の大砲を遼寧城や山海関に配備し、後金(清)の大軍を防ぎ続けた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|関係改善&color(green){+30%};|| ***毛利(Mori)v1.24[#MRI] v1.24で専用NIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|外交官&color(green){+1};|| |>|~|海軍伝統&color(green){+1/年};|~| |大江広元の子孫|Descendants of Oe Hiromoto|統治技術コスト&color(green){-10%};|毛利氏は大江広元を祖とする。&br;大江広元は元は下級貴族であったが、&br;源頼朝の側近となり、鎌倉幕府の政所初代別当を務め、&br;鎌倉幕府創設に大きく貢献した。&br;その後も、執権北条体制の確立にも大きく貢献しており、初期鎌倉幕府の重鎮である。| |国人一揆の指導者|Leader of Kokujin Ikki|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|室町初期より大きく安芸国に勢力を誇った大内氏や守護代安芸武田氏に対抗すべく、&br;しばしば安芸の国人衆は団結し一揆の契状を結んだが、&br;その中心的存在が毛利氏であった。| |外交の陰謀|Diplomatic Intrigues|外交枠&color(green){+1};|毛利氏の最盛期を築き、安芸の小領主から一代で中国地方の覇者となった毛利元就は、&br;希代の謀将「謀神」と呼ばれる。&br;特に大内氏を簒奪した陶晴賢との合戦厳島の戦いは、&br;流布による有力家臣の粛清、偽りの家臣内通、情報操作等謀略の限りを尽くし、&br;厳島に誘い込み陶晴賢を討ち取った。&br;「謀多きは勝ち、少なきは負ける」と息子へ訓戒したとされる。| |三本の矢|Three Arrows|自治度変化&color(green){-0.05/月};|毛利元就が3人の子供に伝えたとされる逸話。&br;矢は1本では簡単に折れるが、3本束ねると折ろうとしても簡単には折れない。&br;同じように一族も結束して強靭に生きよと説く教訓。&br;なお、本逸話は創作とされていて、元ネタは元就が3人の子に書いた「三子教訓状」と言われる。| |広島|Hiroshima|開発コスト&color(green){-10%};|広島城の事を指す。&br;戦国末期に毛利輝元が近世城郭の重要性を感じ、築いたとされる。&br;その際に建立した地を広島と命名したとされる。&br;その後すぐに関ヶ原の戦いがあり、広島の地は毛利氏から福島氏に代わり、改築された。&br;すぐに福島氏も改易され、以降明治まで浅野氏の居城となる。&br;明治以降も多くが残っていたが、太平洋戦争末期に消失した。| |厳島|Itsukushima|船舶の耐久力&color(green){+5%};|厳島神社の事。安芸国一宮(安芸国で最も社格の高い神社)。&br;広島湾に浮かぶ厳島(宮島)に建立されている。&br;日本三景の1つであり、世界遺産でもある。&br;毛利元就は厳島神社を深く信仰していたとされる。&br;また、日本三大奇襲戦の1つ、厳島の戦いの舞台となった。| |萩焼|Hagi Ware|威信&color(green){+1/年};|現在の山口県萩市一帯で焼かれる陶器。&br;「一楽二萩三唐津」と謳われるほど、茶人が好んだ器とされる。&br;特徴は器の表面の釉薬がひび割れたような状態になる「貫入」と、&br;そのひびから使い込むと器表面の色が変化する「七化け」。&br;毛利輝元にて朝鮮人陶工の兄弟が萩城下で御用窯を築いた事が始まりとされる。&br;現代では萩焼の技術は無形文化財に指定されている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};|| ***山名(Yamana)v1.23[#YMN] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+20%};|| |>|~|外交評判&color(green){+1};|~| |新田氏の末裔|Descendant of Nitta|外交官&color(green){+1};|山名氏は、清和源氏の支流である新田義重の子義範が&br;上野国田胡郡山名に住し、山名氏を称したことに始まる。&br;なお、新田氏と室町幕府を興した足利氏はライバル関係にあった。| |最高の守護|Grand Shugo|コア化コスト&color(green){-10%};|山名氏は、室町3代将軍義満の時代、全国66国の内、&br;但馬、丹波など計11国の守護職を山名一族が占め、「六分一殿」と呼ばれ、山名氏最盛期を築いた。&br;その義満によって没落するも、嘉吉の乱で山名持豊が功績を立てると、&br;山名氏は十箇国の守護を得て、再度盛り返した。| |継承問題の調停|Mediate Succession Disputes|外交枠&color(green){+1};|山名持豊は、様々なお家争いにおいて片方の後継者候補を支援した。&br;こうした行動が、室町幕府内で宗全派閥といえる集団を作り、&br;のちに応仁の乱が拡大する原因となった。| |西軍|The Western Army|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|この西軍は、応仁の乱時の東軍西軍の意味。&br;12代当主宗全持豊は、応仁の乱の西軍総大将であり、東軍総大将である細川勝元と激しく争った。| |東林院の取得|Acquisition of Torin'in|威信&color(green){+1/年};|東林院は京都市にある妙心寺の塔頭の一つ。&br;樹齢300年の沙羅双樹の銘木で知られる。通称は沙羅双樹の寺。&br;元々、細川氏綱が養父細川高国の菩提を弔うために建立した三友院が起源。&br;その後、山名豊国が開基となり、寺基を妙心寺山内に移して再興、「東林院」と改名した。&br;以来、細川氏の菩提寺から山名氏の菩提寺となった。&br;v1.23で名前のスペルミス(Aquisition)は修正された。| |孤立した中心地|Isolated Heartland|要塞防御&color(green){+20%};|山名氏の本拠である但馬国及び因幡国は、周りを山に囲まれた国であり、&br;ある種周辺から孤立した地域であった。| |山名分家の再統一|Reunification of the Yamana Branches|不穏度&color(green){-1};|山名氏は、応仁の乱でも宗全の息子が東軍に付くなどしていたが、&br;応仁の乱以後分家が事実上の独立状態になっていった。&br;戦国期の但馬守護・祐豊によって但馬・因幡守護両家の統一が図られたが、&br;毛利と織田の侵攻を前に頓挫、織田家に降伏した。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***琉球(Ryukyu)v1.22[#RYU] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|外交評判&color(green){+1};|| |>|~|交易誘導&color(green){+20%};|~| |中華の冊封|Chinese Investiture|侵略的拡大&color(green){-25%};|琉球国王は成立以来、代々中国に朝貢し皇帝から「琉球王」に封じられた。| |琉球宗教の改革|Reform the Ryukyuan Religion|不穏度&color(green){-1};|琉球には古来より最高神職(巫女)として「聞得大君」が存在したが、&br;16世紀の尚真王の時代に王の妹が聞得大君に任ぜられ、以後王権の統制下に入った。| |首里城|Shuri Castle|威信&color(green){+1/年};|14世紀末に建造されたといわれる琉球の首城。世界遺産。| |海上貿易|Maritime Commercialism|交易範囲&color(green){+33%};|琉球は15世紀以降、中国・日本・東南アジア・西洋諸国との中継貿易を行うことで大いに繁栄した。| |朱印船の許可|Sign Trade Agreements|交易効率&color(green){+10%};|| |国学|National Academy|技術コスト&color(green){-5%};|1798年に設立された琉球王国の最高学府。| |琉球三山|The Three Mountains|指揮官雇用枠&color(green){+1};|琉球王国成立以前の分裂時代、中山・山北(北山)・山南(南山)の3国を指す。&br;1429年に統一され琉球王国が成立する。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|威信自然減&color(green){-1%};|| **グループNI [#c6437f3b] 特定の集団に属する勢力に対して適用されるNI ***大名(Daimyo)v1.22[#Daimyo] 政治形態が大名(Daimyo)の国家に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍扶養限界&color(green){+25%};|| |>|~|諜報網構築力&color(green){+20%};|~| |武士道|Bushido|規律&color(green){+5%};|| |文武両道|The Bun and the Bu|アイデアコスト&color(green){-10%};|| |祖先の名誉|Honor the ancestors|正統性&color(green){+1/年};|| |五輪の書|The Five Rings|陸軍士気&color(green){+10%};|宮本武蔵の著作。| |さすらう浪人|Wandering Ronin|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|特定の大名に仕えない武士である浪人は、戦国時代には大名や都市、一揆の傭兵になった。| |大名軍|Armies of the Daimyo|人的資源&color(green){+25%};|| |名誉ある死|Honor unto Death|威信&color(green){+1/年};|中世~江戸の武士階層において切腹は最期の死に様を見せる場として尊ばれた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| ***中国(Chinese)v1.22[#Chinese] 主要文化が中国グループか、長生国(Changsheng)の場合に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源回復速度&color(green){+10%};|| |>|~|統治技術コスト&color(green){-5%};|~| |科挙試験|The Keju Examination|雇用可能顧問&color(green){+1};|科挙とは官僚登用試験のこと。競争率は非常に高く、非常に難関。| |士大夫|Scholar Gentry|安定度コスト&color(green){-10%};|士大夫は当時の階級を表す1つで、「官僚・地主・商人の三位一体」とされる。| |4階級の秩序|Order of the Four Occupations|生産効率&color(green){+10%};|ここでいう4階級は、「士大夫」、「農民」、「職人」、「商人」。| |儀礼と礼儀の国|Nation of Rites and Etiquettes|威信&color(green){+1/年};|| |火器の練習|Firearm Training|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|火薬は、中国が発明したもの。| |天子|Son of Heaven|正統性&color(green){+1/年};|天子とは、古来中国の皇帝の称号。漢字の通り、天(天帝)の子を意味する。&br;古代より中国では、「天帝がその子として王を認め王位は家系によって継承されていく。&br;王家が徳を失えば新たな家系が天命(Mandate of Heaven)により定まる」&br;という思想で皇帝は権威を持っていた。&br;王朝の交代は、新たな徳を備えた一族が新王朝を立てる(姓が易わる)為、&br;王朝交代時の革命は「易姓革命」と呼ばれる。&br;為政者の交代は、日本では、「血統の断絶」(例:江戸時代の嗣子がいないことによる改易)に対し、&br;中国は「徳の断絶」が根拠となっていた。| |中国|Middle Kingdom|外交評判&color(green){+1};|「中国」は、世界の中心の国という意味で、いわゆる「中華思想」に基づくものである。&br;ちなみに英語名の「China」は古代中国の王朝の「秦(しん)」が由来とされている。&br;「china(小文字)」は陶器という意味も持ち、中国製の陶器がヨーロッパで輸入され広まった際に&br;そのまま中国を意味するchinaが使われた。&br;また、同様に秦を由来とするサンスクリット語の名称が中国に逆輸入され、「支那」という別名が生まれた(現在の中国では蔑称とされるが、元々中立的な単語で蔑称の意味はない。台湾や香港では中国を指す単語として現在も使用されている。)。&br;現代中国では、外名の「china」という呼び名が気に食わない人もいるようで、&br;「中国の英語表記を従来のChinaではなくZhongguo(中国の中国語発音・ジョングオ)にすべきだ」&br;という論説が発表されて賛否両論だったらしい。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+25%};|| //japanが漆器の名前なのは俗説とも言われ、確証が無いので記載を削除 //日本でもNipponに変えろと主張する人が一部存在するので記載を削除 *タタール [#Tartary] |CENTER:20|>|>|>|>|CENTER:|c |~各国NI|~東シベリア||||| |~|~西シベリア||||| |~|~満州|[[女真(Jurchen)>#MJZ]]|[[満州(Manchu)>#MCH]]||| |~|~モンゴル|[[オイラト(Oirat)>#OIR]]|[[チャガタイ(Chagatai)>#CHG]]|[[モンゴル(Mongolia)>#KHA]]|| |~|~チベット||||| |~|~中央アジア|[[トランスオクシアナ(Transoxiana)>#TRS]]|[[ヒヴァ(Khiva)>#KHI]]|[[ヤルカンド=ハン(Yarkand)>#KAS]]|| |>|~グループNI|[[エヴェンキ(Evenk)>#Evenk]]|[[シベリア(Siberian)>#Siberian]]|[[チベット(Tibetan)>#TIB]]|[[遊牧民(Horde)>#Horde]]| **各国NI [#ob9d8de7] ***オイラト(Oirat)v1.29[#OIR] Ver1.29にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|| |>|~|コア化コスト&color(green){-20%};|~| |土木の変で恐れられた戦士|Fearsome Warriors of Tumu|騎兵コスト&color(green){-10%};|土木の変は1449年にオイラトのエセン=ハンが明の正統帝を捕虜にした戦い。&br;明の弱体化の始まりとなったきっかけの一つとされる。| |~|~|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|~| |草原の戦士の生き様|Life of the Steppe Warrior|陸軍損耗&color(green){-20%};|遊牧民(Horde)アイデアと同一のアイデア。| |四オイラト|The Four Oirats|正統性&color(green){+1/年};|四(ドルベン)オイラトはオイラトを構成した主要4部族の総称。&br;時代によって部族名が異なるのだが、&br;ゲーム上ではジュンガル(Dzungars)(またはチョロース、Choros)、トルグート(Torghut)、&br;ドルベト(Dörbet)、ホシュート(Khoshut)と説明されている。| |~|~|遊牧民の結束&color(green){+1/年};|~| |トド文字|Todo Besheg Script|技術コスト&color(green){-5%};|1648年にザヤ・パンディタ(Zaya Pandita)がオイラト語の表記のため、&br;モンゴル文字を改良して作った文字。オイラト文字とも。| |大ハンの遺産|Legacy of the Great Khan|侵略的拡大&color(green){-15%};|大ハンはチンギス・ハンのこと。| |ジュンガルの抵抗|Defiance of the Dzungars|人的資源回復速度&color(green){+15%};|ジュンガル(Dzungars)はオイラトの主要部族の1つ。&br;後に遊牧民最後の帝国となるジュンガル帝国を建国する。| |~|~|規律&color(green){+5%};|~| |征服の栄光|Glory of Conquest|人的資源&color(green){+25%};|遊牧民(Horde)アイデアと同一のアイデア。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| ***女真(Jurchen)v1.29[#MJZ] Ver1.29にて満州/清とNIが分離し、新規に追加された。 全て新規のアイデア。対象はVer1.29から追加された2国家含めた女真族の国家に適用。 詳細に書くと建州女真(Jianzhou)、海西女真(Haixi)、兀狄哈(ウディゲ)女真(Udege)、野人女真(Yeren)、東海女真(Donghai)の5国家に適用。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|人的資源&color(green){+15%};|~| |山の子孫|Sons of the Mountain|敵損耗&color(green){+1};|ここでいう山は白頭山を指す。女真族にとって白頭山は聖地である。&br;清朝の皇室である愛新覚羅氏の祖は、&br;ブクリ山(白頭山のこと)で水浴びをしていた娘が、&br;天の神の使いのカササギが運んできた赤い実を食べ、&br;それによって妊娠して生まれた子とされている。| |弁髪|The Queue|不穏度&color(green){-1};|弁髪(べんぱつ、辮髪とも)は東アジアの北方遊牧民族の男性の髪型。&br;頭髪を一部を残して剃りあげ、&br;残りの毛髪を伸ばして三編みにし、後ろに垂らすスタイル。&br;要はキン肉マンに登場するラーメンマンの髪型。&br;日本人の持つイメージとして中国人の髪型と思われてるがそれは誤りで、&br;清の時代に満州族が漢民族へ弁髪を強要したためと思われる。| |~|~|正統性&color(green){+0.5/年};|~| |~|~|遊牧民の結束&color(green){+0.5/年};|~| |外地での軍務|Foreign Service|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| |国境地帯|The Borderlands|人的資源回復速度&color(green){+20%};|| |一夫多妻|Wives and Concubines|後継者誕生確率&color(green){+50%};|| |寛容なる族長|Generosity of the Warlord|関係改善&color(green){+25%};|| |女真八旗|Jurchen Banner Armies|八旗雇用可能数&color(green){+15%};|ヌルハチが編成した軍事組織。&br;女真族全構成員を8色の旗のもとに編成、戸籍と軍隊組織を兼ねた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍損耗&color(green){-10%};|| ***チャガタイ(Chagatai)v1.29[#CHG] Ver1.29にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|| |>|~|過酷な処置コスト&color(green){-20%};|~| |山のハン国|The Mountain Khanate|敵損耗&color(green){+0.5};|チャガタイの本拠は天山山脈にあり、天然の要害に守られている。| |~|~|陸軍損耗&color(green){-10%};|~| |絶え間なき国境戦争|Ceaseless Border Wars|陸軍士気&color(green){+5%};|| |~|~|人的資源回復速度&color(green){+15%};|~| |チャガタイ・ハンの子孫|Sons of Chagatai Khan|外交併合コスト&color(green){-15%};|チャガタイ(Chagatai)はチンギス・ハンの次男。&br;激しい気性と一本気な性格だったが、反して法に対して厳格な一面があったため、&br;モンゴル帝国の法律(ヤサ)の管理を任じられ、&br;「ヤサの番人」の異名を取った。 &br;チャガタイの子孫の国家(ウルス)がチャガタイ=ハンである。| |チャガタイ文学|Chagatai Literature|威信&color(green){+1/年};|| |征服の伝統|Tradition of Conquest|コア化コスト&color(green){-25%};|| |狡猾な貴族階級|Scheming Nobility|外交官&color(green){+1};|| |征服の栄光|Glory of Conquest|人的資源&color(green){+25%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍維持費&color(green){-5%};|| ***トランスオクシアナ(Transoxiana)v1.23[#TRS] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 ペルシャ南西部に位置し、ティムールより任命された知事(ティムールの子孫)を頭とする国家の1つで、1444GC開始時ではティムール朝の属国。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|騎兵コスト&color(green){-10%};|~| |&size(12){マー・ワラー・アンナフル,川を超えた土地};|&size(12){Mawarannahr, the land Beyond the River};|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|マー・ワラー・アンナフルは、中央アジア南部のオアシス地域の歴史的呼称。&br;アラビア語で「川の向うの土地」を意味し、アムダリヤ川北岸を指す。&br;なお国家名のトランスオクシアナとほぼ同じ意味である。&br;トランスオクシアナは「オクサス川(アムダリヤ川)より向こうの地」の意で、&br;こちらは正確にはアムダリヤ川とシルダリヤ川の間を指す。| |楽園の入り口|Threshold of Paradise|威信&color(green){+1/年};|首都サマルカンドは当時の大都市の1つで、&br;モンゴル帝国により壊滅した都をティムールが再建し、&br;抜けるような青空とモスクの色から「青の都」と呼ばれ、隆盛を極めた。| |熟練した外交|Adept Diplomacy|諜報網構築力&color(green){+20%};|| |テュルク人の砲兵隊|Turkoman Cannoneers|砲兵コスト&color(green){-15%};|当時、テュルク人の砲兵はインドやイランで活躍し、有名であった。| |科学の奨励|Scientific Patronage|技術コスト&color(green){-5%};|ティムール朝の第4代当主ウルグ・ベクの時代、文化が華開き、自身も優れた天文学者等であったので、&br;文人・学者の保護・奨励、結果、学問分野で大いに成果を挙げた。&br;特に天文学の分野では、ウルグ・ベク天文台をサマルカンドに建設した。&br;天文観測を行い、その成果をまとめた「キュレゲン天文表」は、&br;世界的な正確さを誇り、イスラム世界で広く用いられた。&br;ウルグ・ベクが天文台の壁に刻み残したとされる下記の一節から、&br;彼の信念の一端を知ることができる。&br;&br;『宗教は盛衰し、帝国は無に帰する、されども科学の探究は永遠である。』&br;&size(14){('Religions rise and fall, empires crumble into dust, but the works of science are for all time.')};&br;&br;&size(12){なお、本ゲーム中のティムール朝の固有イベントにこのウルグ・ベク天文台を建設するイベントが用意されている。};&br;&size(12){新バージョンでどうなるかはさておき…};| |シルクロードの集積地|Entrepôt of the Silk Road|首都ノード交易力&color(green){+25%};|| |チャガタイ文学|Chagatai Literature|正統性&color(green){+1/年};|ティムール朝の宰相・アリーシール・ナヴァーイーは&br;テュルク語にペルシア語の語彙と修辞を取り入れた&br;「チャガタイ語」を使って詩作を行い、&br;チャガタイ語をアラビア語やペルシア語に匹敵する文学的地位へ引き上げた。&br;ティムールと同一のNI。&br;政体が遊牧民ではない為適用されないが、&br;内部的には遊牧民の結束上昇の効果がついている。| |~|~|遊牧民の結束&color(green){+1/年};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|アイデアコスト&color(green){-10%};|| ***ヒヴァ=ハン(Khiva)v1.22[#KHI] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |>|~|陸軍損耗&color(green){-10%};|~| |遊牧民の遺産|Horde Legacy|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|ヒヴァ=ハン国は、16世紀前半に成立したジョチ・ウルスのシバン家に属する王朝。&br;この地域にはトルコマン種(絶滅種)と呼ばれた馬が飼育されていた。| |ヒヴァの砂漠|Deserts of Khiva|敵損耗&color(green){+1};|ヒヴァは、預言者ノアの息子セムが、砂漠の中心部に井戸を掘ったことにより町が生まれた。&br;また、その井戸の水を飲んだ人々が「甘い水」を意味する言葉&br;「Kheyvak!(ヒワック!)」と叫んだことから、ヒヴァと呼ばれるようになった。| |メルブのオアシス|Oasis of Merv|キャラバン力&color(green){+20%};|メルブはカラカム砂漠の中にあったシルクロードのオアシス都市。&br;11世紀~12世紀に最盛期を誇ったが、13世紀にモンゴル帝国により廃墟となり、その後復興しなかった。&br;現代では遺跡が残っており、世界遺産に認定されている。| |ジュマ・モスク|Djuma Mosque|布教強度&color(green){+1%};|「ジュマ」とは「金曜日」の意味で、イチャン・カラのほぼ中心に位置する。&br;※イスラム教では、金曜日が休日に当たる。&br;門、ドーム、回廊、庭などを一切持たず、内部には215もの木柱が立ち並ぶ部屋が一部屋ある。&br;モスク内にある最古の柱は古代ホラズム王国の都から運ばれたもので、柱には彫刻されており、1本1本全て異なる。| |アムダリヤ川|Amu Darya|交易効率&color(green){+10%};|アムダリヤ川は、パミール高原・ヒンドゥークシュ山脈から発する&br;パンジ川とヴァクシュ川が合流し、北西へ向かって流れ、アラル海に注ぐ川。&br;河流域はオアシス都市が栄え、ヒヴァ=ハン国もその恩恵を受けた。&br;また、この河付近には金や石油などが埋まっているとされる。| |イチャン・カラ |Ichan Qal'a|要塞防御&color(green){+15%};|イチャン・カラは直訳すると「内城」。&br;城壁に囲われた市街地で、中央アジア、西アジアの都市に見られる。&br;ヒヴァのイチャン・カラは現代で唯一無傷で残ったものであり、世界遺産に認定されている。| |強国外交|Great Power Diplomacy|関係改善&color(green){+20%};|ヒヴァ=ハン国は北にロシア、南にペルシャ、&br;東にイギリス(イギリス領インド)の列強に囲まれていた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|増援速度&color(green){+10%};|| ***満州(Manchu)v1.29[#MCH] Ver1.29にて各女真国家/清とNIが分離し、併せて一部効果の変更、新規追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍維持費&color(green){-5%};|| |>|~|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|~| |女真三部族の統一|United Three Jurchens|人的資源&color(green){+15%};|v1.28以前の満州アイデアからの継続だが、&br;効果が変更された(v1.28以前は人的資源+10%、コア化コスト-20%)。&br;1616年、サルフの戦いで明の大軍を殲滅した女真族のヌルハチは、&br;女真族内の敵対部族を併合し女真族を完全に統一した。| |~|~|コア化コスト&color(green){-15%};|~| |八旗軍|The Eight Banners|八旗雇用可能数&color(green){+25%};|v1.28以前の満州アイデアから継続(順序が3番目→2番目に変更)。&br;ヌルハチが編成した軍事組織。&br;女真族全構成員を8色の旗のもとに編成、戸籍と軍隊組織を兼ねた。&br;後に蒙古八旗、漢軍八旗も編成された。| |満州文字|Manchu Alphabet|安定度コスト&color(green){-10%};|v1.28以前の満州アイデアからの継続だが、&br;順序と(2番目→3番目)効果が変更された(v1.28以前は技術コスト-10%)。&br;1599年、ヌルハチの命令により作成された。| |~|~|主義思想の伝播速度&color(green){+5%};|~| |後金|The Later Jin|正統性&color(green){+1/年};|金は12世紀に中国の北半を支配した女真族の征服王朝名。&br;ヌルハチが1616年にほぼ全ての女真部族を統一、建国宣言した際に金という国号を用いた。&br;前代の金と区別するため、ヌルハチの興した金朝は後金と呼ばれる。| |~|~|遊牧民の結束&color(green){+1/年};|~| |&size(15){モンゴル王朝との連携};|Link with the Mongol Dynasty|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|v1.28以前の満州アイデアから継続(順序が4番目→5番目に変更)。&br;清は1635年にチンギス・ハーンの末裔・チャハル部からチンギス・ハーンの玉璽を送られた。&br;これにより清は領域内の漢族・女真族の支配者としてだけでなく、&br;モンゴル帝国の後継者としての地位をも確立した。| |中国の知識|Chinese Learning|軍事技術コスト&color(green){-10%};|| |七大恨|The Seven Grievances|侵略的拡大&color(green){-10%};|1618年にヌルハチが示した檄文。&br;父と祖父の殺害、国境の越境など、7つの明朝に対する非難声明となっている。&br;ヌルハチはこの「七大恨」を掲げて明とサルフの戦いへ入った。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍士気&color(green){+15%};|| ***モンゴル(Mongolia)v1.29[#KHA] Ver1.29にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+25%};|| |>|~|分離主義年数&color(green){-5};|~| |平原の姿なき騎兵|Ghostly Horses of the Plain|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|| |イフ・モンゴル・ウルス|Ikh Mongol Uls|侵略的拡大&color(green){-15%};|日本語にすると「大モンゴル国」。&br;チンギス・ハンが築いた大帝国を指す言葉。&br;本ゲームのモンゴルはこの大モンゴル帝国の正統後継者を称した。| |草原の戦士の生き様|Life of the Steppe Warrior|陸軍損耗&color(green){-20%};|遊牧民(Horde)アイデアと同一のアイデア。| |北元|The Northern Yuan|コア化コスト&color(green){-25%};|フビライ・ハンにより建国された元帝国(大元)が、&br;明朝に中国の領土を追い出され、モンゴル高原へと逃げ、勢力を保った。&br;それ以降のフビライ・ハンの子孫の政権を北元と言う。&br;要は、本ゲームのモンゴルの別名。| |大ハンのヤム|Yams of the Great Khan|使節の移動時間&color(green){-25%};|大ハンはチンギス・ハンのこと。&br;ヤムは、ジャムチのテュルク語に相当する駅伝制の事。&br;主要道路に10里ごとにおかれる宿駅が置かれ、宿と人馬を提供した。&br;駅伝を利用する公用の旅行者は、通行手形として牌符を携行し、&br;ヤムを自由に利用することができた。| |~|~|増援コスト&color(green){-15%};|~| |モンゴル族の機動力|Mongolian Mobility|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|| |~|~|移動速度&color(green){+10%};|~| |ケシク|The Kheshig|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|モンゴル帝国において君主(ハン)や皇族を護衛した親衛隊のこと。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍維持費&color(green){-5%};|| ***ヤルカンド=ハン(Yarkand)v1.22[#KAS] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|不穏度&color(green){-1};|| |>|~|交易効率&color(green){+10%};|~| |北シルクロード|Northern Silk Road|キャラバン力&color(green){+20%};|シルクロードは、中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称。&br;北シルクロードは、先史時代よりあるタリム盆地を経由するルート。オアシスの道とも。&br;ヤルカンドは、北シルクロードのルートで最も利用された&br;西域南道の要衝の地であった。| |六城の地|Altishahr|税収&color(green){+10%};|アルティ・シャフルはトルコ語で「六城の地」を意味し、&br;新疆、特に南疆西部のイスラム教化したオアシス都市群を指す。&br;ヤルカンドやカシュガルは六城の1つとして比定される。| |ターリーヒ・ラシーディー|Tarikh-i-Rashidi|外交評判&color(green){+1};|「ターリーヒ・ラシーディー」は、16世紀のモグーリスタン・ハン国&br;(東チャガタイ・ハン国)の貴族、歴史家である&br;ミールザー・ムハンマド・ハイダル・ドゥグラトにより書かれた歴史書。&br;自身の回想録であり、中央アジア史の概説が収録されている。&br;当時の中央アジア史に関する重要な史料である。| |ホージャの権限強化|Empower the Khojas|国教寛容度&color(green){+2};|ホージャは、中央アジアでは正統カリフ&br;(イスラム教の祖ムハンマド死後、後を継いだ最初の4人。&br;カリフは代理人の意)の子孫を意味する。&br;ここでいうホージャはイスラム教一派であるナクシュバンディー教団の指導者のこと。&br;本教団の指導者の1人、アフマド・カサーニーの子孫の称号はホージャで、&br;東トルキスタン地域の指導者としての役割を担った。| |~|~|信仰&color(green){+0.5/年};|~| |聖戦士|Holy Warriors|陸軍士気&color(green){+10%};|イスラム圏では、ガーズィーという戦士団が存在した。&br;ガーズィーは、非ムスリムに対する侵略的な宗教的聖戦(ジハード)に伴う、&br;非ムスリム人民への財産狩りや奴隷狩りなどの掠奪遠征に従事とする者、&br;「聖戦に参加する者」のこと。| |黒山と白山|Black Mountain and White Mountains|人的資源&color(green){+10%};|ナクシュバンディー教団の指導者であった&br;アフマド・カサーニーの子孫はホージャの称号を持ち、&br;その家は「カシュガル・ホージャ」と呼ばれ、ヤルカンドで多大な影響を持った。&br;カシュガル・ホージャはアフマド・カサーニー以後、2派に分かれ、&br;それぞれ黒山党(イスハーキーヤ、またはカラタグルク)、&br;白山党(アーファーキーヤ、アクタグルク)と呼ばれ、その権勢を争った。| |タリム交易の促進|Encourage Tarim Trade|州からの交易力&color(green){+15%};|タリム盆地は先史時代より、シルクロードの経由地として交易が活発に行われたが、&br;次第に東南アジアからインド、アラビア半島を経由する&br;海上ルート(海の道)に取って代わられ、衰退していった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| **グループNI [#a9c182fa] 特定の集団に属する勢力に対して適用されるNI ***エヴェンキ(Evenk)v1.29[#Evenk] 主要文化がエヴェンキ(evenk)の国家に適用 Ver1.29にて追加されたグループNI。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|敵損耗&color(green){+1};|| |>|~|州獲得に必要な戦争点コスト&color(green){-10%};|~| |一族の旅団|Family Brigades|陸軍損耗&color(green){-10%};|| |~|~|移動速度&color(green){+5%};|~| |トナカイの牧畜|Reindeer Herding|交易範囲&color(green){+15%};|| |自給自足|Self-Sufficiency|分離主義年数&color(green){-5};|| |シベリアの資源|Siberian Resources|建造物コスト&color(green){-10%};|| |モンゴルのデール|Mongolian Deel|傭兵維持コスト&color(green){-10%};|| |~|~|傭兵枠&color(green){+25%};|~| |森好き|Love of the Forest|陸軍指揮官機動&color(green){+2};|| |新しい狩猟法|New Ways to Hunt|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%};|| ***シベリア(Siberian)v1.22[#Siberian] 政体が「Siberian clan council」の国家に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍損耗&color(green){-15%};|| |>|~|不当な要求&color(green){-25%};|~| |北の狩人|Hunters of the North|敵損耗&color(green){+1};|| |シベリアの毛皮交易|Siberian Fur Trade|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| |捕虜の奴隷化|Enslave the Captives|生産効率&color(green){+10%};|| |シベリアの僻地|Siberian Backwoods|要塞防御&color(green){+15%};|| |血で買われる土地|Land Bought with Blood|陸戦で得る威信&color(green){+100%};|| |奇襲の成功|Successful Raids|人的資源&color(green){+15%};|16世紀、ロシアのストロガノフ家の依頼を受けたイェルマークの攻撃を受けたシビル・ハン国は敗北を喫するものの、隙を見て反撃の奇襲をかけ、イェルマークを戦死させた。| |~|~|補充速度&color(green){+5%};|~| |狩猟地の拡張|Hunting Expansion|植民地人口増&color(green){+20};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|戦争疲弊&color(green){-0.05/月};|| ***チベット(Tibetan)v1.22[#TIB] 主要文化がチベットで、かつ国教が密教の国家に適用 (For all Vajrayana countries with Tibetan as primary culture.) |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|不穏度&color(green){-1};|| |>|~|布教強度&color(green){+1%};|~| |密教|Vajrayana Buddhism|安定度コスト&color(green){-10%};|| |ボン教の影響|Bon Influence|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|ボン教とは仏教伝来以前よりチベットに伝わる民族宗教である。| |ヤク|Yaks!|生産効率&color(green){+10%};|| |美徳の道|The Way of Virtue|異端寛容度&color(green){+1};|ゲルク派の事か?| |~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~| |ポタラ宮|Potala Palace|外交評判&color(green){+1};|| |古代の道|The Way of the Ancients|規律&color(green){+5%};|ニンマ派の事か?| |サキャ派|The Pale Earth School|アイデアコスト&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|顧問コスト&color(green){-10%};|| ***遊牧民(Horde)v1.29[#Horde] ティムール、満州以外の技術グループが草原の遊牧民(Steppe Nomads)の国家に適用 政体の変更が発生した場合、条件を満たす別のNIに変更される |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|侵略的拡大&color(green){-10%};|| |>|~|分離主義年数&color(green){-5};|~| |草原の戦士の生き様|Life of the Steppe Warrior|陸軍損耗&color(green){-20%};|遊牧民は生まれ持った巧みな馬術と強力な弓術により精強さを誇ったが、過酷な自然環境の中で生存を第一義としたため、戦死を好まず撤退を不名誉と考えず、強力な敵に対しては後退を繰り返して相手の疲労を狙う戦術を得意とした。| |偉大なるハンの伝統|Traditions of the Great Khan|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|匈奴の冒頓単于、フン族のアッティラ、ティムールなどカリスマをリーダーに迎えた時、強大な遊牧国家が誕生することは洋の東西を問わない。&br;中でも史上最大の大陸国家を建設したモンゴル帝国のチンギス・ハンの記憶はユーラシアの遊牧民たちに長く生き続けた。| |馬の供給|Horse Supplies|陸軍維持費&color(green){-5%};|モンゴル帝国は常に代え馬を引き連れて遠征した。| |草原の指導者|Steppe Leaders|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|遊牧民の居住環境は厳しく、自然の脅威にさらされる。&br;そうした中で生活した集団は自然と軍事組織化し、集団の指導者は優れた指揮官となった。| |征服の伝統|Tradition of Conquest|コア化コスト&color(green){-25%};|遊牧民の国家は時として広大な領域を支配した。&br;それは圧倒的な機動力・戦闘力を誇っていたことと同時に、貢納と兵役に応じさえすれば現地の社会体制を保持し自治を許す寛容さを持ち合わせていたからである。| |ハンの兵站|Logistics of the Khan|人的資源回復速度&color(green){+20%};|| |征服の栄光|Glory of Conquest|人的資源&color(green){+25%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|安定度コスト&color(green){-10%};|| *東南アジア [#EastIndies] |CENTER:20|>|>|>|>|CENTER:|c |~各国NI|~モルッカ|[[セブ(Cebu)>#CEB]]|[[ブトゥアン(Butuan)>#BTU]]|[[マジャアス(Madyas)>#MAS]]|| |~|~インドネシア|[[クタイ(Kutai)>#KUT]]|[[マジャパヒト/スンダ(Majapahit / Sunda)>#Javan]]||| |~|~マラヤ|[[パガルユン(Pagarruyung)>#PGR]]|[[パタニ(Pattani)>#PAT]]||| |~|~インドシナ|[[アユタヤ(Ayutthaya)>#AYU]]|[[クメール(Khmer)>#KHM]]|[[スコータイ(Sukhothai)>#SUK]]|[[大越(Dai Viet)>#DAI]]| |~|~|[[チャンパ(Champa)>#CHA]]|[[ラーンサーン(Lan Xang)>#LXA]]||| |~|~ビルマ|[[アヴァ(Ava)>#AVA]]|[[アラカン(Arakan)>#ARK]]|[[タウングー/ピイ(Taungu / Prome)>#TAU]]|[[ペグー(Pegu)>#PEG]]| |~|~|[[ラーンナー(Lan Na)>#LNA]]|||| |>|~グループNI|[[シャン(Shan)>#Shan]]|[[スマトラ(Sumatran)>#Sumatran]]|[[スラウェシ(Sulawesi)>#Sulawesi]]|[[マレー(Malayan Sultanate)>#Malayan]]| |~|~|[[ミンダナオ(Mindanao)>#Mindanao]]|[[モルッカ(Moluccan)>#Moluccan]]|[[ラオス(Laotian)>#Laotian]]|[[ルソン(Luzon)>#Luzon]]| **各国NI [#ob7d6a40] ***アヴァ(Ava)v1.26[#AVA] Ver1.26にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|歩兵コスト&color(green){-15%};|~| |パガン王朝の遺産|Legacy of the Pagan Dynasty|威信&color(green){+1/年};|元はタウングーのNI。&br;パガン王朝は現在のミャンマーにあった、ビルマ族最初の王朝。&br;「パガン」とは「ピュー族の集落」を意味する「ピュー・ガーマ」が転訛したものと考えられている。&br;ビルマ語王統史では55代の王が記されているが、初期の王は実在が怪しい。&br;現代では、実在が確認される王統記上の第44代アノーヤターを最初の王とする。&br;1287年、クビライ・カーン率いる元が侵攻、首都パガンを攻撃し、パガン朝は滅亡した。| |ラージャディラージャ|Rajadhiraja|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|ラージャはサンスクリット語で王の意味であり、ラージャディーラージャは王の中の王の意味。&br;主にインドの王に用いれられた。&br;ペルシア(イスラム)世界のシャーハンシャーみたいなものと思われる。| |マヌヂエ・ダマタッ|Manu Kye Dhammathat|安定度コスト&color(green){-10%};|元はタウングーのNI。&br;Maha Thiri Ottma Zeya著の法律書。「ダマタッ」は成文法の意。&br;パーリ語で書かれたマヌイン・ダマタッのビルマ語訳を基に、&br;従前の諸々のダマタッや司法判決,同時代の慣習法等を参考にして&br;新たに編纂したビルマ(ミャンマー)の代表的成文法。| |ビルマ文学の後援|Patronize Burmese Literature|君主と同一文化の顧問コスト&color(green){-20%};|| |丘陵部族からの募兵|Recruit from the Hill Tribes|人的資源&color(green){+20%};|| |シャン族制御の継続|Keep the Shan in Line|外交評判&color(green){+1};|| |地方統治者の抑制|Rein in Provincial Governors|自治度変化&color(green){-0.05/月};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|| ***アユタヤ(Ayutthaya)v1.25[#AYU] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|宗教的統一性&color(green){+20%};|| |>|~|受容文化枠&color(green){+1};|~| |白象|White Elephant|税収&color(green){+10%};|白象は、タイにおいてはかなり昔から神聖視されていた。&br;アユタヤ王朝の王であった、チャックラパットは白象をかり集め、白象王と呼ばれた。&br;なお、英語で「white elephant」は「無用の長物」という意味がある。| |賦役制|The Corvee System|人的資源&color(green){+10%};|アユタヤでは、プライ(下級身分層、phrai)の成人男子は全員賦役義務を負った。&br;18歳になると手首に入墨を施され、賦役者であることとその所属を登記された。| |外国の傭兵|Foreign Mercenaries|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|日本の浪人を傭兵隊に編成した山田長政は有名。| |大使|Embassies|外交官&color(green){+1};|| |中継交易の振興|Promotion of Trading Links|交易範囲&color(green){+20%};|| |個人的処刑|Personal Executions|安定度コスト&color(green){-10%};|| |公民|Phrai Luang|不穏度&color(green){-1};|アユタヤでは、プライは全て国王に帰属しており、「Phrai Luang(国王の民=公民)」と呼ばれた。&br;実際の賦役や徭役は地方の酋長や統治者により実施されたが、&br;あくまで国王より貸し出されているという扱いであった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|属国収入&color(green){+25%};|| ***アラカン(Arakan)v1.22[#ARK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|小型船コスト&color(green){-20%};|| |>|~|受容文化枠&color(green){+1};|~| |ミャウウー王朝|Mrauk U Dynasty|正統性&color(green){+1/年};|ラカイン人(アラカン人)の口承等を参考にすると、その歴史は紀元前まで遡ることができるが、&br;幾つかの王朝を経て1429年にミン・ソー・モンが王朝を樹立。&br;1430年にミャウウー(ミャウーとも)に遷都し、ミャウウー王朝と呼ばれるようになった。| |ロヒンギャの移民|Rohingya Immigrants|異教寛容度&color(green){+2};|ロヒンギャは現代のミャンマーのラカイン州に主に居住する、インド・アーリア系ムスリム人の総称。&br;民族とみなすかは微妙であり、少なくとも公式的には認定されていない。&br;アラカン王国時代はラカイン人とロヒンギャは融和していたが、その後の英国統治時代からの遺恨により、&br;現代では対立、ロヒンギャは難民となっており、非常に大きな問題となっている。| |ベンガル湾貿易|Bay of Bengal Trade|商人&color(green){+1};|| |マグとファランギ|Magh and Ferenghi|私掠効率&color(green){+15%};|マグとは、ブッダの時代に栄えたマガダ国のことでラカイン人のと同義のマグ人のこと。&br;ファランギはヨーロッパ人を指す言葉で、この時代は特にポルトガル人を指す事が多い。&br;(「フランキ砲」で有名な「フランキ」も中国で呼ばれた名称で語源は近しいと考えられる)&br;ミャウウー王朝時代、マグ人とポルトガルの奴隷商人は、&br;ベンガル湾の河川地区からラカインにかけて荒らしまわった。&br;中にはアラカン国の宮廷警護をする者たちもいた。| |~|~|水兵維持費&color(green){-5%};|~| |仏教徒のスルターン王|Buddhist Sultans|外交評判&color(green){+1};|アラカン王国は仏教王朝であったが、&br;ベンガル湾でムスリム商人と交易する際に、&br;イスラム名(スルターン)を名乗るほどイスラムやムスリムに寛容だった。| |ムスリムの顧問|Muslim Advisors|顧問コスト&color(green){-10%};|| |アラカンの貿易契約|Arakanese Trade Contracts|交易効率&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|小型船攻撃力&color(green){+15%};|| ***クタイ(Kutai)v1.22[#KUT] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|州からの交易力&color(green){+10%};|| |>|~|交易誘導&color(green){+20%};|~| |最初期のインド系国家|Earliest Indic State|交易効率&color(green){+10%};|クタイ王国は、5世紀初め頃、カリマンタン島東部、マハカム川下流のクタイ周辺で勃興した国。&br;インドネシアにおける最も古いヒンドゥー王国である。| |イスラムの交易コミュニティ|Muslim Trading Communities|異教寛容度&color(green){+2};|| |ボルネオの富|Riches of Borneo|交易品生産量&color(green){+10%};|ボルネオ島は、象牙やチーク材、真珠、翡翠などが多量に産出されていた。| |海賊行為への対処|Anti-Piracy Measures|要塞防御&color(green){+10%};|ボルネオの周辺の海洋民であるイスラム教徒は海賊として恐れられていた。| |入植の奨励|Encourage Immigration|人的資源&color(green){+15%};|| |クタイ地域の統合|Consolidation of Kutai|税収&color(green){+10%};|| |内陸部の征服|Subdue the Inlands|不穏度&color(green){-1};|ボルネオ島の山岳や森林に囲まれた内陸部は、多くの部族集団がいた。&br;内陸部の部族の1つであるビダユ族(陸ダヤクとも)は、首刈りの風習を持つことで恐れられ、&br;東南アジアでもヨーロッパ勢力の進出が最も遅れたところであった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|首都ノード交易力&color(green){+20%};|| ***クメール(Khmer)v1.22[#KHM] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|顧問コスト&color(green){-10%};|~| |プレア・コー・プレア・ケオ|Preah Ko Preah Keo|陸軍士気&color(green){+10%};|「プレア・コー・プレア・ケオ」はカンボジアで生まれた2人の兄弟に関するカンボジアの伝説。&br;兄はプレア・コーと呼ばれる神の力を持つ牛、弟はプレア・ケオと呼ばれる男である。&br;カンボジアで非常に人気でその物語は小説や、映画、絵画などになっている。&br;また、カンボジア内の神社の中にはプレア・コーやプレア・ケオの像が置かれている。| |上座部|Theravada Buddhism|国教寛容度&color(green){+1};|上座部は、仏教の分類の一つで、南伝仏教とも。&br;ざくっと言うと、出家して厳しい修行を積んだ僧侶のみが、悟りを開き救われるという考え方。&br;僧侶以外の人は、僧侶を肯定し、お布施することにより功徳を積む(恩恵を得る)。&br;タイやカンボジア等は上座部である。&br;対して日本では、全ての人々を救うという救済を第一の考え方とする大乗である。| |~|~|関係改善&color(green){+15%};|~| |チャム族の移住|Cham Migration|海軍伝統&color(green){+1/年};|チャム族は大越による追われ、多くがメコン川をさかのぼって現在のカンボジアに逃げ込んだ。| |河川貿易|River Trade|交易効率&color(green){+10%};|| |ヨーロッパの傭兵|European Mercenaries|規律&color(green){+5%};|| |アンコールの修復|Restoration of Angkor|威信&color(green){+1/年};|アンコールはサンスクリット語で「王都」を意味し、クメール王朝の首都である。&br;クメールの王はその権威を示すため、王ごとに壮大な寺院を建立した為、アンコールには膨大な寺院があった。&br;アンコールは12世紀頃に栄華を極めたが、1431年にアユタヤより攻められ陥落、没落する。&br;現代では、その遺跡群が多数残され、「アンコール遺跡」として世界遺産に認定されている。&br;特にクメール18代王スーリヤヴァルマン2世が造営したアンコールワット、&br;21代王のジャヤヴァルマン7世の造営したアンコールトムが有名。| |近代的なクメール海軍|A Modern Khmer Navy|船舶の耐久力&color(green){+5%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+20%};|| ***スコータイ(Sukhothai)v1.22[#SUK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|国教寛容度&color(green){+2};|| |>|~|外交評判&color(green){+1};|~| |文化の発祥地|Birthplace of a Culture|威信&color(green){+1/年};|スコータイ王朝は、13世紀に興ったタイ族最初の王朝と言われる。&br;当時のタイは、クメール王朝の支配下にあったが、&br;シーインタラーティットがスコータイからクメール人を追い出し、王朝を興したとされる。| |タイ文字|Akson Thai|技術コスト&color(green){-5%};|タイ文字は、スコータイ王朝3代の王ラームカムヘーンがクメール文字を基に作成したとされる。| |宋胡録焼|Sawankalok Ware|交易効率&color(green){+10%};|宋胡録(すんころく)はスコータイのサワンカローク(Sawankalok)周辺で焼成された陶器のこと。&br;宋胡禄自体サワンカロークが訛ったものとされる。&br;スコータイ王朝3代ラームカムヘーンが中国から陶工を呼び、サワンカロークにて生産させたとする。&br;14世紀以降のアユタヤ王朝時代に輸出用生産が拡大、主に日本向けに輸出された。&br;宋胡禄は日本では転じてタイの陶器全般を指すようになる。| |ワット・シー・サワイ|Wat Si Sawai|布教強度&color(green){+1%};|ワット・シー・サワイはスコータイにあるヒンドゥーの寺院。&br;スコータイ王朝が興る前のクメール王朝時代の12世紀末から13世紀初頭に建立されたと言われている。&br;3基並んだ丸みを帯びたクメール様式の仏塔が特徴。&br;現代では、スコータイ歴史公園(世界遺産)の南西部にて観覧できる。| |父権政治|Father Governs Children|不穏度&color(green){-1};|スコータイの統治形態は父権政治で、王や国家が父で国民が子のような関係であった。&br;例えば、国民が王へ直接訴えを起こし、王が裁判を行い、公明正大に裁いたとされる。| |ラームカムヘーン大王碑文|Ramkhamhaeng Stele|正統性&color(green){+1/年};|ラームカムヘーン大王碑文は、&br;スコータイ王第3代ラームカムヘーンによって作られたとする碑文。&br;ラームカムヘーンは、スコータイ王朝を1地方の小国から広大な領域を支配する大国に発展させた王で、&br;その業績からタイの3大王の1人に数えられ、大王の尊称で呼ばれる。&br;この碑文は、当時の様相を伝える貴重な一次資料として知られる。&br;世界の記憶遺産に認定。| |戦象|War Elephants|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|スコータイ王朝でも他のインドシナの国家と同様、戦象を用いた記録が残っている。&br;チョート国との戦争時、王子であった第3代王ラームカムヘーンは、&br;戦象を駆ってジョート国の王クン・サームチョンとの一騎討ちに勝利し、&br;「ラーマのような強者」を意味するラームカムヘーンの名を与えられたとされる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍扶養限界&color(green){+25%};|| ***セブ(Cebu)v1.24[#CEB] v1.24で追加された新規国家の専用NI。 スペインの植民地前にセブ島で成立したインド化された王国。貿易拠点として栄えた。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|ガレー戦闘力&color(green){+20%};|| |>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~| |ルマイの野望|Lumaya’s Ambition|陸軍士気&color(green){+10%};|民間伝承ではセブ王国は、チョーラ朝がスマトラ島を占領した後に、&br;若き王子スリ・ルマイ(Sri Lumay)を祖とする。&br;ラージャムダ・ルマイ(Rajamuda Lumaya)とも呼ばれる。&br;彼はチョーラ朝の王より北部の島々の方面軍として遣わされた。&br;スリ・ルマイはビサヤ諸島に移住し、チョーラ朝に反抗、独立をしたとされ、&br;セブ王国を築いたとされる。| |チョーラ朝の遺産|Chola Legacy|正統性&color(green){+1/年};|上記の通り、セブ王国を築いたとされる祖は、&br;チョーラ朝支配時にスマトラ島より移住した王子とされる。| |マガロスからの防衛|Protect against the Magalos|海軍伝統&color(green){+1/年};|マガロス?(Magalos)はミンダナオ地域の部族集団のことか。&br;モロの襲撃者や海賊ともされている。マガロス自体は「平和の破壊者」という意味。&br;セブ王国はこの襲撃者と度々戦いを行ってきた。| |島の鎮圧|Pacify the Islands|自治度変化&color(green){-0.05/月};|| |「貿易の場」|'The Place for Trading'|禁輸効率&color(green){+10%};|セブ(Cebu)は、スペイン統治時代の名称で、&br;統治以前はスグブ(Sugbu)と呼ばれていた。&br;これはsinibuayng hingpit(貿易の場、the place for trading)を&br;口語的に省略したシブ(Sibu)やシボ(Sibo)、「貿易」(to trade)が由来とされている。&br;要はセブは「貿易の場」が語源。| |~|~|私掠効率&color(green){+25%};|~| |欧州への親善|Befriend the Europeans|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| |首都の拡張|Expand the Capital|開発コスト&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易力&color(green){+10%};|| ***大越(Dai Viet)v1.22[#DAI] 安南(Annam)、東京(Tonkin)も対象。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|敵損耗&color(green){+1};|| |>|~|敵対的コア化コスト&color(green){+50%};|~| |偉大なる宣告|The Great Proclamation|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|『平呉大誥(ビン・ゴ・ダイ・カオ)』のことを指す。&br;1428年に大越が明から独立した時の宣告。&br;中国明朝からの解放者レ・ロイ(黎利)の腹心であるグエン・チャイ(阮薦)により書かれた。&br;ベトナムでは「呉」という語も中国を意味し、&br;『平呉大誥』は『中国を平らげたことを天下に告げる勅語』という意味になる。| |儒学の復興|Confucian Revival|威信&color(green){+1/年};|独立を達成したレ・ロイ(黎利)は、黎朝を興し、国号を大越とした。&br;その後、明に対して朝貢を開始して良好な関係を結び、&br;その制度や文化を取り入れ、科挙や儒学の興隆に力を入れた。| |村落の自治|Autonomous Villages|要塞防御&color(green){+20%};|| |村落の民兵|Village Militia|人的資源&color(green){+25%};|| |屯田制|Don Dien|コア化コスト&color(green){-10%};|15世紀後半、屯田兵として南部ベトナムや西部へ進出した。| |順天|Thuan Thien|正統性&color(green){+1/年};|初代皇帝レ・ロイ(黎利)が持っていた竜王より借りたとされる宝剣。&br;川で見つけたという輝く鉄刀を貰い受け、磨くと「順天」の文字が現れたという。&br;伝説では独立後にホアンキエム(還剣)湖で遊覧していると、黄金色の亀が現れ、&br;「龍の神へ宝剣を戻しなさい」と告げられ、返したとされる。| |文語の改良|Literary Reform|技術コスト&color(green){-5%};|ベトナム語を表記するために、チュハン(中国漢字)の他に、&br;チュハンを元にしたチュノムと呼ばれる文字も使われた。&br;チュノムは要するに、日本の「辻」みたいな和製漢字(国字)のベトナム版。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍士気&color(green){+10%};|| ***タウングー/ピイ(Taungu / Prome) v1.26[#TAU] アイデアの正式名はビルマ(Burmese)である。 Ver1.26で新規に追加された国家ピイも対象となった。 合わせて、効果とアイデア順序が一部変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|~| |曼荼羅制|Mandala System|人的資源&color(green){+25%};|東南アジアにおける近世以前の国家制度。各地域の勢力が連合して国家を成した。&br;勢力間の重層的なつながりがあたかも仏教の曼陀羅の様であったためにこの名がついた。| |象戦|Elephant Warfare|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|| |ナッ信仰|Nat Worship|宗教的統一性&color(green){+20%};|ミャンマーの土着信仰。「ナッ」は精霊や祖霊、死霊などを指す。| |転輪聖王|Chakravartin|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|仏教における理想的な王。チャクラヴァルティンとも。&br;地上をダルマ(法)によって統治し、王に求められる全ての条件を備えるという。| |国務院|The Hluttaw|不穏度&color(green){-2};|ルトー(Hluttaw)は、英訳で「Royal release」(王家の開放?)の意。&br;Hluttawの起源は、パガン朝時代にまで遡り、&br;政府の日常業務を管理する上級閣僚評議会を開設したことによる。&br;復興後のタウングー朝(ニャウンヤン朝)時代の統治では、&br;Hluttawは最高の国政機関(国務院)として設置され、&br;詔勅の発布や地方役人を選任し国王へ報告するなど、国務政務を行った。| |組織化された軍事作戦|Organized Military Campaigns|陸軍損耗&color(green){-10%};|| |バインジー|Bayingyi|歩兵コスト&color(green){-20%};|ポルトガル兵の子孫。&br;タウングー朝が分裂した際、シリアム一帯はポルトガル人の傭兵団が自立し、自治したが、&br;その後、タウングー朝は復興し、シリアムを再征服。&br;その際、シリアムのポルトガル人は世襲性の砲兵隊(タウンジー)として土地を与えられる。&br;現代でも、タウンジーの子孫はミャンマーに定住しており、民族問題の1つとして抱えられている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|コア化コスト&color(green){-15%};|| ***チャンパ(Champa)v1.22[#CHA] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|小型船攻撃力&color(green){+15%};|| |>|~|海軍伝統&color(green){+1/年};|~| |ミーソン寺院群の記憶|Memory of the My Son Temples|国教寛容度&color(green){+2};|ベトナム中部にあるミーソンは、チャンパ王国の聖地として知られる。&br;寺院などの遺跡群は現代にも残っており、「ミーソン聖域」として世界遺産に認定されている。&br;チャンパ王国はインドの影響を大きく受けており、&br;遺跡の寺院にもヒンドゥーシヴァ派の影響が色濃く残っている。| |航海の民族|A Seafaring People|小型船コスト&color(green){-20%};|古チャム人は優れた航海技術を持っていたとされ、&br;チャンパ王国は交易国家として繁栄した。| |南インドとの縁|South Indian Connections|交易力&color(green){+10%};|| |チャム族の移住|Cham Migrations|植民地人口増&color(green){+15};|チャンパ王国は北の大越から度々侵攻を受け、1471年に首都ヴィジャヤを奪われた。&br;以降、チャム族の多くはディアスポラとなり、メコン川をさかのぼって現在のカンボジアに逃げ込んだ。| |制旻の遺産|Che Man's Legacy|関係改善&color(green){+20%};|制旻は、ジャヤ・シンハヴァルマン3世とも呼ばれる13世紀末頃のチャンパ王。&br;この時代、チャンパは度々中国の元朝より内政干渉を受けていた。&br;制旻は元に対して反乱を起こし、元を首都ヴィジャヤから撤退させ、独立を果たした。&br;この時、仇敵の大越(陳朝)と関係を改善しており、共同で元の撃退を行っている。&br;また、元との和平後、陳朝の君主陳英宗(チャン・アイン・トン)の&br;妹である玄珍(フエン・チャン)と婚姻し、領内の平和をもたらした。| |沈香|Agarwood|交易効率&color(green){+10%};|沈香は、代表的な香木の一つ。&br;チャンパ王国は沈香の主な産出国で、中でも特に質の良いものは伽羅と呼ばれ、&br;非常に希少で珍重され、チャンパ王国の主要な交易品目であった。&br;正倉院収蔵の蘭奢待もチャンパ王国産とされており、&br;徳川家康がチャンパ王に宛てた沈香を求める信書も残っている。| |他国支配への抵抗|Resisting Foreign Rule|要塞防御&color(green){+10%};|チャンパ王国は1471年に大越に首都ヴィジャヤを奪われたあとも、大越の南下政策により征服され、&br;大越に自治権を認められる形で半ば属国化していた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍扶養限界&color(green){+25%};|| ***パガルユン(Pagarruyung)v1.22[#PGR] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|異教寛容度&color(green){+2};|| |>|~|要塞防御&color(green){+10%};|~| |タントラの遺産|Tantric Legacy|布教強度&color(green){+2%};|タントラは、 ヒンドゥーで、シヴァの妃を性力として崇拝する諸聖典の通称。&br;タントラの考えは仏教へも大きく影響を与えており、密教経典の総称の意味も持つ。&br;タントラは様々な地域で形を変えて入ってきており、インドネシアにも影響を与えた。| |金の交易|Gold Trade|交易力&color(green){+10%};|ミナンカバウは古くから知られる金の産地である。| |イスタノ・バサ|Istano Basa|正統性&color(green){+1/年};|イスタノ・バサはミナンカバウ族住む土地で興ったパガルユン王国の王宮のこと。| |ラジョ・ティゴ・セロ|Rajo Tigo Selo|不穏度&color(green){-1};|「三座の王」を意味する。パガルユン王国は、&br;「世界の王」(ラジャ・アラーム)、「アダットの王」(ラジャ・アダット)、「宗教の王」(ラジャ・イバダット)&br;の3王により統治された。| |高等教育|High Education|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|ミナンカバウ族の男性は7歳頃になると親元を離れ、&br;スラウと呼ばれる宗教施設の共同体に移り、イスラム教育を受ける。&br;その後、12歳になると故郷を離れ、勉学に勤しむという教育の伝統があり、&br;インドネシアにおける教育界の中心的な役割を果たしており、&br;インドネシアにおいて、優秀な詩人、政治家、学者等を多く輩出している。| |ルマ・ガダン|Rumah Gadang|威信&color(green){+1/年};|ルマ・ガダンとは、ミナンカバウ族の伝統家屋のことであり、直訳すると「大きな家」。&br;反り返ったような屋根が特徴で、水牛の角を模している。&br;単に住居だけではなく、結婚式やその他の行事が行われたり、親族のミーティングの場である。| |母系文化|Matrilineal Culture|安定度コスト&color(green){-10%};|ミナンカバウ族では、アダット・プルパティ(adat perpatih)と呼ばれる&br;(アダットは慣習、プルパティは祖師の意)母系制慣習がある。&br;ミナンカバウの社会は世界最大の母系制社会である。&br;ミナンカバウ族では財産や土地は、母から娘に相続される。&br;いっぽう、宗教的儀式や政治の中心は男性である。&br;結婚もルマ・ガダンは女性が持ち主の為、夫は「婿入り」や「通い婚」である。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%}; || ***パタニ(Pattani)v1.22[#PAT] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|小型船攻撃力&color(green){+10%};|| |>|~|受容文化枠&color(green){+1};|~| |胡椒生産|Pepper Production|生産効率&color(green){+10%};|パタニは胡椒の生産地として知られていた。| |南シナ海の貿易|South China Sea Trade|交易誘導&color(green){+20%};|| |密輸網|Smuggling Networks|諜報網構築力&color(green){+20%};|| |林道乾の一団|Lian Dao-Qian Band|私掠効率&color(green){+15%};|林道乾は明代の海賊で、後にパタニ王国の高官となった中国人。&br;後期倭寇の最大勢力となった林道乾は、明に目を付けられたため、&br;安全を求め南下、パタニへ移住した。&br;パタニ王国の女王は、豊富な知識と経験を持つ林道乾を迎え入れ、大砲の制作を命じた。&br;この作成された大砲の内、スリ・パタニと呼ばれる大砲は&br;現在のパッターニー県の県章のモチーフである。| |~|~|敵船捕獲確率&color(green){+10%};|~| |倉庫|Entrepot|商人&color(green){+1};|| |私有財産の保護|Protection of Private Property|安定度コスト&color(green){-10%};|| |運河インフラ|Canal Infrastructure|開発コスト&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%};|| ***ブトゥアン(Butuan)v1.24[#BTU] v1.24で追加された新規国家の専用NI。 ブトゥアンにあった中継貿易で栄えた海洋国家で、10世紀には既に成立してたとされる王国。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|交易効率&color(green){+10%};|| |>|~|小型船コスト&color(green){-20%};|~| |インド化した社会|Indianized Society|外交枠&color(green){+1};|宋史にブトゥアンの名前が確認でき、ヒンドゥー国家で&br;ラージャにより治められていたと伝えられている。| |北のヌサンタラ|Northern Nusantara|交易力&color(green){+10%};|ヌサンタラ(Nusantara)はそもそもは古マレー語で「列島」の意味。&br;ここでは、マレー世界の意味。&br;フィリピンはヌサンタラの最北の地域にあたる。&br;なお、現代のインドネシア語では、インドネシアの領土・領海を表す言葉で、&br;こちらの場合フィリピンは含まない。| |ブトゥアンの貿易関係|Butuan Trade Connections|商人&color(green){+1};|ブトゥアンは早くからシュリーヴィジャヤ王国やチャンパ王国と&br;貿易を行っていた。| |ブトゥアンの金細工|Butuan Goldwork|外交評判&color(green){+1};|当時のブトゥアンの主力貿易品として金製品が知られている。| |バランガイ|Balangay|州からの交易力&color(green){+10%};|バランガイ(barangay)は、フィリピンの都市を構成する最小の地方自治単位。&br;元々は「帆船」の意味だが、バランガイに乗ったマレー人が各地に定住し、&br;その集団を指す言葉となった。| |海岸線の防衛|Protect the Coastlines|大型船戦闘力&color(green){+10%};|| |長距離外交|Long Range Diplomacy|外交官&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| ***ペグー(Pegu)v1.22[#PEG] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|州からの交易力&color(green){+10%};|| |>|~|商人&color(green){+1};|~| |ペグーの富|Riches of Pegu|交易効率&color(green){+10%};|イラワジ川(現在はエーヤワディー川と言う)河口に港を持っていたペグーは中継貿易の拠点の1つであった。&br;宝石、ルビー、象、チーク材、麝香等の交易品を中国とインドの中継をし、栄えたとされる。| |マルタバン|Martabans|交易品生産量&color(green){+10%};|マルタバンは、ミャンマー南部にある都市。現代ではモッタマと呼ばれる。&br;花瓶や壺で有名であり、このあたり一帯で作成された壺はマルタバン壺と称される。| |ダンマゼーディー|Dhammazedi|国教寛容度&color(green){+2};|ダンマゼーディーはペグー朝の第16代の王。&br;元はアヴァの僧侶であったが、前王シンソーブの時代に重用され、王の娘と結婚し、王位を禅譲された。&br;この時代、司法は王が裁くことも多かったようで、その判例を集め編纂された&br;『ダンマゼーディー司法判決集』は有名で現代にも残る。| |ラーマンニャデーサ|Ramannadesa|陸軍士気&color(green){+10%};|ラーマンニャデーサは「ラマンの国」を意味する。ラマンはモン族の事。&br;古代ではタイやミャンマー一帯のモン族の領土を指したようである。&br;その後、ビルマ族やタイ族より領土を奪われ、モン族の国家は一時的になくなるが、&br;その後モン族の国家として復活するのがペグー王朝である。| |精力的な交戦|Dynamic Warfare|軍事技術コスト&color(green){-10%};|| |仏教王権|Buddhist Kingship|正統性&color(green){+1/年};|王の権力や統治権を仏教に求める政治形態のことで、スリランカが有名。&br;ペグーでは、ダンマゼーディーの治世に王権の正当化を目的に仏教改革が行われた。| |モン族のディアスポラ|Mon Diaspora|外交評判&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|開発コスト&color(green){-10%};|| ***マジャアス(Madyas)v1.24[#MAS] v1.24で追加された新規国家の専用NI。 スマトラ島やボルネオ島からビサヤ諸島へ移住したマレー人が各地に集落を築き、その各地の集落の連合国家。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍提督機動&color(green){+1};|| |>|~|水兵維持費&color(green){-10%};|~| |ヒニラウッドゥ|Hinilawod|アイデアコスト&color(green){-10%};|ヒニラウッドゥ(Hinilawod)は、パナイ島のスロッド(Sulod)の原住民スロッド族の頃より&br;伝わる口伝の叙事詩。29,000もの詩篇からなり、世界でも最長の叙事詩と言われる。&br;3人の半神の兄弟の物語である。| |パナイの遺産|Legacy of Panai|海軍士気&color(green){+15%};|ビサヤ諸島の祖先は元々シュリーヴィジャヤ王国時代、&br;スマトラ島にあるパナイ(Pannay)を支配していたが、&br;外国からの侵略を受けた際にパナイ島へ移住したとされる。&br;また、有名な伝説「マラグタス(Maragtas)」では、&br;ボルネオでの圧政から逃げた10人のダトゥ(Datu、首長)が&br;パナイ島へ移住し、原住民より土地を買ったとされる。| |ビサヤ諸島の富|Riches of the Visayas|開発コスト&color(green){-10%};|ビサヤ諸島はフィリピンでも肥沃な地と知られ、&br;農業が盛んであった。| |海戦名人|Masters of Maritime Warfare|海軍提督白兵&color(green){+1};|| |連合規約|Articles of the Confederation|威信&color(green){+1/年};|先に挙げた10人のダトゥの1人スマクウェル?(Sumakwel)が&br;制定した法典(成文法)を指すと思われる。マダグタス法典とも。&br;先に記載した、買い上げた土地をマジャ・アス(Madya-as)と名付けた後、&br;イロン・イロン(Irong-irong)、アケアン(Akea)、ハムティク(Hamtik)地域の&br;3つのグループに分かれたが、買い取った元々の土地イロン・イロン(Irong-irong)を受け取った&br;ダトゥの1人パイブロン(Paiburong)を中心にダトゥの評議会が開かれ、&br;6つの条項からなる連合規約を採択した。&br;それがマダグタス法典である。| |キナダトゥアン|Kinadatuan|安定度コスト&color(green){-10%};|キナダトゥアン(Kinadatuan)は、主権領域や王室といった意味か。&br;マジャ・アスは連合国家であるので、&br;上記で触れたダトゥそれぞれの主権領域やそれを治めるダトゥの王室の事のようである。| |造船分野の拡大|Expand the Shipbuilding Sector|船舶の耐久力&color(green){+5%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍提督射撃&color(green){+1};|| ***マジャパヒト/スンダ(Majapahit / Sunda)v1.22[#Javan] アイデアの正式名はジャワ(Javan)である。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|異教寛容度&color(green){+2};|| |>|~|威信自然減&color(green){-1%};|~| |チャンディ式寺院|Candi Shrines|宗教的統一性&color(green){+20%};|チャンディ(Candi)はインドネシア語で寺院を意味する。&br;ジャワでは、他の東インドの島々と同様、インドの影響により、ヒンドゥーが信仰されるが、&br;その後、仏教が入り、習合されていく。&br;世界遺産に認定されているボロブドゥール寺院遺跡等はジャワにある仏教寺院として知られる。&br;なお、ジャワも他の東インドの島々の例に漏れず、イスラム化していくこととなる。| |インド化|Indianization|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|ジャワ島は古くから香料を求めるインドの貿易商人が渡来しており、インド化が進んだ。&br;特に当時のインドの王朝であるパーラ朝の影響を大きく受け、&br;美術や建築、文化にもパーラ朝の影響が見られる。&br;ボロブドゥール寺院にもパーラ朝の影響が見える。| |ダルマ・シャーストラ|Dharmasastra|布教強度&color(green){+2%};|ダルマ・シャーストラは、紀元前2世紀ころから書き続けられたインド古法典。&br;ヒンドゥー経典とも。インドだけでなく、東南アジア世界にも大きな影響を与えた。| |アジア諸国との交易|Pan-Asian Trade|商人&color(green){+1};|ジャワは、インドから中国に至る交易網の中継地の一つとして栄えた。| |~|~|交易誘導&color(green){+10%};|~| |年に二度の収穫|Bi-Yearly Harvest|交易品生産量&color(green){+10%};|ジャワは、肥沃な土地と高度な灌漑施設を有しており、二毛作や二期作が行われていた。| |造船技術の近代化|&size(12){Modernized Ship-Building techniques};|艦船関連コスト&color(green){-10%};|| |テラコッタ金融システム|Terracotta Banking System|交易効率&color(green){+10%};|テラコッタは粘土を素焼きにした細工物や装飾用の陶器のこと。&br;マジャパヒトの遺物として多くのテラコッタが産出されている。&br;その中から発見された1つの「Terracotta Boars」は、&br;マジャパヒト王国の初期の金融システムと言われる。Boarsは豚を意味する。&br;つまりだ。長々と書いたが「Terracotta Banking System」ってのは、&br;「豚の貯金箱でお金貯める」ってことなんだな多分。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍維持費&color(green){-20%};|| ***ラーンサーン(Lan Xang)v1.22[#LXA] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|布教強度&color(green){+1%};|| |>|~|国教寛容度&color(green){+2};|~| |ラオスの民族多様性|Laotian Ethnic Diversity|受容文化枠&color(green){+1};|インドシナは、「民族の宝庫」と言われるほど、多数の民族が混在、多様な文化が見られる。&br;ラオスには50以上の民族が分布していると言われる。| |戦象|Elephant Cavalry|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|ラーンサーンは「100万の象」という意味で、インドシナでは戦象を多く利用しており、&br;名前により強大さを示したとされる。&br;また、ある戦争では2千もの戦象を投入したという記録も残っている。| |ラーンサーン王室の歴史|Court History Of Lan Xang|関係改善&color(green){+15%};|「ラーンサーン年代記」を指すものと思われる。&br;ラーンサーン年代記は、貝葉(椰子などの植物の葉を加工して、&br;紙の代わりに用いた筆記媒体)文書より転写されたもので、&br;上代からラーマ1世までのラーンサーンの歴史が描かれている。&br;当時を知る貴重な史料として知られる。| |~|~|侵略的拡大&color(green){-10%};|~| |白象|The White Elephant|不穏度&color(green){-1};|白象は、ラオスにおいても神聖視されていた。&br;なお、英語で「white elephant」は「無用の長物」という意味がある。| |文化の開花|Flowering Of Culture|安定度コスト&color(green){-10%};|| |ヴィエンチャンの商人|Merchants of Vientiane|要塞防御&color(green){+10%};|ヴィエンチャンは現代のラオス人民民主共和国の首都で「月の都」等の意味を持つ。&br;ラーンサーン王国においても、1560年に首都をルアンパバーンから&br;ヴィエンチャンに遷都している。&br;メコン川沿いに位置し、古くから商業の拠点であった。&br;ラーンサーン王国は16世紀に最盛期を誇り、その時代に訪れたヨーロッパ人に&br;「東南アジアで最も荘厳な町」と評されている。&br;18世紀にラーンサーン王国が分裂した際も、&br;ヴィエンチャンを首都としたヴィエンチャン王国が興った。| |ラーンサーンのルネサンス|Renaissance of Lan Xang|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|| ***ラーンナー(Lan Na)v1.22[#LNA] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|州からの交易力&color(green){+10%};|| |>|~|人的資源&color(green){+10%};|~| |マンラーイの遺産|Legacy of Mangrai|正統性&color(green){+1/年};|マンラーイは、ラーンナー王朝の創始者。&br;タイ・ユワン族であり、ラーオチョン王家(チャッカラート王家)25代目の君主とされ、&br;周辺諸国と同盟もしくは武力併合を行う事で勢力を拡大した。&br;その後、大元の雲南侵入に伴い、首都を南のチエンマイに遷都し、ラーンナー王朝を築いた。&br;落雷により亡くなったとされる。| |百万の水田|A Million Rice Paddies|交易品生産量&color(green){+10%};|タイ語でラーンナーは「百万の田」という意味である。| |ナガの水|Waters of the Naga|税収&color(green){+10%};|「ナガ」は「ナーガ」とも呼ばれる、インド神話に起源を持つ多頭の蛇神。&br;タイでは水神として崇められ、メコン川の水底に住まうとされる。&br;乾季にはナガ神がでて水を吹きまいて、雨季には水を飲み、洪水から守ってくれると信じられている。| |白象|The White Elephant|国教寛容度&color(green){+2};|ラーンナーの首都であったチエンマイには、白象にまつわる伝説が残っている。&br;第6代ラーンナー王パヤー・クーナーは、プラ・スマナ・テーラという&br;釈迦の遺骨である仏舎利を持つ高僧をスコータイより招聘した。&br;王と僧は仏舎利安置場所を相談したが、難航した為、&br;仏舎利の一片を白象の背に乗せ、離すこととした。&br;白象は険しい山道を上り、ドーイ・ステープの頂に到着すると、三度雄叫びを上げ、その場で亡くなった。&br;その位置に仏舎利を埋め、仏塔を供養の場として建立した。&br;上記がドーイ・ステップ寺院の興りであり、白象も寺院にて祀られている。| |赤と黒の隷属|Red and Black Vassals|受容文化枠&color(green){+1};|ここでいう「赤」と「黒」は「紅河」と「ダー(黒)川」のことか。&br;ラーンナー初代王マンラーイはこの河の渓谷地帯の国々に対して朝貢させたという。&br;もしくは、赤タイ族(白タイとも)と黒タイ族のことか。詳しい人いたら教えて下さい。| |象の突撃|Elephant Charge|騎兵攻撃範囲&color(green){+50%};|| |王朝の拡散|Dynastic Spread|外交枠&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|開発コスト&color(green){-10%};|| **グループNI [#k8b874a4] 特定の集団に属する勢力に対して適用されるNI ***シャン(Shan)v1.22[#Shan] 主要文化がシャン(shan)の国家に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|後継者誕生確率&color(green){+50%};|| |>|~|受容文化枠&color(green){+1};|~| |要塞都市|Fortified Cities|要塞防御&color(green){+15%};|| |水稲栽培|Wet Rice Cultivation|生産効率&color(green){+10%};|シャン族は古くからの稲作農耕民で、灌漑による水稲栽培を生業とした。| |ソーボワ|Sao Pha|不穏度&color(green){-1};|ソーボワはシャンの国家で使用される君主の称号。&br;「Sao」は「主」、「Pha」は「空」や「天」の意味で「天主」や「空の主」という意味になる。&br;日本語だと「藩王」と訳され、イギリスの植民地時代にも置かれた。| |宝石貿易の支配|Control of the Gem Trade|首都ノード交易力&color(green){+10%};|シャン族の住むシャン高原は昔から宝石の産地として知られており、&br;ルビー、琥珀、サファイア、翡翠等が多く産出された。| |侵略者|Raiders|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| |~|~|略奪速度&color(green){+10%};|~| |シャン族の年代記|Shan Chronicles|正統性&color(green){+1/年};|| |拡張主義|Expansionism|人的資源&color(green){+25%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源回復速度&color(green){+15%};|| ***スマトラ(Sumatran)v1.22[#Sumatran] 主要文化がスマトラ(Sumatran)で、かつ国教がイスラム教グループの国に適用 (For Muslim countries that have Sumatran as primary culture.) |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|交易範囲&color(green){+15%};|~| |貿易への依存|Reliance on Trade|交易効率&color(green){+10%};|| |メッカの玄関|Porch of Mecca|布教強度&color(green){+2%};|| |香料海賊|Spice Pirates|小型船攻撃力&color(green){+10%};|| |~|~|私掠効率&color(green){+15%};|~| |学問の中心地|Center of Scholarship|顧問コスト&color(green){-15%};|| |インド洋の商人|Merchants of the Indian Ocean|商人&color(green){+1};|| |シュリーヴィジャヤの遺産|Legacy of Srivijaya|威信&color(green){+1/年};|シュリーヴィジャヤ王国はスマトラ島のマレー系海上交易国家。&br;起源ははっきりしないが、7世紀にはマラッカ海峡を支配した。| |海の支配|Rule of the Sea|海軍扶養限界&color(green){+25%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|要塞防御&color(green){+20%};|| ***スラウェシ(Sulawesi)v1.22[#Sulawesi] マカッサル(Makassar)、ブトゥン(Buton)、ルウ(Luwu)に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍扶養限界&color(green){+25%};|| |>|~|水兵維持費&color(green){-10%};|~| |アジア内貿易網|Intra-Asian Trade Network|交易誘導&color(green){+10%};|| |バジャウ族|The Bajau|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|バジャウ族(サマ族)は陸地に特定の住居を持たず、&br;舟上で水上を定期的に移動しながら生きる漂海民。&br;現代では、フィリピンのセブ島やスールー諸島、&br;ボルネオ島サバ州、スラウェシ州に分布している。| |プラウ船|The Prau|小型船コスト&color(green){-20%};|マレーにて使用されていた小型帆船のこと。| |スラウェシの統一|Unification of Sulawesi|税収&color(green){+10%};|| |アイデア普及の促進|Encourage Diffusion of Ideas|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| |貿易の中継港|Entrepot of Trade|交易力&color(green){+10%};|| |不均衡の為の反抗|Asymmetrical Resistance|敵損耗&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%};|| ***マレー(Malayan Sultanate)v1.26[#Malayan] 主要文化グループがマレー(malayan)で、かつ主要文化がスマトラ(Sumatran)ではなく、かつ国教がイスラム教グループの国家に適用 Ver1.25までは主要文化がスマトラ(Sumatran)でも適用された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|艦船関連コスト&color(green){-10%};|| |>|~|交易誘導&color(green){+10%};|~| |インド洋交易|Indian Ocean Trade|商人&color(green){+1};|| |スーフィーの遺産|Sufi Legacy|異教寛容度&color(green){+2};|| |香料諸島|Spice Islands|生産効率&color(green){+10%};|| |古典マレー語|Classical Malay|アイデアコスト&color(green){-5%};|| |交易船|Trading Fleets|海軍維持費&color(green){-20%};|| |~|~|水兵維持費&color(green){-10%};|~| |パサイ王国の後継者|Heirs of Pasai|正統性&color(green){+1/年};|| |島々への定住|Settle the Islands|植民地人口増&color(green){+20};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|戦闘で得る海軍伝統&color(green){+50%};|| ***ミンダナオ(Mindanao)v1.24[#Mindanao] マギンダナオ国(Maguindanao)及びラナオ国(Lanao)に適用。 v1.24より追加されたグループNI。フィリピン南部の国家のNI。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|~| |イスラム化されたバランガイ|An Islamicized Barangay|異教寛容度&color(green){+2};|バランガイ(barangay)は、フィリピンの都市を構成する最小の地方自治単位。&br;元々は「帆船」の意味だが、バランガイに乗ったマレー人が各地に定住し、&br;その集団を指す言葉となった。| |ダトゥの統一|Unite the Datus|税収&color(green){+10%};|ダトゥ(datu)は、上記のバランガイの首長の事。| |ミンダナオの富の保護|Protect the Riches of Mindanao|交易品生産量&color(green){+10%};|| |モロの水兵|Moro Sailors|海軍維持費&color(green){-20%};|モロ(moro)はフィリピンの諸島に住むムスリムの総称。&br;フィリピンへ入植してきたスペイン人による命名で、&br;元々は、アフリカ北西部のアラブ人やムスリムの総称として&br;用いられた「ムーア人」という意味。&br;16世紀から約300年間、スペイン植民者と闘争を続けた(モロ戦争)。&br;成立ちから分かるように蔑称の意味を含むので注意。| |港の防衛強化|Fortify our Ports|要塞防御&color(green){+20%};|| |ゲリラ戦|Guerrilla Warfare|陸軍士気&color(green){+10%};|| |ミンダナオの海賊|Pirates of Mindanao|禁輸効率&color(green){+10%};|| |~|~|私掠効率&color(green){+25%};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+10%};|| ***モルッカ(Moluccan)v1.24[#Moluccan] 主要文化がモルッカ(Moluccan)の国に適用 v1.24にて離島の征服(Dominance over the Outer Islands)の効果が植民者+1から植民地人口増+20に変更されました |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~| |香料諸島|The Spice Islands|交易効率&color(green){+10%};|モルッカ諸島(マルク諸島)は、スラウェシ島の東、ニューギニア島の西、&br;ティモール島の北に位置する約1,000の島々で構成される諸島。&br;クローブ、ナツメグ、ビャクダン等の香料(香辛料)の原産地で豊富に取れるため、&br;香料諸島(スパイス・アイランド)と呼ばれた。&br;中世ではスペイン、ポルトガル、イギリス、オランダなどが香辛料貿易の利権を激しく争った。| |共有文化遺産|Shared Cultural Heritage|正統性&color(green){+1/年};|| |貿易の代理|Agents of Trade|商人&color(green){+1};|| |4つの王国|Four Kingdoms|不穏度&color(green){-2};|モルッカ諸島は植民地以前、&br;テルナテ王国、ティドーレ王国、バチャン王国、ジャイロロ王国&br;の4つの大きな王国があった。&br;4王国は「4つのマルク山」とも称された。| |離島の征服|Dominance over the Outer Islands|植民地人口増&color(green){+20};|| |パプア人との同盟|Alliance with the Papuans|小型船攻撃力&color(green){+15%};|| |実利的外交|Pragmatic Diplomacy|外交官&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|水兵維持費&color(green){-2};|| ***ラオス(Laotian)v1.22[#Laotian] 主要文化がラオス(Laotian)の国家に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|国教寛容度&color(green){+2};|~| |プラ・ラック・プラ・ラム|Phra Lak Phra Lam|不穏度&color(green){-1};|プラ・ラック・プラ・ラムは、ラオスの民族叙事詩で、「ラーマーヤナ」のラーオ語版。&br;プラ・ラックとプラ・ラムは登場人物の名であり、&br;それぞれプラ・ラックがラーマ(主人公)、プラ・ラムがラクシュマナ(主人公の弟)にあたる。| |ニタン・クンブロム|Nithan Khun Borom|威信&color(green){+1/年};|ニタン・クンブロムは16世紀に成立したとされる叙事詩、歴史物語。&br;ラオスの建国神話が記されている。&br;Nithanはタイ語で物語、おとぎ話の意味で、Khun Boromは伝説の人物の名。&br;クンブロムは、父のインドラ(帝釈天)より、タイ地方を統治するため、送られた。&br;25年間の統治後、クンブロムの七人の息子に地方を分割し、統治させた。&br;クンブロムの長兄はラオスを治め、その子孫ファー・グムがラーンサーン王国を建国した。&br;以上より、ラオスではクンブロムを父祖としている。| |ピー宗教|Satsana Phi|異教寛容度&color(green){+2};|Satsana Phi(サーサナー・ピー)を直訳すると「精霊宗教」であるが、&br;ピーは日本語で言う精霊・お化け・妖怪と幅広い意味合いを持つ。&br;タイ語族の地域で信仰されたアミニズムの一種。&br;良いピーの為、米や水などの供物を捧げ、悪いピーを追い払う為、&br;家の前にサボテンを置くと行った風習が見られる。&br;仏教やヒンドゥーが伝来、普及した後もピー信仰は絶えず、他の宗教と混淆を果たした。&br;現代でも、ラオスの少数民族の村では、寺で行われる仏教行事に参加し、&br;悪霊を病気の原因として語るといった姿が見られるという。| |ラオスの民族多様性|Laotian Ethnic Diversity|受容文化枠&color(green){+1};|インドシナは、「民族の宝庫」と言われるほど、多数の民族が混在、多様な文化が見られる。&br;ラオスには50以上の民族が分布していると言われる。| |ラオスの戦象|Laotian Elephant Cavalry|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|ラオスの戦象は、他の地域より多くの数が見られ、数千単位にて運用された。| |南シルクロード|Southern Silk Road|交易効率&color(green){+10%};|ラオスは、東南アジアの陸上貿易路において中心にあった。&br;南部へはメコン川を下り、ビエンチャンに向かうルート、&br;北部へはビルマとラーンナーからラオス経由で雲南へ向かい、&br;そこから中国の南部シルクロードと合流するルートがあった。| |ラオスの丘陵戦|Laotian Hill Warfare|要塞維持費&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|| ***ルソン(Luzon)v1.24[#Luzon] パンガシナン国(Pangasinan)、トンド国(Tondo)、マニラ国(Maynila)に適用。 v1.24で新規に追加されたグループNI。フィリピン北部の新国家用のNI。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍伝統&color(green){+1/年};|| |>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~| |バランガイ州|Barangay State|海軍維持費&color(green){-20%};|バランガイ(barangay)は、フィリピンの都市を構成する最小の地方自治単位。&br;元々は「帆船」の意味だが、バランガイに乗ったマレー人が各地に定住し、その集団を指す言葉となった。| |~|~|水兵維持費&color(green){-10%};|~| |楽園の征服|Conquest of Paradise|敵損耗&color(green){+1};|| |支那-フィリピン貿易|Sino-Philippine Trade|艦船交易力&color(green){+10%};|効果が何気にv1.24にして初めて追加された効果で、&br;この効果は通常のアイデア及びNIでルソンアイデア以外に同じ効果を持つアイデアは存在しない。&br;他には協商同盟(Trade Leagues)と提督の機動PIP以外に上昇させる方法がない超レアな効果。&br;%%まあProtect Tradeに出すLight Shipの数増やせばいいだけな訳だが。%%| |タガログの習合|Tagalog Syncretism|異教寛容度&color(green){+2};|| |ルソンの水兵|Luzon Sailors|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|| |安全な避難所|A Safe Haven|顧問コスト&color(green){-10%};|| |砂糖生産の拡大|Expand the Sugar Production|生産効率&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍士気&color(green){+20%};|| *インド [#India] |CENTER:20|>|>|>|>|CENTER:|c |~各国NI|~ベンガル|[[アッサム(Assam)>#ASS]]|[[オリッサ(Orissa)>#ORI]]|[[サディヤ(Sadiya)>#SDY]]|[[トリプラ(Tripura)>#TPR]]| |~|~|[[ベンガル(Bengal)>#BNG]]|[[マニプル(Manipur)>#MLB]]||| |~|~コロマンデル|[[コッテ/キャンディ(Kotte / Kandy)>#CEY]]|||| |~|~デカン|[[ヴィジャヤナガル(Vijayanagar)>#VIJ]]|[[デカン(Deccan)>#DEC]]|[[ナーグプル(Nagpur)>#NAG]]|[[ハブサン(Habsan)>#JAJ]]| |~|~|[[バフマニー(Bahmanis)>#BAH]]|[[マイソール(Mysore)>#MYS]]|[[マラーター(Marathas)>#MAR]]|| |~|~ヒンドゥスターン|[[カーングラ(Kangra)>#KGR]]|[[ガルワール(Garhwal)>#GHR]]|[[ジャウンプル(Jaunpur)>#JNP]]|[[ティルフット(Tirhut)>#TRT]]| |~|~|[[デリー(Delhi)>#DLH]]|[[ネパール(Nepal)>#NPL]]|[[バーラト(Bharat)>#BHA]]|[[パンジャーブ(Punjab)>#PUN]]| |~|~|[[ヒンドゥスターン(Hindustan)>#HIN]]|[[ムガル(Mughals)>#MUG]]|[[ラージプーターナー(Rajputana)>#RJP]]|[[ラダック(Ladakh)>#LDK]]| |~|~西インド|[[グジャラート(Gujarat)>#GUJ]]|[[シンド(Sind)>#SND]]|[[ドゥーンダール(Dhundhar)>#DHU]]|[[マールワー(Malwa)>#MLW]]| |~|~|[[メーワール(Mewar)>#MER]]|||| |~|~グループNI|[[インド・スルタン国&br;(Indian Sultanate)>#Indian_muslim]]|[[ヴィンディヤ(Vindhyan)>#Vindhyan]]|[[ガルジャート(Garjati)>#Garjati]]|[[グジャラート公国&br;(Gujarati Princedom)>#Gujarati]]| |~|~|[[ゴンド(Gond)>#Central_indic]]|[[デカン・スルタン国&br;(Deccani Sultanate)>#Deccani_muslim]]|[[テルグ(Telugu)>#Telugu]]|[[ネパール系公国&br;(Nepalese Princedom)>#Nepalese_minor]]| |~|~|[[ベンガル小国家(Bengali)>#Bengali]]|[[マラバール(Malabari)>#Malabari]]|[[南インド(South Indian)>#Dravidian]]|[[ラージプート(Rajput)>#Rajput]]| **各国NI [#x8764f95] ***アッサム(Assam)v1.22[#ASS] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|不穏度&color(green){-1};|| |>|~|人的資源&color(green){+10%};|~| |ブランジ|The Buranjis|後継者誕生確率&color(green){+50%};|歴史書の一種。字義的には「無知な人を教えるために蓄えられたもの」をさす。&br;アッサム王国は、1228年にタイ系のシャン族の国、マウルン王国の王子である&br;スカーパー(Sukaphaa)がインドのアッサム地方にて建国された。&br;ブランジはこのスカーパーの代より脈々と作成された年代記である。| |水稲栽培|Wet Rice Cultivation|開発コスト&color(green){-10%};|| |河川戦術|River Warfare|敵損耗&color(green){+1};|ここでいう河川は、ブラマプトラ川のこと。&br;全長約2900kmの大河で、アッサム州にはこの大河の氾濫原があり、恩恵を受けている。| |~|~|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|~| |パイク制の改革|Reform the Paik System|人的資源回復速度&color(green){+15%};|パイク制は賦役制の一種。&br;国家から土地を与えられる代わりに兵役などの義務を担った。| |請願法|Process of Appeal|安定度コスト&color(green){-10%};|| |検地|Land Survey|税収&color(green){+10%};|| |アホムの外交|Ahom Diplomacy|外交官&color(green){+1};|アッサム王国に住む民族はアホム(Ahom)族、アーホーム族と称され、&br;アッサム王国は、アホム王国、アーホーム王国とも呼ばれた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|外交評判&color(green){+1};|| ***ヴィジャヤナガル(Vijayanagar)v1.22[#VIJ] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|雇用可能顧問&color(green){+1};|~| |交易の推進|Promotion of Trade|交易力&color(green){+10%};|| |アラブ馬|Arab Horses|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|当時は、戦争の兵種が象兵と歩兵から騎兵へ転じた時期であり、&br;ヴィジャヤナガルは西方から積極的にアラブ馬を輸入した。| |刑事罰|Harsh Penal Code|安定度コスト&color(green){-10%};|| |寛容|Tolerance|異端寛容度&color(green){+1};|| |~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~| |カルナティック音楽|Carnatic Music|威信&color(green){+1/年};|カルナティック音楽は、インド南部のヒンドゥーの古典音楽から発展した音楽。&br;インド音楽はヒンドゥーの神と女神であるデーヴァとデーヴィーより生まれた芸術形態である。&br;主な特徴は声楽である。| |巧みな外交|Adroit Diplomacy|外交官&color(green){+1};|| |勝利の都の軍隊|An Army for the City of Victory|規律&color(green){+5%};|ヴィジャヤナガル王国の建国者であるハリハラとブッカの兄弟は、&br;トゥグルク朝に捕虜にされ、イスラム教に改宗しトゥグルク朝に仕え、南インドの統治を行った。&br;その後、トゥグルク朝で各地に反乱が起きた際に乗じ、1336年に独立を宣言。&br;トゥンガバドラー川の南岸の都市に都を築き、「勝利の都」を意味するヴィジャヤナガルと名付け、&br;ヴィジャヤナガル王国を建立した。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|傭兵枠&color(green){+50%};|| ***オリッサ(Orissa)v1.22[#ORI] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+5%};|| |>|~|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|~| |象の君主|Lord of the Elephants|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |ジャガンナートの従者|Servitor of Jagganath|正統性&color(green){+1/年};|ジャンガンナートはオリッサ地方の土着神。ジャガーノートとも。&br;後にヒンドゥーに組み込まれヴィシュヌ神の化身とされた。| |地方知事|Parikshas|税収&color(green){+10%};|%%(Exam的な意味らしい。もしかすると科挙のようなもの?)%%&br;パリクシャー(Pariksha)は、「診療」の意もあるみたいだが、ここでは知事(governor)を指す。&br;オリッサ地方では、準独立した小君主の集合体の領地である「マンダラ」の状態で、&br;それを「マンダラの主」の意であるMandaleshvaras(マンダレシュバーラ?)が統治する形態であった。&br;15世紀前半から16世紀中頃にオリッサ地方を治めたガジャパティ朝ではこれを改め、&br;皇帝の下、各地方を統治するパリクシャーを代わりに配置することで、中央集権化を図った。&br;一番上は、Exam的(科挙)な意味ではなくて、Parikshaになる為のExamの事かな?| |布生産の改良|Refined Cloth Production|交易品生産量&color(green){+10%};|オリッサは古代より絣(かすり)織りの有名な産地である。| |寺院建設の支援|Patronize Temple Construction|威信&color(green){+1/年};|| |塩交易の奨励|Encourage the Salt Trade|交易効率&color(green){+10%};|| |サドハバの伝統|Heritage of the Sadhabas|海軍扶養限界&color(green){+25%};|サドハバはオリッサ地方に昔あった国家の船乗りや海洋商人。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易誘導&color(green){+20%};|| ***カーングラ(Kangra)v1.22[#KGR] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|敵損耗&color(green){+1};|~| |カトーチの血統|Katoch Lineage|威信低下&color(green){-1%/年};|Katoch(カトーチ?)は、古代クシャトリヤの末裔ラージプートの一族で、&br;ヒンドゥーの神話で言う「月種族(チャンドラ・ワンシス)」の系統氏族。&br;カトーチ家の起源は非常に古く、カーングラ王国の前身は、&br;叙事詩マハーバーラタに登場するトリガルタ国とされており、&br;伝承ではこのトリガルタ国の時代からカーングラ地方の支配者と伝えられる。&br;カーングラ王国はカトーチ朝とも呼ばれ、&br;カトーチ家は486代の系譜が残るとも言われる名家である。| |カーングラ渓谷の富|Riches of the Kangra Valley|人的資源&color(green){+10%};|カーングラ渓谷はヒマラヤ山脈の山間部に位置する。&br;伝説では、悪魔ジャランダーラがシヴァ神と闘い敗れた際、その首がカーングラ渓谷に落ちたとされる。&br;この渓谷は周辺の過酷な土地と違い、緑豊かで風光明媚な場所である。&br;現代では、カーングラ(カングラ)渓谷鉄道が走っていて、&br;某「世界の車窓から」映る景色を放送する番組にも取り上げられた。| |軍事遺産|Martial Heritage|陸軍士気&color(green){+10%};|| |丘陵の砦の統制|Control of the Hill Forts|要塞維持費&color(green){-10%};|カーングラの砦は、トリガルダ国の砦としてマハーバーラタでも登場、&br;カトーチ家により建造されたとする、インドで最も古い砦の1つである。| |~|~|守備兵数&color(green){+10%};|~| |山岳交易の強化|Strengthen the Mountain Trade|キャラバン力&color(green){+15%};|| |パハーリー絵画|Pahari Painting|威信&color(green){+1/年};|インドでは中世ムガル帝国時代に細密画が盛行した。&br;その中で、庶民的でヒンドゥーの神々を題材とするラージプート絵画が発展した。&br;このラージプート絵画の派閥の一つが西部ヒマラヤ地方のパハーリー派であり、山地派とも呼ばれる。| |ヒマラヤの虎|Tigers of the Himalayas|規律&color(green){+5%};|カーングラ王国や君主は「ヒマラヤの虎」と称された・・・&br;という記述は調べたけど見つけられませんでした。&br;おそらく、19世紀初頭にヒマーチャル地方を争ったライバル、シク王国の創始者&br;ランジート・シングの異名「パンジャーブの虎」に引っ掛けてかなーと。&br;史実では、シク王国に負けて属国となっている。&br;「虎だ!虎だ!お前はヒマラヤの虎になるのだ!!」ってことじゃないですかね。&br;ちなみにヒマラヤは実際に虎の生息地でカーングラにもいる(いた?)みたいよ。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|不穏度&color(green){-1};|| ***ガルワール(Garhwal)v1.23[#GHR] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|開発コスト&color(green){-10%};|| |>|~|敵損耗&color(green){+1};|~| |52のガルの遺産|Legacy of the 52 Garhs|自治度変化&color(green){-0.05/月};|ガルワールは古代では、ガル(Gahr)と呼ばれる砦を中心とした小部族国家が濫立する地方であった。&br;ガルワール王国の創始者カナクパール(Kanakpal)は、元々マールワーの王子で、&br;バドリナート寺院を訪れた際、あるガル部族の酋長と謁見し、その娘と結婚、相続した。&br;カナクパールとその子孫は52のガル部族を征服し、ガルワール王国を設立したという。&br;v1.22で追加された実績「The 52 Garhs」はこの伝説が元ネタでしょうね。&br;v1.23で名前のスペルミス(Gahrs)は修正された。| |ヒマラヤの王国|Himalayan Kingdom|要塞防御&color(green){+10%};|ガルワール王国はインド亜大陸を正面とするとヒマラヤ山脈を背にした立地である。| |~|~|守備兵数&color(green){+10%};|~| |軍事外交|Martial Diplomacy|陸軍士気&color(green){+10%};|ラーニー・カーナヴァティ(Rani Karnavati)の治世を指すらしい。&br;ラーニーはインドの女王・王妃・王女などの意。&br;カーナヴァティはガルワール王国の王マヒパト・シャー(Mahipat Shah)の妃で、&br;王が1631年に早逝した後、&br;7歳の子プリトゥビ・パット・シャー(Prithvi Pat Shah)に代わり王国を統治した。&br;王女は侵略者から国を防衛し、特に1640年にムガル軍の攻撃を撃退している。&br;その際、侵略者の鼻を切り落とす事を行ったことから&br;「Nakti Rani」(Nak-Kati-Rani、鼻切り女王といった意味か)の異名をもった。| |平和で美しい土地|Land of Serene Beauty|不穏度&color(green){-1};|ガルワール地方はヒマラヤ山脈のガルワール・ヒマラヤに位置する秘境である。| |ガンジス川の源流|Source of the Ganges|信心&color(green){+1/年};|ガンジス川の源流とされるガンゴートリー氷河は、ガルワール地方に属する。&br;ガンジス川が氷河から流れ出る場所、源流地はゴームクと呼ばれ、&br;ヒンドゥー徒の巡礼地となっている。| |~|~|正統性&color(green){+1/年};|~| |神の地の保護|Protecting the Land of the Gods|国教寛容度&color(green){+2};|ガンジス川の源流となるガンゴートリーはヒンドゥーの北インド四大聖地の1つとされ、&br;ガルワール地方は「神々の住処」と呼ばれる。&br;その為、ガルワール地方には多くの寺院が見られる。| |信仰の十字路|Crossroads of Faith|異端寛容度&color(green){+1};|ガルワール地方は、ヒンドゥーの聖地以外に、例えばシク教の聖地ヘムクンド湖が存在する。&br;他、ジャイナ教、仏教、イスラム教など多様な宗教が見られた。| |~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|安定度コスト&color(green){-10%};|| ***グジャラート(Gujarat)v1.22[#GUJ] アイデアの正式名はグジャラート・スルタン(Gujarat Sultanate)である。 Ver1.26にて専用のNIが追加された。 が、名称と効果は伝統以外、Ver1.25までのグループNIのグジャラート(Gujarati)と同一内容である。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|艦船交易力&color(green){+10%};|~| |踊れ!|Garba!|宗教的統一性&color(green){+50%};|Garbaはグジャラートにおけるヒンドゥーの伝統的舞踏。&br;イスラム教のスーフィズム(神秘主義)における回転舞踏と親和性を示した。| |ジャイナ教徒との結びつき|Jain Connections|交易範囲&color(green){+20%};|| |グジャラート文字|Gujarati Lipi|安定度コスト&color(green){-10%};|| |流浪のグジャラート商人|Gujarati Merchant Diaspora|小型船コスト&color(green){-20%};|| |インド洋交易の結節点|Hub of the Indian Ocean Trade|州からの交易力&color(green){+20%};|| |外国商人による工場建設|Foreign Merchants set up Factories|交易効率&color(green){+10%};|| |グジャラート移民のアフリカ到達|Gujarati Diaspora Descends on Africa|商人&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易力&color(green){+20%};|| ***コッテ/キャンディ(Kotte / Kandy)v1.26[#CEY] アイデアの正式名はシンハラ(Sinhalese)である。 Ver1.25まではコッテはセイロン(Ceylon)という国家名称(内部タグが同一)だった。 同様に新規に追加されたコッテの属国のキャンディも適用される。 効果は以前のセイロンの時と全く同じ。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|交易効率&color(green){+10%};|| |>|~|要塞防御&color(green){+10%};|~| |王陵地|Gabadagam|税収&color(green){+10%};|| |シンハラ人のサンデシャス|Sinhalese Sandesas|威信&color(green){+1/年};|| |インド洋の真珠|Pearl of the Indian Ocean|商人&color(green){+1};|| |学問の中心|Centre of Learning|外交評判&color(green){+1};|| |シナモン貿易の発展|Develop the Cinnamon Trade|交易品生産量&color(green){+10%};|| |新しいカーストの成長|Growth of New Castes|生産効率&color(green){+10%};|| |シンハラ人のゲリラ戦|Sinhalese Guerilla Warfare|敵損耗&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| ***サディヤ(Sadiya)v1.22[#SDY] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|敵損耗&color(green){+1};|| |>|~|キャラバン力&color(green){+20%};|~| |栄光の国|Land of Glory|陸軍士気&color(green){+10%};|サディヤには1187年にBirpal(ビールパール?)により王朝が建国され、スティヤ王国と呼ばれた。&br;この王国の民はスティヤ人(族)と呼ばれる。&br;同地にはアホム族もアッサム王国を建国しており、この地域をアッサム地域と呼ぶが、&br;同地域を訪れ、国を建国したのはスティヤ族の方が早い。| |宗教の十字路|Crossroad of Religions|異教寛容度&color(green){+2};|| |丘陵と熱帯雨林|Hills and Jungles|要塞防御&color(green){+15%};|| |サディヤの寺院|Temples of Sadiya|威信&color(green){+1/年};|| |ディハン|Dihang|交易効率&color(green){+10%};|Dihangとはディハン川のこと。インド東北部の上アッサムにある約380kmのブラマプトラ川の支流。| |サディヤ軍の改革|Reform the Sadiya Armies|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|火薬は一般的に中国の発明とされているが、&br;サディヤが火薬と銃を発明し、中国へ伝えたという説がある。&br;アホム族がアッサムへ来た際にスティヤ族と戦闘になり、&br;その際スティヤ族は大砲や銃器を用いたと言う説がある。| |紅茶|Black Tea|生産効率&color(green){+10%};|お茶は、古来より中国の主に南西部で自生し、栽培されていたが、&br;1823年にサディヤの奥地でイギリス人により、自生の茶樹が発見される。&br;これが、後にアッサムの原種と認定され、アッサム種の茶樹が栽培、普及していく。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|外交評判&color(green){+1};|| ***ジャウンプル(Jaunpur)v1.26[#JNP] Ver1.26で効果が一部変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵コスト&color(green){-10%};|| |>|~|外交枠&color(green){+1};|~| |プルビア|Purbias|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|Purbia(Purbiyaとも、プルビア?)は、アワドやビハールのラージプートのカースト集団。&br;ラージプートの諸王国が北インドの都カナウジの支配を争った際に&br;東部のビハール等へ移民した際に成された。&br;また、ラージャスターン地方に興ったラージプートの王朝、&br;チャウハーン朝を構成した氏族の1つに「Pubria」が見られるため、&br;この一族を祖とするのかもしれない。&br;火器の扱いに精通しており、傭兵として求められてきた。&br;その為、「Pubria」は一般にアワドやビハールの傭兵を指す場合もあるらしい。| |インドのシーラーズ|Shiraz-i Hind|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|シーラーズは紀元前から繁栄したペルシャの都市。&br;都市ジャウンプルがムガル帝国第5代君主シャー・ジャハーンにより&br;「インドのシーラーズ」と呼ばれた事に由来する。&br;ちなみに、原語はヒンドゥスターニー語であろうが、おそらく正しくは「Shiraz-e Hind」と思われる。| |聖人とスーフィー|Sants and Sufis|宗教的統一性&color(green){+50%};|| |ジャウンプル建築|Jaunpuri Architecture|開発コスト&color(green){-10%};|ジャウンプルはインドの学問・文化の中心都市として発展し、&br;壮大な入口を持つこの地特有のモスクが建設された。| |ガンジス平野|Gangetic Plain|交易品生産量&color(green){+10%};|ガンジス平野は、ヒンドゥスターン平野の中でも特にガンジス川の流域を示す。&br;あまり見ない表現ではある。&br;この平野に位置するジャウンプルは交通の要衝として知られ、&br;貿易品の集積地であったとされる。| |ヒンドゥスターニー古典音楽|Hindusthani Classical Music|威信&color(green){+1/年};|ヒンドゥスターニー古典音楽は北インドで主流のインドの古典音楽の流派で、&br;ラーガ(音階に似た音律組織)とターラ(リズム様式)に基づく。&br;西洋音楽の一定の音高のものを並べただけの音階と異なり、&br;それぞれのラーガ独特のメロディー様式により別のラーガとなるため、多くの種類が存在する。| |軍隊の近代化|Modernization of the Army|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易力&color(green){+10%};|| ***シンド(Sindh)v1.26[#SND] Ver1.26にて専用のNIが追加される予定。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|宣教師&color(green){+1};|| |>|~|陸軍扶養限界&color(green){+25%};|~| |不朽のサンマー朝|Enduring Samma Dynasty|正統性&color(green){+1/年};|サンマー朝はシンド州にあった14世紀から16世紀に存在したラージプートの王朝。&br;首都はタッター(Thatta)。| |バーブ・アル・イスラム|Bab ul Islam|布教強度&color(green){+2%};|直訳すると「イスラムの門」。&br;シンド地域は、8世紀頃にウマイヤ朝の将軍ムハンマド・ビン・カシムの征服を契機に、&br;インド亜大陸で最初にイスラム化された地域であったので、&br;シンド地域はイスラムの門と呼ばれるようになった。| |グジャラートとの繋がりの強化|Strengthen Gujarati Connections|商人交易力&color(green){+5};|| |マクリー・ネクロポリスの拡大|Expand the Makli Necropolis|国教寛容度&color(green){+1};|ネクロポリスは巨大な墓地のこと。&br;タッターのマクリーの丘近くに数十万から百万におよぶ墓が残っている。| |司法腐敗の終結|End Judicial Corruption|汚職&color(green){-0.1/年};|| |タッターの興隆の監督|Oversee the Rise of Thatta|建造物コスト&color(green){-10%};|タッターはシンドを支配した王朝の首都として栄えた。&br;ムガル帝国支配下においても港湾都市として栄え、&br;ムガル帝国時代に建造されたモスクが有名であり、&br;現代では先のマクリーの丘のネクロポリス含めて、&br;「タッターの文化財」として世界遺産に認定されている。| |バローチ部族民の採用|Recruit Balochi Tribesmen|傭兵の規律&color(green){+2.5%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+15%};|| ***ティルフット(Tirhut)v1.22[#TRT] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|国教寛容度&color(green){+2};|~| |学者と詩人|Scholars and Poets|顧問コスト&color(green){-10%};|| |インドへの出入口|Gateway to India|交易効率&color(green){+10%};|| |バラモン王|Brahmin Kings|威信&color(green){+1/年};|| |プルビア|Purbias|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|| |水際線の眺望|Riverine Landscape|敵損耗&color(green){+1};|| |ティルフータ文字|Tirhuta|安定度コスト&color(green){-10%};|| |藍と市場用作物|Indigo & Cash Crops|交易品生産量&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|外交評判&color(green){+1};|| ***デカン(Deccan)v1.26[#DEC] Ver1.26からform可能な国家となり、併せて専用のNIが追加された。 ムガル帝国の宰相カマルッディーン・ハーンが独立して建国したニザーム王国(ハイダラーバード王国)の事である |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|統治効率&color(green){+5%};|| |>|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~| |ダッキニー語|Dakani Language|受容文化枠&color(green){+1};|バフマニーと同一のNI。| |ディーワーンへの財政支援|Funding the Diwan|統治系ポリシー自由枠&color(green){+1};|ディーワーンは、イスラム国家の行政機関で「庁」あるいは「局」を指す言葉。| |外国人貿易商の特権|Privileges for Foreign Traders|交易力&color(green){+10%};|| |パイガー家へ権限を与える|Empower the Paigah|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|パイガー家はニザーム王国の有力な一族。&br;王の次に権勢を誇っており、独自の宮殿や何千人もの私兵を持っており、&br;ニザーム王国内部でひとつの王国のような権勢を誇った一族であった。| |サーフィカースの近代化|Modernize the Sarf-e-Khas|規律&color(green){+5%};|サーフィカース?(Sarf-e-Khas)は直訳すると&br;「私費」(private expenditure)の意味であるが、&br;ここではニザーム王の王領を指す。&br;また、ニザーム王国ではサーフィカース軍と呼ばれる&br;王の私兵がいた事が知られており、&br;この近代化はその軍に対しての近代化の事を言っている。| |ニザームの宝石|Jewels of the Nizams|外交評判&color(green){+1};|都市ゴールコンダ近郊は鉱山からは多数の有名な宝石が採掘され、&br;世界的に有名なダイヤモンドが産出されている。&br;また、エメラルド、パール、ダイヤモンド、ルビー等の宝石も多数算出され、&br;ニザーム王国の宮殿の地下貯蔵庫には、&br;膨大な量の宝石があったという伝説が残っている。| |産業の発展を促進|Encourage Growth of Industries|交易品生産量&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***デリー(Delhi)v1.26[#DLH] Ver1.26からform可能な国家となり、併せて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|| |>|~|外交評判&color(green){+1};|~| |アフガン貴族|Afghan Nobility|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|インド北部ではアフガン人貴族が非常に強い影響力を持っていた。| |反乱の鎮圧|Suppress Rebellion|不穏度&color(green){-1};|| |デリー帝国の復興|Restore the Delhi Empire|コア化コスト&color(green){-10%};|14世紀に誕生したデリー・スルターン朝の&br;3番目の王朝であるトゥグルク朝は、&br;インドの大半を版図とした。| |織物生産の革新の促進|Promote Innovation in Textile Production|生産効率&color(green){+10%};|綿織り機やウォームギヤローラーの綿繰り機の&br;発明に代表されるように16世紀頃は&br;インドは織物に関して世界で最も先進した地域であった。| |旧州の再統合|Re-integrate Former Provinces|領有可能ステート数&color(green){+5};|| |大幹道の保護|Protect the Grand Trunk Road|首都ノード交易力&color(green){+10%};|大幹道はアジアの最古で最長の主要道の1つ。&br;バングラデシュのチッタゴンから北インドを経由して&br;アフガニスタンのカブールまで続く、&br;2000年以上前から存在するインド亜大陸の東と西を結ぶ道。| |インドの王位|The Throne of India|正統性&color(green){+1/年};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|受容文化枠&color(green){+1};|| ***ドゥーンダール(Dhundhar)v1.26[#DHU] Ver1.26にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|キャラバン力&color(green){+20%};|~| |アーメール城の改善|Improve the Fort at Amer|要塞防御&color(green){+20%};|アーメール(英語読みのアンベールとも)はアーメール王国(本ゲームではドゥーンダールの事)の首都。&br;1592年からアーメール王マーン・シング(Man Singh)により、&br;元々砦のあった場所に大規模な築城が行われた。&br;アーメール城の山上には後にジャイガール城砦があり、&br;隠れた通路でつながっている。現代では「ラージャスターンの丘陵城塞群」の一部として世界遺産に認定されている。| |列強の保護を求める|Seek the Protection of Great Powers|外交評判&color(green){+1};|1562年、アーメール王バール・マル(Bhar Mal)は娘ハルカー・バーイー(Harka Bai)を、&br;ムガル帝国第3代皇帝アクバル(Akbar)に嫁がせ、&br;ムガル帝国との同盟関係を構築した。| |ヒンドゥーの儀礼の復元|Restore Hindu Ceremonies|国教寛容度&color(green){+1};|ここでの儀礼は、ヴェーダ祭式についての事と思われる。&br;馬を供物として捧げるアシュヴァメーダ(Ashvamedha、馬祠祭)や、&br;ソーマを供物として、祭火に捧げる祭式ヴァージャペーヤ(Vajapeya)等が挙げられる。| |ジャイプルの都市の創立|Found the city of Jaipur|開発コスト&color(green){-10%};|ジャイプルは1727年にアーメール王ジャイ・シング2世により建造された都市。&br;アーメール王国の首都もその際にアーメールからジャイプルへ遷都された。| |外国領土での戦闘|Battles in Foreign Lands|戦闘で得る陸軍伝統&color(green){+50%};|| |天文学の教育|Astronomical Education|技術コスト&color(green){-5%};|| |ピンダーリー傭兵|Pindari Mercenaries|陸軍損耗&color(green){-15%};|ピンダーリーは18世紀に現れた群盗の事。&br;主にイギリス植民地軍に滅ぼされた藩王の軍人で構成された盗賊団で、マラーターと結びついた。&br;対価ではなく、略奪の特権により動いたとされる。&br;1814年にはイギリス東インド会社とピンダーリー戦争を起こした。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|| ***トリプラ(Tripura)v1.26[#TPR] Ver1.23で専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|敵損耗&color(green){+1};|~| |王統記|Rajmala|正統性&color(green){+1/年};|| |適応型の統治|Adaptive Administration|税収&color(green){+10%};|| |宗教の混淆|Religious Syncretism|異教寛容度&color(green){+2};|| |軍支配の拡張|Extended Military Control|陸軍扶養限界&color(green){+25%};|| |ミシップの任命|Appointment of Missips|ステート維持費&color(green){-15%};|| |ジュート生産|Jute Production|生産効率&color(green){+10%};|ジュートは麻の一種。&br;ベンガルNIと同一のNI。&br;本NIに適用するため、名前が少し修正(in Bengalが削除)されたようである。| |地域防衛の強化|Strengthen Local Defenses|要塞防御&color(green){+20%};|v1.26で名称が一部修正(Defences→Defenses)がされた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易品生産量&color(green){+10%};|| ***ナーグプル(Nagpur)v1.26[#NAG] Ver1.26にて専用のNIが追加された。 Ver1.25までは1724年以降で開始時に使用できる国家であったが、Ver1.26からform可能な国家となった。 ゴンド人王国のひとつデーオガル王国が伸長し、 後にマラーター同盟一角のボーンスレー家に乗っ取られ、中央インド一帯まで征服を行った国家。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+15%};|| |>|~|侵略的拡大&color(green){-15%};|~| |ゴンドとガルジャットの統合|Unite the Gonds and Garjats|不穏度&color(green){-2};|ゴンド王国の一つであるデーオガル王国君主&br;ラージャ・チャーンド・スルターンが1739年頃に死亡すると王位を巡り内乱が発生、&br;その際にマラーター王国宰相代理としてラグージー・ボーンスレーが派遣された。&br;ボーンスレーは摂政の後、国王を廃し実権を握り、&br;ゴンド王国やガルジャットを次々と征服し、&br;中央インド一帯を支配した。| |過酷な地形の活用|Exploit Harsh Terrain|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|| |職人の呼び寄せ|Send for Artisans|建造物コスト&color(green){-10%};|| |マラーター戦士の招聘|Invite Maratha Warriors|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|ナーグプルを治めた君主ボーンスレー家は、&br;マラーター同盟の有力な家の1つである。| |軽騎兵の衝突戦術|Light Cavalry Shock Tactics|与白兵ダメージ&color(green){+10%};|| |森林の耕作|Cultivating the Forest|生産効率&color(green){+10%};|| |不当な拡張|Unjustified Expansion|不当な要求&color(green){-25%};|小ネタだが、本NIの内部タグは「nag_no_cb_best_cb」というネタタグになっている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|無償指揮官枠&color(green){+1};|| ***ネパール(Nepal)v1.22[#NPL] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源回復速度&color(green){+10%};|| |>|~|陸軍扶養限界&color(green){+25%};|~| |ディビヤ・ウパデシュ|The Divya Upadesh|外交評判&color(green){+1};|直訳すれば「神の教え」。ネパール国王プリスビ・ナラヤン・シャハが、&br;ネパールの政治や外交のあり方について記した文書。| |高峰の地|Land of Peaks|要塞防御&color(green){+15%};|| |峡谷の結束|Our Valleys United|人的資源&color(green){+15%};|| |ラージプートの亡命者|Rajput Refugees|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| |ロイヤル・クマリ|The Royal Kumari|陸軍士気&color(green){+10%};|クマリはネパールにいる生きた女神で、予言者の役割を果たす。&br;ロイヤル・クマリは首都にいる特別なクマリで、王もひれ伏す存在である。| |グルカ兵|The Gurkhas|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|湾曲した特異な形状の「グルカナイフ」で著名。&br;近現代ではイギリス軍所属の精鋭として勇名を馳せた。| |包囲と封鎖|Envelopment and Blockade|指揮官包囲&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***バーラト(Bharat)v1.26[#BHA] Ver1.26にて専用のNIが追加された。 1444GC開始時に使用可能な国家ではなく、form専用の国家。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|安定度コスト&color(green){-10%};|| |>|~|ステート維持費&color(green){-15%};|~| |戦象戦術の近代化|Modernized War Elephant Tactics|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|| |亜大陸の統一|Unite the Subcontinent|受容文化枠&color(green){+2};|亜大陸はインド亜大陸の事。| |サンスクリット文学の黄金時代|Golden Age of Sanskrit Literature|技術コスト&color(green){-5%};|| |インド軍|Indian Army|規律&color(green){+5%};|| |ガンガー|Ganga|国教寛容度&color(green){+2};|ガンガー(Ganga)は恒河(ごうが)とも呼ばれる、&br;ヒンドゥーに伝わる、ガンジス川を神格化した女神の事。| |バラモン統治|Brahmin Administration|統治効率&color(green){+5%};|| |ロケット技術の発展|Develop Rocket Technology|砲兵戦闘力&color(green){+10%};|ここのロケットはロケット砲等の兵器の意味。&br;ロケット自体は歴史は古く、西暦1000年頃には中国で、&br;今のロケット花火の形態が発明され武器として利用されていた。&br;インドではロケットの技術が発展しており、&br;マイソール戦争ではインド側がロケット砲団を編成、&br;イギリス軍が苦しむ要因の1つとなった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|分離主義年数&color(green){-5};|| ***ハブサン(Habsan)v1.26[#JAJ] アイデアの正式名はスィッディー(Siddi)である。 Ver1.26にて効果が一部変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|「沿岸の襲撃」が使用可|| |>|~|小型船コスト&color(green){-20%};|~| |ゴマ|Goma|異教寛容度&color(green){+3};|| |スィッディーの航海術|Siddi Seamanship|海軍伝統&color(green){+1/年};|| |~|~|水兵維持費&color(green){-10%};|~| |難攻不落の島の要塞|Impregnable Island Fortress|要塞防御&color(green){+15%};|| |スィッディーのディアスポラ|The Siddi Diaspora|人的資源&color(green){+10%};|| |スィッディー外交|Siddi Diplomacy|外交官&color(green){+1};|| |コンカン貿易|Konkan Trade|交易効率&color(green){+10%};|| |海軍の拡張|Expansion of the Navy|海軍維持費&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍士気&color(green){+15%};|| ***バフマニー(Bahmanis)v1.26[#BAH] Ver1.26で効果が一部変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|~| |西方人|Gharbians|人的資源回復速度&color(green){+10%};|「Gharbian」は西方人(Westener)や外国人(Foreigner)の意。&br;ここでいう西方人は主にイラン系のイスラム世界からの移民のこと。&br;バフマニー朝はデカン一帯に古くから定住する「Deccanis」の貴族と&br;新興の「Gharbians」の貴族との対立に悩まされた。| |ギースー・ダラーズの遺産|Legacy of Gisu Daraz|威信&color(green){+0.5/年};|「Gisu Daraz」は、バンダー・ナワーズ・ギースー・ダラーズのこと。&br;デリーで活動したスーフィズムの教団の一つチシュティー教団の聖者であり、&br;聖者ナスィールッディーン・チラーグ・デリーの後継者。&br;ティムール朝の侵攻の影響により、バフマニー朝の首都グルバルガに移住した。&br;この移住はスーフィズムをデカン高原へ伝播するのに一役を買っている。&br;彼の死後、グルバルガにダルガー(聖廟)が建立され、現在にも残る。| |~|~|宗教的統一性&color(green){+25%};|~| |ダッキニー語|Dakani Language|受容文化枠&color(green){+1};|| |カーリミー|Karimis|交易効率&color(green){+10%};|カーリミーは、エジプトのカイロを拠点に、&br;紅海~インド洋間の貿易を行ったイスラム教徒の商人集団。&br;東方から香辛料等をもたらし、エジプトの砂糖・小麦等とと交換、莫大な富をもたらした。| |トルコ石の玉座|Takht-e-Firoza|外交評判&color(green){+1};|「Takht」は玉座、「Firoza」はトルコ石(ターコイズ)の意。&br;バフマニー朝第2代ムハンマド・シャー1世の時代、テランガーナへ侵略、&br;打ち負かした折にテランガーナの王より贈られたとされる。| |バフマニーの長子相続制|Bahmani Primogeniture|正統性&color(green){+1/年};|| |デカンの大マドラサ|Great Madrasa of the Deccan|アイデアコスト&color(green){-10%};|「マフムード・ガーワーンのマドラサ」のこと。&br;マドラサはイスラム世界の神学校のこと。&br;マフムード・ガーワーンはイラン出身で14世紀後半にバフマニー朝の名宰相として活躍した。&br;マフムード・ガーワーンのマドラサはグルバルガより遷都されたビーダルにて、&br;建造され、現在もビーダルの代表的なモニュメントである。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|安定度コスト&color(green){-10%};|| ***パンジャーブ(Punjab)v1.26[#PUN] Ver1.26にてform可能な国家となった事に合わせて、効果が一部変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|宗教的統一性&color(green){+25%};|~| |インドのパンかご|Breadbasket of India|交易品生産量&color(green){+10%};|| |インド=ペルシア交易の推進|Encourage Indo-Persian Trade|交易効率&color(green){+10%};|| |パンジャーブの織物工房|Punjabi Textile Industry|生産効率&color(green){+15%};|| |カルサ|The Khalsa|人的資源&color(green){+20%};|| |標準化されたグルムキー文字の採用|Adopt Standardized Gurmukhi Script|安定度コスト&color(green){-10%};|| |ミスルの力|Strength of the Misls|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |パンジャーブ陸軍の改革|Reforming the Punjabi Army|規律&color(green){+5%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***ヒンドゥスターン(Hindustan)v1.26[#HIN] Ver1.26にて専用のNIが追加された。 1444GC開始時に使用可能な国家ではなく、form専用の国家。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|領有可能ステート数&color(green){+5};|| |>|~|人的資源&color(green){+20%};|~| |シパーヒー|Sepahi|歩兵戦闘力&color(green){+15%};|シパーヒーはペルシャ語で「兵士・軍人」の意味。&br;オスマン軍の主に騎兵隊を指す言葉だが、&br;ここではインドの現地民傭兵歩兵部隊の事。&br;日本では英語読みのセポイ(sepoy)の表現で知られる。&br;元々はカースト制の中でのある一定の階級の人々を指して「セポイ」と言い、&br;この階級から編成された部隊であることから名付けられている。| |ペルシャの宮廷文化|Persianate Courtly Culture|顧問コスト&color(green){-10%};|| |帝国のインドの野望|Imperial Indian Ambition|分離主義年数&color(green){-5};|| |孔雀の玉座|The Peacock Throne|正統性&color(green){+1};|孔雀の玉座はムガル帝国の玉座の事。&br;ムガル君主シャー・ジャハーンのために製作されたもので、&br;全体に宝玉が散りばめられ、背後に2羽の孔雀が描かれた。&br;後にイランのアフシャール朝により奪取され、イラン王権の象徴ともなる。| |火薬帝国|Gunpowder Empire|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|火薬帝国とは、主にオスマン帝国、&br;サファビー朝ペルシア帝国、ムガル帝国の3国を表す言葉で、&br;大砲や銃器等の火薬兵器で&br;大きな軍事的成功をした国家を表す言葉である。&br;当時の言葉ではなく、比較的新しく作られた言葉である。| |スーフィー宣教師の後援|Patronize Sufi Missionaries|布教強度&color(green){+2%};|| |プロト工業化|Proto-Industrialization|開発コスト&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***ベンガル(Bengal)v1.26[#BNG] アイデアの正式名はベンガル・スルタン(Bengal Sultanate)である。 Ver1.26にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+15%};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |沿岸の海賊行為の撲滅|Combat Coastal Piracy|交易効率&color(green){+10%};|| |ハブシーの将軍を奨励|Promote Habshi Generals|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|ハブシーはグジャラートに定住したアフリカ系黒人集団の事。&br;スィッディー(Siddi)とも呼ばれる。&br;ハブシーはアビシニア(エチオピア)出身者という意味からそう呼ばれている。&br;本ゲームでのHabsanはこのハブシーの集団の国家。&br;インドでは主に彼らを奉公人、召使いに彼らを重用していたが、&br;奴隷軍人といわれるエリートたちもおり、身体能力に優れ、&br;忠誠心が強く、実務に長けていたこともあり、重宝された。| |デルタ地帯の皆伐|Clear the Delta|開発コスト&color(green){-10%};|デルタ地帯はベンガル・デルタの事。| |スーフィー学者の招致|Attract Sufi Scholars|アイデアコスト&color(green){-10%};|| |ヒンドゥスターン平野の征服|Conquest of the Gangetic Plain|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| |ルピー鋳造の開始|Begin the Minting of Rupees|税収&color(green){+10%};|ルピーはインドで現在も使用される通貨の名称。&br;サンスクリット語で「銀」を意味するルーピヤに由来する。&br;語源通り、インドでは古くから銀貨を鋳造・流通していた。&br;16世紀にベンガル全土を支配した&br;スール朝初代君主シェール・シャー(Sher Shah)により&br;ルピーの基となった銀貨が発行された。&br;これはルピー銀貨と呼ばれ、ムガル帝国でも広く流通し、&br;東インド会社においても同様の価値の貨幣が流通・発行された。| |ベンガルの工業化|Bengali Industrialization|交易品生産量&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|後列からの砲兵与ダメージ&color(green){+15%};|| ***マールワー(Malwa)v1.26[#MLW] Ver1.26で効果が一部変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵コスト&color(green){-10%};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |ラージプート・マールワーの再建|Restore The Rajputs Malwa|人的資源&color(green){+15%};|| |マールワーの芸術と建築様式|Malvi Art & Architecture|威信&color(green){+0.5/年};|| |~|~|宗教的統一性&color(green){+25%};|~| |デリー-スーラト貿易網の保護|Protect the Delhi-Surat Trade Route|交易効率&color(green){+10%};|| |要塞の強化|Fortified Strongholds|要塞防御&color(green){+20%};|| |黒い土壌|Black Soils|交易品生産量&color(green){+10%};|| |ジャイナ教徒の銀行家達|Jain Bankers|インフレ削減&color(green){+0.1/年};|| |マールワーのアヘン|Malwa Opium|州からの交易力&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|受容文化枠&color(green){+1};|| ***マイソール(Mysore)v1.26[#MYS] Ver1.26にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|無償指揮官枠&color(green){+1};|~| |マイソールの統一|Unification of Mysore|コア化コスト&color(green){-10%};|| |カンナダ文学の後援|Patronize Kannada Literature|正統性&color(green){+1/年};|ドラヴィダ語族の中でもっとも古い言語の一つで、&br;現代でもカルターナカ週の公用語である。&br;独自の文字、カンナダ文字が使われる。&br;インドでは諸王朝が詩人を庇護し、&br;王や重臣自身が文芸活動を行うことが一般的だったが、&br;マイソール王国も同様であり、&br;カンナダ文字の文学が残っている。| |宗教的寛容|Religious Tolerance|異教寛容度&color(green){+2};|| |製糸業の改革|Reform the Silk Industry|交易品生産量&color(green){+10%};|| |ロケット|Rockets!|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|ここのロケットはロケット砲等の兵器の意味。&br;ロケット自体は歴史は古く、西暦1000年頃には中国で、&br;今のロケット花火の形態が発明され武器として利用されていた。&br;インドではロケットの技術が発展しており、&br;マイソール戦争ではインド側がロケット砲団を編成、&br;イギリス軍が苦しむ要因の1つとなった。| |マイソール陸軍の改革|Reform the Mysorean Army|軍事ポリシー自由枠&color(green){+1};|| |活動的な外交|Dynamic Diplomacy|外交評判&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***マニプル(Manipur)v1.22[#MLB] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|略奪速度&color(green){+25%};|| |>|~|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|~| |サナマヒ信仰|Sanamahism|不穏度&color(green){-1};|サマナヒ信仰は、インド北東部で見られる主にメイテイ族により信仰される精霊信仰の一種。&br;マニプルは多神教であり、360柱を超える神々を信仰している。&br;火や水といった自然の力に関する神々を信仰する。| |軍事伝統|Martial Traditions|陸軍士気&color(green){+10%};|| |メイテイ族の王国|Kingdom of the Meitei|正統性&color(green){+1/年};|メイテイ族(ミーテイ族、マニプリ人とも)は、マニプル州の大部分を構成する民族。&br;マニプルとは「宝石のような大地」の意味。&br;メイテイ族の王朝であるマニプル王朝のルーツは伝説的ではあるが、&br;紀元前まで遡れ、民族叙事詩「マハーバーラタ」にも登場する。&br;英雄アルジュナと結婚したマニプル国の王女チトラーンガダーの孫であり、&br;蛇の姿をしたパカンバ(Pakhangba)を守護神とし、王国の祖とする。&br;ちなみに首都は、日本にも縁のある、あの「インパール」である。| |文字|Mayek|国教寛容度&color(green){+2};|Mayek(マイエック?)は文字の意であろうか。ここではメイテイ文字(Meitei Mayek)を指す。&br;マニプリ語(メイテイ語)を表記するためにかつて使われていた文字。&br;メイテイ文字の古い歴史は不明な点が多く、その系統も明らかでない。&br;現代ではメイテイ文字を復活させる運動もあり、&br;1980年にマニプル州政府が27文字のメイテイ文字を公認した。| |丘陵部族の併合|Unite the Hill Tribes|人的資源&color(green){+10%};|マニプルには、メイテイ族の他に、クキ族やナガ族に代表される丘陵部族が定住していた。| |ベンガルの影響|Bengali Influence|外交枠&color(green){+1};|マニプルは一時、ベンガルの支配下の時代があり、その際にヒンドゥーを受容している。&br;現代では約半数がヒンドゥー徒である。| |遠くへの外交|Far-Reaching Diplomacy|外交評判&color(green){+1};|マニプル王国は、東にビルマ、西にベンガルという大国に挟まれており、度々侵攻を受けた。&br;ビルマの侵攻の際、イギリスへ助けを求め、イギリスも承諾して、軍が派遣されている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|要塞防御&color(green){+15%};|| ***マラーター(Marathas)v1.26[#MAR] バローダー(Baroda)、主要文化がマラーター(Marathi)であるグワーリヤル(Gwalior)の国家にも適用。 ナーグプル(Nagpur)はVer1.26で専用のNIが追加され、対象外となった。 Ver1.26でform可能な国家となるのに併せて、一部効果が見直された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+10%};|| |>|~|人的資源回復速度&color(green){+15%};|~| |兵役の伝統|Tradtion of Military Service|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|カースト「Burgi」(ブルギ?)により構成された騎兵隊が有名。| |マハラシュトラの砦|Forts of Maharashtra|要塞防御&color(green){+20%};|マラータ同盟の中心地・マハラシュトラの各地には堅固な砦が築かれた。| |農民兵|Peasant Soldiers|歩兵コスト&color(green){-20%};|| |宰相|Office of the Peshwa|コア化コスト&color(green){-15%};|ペーシュワー(Peshwa)はシヴァージーによって設置された&br;マラータ同盟における宰相職。| |バラモン財閥との紐帯|&size(12){Strengthen ties with Brahmin Financial Families};|改革進行点増加&color(green){+15%};|| |官僚制の改編|Reform The Bureaucracy|交易品生産量&color(green){+10%};|| |マラータ海軍の拡大|Expand Maratha Navy|艦船関連コスト&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|安定度コスト&color(green){-10%};|| ***ムガル(Mughals)v1.26[#MUG] Ver1.26にて効果とアイデア順序が一部変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|| |>|~|コア化コスト&color(green){-25%};|~| |ジャーギールとマンサブダーリー制|The Jagir and Mansabdari System|規律&color(green){+5%};|ジャーギールはインドのムスリム諸王朝における封土。&br;マンサブダーリー制はムガル帝国期のインドで行われた軍人官僚制。&br;3代皇帝であるアクバルの治世において確立された。| |聖職者の統制|Control over the Clergy|不穏度&color(green){-1};|| |イバダット・カーナ -礼拝の家|Ibadat Khana -House of Worship|アイデアコスト&color(green){-10%};|16世紀後半にアクバルによってファテープル・シークリーに建てられた、&br;宗教指導者が宗教的議論を行う場所。| |インド人パーディシャー|An Indian Padishah|軍事ポリシー自由枠&color(green){+1};|ペルシア語で「パードシャー」。&br;王朝の始祖バーブルが初めてパードシャーを称して以来、&br;帝国において、パードシャーは最高君主を意味する称号であった。| |ザブト制|Zabt System|税収&color(green){+10%};|ムガルの徴税制度。スール朝で始まり、アクバルが整備した。| |ムガル建築|Mughal Architecture|威信&color(green){+1/年};|| |アーラムギールの教令集|Fataua - e - Alamgiri|安定度コスト&color(green){-10%};|17世紀後半、アウラングゼーブが帝国の法体系を確立するために、&br;ウラマー(イスラム法学者)に整備させた判例集| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|技術コスト&color(green){-5%};|| ***メーワール(Mewar)v1.26[#MER] Ver1.26にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵コスト&color(green){-20%};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |ラージプートの中心地|Rajput Heartland|陸軍伝統低下&color(green){-1%/年};|| |勝利の塔の建造|Construct the Victory Tower|威信&color(green){+1/年};|メーワールの首都チットールガルに建造されたジャイナ教の塔。&br;ヴィジャイ・スタンバ(Vijaya Stambha)とも。&br;1440年メーワール王クンバー(Kumbha)は&br;マールワー王マフムード・シャー(Mahmud Shah)率いる&br;マールワー・グジャラート連合軍との戦いに勝利し、&br;その記念として勝利の塔を建造し、1448年に完成した。| |クンバルガルの要塞|The Fort of Kumbhalgarh|要塞防御&color(green){+15%};|クンバルガル城の事で、&br;クンバーが1443年から1458年に建設した城塞である。&br;総延長約20 kmの城壁は、インド最長。&br;先の勝利の塔と合わせて現在では&br;「ラージャスターンの丘陵城塞群」として世界遺産に認定されている。| |湖の街|City of Lakes|開発コスト&color(green){-10%};|都市ウダイプル(Udaipur)の事。&br;ウダイプルはメーワール王国がムガル帝国の服属に拒否した後、&br;首都チットールガルが陥落した後、&br;新しい都としてウダイプルを築いた。&br;ピチョーラー湖を見下ろす宮殿を中心に建造物が建設され、&br;現代においても「湖の都」と呼ばれている。| |プルビアの呼び戻し|Recall the Purbias|人的資源&color(green){+15%};|Purbia(Purbiyaとも、プルビア?)は、ラージプートのカースト集団。| |強制銃器訓練|Mandatory Firearm Drills|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|| |ラージプート連隊の再編成|Reorganized Rajput Regiments|規律&color(green){+5%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|戦争疲弊&color(green){-0.03/月};|| ***ラージプーターナー(Rajputana)v1.26[#RJP] Ver1.26からform可能となる新規国家で、併せて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|軍事ポリシー自由枠&color(green){+1};|~| |帝国の遺産|Imperial Legacy|コア化コスト&color(green){-10%};|7世紀~13世紀頃に、ラージプート諸王朝が建国された。&br;特に8世紀後半に勃興したプラティーハーラ朝は、&br;西インドのアヴァンティを本拠に勢力を伸ばし、&br;首都をカナウジに移し、北部インドのほぼ全域を勢力とする&br;北インド最大の大帝国となった。| |小公国の王|King of Petty Princes|人的資源&color(green){+15%};|ラージプート地域はデリー=スルターン朝の支配を受けることとなったが、&br;その後もラージプート諸侯は小侯国として存続した。| |マルワリ馬|Marwari Horses|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|グループNIのラージプートNIと同一のNI。| |~|~|移動速度&color(green){+10%};|~| |プルビアの遺産|Purbia Legacy|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|Purbia(Purbiyaとも、プルビア?)は、ラージプートのカースト集団。| |ダルマの保護者|Protectors of the Dharma|国教寛容度&color(green){+2};|ダルマはサンスクリット語で様々な意味を持つが、一般的に「法」と訳され。&br;倫理的規範」「きまり」を意味する。法律も宗教的義務もダルマである。&br;インドにおいて宗教・思想上の重要概念である。&br;インドにフォーカスを置いたDLC名にもなっている。| |砲兵部隊の拡張|Expanded Artillery Arm|砲兵コスト&color(green){-15%};|| |不朽の建造物|Monumental Architecture|正統性&color(green){+1/年};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***ラダック(Ladakh)v1.22[#LDK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|国教寛容度&color(green){+2};|| |>|~|外交枠&color(green){+1};|~| |ラダックの2王国|The Two Kingdoms of Ladakh|威信&color(green){+1/年};|ラダック地方は、10世紀頃にラチェン王朝が興ったが、&br;15世紀初頭に兄ダクパ・ブムデ(Takbumde)と&br;弟ダクパ・ブム(Takpabum)の兄弟間で東西に分裂した。&br;治めた地域からダクパ・ブムデ系統をレー(Leh)王、&br;ダクパ・ブム系統をバスゴ(Basgo)王と呼ぶっぽい。&br;その後、ダクパ・ブムの孫、ラチェン・バガン(Lhachen Bhagan)がラダックを再統一し、&br;「勝利」の意であるナムギャル(Namgyal)という姓を名乗り、ナムギャル王朝が興る。| |要塞山岳都市|Fortified Mountain Cities|要塞維持費&color(green){-20%};|ダクパ・ブムは、バスゴの城を改修し、要塞を築いたとされる。&br;現代でも、バスゴ要塞の遺構を見ることができる。| |世界の屋根からの羊毛|Wool from the Roof of the World|交易品生産量&color(green){+10%};|「世界の屋根」はここではチベット高原のことを指す。&br;羊毛は、ここでは羊の毛ではなく山羊の毛のこと。&br;チベット高原の北西部に位置するチャンタン高原(蔵北【ぞうほく】高原とも)には&br;チャンパ(Changpa)と呼ばれるチベット系遊牧民が暮らす。&br;チャンパの飼う家畜にパシュミナヤギというカシミヤヤギの近似種がおり、&br;このヤギから取れる毛は「パシュミナ」と呼ばれる。&br;パシュミナの毛は細いため、手作業で紡ぐ必要があるので希少であるが、&br;品質はカシミヤよりも高いとされ、パシュミナの織物は最高級品である。&br;日本では、「パシュミナ」という繊維用語が認められていない為、&br;大体がカシミヤやウール、果ては合成繊維の模造品なので注意。| |大僧院の建造|Construction of Great Monasteries|建造物コスト&color(green){-10%};|ラダック王国はチベット仏教が盛んで、&br;都レーにあるナムギャル・ツェモ・ゴンパといった多くのゴンパが建造されている。&br;ゴンパはチベット仏教における寺院・僧院の意。| |ラダック王統記|La dvags rgyal rabs|安定度コスト&color(green){-10%};|17世紀に編纂されたラダック王国の王室の年代記。&br;西チベットや古代インドのチベットに関する重要な史書。| |王国の統合|A Kingdom United|正統性&color(green){+1/年};|| |遠方の交易商人の招致|Invite Far-Away Traders|交易効率&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|要塞防御&color(green){+20%};|| **グループNI [#z5ec78bf] 特定の集団に属する勢力に対して適用されるNI ***インド・スルタン国(Indian Sultanate)v1.26[#Indian_muslim] 国教がイスラム教であり、かつ主要文化グループがヒンドゥスタン(hindusthani)、東西アーリア(eastern aryan、western aryan)のいずれかであり、かつ主要文化がマラーター(Marathi)ではない国家に適用。 Ver1.25以前はドラヴィダ(Dravidian)文化グループとマラーター(Marathi)文化でも適用された。 Ver1.26で伝統の「異教寛容度+3」から「騎兵コスト-10%」に変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |>|~|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |偶像崇拝の許容|Tolerate the Idol Worshippers|宗教的統一性&color(green){+50%};|イスラムは原則として偶像崇拝を認めない。| |ペルシア式宮廷|Court Persian|不穏度&color(green){-1};|ムガル朝時代にインドにはペルシアの文化様式が入り込んだ。| |包括的国土調査|Comprehensive Land Survey|税収&color(green){+10%};|| |人口調査|Counting the People|人的資源&color(green){+10%};|| |法の下の平等|Equality Under the Law|交易力&color(green){+10%};|| |高級な宮廷文化|High Court Culture|威信&color(green){+1/年};|| |スルタン官僚制|Sultanate Bureaucracy|安定度コスト&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***ヴィンディヤ(Vindhyan)v1.26[#Vindhyan] ブンデールカンド国(Bundelkhand)、バゲールカンド国(Bagelkhand)、カーリンジャル国(Kalinjar)、主要文化がマラーター(Marathi)ではないグワーリヤル国(Gwalior)に適用 ※ただし、ブンデールカンドは1444GC開始時はインド・スルターンのアイデアが適用される。国教をイスラム教から別の宗教(例:ヒンドゥー)にするとヴィンディヤのアイデアが適用される。 Ver1.26新規国家であるカーリンジャル(Kalinjar)も適用されるように条件が変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|受容文化枠&color(green){+1};|| |>|~|要塞維持費&color(green){-20%};|~| |ラージプートの関係|Rajput Connections|外交評判&color(green){+1};|ラージプート(Rajput)は、現在のラージャスターン州に居住する民族であり、クシャトリヤを自称するカースト集団。&br;戦士集団であるクシャトリヤの子孫であることを意味する。| |ヴィンディヤの砦|Forts of the Vindhyas|要塞防御&color(green){+15%};|| |神聖な土地|A Sacred Land|国教寛容度&color(green){+1};|ブンデールカンドのカジュラーホーにはチャンデーラ朝時代に80以上のヒンドゥー寺院群が建立されたとされる。&br;現代でも遺構があり、世界遺産に認定されている。| |ブンデーラー族のカラーム|Bundeli Kalam|威信&color(green){+1/年};|カラームはイスラム教の思弁哲学の意味。| |未踏の地|Untamed Lands|敵損耗&color(green){+1};|| |ダイヤモンド鉱山|Diamond Mines|交易効率&color(green){+10%};|19世紀までは、インド亜大陸が世界で唯一のダイヤモンド産出国であった。&br;ブンデールカンド地方ではパンナ(Panna)が有名なダイヤモンドの産地。| |チャンデーラ朝の遺産|Candella Legacy|正統性&color(green){+1/年};|チャンデーラ朝は、9~14世紀にかけて、ブンデールカンド地方に存在した&br;ヒンドゥー王朝であり、ラージプート王朝。&br;宗教的な拠点としてカジュラーホーが知られており、多数のヒンドゥー寺院が建立された。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***ガルジャート(Garjati)v1.26[#Garjati] 主要文化がジャールカンド(Jharkhandi)もしくはガルジャート(Garjati)の国家に適用。 Ver1.26にて追加されたグループNI。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|敵対的コア化コスト&color(green){+50%};|~| |中央インド防衛の確保|Securing Defenses Central Indic|要塞防御&color(green){+15%};|| |古代のマンダラ|Ancient Mandalas|正統性&color(green){+1/年};|ここで言うマンダラは密教の図像から派生した国家政体としてのマンダラ。| |封土部族|Tribal Feudatories|人的資源&color(green){+15%};|| |貯め池と貯水池の拡大|Extend Tanks and Reservoirs|開発コスト&color(green){-10%};|| |密林戦|Jungle Warfare|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |ジャガンナート崇拝|Jagannath Cult|国教寛容度&color(green){+2};|ジャガンナートはヒンドゥーの神。元はオリッサ地方の土着神だが、&br;ヒンドゥーに習合されクリシュナ神と同一視される。「宇宙の主」と呼ばれる。&br;「破滅的な力」の意を持つ「ジャガーノート」の語源とされる。| |経済成長の後援|Patronize Economic Growth|交易品生産量&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|安定度コスト&color(green){-10%};|| ***グジャラート公国(Gujarati Princedom)v1.26[#Gujarati] 主要文化がグジャラート(Gujarati)もしくはサウラーシュトラ(Saurashtri)である、もしくはバグラーナ(Baglana)国に適用 Ver1.26にて既存のグジャラート(Gujarati)はグジャラート(Gujarat)の専用NIとなり、 グループNIとしてはグジャラート公国(Gujarati Princedom)の名称に変わり、併せて効果も一新された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|商人&color(green){+1};|| |>|~|要塞維持費&color(green){-15%};|~| |カチアワリ馬|Kathiawari Horses|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|カチアワリ馬はグジャラートのある&br;カーティワール半島で見られる馬の品種。&br;近隣のマルワリ馬との近縁種とみられる。&br;比較的小柄の馬種。| |新貿易港の開港|Establish New Trading Ports|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| |ジャイナ教徒銀行員の為の避難港|Safe Harbor for Jain Bankers|利息&color(green){-1};|ジャイナ教では殺生を固く禁じられた戒律がある為、&br;農業や畜産業は不殺生の戒を破ることになるので、&br;金融業に従事するものが多かった。| |ラージプート王朝|Rajput Dynasties|外交評判&color(green){+1};|| |ドワルカデッシュ寺院の保護|Protect the Dwarkadhish Temple|国教寛容度&color(green){+1};|ドワルカデッシュ寺院はヒンドゥーの聖地ドワルカにある寺院。&br;クリシュナを奉じており、クリシュナの孫&br;ヴァジュラナーバ(Vajranabha)により建立されたと信じられている。| |アシャプラ・マータ|Ashapura Mata|正統性&color(green){+1/年};|アシャプラ・マータは「母なるアシャプラ神」の意味で、&br;カッチ地域のラージプートで信仰された女神。&br;ローカル色の強い神のようだが、&br;カッチ地域では人気の高い女神のようである。| |アフリカへの貿易路の伸長|Extend Trade Routes to Africa|交易範囲&color(green){+20%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%};|| ***ゴンド(Gond)v1.26[#Central_indic] 主要文化がゴンド(Gondi)の国家に適用。 Ver1.26にて名称が既存の中央インド(Central Indian)からゴンド(Gond)に変更され、併せて適用条件も変更された。 Ver1.25までは「主要文化グループが中央インド(Central Indian)の国家に適用」である。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|敵対的コア化コスト&color(green){+50%};|| |>|~|人的資源&color(green){+15%};|~| |防衛の確保|Securing our Defenses|要塞防御&color(green){+15%};|| |部族宗教|Tribal Religion|宗教的統一性&color(green){+10%};|| |~|~|不穏度&color(green){-1};|~| |虎と象|Tigers and Elephants|敵損耗&color(green){+1};|虎と象はインドで神聖視されている。&br;虎はヒンドゥー3柱の主神の中の1人シヴァ神が虎の皮を纏っており、&br;シヴァの神妃とされるドゥルガーは虎に乗った姿で描かれる。&br;象はシヴァの子であるガネーシャが象頭の姿をしている。| |柔軟なカースト制|Flexible Caste System|受容文化枠&color(green){+1};|| |低地への襲撃|Raiding the Lowlands|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |古代の起源|Ancient Roots|正統性&color(green){+1/年};|| |酋長との関係の正式化|Formalize Relations with the Chiefs|税収&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|商人&color(green){+1};|| ***デカン・スルタン国(Deccani Sultanate)v1.26[#Deccani_muslim] 国教がイスラム教であり、かつ主要文化グループがドラヴィダ(Dravidian)であるか、もしくは主要文化がマラーター(Marathi)の国家に適用。 Ver1.26にて追加されたグループNI。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|受容文化枠&color(green){+1};|~| |バフマニー朝の遺産|Legacy of the Bahmani Sultanate|正統性&color(green){+1/年};|バフマニー朝は14世紀中ごろから16世紀初頭にかけて、&br;インドのデカン地方を支配したイスラム王朝。&br;南部のヴィジャヤナガル王国と長く抗争を繰り広たが、&br;その最中で分裂し、滅亡した。| |デカン地域の同一性の促進|Promote Deccani Regional Identity|アイデアコスト&color(green){-10%};|| |バラモン統治者の任命|Appoint Brahmin Administrators|安定度コスト&color(green){-10%};|| |ハブシーの購入|Purchase Habshis|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|ハブシーはグジャラートに定住したアフリカ系黒人集団の事。&br;スィッディー(Siddi)とも呼ばれる。&br;ハブシーはアビシニア(エチオピア)出身者という意味からそう呼ばれている。&br;本ゲームでのHabsanはこのハブシーの集団の国家。&br;インドでは主に彼らを奉公人、召使いに彼らを重用していたが、&br;奴隷軍人といわれるエリートたちもおり、身体能力に優れ、&br;忠誠心が強く、実務に長けていたこともあり、重宝された。| |バルギ・ギリ|Bargi Giri|騎兵攻撃範囲&color(green){+50%};|バルギ・ギリ?(Bargi Giri)はマラーター軽騎兵によるゲリラ戦術の名称。&br;特にアフマドナガル王国のスィッディー(Siddi)である名将マリク・アンバル(Malik Ambar)の戦術を指し、&br;ムガル帝国との戦争では、マラーター軽騎兵の機動力で大規模に略奪戦を行い補給を難しくさせ、&br;また、夜襲を行う等の結果、ムガル軍に大打撃を与え、&br;領土のほぼ全てを回復した。| |マラーター耕作者との繋がりの強化|Strengthen Ties with Marathi Cultivators|生産効率&color(green){+10%};|| |マラーター-ハブシー合同国|Joint Marathi-Habshi State|顧問コスト&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+10%};|| ***テルグ(Telugu)v1.26[#Telugu] v1.25まではアーンドラ(Andhra)専用NIであったが、Ver1.26にてグループNIに変更。 合わせて名称もテルグ(Telugu)に変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|| |>|~|要塞防御&color(green){+20%};|~| |テルグ文学の後援|Patronize Telugu Literature|威信&color(green){+1/年};|14世紀前半から15世紀前半にかけてアーンドラ地方を治めたレッディ朝は、&br;王の庇護の元、テルグ文学が花開き、王の中にも詩人や著者が現れた。&br;代表的な詩人として、エッラナがおり、民族叙事詩「マハーバーラタ」のテルグ翻訳を完成させた。| |テルグ族の戦士貴族|Telugu Warrior Aristocrats|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|レッディ王国の「レッディ」はアーンドラ地方に住んでいたカーストの階級名で、&br;主に農民階級であったが、カーカティーヤ朝時代は戦士として戦った。&br;カーカティーヤ朝時代では貴族のものもいたらしく、&br;レッディの指導者は将軍の1人として仕えていた。| |カーカティーヤの遺産|Kakatiya Legacy|税収&color(green){+10%};|カーカティーヤ朝は、レッディ王国の前にアーンドラ地方を治めていた王朝。&br;14世紀初頭よりデリー・スルターン朝に攻められ、1323年に首都ワランガルは陥落、滅亡した。| |東の偉大な砦|Great Forts of the East|要塞維持費&color(green){-15%};|東ガーツ山脈の東に位置するアーンドラにて、&br;レッディ朝を興したプローラヤ・ヴェーマ・レッディにより、&br;コンダヴィードゥにおいてコンダパッリの城塞などが築かれた。| |プラターパルドラの伝説|Legend of Prataparudra|正統性&color(green){+1/年};|カーカティーヤ朝最後の君主、プラターパルドラ2世は&br;デリー・スルターン朝に捕えられ、デリーに送還中に死亡したとされる。&br;しかし、彼は生き残って、家臣とともに新たな王国を築こうとしたという伝説が残っている。| |クルーのダイヤモンド鉱山|Diamond Mines of Kollur|生産効率&color(green){+10%};|19世紀までは、インド亜大陸が世界で唯一のダイヤモンド産出国であった。&br;特にアーンドラ地方はダイヤモンドの一大産地で、多くのダイヤモンド鉱山があった。&br;クリシュナ川南岸のクルー(コルラー?)鉱山は、世界最大のダイヤモンド鉱山の1つで、&br;そこから産出されたとする「コ・イ・ヌール」(105カラット)は、&br;当時世界最大のダイヤモンドとして有名である。| |コロマンデル貿易の奨励|Encourage Coromandel Trade|首都ノード交易力&color(green){+10%};|インド南東部のコロマンデル海岸には、南インドの貿易拠点であり、&br;多くの貿易港が作られ、西欧諸国はこぞってこの地域に貿易会社を設立した。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+10%};|| ***ネパール系公国(Nepalese Princedom)v1.26[#Nepalese_minor] 主要文化がパハーリー(pahari)もしくはネパール(nepali)の国家に適用 Ver1.26にて追加されたグループNI。 パハーリー(pahari)はVer1.26で新規に追加された文化 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|人的資源回復速度&color(green){+10%};|~| |寺院建造の継続|Continue Temple Construction|建造物コスト&color(green){-10%};|| |カシミール貿易商を招聘|Invite Kashmiri Traders|商人&color(green){+1};|| |新しき祭典の実施|Institute New Festivals|国教寛容度&color(green){+1};|| |カビンドラ|Kavindra|威信&color(green){+1/年};|カビンドラ(Kavindra)はサンスクリット語で「詩人の王」の意| |山道の占拠|Seize the Mountain Passes|要塞防御&color(green){+15%};|| |司法改革の制定|Enact Judicial Reforms|安定度コスト&color(green){-10%};|| |領域分割の終了|End the Division of Domains|自治度変化&color(green){-0.05/月};|ここでの領土分割は、相続時の分割継承の事を言っている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***ベンガル小国家(Bengali)v1.26[#Bengali] 主要文化がベンガル(bengali)もしくは、コーチ国(Koch)、カチャール国(Kachar)に適用 正確なグループNI名称はベンガル(Bengali)であるが、Ver1.26でベンガル国の専用NIが追加、区別する為に小国家を付与している。 Ver1.26で伝統の効果が交易誘導+10%、異教寛容度+3から商人+1、歩兵戦闘力+10%に変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|商人&color(green){+1};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |ベンガルのヒンドゥーとスーフィーの習合|&size(12){Bengali Hindu-Sufi Syncretism};|宗教的統一性&color(green){+50%};|多神教のヒンドゥーと一神教のイスラムは相いれなかったが、&br;イスラム教の中でもスーフィズム(神秘主義)を取る分派は&br;多神教世界との親和性を見出し、&br;アジア各国でイスラム教が広まるきっかけを作った。| |ガンジス川とブラマプトラ川の合流点|&size(12){Ganges-Brahmaputra Confluence};|交易効率&color(green){+10%};|ガンジス川はヒマラヤ山脈の南側、&br;ブラマプトラ川はヒマラヤ山脈の北側から発する大河。&br;下流域で合流し、ベンガル湾へ流れる。&br;下流部は「ベンガル・デルタ」と呼ばれる広大な三角州地帯を成す。| |ベンガルの果てしない肥沃な水田|&size(12){Bengal's Endlessly Productive Rice Fields};|人的資源&color(green){+20%};|河川がもたらす肥沃な土地と降水、&br;絶えざる日照によってベンガルでは膨大な量のコメが生産でき、&br;この地方で大量の人口を抱える理由となった。| |マスタード・オイルとイリッシュマス|Mustard Oil & Ilish Mach|戦争疲弊軽減コスト&color(green){-10%};|イリッシュ(Ilish)はヒルシャ(Hilsa)ともいうニシン科の魚で&br;バングラディシュの国民魚といわれる。&br;マスタード・オイルとの料理は代表的調理法。| |ジュート生産|Jute Production|生産効率&color(green){+10%};|ジュートは麻の一種。&br;v1.23で名前が一部修正(in Bengalが削除)された。| |ベンガルのアヘン畑|Opium Fields of Bengal|税収&color(green){+10%};|アヘン(阿片)は芥子の実からとれる麻薬で、&br;当時は沈痛、咳止め、睡眠導入等の薬効効果のある嗜好品として取引された。&br;ベンガル産のアヘンは高品質として知られ、世界中に広く輸出された。&br;ただ、アヘンは習慣化して次第に人体に害を及ぼし廃人化する効果もあった為、&br;中国の清国ではアヘンが蔓延、輸入を禁止する措置が取られた。&br;それでも密貿易により中毒者が減らず、銀も流出、アヘン戦争が起こることとなる。| |ベンガル・ルネサンス|The Bengal Renaissance|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|威信&color(green){+1/年};|| ***マラバール(Malabari)v1.26[#Malabari] 主要文化がマラヤーラム(Malayalam)の国家に適用 Ver1.26にて追加されたグループNI。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|| |>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~| |南インド商人|Merchants of Southern India|交易範囲&color(green){+20%};|| |文化のるつぼ|Cultural Melting Pot|顧問コスト&color(green){-10%};|| |ケーララ学派の後援|Patronize the Kerala School|技術コスト&color(green){-5%};|ケーララ学派は、&br;サンガマグラーマのマーダヴァ(Madhava of Sangamagrama)が始祖とされる、&br;インドのケーララ地方で活動した数学と天文学の学派。&br;マーダヴァ学派とも呼ばれる。 | |貿易の代理人|Trade Factors|商人&color(green){+1};|| |内陸の制御|Control the Inland|州からの交易力&color(green){+15%};|| |マーピラの水兵|Mapilla Sailors|海軍伝統&color(green){+1/年};|マーピラは、ケーララ地方のイスラムコミュニティのメンバーを指す言葉。&br;南アジアで最も古いイスラムコミュニティの1つとされる。| |象の土地|Land of Elephants|不穏度&color(green){-1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易力&color(green){+10%};|| ***南インド(South Indian)v1.26[#Dravidian] 主要文化グループがドラヴィダ(Dravidian)で、かつ主要文化がマラヤーラム(Malayalam)でなく、かつ国教がヒンドゥーの国家に適用 Ver1.26で「主要文化がマラヤーラム(Malayalam)ではない」が追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|宗教的統一性&color(green){+33%};|~| |南インド商人|Merchants of Southern India|交易範囲&color(green){+20%};|| |貯水池と運河|Water Tanks and Canals|税収&color(green){+10%};|| |ポリーガル制|Polygar System|人的資源&color(green){+10%};|定められた領域の統治権と軍権を持った、封建領主ともいうべき存在。&br;PolygarはPalaiyakkararとも。| |南インド傭兵|South Indian Mercenaries|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|| |大寺院の保護|Patronage of Great Temples|正統性&color(green){+1/年};|| |南インド文学|South Indian Literature|威信&color(green){+1/年};|| |商人資本主義者|Merchant Capitalists|商人&color(green){+1};|商人資本主義は、資本主義の1形態で、貿易差額により儲けを得る遠隔地貿易がその代表である。&br;乱暴に言えば重商主義。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%};|| ***ラージプート(Rajput)v1.22[#Rajput] 主要文化がラージプート(rajput)もしくはマールワー(malvi)であり、国教がイスラム教グループではない国家に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源回復速度&color(green){+10%};|| |>|~|敵対的コア化コスト&color(green){+50%};|~| |一族の忠誠|Clan Loyalties|人的資源&color(green){+15%};|| |ラージプートの強化|Fortifying Rajputana|要塞防御&color(green){+15%};|| |マルワリ馬|Marwari Horses|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|アラブ馬・モンゴル馬とインドポニーの交配種といわれる。&br;ラージプート騎兵の精強さを支えた。| |~|~|移動速度&color(green){+10%};|~| |ラージプートの抵抗|Rajput Resistance|戦争疲弊&color(green){-0.03/月};|| |ラージプート絵画学校の設立|Create Rajput Painting School|威信&color(green){+1/年};|| |戦争の精神|Martial Ethos|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};|| |ラージプート貿易商社|Rajput Trading Houses|交易効率&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| *中東 [#MiddleEast] |CENTER:20|>|>|>|>|CENTER:|c |~各国NI|~ホラーサーン|[[アフガニスタン(Afghanistan)>#AFG]]|[[スィースターン(Sistan)>#SIS]]|[[ティムール(Timurids)>#TIM]]|[[バルーチスタン(Baluchistan)>#BAL]]| |~|~|[[ホラーサーン(Khorasan)>#KHO]]|||| |~|~ペルシア|[[アジャム(Ajam)>#QOM]]|[[イルハン(Ilkhanate)>#ILK]]|[[黒羊朝(Qara Qoyunlu)>#QAR]]|[[ファールス(Fars)>#FRS]]| |~|~|[[ペルシア(Persia)>#PER]]|[[ホルムズ(Hormuz)>#ORM]]|[[ムシャーシャー(Mushasha)>#MSY]]|[[ロレスターン(Luristan)>#LRI]]| |~|~アラビア|[[イエメン/アデン(Yemen / Aden)>#YEM]]|[[オマーン(Oman)>#OMA]]|[[ナジュド(Najd)>#NAJ]]|[[ハサー(Haasa)>#ALH]]| |~|~|[[ハドラマウト(Hadramut)>#HDR]]|[[ヒジャーズ/メディナ&br;(Hejaz / Medina)>#HED]]|[[マフラ(Mahra)>#MHR]]|[[ラシード(Rassids)>#RAS]]| |~|~マシュリク|[[エルサレム(Jerusalem)>#KOJ]]|||| |~|~コーカサス|[[アルダビール(Ardabil)>#ARL]]|[[アルメニア/カラバフ&br;(Armenia / Kharabakh)>#ARM]]|[[サムツヘ(Samtskhe)>#SME]]|[[ジョージア/イメレティ&br;(Georgia / Imereti)>#GEO]]| |~|~|[[シルヴァン(Shirvan)>#SRV]]|[[チェルケシア(Circassia)>#CIR]]||| |~|~アナトリア|[[カラマン(Karaman)>#KAR]]|[[キプロス(Cyprus)>#CYP]]|[[ジャンダル(Candar)>#CND]]|[[聖ヨハネ騎士団(The Knights)>#KNI]]| |~|~|[[トレビゾンド(Trebizond)>#TRE]]|[[白羊朝(Aq Qoyunlu)>#AKK]]|[[ヒスン・カイファ(Hisn kayfa)>#HSN]]|[[ルーム・セルジューク(Rûm)>#RUM]]| |>|~グループNI|[[アナトリア地方(Anatolian)>#Anatolian_beyliks]]|[[アラブ(Arabian)>#Arabian]]|[[Caspian(カスピ海)>#Caspian]]|[[カフカス(Caucasian)>#Caucasus]]| |~|~|[[クルド(Kurdish)>#Kurdish]]|||| **各国NI [#z038ef87] ***アジャム(Ajam)v1.23[#QOM] v1.23で追加された新規国家の専用NI。ペルシャ西部に位置し、ティムールより任命された知事(ティムールの子孫)を頭とする国家の1つだが、 1444GC開始時ではティムール朝の属国ではなく、独立した国家となっている。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|外交官&color(green){+1};|~| |ジバール|Jibal|要塞防御&color(green){+20%};|ジバールはイラン西部の地域を表す名称。アラブ人がペルシャにやって来た際に名付けた。&br;この地域はザグロス山脈とアルボルズ山脈に囲まれた盆地で、ジバールは「山」の意。&br;古代メディア王国の領域とほぼ同じ領域である。| |アリーへ敬意を表す|In Honor of Ali|異端寛容度&color(green){+3};|アリーとは、イスラム教を創始したムハンマドのいとこでイスラムの第4代正統カリフであり、&br;シーアの初代イマームとされるアリー・イブン・アビー・ターリブのこと。| |イルハンの遺産|Legacy of The Ilkhans|陸軍士気&color(green){+10%};|イルハンは、モンゴル帝国時代の称号の1つ。&br;13世紀にイランを中心としたイルハン朝を建てた&br;チンギス・ハーンの孫でクビライ・ハーンの弟フレグの称号。&br;アジャムの地域には、かつてイルハンが首都としたソルターニーイェがある。&br;ソルターニーイェはイルハン第8代君主オルジェイトゥ・ハンが建てた都市で、&br;現代では世界遺産に認定されている。&br;遺跡の中心にはオルジェイトゥ廟があり、&br;二重構造のドームは世界最古のものとして残っている。| |ペルシア語とペルシアの宮廷文化|&size(12){Persian Language and Court Culture};|外交評判&color(green){+1};|古代よりペルシアは非常に優れた文化を有しており、&br;それはペルシャ地域が侵略されても失われず、&br;ハーフェズやジャラール・ウッディーン・ルーミーといったペルシア語文学の詩人を輩出、&br;現代においても世界的な評価を受けている。| |~|~|使節の移動時間&color(green){-25%};|~| |イラーキ・アジャムの部族|Tribes of Iraq-e Ajam|人的資源&color(green){+10%};|アジャムは、アラビア語でアラブ人以外の異民族もしくはペルシア人を指す言葉で、&br;イラン・イラクの周辺では「アラブ」「アジャム」の二項対立的な地域観が生まれ、&br;それぞれの地域について、&br;メソポタミア方面を「イラーキ・アラブ」(Iraq-e Arab、アラブのイラク)、&br;イラン高原西部を「イラーキ・アジャム」(Iraq-e Ajam、アジャムのイラク)と呼んだ。&br;なお、現代でアラビア語のアジャムは蔑称の意味を持つので、ほぼ使用されていない。| |~|~|要塞維持費&color(green){-10%};|~| |ディーワーンの改革|Reform the Diwan|汚職&color(green){-0.1/年};|ディーワーンは、イスラム国家の行政機関で「庁」あるいは「局」を指す言葉。| |シャーハン・シャー|Shahanshah|属国の独立欲求&color(green){-10%};|「シャー」はペルシャ語で「王」の意味を持つ称号名。元々イラン系の王の称号だが、&br;イラン・イスラーム文化の影響を受けたテュルク・モンゴル系の王にも使用された。&br;「シャーハン・シャー」は「王の中の王」の意味で「大王」や「皇帝」と同等の称号である。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|外交枠&color(green){+1};|| ***アフガニスタン(Afghanistan)v1.22[#AFG] v1.23でNIに変更はないが、国家がGC1444開始時から選択できる(ティムール朝の属国)ようになった。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| |>|~|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|~| |パシュトゥーンワーリ|Pashtunwali|戦争疲弊軽減コスト&color(green){-10%};|| |ヒンドゥークシュ山脈の影|Shadows of the Hindu Kush|要塞防御&color(green){+25%};|| |トウーレ|Tureh|人的資源&color(green){+20%};|| |アフガン人のディアスポラ|Afghan Diaspora|外交評判&color(green){+1};|| |ドゥッラーニーの帝国主義|Durrani Imperialism|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|アフシャール朝のナーディル・シャーの部下だったアフマド・シャー・ドゥッラーニーはナーディル・シャーの死後カーブルで部族の推戴を受け即位した。&br;衰退期にあった周辺諸国の大都市を次々と支配下におさめ、アフガニスタン王国の基礎を築いた。| |制度化されたロヤ・ジルガ|Institutionalised Loya Jirga|正統性&color(green){+1/年};|パシュトゥン人はロヤ・ジルガ(パシュトゥン語で「大会議」の意味)と呼ばれる部族長会議を開催し、新国王の選出や政治問題の解決を図る伝統を持っていた。&br;現在でも国家の最高意思決定機関として存在する。| |帝国の墓場|Graveyard of Empires|敵損耗&color(green){+1};|文明の十字路であったアフガニスタンはアレクサンドロス3世の東方遠征以来数多くの帝国の侵攻を受けた。&br;だが峻厳な山々と過酷な気候を前に侵攻した軍隊もただでは済まず、苦杯を嘗めさせられた。&br;近現代に入っても状況は変わらず、19世紀にはイギリスが2度のアフガン戦争で苦戦し、20世紀のソ連によるアフガン侵攻の失敗はソ連崩壊の遠因となった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|敵対的コア化コスト&color(green){+50%};|| ***アルダビール(Ardabil)v1.23[#ARL] 宗教がシーア(Shia)である必要あり。 v1.23で追加された新規国家の専用NI。 1444GC開始時は1州の小さな国家だが、後にサファビー朝ペルシアを建国するイスマーイール1世を輩出する国。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+15%};|| |>|~|人的資源回復速度&color(green){+10%};|~| |サファヴィー教団|The Safavid Order|陸軍士気&color(green){+10%};|サファヴィー教団は教主&br;サフィー・アッディーン・アルダビーリー(Safi al-din Ardabili)が始めた&br;スーフィー教団で、アルダビールより興った。&br;元はスンニだが、地域にシーアが多かったのでシーアの教団となった。&br;次第に影響力を強め、1501年に教団の長イスマーイール1世により&br;サファヴィー朝が建国される。| |~|~|信仰心&color(green){-0.1%/月};|~| |クズルバシュ|The Qizilbash|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|クズルバシュ(Qizilbash、キジルバシュ、キジルバシとも)は、&br;サファヴィー教団や大多数の信徒で占める&br;アナトリア高原に居住するトルコ系遊牧民のこと。&br;トルコ語で「赤い頭」の意味で、赤い心棒にイマームの数に由来する&br;12の襞がある布を巻きつけたターバンを被っていた事が由来。&br;サファヴィー朝を建国したイスマーイール1世が決起した際には、&br;イスマーイール1世を救世主として信奉し、敵と戦った。&br;死を恐れず突撃を繰り返すクズルバシュ騎兵は大いに敵から恐れられた。| |全シーアの指導者|Leader of all Shiites|国教寛容度&color(green){+2};|| |大衆の改宗|Conversion of the Masses|対異端改宗強度&color(green){+2%};|| |宗教戦争|Religious War|諜報網構築力&color(green){+20%};|| |アーミリ・ムジュタヒド|Amili Mujtahids|安定度コスト&color(green){-10%};|アーミリ(Amili)は、古くからシーアの知の中心であった&br;ジャバル・アーミル(Jabal'Amil)から招聘した一流の法学者の総称。&br;ムジュタヒド(Mujtahid)は、&br;教義の決定や立法(イジュティハード)を行う者のこと。| |イランのシャー|Shahs of Iran|正統性&color(green){+1/年};|「シャー」はペルシャ語で「王」の意味を持つ称号名。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|威信&color(green){+1/年};|| ***アルメニア/カラバフ(Armenia / Kharabakh)v1.22[#ARM] v1.23で3点の変更がありました。 ・伝統の伝統の「戦争疲弊軽減コスト-10%」が「戦争疲弊-0.02/月」に。 ・埋立地(Land Reclamation)の効果が「建造物コスト-10%」から「開発コスト-10%」に。 ・ナハラルの爵位(Nakharar Titles)の効果が「敵対的コア化コスト+25%」から「陸軍伝統+0.5/年」に また、v1.23からの新規国家カラバフ(Kharabakh)にも本NIが適用されます。 ┗これにより、1444GC開始時に本NIを持つ国家を選択して開始できるようになりました。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|戦争疲弊&color(green){-0.02/月};|| |>|~|士気回復速度&color(green){+5%};|~| |使徒教会|Apostolic Church|布教強度&color(green){+2%};|| |埋立地|Land Reclamation|開発コスト&color(green){-10%};|| |国境地帯の民族|Border Nation|外交評判&color(green){+1};|| |メリクドム組織|Melikdom Organization|税収&color(green){+10%};|| |シグナク|Sygnakhs|連隊雇用コスト&color(green){-10%};|| |ナハラルの爵位|Nakharar Titles|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| |アルメニア人のディアスポラの終焉|End of Armenian Diaspora|生産効率&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|敵損耗&color(green){+1};|| ***イエメン / アデン(Yemen/Aden)v1.23[#YEM] Ver1.23で専用のNIが追加された。(1444GC開始時はラスール朝(Rasulid)を指すようだ) また、v1.23で新規に追加されたAden(1444GC開始時はターヒル朝(Tahirid)を指す国家)も対象。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|~| |アル=ヤマン,幸福のアラビア|Al-Yaman, Felicitous Arabia|交易品生産量&color(green){+10%};|アル=ヤマン(Al-Yaman)はイエメンのアラビア語略称。&br;この地域は乾燥した周りと違い温暖で湿潤であり、豊かであった。&br;古代ローマ人は「幸福のアラビア」と呼んでいた。| |アラビカコーヒー|Coffea Arabica|交易力&color(green){+10%};|元はアラビアNI。アラビアNI側は削除され、こちらにNIが移動した。| |紅海の支配|Control of the Red Sea|交易効率&color(green){+10%};|| |イエメンの建築様式|Yemeni Architecture|威信&color(green){+1/年};|| |イエメン部族の統一|Uniting the Yemeni Tribes|人的資源&color(green){+10%};|| |イエメン貿易港の推進|Promoting the Yemeni Trade Ports|商人&color(green){+1};|| |外国大使館|Foreign Embassies|外交官&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|生産効率&color(green){+10%};|| ***イルハン(Ilkhanate)v1.27[#ILK] Ver1.27にて新規にform可能となった国家で、併せて専用のNIが追加された。 13世紀~14世紀にかけてペルシアからアナトリア東部までを支配したモンゴル帝国を構成する地方政権の国家。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵コスト&color(green){-15%};|| |>|~|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|~| |イルハン朝の復活|Restored Ilkhanate|正統性&color(green){+1/年};|イルハン朝は、1253年にフレグが建国したモンゴル帝国の地方政権。&br;ペルシアから東アナトリアを領地とした。首都はタブリーズ。&br;フレグはチンギス・ハーンの孫にあたり、&br;兄である第4代モンゴル皇帝モンケに西アジアの征服を命じられ、征服を行った。&br;その最中にモンケが亡くなり、次兄クビライと弟のアリクブケによる帝位継承戦争が始まり、&br;フレグは西アジアに留まり自立王朝としてイルハン朝を開いた。&br;イルハンは、「集団」を意味するイルに君主を意味する「ハン」をつけた、&br;フレグが名乗った称号である。&br;後に継承戦争で分裂が起こり、1353年に消滅した。| |~|~|遊牧民の結束&color(green){+1/年};|~| |スーフィズムへの寵愛|Favor Sufism|異端寛容度&color(green){+2};|| |宮廷でのペルシア語|Persian Language at Court|受容文化枠&color(green){+1};|| |ヤム|The Yam|使節の移動時間&color(green){-25%};|ヤムは、ジャムチのテュルク語に相当する駅伝制の事。&br;主要道路に10里ごとにおかれる宿駅が置かれ、宿と人馬を提供した。&br;駅伝を利用する公用の旅行者は、通行手形として牌符を携行し、&br;ヤムを自由に利用することができた。| |~|~|移動速度&color(green){+15%};|~| |パクス・モンゴリカ|Mongol Peace|分離主義年数&color(green){-5};|パクス・モンゴリカは、パクス・ロマーナから派生した言葉で、&br;13世紀から14世紀に渡りユーラシア大陸を支配した&br;モンゴル帝国の覇権による平和で安定した時代を指す。&br;陸路・海路ともに交易が活発になり、経済活動は更なる発展を遂げることとなる。&br;一方で、14世紀のペストの大流行は、モンゴル帝国の時代にユーラシア大陸を&br;横断する広大なネットワークが成されたことが原因の1つとも言われる。| |天文台の後援|Patronize Observatories|技術コスト&color(green){-5%};|| |トルコ人射撃手の徴募|Recruit Turkoman Gunners|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|騎兵攻撃範囲&color(green){+50%};|| ***エルサレム(Jerusalem)v1.22[#KOJ] ディシジョンによって建国できる。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|布教強度&color(green){+2%};|| |>|~|異教寛容度&color(green){+1};|~| |茨の冠|Crown of Thorns|正統性&color(green){+1/年};|キリストが処刑される前に被せられた冠。| |~|~|威信&color(green){+1/年};|~| |ラテン総主教|Latin Patriarch|教皇影響度&color(green){+2/年};|| |前線の地|Frontier State|規律&color(green){+5%};|| |異教徒の地|Land of the Heathen|宣教師&color(green){+1};|| |十字軍による統治|Crusader Aristocracy|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| |十字軍の城|Crusader Castles|要塞防御&color(green){+25%};|| |国際的な貴族性|Cosmopolitan Nobility|外交評判&color(green){+2};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+25%};|| ***オマーン(Oman)v1.22[#OMA] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍士気&color(green){+15%};|| |>|~|海軍維持費&color(green){-20%};|~| |地方商人の特権|Local Merchant Preference|交易誘導&color(green){+33%};|| |材木の安定供給|Securing Timber Supplies|艦船建造期間&color(green){-10%};|| |不信心者の協会|Association With Unbelievers|水兵数&color(green){+10%};|| |~|~|異教寛容度&color(green){+2};|~| |港の安全の確保|Port Security Improvements|交易効率&color(green){+10%};|| |造船ギルドの廃止|End of the Shipbuilding Guilds|小型船コスト&color(green){-15%};|| |~|~|水兵維持費&color(green){-5%};|~| |熟練した艦長|Skilled Captains|海軍提督機動&color(green){+1};|| |交易の拡大|Expansion of Trade Contacts|商人&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海上封鎖効率&color(green){+33%};|| ***カラマン(Karaman)v1.22[#KAR] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| |>|~|コア化コスト&color(green){-20%};|~| |メフメトの勅令|Mehmet Bey's Firman|安定度コスト&color(green){-10%};|Firmanはペルシア語で勅令のことを指す。&br;アナトリアではセルジューク朝は、&br;ペルシア語を文語とし、アラビア語を政府や化学の文章に使っていたが、&br;これをトルコ語に変えた。| |~|~|文化転向コスト&color(green){-20%};|~| |ガーズィー|Ghazi|人的資源回復速度&color(green){+20%};|異教徒と戦う戦士。或いは戦ったスルタンや将軍に贈られる称号| |カラマン騎兵|Karamanid Cavalry|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|| |機会をつかむ|Seize the Opportunity|外交官&color(green){+1};|| |カラマン建築|Karamanid Architecture|開発コスト&color(green){-10%};|| |ウィーリングダルウィーシュ誕生の地|Home of the Whirling Dervishes|宗教的統一性&color(green){+20%};|ダルウィーシュとはスーフィー教の修道僧。&br;彼らの宗教儀式の中には回る踊りもある。| |セルジューク帝国の真の後継者|True Heirs of the Seljuk Empire|正統性&color(green){+1/年};|カラマンは成立初期のオスマン・トルコとアナトリアの覇権をかけて熾烈に争った。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***キプロス(Cyprus)v1.22[#CYP] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|ガレーコスト&color(green){-20%};|| |>|~|異端寛容度&color(green){+4};|~| |エルサレム王|King of Jerusalem|正統性&color(green){+0.5/年};|&size(13){1291年、エルサレム王国の大陸における最後の砦はマムルーク朝のバイバルスの手に落ちたが、&br;エルサレム王国の最後の百年において、正統な王は全てリュジニャンであったことを忘れた者はない。&br;亡命後も百年に渡り、リュジニャンの新王は我らの過去と未来の王国での戴冠のために、&br;真夜中に聖地へと渡海しているのだ。};| |~|~|請求権捏造コスト&color(green){-25%};|~| |フランク人十字軍戦士|Frankish Crusaders|陸軍伝統&color(green){+1/年};|&size(13){サラセン人がキリスト教世界の人々をフランク人と総称するのはたまたまではない。&br;十字軍におけるフランスの存在感は初期以来、突出していた。&br;フィリップ2世尊厳王や聖王ルイ9世のような十字軍諸王の精神は、&br;キプロスから消えていない。我らがピエール王は、かつてアナトリアの海岸の一部を手に入れた。&br;我々にまだその情熱があることを証明しようではないか。};| |コマンダリア・ワイン|Commandaria Wine|生産効率&color(green){+10%};|&size(13){第三回十字軍の折、フランスの尊厳王フィリップ2世は世界でもっとも偉大なワインを決定する大会を開いた。&br;コマンダリアがこの品評会で最高の”ワインの使徒”だと賞されて誰か驚くだろうか?&br;コマンダリアは古く、百年前と同じく美味だ。飲酒を慎むトルコ人ですら、その味の改良はしたのである。};| |リュジニャン外交|Lusignan Diplomacy|外交評判&color(green){+1};|&size(13){キリスト教世界にエルサレム王位を望まぬ王がいるだろうか?&br;悲しいかな、一貫して我らが王号を持ち続けているにもかかわらず、多くの者が継承を主張している。&br;だがそれ以外の者は、リュジニャンの家名と霊魂という、聖地に近づく力を持つ&br;血統を家系に加えることを望んで、我々に敬意を払う。&br;この東方におけるキリスト教世界最後の砦は、西方の救けなくしては生き残れないのだから、&br;彼らの敬意を利用しなくてはならない。};| |キプロスの要塞群|Cypriot Fortifications|要塞防御&color(green){+25%};|&size(13){幾多の勢力が何世紀にもわたって襲撃したので、&br;十字軍戦士たちはキプロスの唯一の継承者であることを望んでいない。&br;この島は至る所が中世最高の城で強化されており、&br;トルコ人とギリシア人の狼狽は、我らがここにある事の証左といえる。};| |海賊撃退|Repel the Corsairs|ガレー戦闘力&color(green){+20%};|&size(13){15世紀末から16世紀初頭の東地中海を混乱させた伝説的な赤髭兄弟の記憶は鮮烈だが、&br;連中はこの海域の旅の禍の元である海賊の一部に過ぎない。&br;我々の海軍は略奪者に対抗しうる力を持たねばならない。};| |トルコ通商を襲撃|Raid Turkish Commerce|禁輸効率&color(green){+10%};|&size(13){赤髭兄弟はケダモノだったが、効果的な戦略に気づいた。&br;我々はトルコ船を無制限に襲撃して彼らの富を手に入れるために東地中海の要地を利用できる。&br;海賊はすべての国の敵かもしれないが、私掠船は契約した商売人に過ぎない。そうだろう?};| |~|~|私掠効率&color(green){+15%};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍扶養限界&color(green){+33%};|| ***黒羊朝(Qara Qoyunlu)v1.23[#QAR] Ver1.23で新政体である部族連合政体(Tribal Federation Government )に変更されると共に、専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|| |>|~|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|~| |黒い羊|The Black Sheep|人的資源&color(green){+25%};|「Qara Qoyunlu」(カラ・コユンル)はトルコ語で「黒い羊」を意味する。&br;かつて中央アジアの北部に存在したテュルク系遊牧民族「オグズ(Oghuz)」の&br;部族連合をもととする遊牧国家。| |アゼルバイジャンの支配者|Governor of Azerbaijan|コア化コスト&color(green){-10%};|第5代君主ジャハーン・シャーは&br;ティムール朝第3代君主シャー・ルフによりタブリーズの知事に任ぜられ、&br;ティムール朝の宗主権を認める代償に黒羊朝はアゼルバイジャンを支配した。| |~|~|州獲得に必要な戦争点コスト&color(green){-5%};|~| |アリーへ敬意を表す|In Honor of Ali|異端寛容度&color(green){+3};|アリーとは、イスラム教を創始したムハンマドのいとこでイスラムの第4代正統カリフであり、&br;シーアの初代イマームとされるアリー・イブン・アビー・ターリブのこと。&br;アジャム(Ajam)NIと同一のNI。| |精力的な交戦|Dynamic Warfare|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|| |負担に対する開放|Freedom with Responsibility|属国の独立欲求&color(green){−10%};|属国の独立欲求減少の効果はNIとしては初?&br;アイデアグループには諜報アイデア(Espionage Idea)にある。| |イラン文化への後援|Patron of Iranian Culture|不穏度&color(green){-1};|| |灌漑と公共事業|Irrigation and Public Works|税収&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};|| ***サムツヘ(Samtskhe)v1.23[#SME] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 ジョージア王の有力な封臣ではあるが、独立した公国。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|外交官&color(green){+1};|| |>|~|反乱支援効率&color(green){+25%};|~| |サムツヘのアタベク|Atabegs of Samtskhe|正統性&color(green){+1/年};|アタベク(Atabeg、アターベクとも)はテュルク語で「父なる君侯」の意味。&br;幼い君主の後見人・摂政であり養父となる有力者のこと。&br;日本で言う傅役。サムツヘはアタベクの称号を用いていた。| |積極的外交|Proactive Diplomacy|諜報網構築力&color(green){+20%};|| |サムツへの要塞|Fortresses of Samtskhe|要塞防御&color(green){+20%};|| |独立の野望|Independent Ambitions|陸軍士気&color(green){+10%};|| |貿易路の保護|Protect the Trade Routes|交易効率&color(green){+10%};|| |辺境の戦士|Frontier Warriors|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |聖なる土地|A Sacred Land|国教寛容度&color(green){+2};|サムツヘには、ヴァルジア(Vardzia)の洞穴修道院、&br;聖マリアのイコンのあるアツクリ(Atskuri)聖堂、&br;アンチスハティ(Anchiskhati)のイコンがあるアンチャ(Ancha)修道院等、&br;ジョージア正教の遺物が多く残る。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|異教寛容度&color(green){+2};|| ***ジャンダル(Candar)v1.22[#CND] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|コア化コスト&color(green){-20%};|~| |ジェノバとの関連|Genoese Connections|商人&color(green){+1};|| |ジャンダル文学の改革|Candarid Literary Reform|統治技術コスト&color(green){-10%};|| |イスマイール・ベイ複合施設|Ismail Bey Complex|開発コスト&color(green){-10%};|| |アナトリアの学術センター|Anatolian Center for Learning|顧問コスト&color(green){-10%};|| |~|~|雇用可能顧問&color(green){+1};|~| |ジャンダル隊の遺産|Legacy of the Candar Corps|規律&color(green){+5%};|| |スィノプ造船所|Sinop Shipyard|海軍扶養限界&color(green){+25%};|| |キュレ銅鉱山|Kure Copper Mine|交易品生産量&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|| ***ジョージア/イメレティ(Georgia / Imereti)v1.23[#GEO] v1.23で以下の変更がありました。 ・伝統の「敵対的コア化コスト+50%、被白兵ダメージ-10%」が「歩兵戦闘力+10%、要塞防御+25%」に ・バグラティオニ朝(Bagrationi Dynasty)に「正統性+0.5/年」の効果が追加 ・3番目に聖ニノの遺産(Legacy of Saint Nino)「国教寛容度+2」が新規に追加。 ┗上記に伴い、元々3番目だった要塞と教会の再建(Restoration of Fortresses and Churches)が4番目に移動。 ┗上記に伴い、元々4番目だったジョージアの保護国(Georgian Protectorates)「属国収入+20%」は削除 ・6番目にダストゥラマリ(Dasturlamali)「戦争疲弊-0.02/月」が新規に追加。 ┗上記に伴い、元々6番目だったサドロショ管区(Sadrosho Districts)が5番目に移動。 ┗上記に伴い、元々5番目だった郡への改革(Samouravo Reform)「安定度コスト-10%」は削除 全変更を効果の追加削除だけに絞ると、 追加・・・歩兵戦闘力+10%、要塞防御+25%、正統性+0.5/年、国境寛容度+2、戦争疲弊+0.02/月 削除・・・敵対的コア化コスト+50%、被白兵ダメージ-10%、属国収入+20%、安定度コスト-10% |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|要塞防御&color(green){+25%};|~| |バグラティオニ朝|Bagrationi Dynasty|正統性&color(green){+0.5/年};|バグラチオン朝或いはバグラチオン家とも。&br;9世紀以来グルジアを統治した王家で&br;ロシアの侵略、ソ連の時代を越え&br;共和国になった今でも続く長い家系。| |~|~|後継者誕生確率&color(green){+50%};|~| |ジョージアの孤立|Georgian Isolation|関係改善&color(green){+30%};|| |聖ニノの遺産|Legacy of Saint Nino|国教寛容度&color(green){+2};|4世紀のジョージアにキリスト教を伝道・紹介した女性| |要塞と教会の再建|Restoration of Fortresses and Churches|建造物コスト&color(green){-10%};|| |サドロショ管区|Sadrosho Districts|人的資源回復速度&color(green){+20%};|| |ダストゥラマリ|Dasturlamali|戦争疲弊&color(green){-0.02/月};|グルジアの封建制の原則となる法律| |ジョージア大使館|Georgian Embassies|外交評判&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵コスト&color(green){-20%};|| //|ジョージアの保護国|Georgian Protectorates|属国収入&color(green){+20%};|| //|郡への改革|Samouravo Reform|安定度コスト&color(green){-10%};|大きな自治性があったsaeristavo(公国領の意)から、&br;より小さなsamouravo(郡の意)へと分割した。| ***シルヴァン(Shirvan)v1.23[#SRV] v1.22迄はグループNIのカフカスNIであったが、v1.23で専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|州からの交易力&color(green){+10%};|| |>|~|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|~| |ハルワーティ教団|The Khalwati Order|正統性&color(green){+1/年};|ハルワーティ(Khalwati)教団はスーフィー教団の1つで、&br;指導者としては、バクーに住む&br;セイイド・ヤフヤー・バクービ?(Sayyid Yahya Bakuvi)が知られる。&br;ナクシュバンディーやカーディリーと並ぶ最も有名な教団の1つ。&br;| |~|~|信仰心&color(green){-0.1%/月};|~| |シルヴァンの要塞|Fortresses of Shirvan|要塞防御&color(green){+20%};|| |コーカサスの部族|Tribesmen of the Caucasus|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|| |ペルシアの後援|Persianate Patronage|君主と同一文化の顧問コスト&color(green){-20%};|v1.23から顧問にも文化と宗教が設定されるようになったので、&br;それを利用した新効果のNI。| |カスピ海貿易|Caspian Trade|キャラバン力&color(green){+20%};|| |シルヴァンの建築様式|Shirvani Architecture|建造物コスト&color(green){-10%};|| |~|~|威信&color(green){+1/年};|~| |バクーの商人|Merchants of Baku|商人&color(green){+1};|バクーはカスピ海西岸のアブシェロン半島南岸に位置する南カフカス有数の大都市。&br;現アゼルバイジャンの首都。&br;当時は多くの商人が訪れていた。&br;特にアテシュガー寺院、通称「火の寺院」は、ヒンドゥー、シク、ゾロアスターの&br;礼拝所として使用され、多くのインド商人が訪れた。&br;なお、このアテシュガー寺院、天然ガス田の上にあり、&br;7つの穴からガスが吹き出した際は自発的に燃えたようで、&br;「永遠の火をもつ7つの穴」と称された。&br;アシュテガー(Ateshgah)自体「火の家」という意味。&br;現在は放棄されている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易品生産量&color(green){+10%};|| ***スィースターン(Sistan)v1.23[#SIS] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 1444GC開始時はティムール朝の属国。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵コスト&color(green){-10%};|| |>|~|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|~| |ハムン湖|Lake Hamun|生産効率&color(green){+10%};|ハムン湖はイランとアフガニスタンの国教にあるスィースターンの湿地を指す言葉。&br;湖ではなく春の雪解け水で一時的に成される湖沼の事。&br;イランの神話の世界におけるカンス海がハムン湖と比定される。&br;ゾロアスターの精子が隠されているとされ、預言者の母となる娘が水浴し、&br;預言者となる子を身籠ったとされる(要は処女懐胎の神話)。| |サッファール朝の遺産|Saffarid Legacy|威信&color(green){+1/年};|サッファール朝は9~11世紀にスィースターン地域に存在した王朝。&br;首都はザランジで、アフガニスタン全土とイラン東部、パキスタンの一部を征服した。| |部族の征服|Subjugation of the Tribes|自治度変化&color(green){-0.05/月};|| |忠実な軍|Loyal Service|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| |陸上の貿易路|Overland Trade Routes|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| |スィースターンの年代記|Chronicles of Sistan|正統性&color(green){+1/年};|| |スィースターンの学者|Scholars of Sistan|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***聖ヨハネ騎士団(The Knights)v1.22[#KNI] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|「沿岸の襲撃」(raid coasts)が使用可|| |>|~|規律&color(green){+5%};|~| |信仰の守護|Defense of the Faith|要塞防御&color(green){+25%};|| |忍耐の助け|Assistance to the Suffering|人的資源回復速度&color(green){+15%};|| |騎士団の弁舌|The Tongues of Knights|外交枠&color(green){+1};|| |海の再征服|Reconquista of the Sea|ガレー戦闘力&color(green){+20%};|| |~|~|敵船捕獲確率&color(green){+15%};|~| |キリスト教世界全ての守護者|Ecumenical Defenders of Christendom.|不穏度&color(green){-2};|| |コルセアの懲罰|Scourge of the Corsairs|海軍扶養限界&color(green){+50%};|コルセアは私掠船、または北アフリカの海賊を指す。&br;ヨハネ騎士団はイスラム勢力に対したびたび海賊行為を仕掛けていた。| |十字軍の伝統|Crusader Tradition|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|教皇影響度&color(green){+2/年};|| ***チェルケシア(Circassia)v1.22[#CIR] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|安定度コスト&color(green){-10%};|| |>|~|敵対的コア化コスト&color(green){+50%};|~| |草原の騎兵|Horsemen of the Steppe|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |~|~|騎兵戦闘力&color(green){+5%};|~| |ジェノヴァの商人|Merchants Of Genoa|州からの交易力&color(green){+15%};|| |チェルケシアの穀物交易|Circassian Grain Trade|交易効率&color(green){+10%};|| |フランシスコ会の宣教師|Franciscan Missionaries|宣教師&color(green){+1};|| |アディゲ人の美|Adyghe Beauty|威信自然減&color(green){-1%};|| |草原の外交官|Steppe Diplomats|外交官&color(green){+1};|| |宗教的柔軟性|Religious Flexibility|異端寛容度&color(green){+1};|| |~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍士気&color(green){+10%};|| ***ティムール(Timurids)v1.22[#TIM] v1.24で2点の変更がありました。 ・伝統の「分離主義年数-5」が「陸軍指揮官白兵+1」に変更 ・偉大なるハンの権威(The Mantle of the Great Khan)の効果が「騎兵戦闘力+20%」から「陸軍士気+10%」に変更 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| |>|~|外交枠&color(green){+1};|~| |ティムール式建築|Timurid Architecture|威信&color(green){+1/年};|ティムールとその子孫の手により首都サマルカンドには優れた宗教・教育施設が作られた。&br;ティムールと一族の霊廟「グーリ・アミール廟」は世界遺産サマルカンドを代表する建造物の一つである。| |偉大なるハンの権威|The Mantle of the Great Khan|陸軍士気&color(green){+10%};|モンゴル帝国が瓦解したのちも、ユーラシアの遊牧民には「偉大なるチンギス・ハン」の記憶が残り、&br;「チンギス・ハンの子孫でなければ王位(ハーン位)についてはならない」という不文律が定着した。&br;チンギス・ハンの子孫ではなかったティムールは正統の子孫を擁立して傀儡君主とし、チンギス家の女子を娶ることで権威を保持した。| |解き放たれた虎|Unleash the Tiger|与白兵ダメージ&color(green){+10%};|| |チャガタイ文学|Chagatai Literature|正統性&color(green){+1/年};|ティムール朝の宰相・アリーシール・ナヴァーイーは&br;テュルク語にペルシア語の語彙と修辞を取り入れた&br;「チャガタイ語」を使って詩作を行い、&br;チャガタイ語をアラビア語やペルシア語に匹敵する文学的地位へ引き上げた。&br;なお、v1.23にて政体が遊牧民から変更されたが、内部的には遊牧民の結束の上昇は残っている。| |~|~|遊牧民の結束&color(green){+1/年};|~| |ティムール・ルネサンス|Timurid Renaissance|技術コスト&color(green){-5%};|第3代君主のシャー・ルフと第4代君主のウルグ・ベクの時代にサマルカンドとヘラートを中心に建築・文芸・学術の各分野が大いに栄えた。&br;この時代の文化を「ティムール・ルネサンス」と総称する。| |シルクロード支配|Control of the Silk Road|首都ノード交易力&color(green){+25%};|| |ディーワーンの改革|Reform the Diwan|o&color(green){-0.1/年};|ディーワーンは、イスラム国家の行政機関で「庁」あるいは「局」を指す言葉。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| //|世界最大のモスクの建築|Build the Largest Mosque in the World|威信&color(green){+1/年};|| ***トレビゾンド(Trebizond)v1.22[#TRE] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|正統性&color(green){+1/年};|| |>|~|後継者誕生確率&color(green){+50%};|~| |コムネノス王朝の亡命者|Komnenoi in Exile|威信&color(green){+1/年};|トレビゾンド帝国は東ローマ帝国コムネノス王朝の血を引く&br;アレクシオス1世コムネノスが第4回十字軍によって東ローマの首都&br;コンスタンティノープルが陥落する直前に&br;トレビゾンドに逃れて建国した国である。| |ポントス山脈|Pontic Mountains|要塞防御&color(green){+20%};|トレビゾンド帝国は小国ながらも250年以上存続できた。&br;これは東ローマの文化的遺産が周辺諸国に尊重されたことと共に、&br;背後にそびえるポントス山脈が容易に侵略を受け付けなかったことも大きい。| |アレクシアードの遺産|Legacy of the Alexiad|アイデアコスト&color(green){-10%};|Alexiadは東ローマ帝国コムネノス朝初代皇帝アレクシオス1世コムネノス&br;(上記アレクシオス1世とは別人)の娘アンナ・コムネナが書いた歴史書。&br;父アレクシオスの治世を描くとともに、西欧による十字軍の進出/侵略を記述し、&br;史料としての価値は非常に高い。| |コムネノス王朝の王女|Komnenoi Princesses|外交官&color(green){+1};|小国として存続するために歴代トレビゾンド皇帝は外交を駆使し、&br;隣国と姻戚関係を結んで侵略を図る国を牽制した。&br;東ローマの血を引く姫との結婚は周辺諸国にとって大いに魅力的な条件であった。| |~|~|外交評判&color(green){+1};|~| |第4回十字軍の教訓|The Lessons of the Fourth Crusade|陸軍士気&color(green){+10%};|コンスタンティノープルはローマの歴史上わずかに2回しか陥落しておらず、&br;第4回十字軍の攻撃で初めて陥落した。&br;後年に比べ攻撃軍の兵数は少なく、籠城軍の方が数が多かったにもかかわらず陥落してしまったのは、&br;東ローマ内部の内紛が深刻であったためと、軍事組織が極端に弱体化していたためであった。| |シルクロードの終点|Terminus of the Silk Road|首都ノード交易力&color(green){+20%};|| |国外のギリシャ学者|Greek Scholars Abroad|諜報網構築力&color(green){+20%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易品生産量&color(green){+10%};|| ***ナジュド(Najd)v1.25[#NAJ] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|布教強度&color(green){+2%};|| |>|~|移動速度&color(green){+15%};|~| |ベドウィンの詩|Bedouin Poets|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|ベドウィンは砂漠に住む遊牧民族。&br;自分たちの勇敢なありかたなどをしばしば詩とした。「ハマーサ」などの詩集が残る。| |ハンバル派学校|Hanbali School|宣教師&color(green){+1};|ハンバル派はスンニ内部の学派の一つ。| |砂漠の舟|Ships of the Desert|交易力&color(green){+10%};|ラクダですな。| |ベドウィンの襲撃者|Bedouin Raiders|敵損耗&color(green){+1};|| |アラビア馬術|Arabian Horsemanship|騎兵攻撃範囲&color(green){+50%};|| |部族の結束|Unite the Tribes|陸軍維持費&color(green){-5%};|| |タウヒードの強制|Enforce Tawhid|国教寛容度&color(green){+2};|タウヒードはイスラムにおける神が唯一であるという概念。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|宣教師&color(green){+1};|| ***白羊朝(Aq Qoyunlu)v1.25[#AKK] Ver1.23で新政体である部族連合政体(Tribal Federation Government )に変更されると共に、専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|~| |白い羊|The White Sheep|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|「Aq Qoyunlu」(アク・コユンル)はトルコ語で「白い羊」を意味する。&br;かつて中央アジアの北部に存在した&br;テュルク系遊牧民族「オグズ(Oghuz)」の24氏族の1つであり、&br;24氏族の祖オグズ・ハーン(Oghuz Khan)の孫とされる&br;バヤンドル・ハーン(Bayandor Khan)の系統である。| |一族の結束|Unite the Clans|騎兵コスト&color(green){-20%};|部族忠誠度(tribal allegiance)は、DLC「Cradle of Civilization」が適用の場合のみ。&br;新政体となる部族連合政体(Tribal Federation Government )の&br;固有メカニクスにて使用される。&br;DLC「Third Rome」入りのロシア系政体のもつメカニクスに近い。| |~|~|部族忠誠度&color(green){+1/年};|~| |トルコ-イラン官僚|Turko-Iranian Bureaucracy|コア化コスト&color(green){-20%};|| |王朝のアパナージュ|Dynastic Apanages|人的資源&color(green){+25%};|アパナージュ(Apanage)は、長子以外の王の子や弟に封土として与えた王領の一部のこと。&br;国王親族封、親王采地などと訳される。| |開放的な外交|Expansive Diplomacy|外交官&color(green){+1};|| |宗教的な現実主義|Religious Pragmatism|安定度コスト&color(green){-10%};|| |ハサンの法典|Qanun-nama-ye Hasan|交易品生産量&color(green){+10%};|Qanun(カーヌーン)は法制度の1つで世俗法と訳される。&br;Qanun nama(カーヌーン・ナーメ)で「法典」「法令集」と言う意味。&br;Hasanは白羊朝4代当主であり、英主として名高いウズン・ハサンのこと。&br;オスマン帝国はアナトリア地方征服後の間もない段階では&br;広範囲にわたってウズン・ハサンの法典を適用した。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍維持費&color(green){-5%};|| ***ハサー(Haasa)v1.23[#ALH] v1.23で専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|異端寛容度&color(green){+2};|~| |砂漠戦|Desert Warfare|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |東のベドウィンの王|Lord of the Bedouin of the East|国教寛容度&color(green){+2};|ベドウィンはアラブの遊牧民族を指す言葉。| |ペルシア湾の真珠|Pearls of the Persian Gulf|交易品生産量&color(green){+10%};|バーレーン島付近の浅海は古来より真珠の産地。| |海岸線の要塞化|Fortify the coastline|要塞防御&color(green){+20%};|| |インドの集積地|Entrepot of India|交易効率&color(green){+10%};|| |近代的な海軍|A Modern Navy|船舶の耐久力&color(green){+5%};|| |ラフマン・イブン・ジャービルの遺産|Legacy of Rahmah ibn Jabir|海軍伝統&color(green){+1/年};|ラフマン・イブン・ジャービル(Rahmah ibn Jabir)は18世紀に活躍した海賊。&br;当時の英国の著者に「恐らく、これまで世界で現れた海賊の中で、&br;最も成功した海賊であり、最も容認された海賊である」と評される。&br;戦いの際に片目を失った後、いわゆるアイパッチをしたが、&br;文書として残る最初のアイパッチをした海賊として知られる。&br;非常に知名度が高く、「ペルシア湾が生み出した最も有名なキャラクター」とまで言われた。| |~|~|私掠効率&color(green){+15%};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍扶養限界&color(green){+20%};|| ***ハドラマウト(Hadramut)v1.23[#HDR] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 イエメン東部を支配するカスィーリー(Kathiri)朝を指すようだ。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|国外ノードにおける交易力&color(green){+10%};|| |>|~|海軍伝統&color(green){+1/年};|~| |死の訪れ|Death Has Come|敵損耗&color(green){+1};|定かとは言えないようだが、Hadramutの意味は、「死の訪れ」という意味である。| |ハドラマウトの部族|Tribes of Hadramut|人的資源&color(green){+15%};|| |ハウタ|Hawtas|不穏度&color(green){-1};|ハウタ?(Hawta)は部族の神聖な領域の事で、中立地帯となっている。| |香料貿易の奨励|Encouraging the Incense Trade|交易効率&color(green){+10%};|| |インド洋の船員|Sailors of the Indian Ocean|水兵回復速度&color(green){+5%};|| |~|~|海軍扶養限界&color(green){+25%};|~| |ハドラミーのディアスポラ|Hadramhi Diaspora|技術コスト&color(green){-5%};|ハドラマウトの出身者やその子孫をハドラミーと言う。&br;現代では世界中に散っていて、独自のネットワークを持つとされる。| |遠方との外交|Distant Diplomacy|関係改善&color(green){+30%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|植民者&color(green){+1};|| ***バルーチスタン(Baluchistan)v1.22[#BAL] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|要塞維持費&color(green){-10%};|| |>|~|略奪速度&color(green){+25%};|~| |天然の要塞|Natural Defenses|敵損耗&color(green){+1};|| |ハニとシェイ・ムリード|Hani and Sheh Mureed|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|バローチー族の勇者とその幼馴染の悲恋をについての叙事詩| |バローチのハン|Khan of the Baloch|正統性&color(green){+1/年};|| |陸軍の再編成|Reorganization of the Army|人的資源&color(green){+15%};|| |陸上交易路の支配|Control the overland Trade|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| |族長と地主|Chiefs and Landlords|税収&color(green){+10%};|| |バルーチの統率力|Baluchi leadership|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|| ***ヒジャーズ/メディナ(Hejaz / Medina)v1.23[#HED] v1.23にてカリフの後継者(Successor to the Caliphate)に「信仰心(Piety)+0.1%/月」の効果が追加されました。 また、v1.23からの新規国家メディナ(Medina)にも本NIが適用されます。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+10%};|| |>|~|騎兵コスト&color(green){-10%};|~| |二つの聖地の管理者|Custodian of the Two Holy Cities|国教寛容度&color(green){+2};|10世紀以来、ヒジャーズはメッカ、メディナの2大聖地の管理者を自任していた。| |紅海交易|Red Sea Trade|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| |太守|Sharifs|侵略的拡大&color(green){-10%};|v1.23で地味に名前とフレーバーが修正された(前はSharifs of Mecca)。| |砂漠戦術|Desert Warfare|陸軍損耗&color(green){-10%};|| |金の揺り籠|Cradle of Gold|税収&color(green){+10%};|| |ハッジ|Hajj|布教強度&color(green){+1%};|| |カリフの後継者|Successor to the Caliphate|威信&color(green){+1/年};|| |~|~|信仰心&color(green){+0.1%/月};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|| ***ヒスン・カイファ(Hisn Kayfa)v1.23[#HSN] 正式なアイデア名はアイユーブ(Ayyubid ideas)である。 v1.23で追加された新規国家の専用NI。 アイデア名から分かる通り、アイユーブ朝の末裔である。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|~| |砦と要塞|Citadels and Fortresses|要塞防御&color(green){+20%};|| |祖先の遺産|Ancestral Heritage|人的資源&color(green){+15%};|祖先は当然、アイユーブ朝の事。&br;12世紀から13世紀にかけてエジプト、シリア、イエメンなどの地域を支配した スンニのイスラム王朝。| |信仰の正義|Righteousness of the Faith|陸軍士気&color(green){+10%};|サラーフッディーン(Salah ad-Din)の事を言っている。&br;サラディンの呼び名の方が一般的か。&br;何度も十字軍を負かし、アイユーブ朝を建国した英雄。| |エリート兵|Elite Warriors|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|| |鷲の興隆|Rise of the Eagle|コア化コスト&color(green){-15%};|鷲はアイユーブ朝の開祖サラディンが用いたシンボル。&br;エジプトの国旗の中央に見られるマークは「サラディンの鷲」と言われる。| |中央権力の強化|Strengthen Central Authority|安定度コスト&color(green){-10%};|| |国家経済|State Economics|交易品生産量&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***ファールス(Fars)v1.23[#FRS] v1.23で追加された新規国家の専用NI。ペルシャ南西部に位置し、ティムールより任命された知事(ティムールの子孫)を頭とする国家の1つで、 1444GC開始時ではティムール朝の属国。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|アイデアコスト&color(green){-10%};|| |>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~| |ペルシャ人の地|Land of the Persians|国教寛容度&color(green){+2};|ファールスはイラン南部の歴史的地域名で、&br;その語源は騎馬者を意味する「パールス」から来ており、古代には「パールサ」と呼ばれた。&br;この「パールサ」が「ペルシア」の語源ともなっている。&br;また、紀元前1000年頃にイラン高原に進出したイラン系の民族が、&br;紀元前7世紀頃にはこのパールサ地方に定着したとされ、&br;後にこの民族がペルシア人と呼ばれることとなる。| |宗教と哲学の中心地|&size(12){Center of Religion and Philosophy};|統治技術コスト&color(green){-10%};|ファールスやシーラーズは古くからイラン地域の文化や経済の中心地であり、&br;神学や哲学の中心地でもあった。| |慎重な外交|Diplomatic Prudence|関係改善&color(green){+20%};|| |ワイン生産の拡大|Expand the Wine Production|生産効率&color(green){+10%};|古代ペルシャの伝説の王ジャムシードはワイン誕生の伝説を持つ。&br;生の葡萄を好んだ王はいつでも食べられるようにと壺に葡萄を保管していた。&br;月日が経ち、葡萄は発酵してしまい、それを見た王は腐って毒になったと思い、&br;捨てるのもめんどくさいので、倉庫の端に置き「毒」と張り紙がされた。&br;ある日、王の寵愛を失った侍女が死んでしまおうと思い、毒と貼られた壺の中身を飲んだ。&br;すると死ぬどころか楽しい気分となってしまった。&br;後日、この事が王に報告され、王は喜び、ワインを造らせ王宮全員が楽しんだとされる。&br;また、ワイン用葡萄のシラー種は、シーラーズが原産で、ヨーロッパに持ち込まれたという説がある。| |シーラーズ学派|Shirazi School|威信&color(green){+0.5/年};|ペルシア哲学における学派の1つ。&br;イスラム哲学到来後も、ペルシア哲学の発展に寄与した。| |~|~|主義思想の受容コスト&color(green){-10%};|~| |カシュガイ族の統合|Integrate the Qashqai|人的資源&color(green){+15%};|カシュガイ族は、イラン最大の部族の一つでイラン南西部のファールス地域の遊牧民。&br;遊牧生活を共にする羊から羊毛を取り、草木染めし手織りした絨毯ギャッベが有名である。| |帝国のための中心地|A Capital for an Empire|開発コスト&color(green){-10%};|ファールスやシーラーズは古くからイラン地域の文化や経済の中心地である。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|外交技術コスト&color(green){-10%};|| ***ペルシア(Persia)v1.23[#PER] v1.23で伝統の騎兵戦闘力が+10%から+15%に変更されました。 また、v1.22まで存在したタバリスタン(Tabarestan)もこのNIが適用されます。 ※v1.22よりタバリスタン(Tabarestan)はマーザンダラーン(Mazandaran)に置き換わり、別のNI(Caspian)が適用されました。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|~| |キジルバシュ|The Qizilbash|人的資源&color(green){+15%};|ペルシア・サファヴィー朝軍の主力となったトルクメン人遊牧騎馬軍団の名称。&br;サファヴィー教団への帰依を示す赤い帽子(キジルバシ)に由来する。&br;v1.23で地味に名前とフレーバーが修正された(前はSupport The Qizilbash)| |ペルシア絨毯の生産の奨励|Encourage Persian Rug Production|交易品生産量&color(green){+10%};|| |奴隷軍人の設立|Found the Ghulams|規律&color(green){+5%};|Ghulamsは「小姓」とも訳される、イスラム世界に存在する奴隷軍人制の一類型。&br;エジプトのマムルークやトルコのイェニチェリと似た存在である。| |シルクロードの改善|Improve the Silk Road|キャラバン力&color(green){+20%};|| |芸術振興|Encouraged Art|生産効率&color(green){+5%};|| |~|~|威信&color(green){+1/年};|~| |灌漑技術の促進|Promotion of Irrigation|人的資源回復速度&color(green){+10%};|古代からイラン乾燥地域では「カナート」と呼ばれる灌漑地下水路が発達していた。| |王領の拡大|Increase the Crown Lands|税収&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|士気回復速度&color(green){+5%};|| ***ホラーサーン(Khorasan)v1.23[#KHO] Ver1.22までは1444開始時に選択できない国家であり、(1449年に勃興する)汎用NIであったが、 Ver1.23より1444GC開始時より選択できる国家(ティムール朝の属国)となり、合わせて新規NIが用意された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|~| |太陽の昇る地|Land of the Rising Sun|外交評判&color(green){+1};|ホラーサーンは中世イラン語で「(イランから見て)太陽の昇るところ」を意味する。| |テュルク=モンゴルのアミールの制御|&size(12){Rein in the Turko Mongol Emirs};|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|アミール(エミールとも)は、アラビア語で「司令官」「総督」を意味し、&br;イスラム世界で王族などの称号となった。&br;モンゴル帝国時代以後、中央アジアに元々いたテュルク族とモンゴルが混じり合ったハン国にて&br;その長がアミールの称号を名乗った。| |王子のアパナージュ|Princely Appanages|人的資源&color(green){+10%};|アパナージュ(Apanage)は、長子以外の王の子や弟に封土として与えた王領の一部のこと。&br;国王親族封、親王采地などと訳される。| |王朝年代記|Dynastic Chronicles|正統性&color(green){+1/年};|| |灌漑網|Irrigation Network|交易品生産量&color(green){+10%};|| |ホラーサーンの大首長|Great Sheiks of Khorasan|国教寛容度&color(green){+2};|シャイフ(sheik、シークとも)はアラビア語で「部族の長老」「首長」等を意味する&br;イスラム世界における称号の1つ。| |隊商路の保護|Protect the Caravan Routes|交易効率&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|技術コスト&color(green){-5%};|| ***ホルムズ(Hormuz)v1.22[#ORM] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|商人&color(green){+1};|| |>|~|国外ノードにおける交易力&color(green){+10%};|~| |広大な商業中心地|A Vast Emporium|交易効率&color(green){+10%};|| |島の防備|Protecting the Islands|要塞防御&color(green){+20%};|| |朝貢制の改革|Reform the Moqarrariya|安定度コスト&color(green){-10%};|| |遠方との外交|Far-reaching Diplomacy|外交評判&color(green){+1};|| |~|~|外交枠&color(green){+1};|~| |貿易独占の維持|Maintain Trading Monopoly|交易力&color(green){+10%};|| |ゲシュム島とホルムズ島の開発|Develop Qeshm and Hormuz|開発コスト&color(green){-10%};|| |ホルムズ海軍の拡張|Hormuzi Naval Expansion|海軍扶養限界&color(green){+25%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|水兵維持費&color(green){-10%};|| ***マフラ(Mahra)v1.25[#MHR] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 南アラビアに位置するスルタン国。実は割と現代近くまで残っていた(1967年まで)国家のようである。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍伝統&color(green){+1/年};|| |>|~|船舶の耐久力&color(green){+5%};|~| |乳香とハリーフの土地|Lands of Frankincense & the Khareef|交易品生産量&color(green){+10%};|乳香は樹脂の一種で、主に香料として珍重された。&br;フランキンセンス(古フランス語で醇正な薫香の意)とも言う。&br;ハリーフは季節を表す言葉のようで、モンスーンの影響で&br;ハリーフの季節はこの地域において雨が多い。&br;これによりこの地域では希少な森林地帯を成しており、&br;先に出た乳香の原料となるボスウェリア属の樹木が多く茂る。&br;この木々の自生地は「乳香の土地」として世界遺産に登録されている。| |傭兵の伝統|Mercenary Traditions|傭兵維持コスト&color(green){-10%};|| |マフラ部族|The Mahra Tribes|人的資源&color(green){+10%};|| |アラビア海の水先案内人|Pilots of the Arabian Sea|海軍提督機動&color(green){+1};|| |マフラのラクダ|Mahra Camels|騎兵コスト&color(green){-5%};|古くから有名らしく、&br;アラビア文学史上最大の詩人の1人、アブー・タンマーム(Abu Tammam)やカリフ等から評された。&br;また、他の国では「Mahri」や「Mehari」が「乗馬ラクダ」という意味を持つ。| |~|~|移動速度&color(green){+15%};|~| |航海術の本|Book of Navigation|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|| |酋長の統制|Rein in the Chiefs|自治度変化&color(green){-0.05/月};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍維持費&color(green){-20%};|| ***ムシャーシャー(Mushasha)v1.23[#MSY] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 ムハンマド・イブン・ファラ(Muhammad ibn Falah)が治めるシーア神権君主国(Theocratic Monarchy)。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|要塞防御&color(green){+20%};|~| |熱烈な終末論者|Fervent Millenarianism|陸軍士気&color(green){+10%};|ムハンマド・イブン・ファラ(Muhammad ibn Falah)率いる&br;ムシャーシャーイヤー?(Musha'sha'iyyah)はシーアの中の一派。&br;ムハンマド・イブン・ファラは終末論の神学に熱心であった。| |~|~|信仰心&color(green){-0.1%/月};|~| |ムハンマド・ビン・ファラの救世主伝承|Messianic Legacy of Muhammad bin Falah|宣教師&color(green){+1};|ムハンマド・イブン・ファラは、アリーとマフディーの代弁者であると主張した。&br;マフディーはイスラム世界での救世主(メシア)を意味する。&br; 名前にある「bin」は「ibn」の誤りか?| |湿地戦|Swamp Warfare|敵損耗&color(green){+1};|| |アラビア|Arabistan|人的資源&color(green){+15%};|「Arabistan」はトルコ語で、訳すと「アラビア」の意味。| |一族の統一|A House United|正統性&color(green){+1/年};|| |外的な実用主義|Outward Pragmatism|外交官&color(green){+1};|| |中東のスーフィーとシーア|Sufis and Shias of the Middle East|対異端改宗強度&color(green){+2%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|国教寛容度&color(green){+2};|| ***ラシード(Rassids)v1.23[#RAS] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 シーアでラシード(Rassid)家から選出されるイマームの国家。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+20%};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |現存のイマーム|The Living Imam|陸軍士気&color(green){+10%};|イマームは指導者の事。ラッシー朝はシーアの一派ザイド派に属し、&br;代々ラシード家からイマームが選出される。&br;その後、断続を繰り返しながら1962年まで続いた。| |イエメンの高原|Yemeni Highlands|交易品生産量&color(green){+10%};|| |アラビカコーヒー|Coffea Arabica|交易力&color(green){+10%};|イエメンと同一のNIで、元々はアラビアNI。| |ラシード国の統一|A Unified Rassid State|正統性&color(green){+1/年};|| |山岳要塞|Mountain Strongholds|被白兵ダメージ&color(green){-15%};|| |水に溶ける塩のようだ|Like Salt Dissolves in Water|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|イエメンは歴史的に外国の征服を許したことがない。&br;1539年~1547年にオスマン帝国が8万もの軍を動員して征服を行おうとしたが、&br;失敗に終わり、生き残ったのはわずか8000人であった。&br;この時にエジプトのオスマン帝国の主計将軍が&br;「征服軍を送る度に、水に溶ける塩のように征服軍が消え去ってしまった」と述べたとされる。| |イエメンの貿易独占の確保|Secure the Yemeni Trading Monopolies|交易効率&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|要塞防御&color(green){+20%};|| ***ルーム・セルジューク(Rûm)v1.23[#RUM] GC開始時に使用可能な国家ではなく、トルコ系国家がディシジョンにより建国可能。 ものすご~くザクッと雑に言うと、アナトリア地域におけるオスマンの前にあった帝国。この国が崩壊して小さなベイリク(君侯国)がたくさん出来て、 その中から台頭し、アナトリアを再統一したのがオスマン帝国。なのでこのゲーム上ではローマ帝国や大元みたいな再建国家の扱いになる国家。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源回復速度&color(green){+20%};|| |>|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~| |勝利の父|Abul-Fath|規律&color(green){+5%};|アブル・ファトフ(abur fath)はスルターンに対するクンヤ(称号)。&br;アブー・アル=ファトフ(Abu al-Fath)と同義と思われ、&br;Abuは父、al-Fathで勝利なので、直訳すると勝利の父という意。&br;al-Fathは、イスラム教の聖典クルアーン(日本だとコーランの方が一般的か?)の&br;48章のタイトルでもある。&br;イスラムの勝利が確立された章のため、勝利の章と呼ばれている。| |アルシャルクとアルガルブの王|Sultan al-Sharq wa al-Gharb|コア化コスト&color(green){-20%};|| |~|~|受容文化枠&color(green){+1};|~| |シャーハン・シャー|Shahanshah|正統性&color(green){+1/年};|「シャー」はペルシャ語で「王」の意味を持つ称号名。&br;前身のセルジューク朝からトルコ系民族の国家であるが、&br;セルジューク朝の初代スルターンのトゥグリル・ベグがシャーハン・シャーを併記して表されているなど、&br;ペルシア文化を色濃く受け継いでいた。&br;また、ナジュムッディーン・ラーズィー(Najm-al-Din Razi)、&br;クァーニィー・トゥースィー?(読み方不明、Qane'i Tusi)、&br;バハーウッディーン・ワラド (Baha'-al-Din Walad)、&br;ルーミー(Rumi)といったペルシア人の詩人や学者を庇護し、&br;当時のペルシア文化や詩の発展に一役を買っている。| |ルームのスルターン|Sultan of Rûm|異教寛容度&color(green){+3};|ルームはトルコ語でローマの意味であり、イスラム教徒の間では、&br;東ローマ帝国(ビザンツ)領地のアナトリア地域を指す言葉として用いられた。&br;セルジューク朝が4つに分裂した中で、アナトリアを拠点としたものはルーム・セルジュークと呼ばれた。| |バーレーンのスルターン|Sultan al-Bahrayn|海軍維持費&color(green){-15%};|バーレーンはアラビア語で「二つの海」という意味。&br;現在存在するバーレーン国とは繋がりはない、と思う。&br;多分ここでは、地中海と黒海のことを指している。| |偉大なるスルターン|al-Sultan al-Muazzam|建造物コスト&color(green){-15%};|アル・ムアッザム(al-Muazzam)はスルターンに対するクンヤ(称号)。&br;意味としては「偉大なる」「栄光の」といった意。&br;セルジューク朝の初代スルターンのトゥグリル・ベグが&br;「アル・スルターン=アル・ムアッザム」と表されている。| |イスラム世界の保護者|Protector of Dar al-Islam|対異端改宗強度&color(green){+3%};|ダル・アル・イスラム(dar al-Islam)は直訳的な意味だと「イスラムの家」「平和の家」。&br;イスラムにおける領域概念で使われる言葉で、&br;シャーリア(イスラム法)による支配が行われている領土を指す。&br;対してシャーリアによる支配が行われていない(つまり異教の)領土を&br;ダル・アル・ハルブ(dar al-harb、「戦争の家」の意)と呼ぶ。&br;イスラムではこの二項対立の概念が有り、ダル・アル・ハルブの土地に対して、&br;シャーリアの施行・征服を目的として戦争を行うことが、ジハード(聖戦)である。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍扶養限界&color(green){+25%};|| ***ロレスターン(Luristan)v1.23[#LRI] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 ザグロス山脈部に住む遊牧民ロル族の国家。1444GC開始時はアジャム(Ajam)の属国である。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|要塞維持費&color(green){-20%};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |ザグロス山脈の王国|Kingdom in the Zagros Mountains|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|ザグロス山脈はイラン高原の南西に位置する山脈。| |アターベクの広道|Jadda-ye Atabak|首都ノード交易力&color(green){+25%};|ジャッダ(Jadda)はJiddaとも読まれ、「幅の広い道」の意。&br;古代アケメネス朝の中心地スサの谷からイラン高原中央部へ至る道の事を指す。&br;14世紀頃にロレスターンの地を治めたマラミール?(Malamir)王国により造成されたとされる。| |反対者の避難所|A Haven for Dissenters|人的資源&color(green){+20%};|| |大衆宗教|Popular Religion|異端寛容度&color(green){+2};|| |ロル族の織機|Looms of the Lurs|生産効率&color(green){+10%};|ロル族も他の遊牧民と同様に、織物を織り、&br;現代でも手織りの絨毯は人気。| |ロル族の興隆|Rise of the Lurs|陸軍士気&color(green){+10%};|内部データより、ザンド朝の事を指すようである。&br;18世紀頃にカリーム・ハーンによりイラン高原西部に成立したザンド部族の王朝。&br;首都はシーラーズ。| |対外貿易関係|Foreign Trade Ties|外交枠&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|連隊雇用コスト&color(green){-10%};|| **グループNI [#b21aa4e1] 特定の集団に属する勢力に対して適用されるNI ***アナトリア地方(Anatolian)v1.22[#Anatolian_beyliks] %%アイディン、シャンダル、デュルカディ、カラマン、サルハン、メンテーセ、ラマザンに適用。%% Ver1.22より、条件が「主要文化がトルコ(turkish)の国家に適用」に変更 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|規律&color(green){+5%};|| |>|~|コア化コスト&color(green){-20%};|~| |旅の詩人|Traveling Ozan|不穏度&color(green){-1};|v1.23でスペルミス(Travelling)は修正された。| |セルジュークの辺境|Seljuq Marches|人的資源&color(green){+10%};|当該国家はかつてあったセルジューク朝の外縁部に位置する。| |アキンジ軽騎兵|Akinci Cavalry|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|アキンジは「襲撃者」の意味。オスマン帝国で用いられた非正規軽騎兵。&br;戦場では斥候などの役をこなし、平時は帝国外縁部からの略奪で生計を立てた。| |~|~|略奪速度&color(green){+10%};|~| |ガーズィー|Ghazi|人的資源回復速度&color(green){+20%};|異教徒と戦う戦士。或いは戦ったスルタンや将軍に贈られる称号。| |隊商宿|Caravanserais|交易効率&color(green){+10%};|| |アナトリア式建築|Anatolian Architecture|建造物コスト&color(green){-10%};|| |偉大なるセルジューク帝国の遺産|Legacy of the Great Seljuq Empire|威信&color(green){+1/年};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| ***アラブ(Arabian)v1.22[#Arabian] 主要文化グループがレバント(Levantine)で、かつ主要文化がトルコ以外(Not Turkish)の国家に適用 一言で言うと、セム系の言語を使用する国家 v1.23でアラビカコーヒー(Coffea Arabica)「生産効率+10%」が一族の忠誠(Clan Loyalties)「陸軍指揮官機動+1」に変更されました。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+15%};|| |>|~|陸軍損耗&color(green){-15%};|~| |インド洋交易|Indian Ocean Trade|交易誘導&color(green){+15%};|| |アラブ馬|Arabian Horses|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |~|~|騎兵攻撃範囲&color(green){+25%};|~| |ムハンマドの地|Land of the Prophet|不穏度&color(green){-1};|prophetは預言者。&br;the Prophetとした場合、最後の預言者とされるムハンマドを指す。| |ムハンマドの言葉の拡散|Spreading the Prophet's Word|布教強度&color(green){+1%};|| |ベドウィンの交易商人|Bedouin Traders|交易力&color(green){+10%};|ベドウィンは砂漠に住む遊牧民。| |一族の忠誠|Clan Loyalties|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|| |アラビア|Arabia|威信&color(green){+1/年};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| //|アラビカコーヒー|Coffea Arabica|生産効率&color(green){+10%};|| ***Caspian(カスピ海)v1.25[#Caspian] 主要文化がマーザンダラーン(mazandarani)の国家に適用 v1.23で新規に追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|開発コスト&color(green){-10%};|| |>|~|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|~| |タバリスタンの富|The Riches of Tabarestan|交易品生産量&color(green){+10%};|| |混迷の時期|A Time of Turmoil|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |カスピ海の絹|Caspian Silk|生産効率&color(green){+10%};|| |カスピ海貿易の保護|Protect the Caspian Trade|キャラバン力&color(green){+20%};|| |タバリスタン国家の統一|Unite the states of Tabarestan|税収&color(green){+10%};|| |安全な避難所|A Safe Haven|要塞防御&color(green){+20%};|| |対外貿易の推進|Promote Foreign Trade|商人&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|威信&color(green){+1/年};|| ***カフカス(Caucasian)v1.25[#Caucasus] 主要文化グループがカフカス(Caucasian)の国家、もしくは%%シルヴァン国(Shirvan)%%主要文化がアゼルバイジャン(Azerbaijani)の国家に適用 v1.23で「シルヴァン国(Shirvan)である」の条件部分は「主要文化がアゼルバイジャン(Azerbaijani)の国家」に変更されました。 v1.23で伝統の「陸軍損耗-10%、敵対的コア化コスト+50%」が「人的資源+15%、敵損耗+1」に変更。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+15%};|| |>|~|敵損耗&color(green){+1};|~| |文化の十字路|Crossroad of Cultures|受容文化枠&color(green){+1};|| |アラン人の傭兵|Alan Mercenaries|傭兵維持コスト&color(green){-10%};|| |~|~|傭兵枠&color(green){+15%};|~| |電撃戦|Hit and Run|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|| |ペルシア詩|Persian Poetry|威信&color(green){+1/年};|| |高地のカーン|Highland Khans|正統性&color(green){+1/年};|| |東方の影響|Eastern Influence|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| |騎兵隊|Cavalry Armies|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|税収&color(green){+10%};|| ***クルド(Kurdish)v1.25[#Kurdish] 主要文化がクルド(kurdish)の国家に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|外交官&color(green){+1};|| |>|~|要塞防御&color(green){+15%};|~| |山岳戦士|Mountain Warriors|敵損耗&color(green){+1};|| |不信心者に比べクルド人はイスラム教徒だ|Li Gora Gawiri Kurd Misilman e|異端寛容度&color(green){+2};|| |クルド部族|Kurdish Tribes|人的資源&color(green){+10%};|| |積極的外交|Active Diplomacy|外交枠&color(green){+1};|| |クルド人の傭兵|Kurdish Mercenaries|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|| |クルド王朝の遺産|Legacy of the Kurdish Dynasties|正統性&color(green){+1/年};|| |ゴラニ文学|Gorani Literature|威信自然減&color(green){-1%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|無償指揮官枠&color(green){+1};||
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[[データ/National Ideas]] アナトリア・コーカサスはゲーム上はヨーロッパ扱いだが、このページで扱う。 |>|CENTER:|c |~[[ヨーロッパ>データ/National Ideas/Europe]]|[[西欧>データ/National Ideas/Europe#WestEurope]] / [[中欧>データ/National Ideas/Europe#CentralEurope]] / [[東欧>データ/National Ideas/Europe#EastEurope]]| |~[[アフリカ>データ/National Ideas/Africa]]|[[北アフリカ>データ/National Ideas/Africa#NorthAfrica]] / [[南アフリカ>データ/National Ideas/Africa#SouthAfrica]]| |~[[アジア>データ/National Ideas/Asia]]|[[中東>データ/National Ideas/Asia#MiddleEast]] / [[インド>データ/National Ideas/Asia#India]] / [[東南アジア>データ/National Ideas/Asia#EastIndies]] / [[東アジア>データ/National Ideas/Asia#EastAsia]] / [[タタール>データ/National Ideas/Asia#Tartary]]| |~[[アメリカ>データ/National Ideas/America]]|[[北米>データ/National Ideas/America#NorthAmerica]] / [[中南米>データ/National Ideas/America#Central-SouthAmerica]]| |~その他|[[汎用>データ/National Ideas#Hanyou]] / [[衛星国>データ/National Ideas#Clientstate]] / [[隠し国家>データ/National Ideas#Hidden]] / [[特殊国家>データ/National Ideas#ConverterOnly]]| |>|[[効果対訳表>データ/National Ideas#tf3e16fe]]| |>|[[コメント欄>データ/National Ideas#s1f415f8]]| #contents *東アジア [#EastAsia] |CENTER:20|>|>|>|>|CENTER:|c |~各国NI|~日本|[[アイヌ(Ainu)>#ANU]]|[[朝倉(Asakura)>#ASA]]|[[足利(Ashikaga)>#ASK]]|[[尼子(Amago)>#AMA]]| |~|~|[[安東(Ando)>#AKT]]|[[一色(Isshiki)>#ISK]]|[[伊東(Ito)>#ITO]]|[[今川(Imagawa)>#IMG]]| |~|~|[[上杉(Uesugi)>#UES]]|[[宇都宮(Utsunomiya)>#UTN]]|[[大内(Ouchi)>#OUC]]|[[大友(Otomo)>#OTM]]| |~|~|[[小笠原(Ogasawara)>#OGS]]|[[織田(Oda)>#ODA]]|[[菊池(Kikuchi)>#KKC]]|[[北畠(Kitabatake)>#KTB]]| |~|~|[[河野(Kono)>#KNO]]|[[佐竹(Satake)>#STK]]|[[斯波(Shiba)>#SBA]]|[[島津(Shimazu)>#SMZ]]| |~|~|[[少弐(Shoni)>#SHN]]|[[宗(So)>#SOO]]|[[武田(Takeda)>#TKD]]|[[伊達(Date)>#DTE]]| |~|~|[[千葉(Chiba)>#CBA]]|[[長宗我部(Chosokabe)>#CSK]]|[[筒井(Tsutsui)>#TTI]]|[[土岐(Toki)>#TKI]]| |~|~|[[徳川(Tokugawa)>#TKG]]|[[南部(Nanbu)>#RFR]]|[[日本(Japan)>#JAP]]|[[畠山(Hatakeyama)>#HTK]]| |~|~|[[北条(Hojo)>#HJO]]|[[細川(Hosokawa)>#HSK]]|[[毛利(Mori)>#MRI]]|[[山名(Yamana)>#YMN]]| |~|~|[[琉球(Ryukyu)>#RYU]]|||| |~|~朝鮮|[[朝鮮(Korea)>#KOR]]|||| 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Jomon|威信&color(green){+1/年};|縄文人は縄文時代に日本で居住していた人々のこと。&br;現在の日本人は朝鮮から渡ってきた(渡来系)弥生人、&br;もしくは縄文人と弥生人の混血と言われているが、&br;アイヌは縄文人のDNAを色濃く受け継いでいるとされる。&br;昔の日本では、弥生人=日本人で縄文人=蝦夷=アイヌと捉えられてきたが、&br;現在では否定されている。| |狩人と戦士|Hunters and Warriors|敵損耗&color(green){+1};|アイヌ民族は狩猟のための弓矢などの技術に長けており、&br;それは和人との抗争など軍事行動の際にもいかされた。&br;1591年の九戸の乱においては松前氏によってアイヌから召集された弓兵が参戦し、&br;毒矢を用いて攻撃を行ったとされている。| |ユーカラ|Yukar|国教寛容度&color(green){+2};|アイヌ民族における叙事詩の総称。&br;アイヌは文字を持たないので口承で伝えられてきた。&br;「クトネシリカ」(Kutune Shirka)が有名。&br;ユーカラの英雄ポイヤウンペの物語。&br;また、その愛刀をクトネシリカという。&br;日本ではKutune→イタドリ=虎杖と意訳され、「虎杖丸の曲」という名で広まった。| |激しい抵抗|Fierce Resistance|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|当然、和人からの侵略に対するアイヌの抵抗の事である。&br;当時のアイヌの酋長コシャマインやシャクシャインの蜂起が有名。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+15%};|| ***朝倉(Asakura)v1.24[#ASA] v1.24で専用NIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|規律&color(green){+5%};|~| |隠れた外交|Hidden Diplomacy|外交枠&color(green){+1};|おそらく朝倉氏中興の祖第7代朝倉英林孝景が行った&br;応仁の乱時の西軍から東軍への鞍替えの事を言っている。&br;朝倉英林は当初主家の斯波義廉に従い、西軍主力として活躍した。&br;しかし、将軍足利義政及び細川勝元から&br;裏で交渉し、守護権限行使の密約をもらって東軍に寝返った。&br;その後、越前守護代の甲斐氏と戦い、越前を平定、越前守護に任じられる。| |越前和紙|Echizen Paper|交易品生産量&color(green){+10%};|越前和紙は越前で製造される和紙。&br;室町期に和紙の産地が形成され、朝倉氏が保護したとされる。&br;現代においても和紙生産日本一である。&br;重要無形文化財指定。| |一乗谷の都市|Ichijodani City|開発コスト&color(green){-10%};|朝倉氏の拠点。応仁の乱にて荒廃した京より多くの公家、文人が避難したとされ、&br;華やかな京文化が開花した。北ノ京とも呼ばれた。| |朝倉宗滴|Asakura Soteki|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|朝倉宗滴は朝倉英林孝景の子であり、&br;長年に渡り朝倉氏の参謀(実質の当主とも)として活躍した。&br;本名は朝倉教景で宗滴は法名。&br;全国にその武は轟いており、加賀の一向一揆と戦った九頭竜川の戦いでは、&br;一万で三十万の軍勢と戦い、勝利している。&br;宗滴が語ったものをまとめた書「朝倉宗滴話記」も存在し、&br;「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」という部分が有名。&br;| |十七箇条の家訓|Seventeen Clan Code|正統性&color(green){+1/年};|朝倉孝景条々のこと。朝倉敏景十七箇条とも。&br;朝倉英林孝景が制定した分国法。敏景は英林孝景の別名。&br;17ヶ条からなる領内統治の家訓で分国法の初期の一例とされる。| |仏教宗派の支配|Control of Buddhist Sects|国教寛容度&color(green){+2};|越前には曹洞宗の大本山永平寺や&br;天台宗の有力寺院の平泉寺など有力な寺院がある。&br;一向宗も多く、朝倉氏は一向宗に悩まされる事となる。| |継体天皇の遺産|Legacy of Emperor Keitai|侵略的拡大&color(green){-10%};|継体天皇は第26代天皇。&br;現在の皇室は継体天皇を初代として樹立されたとする論がある。&br;継体天皇は母の故郷である越前で育ったとされ、最初は越前を統治していたとされる。&br;干拓や港を開いて産業振興を行ったとの伝承があり、越前開闢の祖とされる。&br;その後、越前から招聘されて皇位に付いた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|安定度コスト&color(green){-10%};|| ***足利(Ashikaga)v1.23[#ASK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|戦争疲弊&color(green){-0.2/月};|| |>|~|後継者誕生確率&color(green){+50%};|~| |源氏の棟梁|Head of the Genji|陸戦で得る威信&color(green){+100%};|源氏本家が断絶したのち、足利氏当主は清和源氏経基流の嫡流として武門の筆頭格の名家とみなされるようになった。| |朝廷の守護者|Defenders of the Imperial Court|正統性&color(green){+1/年};|室町幕府の仕事の一つに朝廷の保護があった。&br;朝廷行事に関する諸費用のやりくりを足利氏が受け持つ代わりに、朝廷側も様々な便宜を足利氏にはかった。| |東山文化|Higashiyama Culture|威信&color(green){+1/年};|室町幕府8代将軍・足利義政の建立した「慈照寺銀閣」に代表される文化。&br;能、茶道、華道、庭園、「わび・さび」などが生み出され、日本の伝統文化の原点を成した。| |唐船奉行|Tosen-Bugyo|国内ノード交易力&color(green){+25%};|室町幕府の役職名。中国・朝鮮・琉球との交易を司った。| |奉行衆と奉公衆|Bugyoshu and Hokoshu|顧問コスト&color(green){-15%};|奉行衆は文官官僚集団のこと、奉公衆は武官官僚集団のことである。| |幕府直轄地|The bakufu Chokkatsuchi|税収&color(green){+15%};|| |将軍- 守護制の改革|Reform the Shogun - Shugo System|属国収入&color(green){+25%};|v1.23で名前のスペルミスが修正(Shogu→Shugo)された。| |~|~|属国からの扶養限界ボーナス&color(green){+100%};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| ***尼子(Amago)v1.25[#AMA] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|インフレ削減&color(green){+0.1/年};|| |>|~|陸軍維持費&color(green){-5%};|~| |近江源氏|Omi-Genji|陸軍伝統低下&color(green){-1%/年};|宇多源氏源成頼の子孫で、代々近江の守護として勢力を持った佐々木氏の一族を指す。&br;尼子氏は佐々木氏の流れを組む京極氏の分家。| |出雲守護|Izumo Shugo|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|出雲守護は室町以降代々京極氏が世襲しており、尼子氏はその守護代であったが、&br;京極氏の衰退により晴久の代で出雲守護となる。| |要塞化された城群|Fortified Strongholds|要塞防御&color(green){+15%};|尼子氏の本城である月山富田城は堅城として名高い。&br;また、本城を取り囲む10の支城は尼子十旗と呼ばれ、月山富田城の守りを更に強固とした。| |十勇士|Ten Brave Warriors|陸軍士気&color(green){+10%};|山中鹿介を筆頭とした尼子十勇士のことを指す。| |沿岸交易の支配|Dominate the Coastal Trade|州からの交易力&color(green){+10%};|戦国時代、瀬戸内海は海賊が横行していたため、山陰への寄港も多かった。&br;山陰の重要な港である美保関港は尼子氏が押さえており、鉄交易により莫大な利益を得ていた。| |杵築|Kizuki|国教寛容度&color(green){+2};|杵築大社は、出雲大社のこと。&br;明治に入るまで出雲大社は杵築大社と呼ばれていた。出雲国一宮(出雲国で一番格の高い神社)。| |石見銀山|Iwami Ginzan|交易品生産量&color(green){+10%};|世界遺産にも認定された日本最大の銀山。&br;世紀前半の最盛期には世界の産出銀の約3分の1を占めていたと言われる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***安東(Ando)v1.23[#AKT] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|交易効率&color(green){+10%};|| |>|~|輸送船コスト&color(green){-20%};|~| |秋田への行軍|March of Akita|被白兵ダメージ&color(green){-15%};|秋田(飽田)は、古来より蝦夷に対する抑えの拠点であり、秋田には専当の国司(秋田城介)があてられた。&br;安東氏は室町以来秋田城介を名乗っている。| |アイヌ交易|Ainu Trade|首都ノード交易力&color(green){+20%};|安東氏やその従属下にあった蠣崎氏はアイヌとの交易で利益を上げていた。| |一族の統一|Clan Unification|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|安東氏は鎌倉以来、湊を拠点とした上国安東氏と檜山を拠点とした下国安東氏に分裂していた。&br;16世紀半ばの愛季により両者は統一される。| |貿易の拡大|Trade Expansion|商人&color(green){+1};|江戸時代、蝦夷の渡島郡は、大半が米の収穫のない土地であった&br;その為、領有する蠣崎氏改め松前氏は、石高知行ではなく、&br;蝦夷地(アイヌの土地)の特定区域を商場(あきないば)と称してアイヌとの交易権を知行として与えた。&br;この商場は次第に広がり、1679年のシャクシャイン蜂起の頃には北海道全域にあった。&size(10){&br;※松前氏は豊臣政権時には、安東氏より独立しているが(ゲーム上でも渡島は1590.8.10より安東から織田の州になり、その後、徳川の州となる)、&br;松前氏中興の祖である蠣崎信広は安東氏の娘と婚姻しており、その子が次の当主となっているので、松前氏を安東氏の一族としているのであろう。};&br;&size(6){%%決してパラド社が適当に調べて間違えた訳でも、安東氏について7つも思いつかなかった訳ではない。%%};| |他文化の統合|Integration of Other Cultures|文化転向コスト&color(green){-15%};|安東氏配下だった蠣崎氏は、アイヌの棲み処であった蝦夷の沿岸を徐々に和人が住む地域へと変えていった。&br;v1.23で名前が一部修正(other→Other)された。| |奥州の日之本将軍|True Shogun of Oshu|規律&color(green){+5%};|15世紀、下国当主康季は若狭国羽賀寺の再建の勅令を受けた際、&br;奥州十三湊日之本将軍と称し、天皇もその呼称を認めていた。| |養子制|Adoption System|後継者誕生確率&color(green){+50%};|安東氏の後身の秋田氏は江戸時代に三春藩を治めたが、藩主11代のうち4人が養子である。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|植民地人口増&color(green){+15};|| ***彝(Yi)v1.22[#CYI] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|| |>|~|要塞防御&color(green){+20%};|~| |彝族のカースト制強化|Strengthen the Yi Caste System|安定度コスト&color(green){-10%};|彝(イ)族には厳しい階級制があり、5層に分かれる。&br;支配層と奴隷層があり、それぞれ黒彝、白彝と呼ばれる。&br;最上位に族長の階層でもある「茲莫」(ヅモ)。&br;次に奴隷主の「諾」(ノホ)。ここまでが黒彝で人口の約7%を占める。&br;以下は、白彝で一般層の「曲諾」(チュソ)。&br;その下は奴隷とされる「安家(瓦加とも)」(ワチャ)。&br;最後に家内奴隷の「呷西」(ガシ)である。| |山中の奥|Deep in the Mountains|敵損耗&color(green){+1};|彝族は中国王朝と戦いながら南進し、四川や雲南の深い山奥に籠った。| |茲莫領域の繋がり|Chain of Zimo Domains|増援速度&color(green){+15%};|茲莫(ヅモ)は、彝族の族長のこと。| |彝族の太陽暦|Yi Solar Calendar|税収&color(green){+10%};|彝族は十月太陽暦という暦法を昔から使用していた。&br;この暦法は一年を十ヶ月に分け、毎月三十六日があり、合計360日、5~6日を過年日とした。&br;地球が太陽を一周する時間は365.25日と精確に計算している。&br;世界中のどんな古代暦法よりも正確な歴法であった。| |ピモ主義の促進|Promote the Bimoism|国教寛容度&color(green){+2};|ピモ(Bimo)は、彝族における司祭的役割を果たす宗教職能者のこと。| |天墓の修復|Renovate the Skyward Tombs|正統性&color(green){+1/年};|彝族の墓には、「向天墓」と呼ばれる彝族漢族折衷のピラミッド型墳墓がある。| |~|~|信心&color(green){+1/年};|~| |黒虎の子孫|Children of the Black Tiger|陸軍士気&color(green){+10%};|中国の民族には、虎を始祖とする民族がいくつか見られ、&br;彝族も黒虎を始祖とする伝承が残っている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源回復速度&color(green){+10%};|| ***一色(Isshiki)v1.22[#ISK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|外交枠&color(green){+1};|| |>|~|守備兵数&color(green){+25%};|~| |丹後守護|Shugo of Tango|首都ノード交易力&color(green){+10%};|明徳の乱で功を上げた一色満範が丹後守護に任じられて以降、細川忠興に滅ぼされるまで200年近く丹後を支配した。| |侍所所司|Minister of Samurai-Dokoro|不穏度&color(green){-1};|侍所は、鎌倉幕府と室町幕府において、軍事・警察を担った組織。所司はそのリーダー。&br;室町においては赤松氏、一色氏、京極氏、山名氏(四職)が交代で所司を務めた。| |天橋立|Bridge of Heaven|外交評判&color(green){+1};|天橋立(あまのはしだて)は、京都府北部の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て、&br;全長3.6キロメートル及ぶ湾口砂州。日本三景の一つ。&br;古代より奇勝・名勝として知られ、平安時代の百人一首にも登場する。| |旧領地の奪還|Reclaim Old Territories|請求権捏造コスト&color(green){-25%};|一色氏は室町幕府の成立以来、代々丹後守護を務め本拠地としてきたが、&br;6代将軍足利義教の命で一色義貫が暗殺されると、守護職は若狭守護武田氏に与えられてしまい、大きな打撃を受けた。&br;これ以降一色氏は丹後の奪還を目指して武田氏と激しく争った。| |稲富流砲術|Inadome Gunnery|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|一色氏の家臣であった稲富祐直を開祖とする鉄砲術。&br;祖父稲富祐秀が鉄砲名人・佐々木義国に学んで認可を得た砲術を受け継ぎ、編み出したとされる。| |道路網の改良|Upgrade the Road Network|移動速度&color(green){+15%};|| |港の拡張|Expand our Ports|開発コスト&color(green){-10%};&br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| ***伊東(Ito)v1.23[#ITO] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|諜報網構築力&color(green){+20%};|| |>|~|守備兵増加速度&color(green){+25%};|~| |御家人の家柄|Gokenin Family|威信&color(green){+1/年};|御家人とは、鎌倉幕府の将軍と主従関係を結び従者となった武士のこと。伊東氏は「曽我兄弟の仇討」で討たれた御家人・工藤祐経の子・伊東祐時を祖とする。| |伊東領の統一|Unify the Ito Domain|無償指揮官枠&color(green){+1};|伊東氏は南北朝統一の頃には日向国中央部を支配していたが、&br;南部には日向守護である島津氏が支配していた。また、北部には土持(つちもち)氏が支配しており、&br;土持と伊東の両者は初めは確執は少なかったものの伊東が次第に勢力に伸ばすに連れ確執が表面化、&br;土持が島津と同盟を結んだことがきっかけにより、1456年に戦端が開かれ、&br;以来1577年の伊東義祐が日向を追われるまでの約100年間抗争を繰り広げた。| |天孫降臨の地|Land of God's Landing|侵略的拡大&color(green){-10%};|日本神話では、天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、高天原から日向国の高千穂峰へ天降ったとされる。&br;邇邇藝命の曾孫が初代神武天皇とされる。| |反守護運動|Anti-Shugo Movement|コア化コスト&color(green){-10%};|室町時代の日向守護は島津氏であり、伊東氏と島津氏は日向国の領有を巡り、対立。&br;1397年島津氏久の清武城の攻撃から1577年の伊東義祐が日向を追われるまでの約200年間抗争を続けた。| |~|~|州獲得に必要な戦争点コスト&color(green){-5%};|~| |四十八の城砦網|Network of Forty-Eight Fortifications|要塞防御&color(green){+20%};|伊東氏最盛期は日向一帯を支配したが、その際、本城である佐土原城、都於郡(とのこおり)城を含む&br;48の支城、砦により領地を治めた。伊東四十八城として知られる。| |新信仰への共鳴|Sympathy for New Faiths|異教寛容度&color(green){+2};|新信仰とはキリスト教のこと。伊東氏一族の伊東マンショは落ち延びた豊後で受洗。&br;1582年には天正遣欧少年使節の主席正使、大友宗麟の名代としてローマへ出発。&br;ローマ法王との謁見を果たし、後年司祭に叙任されている。&br;v1.23で名前が一部修正(new→New)された。| |林業の開発|Development of Forestry|建造物コスト&color(green){-10%};|江戸期に伊東氏を藩主とする飫肥(おび)藩は山に囲まれ耕地が少なかった為、財政が窮乏していた。&br;飫肥藩2代藩主祐慶は対策として杉の植林事業を興したとされる。&br;植林された杉は飫肥杉とよばれ、建築や造船用の木材として重宝された。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易品生産量&color(green){+10%};|| ***今川(Imagawa)v1.23[#IMG] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|| |>|~|規律&color(green){+5%};|~| |将軍職の資格|Claim to the Shogunate|関係改善&color(green){+10%};|今川氏は足利将軍家の親族である吉良家の分家であり、&br;「御所(足利将軍家)が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ」と言われていたように、&br;足利宗家の継承権を有していたとされる。| |~|~|請求権捏造コスト&color(green){-25%};|~| |東海道の支配|Control of Tokaido|交易効率&color(green){+10%};|義元の晩期には駿河から、遠江・三河・尾張・伊勢を結んで東海道の交易を支配した。| |今川の歴史|History of the Imagawa|アイデアコスト&color(green){-10%};|九州探題を務めた一族の今川了俊の著作『難太平記』のこと。&br;足利氏の歴史とともに今川氏の歴代の活躍を記述した。| |改定された家法|Revised Clan Laws|不穏度&color(green){-1};|9代当主氏親(1473~1526)が制定した家法「今川仮名目録」を、&br;11代当主義元(1519~1560)が補訂を行っている。&br;「今川仮名目録」は東国最古の分国法(戦国大名が統治のため制定した法のこと)とされる。| |三国同盟|Triple Alliance|外交枠&color(green){+1};|1554年に結ばれた武田氏、北条氏、今川氏間の同盟のこと。&br;一般にそれぞれの領地の頭文字をとって甲相駿三国同盟といわれる。&br;v1.23で名前のスペルミス(Tripple)は修正された。| |富士山の影|In the Shadow of Mount Fuji|威信&color(green){+1/年};|富士山は、標高3776mの日本最高峰の山。&br;古来より霊峰とされ、修験道の霊場であった。&br;また、古代では富士山は駿河国のものであるとされ、万葉集や竹取物語においても、&br;「駿河なる富士の高嶺」「駿河の国にあるなる山なむ」という表現が広くみられる。| |上洛|March to Kyoto|コア化コスト&color(green){-10%};|11代当主義元は、天下への号令を示すため、京都を目指したとされる(※上洛自体を否定する説もある)。&br;その道中、進軍の妨げとなった織田家と抗争となり、「桶狭間の戦い」により義元は討ち取られ、上洛は幻となる。| |~|~|不当な要求&color(green){-10%};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|正統性&color(green){+1/年};|| ***上杉(Uesugi)v1.22[#UES] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|軍事伝統減少&color(green){-1%/年};|~| |関東管領|Kanto Kanrei|外交枠&Color(green){+1};|関東管領は、鎌倉府長官の鎌倉公方を補佐する役職。関東統治におけるNo.2。&br;上杉家は関東管領を独占し、事実上関東十州を支配した。| |山内家と扇谷家|Yamanouti and Ogigayatu Branches|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|上杉家の主要な分家に山内家と扇谷家があり、戦国時代前期には関東で大きな影響力を持った。| |鎌倉府|Kamakura Office|増援コスト&color(green){-25%};|鎌倉は頼朝以来、関東における政治拠点として最重要拠点であった。&br;鎌倉公方や関東管領はこの権威を利用して坂東の武士を従えた。| |越後の竜|Dragon of Echigo|陸軍士気&color(green){+10%};|言わずと知れた上杉謙信のこと。越後の虎とも。戦国期において謙信とその配下の軍はほぼ無敗を誇った。| |軒猿衆|Nokizaru|諜報網構築&color(green){+20%};|軒猿とは越後における忍者集団で、その情報網は上杉家の軍事的覇業を助けた。| |阿賀北衆|Agakita-shu|規律&color(green){+5%};|揚北衆とも。越後の北部、頼朝以来阿賀川以北に住まう豪族たちの総称。&br;独立性が非常に高く、謙信ですらその扱いに苦慮したが、一方で精強であった。| |伝国の辞|Denkoku no ji(注)|アイデアコスト&color(green){-10%};|米沢藩中興の祖、上杉鷹山が次代藩主治広に示した藩主としての心得。以後、幕末まで上杉家で受け継がれた。&br;『一、国家は先祖から子孫に伝えるところの国家であって、自分で勝手にしてはならない』&br;『一、人民は国家に属している人民であって、自分で勝手にしてはならない』&br;『一、国家と人民のために存在、行動する君主であって、君主のために存在、行動する国家や人民ではない』&br;(注)EU4の画面では「Denoku no ji」となっているが、脱字だと思われる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***宇都宮(Utsunomiya)v1.22[#UTN] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|建造物コスト&color(green){-10%};|| |>|~|陸軍伝統低下&color(green){-1%/年};|~| |藤原氏の末裔|Fujiwara Descendant|外交官&color(green){+1};|宇都宮氏は、藤原北家の関白藤原道兼の曾孫宗円を祖とすると言われている。| |那須与一の遺産|Legacy of Nasu no Yoichi|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|那須与一は、源平合戦時に活躍した武将で、弓の名手として知られる。&br;与一とは十一男を意味する通称(実際那須与一は十一男)で、名を資隆する。&br;「平家物語」の「扇の的」の話が有名。なお、那須氏は下野国豪族として、戦国末期まで存続した。&br;宇都宮氏3代朝綱の子寄資が那須氏の養子となり、那須氏4代当主となったとされたり、&br;宇都宮氏と那須氏が下野国の領有を争って度々干戈を交えたりと、縁は深い。| |白河の障壁|Barrier of Shirakawa|首都ノード交易力&color(green){+15%};|白河の関のこと。奥州三関の一つに数えられる関所で、都から陸奥国に通じる。&br;東山道の要衝に設けられた関門として名高い。&br;現代でも、東北より北を「白河以北」という表現が残っており、東北と関東の境界として度々用いられる。| |西日本の分家|Cadet Branches in Western Japan|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|宇都宮の分家には、豊前、筑後、伊予と西日本で大きな力を持つ勢力となった一族がいる。| |下野国の統一|Unify the Shimotsuke Lands|人的資源&color(green){+20%};|宇都宮氏は下野国内部に那須氏他多くの国人衆と下野国の領有を争った。&br;特に鎌倉以来の下野守護である小山(おやま)氏とは、室町以降、何度も激闘を繰り広げた。| |関東の調停者|Mediator of Kanto|侵略的拡大&color(green){-10%};|十七代当主宇都宮成綱が出ると、宇都宮氏は近隣の争いに介入して、&br;影響力を高めていき、ついには北関東の覇権を握る事となった。| |日光山|Mount Nikko|異端寛容度&color(green){+2};|日光山は、現日光の山岳群、特にその主峰である男体山を信仰対象とする山岳信仰の修験道であった。&br;古来より神仏習合(神道と仏教が混淆し、1信仰として再構成された現象)が発展した地として有名。&br;江戸幕府を開いた徳川家康が亡くなった際、日光山に霊廟が建てられ、東照大権現として祀られた。&br;その霊廟が日光東照宮であり、日光二荒山神社等と共に世界遺産に認定された。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};|| ***大内(Ouchi)v1.23[#OUC] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|不穏度&color(green){-1};|| |>|~|艦船関連コスト&color(green){-10%};|~| |百済の直系|Descendant of Baekje|外交評判&color(green){+1};|百済(くだら、ペクチェ)は、古代の朝鮮半島南西部にあった国家。&br;百済の聖明王の王子である琳聖太子が周防国多々良浜に着岸し、&br;その子孫が同国大内村に住み、以来、姓を多々良、氏を大内としたといわれている。| |朝鮮交易|Korean Trade|首都ノード交易力&color(green){+20%};|室町時代、朝鮮との交易は、対馬の宗氏が統制していたが、大内氏は朝鮮と直接取引を行っていた&br;。絹や扇子、刀剣など美術工芸品を輸出し、朝鮮人参、虎皮、豹皮、経典を輸入し、多大な利益を得た。| |海賊からの保護|Protect Against Piracy|海軍士気&color(green){+15%};|室町時代、倭寇が横行し、明や朝鮮との交易の妨げとなっていた。&br;大内氏はこの倭寇の取り締まりを行い、結果、明や朝鮮との交易を独占した。&br;v1.23で名前が指摘されないと分からないレベル(against→Against)で修正された。| |博多商人|The Merchants of Hakata City|商人&color(green){+1};|博多港は、堺と並ぶ当時の一大交易港であり、その博多を大内氏が押さえていた。&br;堺商人と細川氏、博多商人と大内氏が対明貿易において対立し、1523年に寧波の乱が起こる。&br;結果、大内氏と博多商人は対明貿易を独占し、多大な利益を得ることとなる。| |商業外交|Mercantile Diplomacy|交易誘導&color(green){+15%};|大内氏は朝鮮や明との交易に関し、独占を果たしており、&br;しばしばその権益を外交のカードとして利用していた。| |西洋人を歓迎|Welcome the Westerners|異端寛容度&color(green){+1};|1551年31代当主義隆は、宣教師フランシス・ザビエルと引見し、&br;望遠鏡、置時計、眼鏡などを献上され、山口にキリスト教の布教を許している。| |~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~| |郎党派閥|Retainer Factions|顧問コスト&color(green){-10%};|31代当主義隆の時代、家中は陶隆房を筆頭とした武断派と相良武任を筆頭とする文治派に分裂していた。&br;この分裂が後に陶隆房が謀反を起こした大寧寺の変を起こし、大内氏は大名として滅亡する。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%};|| ***大友(Otomo)v1.22[#OTM] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|税収&color(green){+10%};|~| |一族の結束|Unite the Clans|人的資源&color(green){+20%};|大友氏は初代能直が源頼朝に豊後守護を与えられた。&br;その後数代の間で、戸次氏、立花氏、田原氏、一万田氏、入田氏など数多くの庶子家に別れた。&br;この一族庶子が室町・戦国期、大友宗家の有力家臣化していった。| |豊後の支配者|Lord of Bungo|交易品生産量&color(green){+10%};|鎌倉以来、豊後守護は大友氏が世襲した。&br;大友氏が豊後守護であることは、室町幕府が崩壊するまでの約350年続いた。| |忠臣|Loyal Retainers|規律&color(green){+5%};|1578年に耳川の戦いにおいて、島津氏に大敗して以降、&br;凋落の一途を辿り、周辺豪族は次々に離反を起こす。&br;しかし、家中には変わらず大友氏を支え続けた家臣も多くおり、&br;立花道雪、高橋紹運、立花宗茂などが有名である。| |南蛮貿易の歓迎|Welcoming the Nanban Trade|首都ノード交易力&color(green){+15%};|南蛮はポルトガル人のこと。&br;1543年にポルトガ船が到来して以来、主に九州の大名でポルトガルとの貿易が活発となった。&br;大友氏も例外なく、府内港にポルトガル船を来航させ、&br;マカオを拠点としたポルトガル商人と積極的に貿易を行った。| |キリスト教への改宗|Christian Converts|宣教師&color(green){+1};|第21代当主宗麟義鎮は、1551年にフランシスコ・ザビエルと引見して以来、&br;キリスト教へ傾倒し、領内の布教活動を保護した。&br;自身も洗礼を受け、ドン・フランシスコと名乗った。&br;キリスト教へ改宗した大名はキリシタン大名と呼ばれ、&br;宗麟義鎮はキリシタン大名の代表格である。| |~|~|教皇影響度&color(green){+1/年};|~| |天正少年使節|Tensho Embassy|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|1582年に九州のキリシタン大名の名代として少年を中心としてローマへ派遣した使節団。&br;第21代当主宗麟義鎮も名代として伊東マンショを派遣した。&br;帰国時、活版印刷を持ち帰り、日本語書物の活版印刷が初めて行われた。| |国崩し|Kunikuzushi|攻囲能力&color(green){+10%};|第21代当主宗麟義鎮は1576年にポルトガルよりフランキ砲を輸入した。&br;このフランキ砲は国崩しと名付けられ、日本最初の大砲とされる。&br;島津氏の豊後侵攻の際、宗麟義鎮は臼杵城に籠城し、使用したとされる。&br;その巨大な砲弾と威力で敵の島津軍を驚かせ、島津軍撤退まで守りきる一因となった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|砲兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***小笠原(Ogasawara)v1.22[#OGS] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|敵損耗&color(green){+1};|~| |信濃守護|Shinano-Shugo|要塞防御&color(green){+20%};|小笠原氏は代々信濃守護を任された。| |諏訪大社|Suwa Taisha|威信&color(green){+1/年};|長野県の諏訪湖周辺に二社四宮の境内がある神社で、信濃国一宮(信濃国で一番格の高い神社)。&br;日本最古の神社の1つといわれ、周囲四隅には、御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が建てられていることが特徴。&br;6年に一度行われる御柱祭が有名で、御柱を更新する行事。&br;特に御柱に人が乗ったまま坂へ御柱を落とし滑る「木落し」は圧巻である。| |木曽馬|Kiso-uma|生産効率&color(green){+5%};|木曽を中心に飼育される日本在来種の馬。&br;馬としては小型で足も遅いが、非常に丈夫で急な山道を登る力に長けている。&br;山に覆われ険しい山道も多いまさに日本向けの馬といえる。| |~|~|騎兵戦闘力&color(green){+5%};|~| |郡の統一|Unification of the Kori|人的資源&color(green){+15%};|信濃国は郡が10あり、最も郡が多い国であった。&br;その為、信濃守護である小笠原氏の他にも多くの国人衆が存在した。| |小笠原流|Ogasawara-ryu|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|小笠原流とは、有職故実(ゆうそくこじつ、古来の先例に基づいた慣習や儀式などのこと)の流派。&br;小笠原流弓馬術礼法等があり、室町時代中期以降、小笠原氏が武家社会における&br;故実の指導的存在となったことから、同家の故実が武家に重んじられた。| |中山道の改善|Improving the Nakasendo|交易力&color(green){+10%};|江戸時代に、中山道が整備されると人々の往来が活発となった。| |善光寺|Zenko-ji|国教寛容度&color(green){+2};|長野市にある無宗派の単立寺院。。本尊の一光三尊阿弥陀如来は日本最古と伝わる。&br;江戸時代末にはお伊勢参りと共に善光寺参りが流行り、&br;「遠くとも一度は詣れ善光寺」「牛に引かれて善光寺参り」と言われるようになった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***織田(Oda)v1.24[#ODA] v1.24で1444GC開始時から選択できるようになり、合わせて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |楽市楽座|Rakuichi & Rakuza|交易品生産量&color(green){+10%};|信長により行われた施策。&br;当時は市には市場税や営業税がかかり、&br;座(商工業組合のようなもの)は専売権を持つなど&br;既得権益を多く占め、独占を行ってきたが、&br;そのような税や専売権を撤廃し自由化を行うことで、&br;経済を活発化させた。&br;信長が行った事で有名だが、六角氏や今川氏の方が先に行ったという話もあったりする。&br;なお、以降のNIも全て信長絡みで他どこいった状態だけどまあ仕方ないよね。| |天下布武|Tenka Fubu|コア化コスト&color(green){-10%};|信長が美濃を攻略し、岐阜と改名したあたりから使用された言葉。&br;「天下に武を布く」の意味で、日本統一の意思表示と捉えられている。&br;信長の師とも言える沢彦の進言とも言われる。&br;信長はこの言葉を印章として使用した。&br;なお、布武の部分は色々と解釈があり、単純に「武力で統一する」や&br;「七徳の武」から来る「太平の世を作る」という解釈や、&br;礼儀作法の書「礼記」の「堂上布武」からの「歩く」という解釈もあり、幅広い。| |~|~|州獲得に必要な戦争点コスト&color(green){-10%};|~| |織田家の司令官|Oda Generals|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|多分、信長が有力家臣に方面軍を任せた事を言っている。&br;羽柴(豊臣)秀吉が中国方面、柴田勝家が北陸方面、&br;滝川一益が関東方面等、各地方の軍団長を任せ、多方面に渡って諸大名を制圧していった。| |権勢ある要塞|Influential Strongholds|指揮官包囲&color(green){+1};|安土城のこと。近江(滋賀県)の琵琶湖東岸に位置した信長の居城。&br;1576年より3年の月日をかけ築城された。&br;当時最大級の天守を持っていたが、本能寺の変後に焼失したとされる。| |三段撃ち|Triple Firing|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|1575年に織田・徳川連合軍対武田軍の長篠の戦いで&br;織田軍が行ったとされる鉄砲の運用法。&br;当時の鉄砲は発射までに時間を要するという弱点を補う為、&br;隊列を三段に組み、発射後に隊列を入れ替えて間断なく発射したとされるが、&br;最近では役割分担で鉄砲だけ入れ替えたとするのが定説となりつつある。&br;なお説明文では” allowing one to fire while two others reload”と、どちらにもとれる表現になっている。| |西方の後援|Patronization of the West|技術コスト&color(green){-5%};|ここの西方はキリスト教の事。&br;信長はキリスト教を保護し、布教を許した。&br;一般に既存の仏教が嫌いで牽制目的と言われるが、&br;嫌っていたのは既得権益や腐敗した僧と思われ、寺社への寄進は結構している。&br;なので、南蛮技術の取得や貿易目的だったという説もある。| |検地|Kenchi|人的資源&color(green){+20%};|検地は、田畑の面積と収穫量の調査のこと。北条や武田など有名所の戦国大名も行っているが、&br;中央から全国的に検地を行ったのは信長が初めてとされる。&br;ただ、信長の時代の検地は自己申告制の指出検地であったとされ、&br;その後に秀吉が行った役人を遣わせ実測するという検地(太閤検地)とは違ったようである。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};|| ***菊池(Kikuchi)v1.22[#KKC] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|連隊雇用コスト&color(green){-10%};|| |>|~|不当な要求&color(green){-25%};|~| |名門|Distinguished Family|不穏度&color(green){-1};|平安時代中期に刀伊(女真族)の入寇を撃退した大宰帥藤原隆家を祖とする菊池氏は鎌倉幕府の御家人となり、&br;元寇の際にも大いに武功を挙げた。&br;15代当主・武光は南朝方の有力武将として一時九州を制圧する勢いを示した。| |火の国|Land of Fire|威信&color(green){+1/年};|古くは、肥前、肥後は火山が多いことから火国と称されていた。&br;「火の国」とも呼ばれ、転じて「肥の国」となったのち、&br;前・後に分けられ「肥前」「肥後」となった。| |阿蘇神社|Aso Shrine|正統性&color(green){+1/年};|肥後国一宮(肥後国で一番格の高い神社)。阿蘇神社大宮司を世襲した阿蘇氏は菊池氏、相良氏に並ぶ大豪族であった。| |領土の要塞化|Fortify the Domain|陸軍士気&color(green){+10%};|| |宗教の共存|Religious Coexistence|異端寛容度&color(green){+1};|肥後は、戦国時代や安土桃山時代に、仏教や神道、キリスト教などの宗派が見られた。| |~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~| |三家老|Three Chief Retainers|自治度変化&color(green){-0.05/月};|菊池氏の重臣である赤星氏、城氏、隈部氏は三家老と称された。| |拠点の中心|Central Stronghold|要塞防御&color(green){+15%};|菊池市家臣の鹿子木氏が建てた隈本城を、&br;豊臣政権時代に北肥後を領主とした加藤清正によって改修された城が熊本城である。&br;熊本城は、肥後が細川氏の統治に変更された後も細川氏の本拠となり、改修が続いた。&br;明治時代に起こった西南戦争では、官軍が熊本城に立て篭もり、&br;薩軍は強襲を行ったが、遂に落ちることなく、難攻不落の堅城と名を馳せた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|外交枠&color(green){+1};|| ***北畠(Kitabatake)v1.24[#KTB] v1.24で追加された新規国家の専用NI。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|不穏度&color(green){-1};|| |>|~|分離主義年数&color(green){-5};|~| |伊勢の統一|Unification of Ise|税収&color(green){+10%};|北畠氏は村上源氏中院家庶流で公家である。&br;第5代北畠顕能が建武政権期に伊勢国司を任じられて以後、伊勢に定着、武家化していった。| |天照の祝福|Blessing of Amaterasu|国教寛容度&color(green){+2};|天照は天照大神の事で、日本の総氏神。&br;太陽を神格化した神で天岩戸の神隠れで有名。&br;伊勢にある伊勢神宮はこの天照大神を祭神とする。&br;第4代北畠親房は伊勢神宮外宮の神官の渡会家行の支援を受けたり、&br;内宮と外宮の対立に巻き込まれたりと色々と縁は深い。| |天皇の後援者|Supporters of the Emperor|外交評判&color(green){+1};|北畠氏は南朝後醍醐天皇の忠臣であり、&br;第4代北畠親房は後醍醐天皇亡き後、南朝の軍事的指導者となった。&br;また、第7代北畠満雅は南北朝合一後、約定を違えて&br;北朝が天皇位の独占を行った際はそれに反発し、挙兵した。| |九鬼水軍|Kuki Suigin|ガレー戦闘力&color(green){+20%};|伊勢国の隣国志摩国を本拠とした九鬼氏に率いられた水軍衆。&br;織田信長に仕えた九鬼嘉隆が有名で嘉隆により志摩一国を平定、領有を認められ、&br;その後は織田軍の水軍衆として伊勢長島の戦いや木津川口の戦いで活躍した。&br;特に木津川口では鉄甲船を開発、毛利水軍に大勝した事で有名。&br;江戸期には大名として存続、明治を迎える事となる。&br;北畠氏と関係ないように思えるが、信長に仕える前は一応北畠氏に仕えていた。| |上流の人|Men of Quality|君主と同一文化の顧問コスト&color(green){-20%};|上記に書いた通り、北畠氏は公家であり、&br;武家化した後も代々公卿(三位以上の貴人や参議の官)に登っている。| |伊賀流|Iga-Ryu|諜報網構築力&color(green){+20%};|伊賀流は、伊勢の隣国伊賀国に伝わっていた忍術流派。&br;甲賀と並ぶ最も有名な忍術流派。&br;服部・百地・藤林の上忍三家に代表される多くの著名な忍者を輩出している。| |北畠顕家の行軍|March of Kitabatake Akiie|移動速度&color(green){+15%};|北畠顕家は第4代北畠親房の長男、第5代北畠顕能の兄。&br;父と共に建武の新政の補佐を行った。&br;その際、陸奥国へ下向、東北統治を任される。&br;後に室町幕府を興す足利尊氏へ朝廷より追討令が下ると挙兵、&br;京へ進軍し、道中の敵に対し連戦連勝、尊氏の軍も2度破り、九州へ敗走させた。&br;この際の行軍は600kmを16日間という脅威の速度で進軍したとされ、&br;豊臣秀吉の中国大返し(200kmを10日間)よりも早い進軍速度であった。&br;その後、尊氏が九州にて勢力を回復し帰還した際も挙兵、京へ進軍したが、&br;味方との連携に失敗したのもあり次第に劣勢となり、遂には21歳の若さで討ち取られた。&br;絶世の美男子だったとされる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍士気&color(green){+10%};|| ***元(Yuan)v1.23[#YUA] v1.21より条件を満たすことで、元にformすることができるようになった。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+25%};|| |>|~|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|~| |大哉乾元|Dai Zai Qian Yuan|コア化コスト&color(green){-25%};|「大哉乾元」とは、『易経』の注釈部分の<彖傳>にある一文。&br;「万物をつくりだす天の原理とはなんと偉大なものか!」という意味。&br;大元の始祖、クビライ・カーン(フビライ・ハン)は&br;ここから「大元」の国号を制定したとされる。| |神聖で魅惑的で野蛮な王国|&size(12){A Savage Kingdom Holy and Enchanted};|陸軍士気&color(green){+10%};|元ネタは、18世紀のイギリス詩人サミュエル・テイラー・コールリッジが書いた&br;三大幻想詩の1つ「クーブラカーン」の一節&br;「A savage place! as holy and enchanted」&br;と思われる。「クーブラカーン」は大元初代皇帝クビライ・カーンのこと。&br;また、詩に出てくる「Xanadu(ザナドゥ)」は、&br;クビライが今の北京に造営した都「上都」のことで、&br;後世では、Xanaduは幻想的な楽園(桃源郷)の代名詞として使用される。| |三教九流の厚遇|&size(12){The Three Teachings and Nine Schools All Respected};|技術コスト&color(green){-10%};|三教は、儒教・仏教・道教のこと。&br;九流は、儒家・道家・陰陽家・法家・名家・墨家・縦横家・雑家・農家の九学派のこと。&br;大元は宗教については寛容であった。| |ケシクと衛軍|Keshik and Weijun|与白兵ダメージ&color(green){+10%};|ケシクはモンゴル側の、衛軍は中国側の親衛隊のこと。| |家のように1000マイル|A Thousand Miles As If At Home|使節の移動時間&color(green){-10%};|大元の前身であるモンゴル帝国の頃より、道路網が発達した。&br;大元時代は、「ジャムチ」と呼ばれたいわゆる駅伝制があり、&br;主要道路に10里ごとにおかれる宿駅が置かれ、宿と人馬を提供した。&br;駅伝を利用する公用の旅行者は、通行手形として牌符を携行し、&br;シャムチを自由に利用することができた。&br;v1.23で名前が地味に修正(As If At→as if at)された。| |~|~|移動速度&color(green){+15%};|~| |支那-モンゴル政権|Sino-Mongol Administration|統治効率&color(green){+5%}; |支那は中国のことで、大元の皇帝は、&br;モンゴル帝国の皇帝であり、中華皇帝でもあった。| |パクス・モンゴリカ|Pax Mongolica|交易品生産量&color(green){+10%};|パクス・モンゴリカは、パクス・ロマーナから派生した言葉で、&br;13世紀から14世紀に渡りユーラシア大陸を支配した&br;モンゴル帝国の覇権による平和で安定した時代を指す。&br;陸路・海路ともに交易が活発になり、経済活動は更なる発展を遂げることとなる。&br;一方で、14世紀のペストの大流行は、モンゴル帝国の時代にユーラシア大陸を&br;横断する広大なネットワークが形成されたことが原因の1つとも言われる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|領有可能ステート数&color(green){+5};|| ***河野(Kono)v1.23[#KNO] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| |>|~|海軍伝統&color(green){+1/年};|~| |伊予守護|Shugo of Iyo|海軍扶養限界&color(green){+25%};|河野氏は代々伊予守護を司った。| |~|~|水兵維持費&color(green){-5%};|~| |分家候補の統合|Integration of Cadet Branches|ガレーコスト&color(green){-20%};|東予には、分家である予州家があり、長く惣領の座を狙っていた。| |大山祇神社|Oyamazumi Shrine|海軍士気&color(green){+20%};|伊予国一宮(伊予国で一番格の高い神社)。| |湯築城|Yuzuki Castle|自治度変化&color(green){-0.05/月};|河野氏の本拠| |内海の支配|Rule Over the Inland Sea|ガレー戦闘力&color(green){+15%};|瀬戸内海を東西に移動するうえで、河野氏は避けて通れない。&br;v1.23で名前が地味に修正(over→Over)された。| |アジア大陸との交易|Trade With Continental Asia|交易範囲&color(green){+20%};|v1.23で名前が地味に修正(with→With)された。| |村上水軍|Murakumi Suigun|私掠効率&color(green){+20%};|村上水軍は、日本中世の瀬戸内海を拠点に活動した水軍衆、海賊衆である。&br;能島、来島、因島の3家が存在し、その内、来島が河野氏の配下となったが、&br;独自勢力としての動きもしており、従属関係とも言えない状態であった。&br;1588年に海賊禁止令が出され、海賊行為ができなくなった。&br;江戸期では来島は1大名となり、能島と因島は毛利家家臣となった。| |~|~|敵船捕獲確率&color(green){+10%};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%};|| ***佐竹(Satake)v1.22[#STK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍扶養限界&color(green){+25%};|| |>|~|戦争疲弊&color(green){-0.02/月};|~| |常陸源氏|Hitachi Genji|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|常陸源氏は、源新羅三郎義光を祖とする。武田氏に代表される甲斐源氏と同族。| |二頭政治|Dual Administration|税収&color(green){+10%};|15代当主義篤(1470~1517)は、分家の山入佐竹氏を討滅後、弟義言を山入地方に、&br;弟正義を檜沢・高武方面に配置し、義言、正義はそれぞれ佐竹北家、佐竹東家の祖となり、&br;宗家を中心とする共同支配体制を確立した。その後、南家、西家が創設される。&br;なお、東西南北については、本城太田城から見ての館の位置に由来する。&br;&size(8){訳出が難しく、効果から見て上記でも妥当と思われるが、戦国期に佐竹氏は17代義昭・18代義重・19代義宣の3代にわたり前当主が隠居後も実権を握る体制が取られており、通常「二頭政治」と言えばこちらを指すような気もする…};| |一揆の抑制|Suppression of Ikki|不穏度&color(green){-1};|第11代当主義盛は、嗣子なく没した為、関東管領山内上杉憲定の子義憲を迎えて当主とした。&br;これは山入氏ら一族の反発を招き、1407年、山入一揆が起こる。&br;乱は一年で沈静化したが、その後も宗家に敵対した。&br;山入氏は足利尊氏に従事した師義(9代当主義篤の弟)を祖としており、&br;幕府と独自に関係を持っていた山入氏は幕府から支援を受け、&br;宗家は鎌倉公方から支援を受けたため、一族の内訌を超え、&br;関東地方における幕府と鎌倉公方の代理戦争と化した。&br;1504年に山入氏義が討たれるまでの約100年間闘争が行われることとなる。| |鹿島神宮|Kashima Jingu|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|茨城県鹿嶋市にある常陸国一宮(常陸国で一番格式の高い神社)。&br;香取神宮、息栖神社とともに東国三社の一社。&br;雷神、かつ剣の神とされる武甕槌命(タケミカヅチ)を祭神とする。&br;相撲の起源とも深くかかわりのある場所として知られる。| |東国連合|Eastern Coalitions|外交枠&color(green){+1};|第18代当主義重(1547~1612)の時代、関東では北条氏、&br;東北では伊達氏が勢力を拡大、対立していた。&br;また、常陸国内にも小田氏等の対立もあり、苦戦をしていた。&br;そこで、義重は反北条として武田氏、上杉氏、里見氏や関東諸勢力と同名を結び、対抗した。| |強固な中心統治|Strong Central Rule|開発コスト&color(green){-10%};&br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};|中心地は水戸城のこと。水戸城は大掾(だいじょう)氏に築かれ、&br;大掾氏の本拠であったが、1416年に江戸氏に奪われて以来、江戸氏の本拠になる。&br;1590年に佐竹氏が豊臣氏より本領安堵を受けると、江戸氏を攻め、水戸城は佐竹氏のものとなる。&br;その後、常陸国一帯を平定した佐竹氏は本拠を太田城から水戸城へ移した。&br;水戸城は那珂川周辺の扇状地にあり、海より直接船が往来できた為、舟運が発達した。&br;後、御三家水戸徳川家の本拠にもなり、&br;徳川時代に作られた庭園、偕楽園は日本三大庭園の1つとして有名。| |誉れ高き名声|Honorable Reputation|関係改善&color(green){+30%};|19代当主義宣は、豊臣秀吉に「律儀者」と評された徳川家康に&br;「今の世に佐竹義宣ほどの律儀な者はみたことがない」&br;「しかし、あまり律儀すぎても困る」と評されている。&br;これは、関ヶ原の戦いで、佐竹氏が日和見の態度を取ったことを念頭に置いたものである。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|砲兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***斯波(Shiba)v1.22[#SBA] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|建造物コスト&color(green){-10%};|| |>|~|税収&color(green){+20%};|~| |武衛の伝統|Tradition of Military Service|陸戦で得る威信&color(green){+50%};|武衛とは、兵衛府の唐名(中国名)で、天皇や内裏の護衛職で言わば天皇の親衛隊の役職。&br;室町以降、斯波氏当主は左兵衛督に任官された為、武衛家と称されていた。| |三州の守護|Shugo of Three Provinces|交易品生産量&color(green){+10%};|斯波氏は、越前、尾張、遠江の三州の守護を世襲していた。| |管領職の強化|Consolidation of the Kanrei Position|外交官&color(green){+1};|幼少の室町幕府3代将軍・足利義満を補佐した管領・細川頼之の手腕により管領職は将軍に代わり幕府を統括する職務として確立した。&br;政変により頼之を失脚させ管領となった斯波義将は長期にわたって成人した足利義満を補佐し、その公正な治世により「名管領」と謳われ、より一層管領職の位置を固め斯波氏の全盛期を築いた。| |熱田神宮|Atsuta Shrine|陸軍士気&color(green){+10%};|尾張国三宮(尾張国で3番目に格の高い神社)。&br;三種の神器の1つであり、最も有名な剣の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社である。&br;また、織田信長が桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願したとしても知られる。| |奥州との結びつき|Oshu Ties|騎兵コスト&color(green){-10%};|斯波氏の一門には、奥州、羽州に定着した庶流が多くあった。&br;奥州探題を歴任した大崎氏、羽州探題を歴任した最上氏、&br;高水寺城を拠点にした高水寺斯波氏等が有名。| |斯波一族郎党の制御|Rein in the Shiba Retainers|雇用可能顧問&color(green){+1};|斯波氏は多くの一族家臣を従えていたが、斯波氏の執事の甲斐氏、&br;尾張守護代の織田氏、越前守護代の朝倉氏など斯波本家に匹敵する力を持った重臣が現れた。&br;特に朝倉氏には越前、織田氏には尾張の実効支配を奪われ、下剋上の象徴の1つとなった。| |最上一族|Mogami Family|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|最上氏は、斯波氏の分家であり、羽州探題を世襲し、のち出羽国の戦国大名として成長した。&br;特に第11代当主義光は、関ヶ原の戦い以後の最盛期で、&br;計57万石(実高は100万石とも称する)を領する大大名となった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|生産効率&color(green){+10%};|| ***島津(Shimazu)v1.22[#SMZ] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|陸軍伝統低下&color(green){-1%/年};|~| |薩摩隼人|Satsuma Hayato|陸軍士気&color(green){+10%};|隼人とは、九州南部にいた大和朝廷にまつろわぬ者のこと。&br;時代が下ると薩摩をつけて薩摩人の勇壮な男を指すようになった。| |薩南学派|Satsunan school|人的資源回復&color(green){+15%};|薩摩国を中心に栄えた儒学の一派。| |三州統一|Reunion of Three provinces|生産効率&color(green){+10%};|島津氏は、薩摩・大隅・日向に広がる島津荘の統治者として現れた。&br;鎌倉時代に一時期、三州の守護を獲得したが、すぐに失い、それ以来、三州の統一は島津氏の悲願であった。&br;三州統一がなされるのは1577年に伊東氏を豊後に追うときのこととなる。| |釣り野伏|Tsurinobuse|規律&color(green){+5%};|戦国島津氏が多用した戦術で、戦っている味方をあえて引かせ、想定の位置に敵が来た時に、用意した伏兵と共に反撃を行った。&br;島津氏はこの戦術で十倍とも二十倍ともいわれる敵を撃破していった。| |種子島|Tanegashima|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|島の名前でもあるが、それに由来する火縄銃のことでもある。&br;島津氏は鉄砲伝来の地として、鉄砲戦術を研究し、その扱いに長けていた。| |沖縄貿易|Okinawa Trade|交易誘導&color(green){+20%};|島津氏は琉球王国を属国として介し、東アジアと交易をおこなって利益を上げていた。| |早くからの近代化|Early 'Westernizetion'|技術コスト&color(green){-5%};|戦国時代に西欧といち早く接触した島津氏は、そうした国からの文物を受け入れていった。&br;幕末には、琉球に西洋の船が仕切りに来航しており、&br;このことが島津斉彬を集成館事業と呼ばれる洋式産業を興させる原因となった。&br;このことは日本国内において、殖産興業富国強兵の先駆けとなった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|税収&color(green){+10%};|| ***順(Shun)v1.29[#CSH] Ver1.28にて専用のNIが追加された。 アイデアの正式名は大順(Great Shun)である。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|人的資源&color(green){+25%};|~| |貧しい家の出|Humble Beginnings|人的資源回復速度&color(green){+10%};|順王朝を建国した李自成は農民出身である。| |闖王|The Dashing King|外交評判&color(green){+1};|闖王は、明反乱の初期の指導者である高迎祥が名乗った号。&br;後にその後継者として李自成が名乗った。| |隠された財産|Hidden Treasury|利息&color(green){-0.5};|| |天意に順ぜよ|Obedient to Heaven|安定度コスト&color(green){-10%};|| |~|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~| |完成された攻囲戦法|Perfection of Siegecraft|攻囲能力&color(green){+10%};|| |棒から銃へ|From Sticks to Guns|歩兵戦闘力&color(green){+15%};|| |天命の請求|Claim to the Mandate|正統性&color(green){+0.5/年};|| |~|~|天命&color(green){+0.03};|~| |~|~|能力主義&color(green){+0.5/年};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|威信&color(green){+1/年};|| ***少弐(Shoni)v1.23[#SHN] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|貿易効率&color(green){+10%};|| |>|~|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|~| |大宰少弐|Vice-Minister of Dazai-fu|外交評判&color(green){+1};|少弐家は大宰少弐の官職を代々有し、その権威をもって、北九州の統治をおこなった。&br;v1.23で名前が気づかないレベル(Vice Minister→Vice-Minister)の修正がされた。| |日本の防人|Defender of Japan|陸軍士気&color(green){+10%};|少弐家は北九州の御家人として、二度の蒙古襲来も積極的に撃退した。&br;一族からも多大な犠牲を出した結果、戦後には九州最大の守護大名となった。| |対馬を通じた外交|Diplomacy through Tsushima|外交官&color(green){+1};|少弐氏の配下だった宗氏は朝鮮との外交を積極的に行った。| |長崎|Nagasaki city|商人&color(green){+1};|九州は大陸との交易を、活発に行っていた。特に長崎は良港として各国の商人が行き交った。&br;但し、少弐氏と関係があるかは微妙なところ。| |肥前の熊|Bear of Hizen|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|肥前の熊とは、竜造寺隆信のこと。&br;少弐氏の配下で、大友氏衰退に伴って、一時的とはいえ、五州二島の太守として、九州の覇権を取った。&br;しかし隆信は少弐氏を滅ぼした武将である。| |葉隠|Hagakure|陸軍伝統低下&color(green){-1%/年};|葉隠れとは、肥前佐賀藩で書かれた武士の心構えを説いた書。&br;文中の一節、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」は有名。| |鍋島藩の改革|Nabeshima Reform|技術コスト&color(green){-5%};|鍋島家の肥前佐賀藩は、長崎の地に近かったこともあり、&br;幕末では西欧の技術を次々取り入れ、藩政改革を行った。&br;鍋島家は男系で少弐氏につながる家系。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| ***清(Qing)v1.29[#QNG] Ver1.29にて各女真国家/満州とNIが分離し、新規に追加された。 アイデアの正式名は大清(Great Qing)である |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|コア化コスト&color(green){-20%};|| |>|~|侵略的拡大&color(green){-10%};|~| |八旗の拡大|expand_the_banners|八旗雇用可能数&color(green){+30%};|ヌルハチが編成した軍事組織。&br;女真族全構成員を8色の旗のもとに編成、戸籍と軍隊組織を兼ねた。&br;後に蒙古八旗、漢軍八旗も編成された。| |緑営軍|The Green Standard Army|人的資源&color(green){+15%};|元は満州のアイデア。効果は変更された(人的資源回復速度+20%)。&br;漢人によって編成された軍団。&br;清朝において主力の八旗軍を補助する役割を果たした。| |~|~|人的資源回復速度&color(green){+15%};|~| |弁髪か死か|Pigtail or Death|不穏度&color(green){-2};|元は満州のアイデア。&br;清朝が支配下の漢人に弁髪を義務付けた「薙髪令」のスローガン。&br;髪型を変えない者を死刑とした。| |ボグド=ハン|Bogda Khan|正統性&color(green){+1/年};|ボグド=ハンはモンゴルの君主の号。&br;清朝の2代目ホンタイジはボグド・セチェン・ハーンを名乗ったとされる。&br;ボグダは「賢明な」や「正統なる」と訳される。&br;清朝の歴代君主は中華皇帝と同様にモンゴルのハンも名乗った。| |~|~|分離主義年数&color(green){-5};|~| |~|~|能力主義&color(green){+1/年};|~| |中華の法|Chinese Laws|統治効率&color(green){+5%};|元は満州のアイデア。しれっと名称修正(The Chinese Lawsの「The」が削除)と、&br;効果が変更された(安定度コスト-10%)。&br;明の衰退と清の興隆に伴い、漢族を支配下におくことになった2代皇帝・ホンタイジは、&br;漢族知識人を積極的に取り入れ、漢族王朝風の統治機構を整備していった。| |総督|The Viceroyalties|ステート維持費&color(green){-15%};|総督は明の時代から臨時官として総督が置かれたが、&br;清代では8総督が常設され、各地方の長官を務めた。| |~|~|自治度変化&color(green){-0.05/月};|~| |十全武功|The Ten Great Campaigns|陸軍士気&color(green){+15%};|第6代乾隆帝時代に10の地域への対外遠征のこと。&br;乾隆帝は10回の戦争にすべて勝利を得たとみずからの武功を誇り、&br;自らを「十全老人」と自称し,この文字を玉璽に刻み,また『十全記』を著わした。&br;10回とは、対ジュンガル(2回)、対回部(ウイグル)、四川奥地 (2回) 、&br;台湾、緬甸(ビルマ)、越南(ベトナム)、ネパール(2回)である。&br; 全部勝利と言っているが局地的に負けたり大苦戦したりしている。&br;しかし、結果的に清の最大版図を築くことに成功し、&br;現在の中国の版図の基礎となっている。| |~|~|陸戦で得る威信&color(green){+50%};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|顧問コスト&color(green){-15%};|| ***宗(So)v1.29[#SOO] Ver1.29にて新規に追加された国家で、併せて専用のNIが追加された。 中世から近代にかけて対馬を支配した一族。朝鮮や中国との外交を担当する役割を担った。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|交易効率&color(green){+10%};|| |>|~|交易誘導&color(green){+20%};|~| |倭館|Wakan|首都ノード交易力&color(green){+25%};|中世から近世にかけて、朝鮮半島南部に設置された日本人居留地のこと。&br;はじめ朝鮮では商船入港は禁止されてなかったが、&br;倭寇が横行するようになると、制限をかけられ、入港地を限定された。&br;宗氏は江戸時代倭館を拠点に朝鮮との外交、通商を行った。| |倭寇の伝統|Wakou Tradition|ガレー戦闘力&color(green){+10%};|倭寇は東アジアで活動した海賊の総称。&br;対馬も倭寇の拠点の一つであり、&br;倭寇を発端に宗氏と朝鮮で戦いが起こったこともある(応永の外寇)。&br;なお、どちらかと言えば、宗氏は倭寇を取り締まった側である。| |~|~|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|~| |対馬を巡る争い|Fight for Tsushima|海軍士気&color(green){+20%};|しばしば倭寇の撲滅を目標として、&br;対馬にて朝鮮と宗氏との間で戦が起こってる。| |八幡船|Bahan Ship|私掠効率&color(green){+20%};|八幡船(ばはんせん)は、室町から安土桃山にかけ出没した日本の海賊船のこと。&br;八幡は倭寇の別名を意味する。江戸時代では密貿易を意味する言葉となった。&br;倭寇の船が八幡大菩薩の幟を立てて航海したから、らしい(確証なし、伝承)。| |不屈の交渉人|Tough Negotiators|外交評判&color(green){+1};|徳川家康から朝鮮出兵で悪化した朝鮮との関係修復を命じられた宗義智は、1609年に朝鮮との和平を成立させた。&br;この功績により、宗氏は幕府から独立した機関で朝鮮と独占的に交易することも認められた。| |港湾整備|Port Maintenance|海軍扶養限界&color(green){+25%};|| |~|~|水兵維持費&color(green){-5%};|~| |小学校|Elementary School|技術コスト&color(green){-5%};|小学校の語源は1685年(貞享2年)対馬府中藩主宗義真が、&br;府中(厳原)に「小学校」と名づけた学校を建て、家臣の子弟の教育を行った。&br;これが、日本で「小学校」の名のつく施設の最初であるとされる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍伝統&color(green){+1/年};|| ***大理(Dali)v1.22[#CDL] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+10%};|| |>|~|異端寛容度&color(green){+2};|~| |苴咩都市の刷新|Renovate the City of Jumie|威信&color(green){+1/年};|大理国は937年に成立した白(ペー)族の国家。&br;中心地は、雲南の?海地区(現代の雲南省大理)にあり、&br;大理国の前に成立した南詔の時代から苴咩(しょび?)地区と呼ばれていた。| |茶馬古道|The Tea-Horse Route|キャラバン力&color(green){+20%};|雲南省で取れた茶(磚茶)をチベットの馬と交換したことから名付けられた交易路のこと。| |儒教の影響|Confucian Influences|税収&color(green){+10%};|中国の唐代で発達した漢字や儒教・仏教等の文化は、&br;朝鮮や日本と同様、ベトナム北部にも多大な影響を及ぼした。&br;この広大な文化圏を東アジア文化圏と呼ぶ。| |仏陀の教え|Teachings of Buddha|不穏度&color(green){-1};|同上。| |本主節|Benzhu Worship|安定度コスト&color(green){-10%};|白族は、土地を司り、村人の禍福をすべて掌握する神を本主として祀る信仰がある。&br;村ごとに本主があり、本主は産土神や伝説上の英雄であることが多い。&br;そして毎年、日は村ごとに異なるが、本主を祀る祭りが開かれ、本主節と呼ばれる。| |棚田|Rice Terraces|開発コスト&color(green){-10%}; |雲南には白族以外に哈尼(ハニ)族が古くから定住していて、&br;唐や宋の時代は、南詔や大理国に属していた。&br;哈尼族の住む元陽には、8世紀頃から作り築いた世界最大の棚田があり、&br;現代では「紅河哈尼棚田」として世界遺産に認定されている。&br;なお、哈尼族は、本項の稲作など日本と風習や文化に共通項が多く見られる。&br;日本人のルーツの一つと言われ、日本人にとって重要な存在である。| |滇の青銅|Dian Bronze|生産効率&color(green){+10%};|滇(テン)は紀元前3世紀頃、雲南東部の昆明ににあったとされる国。&br;多くの青銅器や彫像が発掘されており、高い青銅文化をもっていたとされる。&br;また、前漢の武帝が滇王に下賜したと推定されている「滇王之印」が出土されていることで有名。&br;「漢委奴国王印」に類似した金印で、当時の中国と周辺諸国の関係を裏付ける貴重な品である。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易品生産量&color(green){+10%};|| ***武田(Takeda)v1.22[#TKD] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |>|~|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |甲斐源氏の棟梁|Leader of Kai Genji|陸軍士気&color(green){+10%};|甲斐源氏は甲斐国に土着した清和源氏の河内源氏系一門で、&br;源義光(新羅三郎義光)を祖とする諸家を指し、武田氏はその宗家。&br;なお、信玄で有名ないわゆる甲斐武田氏は、武田氏の中の分家格であり、&br;武田氏の宗家は安芸武田氏や若狭武田氏である。| |河川ダムの守護|Shugo of River Dams|交易品生産量&color(green){+10%};|武田氏の領有する甲斐国は、笛吹川と釜無川両河川の氾濫原があり、&br;古来から大雨による水害が発生する地域があった。&br;19代当主信玄晴信(1521~1573)は、釜無川と御勅使川の合流地点に堤防を築き、氾濫を抑えた。&br;この堤防は信玄堤と呼ばれる。| |情報網|Information Network|外国の諜報検知力&color(green){+10%};|19代当主信玄晴信(1521~1573)は情報を重要視したとされ、狼煙や伝馬制などの通信手段を整備した。&br;「三ツ者」「透破」と呼ばれるいわゆる忍者集団により、全国に広域な情報網を張り巡らせた。&br;また、「歩き巫女」に扮して情報収集を行った「くノ一」望月千代女も知られている。| |~|~|諜報網構築力&color(green){+10%};|~| |黒川金山|Kurokawa Gold Mine|関係改善&color(green){+30%};|山梨県甲州市に位置する金山で、武田氏の資金源となった。| |甲州法度|Koshu Hatto|アイデアコスト&color(green){-10%};|甲州法度は、19代当主信玄晴信(1521~1573)が定めた分国法。正式名は甲州法度之次第。&br;分国法とは、戦国時代に戦国大名が領国内を統治するために制定した法。喧嘩両成敗の条項が有名。| |二十四将|Twenty-Four Generals|無償指揮官枠&color(green){+1};|19代当主信玄晴信(1521~1573)の家臣で、講談や軍記などで特に評価の高い24人を指す名称。&br;武田二十四将。武田四天王や山本勘助の名が見られる。また、その当主の信玄は「甲斐の虎」の異名をもつ。&br;なお、武田二十四将は江戸時代から見られるようになった呼称で当時実在した呼称ではない。| |甲陽軍鑑|Koyo Gunkan|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|甲陽軍鑑は、武田氏の戦略・戦術を記した軍学書。&br;信玄晴信、勝頼期の合戦記事を中心に、軍法、刑法などを記している。&br;天下を手にした徳川氏が軍法を甲州流に改めていたこともあり、甲州流軍学が盛んになり、&br;本書は甲州流軍学の聖典とされ、江戸時代には出版されて広く流布し、読み物として親しまれた。&br;なお、史書としては他の一次史料と比べ、誤りが多く評価が低い。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| ***伊達(Date)v1.22[#DTE] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|外交評判&color(green){+1};|~| |奥州探題|Oshu Shugo|コア化コスト&color(green){-10%};|奥州探題は奥州の守護に代わり設置され、奥州総大将、奥州管領を経て&br;1400年より斯波氏の分家である大崎氏が任官、代々世襲された。&br;大崎氏衰退により、伊達稙宗が陸奥守護、伊達晴宗が奥州探題を任命された。| |婚姻による拡大|Expansion by Marriages|侵略的拡大&color(green){-10%};|第14代当主稙宗は、洞(うつろ)と呼ばれる自らの血縁を家臣や周辺諸国へ&br;結婚や養子により一門とし自身の統治に置くシステムにより、大きく勢力を伸ばした。| |連歌師集団|Renga Group|アイデアコスト&color(green){-10%};|第17代政宗は文化人でもあり、伊達家は連歌を好んだといわれており、多くの連歌師を抱えていた。| |竜騎兵隊|Dragon Corps|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|竜騎兵は近世ヨーロッパのマスケット銃などの火器で武装した兵科を指すが、&br;伊達家では大阪の陣にて騎馬鉄砲隊が使用されたといわれる。| |朱印船|Red Seal Ships|大型船コスト&color(green){-5%};|| |~|~|大型船戦闘力&color(green){+10%};|~| |慶長使節|Keicho Embassy|技術コスト&color(green){-5%};|1613年に、伊達政宗がローマ教皇へ派遣した使節団。&br;大使を努めた支倉長常が有名。| |集中的な領域開発|Intensive Domain Development|開発コスト&color(green){-10%}; &br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};|17代政宗は仙台へ居を移すと、新田の開拓と用水路の開削、流通路の確立等領内開発に努め、&br;幕府公認の表高62万石に対して実高100万石以上の収入を確保した。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易力&color(green){+15%};|| ***千葉(Chiba)v1.23[#CBA] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|威信&color(green){+1/年};|~| |平氏の血統|Taira Lineage|外交評判&color(green){+1};|千葉氏は桓武天皇の孫・高望王の五男・良文を祖とし、桓武平氏の中でも古い系統である。| |将門の夢|Dream of Masakado|陸軍士気&color(green){+10%};|千葉氏の祖とされる平良文は将門の叔父にあたり、&br;平将門の乱平定後、その遺領は良文が継いだとされる。| |鎌倉公方との連合|Coalition With Kamakura Kubo|請求権捏造コスト&color(green){-25%};|千葉氏は、京都将軍家に通ずる関東の有力守護がいる中、一時期を除き鎌倉公方とその後継である古河公方を支持した。&br;後に京都派と古河派に分裂して一族は衰亡するものの、古河公方の体制下で一定の勢力を保ち続けることができた。&br;v1.23で名前が修正(with→With)された。| |佐倉歌壇|Sakura Kadan|関係改善&color(green){+20%};|千葉氏代二十三代当主勝胤(1471~1531)は和歌に通じており、&br;一族、家臣等で構成された和歌集団を千葉氏の本拠佐倉にちなみ、&br;佐倉歌壇と称され、しばしば歌会が開かれていた。| |香取神宮|Katori Jingu|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|下総国一宮(下総国で一番格の高い神社)。古来は、蝦夷に対する平定神して崇敬された。&br;また、武道・武術の神として武道者にも崇拝された。&br;室町時代、千葉氏と一時期対立し、社域に乱入、神領侵犯が行われた。| |南関東の灌漑|Irrigation of Southern Kanto|生産効率&color(green){+10%};|南関東は中世まで利根川等の川の氾濫により川の中下流部は湿地帯が広がっていた。&br;江戸以降、大規模な干拓・灌漑事業が行われ広大な耕地となった。| |水軍改革|Naval Reform|海軍士気&color(green){+15%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源回復速度&color(green){+15%};|| ***朝鮮(Korea)v1.29[#KOR] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|建造物コスト&color(green){-10%};|| |>|~|首都ノード交易力&color(green){+25%};|~| |ハングル文字|The Hangul Alphabet|技術コスト&color(green){-5%};|Ver1.29でスペルミス修正(Hanguel→Hangul)。平易に読み書きができるように作られた表音文字。&br;李氏朝鮮第4代国王・世宗によって考案・制定された。&br;この文字ができるまでは漢字による表記のみであった。| |経国大典|Grand Code for State Administration|安定度コスト&color(green){-10%};|李氏朝鮮時代の政治の基準になった法典。| |郷約|Hyang'yak System|生産効率&color(green){+10%};|元々は中国の郷村社会で道徳の実践と相互扶助をはかるために設けた規約。&br;十六世紀初頭に朝鮮にも導入された。| |亀甲船|Geobukseon|船舶の耐久力&color(green){+5%};|亀の甲羅のように甲板を防壁で覆った船。| |戸牌制|The Hopae System|人的資源&color(green){+10%};|家人の住所や職業、姓名を記したものである戸牌を門戸に掲げることによって、&br;人口管理を行う制度。| |奎章閣|The Kyujanggak|アイデアコスト&color(green){-10%};|李氏朝鮮時代の王立図書館。| |経済改革|Economic Reform|税収&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***長宗我部(Chosokabe)v1.25[#CSK] v1.24で専用NIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |一領具足|Ichiryo Gusoku|陸軍維持費&color(green){-5%};|一領具足は、長宗我部氏が行った農民への制度。&br;一言で言うと「半農半兵」の政策。&br;農民に開墾領地を与え、平時には農作業を行うが、&br;戦時には一領の具足(一揃いの武器と鎧)を携えて戦に召集する集団。&br;精強で忠誠心の高い軍として知られる。&br;土佐物語においては「死生知らずの野武士なり」と書かれている。| |土佐七雄|Seven Clans of Tosa|人的資源&color(green){+15%};|土佐七雄は、戦国期の土佐にいた有力な7つの豪族の総称。&br;土佐国は守護代として入国した細川氏の勢力であったが、&br;応仁の乱後の細川氏の衰退により、在地豪族が各々勢力を伸ばした。&br;長宗我部氏の他、本山氏、吉良氏、安芸氏、津野氏、香宗我部氏、大平氏を指す。| |四国の統一|Unification of Shikoku|侵略的拡大&color(green){-10%};|第21代長宗我部元親の時代には、四国を平定し、最盛期を誇った。| |百箇条|100 Article Code|規律&color(green){+5%};|長宗我部元親百箇条の事。長宗我部掟書とも。&br;第21代長宗我部元親及びその息子の22代盛親が1596年頃に発布した分国法。&br;内容は身分、財産、官職、訴訟、交通、軍事、文教等非常に多岐で、&br;武士庶民問わず規定した領国法と家法双方の性格を持つ。| |水軍の拡張|Expand the Navy|艦船関連コスト&color(green){-10%};|| |芸能の神|God of Arts|威信&color(green){+1/年};|長宗我部氏は秦氏の後裔と称しており、秦河勝を祖としている。&br;泰氏は古代の渡来民族で、秦の始皇帝の子孫の弓月君が日本に渡来が始まりとされている。&br;推古天皇の治世に登場した秦河勝は聖徳太子の側近として活躍しその地位を向上させ、&br;京都の広隆寺を建立したとされる。&br;秦氏は渡来人として大陸から文化・芸能・工芸に深く関与したとされ、&br;後世、秦河勝は芸能の神として信仰されている。| |寺社への支援|Support of the Temples|国教寛容度&color(green){+2};|上記の長宗我部元親百箇条の第1条及び第2条には社寺の崇敬や修復が書かれており、&br;寺社の復興に力を置いた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|船舶の耐久力&color(green){+5%};|| ***筒井(Tsutsui)v1.22[#TTI] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|要塞防御&color(green){+20%};|| |>|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~| |僧兵|Warrior Monks|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|筒井氏は大和国添下郡筒井を本拠とし、興福寺に属する僧兵から身を興したとされる。&br;興福寺は鎌倉以来、大和守護を務める。| |永享の乱の勝利|Winner of Eikyo Civil War|戦争疲弊&color(green){-0.02/月};|ここでいう永享の乱は関東で起こった永享の乱ではなく、大和永享の乱のこと。&br;大和永享の乱で北朝側の筒井氏は、南朝側の越智氏、箸尾氏と激しく争った。&br;筒井氏は一時は敗北するも幕府の介入もあり、10年に及ぶ戦乱の末、勝利を治めた。&br;なお、ゲーム上のテキストでは、越智氏と十市氏を破ったとあるが、&br;大和永享の乱では十市氏は筒井氏側に立っており、誤りである。| |春日大社|Kasuga Shrine|威信&color(green){+1/年};|二十二社(国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣を受ける二十二の神社)の一社。&br;世界遺産にも認定されている。興福寺との関係が深く、神仏習合が進むにつれ、&br;春日大社と興福寺は一体のものとなっていった。&br;室町期、大和国の国人衆は、興福寺の衆徒、もしくは春日大社の神人として組織された。| |山岳戦|Mountain Warfare|敵損耗&color(green){+1};|大和国の南部、吉野は極めて山が多く、攻めにくい。| |南の首都|The Southern Capital|正統性&color(green){+1/年};|日本では長く京都が首都であるが、その前は、&br;奈良市にある平城京が日本の首都であり、「奈良の都」と呼ばれる。| |賢明な日和見主義者|Wise Opportunists|侵略的拡大&color(green){-10%};|順慶の代、筒井氏は織田信長の家臣となり、明智光秀の与力大名となった。&br;1582年、本能寺の変が起こり続けて、山崎の戦いが起こった。&br;その際、順慶は明智・羽柴の双方から加勢を依頼されたが、&br;順慶は一度は明智側に従って山崎の南方にある洞ケ峠まで兵を進めながらも、&br;最終的にはどちらに付くか日和見をしたという伝説がある。&br;(実際は洞ヶ峠に着くことなく大和へと撤兵して中立を保った)&br;この伝説により、「洞ケ峠の順慶」といわれ、日和見主義の代名詞とされた。| |伝統と革新|Tradition and Innovation|アイデアコスト&color(green){-10%};|興福寺は、710年に藤原不比等により名付けられ、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。&br;大和国の荘園をほぼ握り、大和武士と僧兵等を擁した為、鎌倉以来、守護を置けず興福寺を守護とした。&br;筒井氏はこの大和武士より興った。&br;室町中期以降、荘園制崩界や相次ぐ兵火による消失で力を失っていき、&br;筒井氏はそれに乗じて独立、戦国大名への道を進んでいく。&br;それでも興福寺は太閤検地にて2万1000石余の知行を受け、&br;徳川の時代にも同一の知行を維持され、現代に至り、世界遺産に認定された。&br;古き伝統を持ちながら時代時代の新しき文化により生まれた文化財が多く残っている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|布教強度&color(green){+2%};|| ***土岐(Toki)v1.23[#TKI] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|| |>|~|守備兵増加速度&color(green){+20%};|~| |美濃源氏|Genji of Mino|移動速度&color(green){+15%};|美濃源氏は、中世に美濃国に土着し本拠とした清和源氏の流れを汲む一族の呼称。&br;清和源氏の嫡流である源頼光、頼国親子が美濃守を受領した事が美濃源氏の端緒であり、&br;頼国の曽孫光信のときに美濃国土岐郡土岐郷に居住して、土岐氏を名乗った。| |蘭奢待|Ranjatai|威信&color(green){+1/年};|蘭奢待(らんじゃたい)は、東大寺正倉院に収蔵されている香木。天下第一の名香と謳われる。&br;権力者にとって非常に重宝された。ごくわずかの人のみ朝廷に蘭奢待の切り取りを許された。&br;土岐氏では、13代当主頼武が朝廷に蘭奢待の切り取りを申請、許可されている。| |桔梗の旗|Banner of Bellflower|人的資源&color(green){+15%};|桔梗紋のこと。&br;桔梗は「吉更=さらに吉」の草木として尊ばれ、美濃の土岐一族を代表する紋である。&br;有事の際はこの旗の下に美濃各地の土岐一族が結集したため「桔梗一揆」と恐れられた。| |要衝の城|Strategic Castles|要塞防御&color(green){+5%};|稲葉山城を指す。稲葉山城は、土岐氏の重臣斎藤氏の本城となる。&br;金華山(稲葉山)の山頂に位置する山城であり、堅城で知られる。&br;また、この地は西南北の周辺地域や諸国へと至る&br;主要街道の基点が重なり、流通・往来の主軸であった長良川の扇状地帯である。&br;結果、水運、陸運の結節点となっており、美濃国内外の制御をするに重要な拠点となっている。&br;なお、稲葉山城は後に斎藤道三から始まる美濃斎藤氏の本拠となり、&br;織田信長の美濃平定後は破却され、改めて岐阜城を建築している。&br;ただ、歴代のこの城の持ち主はあまりいい目にあっていない。| |~|~|守備兵数&color(green){+25%};|~| |荘園の横領|Peculation of Estates|税収&color(green){+10%};|土岐氏の重臣斎藤妙椿(1411~1480)は応仁の乱時、&br;貴族の荘園(私有地)や国衙領(公領、国有地)を横領し、美濃国内を統一した。| |伝統に対する革新|Innovation Over Tradition|アイデアコスト&color(green){-10%};|応仁の乱以後、幕府の権威は地に落ち寺社や管領、守護といった権勢を振るった勢力は、&br;長い権力闘争や荘園制崩界により衰微していった。&br;それにより、守護代や下級身分の者が主家を倒す下剋上が起こり、&br;旧権力体制に従わない独自に領国内を統治する戦国大名が出現する。&br;土岐氏も例外ではなく、一族同士の内訌、権力闘争により衰退し、&br;一介の油売りであったとされる斎藤道三に下剋上され、当主頼芸は美濃国を追放、&br;美濃国守護土岐氏は大名として滅亡することとなる。&br;v1.23で名前がちょびっとだけ変更(over→Over)された。| |氾濫の制御|Flood Control|交易品生産量&color(green){+10%};|美濃には、木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川が流れており、&br;下流部で合流・分流を繰り返し、たびたび水害を起こしていた。&br;その為、江戸時代以降何度となく改修が行われてきた。&br;1754年に木曽三川の分流を目的とする治水工事、宝暦治水が有名。&br;%%土岐氏全く関係ないとか言ってはいけない%%| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|連隊雇用コスト&color(green){-10%};|| ***徳川(Tokugawa)v1.24[#TKG] v1.24で1444GC開始時から選択できるようになり、合わせて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|侵略的拡大&color(green){-10%};|~| |三河武士|Mikawa Bushi|陸軍士気&color(green){+10%};|三河武士は松平氏や徳川氏に仕えた三河国出身の家臣の総称。&br;一般的に非常に精強で忠誠心が強いとされる。&br;有名な所では本多忠勝や榊原康政、鳥居元忠など。&br;また、%%非常にめんどくさい%%頑固であるとも言われ、君主に意見を曲げず諫言を行う等のエピソードも多い。&br;そちら方面では「鬼作左」こと本多重次などが代表格。| | 関所網の強化|Strengthen the Sekisho Network|諜報網構築力&color(green){+20%};|関所は、戦国時代に織田信長や豊臣秀吉により廃止されたが、&br;江戸幕府が開かれると再度配置された。&br;江戸期の関所政策は「入鉄炮出女」と呼ばれ、江戸に持ち込まれる鉄砲「入鉄砲」と、&br;江戸を出る女「出女」を取り締まった。| |旗本|Hatamoto|規律&color(green){+5%};|旗本は元々は、主君の軍旗を守る近衛兵のような武士団のことで、&br;信頼された直属の家臣であった。&br;江戸期に入ると将軍家直属の家臣の内、石高が1万石未満で将軍に拝謁出来る家格のものを指す。&br;通常、旗本といえばこちらを指す。&br;ものすごくざっくり言うと将軍と直接主従関係がある人の中で&br;1万石以上の領主が大名、&br;1万石未満だけど将軍と直接会える人は旗本、&br;1万石未満で将軍と直接会えない人は御家人である。&br;その数は「旗本八万騎」と呼ばれるが、これは御家人や陪臣含めた数と言われている。&br;旗本だけだと5千強くらいだったと言われる。| |目付|Metsuke|安定度コスト&color(green){-10%};|目付とは職名の1つで、簡単に言うと監察官である。&br;現代でもある人物が悪い事をしないように見張ったり監督したりする人を&br;「お目付け役」なんて言ったりするよね。| |松平分家|Matsudaira Branches|自治度変化&color(green){-0.05/月};|松平は元々は徳川家康が改姓する前の姓氏。&br;非常に多くの分家があり「十八松平」や「十四松平」と呼ばれ宗家松平氏(徳川氏)を支えた。&br;なお、松平のアクセントは「ま【つだ】いら」ではなく&br;「【ま】つだいら」と頭高に置くのが正しいとされているが、&br;子孫の中にはどうでもいいという人もいるようだ。| |東照宮|Toshogu|国教寛容度&color(green){+2};|東照宮とは江戸幕府を開いた徳川家康を神格化した&br;東照大権現を祀る神社のこと。&br;日光東照宮が思いつくかもしれないが、&br;あくまで東照宮の一つで全国各地にあり、&br;現存で約130社ほどある。&br;先に挙げた総本宮で霊廟がある日光東照宮と、&br;家康の遺言に従い造成された最初の東照宮である久能山東照宮が有名。| |飢饉対策|Famine Policies|不穏度&color(green){-1};|江戸時代はしばしば大飢饉が起こっており、多数の餓死者を出したとされる。&br;幕府も様々な飢饉対策を行っており、&br;八代将軍徳川吉宗にて奨励された&br;代用食物の甘藷(サツマイモ)栽培の奨励が有名な対策である。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|開発コスト&color(green){-10%};|| ***南部(Nanbu)v1.23[#RFR] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|建造物コスト&color(green){-10%};|| |>|~|規律&color(green){+5%};|~| |北部の源氏|Genji in the North|陸軍士気&color(green){+10%};|南部氏は甲斐源氏の分家であり、&br;新羅三郎源義光の曾孫にあたる光行が1189年の奥州征伐に従軍し、&br;その功績によって源頼朝より糠部(ぬかのべ)五郡、南部の地を賜わり、南部氏と称した。| |「9つの門」の所有者|Owner of the 'Nine Gates'|騎兵コスト&color(green){-10%};|ここでいう「9つの門」は九戸を指す。南部氏の領有である糠部(ぬかのぶ)郡は&br;古来アイヌから守るため、四角な柵を設け、&br;東西南北に四つの門をつけ番人をおいた。&br;その後、この囲いで馬を育てたため、木戸(門)に一から九戸まで、番号をつけ、&br;一戸に一牧場を置く「九戸四門」の制とした。&br;糠部郡で育てられた馬は南部馬と呼ばれ、名馬の産地として有名となった。&br;なお四戸以外は、地名として現存する。| |京都との関係|Connection With Kyoto|外交官&color(green){+1};|v1.23で名前が地味に修正(with→With)された。&br;%%こっちよりChosonjiを修正して頂きたい。%%| |反抗的属国の失脚|Downfall of Rebellious Vassals|不穏度&color(green){-1};|南部氏は度々自身の家臣や庶子に反乱を起こされている。&br;津軽地方を横領した津軽為信や、&br;宗家に叛意を持ち九戸政実の乱を起こした九戸政実などが挙げられる。| |中央集権化改革|Centralization Reform|税収&color(green){+10%};|戦国時代、南部氏の本拠は三戸城や九戸城であったが、&br;南部領の統治には北にありすぎた為、不来方(こずかた)の地を本拠に移し、不来方城を改築、&br;地名を盛岡に改め、中心とした。| |中尊寺|Chosonji Temple|白兵ダメージ&color(green){+10%};|岩手県平泉にある天台宗東北大本山の寺院。世界遺産に認定されている。&br;奥州藤原氏により建立、当時の文化、繁栄を象徴する建造物であり、金色堂が有名。&br;なお、「Chosonji Temple」とあるが、「Chusonji Temple」の誤りと思われる。| |飢饉の打破|Defeating the Famines|開発コスト&color(green){-10%};&br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};|東北地方は古来より夏季に冷たい北東風「ヤマセ」よる冷害や&br;豪雪等で作物(特に米)が被害を受け、凶作、飢饉が度々起こる地域である。&br;南部盛岡藩では、江戸時代に大小あわせて94回、凶作や飢饉に見舞われてる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|生産効率&color(green){+10%};|| ***日本(Japan)v1.22[#JAP] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|安定度コスト&color(green){-10%};|| |>|~|規律&color(green){+5%};|~| |天皇の下の統一|Unification under the Emperor|不穏度&color(green){-2};|| |土地所有改革|Reformed Land Holding|人的資源&color(green){+20%};|明治政府による1873年の地租改正のこと。&br;はじめて農民個々人による土地私有が定められ、納税形態も村単位の米納から個人単位の金納となった。&br;また同年に本格的な徴兵令が施行されたが、&br;地租改正も徴兵令も1871年に壬申戸籍が編成されたことにより実現したものだった。| |近代化|Modernization|技術コスト&color(green){-5%};|明治政府は西洋技術を取り入れて積極的な富国強兵政策を進め、急速な近代化に成功した。| |~|~|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| |海の遺産|Maritime Legacy|船舶の耐久力&color(green){+10%};|古くから海洋立国だった日本は海軍の増強に尽力し、清やロシアとの海戦で勝利した。| |日出ずる処|Land of the Rising Sun|威信&color(green){+1/年};|「日出づる処」は日本を指す呼び名。&br;607年、第2回遣隋使として小野妹子が隋の煬帝に宛てた国書を持って派遣された。&br;その国書は「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」と書き出されていた。&br;「日出づる処」は日本を、「日没する処」は中国を指す。| |開拓団|Kaitakudan|植民地人口増&color(green){+20};|江戸時代まで完全な支配が及んでいなかった北海道に開拓使が置かれ、旧士族や屯田兵の入植が進められた。| |列強外交|Great Power Diplomacy|侵略的拡大&color(green){-15%};|日清・日露戦争の勝利で列強入りした日本は、他の大国の注意をそらしながら東アジアで勢力を伸ばした。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵戦闘力&color(green){+15%};|| ***畠山(Hatakeyama)v1.22[#HTK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|人的資源&color(green){+20%};|~| |管領候補|Kanrei Candidate|威信&color(green){+1/年};|管領は室町幕府の将軍に次ぐ地位であり、&br;足利氏一門である斯波氏、細川氏、畠山氏(三管領)から交代で任じられた。| |不屈将軍|Indomitable Generals|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| |高野山|Mount Koya|国教寛容度&color(green){+1};|和歌山県北部に位置し、空海(弘法大師)が修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つ。&br;山内には真言宗総本山の金剛峯寺など多数の寺院が存在する。| |~|~|後継者誕生確率&color(green){+50%};|~| |畠山郎党|Hatakeyama Retainers|顧問コスト&color(green){-10%};|| |若江城|Wakae Castle|自治度変化&color(green){-0.05/月};|畠山氏の河内経営の拠点。河内守護代である遊佐氏が代々城主となった。| |一族統一|Unify the Clan|正統性&color(green){+1/年};|畠山家は多数の分家が存在している。&br;特に畠山義就と畠山政長による家督争いは応仁の乱の一因といわれ、&br;乱後も義就の流れを組む総州家と政長の流れを組む尾州家は内紛を続け、畠山氏は以後衰退していく。| |雑賀衆|Saika-shu|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|雑賀衆は、紀伊国の雑賀郷を中心とした地侍の集団で、&br;女性や子供も鉄砲を扱えたとされる鉄砲傭兵の集団として知られる。&br;応仁の乱後より畠山氏に仕え、各地を転戦した。&br;雑賀衆の中で最も有名であろう鈴木氏の棟梁は「孫一(孫市)」の名を名乗ったとされ、&br;日本で初めて鉄砲により討死したとされる三好実休義賢(長慶の弟)を討ち取った重意や、&br;信長時代の重秀(大抵のゲームの孫市はこの重秀である)、&br;関ヶ原の戦いの前段である伏見城の戦いにて鳥居元忠を討ち取り、後に伊達家や水戸徳川家へ仕えた重朝が有名。&br;ただし、重意と重秀は史料が乏しく講談や軍記物からの出典が多いため、存在自体も疑いがあり、現在でも謎が多い。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| ***北条(Hojo)v1.24[#HJO] v1.24で専用NIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|開発コスト&color(green){-10%};|| |>|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~| |鎌倉幕府の遺産|Legacy of the Kamakura Shogunate|正統性&color(green){+1/年};|鎌倉幕府は12世紀後半に鎌倉で興った武家政権。&br;源頼朝が平氏の政権を打ち倒して設立した。&br;すぐに嫡流が断絶し、その後執権の北条氏が支配者となった。&br;戦国期の北条氏は元々伊勢氏であり、&br;2代北条氏綱の時代に北条に改姓した。&br;相模国主としての正統性を得るために継承したと言われている。&br;鎌倉時代の北条氏とほぼ関連がないので、明確的に区別する為、&br;戦国期の伊勢北条氏はしばしば後北条氏と呼ばれる。| |夜戦|Night Combat|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|河越夜戦を指す。日本三大奇襲戦の1つ。&br;1546年に北条軍が山内・扇ヶ谷両上杉と古河公方を相手に10倍もの兵力差を覆して勝利し、&br;関東南西部の勢力圏を決定づけた。&br;川越城に籠城中に第3代北条氏康自らが夜戦を仕掛け、&br;扇ヶ谷上杉当主上杉朝定他有力武将を何名も討死させ、潰走させた。&br;ただ史料が少なく否定的な説もある。| |統治改革|Reform the Administration|アイデアコスト&color(green){-10%};|北条氏は早くから伝馬制を復活させるなど、&br;内政で評価の高い武家である。| |徳政|Tokusei|不穏度&color(green){-1};|徳政は為政者の代替わりや天災の際に行われる貧民への救済政策や訴訟処理等の政策のこと。&br;徳政令は徳政の政策の一つで厳密にはイコールではない。&br;北条氏では第3代北条氏康が永禄三年(1560年)の徳政令が有名。| |北条の城|Castles of the Hojo|要塞防御&color(green){+20%};|北条氏の拠点小田原城を指す。相模小田原の地に建造された城。&br;特徴は城を堀や土塁で囲む外郭を持った惣構である。&br;小田原城の総構は日本の中でも長大で全長9kmあり、難攻不落とされた。&br;武田氏や上杉氏が小田原城を包囲したが、落すことができず退却している。&br;1590年の小田原征伐でも豊臣軍相手に籠城したが、降伏している。| |関東の統一|Unification of Kanto|人的資源&color(green){+15%};|北条氏の最盛期を築いた第4代北条氏政の時代には、&br;関東全域に近い勢力を誇り、関八州の覇者と称された。| |小田原評定|Council in Odawara|君主と同一文化の顧問コスト&color(green){-15%};|小田原評定は北条氏の重臣会議。&br;月2回開かれ、評定衆による合議により諸事を決定した。&br;なお、現代では故事成語として使われることが多く、&br;「結論の出ない会議」という意味であまりよい意味ではない。&br;これは豊臣氏による小田原征伐の際に「籠城か出撃か」「降伏か決戦か」の主張が分かれ、&br;いつまで経っても決まらなかったことからとされる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源回復速度&color(green){+15%};|| ***細川(Hosokawa)v1.22[#HSK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|ガレー戦闘力&color(green){+20%};|~| |管領|Kanrei|正統性&color(green){+1/年};|管領は室町幕府の将軍に次ぐ地位であり、&br;足利氏一門である斯波氏、細川氏、畠山氏(三管領)から交代で任じられた。| |分家と郎党|Branches and Retainers|不穏度&color(green){-1};|細川氏は近畿や四国を中心に多くの分家と、国ごとの国衆を傘下に持っていた。&br;他家がお家争いで没落していく中、細川家は一族の結束を保ち、&br;これによって応仁の乱以後、ほとんど幕政を独占することとなる。| |堺町|Sakai City|国外ノードにおける交易力&color(green){+10%};|堺は室町頃より日本最大の貿易港となり、&br;その富によりどの勢力も手をだせなくなり、事実上自由都市となった。&br;堺を自治する組織は会合衆とよばれ、メンバーは豪商であった。| |東軍|The Eastern Army|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|応仁の乱において、当時の細川家当主細川勝元は、東軍の中心的人物となって山名持豊と激しく争った。| |足軽|Ashigaru|人的資源&color(green){+20%};|日本の歩兵のこと。応仁の乱から、武者に代わって戦場の主役となっていった。| |山伏|Yamabushi|諜報網構築力&color(green){+20%};|山中で修行をする修験道の行者のこと。&br;当主の細川政元は修験道に凝り奇行で有名だったが、一方で山伏を使い各地の情報を集めていたとも言われている。| |宝暦の改革|Horeki Reform|開発コスト&color(green){-10%};&br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};|肥後熊本藩6代藩主細川重賢(1721~1785)主導で行われた改革。&br;当時熊本藩は財政が窮乏しており、藩財政改革が可及であった。&br;質素倹約、殖産興業など数々の経済施策を行い、また、教育や司法制度の革新も行った。&br;結果、藩財政は好転し、当時の藩政改革モデルの一つとなった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| ***苗(Miao)v1.22[#CMI] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|要塞維持費&color(green){-10%};|| |>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~| |魂の生贄|Sacrificing to the Spirits|国教寛容度&color(green){+2};|苗(ミャオ)族は、すべてのものに霊魂や生命が宿ると信じ、祖先の祭祀を怠らない。&br;新年を迎える際は、酒や肉、米などを祖先に捧げる風習がある。&br;また、鼓社祭と称される祖霊の祭りでは、牛や豚、鶏を生贄に捧げる儀式が行われる。| |龍舟節|Dragon Boat Festivals|不穏度&color(green){-1};|龍舟節は、毎年端午節(農暦の5月5日)に行われる祭りのこと。&br;祭りの中で、龍舟と呼ばれる龍を模した舟を使用し、清水江で競う「龍舟競渡」が有名である。| |部族の統一|Unity of the Tribes|陸軍士気&color(green){+10%};|苗族は、貴州省を始め中国南部やインドシナ半島に広く分布しており、&br;赫蒙(モン)族、黎(リー)族、瑶(ヤオ)族等と交わりながら多くの支族ができた。&br;支族は、女性の服装や文様で区別され、紅苗、青苗、黒苗、白苗などと呼ばれる。| |苗族の銀|Miao Silver|威信&color(green){+1/年};|苗族の民族衣装は、銀飾は有名で、特に女性は&br;頭飾り、首飾り、腰飾り、手飾り、指輪やブレスレットからペンダントなどまでと全身を銀で着飾る。&br;銀の装身具は美の象徴であり、また豊かさと高貴な身分をも象徴する。&br;親は娘のために私財を投げ打って銀の装身具一式を揃え、それを嫁入り道具として持たせる。&br;よって、苗族の村には必ず銀匠がおり、伝統と高い技術力を持っている。| |慣習的な結婚規則|Customary Marriage Laws|安定度コスト&color(green){-10%};|苗族中には、同族同士で結婚してはならなかったり、同族以外の結婚を禁ずる慣習があった。&br;また、祭りの中には、自由恋愛の場であったりして、若い男女が「遊方」、&br;日本で言う「歌垣」、恋歌を掛け合うといった風習もある。&br;また、早婚や略奪婚といった慣習も残っている。| |山への潜伏|Mountain Retreats|敵損耗&color(green){+1};|| |苗族反乱の遺産|Legacy of the Miao Rebellions|戦闘で得る陸軍伝統&color(green){+50%};|苗族は、古代の中国王朝から間接統治を受けていたが、度々王朝に対し、反乱を起こしている。&br;清の時代には「雍乾蜂起」、「乾嘉蜂起 」、 「咸同蜂起」と3度の大乱を起こしている。&br;この3度の蜂起は60年ごとであった為、&br;苗族には「三十年一小反、六十年一大反」という諺がある。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+15%};|| ***明(Ming)v1.22[#MNG] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|要塞維持費&color(green){-20%};|| |>|~|アイデアコスト&color(green){-10%};|~| |万里の長城の九辺鎮|Nine Garrisons of the Great Wall|要塞防御&color(green){+5%};|中国王朝は何度も修復を繰り返したが、&br;明代に大規模かつ堅固に修復され、現代に残る形となった。| |~|~|守備兵数&color(green){+25%};|~| |三大営の復活|Revive the Three Grand Divisions|規律&color(green){+5%};|京営は明の中央守備軍。各地域の守備軍から選抜された。&br;永楽帝の時代に五軍営、三千営、神機営の三大営を京営とした。&br;1449年土木の変で壊滅したため、1451年に兵部尚書・于謙の手で再編成された。| |内的爛熟|Inward Perfection|安定度コスト&color(green){-10%};|元を滅ぼし久々に漢民族王朝を復興した明のもとで、&br;儒教の新しい流れが作られ、漢籍の百科全書「永楽大典」が成立し、&br;景徳鎮磁器が黄金期を迎えるなど、漢文化は爛熟期を迎えた。| |黄河の治水|Repair the Yellow River Dykes|生産効率&color(green){+10%};|潘季馴の提唱により、複数に分かれていた黄河の流れを一本化して土砂を押し流す束流攻砂が行われた。| |塩の専売の復元|Restore the Salt Monopoly|交易効率&color(green){+10%};|開中法に基づき、明代を通して塩の専売が行われた。| |一条鞭法|Single Whip Law|税収&color(green){+10%};|16世紀末に張居正によって一条鞭法が施行され、人頭税と地税が銀納で一本化された。| |紅夷砲|The Red Cannon|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};|袁崇煥や呉三桂は、ポルトガルから取り寄せた最新式の大砲を遼寧城や山海関に配備し、後金(清)の大軍を防ぎ続けた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|関係改善&color(green){+30%};|| ***毛利(Mori)v1.24[#MRI] v1.24で専用NIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|外交官&color(green){+1};|| |>|~|海軍伝統&color(green){+1/年};|~| |大江広元の子孫|Descendants of Oe Hiromoto|統治技術コスト&color(green){-10%};|毛利氏は大江広元を祖とする。&br;大江広元は元は下級貴族であったが、&br;源頼朝の側近となり、鎌倉幕府の政所初代別当を務め、&br;鎌倉幕府創設に大きく貢献した。&br;その後も、執権北条体制の確立にも大きく貢献しており、初期鎌倉幕府の重鎮である。| |国人一揆の指導者|Leader of Kokujin Ikki|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|室町初期より大きく安芸国に勢力を誇った大内氏や守護代安芸武田氏に対抗すべく、&br;しばしば安芸の国人衆は団結し一揆の契状を結んだが、&br;その中心的存在が毛利氏であった。| |外交の陰謀|Diplomatic Intrigues|外交枠&color(green){+1};|毛利氏の最盛期を築き、安芸の小領主から一代で中国地方の覇者となった毛利元就は、&br;希代の謀将「謀神」と呼ばれる。&br;特に大内氏を簒奪した陶晴賢との合戦厳島の戦いは、&br;流布による有力家臣の粛清、偽りの家臣内通、情報操作等謀略の限りを尽くし、&br;厳島に誘い込み陶晴賢を討ち取った。&br;「謀多きは勝ち、少なきは負ける」と息子へ訓戒したとされる。| |三本の矢|Three Arrows|自治度変化&color(green){-0.05/月};|毛利元就が3人の子供に伝えたとされる逸話。&br;矢は1本では簡単に折れるが、3本束ねると折ろうとしても簡単には折れない。&br;同じように一族も結束して強靭に生きよと説く教訓。&br;なお、本逸話は創作とされていて、元ネタは元就が3人の子に書いた「三子教訓状」と言われる。| |広島|Hiroshima|開発コスト&color(green){-10%};|広島城の事を指す。&br;戦国末期に毛利輝元が近世城郭の重要性を感じ、築いたとされる。&br;その際に建立した地を広島と命名したとされる。&br;その後すぐに関ヶ原の戦いがあり、広島の地は毛利氏から福島氏に代わり、改築された。&br;すぐに福島氏も改易され、以降明治まで浅野氏の居城となる。&br;明治以降も多くが残っていたが、太平洋戦争末期に消失した。| |厳島|Itsukushima|船舶の耐久力&color(green){+5%};|厳島神社の事。安芸国一宮(安芸国で最も社格の高い神社)。&br;広島湾に浮かぶ厳島(宮島)に建立されている。&br;日本三景の1つであり、世界遺産でもある。&br;毛利元就は厳島神社を深く信仰していたとされる。&br;また、日本三大奇襲戦の1つ、厳島の戦いの舞台となった。| |萩焼|Hagi Ware|威信&color(green){+1/年};|現在の山口県萩市一帯で焼かれる陶器。&br;「一楽二萩三唐津」と謳われるほど、茶人が好んだ器とされる。&br;特徴は器の表面の釉薬がひび割れたような状態になる「貫入」と、&br;そのひびから使い込むと器表面の色が変化する「七化け」。&br;毛利輝元にて朝鮮人陶工の兄弟が萩城下で御用窯を築いた事が始まりとされる。&br;現代では萩焼の技術は無形文化財に指定されている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};|| ***山名(Yamana)v1.23[#YMN] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+20%};|| |>|~|外交評判&color(green){+1};|~| |新田氏の末裔|Descendant of Nitta|外交官&color(green){+1};|山名氏は、清和源氏の支流である新田義重の子義範が&br;上野国田胡郡山名に住し、山名氏を称したことに始まる。&br;なお、新田氏と室町幕府を興した足利氏はライバル関係にあった。| |最高の守護|Grand Shugo|コア化コスト&color(green){-10%};|山名氏は、室町3代将軍義満の時代、全国66国の内、&br;但馬、丹波など計11国の守護職を山名一族が占め、「六分一殿」と呼ばれ、山名氏最盛期を築いた。&br;その義満によって没落するも、嘉吉の乱で山名持豊が功績を立てると、&br;山名氏は十箇国の守護を得て、再度盛り返した。| |継承問題の調停|Mediate Succession Disputes|外交枠&color(green){+1};|山名持豊は、様々なお家争いにおいて片方の後継者候補を支援した。&br;こうした行動が、室町幕府内で宗全派閥といえる集団を作り、&br;のちに応仁の乱が拡大する原因となった。| |西軍|The Western Army|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|この西軍は、応仁の乱時の東軍西軍の意味。&br;12代当主宗全持豊は、応仁の乱の西軍総大将であり、東軍総大将である細川勝元と激しく争った。| |東林院の取得|Acquisition of Torin'in|威信&color(green){+1/年};|東林院は京都市にある妙心寺の塔頭の一つ。&br;樹齢300年の沙羅双樹の銘木で知られる。通称は沙羅双樹の寺。&br;元々、細川氏綱が養父細川高国の菩提を弔うために建立した三友院が起源。&br;その後、山名豊国が開基となり、寺基を妙心寺山内に移して再興、「東林院」と改名した。&br;以来、細川氏の菩提寺から山名氏の菩提寺となった。&br;v1.23で名前のスペルミス(Aquisition)は修正された。| |孤立した中心地|Isolated Heartland|要塞防御&color(green){+20%};|山名氏の本拠である但馬国及び因幡国は、周りを山に囲まれた国であり、&br;ある種周辺から孤立した地域であった。| |山名分家の再統一|Reunification of the Yamana Branches|不穏度&color(green){-1};|山名氏は、応仁の乱でも宗全の息子が東軍に付くなどしていたが、&br;応仁の乱以後分家が事実上の独立状態になっていった。&br;戦国期の但馬守護・祐豊によって但馬・因幡守護両家の統一が図られたが、&br;毛利と織田の侵攻を前に頓挫、織田家に降伏した。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***琉球(Ryukyu)v1.22[#RYU] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|外交評判&color(green){+1};|| |>|~|交易誘導&color(green){+20%};|~| |中華の冊封|Chinese Investiture|侵略的拡大&color(green){-25%};|琉球国王は成立以来、代々中国に朝貢し皇帝から「琉球王」に封じられた。| |琉球宗教の改革|Reform the Ryukyuan Religion|不穏度&color(green){-1};|琉球には古来より最高神職(巫女)として「聞得大君」が存在したが、&br;16世紀の尚真王の時代に王の妹が聞得大君に任ぜられ、以後王権の統制下に入った。| |首里城|Shuri Castle|威信&color(green){+1/年};|14世紀末に建造されたといわれる琉球の首城。世界遺産。| |海上貿易|Maritime Commercialism|交易範囲&color(green){+33%};|琉球は15世紀以降、中国・日本・東南アジア・西洋諸国との中継貿易を行うことで大いに繁栄した。| |朱印船の許可|Sign Trade Agreements|交易効率&color(green){+10%};|| |国学|National Academy|技術コスト&color(green){-5%};|1798年に設立された琉球王国の最高学府。| |琉球三山|The Three Mountains|指揮官雇用枠&color(green){+1};|琉球王国成立以前の分裂時代、中山・山北(北山)・山南(南山)の3国を指す。&br;1429年に統一され琉球王国が成立する。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|威信自然減&color(green){-1%};|| **グループNI [#c6437f3b] 特定の集団に属する勢力に対して適用されるNI ***大名(Daimyo)v1.22[#Daimyo] 政治形態が大名(Daimyo)の国家に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍扶養限界&color(green){+25%};|| |>|~|諜報網構築力&color(green){+20%};|~| |武士道|Bushido|規律&color(green){+5%};|| |文武両道|The Bun and the Bu|アイデアコスト&color(green){-10%};|| |祖先の名誉|Honor the ancestors|正統性&color(green){+1/年};|| |五輪の書|The Five Rings|陸軍士気&color(green){+10%};|宮本武蔵の著作。| |さすらう浪人|Wandering Ronin|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|特定の大名に仕えない武士である浪人は、戦国時代には大名や都市、一揆の傭兵になった。| |大名軍|Armies of the Daimyo|人的資源&color(green){+25%};|| |名誉ある死|Honor unto Death|威信&color(green){+1/年};|中世~江戸の武士階層において切腹は最期の死に様を見せる場として尊ばれた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| ***中国(Chinese)v1.22[#Chinese] 主要文化が中国グループか、長生国(Changsheng)の場合に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源回復速度&color(green){+10%};|| |>|~|統治技術コスト&color(green){-5%};|~| |科挙試験|The Keju Examination|雇用可能顧問&color(green){+1};|科挙とは官僚登用試験のこと。競争率は非常に高く、非常に難関。| |士大夫|Scholar Gentry|安定度コスト&color(green){-10%};|士大夫は当時の階級を表す1つで、「官僚・地主・商人の三位一体」とされる。| |4階級の秩序|Order of the Four Occupations|生産効率&color(green){+10%};|ここでいう4階級は、「士大夫」、「農民」、「職人」、「商人」。| |儀礼と礼儀の国|Nation of Rites and Etiquettes|威信&color(green){+1/年};|| |火器の練習|Firearm Training|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|火薬は、中国が発明したもの。| |天子|Son of Heaven|正統性&color(green){+1/年};|天子とは、古来中国の皇帝の称号。漢字の通り、天(天帝)の子を意味する。&br;古代より中国では、「天帝がその子として王を認め王位は家系によって継承されていく。&br;王家が徳を失えば新たな家系が天命(Mandate of Heaven)により定まる」&br;という思想で皇帝は権威を持っていた。&br;王朝の交代は、新たな徳を備えた一族が新王朝を立てる(姓が易わる)為、&br;王朝交代時の革命は「易姓革命」と呼ばれる。&br;為政者の交代は、日本では、「血統の断絶」(例:江戸時代の嗣子がいないことによる改易)に対し、&br;中国は「徳の断絶」が根拠となっていた。| |中国|Middle Kingdom|外交評判&color(green){+1};|「中国」は、世界の中心の国という意味で、いわゆる「中華思想」に基づくものである。&br;ちなみに英語名の「China」は古代中国の王朝の「秦(しん)」が由来とされている。&br;「china(小文字)」は陶器という意味も持ち、中国製の陶器がヨーロッパで輸入され広まった際に&br;そのまま中国を意味するchinaが使われた。&br;また、同様に秦を由来とするサンスクリット語の名称が中国に逆輸入され、「支那」という別名が生まれた(現在の中国では蔑称とされるが、元々中立的な単語で蔑称の意味はない。台湾や香港では中国を指す単語として現在も使用されている。)。&br;現代中国では、外名の「china」という呼び名が気に食わない人もいるようで、&br;「中国の英語表記を従来のChinaではなくZhongguo(中国の中国語発音・ジョングオ)にすべきだ」&br;という論説が発表されて賛否両論だったらしい。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+25%};|| //japanが漆器の名前なのは俗説とも言われ、確証が無いので記載を削除 //日本でもNipponに変えろと主張する人が一部存在するので記載を削除 *タタール [#Tartary] |CENTER:20|>|>|>|>|CENTER:|c |~各国NI|~東シベリア||||| |~|~西シベリア||||| |~|~満州|[[女真(Jurchen)>#MJZ]]|[[満州(Manchu)>#MCH]]||| |~|~モンゴル|[[オイラト(Oirat)>#OIR]]|[[チャガタイ(Chagatai)>#CHG]]|[[モンゴル(Mongolia)>#KHA]]|| |~|~チベット||||| |~|~中央アジア|[[トランスオクシアナ(Transoxiana)>#TRS]]|[[ヒヴァ(Khiva)>#KHI]]|[[ヤルカンド=ハン(Yarkand)>#KAS]]|| |>|~グループNI|[[エヴェンキ(Evenk)>#Evenk]]|[[シベリア(Siberian)>#Siberian]]|[[チベット(Tibetan)>#TIB]]|[[遊牧民(Horde)>#Horde]]| **各国NI [#ob9d8de7] ***オイラト(Oirat)v1.29[#OIR] Ver1.29にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|| |>|~|コア化コスト&color(green){-20%};|~| |土木の変で恐れられた戦士|Fearsome Warriors of Tumu|騎兵コスト&color(green){-10%};|土木の変は1449年にオイラトのエセン=ハンが明の正統帝を捕虜にした戦い。&br;明の弱体化の始まりとなったきっかけの一つとされる。| |~|~|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|~| |草原の戦士の生き様|Life of the Steppe Warrior|陸軍損耗&color(green){-20%};|遊牧民(Horde)アイデアと同一のアイデア。| |四オイラト|The Four Oirats|正統性&color(green){+1/年};|四(ドルベン)オイラトはオイラトを構成した主要4部族の総称。&br;時代によって部族名が異なるのだが、&br;ゲーム上ではジュンガル(Dzungars)(またはチョロース、Choros)、トルグート(Torghut)、&br;ドルベト(Dörbet)、ホシュート(Khoshut)と説明されている。| |~|~|遊牧民の結束&color(green){+1/年};|~| |トド文字|Todo Besheg Script|技術コスト&color(green){-5%};|1648年にザヤ・パンディタ(Zaya Pandita)がオイラト語の表記のため、&br;モンゴル文字を改良して作った文字。オイラト文字とも。| |大ハンの遺産|Legacy of the Great Khan|侵略的拡大&color(green){-15%};|大ハンはチンギス・ハンのこと。| |ジュンガルの抵抗|Defiance of the Dzungars|人的資源回復速度&color(green){+15%};|ジュンガル(Dzungars)はオイラトの主要部族の1つ。&br;後に遊牧民最後の帝国となるジュンガル帝国を建国する。| |~|~|規律&color(green){+5%};|~| |征服の栄光|Glory of Conquest|人的資源&color(green){+25%};|遊牧民(Horde)アイデアと同一のアイデア。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| ***女真(Jurchen)v1.29[#MJZ] Ver1.29にて満州/清とNIが分離し、新規に追加された。 全て新規のアイデア。対象はVer1.29から追加された2国家含めた女真族の国家に適用。 詳細に書くと建州女真(Jianzhou)、海西女真(Haixi)、兀狄哈(ウディゲ)女真(Udege)、野人女真(Yeren)、東海女真(Donghai)の5国家に適用。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|人的資源&color(green){+15%};|~| |山の子孫|Sons of the Mountain|敵損耗&color(green){+1};|ここでいう山は白頭山を指す。女真族にとって白頭山は聖地である。&br;清朝の皇室である愛新覚羅氏の祖は、&br;ブクリ山(白頭山のこと)で水浴びをしていた娘が、&br;天の神の使いのカササギが運んできた赤い実を食べ、&br;それによって妊娠して生まれた子とされている。| |弁髪|The Queue|不穏度&color(green){-1};|弁髪(べんぱつ、辮髪とも)は東アジアの北方遊牧民族の男性の髪型。&br;頭髪を一部を残して剃りあげ、&br;残りの毛髪を伸ばして三編みにし、後ろに垂らすスタイル。&br;要はキン肉マンに登場するラーメンマンの髪型。&br;日本人の持つイメージとして中国人の髪型と思われてるがそれは誤りで、&br;清の時代に満州族が漢民族へ弁髪を強要したためと思われる。| |~|~|正統性&color(green){+0.5/年};|~| |~|~|遊牧民の結束&color(green){+0.5/年};|~| |外地での軍務|Foreign Service|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| |国境地帯|The Borderlands|人的資源回復速度&color(green){+20%};|| |一夫多妻|Wives and Concubines|後継者誕生確率&color(green){+50%};|| |寛容なる族長|Generosity of the Warlord|関係改善&color(green){+25%};|| |女真八旗|Jurchen Banner Armies|八旗雇用可能数&color(green){+15%};|ヌルハチが編成した軍事組織。&br;女真族全構成員を8色の旗のもとに編成、戸籍と軍隊組織を兼ねた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍損耗&color(green){-10%};|| ***チャガタイ(Chagatai)v1.29[#CHG] Ver1.29にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|| |>|~|過酷な処置コスト&color(green){-20%};|~| |山のハン国|The Mountain Khanate|敵損耗&color(green){+0.5};|チャガタイの本拠は天山山脈にあり、天然の要害に守られている。| |~|~|陸軍損耗&color(green){-10%};|~| |絶え間なき国境戦争|Ceaseless Border Wars|陸軍士気&color(green){+5%};|| |~|~|人的資源回復速度&color(green){+15%};|~| |チャガタイ・ハンの子孫|Sons of Chagatai Khan|外交併合コスト&color(green){-15%};|チャガタイ(Chagatai)はチンギス・ハンの次男。&br;激しい気性と一本気な性格だったが、反して法に対して厳格な一面があったため、&br;モンゴル帝国の法律(ヤサ)の管理を任じられ、&br;「ヤサの番人」の異名を取った。 &br;チャガタイの子孫の国家(ウルス)がチャガタイ=ハンである。| |チャガタイ文学|Chagatai Literature|威信&color(green){+1/年};|| |征服の伝統|Tradition of Conquest|コア化コスト&color(green){-25%};|| |狡猾な貴族階級|Scheming Nobility|外交官&color(green){+1};|| |征服の栄光|Glory of Conquest|人的資源&color(green){+25%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍維持費&color(green){-5%};|| ***トランスオクシアナ(Transoxiana)v1.23[#TRS] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 ペルシャ南西部に位置し、ティムールより任命された知事(ティムールの子孫)を頭とする国家の1つで、1444GC開始時ではティムール朝の属国。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|騎兵コスト&color(green){-10%};|~| |&size(12){マー・ワラー・アンナフル,川を超えた土地};|&size(12){Mawarannahr, the land Beyond the River};|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|マー・ワラー・アンナフルは、中央アジア南部のオアシス地域の歴史的呼称。&br;アラビア語で「川の向うの土地」を意味し、アムダリヤ川北岸を指す。&br;なお国家名のトランスオクシアナとほぼ同じ意味である。&br;トランスオクシアナは「オクサス川(アムダリヤ川)より向こうの地」の意で、&br;こちらは正確にはアムダリヤ川とシルダリヤ川の間を指す。| |楽園の入り口|Threshold of Paradise|威信&color(green){+1/年};|首都サマルカンドは当時の大都市の1つで、&br;モンゴル帝国により壊滅した都をティムールが再建し、&br;抜けるような青空とモスクの色から「青の都」と呼ばれ、隆盛を極めた。| |熟練した外交|Adept Diplomacy|諜報網構築力&color(green){+20%};|| |テュルク人の砲兵隊|Turkoman Cannoneers|砲兵コスト&color(green){-15%};|当時、テュルク人の砲兵はインドやイランで活躍し、有名であった。| |科学の奨励|Scientific Patronage|技術コスト&color(green){-5%};|ティムール朝の第4代当主ウルグ・ベクの時代、文化が華開き、自身も優れた天文学者等であったので、&br;文人・学者の保護・奨励、結果、学問分野で大いに成果を挙げた。&br;特に天文学の分野では、ウルグ・ベク天文台をサマルカンドに建設した。&br;天文観測を行い、その成果をまとめた「キュレゲン天文表」は、&br;世界的な正確さを誇り、イスラム世界で広く用いられた。&br;ウルグ・ベクが天文台の壁に刻み残したとされる下記の一節から、&br;彼の信念の一端を知ることができる。&br;&br;『宗教は盛衰し、帝国は無に帰する、されども科学の探究は永遠である。』&br;&size(14){('Religions rise and fall, empires crumble into dust, but the works of science are for all time.')};&br;&br;&size(12){なお、本ゲーム中のティムール朝の固有イベントにこのウルグ・ベク天文台を建設するイベントが用意されている。};&br;&size(12){新バージョンでどうなるかはさておき…};| |シルクロードの集積地|Entrepôt of the Silk Road|首都ノード交易力&color(green){+25%};|| |チャガタイ文学|Chagatai Literature|正統性&color(green){+1/年};|ティムール朝の宰相・アリーシール・ナヴァーイーは&br;テュルク語にペルシア語の語彙と修辞を取り入れた&br;「チャガタイ語」を使って詩作を行い、&br;チャガタイ語をアラビア語やペルシア語に匹敵する文学的地位へ引き上げた。&br;ティムールと同一のNI。&br;政体が遊牧民ではない為適用されないが、&br;内部的には遊牧民の結束上昇の効果がついている。| |~|~|遊牧民の結束&color(green){+1/年};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|アイデアコスト&color(green){-10%};|| ***ヒヴァ=ハン(Khiva)v1.22[#KHI] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |>|~|陸軍損耗&color(green){-10%};|~| |遊牧民の遺産|Horde Legacy|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|ヒヴァ=ハン国は、16世紀前半に成立したジョチ・ウルスのシバン家に属する王朝。&br;この地域にはトルコマン種(絶滅種)と呼ばれた馬が飼育されていた。| |ヒヴァの砂漠|Deserts of Khiva|敵損耗&color(green){+1};|ヒヴァは、預言者ノアの息子セムが、砂漠の中心部に井戸を掘ったことにより町が生まれた。&br;また、その井戸の水を飲んだ人々が「甘い水」を意味する言葉&br;「Kheyvak!(ヒワック!)」と叫んだことから、ヒヴァと呼ばれるようになった。| |メルブのオアシス|Oasis of Merv|キャラバン力&color(green){+20%};|メルブはカラカム砂漠の中にあったシルクロードのオアシス都市。&br;11世紀~12世紀に最盛期を誇ったが、13世紀にモンゴル帝国により廃墟となり、その後復興しなかった。&br;現代では遺跡が残っており、世界遺産に認定されている。| |ジュマ・モスク|Djuma Mosque|布教強度&color(green){+1%};|「ジュマ」とは「金曜日」の意味で、イチャン・カラのほぼ中心に位置する。&br;※イスラム教では、金曜日が休日に当たる。&br;門、ドーム、回廊、庭などを一切持たず、内部には215もの木柱が立ち並ぶ部屋が一部屋ある。&br;モスク内にある最古の柱は古代ホラズム王国の都から運ばれたもので、柱には彫刻されており、1本1本全て異なる。| |アムダリヤ川|Amu Darya|交易効率&color(green){+10%};|アムダリヤ川は、パミール高原・ヒンドゥークシュ山脈から発する&br;パンジ川とヴァクシュ川が合流し、北西へ向かって流れ、アラル海に注ぐ川。&br;河流域はオアシス都市が栄え、ヒヴァ=ハン国もその恩恵を受けた。&br;また、この河付近には金や石油などが埋まっているとされる。| |イチャン・カラ |Ichan Qal'a|要塞防御&color(green){+15%};|イチャン・カラは直訳すると「内城」。&br;城壁に囲われた市街地で、中央アジア、西アジアの都市に見られる。&br;ヒヴァのイチャン・カラは現代で唯一無傷で残ったものであり、世界遺産に認定されている。| |強国外交|Great Power Diplomacy|関係改善&color(green){+20%};|ヒヴァ=ハン国は北にロシア、南にペルシャ、&br;東にイギリス(イギリス領インド)の列強に囲まれていた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|増援速度&color(green){+10%};|| ***満州(Manchu)v1.29[#MCH] Ver1.29にて各女真国家/清とNIが分離し、併せて一部効果の変更、新規追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍維持費&color(green){-5%};|| |>|~|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|~| |女真三部族の統一|United Three Jurchens|人的資源&color(green){+15%};|v1.28以前の満州アイデアからの継続だが、&br;効果が変更された(v1.28以前は人的資源+10%、コア化コスト-20%)。&br;1616年、サルフの戦いで明の大軍を殲滅した女真族のヌルハチは、&br;女真族内の敵対部族を併合し女真族を完全に統一した。| |~|~|コア化コスト&color(green){-15%};|~| |八旗軍|The Eight Banners|八旗雇用可能数&color(green){+25%};|v1.28以前の満州アイデアから継続(順序が3番目→2番目に変更)。&br;ヌルハチが編成した軍事組織。&br;女真族全構成員を8色の旗のもとに編成、戸籍と軍隊組織を兼ねた。&br;後に蒙古八旗、漢軍八旗も編成された。| |満州文字|Manchu Alphabet|安定度コスト&color(green){-10%};|v1.28以前の満州アイデアからの継続だが、&br;順序と(2番目→3番目)効果が変更された(v1.28以前は技術コスト-10%)。&br;1599年、ヌルハチの命令により作成された。| |~|~|主義思想の伝播速度&color(green){+5%};|~| |後金|The Later Jin|正統性&color(green){+1/年};|金は12世紀に中国の北半を支配した女真族の征服王朝名。&br;ヌルハチが1616年にほぼ全ての女真部族を統一、建国宣言した際に金という国号を用いた。&br;前代の金と区別するため、ヌルハチの興した金朝は後金と呼ばれる。| |~|~|遊牧民の結束&color(green){+1/年};|~| |&size(15){モンゴル王朝との連携};|Link with the Mongol Dynasty|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|v1.28以前の満州アイデアから継続(順序が4番目→5番目に変更)。&br;清は1635年にチンギス・ハーンの末裔・チャハル部からチンギス・ハーンの玉璽を送られた。&br;これにより清は領域内の漢族・女真族の支配者としてだけでなく、&br;モンゴル帝国の後継者としての地位をも確立した。| |中国の知識|Chinese Learning|軍事技術コスト&color(green){-10%};|| |七大恨|The Seven Grievances|侵略的拡大&color(green){-10%};|1618年にヌルハチが示した檄文。&br;父と祖父の殺害、国境の越境など、7つの明朝に対する非難声明となっている。&br;ヌルハチはこの「七大恨」を掲げて明とサルフの戦いへ入った。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍士気&color(green){+15%};|| ***モンゴル(Mongolia)v1.29[#KHA] Ver1.29にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+25%};|| |>|~|分離主義年数&color(green){-5};|~| |平原の姿なき騎兵|Ghostly Horses of the Plain|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|| |イフ・モンゴル・ウルス|Ikh Mongol Uls|侵略的拡大&color(green){-15%};|日本語にすると「大モンゴル国」。&br;チンギス・ハンが築いた大帝国を指す言葉。&br;本ゲームのモンゴルはこの大モンゴル帝国の正統後継者を称した。| |草原の戦士の生き様|Life of the Steppe Warrior|陸軍損耗&color(green){-20%};|遊牧民(Horde)アイデアと同一のアイデア。| |北元|The Northern Yuan|コア化コスト&color(green){-25%};|フビライ・ハンにより建国された元帝国(大元)が、&br;明朝に中国の領土を追い出され、モンゴル高原へと逃げ、勢力を保った。&br;それ以降のフビライ・ハンの子孫の政権を北元と言う。&br;要は、本ゲームのモンゴルの別名。| |大ハンのヤム|Yams of the Great Khan|使節の移動時間&color(green){-25%};|大ハンはチンギス・ハンのこと。&br;ヤムは、ジャムチのテュルク語に相当する駅伝制の事。&br;主要道路に10里ごとにおかれる宿駅が置かれ、宿と人馬を提供した。&br;駅伝を利用する公用の旅行者は、通行手形として牌符を携行し、&br;ヤムを自由に利用することができた。| |~|~|増援コスト&color(green){-15%};|~| |モンゴル族の機動力|Mongolian Mobility|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|| |~|~|移動速度&color(green){+10%};|~| |ケシク|The Kheshig|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|モンゴル帝国において君主(ハン)や皇族を護衛した親衛隊のこと。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍維持費&color(green){-5%};|| ***ヤルカンド=ハン(Yarkand)v1.22[#KAS] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|不穏度&color(green){-1};|| |>|~|交易効率&color(green){+10%};|~| |北シルクロード|Northern Silk Road|キャラバン力&color(green){+20%};|シルクロードは、中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称。&br;北シルクロードは、先史時代よりあるタリム盆地を経由するルート。オアシスの道とも。&br;ヤルカンドは、北シルクロードのルートで最も利用された&br;西域南道の要衝の地であった。| |六城の地|Altishahr|税収&color(green){+10%};|アルティ・シャフルはトルコ語で「六城の地」を意味し、&br;新疆、特に南疆西部のイスラム教化したオアシス都市群を指す。&br;ヤルカンドやカシュガルは六城の1つとして比定される。| |ターリーヒ・ラシーディー|Tarikh-i-Rashidi|外交評判&color(green){+1};|「ターリーヒ・ラシーディー」は、16世紀のモグーリスタン・ハン国&br;(東チャガタイ・ハン国)の貴族、歴史家である&br;ミールザー・ムハンマド・ハイダル・ドゥグラトにより書かれた歴史書。&br;自身の回想録であり、中央アジア史の概説が収録されている。&br;当時の中央アジア史に関する重要な史料である。| |ホージャの権限強化|Empower the Khojas|国教寛容度&color(green){+2};|ホージャは、中央アジアでは正統カリフ&br;(イスラム教の祖ムハンマド死後、後を継いだ最初の4人。&br;カリフは代理人の意)の子孫を意味する。&br;ここでいうホージャはイスラム教一派であるナクシュバンディー教団の指導者のこと。&br;本教団の指導者の1人、アフマド・カサーニーの子孫の称号はホージャで、&br;東トルキスタン地域の指導者としての役割を担った。| |~|~|信仰&color(green){+0.5/年};|~| |聖戦士|Holy Warriors|陸軍士気&color(green){+10%};|イスラム圏では、ガーズィーという戦士団が存在した。&br;ガーズィーは、非ムスリムに対する侵略的な宗教的聖戦(ジハード)に伴う、&br;非ムスリム人民への財産狩りや奴隷狩りなどの掠奪遠征に従事とする者、&br;「聖戦に参加する者」のこと。| |黒山と白山|Black Mountain and White Mountains|人的資源&color(green){+10%};|ナクシュバンディー教団の指導者であった&br;アフマド・カサーニーの子孫はホージャの称号を持ち、&br;その家は「カシュガル・ホージャ」と呼ばれ、ヤルカンドで多大な影響を持った。&br;カシュガル・ホージャはアフマド・カサーニー以後、2派に分かれ、&br;それぞれ黒山党(イスハーキーヤ、またはカラタグルク)、&br;白山党(アーファーキーヤ、アクタグルク)と呼ばれ、その権勢を争った。| |タリム交易の促進|Encourage Tarim Trade|州からの交易力&color(green){+15%};|タリム盆地は先史時代より、シルクロードの経由地として交易が活発に行われたが、&br;次第に東南アジアからインド、アラビア半島を経由する&br;海上ルート(海の道)に取って代わられ、衰退していった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| **グループNI [#a9c182fa] 特定の集団に属する勢力に対して適用されるNI ***エヴェンキ(Evenk)v1.29[#Evenk] 主要文化がエヴェンキ(evenk)の国家に適用 Ver1.29にて追加されたグループNI。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|敵損耗&color(green){+1};|| |>|~|州獲得に必要な戦争点コスト&color(green){-10%};|~| |一族の旅団|Family Brigades|陸軍損耗&color(green){-10%};|| |~|~|移動速度&color(green){+5%};|~| |トナカイの牧畜|Reindeer Herding|交易範囲&color(green){+15%};|| |自給自足|Self-Sufficiency|分離主義年数&color(green){-5};|| |シベリアの資源|Siberian Resources|建造物コスト&color(green){-10%};|| |モンゴルのデール|Mongolian Deel|傭兵維持コスト&color(green){-10%};|| |~|~|傭兵枠&color(green){+25%};|~| |森好き|Love of the Forest|陸軍指揮官機動&color(green){+2};|| |新しい狩猟法|New Ways to Hunt|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%};|| ***シベリア(Siberian)v1.22[#Siberian] 政体が「Siberian clan council」の国家に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍損耗&color(green){-15%};|| |>|~|不当な要求&color(green){-25%};|~| |北の狩人|Hunters of the North|敵損耗&color(green){+1};|| |シベリアの毛皮交易|Siberian Fur Trade|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| |捕虜の奴隷化|Enslave the Captives|生産効率&color(green){+10%};|| |シベリアの僻地|Siberian Backwoods|要塞防御&color(green){+15%};|| |血で買われる土地|Land Bought with Blood|陸戦で得る威信&color(green){+100%};|| |奇襲の成功|Successful Raids|人的資源&color(green){+15%};|16世紀、ロシアのストロガノフ家の依頼を受けたイェルマークの攻撃を受けたシビル・ハン国は敗北を喫するものの、隙を見て反撃の奇襲をかけ、イェルマークを戦死させた。| |~|~|補充速度&color(green){+5%};|~| |狩猟地の拡張|Hunting Expansion|植民地人口増&color(green){+20};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|戦争疲弊&color(green){-0.05/月};|| ***チベット(Tibetan)v1.22[#TIB] 主要文化がチベットで、かつ国教が密教の国家に適用 (For all Vajrayana countries with Tibetan as primary culture.) |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|不穏度&color(green){-1};|| |>|~|布教強度&color(green){+1%};|~| |密教|Vajrayana Buddhism|安定度コスト&color(green){-10%};|| |ボン教の影響|Bon Influence|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|ボン教とは仏教伝来以前よりチベットに伝わる民族宗教である。| |ヤク|Yaks!|生産効率&color(green){+10%};|| |美徳の道|The Way of Virtue|異端寛容度&color(green){+1};|ゲルク派の事か?| |~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~| |ポタラ宮|Potala Palace|外交評判&color(green){+1};|| |古代の道|The Way of the Ancients|規律&color(green){+5%};|ニンマ派の事か?| |サキャ派|The Pale Earth School|アイデアコスト&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|顧問コスト&color(green){-10%};|| ***遊牧民(Horde)v1.29[#Horde] ティムール、満州以外の技術グループが草原の遊牧民(Steppe Nomads)の国家に適用 政体の変更が発生した場合、条件を満たす別のNIに変更される |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|侵略的拡大&color(green){-10%};|| |>|~|分離主義年数&color(green){-5};|~| |草原の戦士の生き様|Life of the Steppe Warrior|陸軍損耗&color(green){-20%};|遊牧民は生まれ持った巧みな馬術と強力な弓術により精強さを誇ったが、過酷な自然環境の中で生存を第一義としたため、戦死を好まず撤退を不名誉と考えず、強力な敵に対しては後退を繰り返して相手の疲労を狙う戦術を得意とした。| |偉大なるハンの伝統|Traditions of the Great Khan|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|匈奴の冒頓単于、フン族のアッティラ、ティムールなどカリスマをリーダーに迎えた時、強大な遊牧国家が誕生することは洋の東西を問わない。&br;中でも史上最大の大陸国家を建設したモンゴル帝国のチンギス・ハンの記憶はユーラシアの遊牧民たちに長く生き続けた。| |馬の供給|Horse Supplies|陸軍維持費&color(green){-5%};|モンゴル帝国は常に代え馬を引き連れて遠征した。| |草原の指導者|Steppe Leaders|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|遊牧民の居住環境は厳しく、自然の脅威にさらされる。&br;そうした中で生活した集団は自然と軍事組織化し、集団の指導者は優れた指揮官となった。| |征服の伝統|Tradition of Conquest|コア化コスト&color(green){-25%};|遊牧民の国家は時として広大な領域を支配した。&br;それは圧倒的な機動力・戦闘力を誇っていたことと同時に、貢納と兵役に応じさえすれば現地の社会体制を保持し自治を許す寛容さを持ち合わせていたからである。| |ハンの兵站|Logistics of the Khan|人的資源回復速度&color(green){+20%};|| |征服の栄光|Glory of Conquest|人的資源&color(green){+25%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|安定度コスト&color(green){-10%};|| *東南アジア [#EastIndies] |CENTER:20|>|>|>|>|CENTER:|c |~各国NI|~モルッカ|[[セブ(Cebu)>#CEB]]|[[ブトゥアン(Butuan)>#BTU]]|[[マジャアス(Madyas)>#MAS]]|| |~|~インドネシア|[[クタイ(Kutai)>#KUT]]|[[マジャパヒト/スンダ(Majapahit / Sunda)>#Javan]]||| |~|~マラヤ|[[パガルユン(Pagarruyung)>#PGR]]|[[パタニ(Pattani)>#PAT]]||| |~|~インドシナ|[[アユタヤ(Ayutthaya)>#AYU]]|[[クメール(Khmer)>#KHM]]|[[スコータイ(Sukhothai)>#SUK]]|[[大越(Dai Viet)>#DAI]]| |~|~|[[チャンパ(Champa)>#CHA]]|[[ラーンサーン(Lan Xang)>#LXA]]||| |~|~ビルマ|[[アヴァ(Ava)>#AVA]]|[[アラカン(Arakan)>#ARK]]|[[タウングー/ピイ(Taungu / Prome)>#TAU]]|[[ペグー(Pegu)>#PEG]]| |~|~|[[ラーンナー(Lan Na)>#LNA]]|||| |>|~グループNI|[[シャン(Shan)>#Shan]]|[[スマトラ(Sumatran)>#Sumatran]]|[[スラウェシ(Sulawesi)>#Sulawesi]]|[[マレー(Malayan Sultanate)>#Malayan]]| |~|~|[[ミンダナオ(Mindanao)>#Mindanao]]|[[モルッカ(Moluccan)>#Moluccan]]|[[ラオス(Laotian)>#Laotian]]|[[ルソン(Luzon)>#Luzon]]| **各国NI [#ob7d6a40] ***アヴァ(Ava)v1.26[#AVA] Ver1.26にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|歩兵コスト&color(green){-15%};|~| |パガン王朝の遺産|Legacy of the Pagan Dynasty|威信&color(green){+1/年};|元はタウングーのNI。&br;パガン王朝は現在のミャンマーにあった、ビルマ族最初の王朝。&br;「パガン」とは「ピュー族の集落」を意味する「ピュー・ガーマ」が転訛したものと考えられている。&br;ビルマ語王統史では55代の王が記されているが、初期の王は実在が怪しい。&br;現代では、実在が確認される王統記上の第44代アノーヤターを最初の王とする。&br;1287年、クビライ・カーン率いる元が侵攻、首都パガンを攻撃し、パガン朝は滅亡した。| |ラージャディラージャ|Rajadhiraja|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|ラージャはサンスクリット語で王の意味であり、ラージャディーラージャは王の中の王の意味。&br;主にインドの王に用いれられた。&br;ペルシア(イスラム)世界のシャーハンシャーみたいなものと思われる。| |マヌヂエ・ダマタッ|Manu Kye Dhammathat|安定度コスト&color(green){-10%};|元はタウングーのNI。&br;Maha Thiri Ottma Zeya著の法律書。「ダマタッ」は成文法の意。&br;パーリ語で書かれたマヌイン・ダマタッのビルマ語訳を基に、&br;従前の諸々のダマタッや司法判決,同時代の慣習法等を参考にして&br;新たに編纂したビルマ(ミャンマー)の代表的成文法。| |ビルマ文学の後援|Patronize Burmese Literature|君主と同一文化の顧問コスト&color(green){-20%};|| |丘陵部族からの募兵|Recruit from the Hill Tribes|人的資源&color(green){+20%};|| |シャン族制御の継続|Keep the Shan in Line|外交評判&color(green){+1};|| |地方統治者の抑制|Rein in Provincial Governors|自治度変化&color(green){-0.05/月};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|| ***アユタヤ(Ayutthaya)v1.25[#AYU] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|宗教的統一性&color(green){+20%};|| |>|~|受容文化枠&color(green){+1};|~| |白象|White Elephant|税収&color(green){+10%};|白象は、タイにおいてはかなり昔から神聖視されていた。&br;アユタヤ王朝の王であった、チャックラパットは白象をかり集め、白象王と呼ばれた。&br;なお、英語で「white elephant」は「無用の長物」という意味がある。| |賦役制|The Corvee System|人的資源&color(green){+10%};|アユタヤでは、プライ(下級身分層、phrai)の成人男子は全員賦役義務を負った。&br;18歳になると手首に入墨を施され、賦役者であることとその所属を登記された。| |外国の傭兵|Foreign Mercenaries|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|日本の浪人を傭兵隊に編成した山田長政は有名。| |大使|Embassies|外交官&color(green){+1};|| |中継交易の振興|Promotion of Trading Links|交易範囲&color(green){+20%};|| |個人的処刑|Personal Executions|安定度コスト&color(green){-10%};|| |公民|Phrai Luang|不穏度&color(green){-1};|アユタヤでは、プライは全て国王に帰属しており、「Phrai Luang(国王の民=公民)」と呼ばれた。&br;実際の賦役や徭役は地方の酋長や統治者により実施されたが、&br;あくまで国王より貸し出されているという扱いであった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|属国収入&color(green){+25%};|| ***アラカン(Arakan)v1.22[#ARK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|小型船コスト&color(green){-20%};|| |>|~|受容文化枠&color(green){+1};|~| |ミャウウー王朝|Mrauk U Dynasty|正統性&color(green){+1/年};|ラカイン人(アラカン人)の口承等を参考にすると、その歴史は紀元前まで遡ることができるが、&br;幾つかの王朝を経て1429年にミン・ソー・モンが王朝を樹立。&br;1430年にミャウウー(ミャウーとも)に遷都し、ミャウウー王朝と呼ばれるようになった。| |ロヒンギャの移民|Rohingya Immigrants|異教寛容度&color(green){+2};|ロヒンギャは現代のミャンマーのラカイン州に主に居住する、インド・アーリア系ムスリム人の総称。&br;民族とみなすかは微妙であり、少なくとも公式的には認定されていない。&br;アラカン王国時代はラカイン人とロヒンギャは融和していたが、その後の英国統治時代からの遺恨により、&br;現代では対立、ロヒンギャは難民となっており、非常に大きな問題となっている。| |ベンガル湾貿易|Bay of Bengal Trade|商人&color(green){+1};|| |マグとファランギ|Magh and Ferenghi|私掠効率&color(green){+15%};|マグとは、ブッダの時代に栄えたマガダ国のことでラカイン人のと同義のマグ人のこと。&br;ファランギはヨーロッパ人を指す言葉で、この時代は特にポルトガル人を指す事が多い。&br;(「フランキ砲」で有名な「フランキ」も中国で呼ばれた名称で語源は近しいと考えられる)&br;ミャウウー王朝時代、マグ人とポルトガルの奴隷商人は、&br;ベンガル湾の河川地区からラカインにかけて荒らしまわった。&br;中にはアラカン国の宮廷警護をする者たちもいた。| |~|~|水兵維持費&color(green){-5%};|~| |仏教徒のスルターン王|Buddhist Sultans|外交評判&color(green){+1};|アラカン王国は仏教王朝であったが、&br;ベンガル湾でムスリム商人と交易する際に、&br;イスラム名(スルターン)を名乗るほどイスラムやムスリムに寛容だった。| |ムスリムの顧問|Muslim Advisors|顧問コスト&color(green){-10%};|| |アラカンの貿易契約|Arakanese Trade Contracts|交易効率&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|小型船攻撃力&color(green){+15%};|| ***クタイ(Kutai)v1.22[#KUT] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|州からの交易力&color(green){+10%};|| |>|~|交易誘導&color(green){+20%};|~| |最初期のインド系国家|Earliest Indic State|交易効率&color(green){+10%};|クタイ王国は、5世紀初め頃、カリマンタン島東部、マハカム川下流のクタイ周辺で勃興した国。&br;インドネシアにおける最も古いヒンドゥー王国である。| |イスラムの交易コミュニティ|Muslim Trading Communities|異教寛容度&color(green){+2};|| |ボルネオの富|Riches of Borneo|交易品生産量&color(green){+10%};|ボルネオ島は、象牙やチーク材、真珠、翡翠などが多量に産出されていた。| |海賊行為への対処|Anti-Piracy Measures|要塞防御&color(green){+10%};|ボルネオの周辺の海洋民であるイスラム教徒は海賊として恐れられていた。| |入植の奨励|Encourage Immigration|人的資源&color(green){+15%};|| |クタイ地域の統合|Consolidation of Kutai|税収&color(green){+10%};|| |内陸部の征服|Subdue the Inlands|不穏度&color(green){-1};|ボルネオ島の山岳や森林に囲まれた内陸部は、多くの部族集団がいた。&br;内陸部の部族の1つであるビダユ族(陸ダヤクとも)は、首刈りの風習を持つことで恐れられ、&br;東南アジアでもヨーロッパ勢力の進出が最も遅れたところであった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|首都ノード交易力&color(green){+20%};|| ***クメール(Khmer)v1.22[#KHM] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|顧問コスト&color(green){-10%};|~| |プレア・コー・プレア・ケオ|Preah Ko Preah Keo|陸軍士気&color(green){+10%};|「プレア・コー・プレア・ケオ」はカンボジアで生まれた2人の兄弟に関するカンボジアの伝説。&br;兄はプレア・コーと呼ばれる神の力を持つ牛、弟はプレア・ケオと呼ばれる男である。&br;カンボジアで非常に人気でその物語は小説や、映画、絵画などになっている。&br;また、カンボジア内の神社の中にはプレア・コーやプレア・ケオの像が置かれている。| |上座部|Theravada Buddhism|国教寛容度&color(green){+1};|上座部は、仏教の分類の一つで、南伝仏教とも。&br;ざくっと言うと、出家して厳しい修行を積んだ僧侶のみが、悟りを開き救われるという考え方。&br;僧侶以外の人は、僧侶を肯定し、お布施することにより功徳を積む(恩恵を得る)。&br;タイやカンボジア等は上座部である。&br;対して日本では、全ての人々を救うという救済を第一の考え方とする大乗である。| |~|~|関係改善&color(green){+15%};|~| |チャム族の移住|Cham Migration|海軍伝統&color(green){+1/年};|チャム族は大越による追われ、多くがメコン川をさかのぼって現在のカンボジアに逃げ込んだ。| |河川貿易|River Trade|交易効率&color(green){+10%};|| |ヨーロッパの傭兵|European Mercenaries|規律&color(green){+5%};|| |アンコールの修復|Restoration of Angkor|威信&color(green){+1/年};|アンコールはサンスクリット語で「王都」を意味し、クメール王朝の首都である。&br;クメールの王はその権威を示すため、王ごとに壮大な寺院を建立した為、アンコールには膨大な寺院があった。&br;アンコールは12世紀頃に栄華を極めたが、1431年にアユタヤより攻められ陥落、没落する。&br;現代では、その遺跡群が多数残され、「アンコール遺跡」として世界遺産に認定されている。&br;特にクメール18代王スーリヤヴァルマン2世が造営したアンコールワット、&br;21代王のジャヤヴァルマン7世の造営したアンコールトムが有名。| |近代的なクメール海軍|A Modern Khmer Navy|船舶の耐久力&color(green){+5%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+20%};|| ***スコータイ(Sukhothai)v1.22[#SUK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|国教寛容度&color(green){+2};|| |>|~|外交評判&color(green){+1};|~| |文化の発祥地|Birthplace of a Culture|威信&color(green){+1/年};|スコータイ王朝は、13世紀に興ったタイ族最初の王朝と言われる。&br;当時のタイは、クメール王朝の支配下にあったが、&br;シーインタラーティットがスコータイからクメール人を追い出し、王朝を興したとされる。| |タイ文字|Akson Thai|技術コスト&color(green){-5%};|タイ文字は、スコータイ王朝3代の王ラームカムヘーンがクメール文字を基に作成したとされる。| |宋胡録焼|Sawankalok Ware|交易効率&color(green){+10%};|宋胡録(すんころく)はスコータイのサワンカローク(Sawankalok)周辺で焼成された陶器のこと。&br;宋胡禄自体サワンカロークが訛ったものとされる。&br;スコータイ王朝3代ラームカムヘーンが中国から陶工を呼び、サワンカロークにて生産させたとする。&br;14世紀以降のアユタヤ王朝時代に輸出用生産が拡大、主に日本向けに輸出された。&br;宋胡禄は日本では転じてタイの陶器全般を指すようになる。| |ワット・シー・サワイ|Wat Si Sawai|布教強度&color(green){+1%};|ワット・シー・サワイはスコータイにあるヒンドゥーの寺院。&br;スコータイ王朝が興る前のクメール王朝時代の12世紀末から13世紀初頭に建立されたと言われている。&br;3基並んだ丸みを帯びたクメール様式の仏塔が特徴。&br;現代では、スコータイ歴史公園(世界遺産)の南西部にて観覧できる。| |父権政治|Father Governs Children|不穏度&color(green){-1};|スコータイの統治形態は父権政治で、王や国家が父で国民が子のような関係であった。&br;例えば、国民が王へ直接訴えを起こし、王が裁判を行い、公明正大に裁いたとされる。| |ラームカムヘーン大王碑文|Ramkhamhaeng Stele|正統性&color(green){+1/年};|ラームカムヘーン大王碑文は、&br;スコータイ王第3代ラームカムヘーンによって作られたとする碑文。&br;ラームカムヘーンは、スコータイ王朝を1地方の小国から広大な領域を支配する大国に発展させた王で、&br;その業績からタイの3大王の1人に数えられ、大王の尊称で呼ばれる。&br;この碑文は、当時の様相を伝える貴重な一次資料として知られる。&br;世界の記憶遺産に認定。| |戦象|War Elephants|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|スコータイ王朝でも他のインドシナの国家と同様、戦象を用いた記録が残っている。&br;チョート国との戦争時、王子であった第3代王ラームカムヘーンは、&br;戦象を駆ってジョート国の王クン・サームチョンとの一騎討ちに勝利し、&br;「ラーマのような強者」を意味するラームカムヘーンの名を与えられたとされる。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍扶養限界&color(green){+25%};|| ***セブ(Cebu)v1.24[#CEB] v1.24で追加された新規国家の専用NI。 スペインの植民地前にセブ島で成立したインド化された王国。貿易拠点として栄えた。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|ガレー戦闘力&color(green){+20%};|| |>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~| |ルマイの野望|Lumaya’s Ambition|陸軍士気&color(green){+10%};|民間伝承ではセブ王国は、チョーラ朝がスマトラ島を占領した後に、&br;若き王子スリ・ルマイ(Sri Lumay)を祖とする。&br;ラージャムダ・ルマイ(Rajamuda Lumaya)とも呼ばれる。&br;彼はチョーラ朝の王より北部の島々の方面軍として遣わされた。&br;スリ・ルマイはビサヤ諸島に移住し、チョーラ朝に反抗、独立をしたとされ、&br;セブ王国を築いたとされる。| |チョーラ朝の遺産|Chola Legacy|正統性&color(green){+1/年};|上記の通り、セブ王国を築いたとされる祖は、&br;チョーラ朝支配時にスマトラ島より移住した王子とされる。| |マガロスからの防衛|Protect against the Magalos|海軍伝統&color(green){+1/年};|マガロス?(Magalos)はミンダナオ地域の部族集団のことか。&br;モロの襲撃者や海賊ともされている。マガロス自体は「平和の破壊者」という意味。&br;セブ王国はこの襲撃者と度々戦いを行ってきた。| |島の鎮圧|Pacify the Islands|自治度変化&color(green){-0.05/月};|| |「貿易の場」|'The Place for Trading'|禁輸効率&color(green){+10%};|セブ(Cebu)は、スペイン統治時代の名称で、&br;統治以前はスグブ(Sugbu)と呼ばれていた。&br;これはsinibuayng hingpit(貿易の場、the place for trading)を&br;口語的に省略したシブ(Sibu)やシボ(Sibo)、「貿易」(to trade)が由来とされている。&br;要はセブは「貿易の場」が語源。| |~|~|私掠効率&color(green){+25%};|~| |欧州への親善|Befriend the Europeans|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| |首都の拡張|Expand the Capital|開発コスト&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易力&color(green){+10%};|| ***大越(Dai Viet)v1.22[#DAI] 安南(Annam)、東京(Tonkin)も対象。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|敵損耗&color(green){+1};|| |>|~|敵対的コア化コスト&color(green){+50%};|~| |偉大なる宣告|The Great Proclamation|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|『平呉大誥(ビン・ゴ・ダイ・カオ)』のことを指す。&br;1428年に大越が明から独立した時の宣告。&br;中国明朝からの解放者レ・ロイ(黎利)の腹心であるグエン・チャイ(阮薦)により書かれた。&br;ベトナムでは「呉」という語も中国を意味し、&br;『平呉大誥』は『中国を平らげたことを天下に告げる勅語』という意味になる。| |儒学の復興|Confucian Revival|威信&color(green){+1/年};|独立を達成したレ・ロイ(黎利)は、黎朝を興し、国号を大越とした。&br;その後、明に対して朝貢を開始して良好な関係を結び、&br;その制度や文化を取り入れ、科挙や儒学の興隆に力を入れた。| |村落の自治|Autonomous Villages|要塞防御&color(green){+20%};|| |村落の民兵|Village Militia|人的資源&color(green){+25%};|| |屯田制|Don Dien|コア化コスト&color(green){-10%};|15世紀後半、屯田兵として南部ベトナムや西部へ進出した。| |順天|Thuan Thien|正統性&color(green){+1/年};|初代皇帝レ・ロイ(黎利)が持っていた竜王より借りたとされる宝剣。&br;川で見つけたという輝く鉄刀を貰い受け、磨くと「順天」の文字が現れたという。&br;伝説では独立後にホアンキエム(還剣)湖で遊覧していると、黄金色の亀が現れ、&br;「龍の神へ宝剣を戻しなさい」と告げられ、返したとされる。| |文語の改良|Literary Reform|技術コスト&color(green){-5%};|ベトナム語を表記するために、チュハン(中国漢字)の他に、&br;チュハンを元にしたチュノムと呼ばれる文字も使われた。&br;チュノムは要するに、日本の「辻」みたいな和製漢字(国字)のベトナム版。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍士気&color(green){+10%};|| ***タウングー/ピイ(Taungu / Prome) v1.26[#TAU] アイデアの正式名はビルマ(Burmese)である。 Ver1.26で新規に追加された国家ピイも対象となった。 合わせて、効果とアイデア順序が一部変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|~| |曼荼羅制|Mandala System|人的資源&color(green){+25%};|東南アジアにおける近世以前の国家制度。各地域の勢力が連合して国家を成した。&br;勢力間の重層的なつながりがあたかも仏教の曼陀羅の様であったためにこの名がついた。| |象戦|Elephant Warfare|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|| |ナッ信仰|Nat Worship|宗教的統一性&color(green){+20%};|ミャンマーの土着信仰。「ナッ」は精霊や祖霊、死霊などを指す。| |転輪聖王|Chakravartin|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|仏教における理想的な王。チャクラヴァルティンとも。&br;地上をダルマ(法)によって統治し、王に求められる全ての条件を備えるという。| |国務院|The Hluttaw|不穏度&color(green){-2};|ルトー(Hluttaw)は、英訳で「Royal release」(王家の開放?)の意。&br;Hluttawの起源は、パガン朝時代にまで遡り、&br;政府の日常業務を管理する上級閣僚評議会を開設したことによる。&br;復興後のタウングー朝(ニャウンヤン朝)時代の統治では、&br;Hluttawは最高の国政機関(国務院)として設置され、&br;詔勅の発布や地方役人を選任し国王へ報告するなど、国務政務を行った。| |組織化された軍事作戦|Organized Military Campaigns|陸軍損耗&color(green){-10%};|| |バインジー|Bayingyi|歩兵コスト&color(green){-20%};|ポルトガル兵の子孫。&br;タウングー朝が分裂した際、シリアム一帯はポルトガル人の傭兵団が自立し、自治したが、&br;その後、タウングー朝は復興し、シリアムを再征服。&br;その際、シリアムのポルトガル人は世襲性の砲兵隊(タウンジー)として土地を与えられる。&br;現代でも、タウンジーの子孫はミャンマーに定住しており、民族問題の1つとして抱えられている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|コア化コスト&color(green){-15%};|| ***チャンパ(Champa)v1.22[#CHA] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|小型船攻撃力&color(green){+15%};|| |>|~|海軍伝統&color(green){+1/年};|~| |ミーソン寺院群の記憶|Memory of the My Son Temples|国教寛容度&color(green){+2};|ベトナム中部にあるミーソンは、チャンパ王国の聖地として知られる。&br;寺院などの遺跡群は現代にも残っており、「ミーソン聖域」として世界遺産に認定されている。&br;チャンパ王国はインドの影響を大きく受けており、&br;遺跡の寺院にもヒンドゥーシヴァ派の影響が色濃く残っている。| |航海の民族|A Seafaring People|小型船コスト&color(green){-20%};|古チャム人は優れた航海技術を持っていたとされ、&br;チャンパ王国は交易国家として繁栄した。| |南インドとの縁|South Indian Connections|交易力&color(green){+10%};|| |チャム族の移住|Cham Migrations|植民地人口増&color(green){+15};|チャンパ王国は北の大越から度々侵攻を受け、1471年に首都ヴィジャヤを奪われた。&br;以降、チャム族の多くはディアスポラとなり、メコン川をさかのぼって現在のカンボジアに逃げ込んだ。| |制旻の遺産|Che Man's Legacy|関係改善&color(green){+20%};|制旻は、ジャヤ・シンハヴァルマン3世とも呼ばれる13世紀末頃のチャンパ王。&br;この時代、チャンパは度々中国の元朝より内政干渉を受けていた。&br;制旻は元に対して反乱を起こし、元を首都ヴィジャヤから撤退させ、独立を果たした。&br;この時、仇敵の大越(陳朝)と関係を改善しており、共同で元の撃退を行っている。&br;また、元との和平後、陳朝の君主陳英宗(チャン・アイン・トン)の&br;妹である玄珍(フエン・チャン)と婚姻し、領内の平和をもたらした。| |沈香|Agarwood|交易効率&color(green){+10%};|沈香は、代表的な香木の一つ。&br;チャンパ王国は沈香の主な産出国で、中でも特に質の良いものは伽羅と呼ばれ、&br;非常に希少で珍重され、チャンパ王国の主要な交易品目であった。&br;正倉院収蔵の蘭奢待もチャンパ王国産とされており、&br;徳川家康がチャンパ王に宛てた沈香を求める信書も残っている。| |他国支配への抵抗|Resisting Foreign Rule|要塞防御&color(green){+10%};|チャンパ王国は1471年に大越に首都ヴィジャヤを奪われたあとも、大越の南下政策により征服され、&br;大越に自治権を認められる形で半ば属国化していた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍扶養限界&color(green){+25%};|| ***パガルユン(Pagarruyung)v1.22[#PGR] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|異教寛容度&color(green){+2};|| |>|~|要塞防御&color(green){+10%};|~| |タントラの遺産|Tantric Legacy|布教強度&color(green){+2%};|タントラは、 ヒンドゥーで、シヴァの妃を性力として崇拝する諸聖典の通称。&br;タントラの考えは仏教へも大きく影響を与えており、密教経典の総称の意味も持つ。&br;タントラは様々な地域で形を変えて入ってきており、インドネシアにも影響を与えた。| |金の交易|Gold Trade|交易力&color(green){+10%};|ミナンカバウは古くから知られる金の産地である。| |イスタノ・バサ|Istano Basa|正統性&color(green){+1/年};|イスタノ・バサはミナンカバウ族住む土地で興ったパガルユン王国の王宮のこと。| |ラジョ・ティゴ・セロ|Rajo Tigo Selo|不穏度&color(green){-1};|「三座の王」を意味する。パガルユン王国は、&br;「世界の王」(ラジャ・アラーム)、「アダットの王」(ラジャ・アダット)、「宗教の王」(ラジャ・イバダット)&br;の3王により統治された。| |高等教育|High Education|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|ミナンカバウ族の男性は7歳頃になると親元を離れ、&br;スラウと呼ばれる宗教施設の共同体に移り、イスラム教育を受ける。&br;その後、12歳になると故郷を離れ、勉学に勤しむという教育の伝統があり、&br;インドネシアにおける教育界の中心的な役割を果たしており、&br;インドネシアにおいて、優秀な詩人、政治家、学者等を多く輩出している。| |ルマ・ガダン|Rumah Gadang|威信&color(green){+1/年};|ルマ・ガダンとは、ミナンカバウ族の伝統家屋のことであり、直訳すると「大きな家」。&br;反り返ったような屋根が特徴で、水牛の角を模している。&br;単に住居だけではなく、結婚式やその他の行事が行われたり、親族のミーティングの場である。| |母系文化|Matrilineal Culture|安定度コスト&color(green){-10%};|ミナンカバウ族では、アダット・プルパティ(adat perpatih)と呼ばれる&br;(アダットは慣習、プルパティは祖師の意)母系制慣習がある。&br;ミナンカバウの社会は世界最大の母系制社会である。&br;ミナンカバウ族では財産や土地は、母から娘に相続される。&br;いっぽう、宗教的儀式や政治の中心は男性である。&br;結婚もルマ・ガダンは女性が持ち主の為、夫は「婿入り」や「通い婚」である。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%}; || ***パタニ(Pattani)v1.22[#PAT] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|小型船攻撃力&color(green){+10%};|| |>|~|受容文化枠&color(green){+1};|~| |胡椒生産|Pepper Production|生産効率&color(green){+10%};|パタニは胡椒の生産地として知られていた。| |南シナ海の貿易|South China Sea Trade|交易誘導&color(green){+20%};|| |密輸網|Smuggling Networks|諜報網構築力&color(green){+20%};|| |林道乾の一団|Lian Dao-Qian Band|私掠効率&color(green){+15%};|林道乾は明代の海賊で、後にパタニ王国の高官となった中国人。&br;後期倭寇の最大勢力となった林道乾は、明に目を付けられたため、&br;安全を求め南下、パタニへ移住した。&br;パタニ王国の女王は、豊富な知識と経験を持つ林道乾を迎え入れ、大砲の制作を命じた。&br;この作成された大砲の内、スリ・パタニと呼ばれる大砲は&br;現在のパッターニー県の県章のモチーフである。| |~|~|敵船捕獲確率&color(green){+10%};|~| |倉庫|Entrepot|商人&color(green){+1};|| |私有財産の保護|Protection of Private Property|安定度コスト&color(green){-10%};|| |運河インフラ|Canal Infrastructure|開発コスト&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%};|| ***ブトゥアン(Butuan)v1.24[#BTU] v1.24で追加された新規国家の専用NI。 ブトゥアンにあった中継貿易で栄えた海洋国家で、10世紀には既に成立してたとされる王国。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|交易効率&color(green){+10%};|| |>|~|小型船コスト&color(green){-20%};|~| |インド化した社会|Indianized Society|外交枠&color(green){+1};|宋史にブトゥアンの名前が確認でき、ヒンドゥー国家で&br;ラージャにより治められていたと伝えられている。| |北のヌサンタラ|Northern Nusantara|交易力&color(green){+10%};|ヌサンタラ(Nusantara)はそもそもは古マレー語で「列島」の意味。&br;ここでは、マレー世界の意味。&br;フィリピンはヌサンタラの最北の地域にあたる。&br;なお、現代のインドネシア語では、インドネシアの領土・領海を表す言葉で、&br;こちらの場合フィリピンは含まない。| |ブトゥアンの貿易関係|Butuan Trade Connections|商人&color(green){+1};|ブトゥアンは早くからシュリーヴィジャヤ王国やチャンパ王国と&br;貿易を行っていた。| |ブトゥアンの金細工|Butuan Goldwork|外交評判&color(green){+1};|当時のブトゥアンの主力貿易品として金製品が知られている。| |バランガイ|Balangay|州からの交易力&color(green){+10%};|バランガイ(barangay)は、フィリピンの都市を構成する最小の地方自治単位。&br;元々は「帆船」の意味だが、バランガイに乗ったマレー人が各地に定住し、&br;その集団を指す言葉となった。| |海岸線の防衛|Protect the Coastlines|大型船戦闘力&color(green){+10%};|| |長距離外交|Long Range Diplomacy|外交官&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| ***ペグー(Pegu)v1.22[#PEG] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|州からの交易力&color(green){+10%};|| |>|~|商人&color(green){+1};|~| |ペグーの富|Riches of Pegu|交易効率&color(green){+10%};|イラワジ川(現在はエーヤワディー川と言う)河口に港を持っていたペグーは中継貿易の拠点の1つであった。&br;宝石、ルビー、象、チーク材、麝香等の交易品を中国とインドの中継をし、栄えたとされる。| |マルタバン|Martabans|交易品生産量&color(green){+10%};|マルタバンは、ミャンマー南部にある都市。現代ではモッタマと呼ばれる。&br;花瓶や壺で有名であり、このあたり一帯で作成された壺はマルタバン壺と称される。| |ダンマゼーディー|Dhammazedi|国教寛容度&color(green){+2};|ダンマゼーディーはペグー朝の第16代の王。&br;元はアヴァの僧侶であったが、前王シンソーブの時代に重用され、王の娘と結婚し、王位を禅譲された。&br;この時代、司法は王が裁くことも多かったようで、その判例を集め編纂された&br;『ダンマゼーディー司法判決集』は有名で現代にも残る。| |ラーマンニャデーサ|Ramannadesa|陸軍士気&color(green){+10%};|ラーマンニャデーサは「ラマンの国」を意味する。ラマンはモン族の事。&br;古代ではタイやミャンマー一帯のモン族の領土を指したようである。&br;その後、ビルマ族やタイ族より領土を奪われ、モン族の国家は一時的になくなるが、&br;その後モン族の国家として復活するのがペグー王朝である。| |精力的な交戦|Dynamic Warfare|軍事技術コスト&color(green){-10%};|| |仏教王権|Buddhist Kingship|正統性&color(green){+1/年};|王の権力や統治権を仏教に求める政治形態のことで、スリランカが有名。&br;ペグーでは、ダンマゼーディーの治世に王権の正当化を目的に仏教改革が行われた。| |モン族のディアスポラ|Mon Diaspora|外交評判&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|開発コスト&color(green){-10%};|| ***マジャアス(Madyas)v1.24[#MAS] v1.24で追加された新規国家の専用NI。 スマトラ島やボルネオ島からビサヤ諸島へ移住したマレー人が各地に集落を築き、その各地の集落の連合国家。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍提督機動&color(green){+1};|| |>|~|水兵維持費&color(green){-10%};|~| |ヒニラウッドゥ|Hinilawod|アイデアコスト&color(green){-10%};|ヒニラウッドゥ(Hinilawod)は、パナイ島のスロッド(Sulod)の原住民スロッド族の頃より&br;伝わる口伝の叙事詩。29,000もの詩篇からなり、世界でも最長の叙事詩と言われる。&br;3人の半神の兄弟の物語である。| |パナイの遺産|Legacy of Panai|海軍士気&color(green){+15%};|ビサヤ諸島の祖先は元々シュリーヴィジャヤ王国時代、&br;スマトラ島にあるパナイ(Pannay)を支配していたが、&br;外国からの侵略を受けた際にパナイ島へ移住したとされる。&br;また、有名な伝説「マラグタス(Maragtas)」では、&br;ボルネオでの圧政から逃げた10人のダトゥ(Datu、首長)が&br;パナイ島へ移住し、原住民より土地を買ったとされる。| |ビサヤ諸島の富|Riches of the Visayas|開発コスト&color(green){-10%};|ビサヤ諸島はフィリピンでも肥沃な地と知られ、&br;農業が盛んであった。| |海戦名人|Masters of Maritime Warfare|海軍提督白兵&color(green){+1};|| |連合規約|Articles of the Confederation|威信&color(green){+1/年};|先に挙げた10人のダトゥの1人スマクウェル?(Sumakwel)が&br;制定した法典(成文法)を指すと思われる。マダグタス法典とも。&br;先に記載した、買い上げた土地をマジャ・アス(Madya-as)と名付けた後、&br;イロン・イロン(Irong-irong)、アケアン(Akea)、ハムティク(Hamtik)地域の&br;3つのグループに分かれたが、買い取った元々の土地イロン・イロン(Irong-irong)を受け取った&br;ダトゥの1人パイブロン(Paiburong)を中心にダトゥの評議会が開かれ、&br;6つの条項からなる連合規約を採択した。&br;それがマダグタス法典である。| |キナダトゥアン|Kinadatuan|安定度コスト&color(green){-10%};|キナダトゥアン(Kinadatuan)は、主権領域や王室といった意味か。&br;マジャ・アスは連合国家であるので、&br;上記で触れたダトゥそれぞれの主権領域やそれを治めるダトゥの王室の事のようである。| |造船分野の拡大|Expand the Shipbuilding Sector|船舶の耐久力&color(green){+5%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍提督射撃&color(green){+1};|| ***マジャパヒト/スンダ(Majapahit / Sunda)v1.22[#Javan] アイデアの正式名はジャワ(Javan)である。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|異教寛容度&color(green){+2};|| |>|~|威信自然減&color(green){-1%};|~| |チャンディ式寺院|Candi Shrines|宗教的統一性&color(green){+20%};|チャンディ(Candi)はインドネシア語で寺院を意味する。&br;ジャワでは、他の東インドの島々と同様、インドの影響により、ヒンドゥーが信仰されるが、&br;その後、仏教が入り、習合されていく。&br;世界遺産に認定されているボロブドゥール寺院遺跡等はジャワにある仏教寺院として知られる。&br;なお、ジャワも他の東インドの島々の例に漏れず、イスラム化していくこととなる。| |インド化|Indianization|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|ジャワ島は古くから香料を求めるインドの貿易商人が渡来しており、インド化が進んだ。&br;特に当時のインドの王朝であるパーラ朝の影響を大きく受け、&br;美術や建築、文化にもパーラ朝の影響が見られる。&br;ボロブドゥール寺院にもパーラ朝の影響が見える。| |ダルマ・シャーストラ|Dharmasastra|布教強度&color(green){+2%};|ダルマ・シャーストラは、紀元前2世紀ころから書き続けられたインド古法典。&br;ヒンドゥー経典とも。インドだけでなく、東南アジア世界にも大きな影響を与えた。| |アジア諸国との交易|Pan-Asian Trade|商人&color(green){+1};|ジャワは、インドから中国に至る交易網の中継地の一つとして栄えた。| |~|~|交易誘導&color(green){+10%};|~| |年に二度の収穫|Bi-Yearly Harvest|交易品生産量&color(green){+10%};|ジャワは、肥沃な土地と高度な灌漑施設を有しており、二毛作や二期作が行われていた。| |造船技術の近代化|&size(12){Modernized Ship-Building techniques};|艦船関連コスト&color(green){-10%};|| |テラコッタ金融システム|Terracotta Banking System|交易効率&color(green){+10%};|テラコッタは粘土を素焼きにした細工物や装飾用の陶器のこと。&br;マジャパヒトの遺物として多くのテラコッタが産出されている。&br;その中から発見された1つの「Terracotta Boars」は、&br;マジャパヒト王国の初期の金融システムと言われる。Boarsは豚を意味する。&br;つまりだ。長々と書いたが「Terracotta Banking System」ってのは、&br;「豚の貯金箱でお金貯める」ってことなんだな多分。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍維持費&color(green){-20%};|| ***ラーンサーン(Lan Xang)v1.22[#LXA] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|布教強度&color(green){+1%};|| |>|~|国教寛容度&color(green){+2};|~| |ラオスの民族多様性|Laotian Ethnic Diversity|受容文化枠&color(green){+1};|インドシナは、「民族の宝庫」と言われるほど、多数の民族が混在、多様な文化が見られる。&br;ラオスには50以上の民族が分布していると言われる。| |戦象|Elephant Cavalry|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|ラーンサーンは「100万の象」という意味で、インドシナでは戦象を多く利用しており、&br;名前により強大さを示したとされる。&br;また、ある戦争では2千もの戦象を投入したという記録も残っている。| |ラーンサーン王室の歴史|Court History Of Lan Xang|関係改善&color(green){+15%};|「ラーンサーン年代記」を指すものと思われる。&br;ラーンサーン年代記は、貝葉(椰子などの植物の葉を加工して、&br;紙の代わりに用いた筆記媒体)文書より転写されたもので、&br;上代からラーマ1世までのラーンサーンの歴史が描かれている。&br;当時を知る貴重な史料として知られる。| |~|~|侵略的拡大&color(green){-10%};|~| |白象|The White Elephant|不穏度&color(green){-1};|白象は、ラオスにおいても神聖視されていた。&br;なお、英語で「white elephant」は「無用の長物」という意味がある。| |文化の開花|Flowering Of Culture|安定度コスト&color(green){-10%};|| |ヴィエンチャンの商人|Merchants of Vientiane|要塞防御&color(green){+10%};|ヴィエンチャンは現代のラオス人民民主共和国の首都で「月の都」等の意味を持つ。&br;ラーンサーン王国においても、1560年に首都をルアンパバーンから&br;ヴィエンチャンに遷都している。&br;メコン川沿いに位置し、古くから商業の拠点であった。&br;ラーンサーン王国は16世紀に最盛期を誇り、その時代に訪れたヨーロッパ人に&br;「東南アジアで最も荘厳な町」と評されている。&br;18世紀にラーンサーン王国が分裂した際も、&br;ヴィエンチャンを首都としたヴィエンチャン王国が興った。| |ラーンサーンのルネサンス|Renaissance of Lan Xang|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|| ***ラーンナー(Lan Na)v1.22[#LNA] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|州からの交易力&color(green){+10%};|| |>|~|人的資源&color(green){+10%};|~| |マンラーイの遺産|Legacy of Mangrai|正統性&color(green){+1/年};|マンラーイは、ラーンナー王朝の創始者。&br;タイ・ユワン族であり、ラーオチョン王家(チャッカラート王家)25代目の君主とされ、&br;周辺諸国と同盟もしくは武力併合を行う事で勢力を拡大した。&br;その後、大元の雲南侵入に伴い、首都を南のチエンマイに遷都し、ラーンナー王朝を築いた。&br;落雷により亡くなったとされる。| |百万の水田|A Million Rice Paddies|交易品生産量&color(green){+10%};|タイ語でラーンナーは「百万の田」という意味である。| |ナガの水|Waters of the Naga|税収&color(green){+10%};|「ナガ」は「ナーガ」とも呼ばれる、インド神話に起源を持つ多頭の蛇神。&br;タイでは水神として崇められ、メコン川の水底に住まうとされる。&br;乾季にはナガ神がでて水を吹きまいて、雨季には水を飲み、洪水から守ってくれると信じられている。| |白象|The White Elephant|国教寛容度&color(green){+2};|ラーンナーの首都であったチエンマイには、白象にまつわる伝説が残っている。&br;第6代ラーンナー王パヤー・クーナーは、プラ・スマナ・テーラという&br;釈迦の遺骨である仏舎利を持つ高僧をスコータイより招聘した。&br;王と僧は仏舎利安置場所を相談したが、難航した為、&br;仏舎利の一片を白象の背に乗せ、離すこととした。&br;白象は険しい山道を上り、ドーイ・ステープの頂に到着すると、三度雄叫びを上げ、その場で亡くなった。&br;その位置に仏舎利を埋め、仏塔を供養の場として建立した。&br;上記がドーイ・ステップ寺院の興りであり、白象も寺院にて祀られている。| |赤と黒の隷属|Red and Black Vassals|受容文化枠&color(green){+1};|ここでいう「赤」と「黒」は「紅河」と「ダー(黒)川」のことか。&br;ラーンナー初代王マンラーイはこの河の渓谷地帯の国々に対して朝貢させたという。&br;もしくは、赤タイ族(白タイとも)と黒タイ族のことか。詳しい人いたら教えて下さい。| |象の突撃|Elephant Charge|騎兵攻撃範囲&color(green){+50%};|| |王朝の拡散|Dynastic Spread|外交枠&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|開発コスト&color(green){-10%};|| **グループNI [#k8b874a4] 特定の集団に属する勢力に対して適用されるNI ***シャン(Shan)v1.22[#Shan] 主要文化がシャン(shan)の国家に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|後継者誕生確率&color(green){+50%};|| |>|~|受容文化枠&color(green){+1};|~| |要塞都市|Fortified Cities|要塞防御&color(green){+15%};|| |水稲栽培|Wet Rice Cultivation|生産効率&color(green){+10%};|シャン族は古くからの稲作農耕民で、灌漑による水稲栽培を生業とした。| |ソーボワ|Sao Pha|不穏度&color(green){-1};|ソーボワはシャンの国家で使用される君主の称号。&br;「Sao」は「主」、「Pha」は「空」や「天」の意味で「天主」や「空の主」という意味になる。&br;日本語だと「藩王」と訳され、イギリスの植民地時代にも置かれた。| |宝石貿易の支配|Control of the Gem Trade|首都ノード交易力&color(green){+10%};|シャン族の住むシャン高原は昔から宝石の産地として知られており、&br;ルビー、琥珀、サファイア、翡翠等が多く産出された。| |侵略者|Raiders|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| |~|~|略奪速度&color(green){+10%};|~| |シャン族の年代記|Shan Chronicles|正統性&color(green){+1/年};|| |拡張主義|Expansionism|人的資源&color(green){+25%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源回復速度&color(green){+15%};|| ***スマトラ(Sumatran)v1.22[#Sumatran] 主要文化がスマトラ(Sumatran)で、かつ国教がイスラム教グループの国に適用 (For Muslim countries that have Sumatran as primary culture.) |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|交易範囲&color(green){+15%};|~| |貿易への依存|Reliance on Trade|交易効率&color(green){+10%};|| |メッカの玄関|Porch of Mecca|布教強度&color(green){+2%};|| |香料海賊|Spice Pirates|小型船攻撃力&color(green){+10%};|| |~|~|私掠効率&color(green){+15%};|~| |学問の中心地|Center of Scholarship|顧問コスト&color(green){-15%};|| |インド洋の商人|Merchants of the Indian Ocean|商人&color(green){+1};|| |シュリーヴィジャヤの遺産|Legacy of Srivijaya|威信&color(green){+1/年};|シュリーヴィジャヤ王国はスマトラ島のマレー系海上交易国家。&br;起源ははっきりしないが、7世紀にはマラッカ海峡を支配した。| |海の支配|Rule of the Sea|海軍扶養限界&color(green){+25%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|要塞防御&color(green){+20%};|| ***スラウェシ(Sulawesi)v1.22[#Sulawesi] マカッサル(Makassar)、ブトゥン(Buton)、ルウ(Luwu)に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍扶養限界&color(green){+25%};|| |>|~|水兵維持費&color(green){-10%};|~| |アジア内貿易網|Intra-Asian Trade Network|交易誘導&color(green){+10%};|| |バジャウ族|The Bajau|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|バジャウ族(サマ族)は陸地に特定の住居を持たず、&br;舟上で水上を定期的に移動しながら生きる漂海民。&br;現代では、フィリピンのセブ島やスールー諸島、&br;ボルネオ島サバ州、スラウェシ州に分布している。| |プラウ船|The Prau|小型船コスト&color(green){-20%};|マレーにて使用されていた小型帆船のこと。| |スラウェシの統一|Unification of Sulawesi|税収&color(green){+10%};|| |アイデア普及の促進|Encourage Diffusion of Ideas|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| |貿易の中継港|Entrepot of Trade|交易力&color(green){+10%};|| |不均衡の為の反抗|Asymmetrical Resistance|敵損耗&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%};|| ***マレー(Malayan Sultanate)v1.26[#Malayan] 主要文化グループがマレー(malayan)で、かつ主要文化がスマトラ(Sumatran)ではなく、かつ国教がイスラム教グループの国家に適用 Ver1.25までは主要文化がスマトラ(Sumatran)でも適用された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|艦船関連コスト&color(green){-10%};|| |>|~|交易誘導&color(green){+10%};|~| |インド洋交易|Indian Ocean Trade|商人&color(green){+1};|| |スーフィーの遺産|Sufi Legacy|異教寛容度&color(green){+2};|| |香料諸島|Spice Islands|生産効率&color(green){+10%};|| |古典マレー語|Classical Malay|アイデアコスト&color(green){-5%};|| |交易船|Trading Fleets|海軍維持費&color(green){-20%};|| |~|~|水兵維持費&color(green){-10%};|~| |パサイ王国の後継者|Heirs of Pasai|正統性&color(green){+1/年};|| |島々への定住|Settle the Islands|植民地人口増&color(green){+20};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|戦闘で得る海軍伝統&color(green){+50%};|| ***ミンダナオ(Mindanao)v1.24[#Mindanao] マギンダナオ国(Maguindanao)及びラナオ国(Lanao)に適用。 v1.24より追加されたグループNI。フィリピン南部の国家のNI。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|~| |イスラム化されたバランガイ|An Islamicized Barangay|異教寛容度&color(green){+2};|バランガイ(barangay)は、フィリピンの都市を構成する最小の地方自治単位。&br;元々は「帆船」の意味だが、バランガイに乗ったマレー人が各地に定住し、&br;その集団を指す言葉となった。| |ダトゥの統一|Unite the Datus|税収&color(green){+10%};|ダトゥ(datu)は、上記のバランガイの首長の事。| |ミンダナオの富の保護|Protect the Riches of Mindanao|交易品生産量&color(green){+10%};|| |モロの水兵|Moro Sailors|海軍維持費&color(green){-20%};|モロ(moro)はフィリピンの諸島に住むムスリムの総称。&br;フィリピンへ入植してきたスペイン人による命名で、&br;元々は、アフリカ北西部のアラブ人やムスリムの総称として&br;用いられた「ムーア人」という意味。&br;16世紀から約300年間、スペイン植民者と闘争を続けた(モロ戦争)。&br;成立ちから分かるように蔑称の意味を含むので注意。| |港の防衛強化|Fortify our Ports|要塞防御&color(green){+20%};|| |ゲリラ戦|Guerrilla Warfare|陸軍士気&color(green){+10%};|| |ミンダナオの海賊|Pirates of Mindanao|禁輸効率&color(green){+10%};|| |~|~|私掠効率&color(green){+25%};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+10%};|| ***モルッカ(Moluccan)v1.24[#Moluccan] 主要文化がモルッカ(Moluccan)の国に適用 v1.24にて離島の征服(Dominance over the Outer Islands)の効果が植民者+1から植民地人口増+20に変更されました |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~| |香料諸島|The Spice Islands|交易効率&color(green){+10%};|モルッカ諸島(マルク諸島)は、スラウェシ島の東、ニューギニア島の西、&br;ティモール島の北に位置する約1,000の島々で構成される諸島。&br;クローブ、ナツメグ、ビャクダン等の香料(香辛料)の原産地で豊富に取れるため、&br;香料諸島(スパイス・アイランド)と呼ばれた。&br;中世ではスペイン、ポルトガル、イギリス、オランダなどが香辛料貿易の利権を激しく争った。| |共有文化遺産|Shared Cultural Heritage|正統性&color(green){+1/年};|| |貿易の代理|Agents of Trade|商人&color(green){+1};|| |4つの王国|Four Kingdoms|不穏度&color(green){-2};|モルッカ諸島は植民地以前、&br;テルナテ王国、ティドーレ王国、バチャン王国、ジャイロロ王国&br;の4つの大きな王国があった。&br;4王国は「4つのマルク山」とも称された。| |離島の征服|Dominance over the Outer Islands|植民地人口増&color(green){+20};|| |パプア人との同盟|Alliance with the Papuans|小型船攻撃力&color(green){+15%};|| |実利的外交|Pragmatic Diplomacy|外交官&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|水兵維持費&color(green){-2};|| ***ラオス(Laotian)v1.22[#Laotian] 主要文化がラオス(Laotian)の国家に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|国教寛容度&color(green){+2};|~| |プラ・ラック・プラ・ラム|Phra Lak Phra Lam|不穏度&color(green){-1};|プラ・ラック・プラ・ラムは、ラオスの民族叙事詩で、「ラーマーヤナ」のラーオ語版。&br;プラ・ラックとプラ・ラムは登場人物の名であり、&br;それぞれプラ・ラックがラーマ(主人公)、プラ・ラムがラクシュマナ(主人公の弟)にあたる。| |ニタン・クンブロム|Nithan Khun Borom|威信&color(green){+1/年};|ニタン・クンブロムは16世紀に成立したとされる叙事詩、歴史物語。&br;ラオスの建国神話が記されている。&br;Nithanはタイ語で物語、おとぎ話の意味で、Khun Boromは伝説の人物の名。&br;クンブロムは、父のインドラ(帝釈天)より、タイ地方を統治するため、送られた。&br;25年間の統治後、クンブロムの七人の息子に地方を分割し、統治させた。&br;クンブロムの長兄はラオスを治め、その子孫ファー・グムがラーンサーン王国を建国した。&br;以上より、ラオスではクンブロムを父祖としている。| |ピー宗教|Satsana Phi|異教寛容度&color(green){+2};|Satsana Phi(サーサナー・ピー)を直訳すると「精霊宗教」であるが、&br;ピーは日本語で言う精霊・お化け・妖怪と幅広い意味合いを持つ。&br;タイ語族の地域で信仰されたアミニズムの一種。&br;良いピーの為、米や水などの供物を捧げ、悪いピーを追い払う為、&br;家の前にサボテンを置くと行った風習が見られる。&br;仏教やヒンドゥーが伝来、普及した後もピー信仰は絶えず、他の宗教と混淆を果たした。&br;現代でも、ラオスの少数民族の村では、寺で行われる仏教行事に参加し、&br;悪霊を病気の原因として語るといった姿が見られるという。| |ラオスの民族多様性|Laotian Ethnic Diversity|受容文化枠&color(green){+1};|インドシナは、「民族の宝庫」と言われるほど、多数の民族が混在、多様な文化が見られる。&br;ラオスには50以上の民族が分布していると言われる。| |ラオスの戦象|Laotian Elephant Cavalry|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|ラオスの戦象は、他の地域より多くの数が見られ、数千単位にて運用された。| |南シルクロード|Southern Silk Road|交易効率&color(green){+10%};|ラオスは、東南アジアの陸上貿易路において中心にあった。&br;南部へはメコン川を下り、ビエンチャンに向かうルート、&br;北部へはビルマとラーンナーからラオス経由で雲南へ向かい、&br;そこから中国の南部シルクロードと合流するルートがあった。| |ラオスの丘陵戦|Laotian Hill Warfare|要塞維持費&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|| ***ルソン(Luzon)v1.24[#Luzon] パンガシナン国(Pangasinan)、トンド国(Tondo)、マニラ国(Maynila)に適用。 v1.24で新規に追加されたグループNI。フィリピン北部の新国家用のNI。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍伝統&color(green){+1/年};|| |>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~| |バランガイ州|Barangay State|海軍維持費&color(green){-20%};|バランガイ(barangay)は、フィリピンの都市を構成する最小の地方自治単位。&br;元々は「帆船」の意味だが、バランガイに乗ったマレー人が各地に定住し、その集団を指す言葉となった。| |~|~|水兵維持費&color(green){-10%};|~| |楽園の征服|Conquest of Paradise|敵損耗&color(green){+1};|| |支那-フィリピン貿易|Sino-Philippine Trade|艦船交易力&color(green){+10%};|効果が何気にv1.24にして初めて追加された効果で、&br;この効果は通常のアイデア及びNIでルソンアイデア以外に同じ効果を持つアイデアは存在しない。&br;他には協商同盟(Trade Leagues)と提督の機動PIP以外に上昇させる方法がない超レアな効果。&br;%%まあProtect Tradeに出すLight Shipの数増やせばいいだけな訳だが。%%| |タガログの習合|Tagalog Syncretism|異教寛容度&color(green){+2};|| |ルソンの水兵|Luzon Sailors|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|| |安全な避難所|A Safe Haven|顧問コスト&color(green){-10%};|| |砂糖生産の拡大|Expand the Sugar Production|生産効率&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍士気&color(green){+20%};|| *インド [#India] |CENTER:20|>|>|>|>|CENTER:|c |~各国NI|~ベンガル|[[アッサム(Assam)>#ASS]]|[[オリッサ(Orissa)>#ORI]]|[[サディヤ(Sadiya)>#SDY]]|[[トリプラ(Tripura)>#TPR]]| |~|~|[[ベンガル(Bengal)>#BNG]]|[[マニプル(Manipur)>#MLB]]||| |~|~コロマンデル|[[コッテ/キャンディ(Kotte / Kandy)>#CEY]]|||| |~|~デカン|[[ヴィジャヤナガル(Vijayanagar)>#VIJ]]|[[デカン(Deccan)>#DEC]]|[[ナーグプル(Nagpur)>#NAG]]|[[ハブサン(Habsan)>#JAJ]]| |~|~|[[バフマニー(Bahmanis)>#BAH]]|[[マイソール(Mysore)>#MYS]]|[[マラーター(Marathas)>#MAR]]|| |~|~ヒンドゥスターン|[[カーングラ(Kangra)>#KGR]]|[[ガルワール(Garhwal)>#GHR]]|[[ジャウンプル(Jaunpur)>#JNP]]|[[ティルフット(Tirhut)>#TRT]]| |~|~|[[デリー(Delhi)>#DLH]]|[[ネパール(Nepal)>#NPL]]|[[バーラト(Bharat)>#BHA]]|[[パンジャーブ(Punjab)>#PUN]]| |~|~|[[ヒンドゥスターン(Hindustan)>#HIN]]|[[ムガル(Mughals)>#MUG]]|[[ラージプーターナー(Rajputana)>#RJP]]|[[ラダック(Ladakh)>#LDK]]| |~|~西インド|[[グジャラート(Gujarat)>#GUJ]]|[[シンド(Sind)>#SND]]|[[ドゥーンダール(Dhundhar)>#DHU]]|[[マールワー(Malwa)>#MLW]]| |~|~|[[メーワール(Mewar)>#MER]]|||| |~|~グループNI|[[インド・スルタン国&br;(Indian Sultanate)>#Indian_muslim]]|[[ヴィンディヤ(Vindhyan)>#Vindhyan]]|[[ガルジャート(Garjati)>#Garjati]]|[[グジャラート公国&br;(Gujarati Princedom)>#Gujarati]]| |~|~|[[ゴンド(Gond)>#Central_indic]]|[[デカン・スルタン国&br;(Deccani Sultanate)>#Deccani_muslim]]|[[テルグ(Telugu)>#Telugu]]|[[ネパール系公国&br;(Nepalese Princedom)>#Nepalese_minor]]| |~|~|[[ベンガル小国家(Bengali)>#Bengali]]|[[マラバール(Malabari)>#Malabari]]|[[南インド(South Indian)>#Dravidian]]|[[ラージプート(Rajput)>#Rajput]]| **各国NI [#x8764f95] ***アッサム(Assam)v1.22[#ASS] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|不穏度&color(green){-1};|| |>|~|人的資源&color(green){+10%};|~| |ブランジ|The Buranjis|後継者誕生確率&color(green){+50%};|歴史書の一種。字義的には「無知な人を教えるために蓄えられたもの」をさす。&br;アッサム王国は、1228年にタイ系のシャン族の国、マウルン王国の王子である&br;スカーパー(Sukaphaa)がインドのアッサム地方にて建国された。&br;ブランジはこのスカーパーの代より脈々と作成された年代記である。| |水稲栽培|Wet Rice Cultivation|開発コスト&color(green){-10%};|| |河川戦術|River Warfare|敵損耗&color(green){+1};|ここでいう河川は、ブラマプトラ川のこと。&br;全長約2900kmの大河で、アッサム州にはこの大河の氾濫原があり、恩恵を受けている。| |~|~|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|~| |パイク制の改革|Reform the Paik System|人的資源回復速度&color(green){+15%};|パイク制は賦役制の一種。&br;国家から土地を与えられる代わりに兵役などの義務を担った。| |請願法|Process of Appeal|安定度コスト&color(green){-10%};|| |検地|Land Survey|税収&color(green){+10%};|| |アホムの外交|Ahom Diplomacy|外交官&color(green){+1};|アッサム王国に住む民族はアホム(Ahom)族、アーホーム族と称され、&br;アッサム王国は、アホム王国、アーホーム王国とも呼ばれた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|外交評判&color(green){+1};|| ***ヴィジャヤナガル(Vijayanagar)v1.22[#VIJ] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|雇用可能顧問&color(green){+1};|~| |交易の推進|Promotion of Trade|交易力&color(green){+10%};|| |アラブ馬|Arab Horses|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|当時は、戦争の兵種が象兵と歩兵から騎兵へ転じた時期であり、&br;ヴィジャヤナガルは西方から積極的にアラブ馬を輸入した。| |刑事罰|Harsh Penal Code|安定度コスト&color(green){-10%};|| |寛容|Tolerance|異端寛容度&color(green){+1};|| |~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~| |カルナティック音楽|Carnatic Music|威信&color(green){+1/年};|カルナティック音楽は、インド南部のヒンドゥーの古典音楽から発展した音楽。&br;インド音楽はヒンドゥーの神と女神であるデーヴァとデーヴィーより生まれた芸術形態である。&br;主な特徴は声楽である。| |巧みな外交|Adroit Diplomacy|外交官&color(green){+1};|| |勝利の都の軍隊|An Army for the City of Victory|規律&color(green){+5%};|ヴィジャヤナガル王国の建国者であるハリハラとブッカの兄弟は、&br;トゥグルク朝に捕虜にされ、イスラム教に改宗しトゥグルク朝に仕え、南インドの統治を行った。&br;その後、トゥグルク朝で各地に反乱が起きた際に乗じ、1336年に独立を宣言。&br;トゥンガバドラー川の南岸の都市に都を築き、「勝利の都」を意味するヴィジャヤナガルと名付け、&br;ヴィジャヤナガル王国を建立した。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|傭兵枠&color(green){+50%};|| ***オリッサ(Orissa)v1.22[#ORI] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+5%};|| |>|~|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|~| |象の君主|Lord of the Elephants|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |ジャガンナートの従者|Servitor of Jagganath|正統性&color(green){+1/年};|ジャンガンナートはオリッサ地方の土着神。ジャガーノートとも。&br;後にヒンドゥーに組み込まれヴィシュヌ神の化身とされた。| |地方知事|Parikshas|税収&color(green){+10%};|%%(Exam的な意味らしい。もしかすると科挙のようなもの?)%%&br;パリクシャー(Pariksha)は、「診療」の意もあるみたいだが、ここでは知事(governor)を指す。&br;オリッサ地方では、準独立した小君主の集合体の領地である「マンダラ」の状態で、&br;それを「マンダラの主」の意であるMandaleshvaras(マンダレシュバーラ?)が統治する形態であった。&br;15世紀前半から16世紀中頃にオリッサ地方を治めたガジャパティ朝ではこれを改め、&br;皇帝の下、各地方を統治するパリクシャーを代わりに配置することで、中央集権化を図った。&br;一番上は、Exam的(科挙)な意味ではなくて、Parikshaになる為のExamの事かな?| |布生産の改良|Refined Cloth Production|交易品生産量&color(green){+10%};|オリッサは古代より絣(かすり)織りの有名な産地である。| |寺院建設の支援|Patronize Temple Construction|威信&color(green){+1/年};|| |塩交易の奨励|Encourage the Salt Trade|交易効率&color(green){+10%};|| |サドハバの伝統|Heritage of the Sadhabas|海軍扶養限界&color(green){+25%};|サドハバはオリッサ地方に昔あった国家の船乗りや海洋商人。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易誘導&color(green){+20%};|| ***カーングラ(Kangra)v1.22[#KGR] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|敵損耗&color(green){+1};|~| |カトーチの血統|Katoch Lineage|威信低下&color(green){-1%/年};|Katoch(カトーチ?)は、古代クシャトリヤの末裔ラージプートの一族で、&br;ヒンドゥーの神話で言う「月種族(チャンドラ・ワンシス)」の系統氏族。&br;カトーチ家の起源は非常に古く、カーングラ王国の前身は、&br;叙事詩マハーバーラタに登場するトリガルタ国とされており、&br;伝承ではこのトリガルタ国の時代からカーングラ地方の支配者と伝えられる。&br;カーングラ王国はカトーチ朝とも呼ばれ、&br;カトーチ家は486代の系譜が残るとも言われる名家である。| |カーングラ渓谷の富|Riches of the Kangra Valley|人的資源&color(green){+10%};|カーングラ渓谷はヒマラヤ山脈の山間部に位置する。&br;伝説では、悪魔ジャランダーラがシヴァ神と闘い敗れた際、その首がカーングラ渓谷に落ちたとされる。&br;この渓谷は周辺の過酷な土地と違い、緑豊かで風光明媚な場所である。&br;現代では、カーングラ(カングラ)渓谷鉄道が走っていて、&br;某「世界の車窓から」映る景色を放送する番組にも取り上げられた。| |軍事遺産|Martial Heritage|陸軍士気&color(green){+10%};|| |丘陵の砦の統制|Control of the Hill Forts|要塞維持費&color(green){-10%};|カーングラの砦は、トリガルダ国の砦としてマハーバーラタでも登場、&br;カトーチ家により建造されたとする、インドで最も古い砦の1つである。| |~|~|守備兵数&color(green){+10%};|~| |山岳交易の強化|Strengthen the Mountain Trade|キャラバン力&color(green){+15%};|| |パハーリー絵画|Pahari Painting|威信&color(green){+1/年};|インドでは中世ムガル帝国時代に細密画が盛行した。&br;その中で、庶民的でヒンドゥーの神々を題材とするラージプート絵画が発展した。&br;このラージプート絵画の派閥の一つが西部ヒマラヤ地方のパハーリー派であり、山地派とも呼ばれる。| |ヒマラヤの虎|Tigers of the Himalayas|規律&color(green){+5%};|カーングラ王国や君主は「ヒマラヤの虎」と称された・・・&br;という記述は調べたけど見つけられませんでした。&br;おそらく、19世紀初頭にヒマーチャル地方を争ったライバル、シク王国の創始者&br;ランジート・シングの異名「パンジャーブの虎」に引っ掛けてかなーと。&br;史実では、シク王国に負けて属国となっている。&br;「虎だ!虎だ!お前はヒマラヤの虎になるのだ!!」ってことじゃないですかね。&br;ちなみにヒマラヤは実際に虎の生息地でカーングラにもいる(いた?)みたいよ。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|不穏度&color(green){-1};|| ***ガルワール(Garhwal)v1.23[#GHR] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|開発コスト&color(green){-10%};|| |>|~|敵損耗&color(green){+1};|~| |52のガルの遺産|Legacy of the 52 Garhs|自治度変化&color(green){-0.05/月};|ガルワールは古代では、ガル(Gahr)と呼ばれる砦を中心とした小部族国家が濫立する地方であった。&br;ガルワール王国の創始者カナクパール(Kanakpal)は、元々マールワーの王子で、&br;バドリナート寺院を訪れた際、あるガル部族の酋長と謁見し、その娘と結婚、相続した。&br;カナクパールとその子孫は52のガル部族を征服し、ガルワール王国を設立したという。&br;v1.22で追加された実績「The 52 Garhs」はこの伝説が元ネタでしょうね。&br;v1.23で名前のスペルミス(Gahrs)は修正された。| |ヒマラヤの王国|Himalayan Kingdom|要塞防御&color(green){+10%};|ガルワール王国はインド亜大陸を正面とするとヒマラヤ山脈を背にした立地である。| |~|~|守備兵数&color(green){+10%};|~| |軍事外交|Martial Diplomacy|陸軍士気&color(green){+10%};|ラーニー・カーナヴァティ(Rani Karnavati)の治世を指すらしい。&br;ラーニーはインドの女王・王妃・王女などの意。&br;カーナヴァティはガルワール王国の王マヒパト・シャー(Mahipat Shah)の妃で、&br;王が1631年に早逝した後、&br;7歳の子プリトゥビ・パット・シャー(Prithvi Pat Shah)に代わり王国を統治した。&br;王女は侵略者から国を防衛し、特に1640年にムガル軍の攻撃を撃退している。&br;その際、侵略者の鼻を切り落とす事を行ったことから&br;「Nakti Rani」(Nak-Kati-Rani、鼻切り女王といった意味か)の異名をもった。| |平和で美しい土地|Land of Serene Beauty|不穏度&color(green){-1};|ガルワール地方はヒマラヤ山脈のガルワール・ヒマラヤに位置する秘境である。| |ガンジス川の源流|Source of the Ganges|信心&color(green){+1/年};|ガンジス川の源流とされるガンゴートリー氷河は、ガルワール地方に属する。&br;ガンジス川が氷河から流れ出る場所、源流地はゴームクと呼ばれ、&br;ヒンドゥー徒の巡礼地となっている。| |~|~|正統性&color(green){+1/年};|~| |神の地の保護|Protecting the Land of the Gods|国教寛容度&color(green){+2};|ガンジス川の源流となるガンゴートリーはヒンドゥーの北インド四大聖地の1つとされ、&br;ガルワール地方は「神々の住処」と呼ばれる。&br;その為、ガルワール地方には多くの寺院が見られる。| |信仰の十字路|Crossroads of Faith|異端寛容度&color(green){+1};|ガルワール地方は、ヒンドゥーの聖地以外に、例えばシク教の聖地ヘムクンド湖が存在する。&br;他、ジャイナ教、仏教、イスラム教など多様な宗教が見られた。| |~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|安定度コスト&color(green){-10%};|| ***グジャラート(Gujarat)v1.22[#GUJ] アイデアの正式名はグジャラート・スルタン(Gujarat Sultanate)である。 Ver1.26にて専用のNIが追加された。 が、名称と効果は伝統以外、Ver1.25までのグループNIのグジャラート(Gujarati)と同一内容である。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|艦船交易力&color(green){+10%};|~| |踊れ!|Garba!|宗教的統一性&color(green){+50%};|Garbaはグジャラートにおけるヒンドゥーの伝統的舞踏。&br;イスラム教のスーフィズム(神秘主義)における回転舞踏と親和性を示した。| |ジャイナ教徒との結びつき|Jain Connections|交易範囲&color(green){+20%};|| |グジャラート文字|Gujarati Lipi|安定度コスト&color(green){-10%};|| |流浪のグジャラート商人|Gujarati Merchant Diaspora|小型船コスト&color(green){-20%};|| |インド洋交易の結節点|Hub of the Indian Ocean Trade|州からの交易力&color(green){+20%};|| |外国商人による工場建設|Foreign Merchants set up Factories|交易効率&color(green){+10%};|| |グジャラート移民のアフリカ到達|Gujarati Diaspora Descends on Africa|商人&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易力&color(green){+20%};|| ***コッテ/キャンディ(Kotte / Kandy)v1.26[#CEY] アイデアの正式名はシンハラ(Sinhalese)である。 Ver1.25まではコッテはセイロン(Ceylon)という国家名称(内部タグが同一)だった。 同様に新規に追加されたコッテの属国のキャンディも適用される。 効果は以前のセイロンの時と全く同じ。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|交易効率&color(green){+10%};|| |>|~|要塞防御&color(green){+10%};|~| |王陵地|Gabadagam|税収&color(green){+10%};|| |シンハラ人のサンデシャス|Sinhalese Sandesas|威信&color(green){+1/年};|| |インド洋の真珠|Pearl of the Indian Ocean|商人&color(green){+1};|| |学問の中心|Centre of Learning|外交評判&color(green){+1};|| |シナモン貿易の発展|Develop the Cinnamon Trade|交易品生産量&color(green){+10%};|| |新しいカーストの成長|Growth of New Castes|生産効率&color(green){+10%};|| |シンハラ人のゲリラ戦|Sinhalese Guerilla Warfare|敵損耗&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| ***サディヤ(Sadiya)v1.22[#SDY] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|敵損耗&color(green){+1};|| |>|~|キャラバン力&color(green){+20%};|~| |栄光の国|Land of Glory|陸軍士気&color(green){+10%};|サディヤには1187年にBirpal(ビールパール?)により王朝が建国され、スティヤ王国と呼ばれた。&br;この王国の民はスティヤ人(族)と呼ばれる。&br;同地にはアホム族もアッサム王国を建国しており、この地域をアッサム地域と呼ぶが、&br;同地域を訪れ、国を建国したのはスティヤ族の方が早い。| |宗教の十字路|Crossroad of Religions|異教寛容度&color(green){+2};|| |丘陵と熱帯雨林|Hills and Jungles|要塞防御&color(green){+15%};|| |サディヤの寺院|Temples of Sadiya|威信&color(green){+1/年};|| |ディハン|Dihang|交易効率&color(green){+10%};|Dihangとはディハン川のこと。インド東北部の上アッサムにある約380kmのブラマプトラ川の支流。| |サディヤ軍の改革|Reform the Sadiya Armies|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|火薬は一般的に中国の発明とされているが、&br;サディヤが火薬と銃を発明し、中国へ伝えたという説がある。&br;アホム族がアッサムへ来た際にスティヤ族と戦闘になり、&br;その際スティヤ族は大砲や銃器を用いたと言う説がある。| |紅茶|Black Tea|生産効率&color(green){+10%};|お茶は、古来より中国の主に南西部で自生し、栽培されていたが、&br;1823年にサディヤの奥地でイギリス人により、自生の茶樹が発見される。&br;これが、後にアッサムの原種と認定され、アッサム種の茶樹が栽培、普及していく。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|外交評判&color(green){+1};|| ***ジャウンプル(Jaunpur)v1.26[#JNP] Ver1.26で効果が一部変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵コスト&color(green){-10%};|| |>|~|外交枠&color(green){+1};|~| |プルビア|Purbias|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|Purbia(Purbiyaとも、プルビア?)は、アワドやビハールのラージプートのカースト集団。&br;ラージプートの諸王国が北インドの都カナウジの支配を争った際に&br;東部のビハール等へ移民した際に成された。&br;また、ラージャスターン地方に興ったラージプートの王朝、&br;チャウハーン朝を構成した氏族の1つに「Pubria」が見られるため、&br;この一族を祖とするのかもしれない。&br;火器の扱いに精通しており、傭兵として求められてきた。&br;その為、「Pubria」は一般にアワドやビハールの傭兵を指す場合もあるらしい。| |インドのシーラーズ|Shiraz-i Hind|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|シーラーズは紀元前から繁栄したペルシャの都市。&br;都市ジャウンプルがムガル帝国第5代君主シャー・ジャハーンにより&br;「インドのシーラーズ」と呼ばれた事に由来する。&br;ちなみに、原語はヒンドゥスターニー語であろうが、おそらく正しくは「Shiraz-e Hind」と思われる。| |聖人とスーフィー|Sants and Sufis|宗教的統一性&color(green){+50%};|| |ジャウンプル建築|Jaunpuri Architecture|開発コスト&color(green){-10%};|ジャウンプルはインドの学問・文化の中心都市として発展し、&br;壮大な入口を持つこの地特有のモスクが建設された。| |ガンジス平野|Gangetic Plain|交易品生産量&color(green){+10%};|ガンジス平野は、ヒンドゥスターン平野の中でも特にガンジス川の流域を示す。&br;あまり見ない表現ではある。&br;この平野に位置するジャウンプルは交通の要衝として知られ、&br;貿易品の集積地であったとされる。| |ヒンドゥスターニー古典音楽|Hindusthani Classical Music|威信&color(green){+1/年};|ヒンドゥスターニー古典音楽は北インドで主流のインドの古典音楽の流派で、&br;ラーガ(音階に似た音律組織)とターラ(リズム様式)に基づく。&br;西洋音楽の一定の音高のものを並べただけの音階と異なり、&br;それぞれのラーガ独特のメロディー様式により別のラーガとなるため、多くの種類が存在する。| |軍隊の近代化|Modernization of the Army|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易力&color(green){+10%};|| ***シンド(Sindh)v1.26[#SND] Ver1.26にて専用のNIが追加される予定。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|宣教師&color(green){+1};|| |>|~|陸軍扶養限界&color(green){+25%};|~| |不朽のサンマー朝|Enduring Samma Dynasty|正統性&color(green){+1/年};|サンマー朝はシンド州にあった14世紀から16世紀に存在したラージプートの王朝。&br;首都はタッター(Thatta)。| |バーブ・アル・イスラム|Bab ul Islam|布教強度&color(green){+2%};|直訳すると「イスラムの門」。&br;シンド地域は、8世紀頃にウマイヤ朝の将軍ムハンマド・ビン・カシムの征服を契機に、&br;インド亜大陸で最初にイスラム化された地域であったので、&br;シンド地域はイスラムの門と呼ばれるようになった。| |グジャラートとの繋がりの強化|Strengthen Gujarati Connections|商人交易力&color(green){+5};|| |マクリー・ネクロポリスの拡大|Expand the Makli Necropolis|国教寛容度&color(green){+1};|ネクロポリスは巨大な墓地のこと。&br;タッターのマクリーの丘近くに数十万から百万におよぶ墓が残っている。| |司法腐敗の終結|End Judicial Corruption|汚職&color(green){-0.1/年};|| |タッターの興隆の監督|Oversee the Rise of Thatta|建造物コスト&color(green){-10%};|タッターはシンドを支配した王朝の首都として栄えた。&br;ムガル帝国支配下においても港湾都市として栄え、&br;ムガル帝国時代に建造されたモスクが有名であり、&br;現代では先のマクリーの丘のネクロポリス含めて、&br;「タッターの文化財」として世界遺産に認定されている。| |バローチ部族民の採用|Recruit Balochi Tribesmen|傭兵の規律&color(green){+2.5%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+15%};|| ***ティルフット(Tirhut)v1.22[#TRT] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|国教寛容度&color(green){+2};|~| |学者と詩人|Scholars and Poets|顧問コスト&color(green){-10%};|| |インドへの出入口|Gateway to India|交易効率&color(green){+10%};|| |バラモン王|Brahmin Kings|威信&color(green){+1/年};|| |プルビア|Purbias|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|| |水際線の眺望|Riverine Landscape|敵損耗&color(green){+1};|| |ティルフータ文字|Tirhuta|安定度コスト&color(green){-10%};|| |藍と市場用作物|Indigo & Cash Crops|交易品生産量&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|外交評判&color(green){+1};|| ***デカン(Deccan)v1.26[#DEC] Ver1.26からform可能な国家となり、併せて専用のNIが追加された。 ムガル帝国の宰相カマルッディーン・ハーンが独立して建国したニザーム王国(ハイダラーバード王国)の事である |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|統治効率&color(green){+5%};|| |>|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~| |ダッキニー語|Dakani Language|受容文化枠&color(green){+1};|バフマニーと同一のNI。| |ディーワーンへの財政支援|Funding the Diwan|統治系ポリシー自由枠&color(green){+1};|ディーワーンは、イスラム国家の行政機関で「庁」あるいは「局」を指す言葉。| |外国人貿易商の特権|Privileges for Foreign Traders|交易力&color(green){+10%};|| |パイガー家へ権限を与える|Empower the Paigah|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|パイガー家はニザーム王国の有力な一族。&br;王の次に権勢を誇っており、独自の宮殿や何千人もの私兵を持っており、&br;ニザーム王国内部でひとつの王国のような権勢を誇った一族であった。| |サーフィカースの近代化|Modernize the Sarf-e-Khas|規律&color(green){+5%};|サーフィカース?(Sarf-e-Khas)は直訳すると&br;「私費」(private expenditure)の意味であるが、&br;ここではニザーム王の王領を指す。&br;また、ニザーム王国ではサーフィカース軍と呼ばれる&br;王の私兵がいた事が知られており、&br;この近代化はその軍に対しての近代化の事を言っている。| |ニザームの宝石|Jewels of the Nizams|外交評判&color(green){+1};|都市ゴールコンダ近郊は鉱山からは多数の有名な宝石が採掘され、&br;世界的に有名なダイヤモンドが産出されている。&br;また、エメラルド、パール、ダイヤモンド、ルビー等の宝石も多数算出され、&br;ニザーム王国の宮殿の地下貯蔵庫には、&br;膨大な量の宝石があったという伝説が残っている。| |産業の発展を促進|Encourage Growth of Industries|交易品生産量&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***デリー(Delhi)v1.26[#DLH] Ver1.26からform可能な国家となり、併せて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|| |>|~|外交評判&color(green){+1};|~| |アフガン貴族|Afghan Nobility|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|インド北部ではアフガン人貴族が非常に強い影響力を持っていた。| |反乱の鎮圧|Suppress Rebellion|不穏度&color(green){-1};|| |デリー帝国の復興|Restore the Delhi Empire|コア化コスト&color(green){-10%};|14世紀に誕生したデリー・スルターン朝の&br;3番目の王朝であるトゥグルク朝は、&br;インドの大半を版図とした。| |織物生産の革新の促進|Promote Innovation in Textile Production|生産効率&color(green){+10%};|綿織り機やウォームギヤローラーの綿繰り機の&br;発明に代表されるように16世紀頃は&br;インドは織物に関して世界で最も先進した地域であった。| |旧州の再統合|Re-integrate Former Provinces|領有可能ステート数&color(green){+5};|| |大幹道の保護|Protect the Grand Trunk Road|首都ノード交易力&color(green){+10%};|大幹道はアジアの最古で最長の主要道の1つ。&br;バングラデシュのチッタゴンから北インドを経由して&br;アフガニスタンのカブールまで続く、&br;2000年以上前から存在するインド亜大陸の東と西を結ぶ道。| |インドの王位|The Throne of India|正統性&color(green){+1/年};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|受容文化枠&color(green){+1};|| ***ドゥーンダール(Dhundhar)v1.26[#DHU] Ver1.26にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|キャラバン力&color(green){+20%};|~| |アーメール城の改善|Improve the Fort at Amer|要塞防御&color(green){+20%};|アーメール(英語読みのアンベールとも)はアーメール王国(本ゲームではドゥーンダールの事)の首都。&br;1592年からアーメール王マーン・シング(Man Singh)により、&br;元々砦のあった場所に大規模な築城が行われた。&br;アーメール城の山上には後にジャイガール城砦があり、&br;隠れた通路でつながっている。現代では「ラージャスターンの丘陵城塞群」の一部として世界遺産に認定されている。| |列強の保護を求める|Seek the Protection of Great Powers|外交評判&color(green){+1};|1562年、アーメール王バール・マル(Bhar Mal)は娘ハルカー・バーイー(Harka Bai)を、&br;ムガル帝国第3代皇帝アクバル(Akbar)に嫁がせ、&br;ムガル帝国との同盟関係を構築した。| |ヒンドゥーの儀礼の復元|Restore Hindu Ceremonies|国教寛容度&color(green){+1};|ここでの儀礼は、ヴェーダ祭式についての事と思われる。&br;馬を供物として捧げるアシュヴァメーダ(Ashvamedha、馬祠祭)や、&br;ソーマを供物として、祭火に捧げる祭式ヴァージャペーヤ(Vajapeya)等が挙げられる。| |ジャイプルの都市の創立|Found the city of Jaipur|開発コスト&color(green){-10%};|ジャイプルは1727年にアーメール王ジャイ・シング2世により建造された都市。&br;アーメール王国の首都もその際にアーメールからジャイプルへ遷都された。| |外国領土での戦闘|Battles in Foreign Lands|戦闘で得る陸軍伝統&color(green){+50%};|| |天文学の教育|Astronomical Education|技術コスト&color(green){-5%};|| |ピンダーリー傭兵|Pindari Mercenaries|陸軍損耗&color(green){-15%};|ピンダーリーは18世紀に現れた群盗の事。&br;主にイギリス植民地軍に滅ぼされた藩王の軍人で構成された盗賊団で、マラーターと結びついた。&br;対価ではなく、略奪の特権により動いたとされる。&br;1814年にはイギリス東インド会社とピンダーリー戦争を起こした。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|| ***トリプラ(Tripura)v1.26[#TPR] Ver1.23で専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|敵損耗&color(green){+1};|~| |王統記|Rajmala|正統性&color(green){+1/年};|| |適応型の統治|Adaptive Administration|税収&color(green){+10%};|| |宗教の混淆|Religious Syncretism|異教寛容度&color(green){+2};|| |軍支配の拡張|Extended Military Control|陸軍扶養限界&color(green){+25%};|| |ミシップの任命|Appointment of Missips|ステート維持費&color(green){-15%};|| |ジュート生産|Jute Production|生産効率&color(green){+10%};|ジュートは麻の一種。&br;ベンガルNIと同一のNI。&br;本NIに適用するため、名前が少し修正(in Bengalが削除)されたようである。| |地域防衛の強化|Strengthen Local Defenses|要塞防御&color(green){+20%};|v1.26で名称が一部修正(Defences→Defenses)がされた。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易品生産量&color(green){+10%};|| ***ナーグプル(Nagpur)v1.26[#NAG] Ver1.26にて専用のNIが追加された。 Ver1.25までは1724年以降で開始時に使用できる国家であったが、Ver1.26からform可能な国家となった。 ゴンド人王国のひとつデーオガル王国が伸長し、 後にマラーター同盟一角のボーンスレー家に乗っ取られ、中央インド一帯まで征服を行った国家。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+15%};|| |>|~|侵略的拡大&color(green){-15%};|~| |ゴンドとガルジャットの統合|Unite the Gonds and Garjats|不穏度&color(green){-2};|ゴンド王国の一つであるデーオガル王国君主&br;ラージャ・チャーンド・スルターンが1739年頃に死亡すると王位を巡り内乱が発生、&br;その際にマラーター王国宰相代理としてラグージー・ボーンスレーが派遣された。&br;ボーンスレーは摂政の後、国王を廃し実権を握り、&br;ゴンド王国やガルジャットを次々と征服し、&br;中央インド一帯を支配した。| |過酷な地形の活用|Exploit Harsh Terrain|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|| |職人の呼び寄せ|Send for Artisans|建造物コスト&color(green){-10%};|| |マラーター戦士の招聘|Invite Maratha Warriors|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|ナーグプルを治めた君主ボーンスレー家は、&br;マラーター同盟の有力な家の1つである。| |軽騎兵の衝突戦術|Light Cavalry Shock Tactics|与白兵ダメージ&color(green){+10%};|| |森林の耕作|Cultivating the Forest|生産効率&color(green){+10%};|| |不当な拡張|Unjustified Expansion|不当な要求&color(green){-25%};|小ネタだが、本NIの内部タグは「nag_no_cb_best_cb」というネタタグになっている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|無償指揮官枠&color(green){+1};|| ***ネパール(Nepal)v1.22[#NPL] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源回復速度&color(green){+10%};|| |>|~|陸軍扶養限界&color(green){+25%};|~| |ディビヤ・ウパデシュ|The Divya Upadesh|外交評判&color(green){+1};|直訳すれば「神の教え」。ネパール国王プリスビ・ナラヤン・シャハが、&br;ネパールの政治や外交のあり方について記した文書。| |高峰の地|Land of Peaks|要塞防御&color(green){+15%};|| |峡谷の結束|Our Valleys United|人的資源&color(green){+15%};|| |ラージプートの亡命者|Rajput Refugees|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| |ロイヤル・クマリ|The Royal Kumari|陸軍士気&color(green){+10%};|クマリはネパールにいる生きた女神で、予言者の役割を果たす。&br;ロイヤル・クマリは首都にいる特別なクマリで、王もひれ伏す存在である。| |グルカ兵|The Gurkhas|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|湾曲した特異な形状の「グルカナイフ」で著名。&br;近現代ではイギリス軍所属の精鋭として勇名を馳せた。| |包囲と封鎖|Envelopment and Blockade|指揮官包囲&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***バーラト(Bharat)v1.26[#BHA] Ver1.26にて専用のNIが追加された。 1444GC開始時に使用可能な国家ではなく、form専用の国家。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|安定度コスト&color(green){-10%};|| |>|~|ステート維持費&color(green){-15%};|~| |戦象戦術の近代化|Modernized War Elephant Tactics|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|| |亜大陸の統一|Unite the Subcontinent|受容文化枠&color(green){+2};|亜大陸はインド亜大陸の事。| |サンスクリット文学の黄金時代|Golden Age of Sanskrit Literature|技術コスト&color(green){-5%};|| |インド軍|Indian Army|規律&color(green){+5%};|| |ガンガー|Ganga|国教寛容度&color(green){+2};|ガンガー(Ganga)は恒河(ごうが)とも呼ばれる、&br;ヒンドゥーに伝わる、ガンジス川を神格化した女神の事。| |バラモン統治|Brahmin Administration|統治効率&color(green){+5%};|| |ロケット技術の発展|Develop Rocket Technology|砲兵戦闘力&color(green){+10%};|ここのロケットはロケット砲等の兵器の意味。&br;ロケット自体は歴史は古く、西暦1000年頃には中国で、&br;今のロケット花火の形態が発明され武器として利用されていた。&br;インドではロケットの技術が発展しており、&br;マイソール戦争ではインド側がロケット砲団を編成、&br;イギリス軍が苦しむ要因の1つとなった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|分離主義年数&color(green){-5};|| ***ハブサン(Habsan)v1.26[#JAJ] アイデアの正式名はスィッディー(Siddi)である。 Ver1.26にて効果が一部変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|「沿岸の襲撃」が使用可|| |>|~|小型船コスト&color(green){-20%};|~| |ゴマ|Goma|異教寛容度&color(green){+3};|| |スィッディーの航海術|Siddi Seamanship|海軍伝統&color(green){+1/年};|| |~|~|水兵維持費&color(green){-10%};|~| |難攻不落の島の要塞|Impregnable Island Fortress|要塞防御&color(green){+15%};|| |スィッディーのディアスポラ|The Siddi Diaspora|人的資源&color(green){+10%};|| |スィッディー外交|Siddi Diplomacy|外交官&color(green){+1};|| |コンカン貿易|Konkan Trade|交易効率&color(green){+10%};|| |海軍の拡張|Expansion of the Navy|海軍維持費&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍士気&color(green){+15%};|| ***バフマニー(Bahmanis)v1.26[#BAH] Ver1.26で効果が一部変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|~| |西方人|Gharbians|人的資源回復速度&color(green){+10%};|「Gharbian」は西方人(Westener)や外国人(Foreigner)の意。&br;ここでいう西方人は主にイラン系のイスラム世界からの移民のこと。&br;バフマニー朝はデカン一帯に古くから定住する「Deccanis」の貴族と&br;新興の「Gharbians」の貴族との対立に悩まされた。| |ギースー・ダラーズの遺産|Legacy of Gisu Daraz|威信&color(green){+0.5/年};|「Gisu Daraz」は、バンダー・ナワーズ・ギースー・ダラーズのこと。&br;デリーで活動したスーフィズムの教団の一つチシュティー教団の聖者であり、&br;聖者ナスィールッディーン・チラーグ・デリーの後継者。&br;ティムール朝の侵攻の影響により、バフマニー朝の首都グルバルガに移住した。&br;この移住はスーフィズムをデカン高原へ伝播するのに一役を買っている。&br;彼の死後、グルバルガにダルガー(聖廟)が建立され、現在にも残る。| |~|~|宗教的統一性&color(green){+25%};|~| |ダッキニー語|Dakani Language|受容文化枠&color(green){+1};|| |カーリミー|Karimis|交易効率&color(green){+10%};|カーリミーは、エジプトのカイロを拠点に、&br;紅海~インド洋間の貿易を行ったイスラム教徒の商人集団。&br;東方から香辛料等をもたらし、エジプトの砂糖・小麦等とと交換、莫大な富をもたらした。| |トルコ石の玉座|Takht-e-Firoza|外交評判&color(green){+1};|「Takht」は玉座、「Firoza」はトルコ石(ターコイズ)の意。&br;バフマニー朝第2代ムハンマド・シャー1世の時代、テランガーナへ侵略、&br;打ち負かした折にテランガーナの王より贈られたとされる。| |バフマニーの長子相続制|Bahmani Primogeniture|正統性&color(green){+1/年};|| |デカンの大マドラサ|Great Madrasa of the Deccan|アイデアコスト&color(green){-10%};|「マフムード・ガーワーンのマドラサ」のこと。&br;マドラサはイスラム世界の神学校のこと。&br;マフムード・ガーワーンはイラン出身で14世紀後半にバフマニー朝の名宰相として活躍した。&br;マフムード・ガーワーンのマドラサはグルバルガより遷都されたビーダルにて、&br;建造され、現在もビーダルの代表的なモニュメントである。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|安定度コスト&color(green){-10%};|| ***パンジャーブ(Punjab)v1.26[#PUN] Ver1.26にてform可能な国家となった事に合わせて、効果が一部変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|宗教的統一性&color(green){+25%};|~| |インドのパンかご|Breadbasket of India|交易品生産量&color(green){+10%};|| |インド=ペルシア交易の推進|Encourage Indo-Persian Trade|交易効率&color(green){+10%};|| |パンジャーブの織物工房|Punjabi Textile Industry|生産効率&color(green){+15%};|| |カルサ|The Khalsa|人的資源&color(green){+20%};|| |標準化されたグルムキー文字の採用|Adopt Standardized Gurmukhi Script|安定度コスト&color(green){-10%};|| |ミスルの力|Strength of the Misls|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |パンジャーブ陸軍の改革|Reforming the Punjabi Army|規律&color(green){+5%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***ヒンドゥスターン(Hindustan)v1.26[#HIN] Ver1.26にて専用のNIが追加された。 1444GC開始時に使用可能な国家ではなく、form専用の国家。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|領有可能ステート数&color(green){+5};|| |>|~|人的資源&color(green){+20%};|~| |シパーヒー|Sepahi|歩兵戦闘力&color(green){+15%};|シパーヒーはペルシャ語で「兵士・軍人」の意味。&br;オスマン軍の主に騎兵隊を指す言葉だが、&br;ここではインドの現地民傭兵歩兵部隊の事。&br;日本では英語読みのセポイ(sepoy)の表現で知られる。&br;元々はカースト制の中でのある一定の階級の人々を指して「セポイ」と言い、&br;この階級から編成された部隊であることから名付けられている。| |ペルシャの宮廷文化|Persianate Courtly Culture|顧問コスト&color(green){-10%};|| |帝国のインドの野望|Imperial Indian Ambition|分離主義年数&color(green){-5};|| |孔雀の玉座|The Peacock Throne|正統性&color(green){+1};|孔雀の玉座はムガル帝国の玉座の事。&br;ムガル君主シャー・ジャハーンのために製作されたもので、&br;全体に宝玉が散りばめられ、背後に2羽の孔雀が描かれた。&br;後にイランのアフシャール朝により奪取され、イラン王権の象徴ともなる。| |火薬帝国|Gunpowder Empire|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|火薬帝国とは、主にオスマン帝国、&br;サファビー朝ペルシア帝国、ムガル帝国の3国を表す言葉で、&br;大砲や銃器等の火薬兵器で&br;大きな軍事的成功をした国家を表す言葉である。&br;当時の言葉ではなく、比較的新しく作られた言葉である。| |スーフィー宣教師の後援|Patronize Sufi Missionaries|布教強度&color(green){+2%};|| |プロト工業化|Proto-Industrialization|開発コスト&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***ベンガル(Bengal)v1.26[#BNG] アイデアの正式名はベンガル・スルタン(Bengal Sultanate)である。 Ver1.26にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+15%};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |沿岸の海賊行為の撲滅|Combat Coastal Piracy|交易効率&color(green){+10%};|| |ハブシーの将軍を奨励|Promote Habshi Generals|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|ハブシーはグジャラートに定住したアフリカ系黒人集団の事。&br;スィッディー(Siddi)とも呼ばれる。&br;ハブシーはアビシニア(エチオピア)出身者という意味からそう呼ばれている。&br;本ゲームでのHabsanはこのハブシーの集団の国家。&br;インドでは主に彼らを奉公人、召使いに彼らを重用していたが、&br;奴隷軍人といわれるエリートたちもおり、身体能力に優れ、&br;忠誠心が強く、実務に長けていたこともあり、重宝された。| |デルタ地帯の皆伐|Clear the Delta|開発コスト&color(green){-10%};|デルタ地帯はベンガル・デルタの事。| |スーフィー学者の招致|Attract Sufi Scholars|アイデアコスト&color(green){-10%};|| |ヒンドゥスターン平野の征服|Conquest of the Gangetic Plain|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| |ルピー鋳造の開始|Begin the Minting of Rupees|税収&color(green){+10%};|ルピーはインドで現在も使用される通貨の名称。&br;サンスクリット語で「銀」を意味するルーピヤに由来する。&br;語源通り、インドでは古くから銀貨を鋳造・流通していた。&br;16世紀にベンガル全土を支配した&br;スール朝初代君主シェール・シャー(Sher Shah)により&br;ルピーの基となった銀貨が発行された。&br;これはルピー銀貨と呼ばれ、ムガル帝国でも広く流通し、&br;東インド会社においても同様の価値の貨幣が流通・発行された。| |ベンガルの工業化|Bengali Industrialization|交易品生産量&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|後列からの砲兵与ダメージ&color(green){+15%};|| ***マールワー(Malwa)v1.26[#MLW] Ver1.26で効果が一部変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵コスト&color(green){-10%};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |ラージプート・マールワーの再建|Restore The Rajputs Malwa|人的資源&color(green){+15%};|| |マールワーの芸術と建築様式|Malvi Art & Architecture|威信&color(green){+0.5/年};|| |~|~|宗教的統一性&color(green){+25%};|~| |デリー-スーラト貿易網の保護|Protect the Delhi-Surat Trade Route|交易効率&color(green){+10%};|| |要塞の強化|Fortified Strongholds|要塞防御&color(green){+20%};|| |黒い土壌|Black Soils|交易品生産量&color(green){+10%};|| |ジャイナ教徒の銀行家達|Jain Bankers|インフレ削減&color(green){+0.1/年};|| |マールワーのアヘン|Malwa Opium|州からの交易力&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|受容文化枠&color(green){+1};|| ***マイソール(Mysore)v1.26[#MYS] Ver1.26にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|無償指揮官枠&color(green){+1};|~| |マイソールの統一|Unification of Mysore|コア化コスト&color(green){-10%};|| |カンナダ文学の後援|Patronize Kannada Literature|正統性&color(green){+1/年};|ドラヴィダ語族の中でもっとも古い言語の一つで、&br;現代でもカルターナカ週の公用語である。&br;独自の文字、カンナダ文字が使われる。&br;インドでは諸王朝が詩人を庇護し、&br;王や重臣自身が文芸活動を行うことが一般的だったが、&br;マイソール王国も同様であり、&br;カンナダ文字の文学が残っている。| |宗教的寛容|Religious Tolerance|異教寛容度&color(green){+2};|| |製糸業の改革|Reform the Silk Industry|交易品生産量&color(green){+10%};|| |ロケット|Rockets!|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|ここのロケットはロケット砲等の兵器の意味。&br;ロケット自体は歴史は古く、西暦1000年頃には中国で、&br;今のロケット花火の形態が発明され武器として利用されていた。&br;インドではロケットの技術が発展しており、&br;マイソール戦争ではインド側がロケット砲団を編成、&br;イギリス軍が苦しむ要因の1つとなった。| |マイソール陸軍の改革|Reform the Mysorean Army|軍事ポリシー自由枠&color(green){+1};|| |活動的な外交|Dynamic Diplomacy|外交評判&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***マニプル(Manipur)v1.22[#MLB] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|略奪速度&color(green){+25%};|| |>|~|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|~| |サナマヒ信仰|Sanamahism|不穏度&color(green){-1};|サマナヒ信仰は、インド北東部で見られる主にメイテイ族により信仰される精霊信仰の一種。&br;マニプルは多神教であり、360柱を超える神々を信仰している。&br;火や水といった自然の力に関する神々を信仰する。| |軍事伝統|Martial Traditions|陸軍士気&color(green){+10%};|| |メイテイ族の王国|Kingdom of the Meitei|正統性&color(green){+1/年};|メイテイ族(ミーテイ族、マニプリ人とも)は、マニプル州の大部分を構成する民族。&br;マニプルとは「宝石のような大地」の意味。&br;メイテイ族の王朝であるマニプル王朝のルーツは伝説的ではあるが、&br;紀元前まで遡れ、民族叙事詩「マハーバーラタ」にも登場する。&br;英雄アルジュナと結婚したマニプル国の王女チトラーンガダーの孫であり、&br;蛇の姿をしたパカンバ(Pakhangba)を守護神とし、王国の祖とする。&br;ちなみに首都は、日本にも縁のある、あの「インパール」である。| |文字|Mayek|国教寛容度&color(green){+2};|Mayek(マイエック?)は文字の意であろうか。ここではメイテイ文字(Meitei Mayek)を指す。&br;マニプリ語(メイテイ語)を表記するためにかつて使われていた文字。&br;メイテイ文字の古い歴史は不明な点が多く、その系統も明らかでない。&br;現代ではメイテイ文字を復活させる運動もあり、&br;1980年にマニプル州政府が27文字のメイテイ文字を公認した。| |丘陵部族の併合|Unite the Hill Tribes|人的資源&color(green){+10%};|マニプルには、メイテイ族の他に、クキ族やナガ族に代表される丘陵部族が定住していた。| |ベンガルの影響|Bengali Influence|外交枠&color(green){+1};|マニプルは一時、ベンガルの支配下の時代があり、その際にヒンドゥーを受容している。&br;現代では約半数がヒンドゥー徒である。| |遠くへの外交|Far-Reaching Diplomacy|外交評判&color(green){+1};|マニプル王国は、東にビルマ、西にベンガルという大国に挟まれており、度々侵攻を受けた。&br;ビルマの侵攻の際、イギリスへ助けを求め、イギリスも承諾して、軍が派遣されている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|要塞防御&color(green){+15%};|| ***マラーター(Marathas)v1.26[#MAR] バローダー(Baroda)、主要文化がマラーター(Marathi)であるグワーリヤル(Gwalior)の国家にも適用。 ナーグプル(Nagpur)はVer1.26で専用のNIが追加され、対象外となった。 Ver1.26でform可能な国家となるのに併せて、一部効果が見直された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+10%};|| |>|~|人的資源回復速度&color(green){+15%};|~| |兵役の伝統|Tradtion of Military Service|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|カースト「Burgi」(ブルギ?)により構成された騎兵隊が有名。| |マハラシュトラの砦|Forts of Maharashtra|要塞防御&color(green){+20%};|マラータ同盟の中心地・マハラシュトラの各地には堅固な砦が築かれた。| |農民兵|Peasant Soldiers|歩兵コスト&color(green){-20%};|| |宰相|Office of the Peshwa|コア化コスト&color(green){-15%};|ペーシュワー(Peshwa)はシヴァージーによって設置された&br;マラータ同盟における宰相職。| |バラモン財閥との紐帯|&size(12){Strengthen ties with Brahmin Financial Families};|改革進行点増加&color(green){+15%};|| |官僚制の改編|Reform The Bureaucracy|交易品生産量&color(green){+10%};|| |マラータ海軍の拡大|Expand Maratha Navy|艦船関連コスト&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|安定度コスト&color(green){-10%};|| ***ムガル(Mughals)v1.26[#MUG] Ver1.26にて効果とアイデア順序が一部変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|| |>|~|コア化コスト&color(green){-25%};|~| |ジャーギールとマンサブダーリー制|The Jagir and Mansabdari System|規律&color(green){+5%};|ジャーギールはインドのムスリム諸王朝における封土。&br;マンサブダーリー制はムガル帝国期のインドで行われた軍人官僚制。&br;3代皇帝であるアクバルの治世において確立された。| |聖職者の統制|Control over the Clergy|不穏度&color(green){-1};|| |イバダット・カーナ -礼拝の家|Ibadat Khana -House of Worship|アイデアコスト&color(green){-10%};|16世紀後半にアクバルによってファテープル・シークリーに建てられた、&br;宗教指導者が宗教的議論を行う場所。| |インド人パーディシャー|An Indian Padishah|軍事ポリシー自由枠&color(green){+1};|ペルシア語で「パードシャー」。&br;王朝の始祖バーブルが初めてパードシャーを称して以来、&br;帝国において、パードシャーは最高君主を意味する称号であった。| |ザブト制|Zabt System|税収&color(green){+10%};|ムガルの徴税制度。スール朝で始まり、アクバルが整備した。| |ムガル建築|Mughal Architecture|威信&color(green){+1/年};|| |アーラムギールの教令集|Fataua - e - Alamgiri|安定度コスト&color(green){-10%};|17世紀後半、アウラングゼーブが帝国の法体系を確立するために、&br;ウラマー(イスラム法学者)に整備させた判例集| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|技術コスト&color(green){-5%};|| ***メーワール(Mewar)v1.26[#MER] Ver1.26にて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵コスト&color(green){-20%};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |ラージプートの中心地|Rajput Heartland|陸軍伝統低下&color(green){-1%/年};|| |勝利の塔の建造|Construct the Victory Tower|威信&color(green){+1/年};|メーワールの首都チットールガルに建造されたジャイナ教の塔。&br;ヴィジャイ・スタンバ(Vijaya Stambha)とも。&br;1440年メーワール王クンバー(Kumbha)は&br;マールワー王マフムード・シャー(Mahmud Shah)率いる&br;マールワー・グジャラート連合軍との戦いに勝利し、&br;その記念として勝利の塔を建造し、1448年に完成した。| |クンバルガルの要塞|The Fort of Kumbhalgarh|要塞防御&color(green){+15%};|クンバルガル城の事で、&br;クンバーが1443年から1458年に建設した城塞である。&br;総延長約20 kmの城壁は、インド最長。&br;先の勝利の塔と合わせて現在では&br;「ラージャスターンの丘陵城塞群」として世界遺産に認定されている。| |湖の街|City of Lakes|開発コスト&color(green){-10%};|都市ウダイプル(Udaipur)の事。&br;ウダイプルはメーワール王国がムガル帝国の服属に拒否した後、&br;首都チットールガルが陥落した後、&br;新しい都としてウダイプルを築いた。&br;ピチョーラー湖を見下ろす宮殿を中心に建造物が建設され、&br;現代においても「湖の都」と呼ばれている。| |プルビアの呼び戻し|Recall the Purbias|人的資源&color(green){+15%};|Purbia(Purbiyaとも、プルビア?)は、ラージプートのカースト集団。| |強制銃器訓練|Mandatory Firearm Drills|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|| |ラージプート連隊の再編成|Reorganized Rajput Regiments|規律&color(green){+5%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|戦争疲弊&color(green){-0.03/月};|| ***ラージプーターナー(Rajputana)v1.26[#RJP] Ver1.26からform可能となる新規国家で、併せて専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|軍事ポリシー自由枠&color(green){+1};|~| |帝国の遺産|Imperial Legacy|コア化コスト&color(green){-10%};|7世紀~13世紀頃に、ラージプート諸王朝が建国された。&br;特に8世紀後半に勃興したプラティーハーラ朝は、&br;西インドのアヴァンティを本拠に勢力を伸ばし、&br;首都をカナウジに移し、北部インドのほぼ全域を勢力とする&br;北インド最大の大帝国となった。| |小公国の王|King of Petty Princes|人的資源&color(green){+15%};|ラージプート地域はデリー=スルターン朝の支配を受けることとなったが、&br;その後もラージプート諸侯は小侯国として存続した。| |マルワリ馬|Marwari Horses|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|グループNIのラージプートNIと同一のNI。| |~|~|移動速度&color(green){+10%};|~| |プルビアの遺産|Purbia Legacy|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|Purbia(Purbiyaとも、プルビア?)は、ラージプートのカースト集団。| |ダルマの保護者|Protectors of the Dharma|国教寛容度&color(green){+2};|ダルマはサンスクリット語で様々な意味を持つが、一般的に「法」と訳され。&br;倫理的規範」「きまり」を意味する。法律も宗教的義務もダルマである。&br;インドにおいて宗教・思想上の重要概念である。&br;インドにフォーカスを置いたDLC名にもなっている。| |砲兵部隊の拡張|Expanded Artillery Arm|砲兵コスト&color(green){-15%};|| |不朽の建造物|Monumental Architecture|正統性&color(green){+1/年};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***ラダック(Ladakh)v1.22[#LDK] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|国教寛容度&color(green){+2};|| |>|~|外交枠&color(green){+1};|~| |ラダックの2王国|The Two Kingdoms of Ladakh|威信&color(green){+1/年};|ラダック地方は、10世紀頃にラチェン王朝が興ったが、&br;15世紀初頭に兄ダクパ・ブムデ(Takbumde)と&br;弟ダクパ・ブム(Takpabum)の兄弟間で東西に分裂した。&br;治めた地域からダクパ・ブムデ系統をレー(Leh)王、&br;ダクパ・ブム系統をバスゴ(Basgo)王と呼ぶっぽい。&br;その後、ダクパ・ブムの孫、ラチェン・バガン(Lhachen Bhagan)がラダックを再統一し、&br;「勝利」の意であるナムギャル(Namgyal)という姓を名乗り、ナムギャル王朝が興る。| |要塞山岳都市|Fortified Mountain Cities|要塞維持費&color(green){-20%};|ダクパ・ブムは、バスゴの城を改修し、要塞を築いたとされる。&br;現代でも、バスゴ要塞の遺構を見ることができる。| |世界の屋根からの羊毛|Wool from the Roof of the World|交易品生産量&color(green){+10%};|「世界の屋根」はここではチベット高原のことを指す。&br;羊毛は、ここでは羊の毛ではなく山羊の毛のこと。&br;チベット高原の北西部に位置するチャンタン高原(蔵北【ぞうほく】高原とも)には&br;チャンパ(Changpa)と呼ばれるチベット系遊牧民が暮らす。&br;チャンパの飼う家畜にパシュミナヤギというカシミヤヤギの近似種がおり、&br;このヤギから取れる毛は「パシュミナ」と呼ばれる。&br;パシュミナの毛は細いため、手作業で紡ぐ必要があるので希少であるが、&br;品質はカシミヤよりも高いとされ、パシュミナの織物は最高級品である。&br;日本では、「パシュミナ」という繊維用語が認められていない為、&br;大体がカシミヤやウール、果ては合成繊維の模造品なので注意。| |大僧院の建造|Construction of Great Monasteries|建造物コスト&color(green){-10%};|ラダック王国はチベット仏教が盛んで、&br;都レーにあるナムギャル・ツェモ・ゴンパといった多くのゴンパが建造されている。&br;ゴンパはチベット仏教における寺院・僧院の意。| |ラダック王統記|La dvags rgyal rabs|安定度コスト&color(green){-10%};|17世紀に編纂されたラダック王国の王室の年代記。&br;西チベットや古代インドのチベットに関する重要な史書。| |王国の統合|A Kingdom United|正統性&color(green){+1/年};|| |遠方の交易商人の招致|Invite Far-Away Traders|交易効率&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|要塞防御&color(green){+20%};|| **グループNI [#z5ec78bf] 特定の集団に属する勢力に対して適用されるNI ***インド・スルタン国(Indian Sultanate)v1.26[#Indian_muslim] 国教がイスラム教であり、かつ主要文化グループがヒンドゥスタン(hindusthani)、東西アーリア(eastern aryan、western aryan)のいずれかであり、かつ主要文化がマラーター(Marathi)ではない国家に適用。 Ver1.25以前はドラヴィダ(Dravidian)文化グループとマラーター(Marathi)文化でも適用された。 Ver1.26で伝統の「異教寛容度+3」から「騎兵コスト-10%」に変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |>|~|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |偶像崇拝の許容|Tolerate the Idol Worshippers|宗教的統一性&color(green){+50%};|イスラムは原則として偶像崇拝を認めない。| |ペルシア式宮廷|Court Persian|不穏度&color(green){-1};|ムガル朝時代にインドにはペルシアの文化様式が入り込んだ。| |包括的国土調査|Comprehensive Land Survey|税収&color(green){+10%};|| |人口調査|Counting the People|人的資源&color(green){+10%};|| |法の下の平等|Equality Under the Law|交易力&color(green){+10%};|| |高級な宮廷文化|High Court Culture|威信&color(green){+1/年};|| |スルタン官僚制|Sultanate Bureaucracy|安定度コスト&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***ヴィンディヤ(Vindhyan)v1.26[#Vindhyan] ブンデールカンド国(Bundelkhand)、バゲールカンド国(Bagelkhand)、カーリンジャル国(Kalinjar)、主要文化がマラーター(Marathi)ではないグワーリヤル国(Gwalior)に適用 ※ただし、ブンデールカンドは1444GC開始時はインド・スルターンのアイデアが適用される。国教をイスラム教から別の宗教(例:ヒンドゥー)にするとヴィンディヤのアイデアが適用される。 Ver1.26新規国家であるカーリンジャル(Kalinjar)も適用されるように条件が変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|受容文化枠&color(green){+1};|| |>|~|要塞維持費&color(green){-20%};|~| |ラージプートの関係|Rajput Connections|外交評判&color(green){+1};|ラージプート(Rajput)は、現在のラージャスターン州に居住する民族であり、クシャトリヤを自称するカースト集団。&br;戦士集団であるクシャトリヤの子孫であることを意味する。| |ヴィンディヤの砦|Forts of the Vindhyas|要塞防御&color(green){+15%};|| |神聖な土地|A Sacred Land|国教寛容度&color(green){+1};|ブンデールカンドのカジュラーホーにはチャンデーラ朝時代に80以上のヒンドゥー寺院群が建立されたとされる。&br;現代でも遺構があり、世界遺産に認定されている。| |ブンデーラー族のカラーム|Bundeli Kalam|威信&color(green){+1/年};|カラームはイスラム教の思弁哲学の意味。| |未踏の地|Untamed Lands|敵損耗&color(green){+1};|| |ダイヤモンド鉱山|Diamond Mines|交易効率&color(green){+10%};|19世紀までは、インド亜大陸が世界で唯一のダイヤモンド産出国であった。&br;ブンデールカンド地方ではパンナ(Panna)が有名なダイヤモンドの産地。| |チャンデーラ朝の遺産|Candella Legacy|正統性&color(green){+1/年};|チャンデーラ朝は、9~14世紀にかけて、ブンデールカンド地方に存在した&br;ヒンドゥー王朝であり、ラージプート王朝。&br;宗教的な拠点としてカジュラーホーが知られており、多数のヒンドゥー寺院が建立された。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***ガルジャート(Garjati)v1.26[#Garjati] 主要文化がジャールカンド(Jharkhandi)もしくはガルジャート(Garjati)の国家に適用。 Ver1.26にて追加されたグループNI。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|敵対的コア化コスト&color(green){+50%};|~| |中央インド防衛の確保|Securing Defenses Central Indic|要塞防御&color(green){+15%};|| |古代のマンダラ|Ancient Mandalas|正統性&color(green){+1/年};|ここで言うマンダラは密教の図像から派生した国家政体としてのマンダラ。| |封土部族|Tribal Feudatories|人的資源&color(green){+15%};|| |貯め池と貯水池の拡大|Extend Tanks and Reservoirs|開発コスト&color(green){-10%};|| |密林戦|Jungle Warfare|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |ジャガンナート崇拝|Jagannath Cult|国教寛容度&color(green){+2};|ジャガンナートはヒンドゥーの神。元はオリッサ地方の土着神だが、&br;ヒンドゥーに習合されクリシュナ神と同一視される。「宇宙の主」と呼ばれる。&br;「破滅的な力」の意を持つ「ジャガーノート」の語源とされる。| |経済成長の後援|Patronize Economic Growth|交易品生産量&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|安定度コスト&color(green){-10%};|| ***グジャラート公国(Gujarati Princedom)v1.26[#Gujarati] 主要文化がグジャラート(Gujarati)もしくはサウラーシュトラ(Saurashtri)である、もしくはバグラーナ(Baglana)国に適用 Ver1.26にて既存のグジャラート(Gujarati)はグジャラート(Gujarat)の専用NIとなり、 グループNIとしてはグジャラート公国(Gujarati Princedom)の名称に変わり、併せて効果も一新された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|商人&color(green){+1};|| |>|~|要塞維持費&color(green){-15%};|~| |カチアワリ馬|Kathiawari Horses|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|カチアワリ馬はグジャラートのある&br;カーティワール半島で見られる馬の品種。&br;近隣のマルワリ馬との近縁種とみられる。&br;比較的小柄の馬種。| |新貿易港の開港|Establish New Trading Ports|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| |ジャイナ教徒銀行員の為の避難港|Safe Harbor for Jain Bankers|利息&color(green){-1};|ジャイナ教では殺生を固く禁じられた戒律がある為、&br;農業や畜産業は不殺生の戒を破ることになるので、&br;金融業に従事するものが多かった。| |ラージプート王朝|Rajput Dynasties|外交評判&color(green){+1};|| |ドワルカデッシュ寺院の保護|Protect the Dwarkadhish Temple|国教寛容度&color(green){+1};|ドワルカデッシュ寺院はヒンドゥーの聖地ドワルカにある寺院。&br;クリシュナを奉じており、クリシュナの孫&br;ヴァジュラナーバ(Vajranabha)により建立されたと信じられている。| |アシャプラ・マータ|Ashapura Mata|正統性&color(green){+1/年};|アシャプラ・マータは「母なるアシャプラ神」の意味で、&br;カッチ地域のラージプートで信仰された女神。&br;ローカル色の強い神のようだが、&br;カッチ地域では人気の高い女神のようである。| |アフリカへの貿易路の伸長|Extend Trade Routes to Africa|交易範囲&color(green){+20%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%};|| ***ゴンド(Gond)v1.26[#Central_indic] 主要文化がゴンド(Gondi)の国家に適用。 Ver1.26にて名称が既存の中央インド(Central Indian)からゴンド(Gond)に変更され、併せて適用条件も変更された。 Ver1.25までは「主要文化グループが中央インド(Central Indian)の国家に適用」である。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|敵対的コア化コスト&color(green){+50%};|| |>|~|人的資源&color(green){+15%};|~| |防衛の確保|Securing our Defenses|要塞防御&color(green){+15%};|| |部族宗教|Tribal Religion|宗教的統一性&color(green){+10%};|| |~|~|不穏度&color(green){-1};|~| |虎と象|Tigers and Elephants|敵損耗&color(green){+1};|虎と象はインドで神聖視されている。&br;虎はヒンドゥー3柱の主神の中の1人シヴァ神が虎の皮を纏っており、&br;シヴァの神妃とされるドゥルガーは虎に乗った姿で描かれる。&br;象はシヴァの子であるガネーシャが象頭の姿をしている。| |柔軟なカースト制|Flexible Caste System|受容文化枠&color(green){+1};|| |低地への襲撃|Raiding the Lowlands|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |古代の起源|Ancient Roots|正統性&color(green){+1/年};|| |酋長との関係の正式化|Formalize Relations with the Chiefs|税収&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|商人&color(green){+1};|| ***デカン・スルタン国(Deccani Sultanate)v1.26[#Deccani_muslim] 国教がイスラム教であり、かつ主要文化グループがドラヴィダ(Dravidian)であるか、もしくは主要文化がマラーター(Marathi)の国家に適用。 Ver1.26にて追加されたグループNI。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|受容文化枠&color(green){+1};|~| |バフマニー朝の遺産|Legacy of the Bahmani Sultanate|正統性&color(green){+1/年};|バフマニー朝は14世紀中ごろから16世紀初頭にかけて、&br;インドのデカン地方を支配したイスラム王朝。&br;南部のヴィジャヤナガル王国と長く抗争を繰り広たが、&br;その最中で分裂し、滅亡した。| |デカン地域の同一性の促進|Promote Deccani Regional Identity|アイデアコスト&color(green){-10%};|| |バラモン統治者の任命|Appoint Brahmin Administrators|安定度コスト&color(green){-10%};|| |ハブシーの購入|Purchase Habshis|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|ハブシーはグジャラートに定住したアフリカ系黒人集団の事。&br;スィッディー(Siddi)とも呼ばれる。&br;ハブシーはアビシニア(エチオピア)出身者という意味からそう呼ばれている。&br;本ゲームでのHabsanはこのハブシーの集団の国家。&br;インドでは主に彼らを奉公人、召使いに彼らを重用していたが、&br;奴隷軍人といわれるエリートたちもおり、身体能力に優れ、&br;忠誠心が強く、実務に長けていたこともあり、重宝された。| |バルギ・ギリ|Bargi Giri|騎兵攻撃範囲&color(green){+50%};|バルギ・ギリ?(Bargi Giri)はマラーター軽騎兵によるゲリラ戦術の名称。&br;特にアフマドナガル王国のスィッディー(Siddi)である名将マリク・アンバル(Malik Ambar)の戦術を指し、&br;ムガル帝国との戦争では、マラーター軽騎兵の機動力で大規模に略奪戦を行い補給を難しくさせ、&br;また、夜襲を行う等の結果、ムガル軍に大打撃を与え、&br;領土のほぼ全てを回復した。| |マラーター耕作者との繋がりの強化|Strengthen Ties with Marathi Cultivators|生産効率&color(green){+10%};|| |マラーター-ハブシー合同国|Joint Marathi-Habshi State|顧問コスト&color(green){-10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+10%};|| ***テルグ(Telugu)v1.26[#Telugu] v1.25まではアーンドラ(Andhra)専用NIであったが、Ver1.26にてグループNIに変更。 合わせて名称もテルグ(Telugu)に変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|| |>|~|要塞防御&color(green){+20%};|~| |テルグ文学の後援|Patronize Telugu Literature|威信&color(green){+1/年};|14世紀前半から15世紀前半にかけてアーンドラ地方を治めたレッディ朝は、&br;王の庇護の元、テルグ文学が花開き、王の中にも詩人や著者が現れた。&br;代表的な詩人として、エッラナがおり、民族叙事詩「マハーバーラタ」のテルグ翻訳を完成させた。| |テルグ族の戦士貴族|Telugu Warrior Aristocrats|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|レッディ王国の「レッディ」はアーンドラ地方に住んでいたカーストの階級名で、&br;主に農民階級であったが、カーカティーヤ朝時代は戦士として戦った。&br;カーカティーヤ朝時代では貴族のものもいたらしく、&br;レッディの指導者は将軍の1人として仕えていた。| |カーカティーヤの遺産|Kakatiya Legacy|税収&color(green){+10%};|カーカティーヤ朝は、レッディ王国の前にアーンドラ地方を治めていた王朝。&br;14世紀初頭よりデリー・スルターン朝に攻められ、1323年に首都ワランガルは陥落、滅亡した。| |東の偉大な砦|Great Forts of the East|要塞維持費&color(green){-15%};|東ガーツ山脈の東に位置するアーンドラにて、&br;レッディ朝を興したプローラヤ・ヴェーマ・レッディにより、&br;コンダヴィードゥにおいてコンダパッリの城塞などが築かれた。| |プラターパルドラの伝説|Legend of Prataparudra|正統性&color(green){+1/年};|カーカティーヤ朝最後の君主、プラターパルドラ2世は&br;デリー・スルターン朝に捕えられ、デリーに送還中に死亡したとされる。&br;しかし、彼は生き残って、家臣とともに新たな王国を築こうとしたという伝説が残っている。| |クルーのダイヤモンド鉱山|Diamond Mines of Kollur|生産効率&color(green){+10%};|19世紀までは、インド亜大陸が世界で唯一のダイヤモンド産出国であった。&br;特にアーンドラ地方はダイヤモンドの一大産地で、多くのダイヤモンド鉱山があった。&br;クリシュナ川南岸のクルー(コルラー?)鉱山は、世界最大のダイヤモンド鉱山の1つで、&br;そこから産出されたとする「コ・イ・ヌール」(105カラット)は、&br;当時世界最大のダイヤモンドとして有名である。| |コロマンデル貿易の奨励|Encourage Coromandel Trade|首都ノード交易力&color(green){+10%};|インド南東部のコロマンデル海岸には、南インドの貿易拠点であり、&br;多くの貿易港が作られ、西欧諸国はこぞってこの地域に貿易会社を設立した。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+10%};|| ***ネパール系公国(Nepalese Princedom)v1.26[#Nepalese_minor] 主要文化がパハーリー(pahari)もしくはネパール(nepali)の国家に適用 Ver1.26にて追加されたグループNI。 パハーリー(pahari)はVer1.26で新規に追加された文化 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|人的資源回復速度&color(green){+10%};|~| |寺院建造の継続|Continue Temple Construction|建造物コスト&color(green){-10%};|| |カシミール貿易商を招聘|Invite Kashmiri Traders|商人&color(green){+1};|| |新しき祭典の実施|Institute New Festivals|国教寛容度&color(green){+1};|| |カビンドラ|Kavindra|威信&color(green){+1/年};|カビンドラ(Kavindra)はサンスクリット語で「詩人の王」の意| |山道の占拠|Seize the Mountain Passes|要塞防御&color(green){+15%};|| |司法改革の制定|Enact Judicial Reforms|安定度コスト&color(green){-10%};|| |領域分割の終了|End the Division of Domains|自治度変化&color(green){-0.05/月};|ここでの領土分割は、相続時の分割継承の事を言っている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***ベンガル小国家(Bengali)v1.26[#Bengali] 主要文化がベンガル(bengali)もしくは、コーチ国(Koch)、カチャール国(Kachar)に適用 正確なグループNI名称はベンガル(Bengali)であるが、Ver1.26でベンガル国の専用NIが追加、区別する為に小国家を付与している。 Ver1.26で伝統の効果が交易誘導+10%、異教寛容度+3から商人+1、歩兵戦闘力+10%に変更された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|商人&color(green){+1};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |ベンガルのヒンドゥーとスーフィーの習合|&size(12){Bengali Hindu-Sufi Syncretism};|宗教的統一性&color(green){+50%};|多神教のヒンドゥーと一神教のイスラムは相いれなかったが、&br;イスラム教の中でもスーフィズム(神秘主義)を取る分派は&br;多神教世界との親和性を見出し、&br;アジア各国でイスラム教が広まるきっかけを作った。| |ガンジス川とブラマプトラ川の合流点|&size(12){Ganges-Brahmaputra Confluence};|交易効率&color(green){+10%};|ガンジス川はヒマラヤ山脈の南側、&br;ブラマプトラ川はヒマラヤ山脈の北側から発する大河。&br;下流域で合流し、ベンガル湾へ流れる。&br;下流部は「ベンガル・デルタ」と呼ばれる広大な三角州地帯を成す。| |ベンガルの果てしない肥沃な水田|&size(12){Bengal's Endlessly Productive Rice Fields};|人的資源&color(green){+20%};|河川がもたらす肥沃な土地と降水、&br;絶えざる日照によってベンガルでは膨大な量のコメが生産でき、&br;この地方で大量の人口を抱える理由となった。| |マスタード・オイルとイリッシュマス|Mustard Oil & Ilish Mach|戦争疲弊軽減コスト&color(green){-10%};|イリッシュ(Ilish)はヒルシャ(Hilsa)ともいうニシン科の魚で&br;バングラディシュの国民魚といわれる。&br;マスタード・オイルとの料理は代表的調理法。| |ジュート生産|Jute Production|生産効率&color(green){+10%};|ジュートは麻の一種。&br;v1.23で名前が一部修正(in Bengalが削除)された。| |ベンガルのアヘン畑|Opium Fields of Bengal|税収&color(green){+10%};|アヘン(阿片)は芥子の実からとれる麻薬で、&br;当時は沈痛、咳止め、睡眠導入等の薬効効果のある嗜好品として取引された。&br;ベンガル産のアヘンは高品質として知られ、世界中に広く輸出された。&br;ただ、アヘンは習慣化して次第に人体に害を及ぼし廃人化する効果もあった為、&br;中国の清国ではアヘンが蔓延、輸入を禁止する措置が取られた。&br;それでも密貿易により中毒者が減らず、銀も流出、アヘン戦争が起こることとなる。| |ベンガル・ルネサンス|The Bengal Renaissance|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|威信&color(green){+1/年};|| ***マラバール(Malabari)v1.26[#Malabari] 主要文化がマラヤーラム(Malayalam)の国家に適用 Ver1.26にて追加されたグループNI。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|| |>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~| |南インド商人|Merchants of Southern India|交易範囲&color(green){+20%};|| |文化のるつぼ|Cultural Melting Pot|顧問コスト&color(green){-10%};|| |ケーララ学派の後援|Patronize the Kerala School|技術コスト&color(green){-5%};|ケーララ学派は、&br;サンガマグラーマのマーダヴァ(Madhava of Sangamagrama)が始祖とされる、&br;インドのケーララ地方で活動した数学と天文学の学派。&br;マーダヴァ学派とも呼ばれる。 | |貿易の代理人|Trade Factors|商人&color(green){+1};|| |内陸の制御|Control the Inland|州からの交易力&color(green){+15%};|| |マーピラの水兵|Mapilla Sailors|海軍伝統&color(green){+1/年};|マーピラは、ケーララ地方のイスラムコミュニティのメンバーを指す言葉。&br;南アジアで最も古いイスラムコミュニティの1つとされる。| |象の土地|Land of Elephants|不穏度&color(green){-1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易力&color(green){+10%};|| ***南インド(South Indian)v1.26[#Dravidian] 主要文化グループがドラヴィダ(Dravidian)で、かつ主要文化がマラヤーラム(Malayalam)でなく、かつ国教がヒンドゥーの国家に適用 Ver1.26で「主要文化がマラヤーラム(Malayalam)ではない」が追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|宗教的統一性&color(green){+33%};|~| |南インド商人|Merchants of Southern India|交易範囲&color(green){+20%};|| |貯水池と運河|Water Tanks and Canals|税収&color(green){+10%};|| |ポリーガル制|Polygar System|人的資源&color(green){+10%};|定められた領域の統治権と軍権を持った、封建領主ともいうべき存在。&br;PolygarはPalaiyakkararとも。| |南インド傭兵|South Indian Mercenaries|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|| |大寺院の保護|Patronage of Great Temples|正統性&color(green){+1/年};|| |南インド文学|South Indian Literature|威信&color(green){+1/年};|| |商人資本主義者|Merchant Capitalists|商人&color(green){+1};|商人資本主義は、資本主義の1形態で、貿易差額により儲けを得る遠隔地貿易がその代表である。&br;乱暴に言えば重商主義。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易効率&color(green){+10%};|| ***ラージプート(Rajput)v1.22[#Rajput] 主要文化がラージプート(rajput)もしくはマールワー(malvi)であり、国教がイスラム教グループではない国家に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源回復速度&color(green){+10%};|| |>|~|敵対的コア化コスト&color(green){+50%};|~| |一族の忠誠|Clan Loyalties|人的資源&color(green){+15%};|| |ラージプートの強化|Fortifying Rajputana|要塞防御&color(green){+15%};|| |マルワリ馬|Marwari Horses|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|アラブ馬・モンゴル馬とインドポニーの交配種といわれる。&br;ラージプート騎兵の精強さを支えた。| |~|~|移動速度&color(green){+10%};|~| |ラージプートの抵抗|Rajput Resistance|戦争疲弊&color(green){-0.03/月};|| |ラージプート絵画学校の設立|Create Rajput Painting School|威信&color(green){+1/年};|| |戦争の精神|Martial Ethos|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};|| |ラージプート貿易商社|Rajput Trading Houses|交易効率&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| *中東 [#MiddleEast] |CENTER:20|>|>|>|>|CENTER:|c |~各国NI|~ホラーサーン|[[アフガニスタン(Afghanistan)>#AFG]]|[[スィースターン(Sistan)>#SIS]]|[[ティムール(Timurids)>#TIM]]|[[バルーチスタン(Baluchistan)>#BAL]]| |~|~|[[ホラーサーン(Khorasan)>#KHO]]|||| |~|~ペルシア|[[アジャム(Ajam)>#QOM]]|[[イルハン(Ilkhanate)>#ILK]]|[[黒羊朝(Qara Qoyunlu)>#QAR]]|[[ファールス(Fars)>#FRS]]| |~|~|[[ペルシア(Persia)>#PER]]|[[ホルムズ(Hormuz)>#ORM]]|[[ムシャーシャー(Mushasha)>#MSY]]|[[ロレスターン(Luristan)>#LRI]]| |~|~アラビア|[[イエメン/アデン(Yemen / Aden)>#YEM]]|[[オマーン(Oman)>#OMA]]|[[ナジュド(Najd)>#NAJ]]|[[ハサー(Haasa)>#ALH]]| |~|~|[[ハドラマウト(Hadramut)>#HDR]]|[[ヒジャーズ/メディナ&br;(Hejaz / Medina)>#HED]]|[[マフラ(Mahra)>#MHR]]|[[ラシード(Rassids)>#RAS]]| |~|~マシュリク|[[エルサレム(Jerusalem)>#KOJ]]|||| |~|~コーカサス|[[アルダビール(Ardabil)>#ARL]]|[[アルメニア/カラバフ&br;(Armenia / Kharabakh)>#ARM]]|[[サムツヘ(Samtskhe)>#SME]]|[[ジョージア/イメレティ&br;(Georgia / Imereti)>#GEO]]| |~|~|[[シルヴァン(Shirvan)>#SRV]]|[[チェルケシア(Circassia)>#CIR]]||| |~|~アナトリア|[[カラマン(Karaman)>#KAR]]|[[キプロス(Cyprus)>#CYP]]|[[ジャンダル(Candar)>#CND]]|[[聖ヨハネ騎士団(The Knights)>#KNI]]| |~|~|[[トレビゾンド(Trebizond)>#TRE]]|[[白羊朝(Aq Qoyunlu)>#AKK]]|[[ヒスン・カイファ(Hisn kayfa)>#HSN]]|[[ルーム・セルジューク(Rûm)>#RUM]]| |>|~グループNI|[[アナトリア地方(Anatolian)>#Anatolian_beyliks]]|[[アラブ(Arabian)>#Arabian]]|[[Caspian(カスピ海)>#Caspian]]|[[カフカス(Caucasian)>#Caucasus]]| |~|~|[[クルド(Kurdish)>#Kurdish]]|||| **各国NI [#z038ef87] ***アジャム(Ajam)v1.23[#QOM] v1.23で追加された新規国家の専用NI。ペルシャ西部に位置し、ティムールより任命された知事(ティムールの子孫)を頭とする国家の1つだが、 1444GC開始時ではティムール朝の属国ではなく、独立した国家となっている。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};|| |>|~|外交官&color(green){+1};|~| |ジバール|Jibal|要塞防御&color(green){+20%};|ジバールはイラン西部の地域を表す名称。アラブ人がペルシャにやって来た際に名付けた。&br;この地域はザグロス山脈とアルボルズ山脈に囲まれた盆地で、ジバールは「山」の意。&br;古代メディア王国の領域とほぼ同じ領域である。| |アリーへ敬意を表す|In Honor of Ali|異端寛容度&color(green){+3};|アリーとは、イスラム教を創始したムハンマドのいとこでイスラムの第4代正統カリフであり、&br;シーアの初代イマームとされるアリー・イブン・アビー・ターリブのこと。| |イルハンの遺産|Legacy of The Ilkhans|陸軍士気&color(green){+10%};|イルハンは、モンゴル帝国時代の称号の1つ。&br;13世紀にイランを中心としたイルハン朝を建てた&br;チンギス・ハーンの孫でクビライ・ハーンの弟フレグの称号。&br;アジャムの地域には、かつてイルハンが首都としたソルターニーイェがある。&br;ソルターニーイェはイルハン第8代君主オルジェイトゥ・ハンが建てた都市で、&br;現代では世界遺産に認定されている。&br;遺跡の中心にはオルジェイトゥ廟があり、&br;二重構造のドームは世界最古のものとして残っている。| |ペルシア語とペルシアの宮廷文化|&size(12){Persian Language and Court Culture};|外交評判&color(green){+1};|古代よりペルシアは非常に優れた文化を有しており、&br;それはペルシャ地域が侵略されても失われず、&br;ハーフェズやジャラール・ウッディーン・ルーミーといったペルシア語文学の詩人を輩出、&br;現代においても世界的な評価を受けている。| |~|~|使節の移動時間&color(green){-25%};|~| |イラーキ・アジャムの部族|Tribes of Iraq-e Ajam|人的資源&color(green){+10%};|アジャムは、アラビア語でアラブ人以外の異民族もしくはペルシア人を指す言葉で、&br;イラン・イラクの周辺では「アラブ」「アジャム」の二項対立的な地域観が生まれ、&br;それぞれの地域について、&br;メソポタミア方面を「イラーキ・アラブ」(Iraq-e Arab、アラブのイラク)、&br;イラン高原西部を「イラーキ・アジャム」(Iraq-e Ajam、アジャムのイラク)と呼んだ。&br;なお、現代でアラビア語のアジャムは蔑称の意味を持つので、ほぼ使用されていない。| |~|~|要塞維持費&color(green){-10%};|~| |ディーワーンの改革|Reform the Diwan|汚職&color(green){-0.1/年};|ディーワーンは、イスラム国家の行政機関で「庁」あるいは「局」を指す言葉。| |シャーハン・シャー|Shahanshah|属国の独立欲求&color(green){-10%};|「シャー」はペルシャ語で「王」の意味を持つ称号名。元々イラン系の王の称号だが、&br;イラン・イスラーム文化の影響を受けたテュルク・モンゴル系の王にも使用された。&br;「シャーハン・シャー」は「王の中の王」の意味で「大王」や「皇帝」と同等の称号である。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|外交枠&color(green){+1};|| ***アフガニスタン(Afghanistan)v1.22[#AFG] v1.23でNIに変更はないが、国家がGC1444開始時から選択できる(ティムール朝の属国)ようになった。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| |>|~|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|~| |パシュトゥーンワーリ|Pashtunwali|戦争疲弊軽減コスト&color(green){-10%};|| |ヒンドゥークシュ山脈の影|Shadows of the Hindu Kush|要塞防御&color(green){+25%};|| |トウーレ|Tureh|人的資源&color(green){+20%};|| |アフガン人のディアスポラ|Afghan Diaspora|外交評判&color(green){+1};|| |ドゥッラーニーの帝国主義|Durrani Imperialism|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|アフシャール朝のナーディル・シャーの部下だったアフマド・シャー・ドゥッラーニーはナーディル・シャーの死後カーブルで部族の推戴を受け即位した。&br;衰退期にあった周辺諸国の大都市を次々と支配下におさめ、アフガニスタン王国の基礎を築いた。| |制度化されたロヤ・ジルガ|Institutionalised Loya Jirga|正統性&color(green){+1/年};|パシュトゥン人はロヤ・ジルガ(パシュトゥン語で「大会議」の意味)と呼ばれる部族長会議を開催し、新国王の選出や政治問題の解決を図る伝統を持っていた。&br;現在でも国家の最高意思決定機関として存在する。| |帝国の墓場|Graveyard of Empires|敵損耗&color(green){+1};|文明の十字路であったアフガニスタンはアレクサンドロス3世の東方遠征以来数多くの帝国の侵攻を受けた。&br;だが峻厳な山々と過酷な気候を前に侵攻した軍隊もただでは済まず、苦杯を嘗めさせられた。&br;近現代に入っても状況は変わらず、19世紀にはイギリスが2度のアフガン戦争で苦戦し、20世紀のソ連によるアフガン侵攻の失敗はソ連崩壊の遠因となった。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|敵対的コア化コスト&color(green){+50%};|| ***アルダビール(Ardabil)v1.23[#ARL] 宗教がシーア(Shia)である必要あり。 v1.23で追加された新規国家の専用NI。 1444GC開始時は1州の小さな国家だが、後にサファビー朝ペルシアを建国するイスマーイール1世を輩出する国。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+15%};|| |>|~|人的資源回復速度&color(green){+10%};|~| |サファヴィー教団|The Safavid Order|陸軍士気&color(green){+10%};|サファヴィー教団は教主&br;サフィー・アッディーン・アルダビーリー(Safi al-din Ardabili)が始めた&br;スーフィー教団で、アルダビールより興った。&br;元はスンニだが、地域にシーアが多かったのでシーアの教団となった。&br;次第に影響力を強め、1501年に教団の長イスマーイール1世により&br;サファヴィー朝が建国される。| |~|~|信仰心&color(green){-0.1%/月};|~| |クズルバシュ|The Qizilbash|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|クズルバシュ(Qizilbash、キジルバシュ、キジルバシとも)は、&br;サファヴィー教団や大多数の信徒で占める&br;アナトリア高原に居住するトルコ系遊牧民のこと。&br;トルコ語で「赤い頭」の意味で、赤い心棒にイマームの数に由来する&br;12の襞がある布を巻きつけたターバンを被っていた事が由来。&br;サファヴィー朝を建国したイスマーイール1世が決起した際には、&br;イスマーイール1世を救世主として信奉し、敵と戦った。&br;死を恐れず突撃を繰り返すクズルバシュ騎兵は大いに敵から恐れられた。| |全シーアの指導者|Leader of all Shiites|国教寛容度&color(green){+2};|| |大衆の改宗|Conversion of the Masses|対異端改宗強度&color(green){+2%};|| |宗教戦争|Religious War|諜報網構築力&color(green){+20%};|| |アーミリ・ムジュタヒド|Amili Mujtahids|安定度コスト&color(green){-10%};|アーミリ(Amili)は、古くからシーアの知の中心であった&br;ジャバル・アーミル(Jabal'Amil)から招聘した一流の法学者の総称。&br;ムジュタヒド(Mujtahid)は、&br;教義の決定や立法(イジュティハード)を行う者のこと。| |イランのシャー|Shahs of Iran|正統性&color(green){+1/年};|「シャー」はペルシャ語で「王」の意味を持つ称号名。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|威信&color(green){+1/年};|| ***アルメニア/カラバフ(Armenia / Kharabakh)v1.22[#ARM] v1.23で3点の変更がありました。 ・伝統の伝統の「戦争疲弊軽減コスト-10%」が「戦争疲弊-0.02/月」に。 ・埋立地(Land Reclamation)の効果が「建造物コスト-10%」から「開発コスト-10%」に。 ・ナハラルの爵位(Nakharar Titles)の効果が「敵対的コア化コスト+25%」から「陸軍伝統+0.5/年」に また、v1.23からの新規国家カラバフ(Kharabakh)にも本NIが適用されます。 ┗これにより、1444GC開始時に本NIを持つ国家を選択して開始できるようになりました。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|戦争疲弊&color(green){-0.02/月};|| |>|~|士気回復速度&color(green){+5%};|~| |使徒教会|Apostolic Church|布教強度&color(green){+2%};|| |埋立地|Land Reclamation|開発コスト&color(green){-10%};|| |国境地帯の民族|Border Nation|外交評判&color(green){+1};|| |メリクドム組織|Melikdom Organization|税収&color(green){+10%};|| |シグナク|Sygnakhs|連隊雇用コスト&color(green){-10%};|| |ナハラルの爵位|Nakharar Titles|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| |アルメニア人のディアスポラの終焉|End of Armenian Diaspora|生産効率&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|敵損耗&color(green){+1};|| ***イエメン / アデン(Yemen/Aden)v1.23[#YEM] Ver1.23で専用のNIが追加された。(1444GC開始時はラスール朝(Rasulid)を指すようだ) また、v1.23で新規に追加されたAden(1444GC開始時はターヒル朝(Tahirid)を指す国家)も対象。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|~| |アル=ヤマン,幸福のアラビア|Al-Yaman, Felicitous Arabia|交易品生産量&color(green){+10%};|アル=ヤマン(Al-Yaman)はイエメンのアラビア語略称。&br;この地域は乾燥した周りと違い温暖で湿潤であり、豊かであった。&br;古代ローマ人は「幸福のアラビア」と呼んでいた。| |アラビカコーヒー|Coffea Arabica|交易力&color(green){+10%};|元はアラビアNI。アラビアNI側は削除され、こちらにNIが移動した。| |紅海の支配|Control of the Red Sea|交易効率&color(green){+10%};|| |イエメンの建築様式|Yemeni Architecture|威信&color(green){+1/年};|| |イエメン部族の統一|Uniting the Yemeni Tribes|人的資源&color(green){+10%};|| |イエメン貿易港の推進|Promoting the Yemeni Trade Ports|商人&color(green){+1};|| |外国大使館|Foreign Embassies|外交官&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|生産効率&color(green){+10%};|| ***イルハン(Ilkhanate)v1.27[#ILK] Ver1.27にて新規にform可能となった国家で、併せて専用のNIが追加された。 13世紀~14世紀にかけてペルシアからアナトリア東部までを支配したモンゴル帝国を構成する地方政権の国家。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵コスト&color(green){-15%};|| |>|~|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|~| |イルハン朝の復活|Restored Ilkhanate|正統性&color(green){+1/年};|イルハン朝は、1253年にフレグが建国したモンゴル帝国の地方政権。&br;ペルシアから東アナトリアを領地とした。首都はタブリーズ。&br;フレグはチンギス・ハーンの孫にあたり、&br;兄である第4代モンゴル皇帝モンケに西アジアの征服を命じられ、征服を行った。&br;その最中にモンケが亡くなり、次兄クビライと弟のアリクブケによる帝位継承戦争が始まり、&br;フレグは西アジアに留まり自立王朝としてイルハン朝を開いた。&br;イルハンは、「集団」を意味するイルに君主を意味する「ハン」をつけた、&br;フレグが名乗った称号である。&br;後に継承戦争で分裂が起こり、1353年に消滅した。| |~|~|遊牧民の結束&color(green){+1/年};|~| |スーフィズムへの寵愛|Favor Sufism|異端寛容度&color(green){+2};|| |宮廷でのペルシア語|Persian Language at Court|受容文化枠&color(green){+1};|| |ヤム|The Yam|使節の移動時間&color(green){-25%};|ヤムは、ジャムチのテュルク語に相当する駅伝制の事。&br;主要道路に10里ごとにおかれる宿駅が置かれ、宿と人馬を提供した。&br;駅伝を利用する公用の旅行者は、通行手形として牌符を携行し、&br;ヤムを自由に利用することができた。| |~|~|移動速度&color(green){+15%};|~| |パクス・モンゴリカ|Mongol Peace|分離主義年数&color(green){-5};|パクス・モンゴリカは、パクス・ロマーナから派生した言葉で、&br;13世紀から14世紀に渡りユーラシア大陸を支配した&br;モンゴル帝国の覇権による平和で安定した時代を指す。&br;陸路・海路ともに交易が活発になり、経済活動は更なる発展を遂げることとなる。&br;一方で、14世紀のペストの大流行は、モンゴル帝国の時代にユーラシア大陸を&br;横断する広大なネットワークが成されたことが原因の1つとも言われる。| |天文台の後援|Patronize Observatories|技術コスト&color(green){-5%};|| |トルコ人射撃手の徴募|Recruit Turkoman Gunners|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|騎兵攻撃範囲&color(green){+50%};|| ***エルサレム(Jerusalem)v1.22[#KOJ] ディシジョンによって建国できる。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|布教強度&color(green){+2%};|| |>|~|異教寛容度&color(green){+1};|~| |茨の冠|Crown of Thorns|正統性&color(green){+1/年};|キリストが処刑される前に被せられた冠。| |~|~|威信&color(green){+1/年};|~| |ラテン総主教|Latin Patriarch|教皇影響度&color(green){+2/年};|| |前線の地|Frontier State|規律&color(green){+5%};|| |異教徒の地|Land of the Heathen|宣教師&color(green){+1};|| |十字軍による統治|Crusader Aristocracy|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| |十字軍の城|Crusader Castles|要塞防御&color(green){+25%};|| |国際的な貴族性|Cosmopolitan Nobility|外交評判&color(green){+2};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|人的資源&color(green){+25%};|| ***オマーン(Oman)v1.22[#OMA] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍士気&color(green){+15%};|| |>|~|海軍維持費&color(green){-20%};|~| |地方商人の特権|Local Merchant Preference|交易誘導&color(green){+33%};|| |材木の安定供給|Securing Timber Supplies|艦船建造期間&color(green){-10%};|| |不信心者の協会|Association With Unbelievers|水兵数&color(green){+10%};|| |~|~|異教寛容度&color(green){+2};|~| |港の安全の確保|Port Security Improvements|交易効率&color(green){+10%};|| |造船ギルドの廃止|End of the Shipbuilding Guilds|小型船コスト&color(green){-15%};|| |~|~|水兵維持費&color(green){-5%};|~| |熟練した艦長|Skilled Captains|海軍提督機動&color(green){+1};|| |交易の拡大|Expansion of Trade Contacts|商人&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海上封鎖効率&color(green){+33%};|| ***カラマン(Karaman)v1.22[#KAR] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| |>|~|コア化コスト&color(green){-20%};|~| |メフメトの勅令|Mehmet Bey's Firman|安定度コスト&color(green){-10%};|Firmanはペルシア語で勅令のことを指す。&br;アナトリアではセルジューク朝は、&br;ペルシア語を文語とし、アラビア語を政府や化学の文章に使っていたが、&br;これをトルコ語に変えた。| |~|~|文化転向コスト&color(green){-20%};|~| |ガーズィー|Ghazi|人的資源回復速度&color(green){+20%};|異教徒と戦う戦士。或いは戦ったスルタンや将軍に贈られる称号| |カラマン騎兵|Karamanid Cavalry|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|| |機会をつかむ|Seize the Opportunity|外交官&color(green){+1};|| |カラマン建築|Karamanid Architecture|開発コスト&color(green){-10%};|| |ウィーリングダルウィーシュ誕生の地|Home of the Whirling Dervishes|宗教的統一性&color(green){+20%};|ダルウィーシュとはスーフィー教の修道僧。&br;彼らの宗教儀式の中には回る踊りもある。| |セルジューク帝国の真の後継者|True Heirs of the Seljuk Empire|正統性&color(green){+1/年};|カラマンは成立初期のオスマン・トルコとアナトリアの覇権をかけて熾烈に争った。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***キプロス(Cyprus)v1.22[#CYP] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|ガレーコスト&color(green){-20%};|| |>|~|異端寛容度&color(green){+4};|~| |エルサレム王|King of Jerusalem|正統性&color(green){+0.5/年};|&size(13){1291年、エルサレム王国の大陸における最後の砦はマムルーク朝のバイバルスの手に落ちたが、&br;エルサレム王国の最後の百年において、正統な王は全てリュジニャンであったことを忘れた者はない。&br;亡命後も百年に渡り、リュジニャンの新王は我らの過去と未来の王国での戴冠のために、&br;真夜中に聖地へと渡海しているのだ。};| |~|~|請求権捏造コスト&color(green){-25%};|~| |フランク人十字軍戦士|Frankish Crusaders|陸軍伝統&color(green){+1/年};|&size(13){サラセン人がキリスト教世界の人々をフランク人と総称するのはたまたまではない。&br;十字軍におけるフランスの存在感は初期以来、突出していた。&br;フィリップ2世尊厳王や聖王ルイ9世のような十字軍諸王の精神は、&br;キプロスから消えていない。我らがピエール王は、かつてアナトリアの海岸の一部を手に入れた。&br;我々にまだその情熱があることを証明しようではないか。};| |コマンダリア・ワイン|Commandaria Wine|生産効率&color(green){+10%};|&size(13){第三回十字軍の折、フランスの尊厳王フィリップ2世は世界でもっとも偉大なワインを決定する大会を開いた。&br;コマンダリアがこの品評会で最高の”ワインの使徒”だと賞されて誰か驚くだろうか?&br;コマンダリアは古く、百年前と同じく美味だ。飲酒を慎むトルコ人ですら、その味の改良はしたのである。};| |リュジニャン外交|Lusignan Diplomacy|外交評判&color(green){+1};|&size(13){キリスト教世界にエルサレム王位を望まぬ王がいるだろうか?&br;悲しいかな、一貫して我らが王号を持ち続けているにもかかわらず、多くの者が継承を主張している。&br;だがそれ以外の者は、リュジニャンの家名と霊魂という、聖地に近づく力を持つ&br;血統を家系に加えることを望んで、我々に敬意を払う。&br;この東方におけるキリスト教世界最後の砦は、西方の救けなくしては生き残れないのだから、&br;彼らの敬意を利用しなくてはならない。};| |キプロスの要塞群|Cypriot Fortifications|要塞防御&color(green){+25%};|&size(13){幾多の勢力が何世紀にもわたって襲撃したので、&br;十字軍戦士たちはキプロスの唯一の継承者であることを望んでいない。&br;この島は至る所が中世最高の城で強化されており、&br;トルコ人とギリシア人の狼狽は、我らがここにある事の証左といえる。};| |海賊撃退|Repel the Corsairs|ガレー戦闘力&color(green){+20%};|&size(13){15世紀末から16世紀初頭の東地中海を混乱させた伝説的な赤髭兄弟の記憶は鮮烈だが、&br;連中はこの海域の旅の禍の元である海賊の一部に過ぎない。&br;我々の海軍は略奪者に対抗しうる力を持たねばならない。};| |トルコ通商を襲撃|Raid Turkish Commerce|禁輸効率&color(green){+10%};|&size(13){赤髭兄弟はケダモノだったが、効果的な戦略に気づいた。&br;我々はトルコ船を無制限に襲撃して彼らの富を手に入れるために東地中海の要地を利用できる。&br;海賊はすべての国の敵かもしれないが、私掠船は契約した商売人に過ぎない。そうだろう?};| |~|~|私掠効率&color(green){+15%};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍扶養限界&color(green){+33%};|| ***黒羊朝(Qara Qoyunlu)v1.23[#QAR] Ver1.23で新政体である部族連合政体(Tribal Federation Government )に変更されると共に、専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|| |>|~|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|~| |黒い羊|The Black Sheep|人的資源&color(green){+25%};|「Qara Qoyunlu」(カラ・コユンル)はトルコ語で「黒い羊」を意味する。&br;かつて中央アジアの北部に存在したテュルク系遊牧民族「オグズ(Oghuz)」の&br;部族連合をもととする遊牧国家。| |アゼルバイジャンの支配者|Governor of Azerbaijan|コア化コスト&color(green){-10%};|第5代君主ジャハーン・シャーは&br;ティムール朝第3代君主シャー・ルフによりタブリーズの知事に任ぜられ、&br;ティムール朝の宗主権を認める代償に黒羊朝はアゼルバイジャンを支配した。| |~|~|州獲得に必要な戦争点コスト&color(green){-5%};|~| |アリーへ敬意を表す|In Honor of Ali|異端寛容度&color(green){+3};|アリーとは、イスラム教を創始したムハンマドのいとこでイスラムの第4代正統カリフであり、&br;シーアの初代イマームとされるアリー・イブン・アビー・ターリブのこと。&br;アジャム(Ajam)NIと同一のNI。| |精力的な交戦|Dynamic Warfare|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|| |負担に対する開放|Freedom with Responsibility|属国の独立欲求&color(green){−10%};|属国の独立欲求減少の効果はNIとしては初?&br;アイデアグループには諜報アイデア(Espionage Idea)にある。| |イラン文化への後援|Patron of Iranian Culture|不穏度&color(green){-1};|| |灌漑と公共事業|Irrigation and Public Works|税収&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};|| ***サムツヘ(Samtskhe)v1.23[#SME] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 ジョージア王の有力な封臣ではあるが、独立した公国。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|外交官&color(green){+1};|| |>|~|反乱支援効率&color(green){+25%};|~| |サムツヘのアタベク|Atabegs of Samtskhe|正統性&color(green){+1/年};|アタベク(Atabeg、アターベクとも)はテュルク語で「父なる君侯」の意味。&br;幼い君主の後見人・摂政であり養父となる有力者のこと。&br;日本で言う傅役。サムツヘはアタベクの称号を用いていた。| |積極的外交|Proactive Diplomacy|諜報網構築力&color(green){+20%};|| |サムツへの要塞|Fortresses of Samtskhe|要塞防御&color(green){+20%};|| |独立の野望|Independent Ambitions|陸軍士気&color(green){+10%};|| |貿易路の保護|Protect the Trade Routes|交易効率&color(green){+10%};|| |辺境の戦士|Frontier Warriors|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |聖なる土地|A Sacred Land|国教寛容度&color(green){+2};|サムツヘには、ヴァルジア(Vardzia)の洞穴修道院、&br;聖マリアのイコンのあるアツクリ(Atskuri)聖堂、&br;アンチスハティ(Anchiskhati)のイコンがあるアンチャ(Ancha)修道院等、&br;ジョージア正教の遺物が多く残る。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|異教寛容度&color(green){+2};|| ***ジャンダル(Candar)v1.22[#CND] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|コア化コスト&color(green){-20%};|~| |ジェノバとの関連|Genoese Connections|商人&color(green){+1};|| |ジャンダル文学の改革|Candarid Literary Reform|統治技術コスト&color(green){-10%};|| |イスマイール・ベイ複合施設|Ismail Bey Complex|開発コスト&color(green){-10%};|| |アナトリアの学術センター|Anatolian Center for Learning|顧問コスト&color(green){-10%};|| |~|~|雇用可能顧問&color(green){+1};|~| |ジャンダル隊の遺産|Legacy of the Candar Corps|規律&color(green){+5%};|| |スィノプ造船所|Sinop Shipyard|海軍扶養限界&color(green){+25%};|| |キュレ銅鉱山|Kure Copper Mine|交易品生産量&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|| ***ジョージア/イメレティ(Georgia / Imereti)v1.23[#GEO] v1.23で以下の変更がありました。 ・伝統の「敵対的コア化コスト+50%、被白兵ダメージ-10%」が「歩兵戦闘力+10%、要塞防御+25%」に ・バグラティオニ朝(Bagrationi Dynasty)に「正統性+0.5/年」の効果が追加 ・3番目に聖ニノの遺産(Legacy of Saint Nino)「国教寛容度+2」が新規に追加。 ┗上記に伴い、元々3番目だった要塞と教会の再建(Restoration of Fortresses and Churches)が4番目に移動。 ┗上記に伴い、元々4番目だったジョージアの保護国(Georgian Protectorates)「属国収入+20%」は削除 ・6番目にダストゥラマリ(Dasturlamali)「戦争疲弊-0.02/月」が新規に追加。 ┗上記に伴い、元々6番目だったサドロショ管区(Sadrosho Districts)が5番目に移動。 ┗上記に伴い、元々5番目だった郡への改革(Samouravo Reform)「安定度コスト-10%」は削除 全変更を効果の追加削除だけに絞ると、 追加・・・歩兵戦闘力+10%、要塞防御+25%、正統性+0.5/年、国境寛容度+2、戦争疲弊+0.02/月 削除・・・敵対的コア化コスト+50%、被白兵ダメージ-10%、属国収入+20%、安定度コスト-10% |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|要塞防御&color(green){+25%};|~| |バグラティオニ朝|Bagrationi Dynasty|正統性&color(green){+0.5/年};|バグラチオン朝或いはバグラチオン家とも。&br;9世紀以来グルジアを統治した王家で&br;ロシアの侵略、ソ連の時代を越え&br;共和国になった今でも続く長い家系。| |~|~|後継者誕生確率&color(green){+50%};|~| |ジョージアの孤立|Georgian Isolation|関係改善&color(green){+30%};|| |聖ニノの遺産|Legacy of Saint Nino|国教寛容度&color(green){+2};|4世紀のジョージアにキリスト教を伝道・紹介した女性| |要塞と教会の再建|Restoration of Fortresses and Churches|建造物コスト&color(green){-10%};|| |サドロショ管区|Sadrosho Districts|人的資源回復速度&color(green){+20%};|| |ダストゥラマリ|Dasturlamali|戦争疲弊&color(green){-0.02/月};|グルジアの封建制の原則となる法律| |ジョージア大使館|Georgian Embassies|外交評判&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵コスト&color(green){-20%};|| //|ジョージアの保護国|Georgian Protectorates|属国収入&color(green){+20%};|| //|郡への改革|Samouravo Reform|安定度コスト&color(green){-10%};|大きな自治性があったsaeristavo(公国領の意)から、&br;より小さなsamouravo(郡の意)へと分割した。| ***シルヴァン(Shirvan)v1.23[#SRV] v1.22迄はグループNIのカフカスNIであったが、v1.23で専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|州からの交易力&color(green){+10%};|| |>|~|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|~| |ハルワーティ教団|The Khalwati Order|正統性&color(green){+1/年};|ハルワーティ(Khalwati)教団はスーフィー教団の1つで、&br;指導者としては、バクーに住む&br;セイイド・ヤフヤー・バクービ?(Sayyid Yahya Bakuvi)が知られる。&br;ナクシュバンディーやカーディリーと並ぶ最も有名な教団の1つ。&br;| |~|~|信仰心&color(green){-0.1%/月};|~| |シルヴァンの要塞|Fortresses of Shirvan|要塞防御&color(green){+20%};|| |コーカサスの部族|Tribesmen of the Caucasus|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|| |ペルシアの後援|Persianate Patronage|君主と同一文化の顧問コスト&color(green){-20%};|v1.23から顧問にも文化と宗教が設定されるようになったので、&br;それを利用した新効果のNI。| |カスピ海貿易|Caspian Trade|キャラバン力&color(green){+20%};|| |シルヴァンの建築様式|Shirvani Architecture|建造物コスト&color(green){-10%};|| |~|~|威信&color(green){+1/年};|~| |バクーの商人|Merchants of Baku|商人&color(green){+1};|バクーはカスピ海西岸のアブシェロン半島南岸に位置する南カフカス有数の大都市。&br;現アゼルバイジャンの首都。&br;当時は多くの商人が訪れていた。&br;特にアテシュガー寺院、通称「火の寺院」は、ヒンドゥー、シク、ゾロアスターの&br;礼拝所として使用され、多くのインド商人が訪れた。&br;なお、このアテシュガー寺院、天然ガス田の上にあり、&br;7つの穴からガスが吹き出した際は自発的に燃えたようで、&br;「永遠の火をもつ7つの穴」と称された。&br;アシュテガー(Ateshgah)自体「火の家」という意味。&br;現在は放棄されている。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易品生産量&color(green){+10%};|| ***スィースターン(Sistan)v1.23[#SIS] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 1444GC開始時はティムール朝の属国。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵コスト&color(green){-10%};|| |>|~|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|~| |ハムン湖|Lake Hamun|生産効率&color(green){+10%};|ハムン湖はイランとアフガニスタンの国教にあるスィースターンの湿地を指す言葉。&br;湖ではなく春の雪解け水で一時的に成される湖沼の事。&br;イランの神話の世界におけるカンス海がハムン湖と比定される。&br;ゾロアスターの精子が隠されているとされ、預言者の母となる娘が水浴し、&br;預言者となる子を身籠ったとされる(要は処女懐胎の神話)。| |サッファール朝の遺産|Saffarid Legacy|威信&color(green){+1/年};|サッファール朝は9~11世紀にスィースターン地域に存在した王朝。&br;首都はザランジで、アフガニスタン全土とイラン東部、パキスタンの一部を征服した。| |部族の征服|Subjugation of the Tribes|自治度変化&color(green){-0.05/月};|| |忠実な軍|Loyal Service|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| |陸上の貿易路|Overland Trade Routes|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| |スィースターンの年代記|Chronicles of Sistan|正統性&color(green){+1/年};|| |スィースターンの学者|Scholars of Sistan|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| ***聖ヨハネ騎士団(The Knights)v1.22[#KNI] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|「沿岸の襲撃」(raid coasts)が使用可|| |>|~|規律&color(green){+5%};|~| |信仰の守護|Defense of the Faith|要塞防御&color(green){+25%};|| |忍耐の助け|Assistance to the Suffering|人的資源回復速度&color(green){+15%};|| |騎士団の弁舌|The Tongues of Knights|外交枠&color(green){+1};|| |海の再征服|Reconquista of the Sea|ガレー戦闘力&color(green){+20%};|| |~|~|敵船捕獲確率&color(green){+15%};|~| |キリスト教世界全ての守護者|Ecumenical Defenders of Christendom.|不穏度&color(green){-2};|| |コルセアの懲罰|Scourge of the Corsairs|海軍扶養限界&color(green){+50%};|コルセアは私掠船、または北アフリカの海賊を指す。&br;ヨハネ騎士団はイスラム勢力に対したびたび海賊行為を仕掛けていた。| |十字軍の伝統|Crusader Tradition|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|教皇影響度&color(green){+2/年};|| ***チェルケシア(Circassia)v1.22[#CIR] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|安定度コスト&color(green){-10%};|| |>|~|敵対的コア化コスト&color(green){+50%};|~| |草原の騎兵|Horsemen of the Steppe|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |~|~|騎兵戦闘力&color(green){+5%};|~| |ジェノヴァの商人|Merchants Of Genoa|州からの交易力&color(green){+15%};|| |チェルケシアの穀物交易|Circassian Grain Trade|交易効率&color(green){+10%};|| |フランシスコ会の宣教師|Franciscan Missionaries|宣教師&color(green){+1};|| |アディゲ人の美|Adyghe Beauty|威信自然減&color(green){-1%};|| |草原の外交官|Steppe Diplomats|外交官&color(green){+1};|| |宗教的柔軟性|Religious Flexibility|異端寛容度&color(green){+1};|| |~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍士気&color(green){+10%};|| ***ティムール(Timurids)v1.22[#TIM] v1.24で2点の変更がありました。 ・伝統の「分離主義年数-5」が「陸軍指揮官白兵+1」に変更 ・偉大なるハンの権威(The Mantle of the Great Khan)の効果が「騎兵戦闘力+20%」から「陸軍士気+10%」に変更 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| |>|~|外交枠&color(green){+1};|~| |ティムール式建築|Timurid Architecture|威信&color(green){+1/年};|ティムールとその子孫の手により首都サマルカンドには優れた宗教・教育施設が作られた。&br;ティムールと一族の霊廟「グーリ・アミール廟」は世界遺産サマルカンドを代表する建造物の一つである。| |偉大なるハンの権威|The Mantle of the Great Khan|陸軍士気&color(green){+10%};|モンゴル帝国が瓦解したのちも、ユーラシアの遊牧民には「偉大なるチンギス・ハン」の記憶が残り、&br;「チンギス・ハンの子孫でなければ王位(ハーン位)についてはならない」という不文律が定着した。&br;チンギス・ハンの子孫ではなかったティムールは正統の子孫を擁立して傀儡君主とし、チンギス家の女子を娶ることで権威を保持した。| |解き放たれた虎|Unleash the Tiger|与白兵ダメージ&color(green){+10%};|| |チャガタイ文学|Chagatai Literature|正統性&color(green){+1/年};|ティムール朝の宰相・アリーシール・ナヴァーイーは&br;テュルク語にペルシア語の語彙と修辞を取り入れた&br;「チャガタイ語」を使って詩作を行い、&br;チャガタイ語をアラビア語やペルシア語に匹敵する文学的地位へ引き上げた。&br;なお、v1.23にて政体が遊牧民から変更されたが、内部的には遊牧民の結束の上昇は残っている。| |~|~|遊牧民の結束&color(green){+1/年};|~| |ティムール・ルネサンス|Timurid Renaissance|技術コスト&color(green){-5%};|第3代君主のシャー・ルフと第4代君主のウルグ・ベクの時代にサマルカンドとヘラートを中心に建築・文芸・学術の各分野が大いに栄えた。&br;この時代の文化を「ティムール・ルネサンス」と総称する。| |シルクロード支配|Control of the Silk Road|首都ノード交易力&color(green){+25%};|| |ディーワーンの改革|Reform the Diwan|o&color(green){-0.1/年};|ディーワーンは、イスラム国家の行政機関で「庁」あるいは「局」を指す言葉。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| //|世界最大のモスクの建築|Build the Largest Mosque in the World|威信&color(green){+1/年};|| ***トレビゾンド(Trebizond)v1.22[#TRE] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|正統性&color(green){+1/年};|| |>|~|後継者誕生確率&color(green){+50%};|~| |コムネノス王朝の亡命者|Komnenoi in Exile|威信&color(green){+1/年};|トレビゾンド帝国は東ローマ帝国コムネノス王朝の血を引く&br;アレクシオス1世コムネノスが第4回十字軍によって東ローマの首都&br;コンスタンティノープルが陥落する直前に&br;トレビゾンドに逃れて建国した国である。| |ポントス山脈|Pontic Mountains|要塞防御&color(green){+20%};|トレビゾンド帝国は小国ながらも250年以上存続できた。&br;これは東ローマの文化的遺産が周辺諸国に尊重されたことと共に、&br;背後にそびえるポントス山脈が容易に侵略を受け付けなかったことも大きい。| |アレクシアードの遺産|Legacy of the Alexiad|アイデアコスト&color(green){-10%};|Alexiadは東ローマ帝国コムネノス朝初代皇帝アレクシオス1世コムネノス&br;(上記アレクシオス1世とは別人)の娘アンナ・コムネナが書いた歴史書。&br;父アレクシオスの治世を描くとともに、西欧による十字軍の進出/侵略を記述し、&br;史料としての価値は非常に高い。| |コムネノス王朝の王女|Komnenoi Princesses|外交官&color(green){+1};|小国として存続するために歴代トレビゾンド皇帝は外交を駆使し、&br;隣国と姻戚関係を結んで侵略を図る国を牽制した。&br;東ローマの血を引く姫との結婚は周辺諸国にとって大いに魅力的な条件であった。| |~|~|外交評判&color(green){+1};|~| |第4回十字軍の教訓|The Lessons of the Fourth Crusade|陸軍士気&color(green){+10%};|コンスタンティノープルはローマの歴史上わずかに2回しか陥落しておらず、&br;第4回十字軍の攻撃で初めて陥落した。&br;後年に比べ攻撃軍の兵数は少なく、籠城軍の方が数が多かったにもかかわらず陥落してしまったのは、&br;東ローマ内部の内紛が深刻であったためと、軍事組織が極端に弱体化していたためであった。| |シルクロードの終点|Terminus of the Silk Road|首都ノード交易力&color(green){+20%};|| |国外のギリシャ学者|Greek Scholars Abroad|諜報網構築力&color(green){+20%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|交易品生産量&color(green){+10%};|| ***ナジュド(Najd)v1.25[#NAJ] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|布教強度&color(green){+2%};|| |>|~|移動速度&color(green){+15%};|~| |ベドウィンの詩|Bedouin Poets|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|ベドウィンは砂漠に住む遊牧民族。&br;自分たちの勇敢なありかたなどをしばしば詩とした。「ハマーサ」などの詩集が残る。| |ハンバル派学校|Hanbali School|宣教師&color(green){+1};|ハンバル派はスンニ内部の学派の一つ。| |砂漠の舟|Ships of the Desert|交易力&color(green){+10%};|ラクダですな。| |ベドウィンの襲撃者|Bedouin Raiders|敵損耗&color(green){+1};|| |アラビア馬術|Arabian Horsemanship|騎兵攻撃範囲&color(green){+50%};|| |部族の結束|Unite the Tribes|陸軍維持費&color(green){-5%};|| |タウヒードの強制|Enforce Tawhid|国教寛容度&color(green){+2};|タウヒードはイスラムにおける神が唯一であるという概念。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|宣教師&color(green){+1};|| ***白羊朝(Aq Qoyunlu)v1.25[#AKK] Ver1.23で新政体である部族連合政体(Tribal Federation Government )に変更されると共に、専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|~| |白い羊|The White Sheep|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|「Aq Qoyunlu」(アク・コユンル)はトルコ語で「白い羊」を意味する。&br;かつて中央アジアの北部に存在した&br;テュルク系遊牧民族「オグズ(Oghuz)」の24氏族の1つであり、&br;24氏族の祖オグズ・ハーン(Oghuz Khan)の孫とされる&br;バヤンドル・ハーン(Bayandor Khan)の系統である。| |一族の結束|Unite the Clans|騎兵コスト&color(green){-20%};|部族忠誠度(tribal allegiance)は、DLC「Cradle of Civilization」が適用の場合のみ。&br;新政体となる部族連合政体(Tribal Federation Government )の&br;固有メカニクスにて使用される。&br;DLC「Third Rome」入りのロシア系政体のもつメカニクスに近い。| |~|~|部族忠誠度&color(green){+1/年};|~| |トルコ-イラン官僚|Turko-Iranian Bureaucracy|コア化コスト&color(green){-20%};|| |王朝のアパナージュ|Dynastic Apanages|人的資源&color(green){+25%};|アパナージュ(Apanage)は、長子以外の王の子や弟に封土として与えた王領の一部のこと。&br;国王親族封、親王采地などと訳される。| |開放的な外交|Expansive Diplomacy|外交官&color(green){+1};|| |宗教的な現実主義|Religious Pragmatism|安定度コスト&color(green){-10%};|| |ハサンの法典|Qanun-nama-ye Hasan|交易品生産量&color(green){+10%};|Qanun(カーヌーン)は法制度の1つで世俗法と訳される。&br;Qanun nama(カーヌーン・ナーメ)で「法典」「法令集」と言う意味。&br;Hasanは白羊朝4代当主であり、英主として名高いウズン・ハサンのこと。&br;オスマン帝国はアナトリア地方征服後の間もない段階では&br;広範囲にわたってウズン・ハサンの法典を適用した。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍維持費&color(green){-5%};|| ***ハサー(Haasa)v1.23[#ALH] v1.23で専用のNIが追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|異端寛容度&color(green){+2};|~| |砂漠戦|Desert Warfare|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |東のベドウィンの王|Lord of the Bedouin of the East|国教寛容度&color(green){+2};|ベドウィンはアラブの遊牧民族を指す言葉。| |ペルシア湾の真珠|Pearls of the Persian Gulf|交易品生産量&color(green){+10%};|バーレーン島付近の浅海は古来より真珠の産地。| |海岸線の要塞化|Fortify the coastline|要塞防御&color(green){+20%};|| |インドの集積地|Entrepot of India|交易効率&color(green){+10%};|| |近代的な海軍|A Modern Navy|船舶の耐久力&color(green){+5%};|| |ラフマン・イブン・ジャービルの遺産|Legacy of Rahmah ibn Jabir|海軍伝統&color(green){+1/年};|ラフマン・イブン・ジャービル(Rahmah ibn Jabir)は18世紀に活躍した海賊。&br;当時の英国の著者に「恐らく、これまで世界で現れた海賊の中で、&br;最も成功した海賊であり、最も容認された海賊である」と評される。&br;戦いの際に片目を失った後、いわゆるアイパッチをしたが、&br;文書として残る最初のアイパッチをした海賊として知られる。&br;非常に知名度が高く、「ペルシア湾が生み出した最も有名なキャラクター」とまで言われた。| |~|~|私掠効率&color(green){+15%};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍扶養限界&color(green){+20%};|| ***ハドラマウト(Hadramut)v1.23[#HDR] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 イエメン東部を支配するカスィーリー(Kathiri)朝を指すようだ。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|国外ノードにおける交易力&color(green){+10%};|| |>|~|海軍伝統&color(green){+1/年};|~| |死の訪れ|Death Has Come|敵損耗&color(green){+1};|定かとは言えないようだが、Hadramutの意味は、「死の訪れ」という意味である。| |ハドラマウトの部族|Tribes of Hadramut|人的資源&color(green){+15%};|| |ハウタ|Hawtas|不穏度&color(green){-1};|ハウタ?(Hawta)は部族の神聖な領域の事で、中立地帯となっている。| |香料貿易の奨励|Encouraging the Incense Trade|交易効率&color(green){+10%};|| |インド洋の船員|Sailors of the Indian Ocean|水兵回復速度&color(green){+5%};|| |~|~|海軍扶養限界&color(green){+25%};|~| |ハドラミーのディアスポラ|Hadramhi Diaspora|技術コスト&color(green){-5%};|ハドラマウトの出身者やその子孫をハドラミーと言う。&br;現代では世界中に散っていて、独自のネットワークを持つとされる。| |遠方との外交|Distant Diplomacy|関係改善&color(green){+30%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|植民者&color(green){+1};|| ***バルーチスタン(Baluchistan)v1.22[#BAL] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|要塞維持費&color(green){-10%};|| |>|~|略奪速度&color(green){+25%};|~| |天然の要塞|Natural Defenses|敵損耗&color(green){+1};|| |ハニとシェイ・ムリード|Hani and Sheh Mureed|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|バローチー族の勇者とその幼馴染の悲恋をについての叙事詩| |バローチのハン|Khan of the Baloch|正統性&color(green){+1/年};|| |陸軍の再編成|Reorganization of the Army|人的資源&color(green){+15%};|| |陸上交易路の支配|Control the overland Trade|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| |族長と地主|Chiefs and Landlords|税収&color(green){+10%};|| |バルーチの統率力|Baluchi leadership|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|| ***ヒジャーズ/メディナ(Hejaz / Medina)v1.23[#HED] v1.23にてカリフの後継者(Successor to the Caliphate)に「信仰心(Piety)+0.1%/月」の効果が追加されました。 また、v1.23からの新規国家メディナ(Medina)にも本NIが適用されます。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+10%};|| |>|~|騎兵コスト&color(green){-10%};|~| |二つの聖地の管理者|Custodian of the Two Holy Cities|国教寛容度&color(green){+2};|10世紀以来、ヒジャーズはメッカ、メディナの2大聖地の管理者を自任していた。| |紅海交易|Red Sea Trade|首都ノード交易力&color(green){+10%};|| |太守|Sharifs|侵略的拡大&color(green){-10%};|v1.23で地味に名前とフレーバーが修正された(前はSharifs of Mecca)。| |砂漠戦術|Desert Warfare|陸軍損耗&color(green){-10%};|| |金の揺り籠|Cradle of Gold|税収&color(green){+10%};|| |ハッジ|Hajj|布教強度&color(green){+1%};|| |カリフの後継者|Successor to the Caliphate|威信&color(green){+1/年};|| |~|~|信仰心&color(green){+0.1%/月};|~| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|| ***ヒスン・カイファ(Hisn Kayfa)v1.23[#HSN] 正式なアイデア名はアイユーブ(Ayyubid ideas)である。 v1.23で追加された新規国家の専用NI。 アイデア名から分かる通り、アイユーブ朝の末裔である。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};|| |>|~|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|~| |砦と要塞|Citadels and Fortresses|要塞防御&color(green){+20%};|| |祖先の遺産|Ancestral Heritage|人的資源&color(green){+15%};|祖先は当然、アイユーブ朝の事。&br;12世紀から13世紀にかけてエジプト、シリア、イエメンなどの地域を支配した スンニのイスラム王朝。| |信仰の正義|Righteousness of the Faith|陸軍士気&color(green){+10%};|サラーフッディーン(Salah ad-Din)の事を言っている。&br;サラディンの呼び名の方が一般的か。&br;何度も十字軍を負かし、アイユーブ朝を建国した英雄。| |エリート兵|Elite Warriors|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|| |鷲の興隆|Rise of the Eagle|コア化コスト&color(green){-15%};|鷲はアイユーブ朝の開祖サラディンが用いたシンボル。&br;エジプトの国旗の中央に見られるマークは「サラディンの鷲」と言われる。| |中央権力の強化|Strengthen Central Authority|安定度コスト&color(green){-10%};|| |国家経済|State Economics|交易品生産量&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|規律&color(green){+5%};|| ***ファールス(Fars)v1.23[#FRS] v1.23で追加された新規国家の専用NI。ペルシャ南西部に位置し、ティムールより任命された知事(ティムールの子孫)を頭とする国家の1つで、 1444GC開始時ではティムール朝の属国。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|アイデアコスト&color(green){-10%};|| |>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~| |ペルシャ人の地|Land of the Persians|国教寛容度&color(green){+2};|ファールスはイラン南部の歴史的地域名で、&br;その語源は騎馬者を意味する「パールス」から来ており、古代には「パールサ」と呼ばれた。&br;この「パールサ」が「ペルシア」の語源ともなっている。&br;また、紀元前1000年頃にイラン高原に進出したイラン系の民族が、&br;紀元前7世紀頃にはこのパールサ地方に定着したとされ、&br;後にこの民族がペルシア人と呼ばれることとなる。| |宗教と哲学の中心地|&size(12){Center of Religion and Philosophy};|統治技術コスト&color(green){-10%};|ファールスやシーラーズは古くからイラン地域の文化や経済の中心地であり、&br;神学や哲学の中心地でもあった。| |慎重な外交|Diplomatic Prudence|関係改善&color(green){+20%};|| |ワイン生産の拡大|Expand the Wine Production|生産効率&color(green){+10%};|古代ペルシャの伝説の王ジャムシードはワイン誕生の伝説を持つ。&br;生の葡萄を好んだ王はいつでも食べられるようにと壺に葡萄を保管していた。&br;月日が経ち、葡萄は発酵してしまい、それを見た王は腐って毒になったと思い、&br;捨てるのもめんどくさいので、倉庫の端に置き「毒」と張り紙がされた。&br;ある日、王の寵愛を失った侍女が死んでしまおうと思い、毒と貼られた壺の中身を飲んだ。&br;すると死ぬどころか楽しい気分となってしまった。&br;後日、この事が王に報告され、王は喜び、ワインを造らせ王宮全員が楽しんだとされる。&br;また、ワイン用葡萄のシラー種は、シーラーズが原産で、ヨーロッパに持ち込まれたという説がある。| |シーラーズ学派|Shirazi School|威信&color(green){+0.5/年};|ペルシア哲学における学派の1つ。&br;イスラム哲学到来後も、ペルシア哲学の発展に寄与した。| |~|~|主義思想の受容コスト&color(green){-10%};|~| |カシュガイ族の統合|Integrate the Qashqai|人的資源&color(green){+15%};|カシュガイ族は、イラン最大の部族の一つでイラン南西部のファールス地域の遊牧民。&br;遊牧生活を共にする羊から羊毛を取り、草木染めし手織りした絨毯ギャッベが有名である。| |帝国のための中心地|A Capital for an Empire|開発コスト&color(green){-10%};|ファールスやシーラーズは古くからイラン地域の文化や経済の中心地である。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|外交技術コスト&color(green){-10%};|| ***ペルシア(Persia)v1.23[#PER] v1.23で伝統の騎兵戦闘力が+10%から+15%に変更されました。 また、v1.22まで存在したタバリスタン(Tabarestan)もこのNIが適用されます。 ※v1.22よりタバリスタン(Tabarestan)はマーザンダラーン(Mazandaran)に置き換わり、別のNI(Caspian)が適用されました。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|~| |キジルバシュ|The Qizilbash|人的資源&color(green){+15%};|ペルシア・サファヴィー朝軍の主力となったトルクメン人遊牧騎馬軍団の名称。&br;サファヴィー教団への帰依を示す赤い帽子(キジルバシ)に由来する。&br;v1.23で地味に名前とフレーバーが修正された(前はSupport The Qizilbash)| |ペルシア絨毯の生産の奨励|Encourage Persian Rug Production|交易品生産量&color(green){+10%};|| |奴隷軍人の設立|Found the Ghulams|規律&color(green){+5%};|Ghulamsは「小姓」とも訳される、イスラム世界に存在する奴隷軍人制の一類型。&br;エジプトのマムルークやトルコのイェニチェリと似た存在である。| |シルクロードの改善|Improve the Silk Road|キャラバン力&color(green){+20%};|| |芸術振興|Encouraged Art|生産効率&color(green){+5%};|| |~|~|威信&color(green){+1/年};|~| |灌漑技術の促進|Promotion of Irrigation|人的資源回復速度&color(green){+10%};|古代からイラン乾燥地域では「カナート」と呼ばれる灌漑地下水路が発達していた。| |王領の拡大|Increase the Crown Lands|税収&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|士気回復速度&color(green){+5%};|| ***ホラーサーン(Khorasan)v1.23[#KHO] Ver1.22までは1444開始時に選択できない国家であり、(1449年に勃興する)汎用NIであったが、 Ver1.23より1444GC開始時より選択できる国家(ティムール朝の属国)となり、合わせて新規NIが用意された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};|| |>|~|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|~| |太陽の昇る地|Land of the Rising Sun|外交評判&color(green){+1};|ホラーサーンは中世イラン語で「(イランから見て)太陽の昇るところ」を意味する。| |テュルク=モンゴルのアミールの制御|&size(12){Rein in the Turko Mongol Emirs};|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|アミール(エミールとも)は、アラビア語で「司令官」「総督」を意味し、&br;イスラム世界で王族などの称号となった。&br;モンゴル帝国時代以後、中央アジアに元々いたテュルク族とモンゴルが混じり合ったハン国にて&br;その長がアミールの称号を名乗った。| |王子のアパナージュ|Princely Appanages|人的資源&color(green){+10%};|アパナージュ(Apanage)は、長子以外の王の子や弟に封土として与えた王領の一部のこと。&br;国王親族封、親王采地などと訳される。| |王朝年代記|Dynastic Chronicles|正統性&color(green){+1/年};|| |灌漑網|Irrigation Network|交易品生産量&color(green){+10%};|| |ホラーサーンの大首長|Great Sheiks of Khorasan|国教寛容度&color(green){+2};|シャイフ(sheik、シークとも)はアラビア語で「部族の長老」「首長」等を意味する&br;イスラム世界における称号の1つ。| |隊商路の保護|Protect the Caravan Routes|交易効率&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|技術コスト&color(green){-5%};|| ***ホルムズ(Hormuz)v1.22[#ORM] |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|商人&color(green){+1};|| |>|~|国外ノードにおける交易力&color(green){+10%};|~| |広大な商業中心地|A Vast Emporium|交易効率&color(green){+10%};|| |島の防備|Protecting the Islands|要塞防御&color(green){+20%};|| |朝貢制の改革|Reform the Moqarrariya|安定度コスト&color(green){-10%};|| |遠方との外交|Far-reaching Diplomacy|外交評判&color(green){+1};|| |~|~|外交枠&color(green){+1};|~| |貿易独占の維持|Maintain Trading Monopoly|交易力&color(green){+10%};|| |ゲシュム島とホルムズ島の開発|Develop Qeshm and Hormuz|開発コスト&color(green){-10%};|| |ホルムズ海軍の拡張|Hormuzi Naval Expansion|海軍扶養限界&color(green){+25%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|水兵維持費&color(green){-10%};|| ***マフラ(Mahra)v1.25[#MHR] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 南アラビアに位置するスルタン国。実は割と現代近くまで残っていた(1967年まで)国家のようである。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍伝統&color(green){+1/年};|| |>|~|船舶の耐久力&color(green){+5%};|~| |乳香とハリーフの土地|Lands of Frankincense & the Khareef|交易品生産量&color(green){+10%};|乳香は樹脂の一種で、主に香料として珍重された。&br;フランキンセンス(古フランス語で醇正な薫香の意)とも言う。&br;ハリーフは季節を表す言葉のようで、モンスーンの影響で&br;ハリーフの季節はこの地域において雨が多い。&br;これによりこの地域では希少な森林地帯を成しており、&br;先に出た乳香の原料となるボスウェリア属の樹木が多く茂る。&br;この木々の自生地は「乳香の土地」として世界遺産に登録されている。| |傭兵の伝統|Mercenary Traditions|傭兵維持コスト&color(green){-10%};|| |マフラ部族|The Mahra Tribes|人的資源&color(green){+10%};|| |アラビア海の水先案内人|Pilots of the Arabian Sea|海軍提督機動&color(green){+1};|| |マフラのラクダ|Mahra Camels|騎兵コスト&color(green){-5%};|古くから有名らしく、&br;アラビア文学史上最大の詩人の1人、アブー・タンマーム(Abu Tammam)やカリフ等から評された。&br;また、他の国では「Mahri」や「Mehari」が「乗馬ラクダ」という意味を持つ。| |~|~|移動速度&color(green){+15%};|~| |航海術の本|Book of Navigation|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|| |酋長の統制|Rein in the Chiefs|自治度変化&color(green){-0.05/月};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|海軍維持費&color(green){-20%};|| ***ムシャーシャー(Mushasha)v1.23[#MSY] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 ムハンマド・イブン・ファラ(Muhammad ibn Falah)が治めるシーア神権君主国(Theocratic Monarchy)。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|~|要塞防御&color(green){+20%};|~| |熱烈な終末論者|Fervent Millenarianism|陸軍士気&color(green){+10%};|ムハンマド・イブン・ファラ(Muhammad ibn Falah)率いる&br;ムシャーシャーイヤー?(Musha'sha'iyyah)はシーアの中の一派。&br;ムハンマド・イブン・ファラは終末論の神学に熱心であった。| |~|~|信仰心&color(green){-0.1%/月};|~| |ムハンマド・ビン・ファラの救世主伝承|Messianic Legacy of Muhammad bin Falah|宣教師&color(green){+1};|ムハンマド・イブン・ファラは、アリーとマフディーの代弁者であると主張した。&br;マフディーはイスラム世界での救世主(メシア)を意味する。&br; 名前にある「bin」は「ibn」の誤りか?| |湿地戦|Swamp Warfare|敵損耗&color(green){+1};|| |アラビア|Arabistan|人的資源&color(green){+15%};|「Arabistan」はトルコ語で、訳すと「アラビア」の意味。| |一族の統一|A House United|正統性&color(green){+1/年};|| |外的な実用主義|Outward Pragmatism|外交官&color(green){+1};|| |中東のスーフィーとシーア|Sufis and Shias of the Middle East|対異端改宗強度&color(green){+2%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|国教寛容度&color(green){+2};|| ***ラシード(Rassids)v1.23[#RAS] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 シーアでラシード(Rassid)家から選出されるイマームの国家。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+20%};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |現存のイマーム|The Living Imam|陸軍士気&color(green){+10%};|イマームは指導者の事。ラッシー朝はシーアの一派ザイド派に属し、&br;代々ラシード家からイマームが選出される。&br;その後、断続を繰り返しながら1962年まで続いた。| |イエメンの高原|Yemeni Highlands|交易品生産量&color(green){+10%};|| |アラビカコーヒー|Coffea Arabica|交易力&color(green){+10%};|イエメンと同一のNIで、元々はアラビアNI。| |ラシード国の統一|A Unified Rassid State|正統性&color(green){+1/年};|| |山岳要塞|Mountain Strongholds|被白兵ダメージ&color(green){-15%};|| |水に溶ける塩のようだ|Like Salt Dissolves in Water|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|イエメンは歴史的に外国の征服を許したことがない。&br;1539年~1547年にオスマン帝国が8万もの軍を動員して征服を行おうとしたが、&br;失敗に終わり、生き残ったのはわずか8000人であった。&br;この時にエジプトのオスマン帝国の主計将軍が&br;「征服軍を送る度に、水に溶ける塩のように征服軍が消え去ってしまった」と述べたとされる。| |イエメンの貿易独占の確保|Secure the Yemeni Trading Monopolies|交易効率&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|要塞防御&color(green){+20%};|| ***ルーム・セルジューク(Rûm)v1.23[#RUM] GC開始時に使用可能な国家ではなく、トルコ系国家がディシジョンにより建国可能。 ものすご~くザクッと雑に言うと、アナトリア地域におけるオスマンの前にあった帝国。この国が崩壊して小さなベイリク(君侯国)がたくさん出来て、 その中から台頭し、アナトリアを再統一したのがオスマン帝国。なのでこのゲーム上ではローマ帝国や大元みたいな再建国家の扱いになる国家。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源回復速度&color(green){+20%};|| |>|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~| |勝利の父|Abul-Fath|規律&color(green){+5%};|アブル・ファトフ(abur fath)はスルターンに対するクンヤ(称号)。&br;アブー・アル=ファトフ(Abu al-Fath)と同義と思われ、&br;Abuは父、al-Fathで勝利なので、直訳すると勝利の父という意。&br;al-Fathは、イスラム教の聖典クルアーン(日本だとコーランの方が一般的か?)の&br;48章のタイトルでもある。&br;イスラムの勝利が確立された章のため、勝利の章と呼ばれている。| |アルシャルクとアルガルブの王|Sultan al-Sharq wa al-Gharb|コア化コスト&color(green){-20%};|| |~|~|受容文化枠&color(green){+1};|~| |シャーハン・シャー|Shahanshah|正統性&color(green){+1/年};|「シャー」はペルシャ語で「王」の意味を持つ称号名。&br;前身のセルジューク朝からトルコ系民族の国家であるが、&br;セルジューク朝の初代スルターンのトゥグリル・ベグがシャーハン・シャーを併記して表されているなど、&br;ペルシア文化を色濃く受け継いでいた。&br;また、ナジュムッディーン・ラーズィー(Najm-al-Din Razi)、&br;クァーニィー・トゥースィー?(読み方不明、Qane'i Tusi)、&br;バハーウッディーン・ワラド (Baha'-al-Din Walad)、&br;ルーミー(Rumi)といったペルシア人の詩人や学者を庇護し、&br;当時のペルシア文化や詩の発展に一役を買っている。| |ルームのスルターン|Sultan of Rûm|異教寛容度&color(green){+3};|ルームはトルコ語でローマの意味であり、イスラム教徒の間では、&br;東ローマ帝国(ビザンツ)領地のアナトリア地域を指す言葉として用いられた。&br;セルジューク朝が4つに分裂した中で、アナトリアを拠点としたものはルーム・セルジュークと呼ばれた。| |バーレーンのスルターン|Sultan al-Bahrayn|海軍維持費&color(green){-15%};|バーレーンはアラビア語で「二つの海」という意味。&br;現在存在するバーレーン国とは繋がりはない、と思う。&br;多分ここでは、地中海と黒海のことを指している。| |偉大なるスルターン|al-Sultan al-Muazzam|建造物コスト&color(green){-15%};|アル・ムアッザム(al-Muazzam)はスルターンに対するクンヤ(称号)。&br;意味としては「偉大なる」「栄光の」といった意。&br;セルジューク朝の初代スルターンのトゥグリル・ベグが&br;「アル・スルターン=アル・ムアッザム」と表されている。| |イスラム世界の保護者|Protector of Dar al-Islam|対異端改宗強度&color(green){+3%};|ダル・アル・イスラム(dar al-Islam)は直訳的な意味だと「イスラムの家」「平和の家」。&br;イスラムにおける領域概念で使われる言葉で、&br;シャーリア(イスラム法)による支配が行われている領土を指す。&br;対してシャーリアによる支配が行われていない(つまり異教の)領土を&br;ダル・アル・ハルブ(dar al-harb、「戦争の家」の意)と呼ぶ。&br;イスラムではこの二項対立の概念が有り、ダル・アル・ハルブの土地に対して、&br;シャーリアの施行・征服を目的として戦争を行うことが、ジハード(聖戦)である。| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍扶養限界&color(green){+25%};|| ***ロレスターン(Luristan)v1.23[#LRI] v1.23で追加された新規国家の専用NI。 ザグロス山脈部に住む遊牧民ロル族の国家。1444GC開始時はアジャム(Ajam)の属国である。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|要塞維持費&color(green){-20%};|| |>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~| |ザグロス山脈の王国|Kingdom in the Zagros Mountains|被白兵ダメージ&color(green){-10%};|ザグロス山脈はイラン高原の南西に位置する山脈。| |アターベクの広道|Jadda-ye Atabak|首都ノード交易力&color(green){+25%};|ジャッダ(Jadda)はJiddaとも読まれ、「幅の広い道」の意。&br;古代アケメネス朝の中心地スサの谷からイラン高原中央部へ至る道の事を指す。&br;14世紀頃にロレスターンの地を治めたマラミール?(Malamir)王国により造成されたとされる。| |反対者の避難所|A Haven for Dissenters|人的資源&color(green){+20%};|| |大衆宗教|Popular Religion|異端寛容度&color(green){+2};|| |ロル族の織機|Looms of the Lurs|生産効率&color(green){+10%};|ロル族も他の遊牧民と同様に、織物を織り、&br;現代でも手織りの絨毯は人気。| |ロル族の興隆|Rise of the Lurs|陸軍士気&color(green){+10%};|内部データより、ザンド朝の事を指すようである。&br;18世紀頃にカリーム・ハーンによりイラン高原西部に成立したザンド部族の王朝。&br;首都はシーラーズ。| |対外貿易関係|Foreign Trade Ties|外交枠&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|連隊雇用コスト&color(green){-10%};|| **グループNI [#b21aa4e1] 特定の集団に属する勢力に対して適用されるNI ***アナトリア地方(Anatolian)v1.22[#Anatolian_beyliks] %%アイディン、シャンダル、デュルカディ、カラマン、サルハン、メンテーセ、ラマザンに適用。%% Ver1.22より、条件が「主要文化がトルコ(turkish)の国家に適用」に変更 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|規律&color(green){+5%};|| |>|~|コア化コスト&color(green){-20%};|~| |旅の詩人|Traveling Ozan|不穏度&color(green){-1};|v1.23でスペルミス(Travelling)は修正された。| |セルジュークの辺境|Seljuq Marches|人的資源&color(green){+10%};|当該国家はかつてあったセルジューク朝の外縁部に位置する。| |アキンジ軽騎兵|Akinci Cavalry|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|アキンジは「襲撃者」の意味。オスマン帝国で用いられた非正規軽騎兵。&br;戦場では斥候などの役をこなし、平時は帝国外縁部からの略奪で生計を立てた。| |~|~|略奪速度&color(green){+10%};|~| |ガーズィー|Ghazi|人的資源回復速度&color(green){+20%};|異教徒と戦う戦士。或いは戦ったスルタンや将軍に贈られる称号。| |隊商宿|Caravanserais|交易効率&color(green){+10%};|| |アナトリア式建築|Anatolian Architecture|建造物コスト&color(green){-10%};|| |偉大なるセルジューク帝国の遺産|Legacy of the Great Seljuq Empire|威信&color(green){+1/年};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| ***アラブ(Arabian)v1.22[#Arabian] 主要文化グループがレバント(Levantine)で、かつ主要文化がトルコ以外(Not Turkish)の国家に適用 一言で言うと、セム系の言語を使用する国家 v1.23でアラビカコーヒー(Coffea Arabica)「生産効率+10%」が一族の忠誠(Clan Loyalties)「陸軍指揮官機動+1」に変更されました。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+15%};|| |>|~|陸軍損耗&color(green){-15%};|~| |インド洋交易|Indian Ocean Trade|交易誘導&color(green){+15%};|| |アラブ馬|Arabian Horses|騎兵コスト&color(green){-10%};|| |~|~|騎兵攻撃範囲&color(green){+25%};|~| |ムハンマドの地|Land of the Prophet|不穏度&color(green){-1};|prophetは預言者。&br;the Prophetとした場合、最後の預言者とされるムハンマドを指す。| |ムハンマドの言葉の拡散|Spreading the Prophet's Word|布教強度&color(green){+1%};|| |ベドウィンの交易商人|Bedouin Traders|交易力&color(green){+10%};|ベドウィンは砂漠に住む遊牧民。| |一族の忠誠|Clan Loyalties|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|| |アラビア|Arabia|威信&color(green){+1/年};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|| //|アラビカコーヒー|Coffea Arabica|生産効率&color(green){+10%};|| ***Caspian(カスピ海)v1.25[#Caspian] 主要文化がマーザンダラーン(mazandarani)の国家に適用 v1.23で新規に追加された。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|開発コスト&color(green){-10%};|| |>|~|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|~| |タバリスタンの富|The Riches of Tabarestan|交易品生産量&color(green){+10%};|| |混迷の時期|A Time of Turmoil|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|| |カスピ海の絹|Caspian Silk|生産効率&color(green){+10%};|| |カスピ海貿易の保護|Protect the Caspian Trade|キャラバン力&color(green){+20%};|| |タバリスタン国家の統一|Unite the states of Tabarestan|税収&color(green){+10%};|| |安全な避難所|A Safe Haven|要塞防御&color(green){+20%};|| |対外貿易の推進|Promote Foreign Trade|商人&color(green){+1};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|威信&color(green){+1/年};|| ***カフカス(Caucasian)v1.25[#Caucasus] 主要文化グループがカフカス(Caucasian)の国家、もしくは%%シルヴァン国(Shirvan)%%主要文化がアゼルバイジャン(Azerbaijani)の国家に適用 v1.23で「シルヴァン国(Shirvan)である」の条件部分は「主要文化がアゼルバイジャン(Azerbaijani)の国家」に変更されました。 v1.23で伝統の「陸軍損耗-10%、敵対的コア化コスト+50%」が「人的資源+15%、敵損耗+1」に変更。 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+15%};|| |>|~|敵損耗&color(green){+1};|~| |文化の十字路|Crossroad of Cultures|受容文化枠&color(green){+1};|| |アラン人の傭兵|Alan Mercenaries|傭兵維持コスト&color(green){-10%};|| |~|~|傭兵枠&color(green){+15%};|~| |電撃戦|Hit and Run|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|| |ペルシア詩|Persian Poetry|威信&color(green){+1/年};|| |高地のカーン|Highland Khans|正統性&color(green){+1/年};|| |東方の影響|Eastern Influence|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|| |騎兵隊|Cavalry Armies|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|税収&color(green){+10%};|| ***クルド(Kurdish)v1.25[#Kurdish] 主要文化がクルド(kurdish)の国家に適用 |項目名|原語|効果|備考|h |>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|外交官&color(green){+1};|| |>|~|要塞防御&color(green){+15%};|~| |山岳戦士|Mountain Warriors|敵損耗&color(green){+1};|| |不信心者に比べクルド人はイスラム教徒だ|Li Gora Gawiri Kurd Misilman e|異端寛容度&color(green){+2};|| |クルド部族|Kurdish Tribes|人的資源&color(green){+10%};|| |積極的外交|Active Diplomacy|外交枠&color(green){+1};|| |クルド人の傭兵|Kurdish Mercenaries|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|| |クルド王朝の遺産|Legacy of the Kurdish Dynasties|正統性&color(green){+1/年};|| |ゴラニ文学|Gorani Literature|威信自然減&color(green){-1%};|| |>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);野望|無償指揮官枠&color(green){+1};||
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