#author("2023-08-30T01:14:13+00:00","","")
[[AAR/FranceでVer1.30とEmperorに挑戦]]
[[前話(07)>AAR/FranceでVer1.30とEmperorに挑戦/07]]

#contents

*08(1650~1760) 覇権・蹂躙・革命 [#h25d6f1e]

ファンネル完成により最早戦略を考える必要もなくなった

欧州は征服→コア化(+改宗)してHRE編入→属国作成(外交枠に計上されない)→次の戦争で獲得した領土を返還/下賜
アジア等はOEが100%を超えた時など必要に応じて属国作成(こちらは外交枠に計上される)

Russia・Ming・Mughalsなどの大国については停戦短縮も行ったが、基本的には宣戦布告して100点分領土を奪ったあとで上の処理をする繰り返しだった

従って今後は個別の戦争について詳述せず、新要素に関する点やプレイしていて印象的だった場面のみを取り上げる


**覇権の品格(1650~1710) [#l66c9646]

***経済覇権 [#de90fa18]

1655/08 経済覇権

&ref(./206.jpg,80%);

旧HRE諸侯の独立欲求が低いことを利用し、英国海峡/ジェノヴァ/ヴェネチアの各ノードに交易力を持っていた各諸侯に対してDivert_Tradeを有効化
交易収入の倍増によって月収が1000ducatsを超えたため、経済覇権を樹立した

経済覇権国であることのメリットには3つのパターンがある

-樹立(宣言?)した瞬間に有効なもの
--戦争疲弊-0.10/月/スパイ探知+25%/傭兵団人的資源+100%
-覇権樹立後に覇権確立(100%)するまで時間経過(毎月+0.5%)で効果が強化されていくもの
--(100%に達した場合)交易品生産量補正+25%/傭兵規律+10%/テリトリー自治度下限-20%
-覇権確立時に有効になるもの
--Governing_Capacity+20%

このように得られる効果も大きい一方でデメリットもあり、いずれかの覇権を樹立すると従属国を含む全ての国家のFranceに対する外交評価が-100される
	ファンネル完成後に被害担当になりそうな適当な国(MamluksやManchuなど)との同盟を増やしたのだが、殆どの国が覇権樹立の翌月同盟破棄してきた

覇権を樹立する=全世界に対する挑戦状 と考えてよいと思う
	今回のプレイでは既に France(+属国)>その他各国の合計 という図式が確立していたので、大きな問題はなかった


地味に面倒だったのが「新たに属国作成した国にも-100がついてしまうので、Enforce_Religion(宗教の強制)のためには関係改善が必要」という点だった
	Enforece_Religionの必要条件は属国の独立欲求が50%未満で外交評価が正であること。外交官を拘束されるのが痛い

&br;
注意点として「前提条件(経済覇権ならば月収1000ducats以上)を満たさなくなった場合覇権を失う」ことが挙げられる

覇権国家でなくなること自体には(覇権によるメリットを失う以外には)デメリットがないものの、
再び条件を満たして覇権を樹立しても、時間経過による効果は0から数えなおしとなる


***アイデア変更 [#o7d8a808]

1660/07 Portugalに次ぐ世界一周をなしとげたので、探検アイデアを破棄して統治アイデアを取得

すでに旨味のある未入植地は埋まり、Terra_Incognita(未知領域)も殆どない
人文+探検ポリシーによる原住民同化+50%が無くなったのはロールプレイ的には痛いものの、経済覇権を樹立したことからも分かるように金銭面で困ることはない

統治アイデアを選んだ主な理由は、②のコア化コスト割引と統治+影響ポリシー(外交併合コスト-20%)
副次効果としてはコンプリート時のGoverning_Capacity+25%も挙げられる
	傭兵関係の割引もあるものの、前述のとおりここからは金銭面で困るはずもなく、はっきりいって空気だった
	
	これに限った話ではないが、WCを目指すような大拡張プレイ時の終盤はとにかく君主点が課題となると思う
	必然的にコア化や外交併合など、君主点が絡む行動に対する割引が含まれる統治や影響の存在感は増す
	
	また別次元の問題として、(反乱を抑制することで)プレイヤー厭戦を防ぐ効果のある人文もより意義深いものとなるだろう
	今回のプレイでは人文に加えて攻勢も取得したので、France国内で反乱が発生することがあまりなかった


***暗黒面 [#vf3068e7]

1663/06 The_Papal_StateにはEnforece_Religionができない

&ref(./207.jpg,80%);
	改革派に屈しておきながらプロテスタントは拒否するらしい
	
	ふと思ったのだが、もしFranceがカソリックであればEnforce_Religion可能だったのだろうか?
	それはそれでおかしな話にもなるが…


***花の都 [#b0053394]

1664/01 PARISの人的資源が10000を超える

&ref(./208.jpg,80%);
	MiLを中心に君主点が余りがちだったので、「捨てるぐらいなら」と首都のDEVポチをしていた


***立場の逆転 [#a8efec28]

1667/02 いつの間にかPortugalがBrazilの同君下位になっていた

&ref(./209.jpg,80%);
	少し前の戦争で、迂闊にもPortugal本国(欧州領)の領土を奪いすぎて5州以下にしてしまったため、Decisionの条件を満たしたらしい
	その結果Brazilは首都が南アメリカにありながら、複数の新大陸植民地国家を抱える事態となった
	
	あと少しでPortugalを完全併合→植民地国家を引継ぎ、となるはずだったのに面倒なことになった

一点不思議だったのだが、後にBrazilと開戦した際にPortugalは同君下位でありながら戦争に参加しなかった
それなのにBrazilとの講和後にはPortugalとも停戦期間が設けられていた(停戦短縮のためPortugalに宣戦布告しようとして気づいた)
	もしかすると新大陸の現地国家が植民地国家に宣戦布告した際に、宗主国が参戦しないという仕様が何かしらの影響を与えているのかもしれない

仕方ないのでBrazilとの第2戦時に、別枠でPortugalに宣戦布告した
	Portugalに対する宣戦布告画面にはBrazilにチェックが入っていたものの、既に戦争中のためかPortugal戦の戦勝点等には関与しなかった
	
	先にPortugalと講和(完全併合)してからBrazilと終戦したので問題にはならなかったが、
	もしBrazil戦の方を先に終わらせていたらどうなったのだろうか?Portugalの宗主国として参戦し、主交戦国変更となっていたかもしれない


***その他のできごと [#cc3342b0]

1680/01 統治技術がLv22となりTown_Hall(役所=Governing_Cost-50%等)が建築可能になったため、国庫(当時は17kほど)を使い果たすまで各地に建築
	1年後に建築が完了すると、Governing_Capacityにはかなり余裕がある状態となった

1690/04 属国Ormondの外交併合が完了
1694/09 (1.4.2)の新帝即位
1700/01 (5.3.3)の新帝即位
1702/01 外交アイデア完了
	外交アイデアを取得した主目的は⑥の州戦勝点コスト割引だが、外交官の追加や外交評判も役に立った

1709/02 Kazakhを武力属国化
1709/10 Mughalsから獲得した領土を素にSindh、U(チベットの国家)を属国作成


***勢力圏の変化 [#uebaeaa6]

獲得した領土の大半を属国に下賜しているため、領土ではなく外交MAPを用いた勢力圏の変化を示す

1650年
&ref(./210.jpg,60%);

1672年
&ref(./211.jpg,60%);

1684年
&ref(./212.jpg,60%);

1710年
&ref(./213.jpg,70%);




**世界の殻を破壊せよ、世界を革命するために。(1710~1760) [#cafa128e]

かしらかしら、ご存知かしら?

***富める者はますます富み [#zab75b49]

1710/02 革命の時代突入。7つの時代目標のうち、議会制と規律125%を除く5つが達成済み

当時の収入と属国への補助金

&ref(./214.jpg,70%);
	月収は2000ducatsに近づき、改宗を促すために大量の補助金を支給している

気づいたら経済覇権も確立(100%)しており、テリトリーの自治度下限が-20%された(1675~1680年頃だと思う)

&ref(./215.jpg,70%);
	元の自治度下限90%から、政府改革(-10%)、拡張アイデア完了(-10%)、経済覇権(-20%)と貿易会社の投資(-5%)で45%まで下がった
	後で考えればLE_CAPの交易品は金であり工場が建築できないので、代わりにState House(州議事堂)を建築していれば40%になったはず

当時のGoverning_CapacityとGoverning_Cost

&ref(./216.jpg,110%);
	統治技術の向上・統治アイデアの完了・経済覇権の確立でCapacityが増えた一方で、新規領土の多くは属国に渡しており
	更にTown_Hallの建築も進めた結果、Governing_Costには1700強の余裕がある
	
	アジア・アフリカの旧属国領などをステートに昇格していれば収入や人的資源は更に増えたかもしれないが、既にどちらも十分確保済みで面倒だったのでしなかった
	(将来HREに変態?して西欧をステート化することを見越していた、という理由もある)

1713/08 Mughalsから獲得した州を素にKhorasanを属国作成
1716/10 啓蒙主義受容。費用は12559.23ducats
	石炭の産出と溶鉱炉の建築により、ここからは収入がどんどん増えていくことになる

1719/07 軍質アイデア取得
1724/10 Asturius外交併合完了
	統治+影響ポリシーを忘れており、いくらか外交点を無駄にした

1725/04 (3.5.2)の新帝即位
1735/01 イベント"Demands of the Andalusian"で鎮圧を選び、革命反乱×2が蜂起
	「ひょっとしてこの反乱の要求を受諾すれば革命政体になれるのか?」と思ったが、要求受諾はできなかった(というかそもそも要求が無かった。ただの暴徒)
	もしかすると反乱軍による占領が広がれば、何かしらのイベントで革命政体へ近づけたのかもしれないが、気づいたら属国軍によって鎮圧されていた

1735/?? Ottomansに同盟破棄される
	Ottomansの同盟国だったShirvan/Aq_Qoyunluから多数の領土を奪い、その中の複数州がVital_Interestに設定されていた

1736/06 統治技術Lv27になり統治効率が+10%され、60%になった
1737/02 Bahmanis外交併合完了
1747/11 Kazakh外交併合完了




***貧しき者は持っている物でさえ取り去られる [#he657ae9]

故に革命は避けられない

&br;
早いところ革命を試したかったのだが、革命関連の仕様変更といつも通りの作者のポカで色々上手くいかなかった


これまでのVerと違い"Center of Revolution"''革命の中心地''と、そこから広がる州単位の革命の進行が大きな役割を果たすようになった

全世界のDEV30以上の州には毎年"Center of Revolution"革命の中心地が生まれる可能性がある
今回のプレイでは1746/05にAyutthayaのAYUTTHAYA州で登場した

&ref(./217.jpg,80%);


[[開発日記>https://forum.paradoxplaza.com/forum/threads/euiv-development-diary-3rd-of-december-2019.1292374/]]によると
-絶対主義が高い
-市民階級の影響度と忠誠?((Neglection of the Third Estate influence while you rely heavily on taxation of their production))
-開発度が高い
-戦争で大敗し、Revanchism(報復度)が高い
-威信が低い
-借金が多い

これらに当てはまるほど革命の中心地が発生する確率は高まるらしい

この革命の中心地は一定期間(1日1%進捗するので3か月強)ごとに近隣の3州を革命状態に染めていく(宗教改革の時代の改革の中心地が周辺を染めていくようなもの)

&ref(./218.jpg,90%);
	画像は1761年のもの。新しく追加された革命MAPにより、革命に染まった州が確認できる
	
	自国が革命政体のときは濃い赤紫が革命に染まった州なのだが、宗教MAPのユダヤの色に似ていて少し親近感が湧いた
	それ以外のときは国内が紅色、他国が橙色に染まる
&br;

革命の中心地が近隣の州を革命に染めると、その州の保有国の絶対主義に応じて自治度の下限にペナルティがかかる
	絶対主義が100ならば自治度下限+50%

&ref(./219.jpg,70%);
	絶対主義は100を超えてもメリットはないが、デメリットの方は計算に含まれるらしい(絶対主義109なので自治度下限+54.5%)

このペナルティは革命政体になることで消える
また革命の中心地とそれに伴う一連の革命運動は何らかの理由で消える(終わる?)こともあるらしく、その場合も上記のペナルティは消える

&ref(./220.jpg,90%);
	今回のプレイでは1812/05に突如消失した。当時は既に最後の敵国であったOttomansを滅ぼしてから10年以上が過ぎており、特別なイベントがあったわけではない
	単純な時間経過によるものなのか、何かしら設定された条件を満たしたのが偶然この時だったのか、何も分からない

自国領が革命に染まる度に、少しずつ国内にRevolutionary_ideas(革命アイデア?革命思想?)が広がる

&ref(./221.jpg,110%);
	100%に達すればEmbrace(受容?)できるらしい。国難による体制移行だったので詳細不明

&br;
仮にEmbraceで革命政体に移行できるとしても、特に今回のFranceのように世界各地に領土が散らばっていると、革命思想の広がりにも時間がかかるだろう
そこで国難による移行を試みた

しかしながら国難[[フランス革命>データ/国難#j5161b70]]の条件が変わったらしく、1720年頃に借金を50口しても国難は進捗しなかった
	そもそも国難の候補画面にも存在せず、条件等も調べられなかった

かと思えば1756/10に突然国難が進捗し始めた。前後に何かしらイベントや安定度の低下などがあったわけではなく、突然始まった

&ref(./222.jpg,110%);
	おそらく領土がある程度革命に染まることが条件なのだと思う。当時の革命思想の広がりは20%前後だった
	France以外の国難"革命運動"も同様だと思われる

1757/08 皇帝が崩御し、Bourbon王朝の皇后による摂政体制へ
1760/08 国難フランス革命開始

&ref(./223.jpg,70%);

この時作者は意気揚々と革命共和国への移行を選択したのだが、次の瞬間ミスに気付いた。神聖ローマ帝国が解体されてしまったのである
	共和制になるのだから、考えるまでもなく当然である。HRE諸侯は外交枠を消費する通常の属国となり、外交関係が119/13となってしまった
	集権ルート最後の改革であるHREへの変態も不可能となった

Governing_Capacityについて調べるにはHREになっておきたいが、革命政体も試してみたい
何とかしてHRE変態後に革命共和国になれないか、いろいろやってみたものの上手くいかなかった

どうするか迷ったが、最終的に両方のパターンで世界征服までやってみることにした
次の9話はRevolutionary_Franceの√AとHREの√Bに分けて記す


***勢力圏の変化 [#r76f9d45]

1710
&ref(./d1710.png,25%);

1725
&ref(./d1725.png,25%);

1737
&ref(./d1737.png,25%);

1745
&ref(./d1745.png,25%);

1760
&ref(./d1760.png,25%);



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[[AAR/FranceでVer1.30とEmperorに挑戦/09√A]](1760~1788) 服従・不義・狂乱



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