#author("2023-09-03T04:12:30+00:00","","")
[[AAR/Mare Nostrum by Byzantium]]

**正史 [#g4441549]
1000年に渡りビザンツの中核であったアナトリアの守りを破ったのは、中東に覇を唱えたセルジューク朝であった。
2代スルタンのアルプ=アルスラーンはアナトリアへ侵入し、1071年に起こったマンジケルトの戦いでは幕僚に裏切られたロマノス4世ディオゲネスが3世紀のウァレリアヌス以来の敵の手に落ちた皇帝となる。
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皇帝が捕らえられ将軍たちが後継者争いに明け暮れるビザンツに、なだれ込むトルコ人を止めるすべはなかった。
こうして、帝国の兵力をまかなった農地はトルコ人及びルーム・セルジューク朝の広大な牧草地へと姿を変え、帝国の復活はもはや果たせぬ夢となる。

その後のビザンツ皇帝やそれに呼応した十字軍の努力も、ルーム・セルジューク朝の首都コンヤを攻めんとしたマヌエル1世コムネノスが1176年にミュリオケファロンの峠で大敗北を期したことで、その国威を凋落させたにすぎなかった。

マンジケルト、ミュリオケファロンの敗北はビザンツ帝国にとって歴史の転換点となり、その後は東西から領土を削り取られ続ける存在であることを余儀なくされたのであった。

**失われた国威の回復 [#c3b52f7a]
オスマン対抗同盟と手を切ったByzantiumに待っていたのは、大国への外交拡大でした。
もとより領土回収で終わった戦争に各国は好意的であるため、数年でHungaryとMuscovyとの同盟を果たします。その後Austriaとも同盟を結び、盤石な防衛体制を築きました。

北の安全を確保したByzantiumは1460年にGeorgia諸国、1463年にKaraman、1480年に2度目のOttomansとそれぞれの征服を果たし、東西に勢力を伸ばしていきます。
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2度の敗北で疲弊し分断されたOttomansからはSerbia、Bulgaria、Candar(一度は征服されていた)、Karamanが次々と離脱し、その都度Byzantiumのエサとなっていくのでした。
(属国SerbiaはAlbaniaとHungaryの反乱で勝手に大きくなっていきました)
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 1500年のByzantiumと東地中海

**それぞれの選択 [#lbc417fb]
この世界線では様々な歴史イベントが発生した、というより”発生しなかった”ことで大いに侵略の助けとなりました。代表的なものには
 ・CrimeaはOttomansの介入(March化)を拒み
 ・PolandはJagiellonとは異なる貴族が国王となり
 ・MoldaviaはPolandではなくHugaryの保護を受けることになりました。
極めつけは
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実のところCastileのこの選択には初めて遭遇しました。
これにより早期のイタリア侵攻が可能になったのは言うまでもありません。

また早期に大国を失った各地方にレアな各国が拡張する余地を生み出すことになりました。上の画像のArmeniaやHisyn KayfaはByzantiumさえいなければ大いに繁栄するはずだったのでしょう。ただ、こうした国家は栄枯盛衰の末に一か国を残して結局は地上から姿を消していくことになるのです。

**中東への足掛かり [#k7bc2b84]
アナトリアの地歩を固めたByzantiumの前に立ちはだかる次なる大国はMamluksです。しかし外交関係をやたらと広げる彼にはなかなか手を出すことができませんでした。
中東拡大に便利なSyriaとIraqの中核だけのつもりでDulkadirを征服した結果、初の包囲網が形成されます。Venice、Genova、Mamluksを中心とする国家が宣戦布告してきたのは数年後の1511年。MoscovyがDenmark戦で参加できない隙をついてのことでした。
これを野戦でいなしつつ占領されたHungaryからNitra独立と同盟破棄を行うことで無傷で生き残り、以後250年間は外交努力と侵略方向の制御により懲罰戦争に見舞われずに拡張することになるのでした。
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 ありがとうHugary このお礼はいつか返すよ (BosniaとWallachiaは勝手に独立)


1550年までにエーゲ海・黒海の制圧を進め、
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1553年、200年に渡るOttomansとの確執はOttomans完全併合という大勝利で幕を閉じたのである。
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こうして東地中海北部はByzantiumの手に帰り、Constantinopleの交易の安全が数世紀ぶりに取り戻されることになったのです。
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 またArmeniaでかくなっとる

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[[AAR/Mare Nostrum by Byzantium/3話 再征服!再征服!!再征服!!!]]に続く...

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