#author("2023-07-17T09:21:26+00:00","","") [[AAR/Pax Sinica 古代神聖中華帝国の再興]] **基督教、是皇帝的信仰吗? [#efca6a9d] &ref(christianity.png); &ref(w.png); Open China系列イベント第五弾、「Christianity, a faith for Emperor?」…ついに基督教中華帝国誕生というわけだね。(1560年7月31日) &ref(t.png); どうした爺さん、何にそれほど驚いている?今までこれを目標に据えてきたんじゃないのか? &ref(g.png); う、うむ・・・このイベントは明の国内で&ruby(カトリック){天主教會};が「dominant religion」になると、ほぼ間をおかずにポップする。反乱要求受諾のペナルティを喰らうことなく国教を改宗できるのが利点なんじゃがのう。 &ref(dominant.png); カトリック29.9% スンニ派26.4% 儒教25.9% &ref(g.png); 正統帝によると、前回プレイ時の経験があるにもかかわらず、「dominant」を「最大シェア」ではなく「過半数」という意味に勘違いしていたそうじゃ。((フランスをガスコーニュ、ドイツをクロアチアに食わせて一気に併合した結果、一発で過半数越えした。))それであまりにも早いポップに拍子抜けしたと。 &ref(z.png); 正統帝の英語スキルが心配・・・ラテン語とか言ってる場合じゃない。 &ref(religion.png); &ref(w.png); でも反乱要求受諾→Horror!を回避したといっても、逆に言えばまだ宗教反乱軍は残ってるんだよね? &ref(g.png); そうじゃ。ありがたい反乱軍とはお別れして、反乱鎮圧フェイズに入ろうかの。そしてどさくさ紛れに、もう一つ排除したいものもある。 &ref(z.png); Estatesですね。 &ref(estates.png); &ref(z.png); 次なる目標「国家変態」に向けて、細かいことは後述しますが、まず最大の障害となるのがStateの張替えを妨げるEstatesの存在です。 &ref(t.png); 忠誠が40を下回った不忠なEstateからプロビを取りあげると、大体8kから28kくらいの反乱軍がそのプロビに発生する。朝貢国達が宗教反乱鎮圧に集まっている今、まとめて始末してしまおう。 &ref(w.png); ここ数十年ろくに戦わなかったおかげで、資金5000ダカット人的資源244k((人的資源の上限に達すると当然自然増加は止まる。しかし朝貢国からの上納は関係なく蓄積していくので、アホのような人的資源ストックができる(なおすぐに尽きる模様)))が溜まってる。損害を気にせず、宗教も旧勢力もまとめて押し流しちゃおう! **天命は&ruby(プロイセン){普魯士};に下る? [#tadb722f] &ref(z.png); さて、&ruby(プロイセン){普魯士};化を目指すにあたって、英Wikiで「Reform into Prussia」Decisionを確認しましょうか。 |>|前提| |Prussiaが現存しない|〇| |&ruby(ポモージェ){Pomeranian };、&ruby(ザクセン){Saxon};、&ruby(プロイセン){Prussian};のうち一つが主要文化|×| |騎士団政体でない|〇| |&ruby(ブランデンブルク){Brandenburg};、&ruby(ドイツ){Germany};、&ruby(復興H R E){Holy Roman Empire};、&ruby(チュートン){Teutonic Order};でない|〇| ~ |>|条件| |統治レベル10以上|〇| |従属国家でない((朝貢国は可))|〇| |戦争中でない|〇| |遊牧民でない|〇| |プロテスタントか改革派|×| |&ruby(ケーニヒスベルク){Königsberg};、&ruby(ヴァルミア){Warmia};、&ruby(ダンツィヒ){Danzig};をコアとして保有|〇| &ref(w.png); &ruby(カトリック){天主教會};にさえなっておけば何時でも改宗できるから、問題は文化だね。 &ref(culture.png); &ref(z.png); 全State内に占める割合が過半数になった文化は主要文化とすることができます。中国本土のEstatesを処理してStateをすべて外し、旧&ruby(チュートン){条顿};骑士团領の&ruby(Prussian){プロイセン};文化地域をState化。しかし首都北京エリアの&ruby(Zhili){直隷};文化が強く、ギリギリ50%に届きませんね。 &ref(t.png); わざわざ周辺を文化転向するのも面倒だから、軽く&ruby(ポーランド・リトアニア){波蘭立陶宛};を殴って&ruby(Prussian){プロイセン};文化プロビを統一したぞ。これでシェアは57%、転向可能になった。(1566年2月14日) &ref(prussian.png); &ref(g.png); 同日、&ruby(プロテスタント){信義宗};への国教改宗も済ませたぞい。さあついに、EU4最大の軍隊が最強の名も手にする時・・・ &ref(decision.png); &ref(w.png); あれ?&ruby(ドイツ){德国};化decisionが出たのに、&ruby(プロイセン){普魯士};化decisionは表示もされないねぇ。 &ref(g.png); そんなはずはない!何か見落としとるんじゃろう、もっとよくWikiを読み込・・・ ~ ~ ~ &ref(t.png); ・・・分かった。分かっちまった。俺たちに鷹の旗を掲げる資格は無いんだ。 &ref(z.png); どういうことですか!ん、これはDecisionフォルダのPrussianNation.txt? &ref(celestial.png); &ref(t.png); 英Wiki未記載のもうひとつの前提「&ruby(Celestial Empire){中華帝国};政体でない」。 &ref(w.png); なんてこった、明の固有政体は他政体への意向が不可能、つまり明から&ruby(プロイセン){普魯士};には成り得ないってこと!? &ref(g.png); ぐ・・・ぐぐ・・・もう終わりじゃあ・・・前回プレイのように&ruby(フランス){法国};化を目指さない方向への方針転換を食い、今回のチャレンジは諦めるしかないのかのう・・・ ~ ~ ~ ここまでご愛読ありがとうございました。正統帝の次回作にご期待ください! ~ ~ ~ ~ ~ **平行世界 [#i96128d8] このAARの世界線は、1566年2月14日をもって2本に分岐する。 そのうち最初に正統帝が選択した「Prussiaルート」は、本来ならばおまけ欄で軽く終わらせるべきなのかもしれない。 しかし、このルートで用いた手段はあまりにも用途が狭く、おそらく今後誰かがわざわざAARでまとめてくださることは無いだろう。 よって、誠に勝手ながら、本章これ以降で一旦メインルートから外れることをお許しいただきたい。 第二の選択「Commonwealthルート」はこちら →[[NEXT>AAR/Pax Sinica 古代神聖中華帝国の再興/第6章 ポーランド中華共和帝国!]] ~ ~ ~ ~ ~ **禁じられた動画 [#aefe6f17] &ref(t.png); いやいや、ここまで来て放り出すわけにゃいかんだろ。何か抜け道は無いのか。 &ref(z.png); そういや以前1.22パッチの小ネタチート集話題になっていましたね。もしかしたらヒントがあるかも。 [EU4] 10 Exploits in Patch 1.22 [[https://www.youtube.com/watch?v=k0lXZw9miqw]] &ref(t.png); おお、“Exploit 9 Drop Celestial Empire government”・・・! &ref(z.png); ドンピシャ。救われましたね。 **選挙王制中華帝国 [#d6938edb] &ref(g.png); ・・・それで、&ruby(プロイセン){普魯士};化するための方法を見つけたと言いたいんじゃな?しかし中華帝国政体はめったなことで捨てることができないはずじゃが。 &ref(z.png); それが素晴らしいことに、抜け道をつかう前提条件を、我々は知らないうちにほとんどクリアしていたんです。 &ref(t.png); 動画を作った先生には頭が下がる。よくもまあこれだけのネタをまとめてアップしてくださったものだと。 &ref(poland.png); &ref(z.png); タスクキル((一旦ゲーム終了してオートセーブファイルから再スタート))を使って、先ほどの戦争を1年ほど引き伸ばし、無理やり&ruby(ワルシャワ){华沙};エリアを獲得しました。そして主要文化を&ruby(Prussian){プロイセン};文化から&ruby(ポーランド){Polish};文化に変更します。((50%に届かなかった分、Dev開発で底上げした。)) &ref(w.png); &ruby(ポーランド){波兰};化でもするの?でもまだ&ruby(ポーランド){波兰};自体は健在だよ? &ref(t.png); いや、文化転向だけでいい。ここで&ruby(ポーランド){Polish};文化の&ruby(ポドラシェ){波德拉謝};を&ruby(シュラフタ){Szlachta}; Estate((Noble(貴族)に相当))に与えると・・・ &ref(podlasie.png); &ref(g.png); なんじゃ、Magnate Rebel((シュラフタやマグナートの中文書きが分からない・・・))に反乱タイプが変わったのう。 &ref(z.png); Autonomyを下げて反乱カウントダウンをスタートさせ、要求をのめば一瞬で! &ref(magnate.png); &ref(elective.png); &ref(w.png); あっ 政体が中華帝国から選挙王制に!(1570年1月2日) &ref(g.png); 皇太子朱瞻埏(4, 4, 4)が廃されて得体の知れぬ貴族朱允熞(3, 3, 4)((な阪関))が立つ犠牲は払ったがのう。 &ref(yunjian.png); &ref(z.png); 早とちりして宗教を&ruby(カトリック){天主教會};へ戻してしまっていたので10年の冷却期間を置き&ruby(プロテスタント){信義宗};に再々改宗、&ruby(Prussian){プロイセン};文化を主要文化にすれば・・・ &ref(ming.png); &ref(prussiaa.png); &ref(t.png); 中華&ruby(プロイセン){普魯士};帝国爆誕っ! &ref(emperor.png); &ref(w.png); 国は明→&ruby(プロイセン){普魯士};、政体は中華帝国→選挙君主制→プロイセン君主制と変化したけど、中華皇帝位は保たれるんだね。 &ref(g.png); 見事じゃ!これで&ruby(プロイセン){普魯士};の陸軍NIも手に入り、もう怖いものなし! **天は燃えているか [#l7291eec] &ref(z.png); そうこうして100年が過ぎましたね。(1676年) &ref(1676.png); 属国:ザポロージェ(対オスマン) ノヴゴロド、バシキール((いくらロシアと隣接するとMandateがゴリゴリ削れるからといっても、こんなことは二度としてはいけない(戒め)))(対ロシア) フィンランド(対スウェーデン) ブランデンブルク(対HRE) アイヌ(対朝鮮) カジクムフ(気の迷い) &ref(g.png); うむ・・・確かに進行具合は至って好調じゃ。((なおWCは絶望的))&ruby(ロシア){俄罗斯};も&ruby(オスマン){奥斯曼};も片手でひねり潰せるようになり、&ruby(HRE){神圣罗马帝国};も蹂躙し放題。 &ref(g.png); じゃがのう、プロイセン君主制が意外と役に立たないこと、そして中華帝国政体喪失で失ったものの大きさが段々と染みてきたわい。たとえばこのMilitarizationシステム。 &ref(mili.png); &ref(t.png); 軍事点50消費して10%ずつ上昇し、100%になれば規律+10%などの恐ろしい効果が得られるってやつだな。試しに一回・・・って、増減が毎月-3.2!?(&ruby(プロイセン){普魯士};変態時) &ref(z.png); 1プロビごとに-0.015の補正が付くんですよ。並大抵の&ruby(プロイセン){普魯士};プレイなら何も問題ないのですが、既に数百のプロビを保有し、今後も世界征服を目指していく我々((無理))では、ここに投資しても意味がないのです。 &ref(t.png); あとプロイセン君主制の特徴と言えば、君主の軍事レベル3以上が保証されること・・・しかし朝貢国から威信をもぎ取って君主ガチャができる俺達には恩恵が薄いかも。 &ref(g.png); 実はその「朝貢国」が、中華帝国を失ったことの最大の問題にもなっとる。直ちにすべての朝貢関係が消えるわけではないが、新たに朝貢国を作ることが代行的・軍事的共に不可能になってしもうた。 &ref(z.png); 東方宗教国なら軍事朝貢国化のみ可能ですが、もう我々は基督教国ですからね。 &ref(z.png); 今まであまり触れませんでしたが、従属国家である朝貢国をつくる最大のメリットは「AEを無視して拡張できるようになる」こと。隣の大国が完全併合されようともAEが10を超えることは皆無であり、潜在的な包囲網の脅威を大幅に削減できたのです。 &ref(t.png); ここからHREやを崩していくには、朝貢国を増やして楔を打っておいた方がずっと楽ってことか。 &ref(g.png); このままでも頑張れば羅馬帝国再興もいけるかもしれん。じゃが、より単純で将来性のあるルートを正統帝が掘り出してきたらしい。未練はあるが、このルートはここで中断としよう。 **おまけ [#cf57244a] ***石と棍棒 [#g112394b] &ref(w.png); 今思ったけど、&ruby(プロイセン){普魯士};のカラーってTerra Incognitaに似てない? &ref(g.png); なんじゃいきなり。 &ref(w.png); いやさ、独占状態にある&ruby(Yumen){玉門};ノードの情報が面白いことになってて・・・ &ref(yumen.png); &ref(z.png); どう見ても円グラフが未入植地域のそれ。 &ref(t.png); &ruby(プロイセン){普魯士};によるWorld Conquestは全世界のUncolonized Land化を意味する・・・? **年代記 [#ree891b5] 聖母子像が掲げられた紫禁城で、時の中華皇帝・''正徳帝''と大反乱指導者・''洪秀金''が対面した。賊は高らかに「弘治帝の子、今上帝の弟・''朱常洛''」と名乗り、皇帝はにこやかに「労」をねぎらい、改めて朱''&ruby(Yunjian){允熞};''の名を賜った。彼は、父が認知せぬまま基督教徒の宦官に匿われ、野で育った実弟の存在を知っていたのである。 各地であらゆる立場の者が反乱を起こした。皇帝に裏切られた儒者と民衆。どさくさまぎれに独立を狙う在地豪族。勅令に足元をすくわれてなお、ヤケクソで蜂起に踏み切った基督教徒・・・ しかしこの時に向けて準備してきた新生禁軍の前に、烏合の衆はその体を保ち得なかった。指導者を失った泰平楽土本軍3万1千は''&ruby(Bozhou){亳州};の戦い''で''正徳帝''の親征軍5万8千に破られ、副軍2万1千は''&ruby(Xiangyang){襄陽};の戦い''で&ruby(リャザン){梁赞};人将軍''&ruby(アナスタス){阿纳斯塔斯};・&ruby(ドミトリエフ){德米特里耶夫};''率いる連合軍8万6千によって全滅した。その他の反乱も各個撃破の憂き目にあい、''雄英勅令''からわずか1年半で、''正徳帝''の目論見通りにあらゆる特権階級・旧来の身分制度は崩壊した。 全国の各宗派の寺院は皆基督教会に改装され、これを拠点とした皇帝権力の再浸透が進められた。欧州で千年以上前に構築され、消滅していた「教会網による大帝国支配」と、精神的な儒教的権威を保つ中華皇帝のシステムは驚くべき親和性を見せ、大明帝国は内乱を経たばかりとは思えないほどの安定を手に入れた。宗教の壁が取り払われた東西の交流が活発化し、遥か西方の&ruby(ポーランド){波蘭};や&ruby(プロイセン){普魯士};の文化が急激に流入した。 公式見解から距離を置く後世の歴史家たちは一様に、''正徳帝''を暴君として扱っている。彼の治にいて乱を求める性格、常軌を逸した「新しい物好き」と行動力は明らかに皇帝に不必要な資質であったが、それらを中華皇帝の権威を保ちつつ貫徹する能力を与えられてしまっていたことが、数千万の民にとっての悲劇であった。 ある日突然奥西戎の襞襟を着けて現れた57歳の''正徳帝''の姿に、新参の臣は困惑し、古参の臣は恐懼した。次なる大変革の前触れかと息をのむ群臣の予想を超えて、''正徳帝''はその場で''第二雄英勅令''を発布。宮廷内での第一公用語を波蘭語とし、10年のうちに中華における漢語を禁ずるというものである。さらに習俗も奥西戎風のものを強要し、民草にも奨励した。北魏の孝文帝の事績になぞらえ後に''波化政策''とよばれることになる勅令群は、それ自体が''正徳帝''の口から波蘭語で発され&ruby(ラテン字){拉丁字母};で記録されたため、内容を理解できぬまま宮廷から追放された者も多かった。しかし社会的には、泰平楽土の乱で伝統的な階級勢力が消滅しており、民間では両文化の併存が黙認されたため、大きな混乱は発生しなかった。一方で民衆が波蘭文化に触れる機会が増えたことで、その浸透はさらに勢いを増した。 さらに翌年、''正徳帝''は&ruby(ポドラシェ){波德拉謝};の自治拡大を議論すると称して全国の代表者を集め、数千年の歴史を誇る中華帝国の世襲王朝制の廃止を宣言(第三雄英勅令)。全国の挙人以上の男子の投票により次期皇帝を定めるという空前の選挙帝政を採用した。これは東欧の&ruby(ポーランド・リトアニア){波蘭立陶宛};で国王自由選挙制が確立されるのに2年先立つものであったが、様々な王家から国王を選ぶそれとは違い、投票権を持つ者のほとんどが漢人であったため、被選挙者は事実上朱氏一族に限られた。 最初で最後の皇帝選挙は、試験を兼ねて勅令発布から時を置かずに実施された。その結果、''正徳帝''の従弟で従来の皇太子であった''朱瞻埏''が敗北し、洪秀金改め朱常洛改め''朱允熞''が次期皇帝に選出された。15歳差の弟の勝利は''正徳帝''にとって不本意だったが、自ら定めた法を変えようとはせず結果を受け入れた。 なぜ''朱允熞''が勝ったのか。なぜ''正徳帝''がここでつまずいたのか。 もちろん、中国基督教化の立役者として多くの基督教徒に支持されたこともある。しかし彼は泰平楽土を裏切ったも同然であり、一部からは憎まれてさえもいた。 先述のとおり、その泰平楽土の乱において旧階級・組織は一掃された。その一方でただ一つ生き残り、むしろ拡大を続けた実力組織がある。禁軍である。 長年の拡張政策と泰平楽土鎮圧の際の招集により明の総兵力は10万を突破し、その上25万人を招集できるほどの巨大組織と化していた禁軍は、欧州侵攻の経験や技術革新の必要性から、早くより西洋、特に&ruby(プロイセン){普魯士};文化や基督教に浸っていた。また泰平楽土の乱においても、はちあわせて共倒れるのを防ぐため、禁軍首脳部と''朱允熞''(洪秀金)は頻繁かつ極秘に連絡を取りあっていた。明へ帰順した''朱允熞''はそのまま禁軍の総帥の座を手に入れ、まんまと巨大な支持勢力を獲得していたのである。 ''正徳帝''は、禁軍が自らの意に沿わないことを予想していなかった。軍が変わらず己に示してくる忠誠が薄っぺらいものになり、裏では''朱允熞''への移行が進んでいたことに気づけなかったのだ。 皇太子の座についてから1年もたたぬうちに、''朱允熞''は軍の支持を背景にクーデターを起こした。普魯士地域から受容した&ruby(プロテスタント){信義宗};の代弁者となっていた彼らの要求を''正徳帝''は飲み、事実上権力を手放さざるを得なくなった。 正徳三十六年十二月十三日。 その日、蒙古帝国に次いで世界史上二番目の広さを誇った大帝国・大明が消滅した。 そして同じ年同じ月同じ日に、''正徳帝朱雄英''は新王朝の成立を宣言した。 ''大普魯士朝''。この超大国のもとで、全世界は暗黒の時代へと突き進んでいくのである・・・ ~ ~ ~ ※軍事上の数字はゲーム内の値に拠っています。中国史の雰囲気を楽しみたい方は、それぞれ10倍くらいして考えてください。 →[[NEXT>AAR/Pax Sinica 古代神聖中華帝国の再興/第6章 ポーランド中華共和帝国!]]