#author("2023-08-30T01:22:04+00:00","","")
[[AAR/Exploration Way of Byzantium]]

*Exploration Way of Byzantium/5話-Make Byzantium Great Again [#yec2e1d2]

**前回までのあらすじ [#a6b80bc9]
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Ioannes9世(3/1/3)は征服者として知られる。
今日の、アフリカから黒海にまたがる広大な東ローマ帝国を築き上げる端緒となったのは紛れもなく彼であった。
33年((奇しくも(?)先のTheodora2世と在位期間がほぼ同じ))の統治の間、実に多様な地域に親征していったが、ここでは彼の功績の一部を見てみよう。

まず、かつて「アドリア海の女王」と呼ばれていたヴェネツィア共和国の征服である。
東ローマ帝国とは数百年もの間敵対関係にあったものの、もはやそれは過去の話であり、一部は現在の東ローマ帝国領にあたるため彼らの歴史もここに記しておくのが礼儀というものだろうか。

ローマ帝国の滅亡の直接的な原因となった「ゲルマン人の大移動」により、北イタリアから湿地帯の島々に避難してきた人々がヴェネツィアの始まりを築いた。当時は東ローマ帝国に名目上服属していたものの自治権を保持しており、7世紀に共和制を始めたそうだ。
彼らはイスラーム勢力や神聖ローマ帝国の親ともいうべきフランク王国の侵攻を受けるも何とか生を繋ぎ、10世紀末、敵対化していたイスラーム諸国と商業条約を結んだ彼らは、貿易国家としての道を歩み始めた。
それ以来世界に強大な海軍国家として知られるようになり、東ローマ帝国民としては一切忘れることのできない1204年、第4次十字軍を率いて東ローマ帝国の都、コンスタンティノープルを歴史上初めて陥落させた。かつての属国に下克上された東ローマ帝国はその長い歴史に一度幕を下ろさざる終えず、ローマ帝国の子孫としての誇りを存分に傷つけられた。
13世紀から15世紀にかけて繁栄を謳歌したヴェネツィア共和国は、全ヨーロッパでも屈指の影響力を持つようになったが、15世紀半ば、東ローマ帝国と決死の攻防を繰り広げたセルジューク・トルコの後継者、オスマン帝国の圧倒的な勢力の前に屈していく。
ヴェネツィア共和国に致命傷を与えたのは今日北イタリアの覇者として知られるミラノ公国((プレイ終了時にはプロテスタント化し王国級となっていた))である。15世紀末から16世紀初頭にかけてヴェネツィア共和国の領土を陸軍の力で奪い取っていき、ついに1508年、同共和国の首都にして強固な防衛で固められていたヴェネツィア本島を陥落させた。これ以降ミラノは数度にわたりヴェネツィアの独立を認めざる負えない時期があったが((Timelineを見てみると2回veniceは復活していた))、結局いずれも再征服している。

Ioannes9世は細々と東ローマ帝国に朝貢を続けていたアテネ公国からの連絡を受けて、ヴェネツィアがエヴィア島((プロビ名Negroponte。エーゲ海にある四国の1/5の大きさの島))に亡命政権を樹立していることを知った。ある歴史書には、「・・・これを聞いたIoannes9世は復讐の念に煮えたぎり、わずか数日で親征の準備を仕上げた。300年前の雪辱を果たす時が来たと意気揚々にエヴィア島に突撃し、防衛軍をなぎ払い市街に侵攻すると、まずは住民に正教への改宗を求めた。住民が拒絶すると、まさにかつてヴェネツィアがコンスタンティノープルで行ったのと同規模の略奪・暴行を行い、市民は正教に改宗するか死ぬかの二択を迫られた。」とある。どれほど皇帝の恨みが積もっていたかがうかがえる。
東ローマ帝国にエヴィア島を奪われたヴェネツィアだが、残存勢力の一部はクレタ島に逃れた。しかしこちらは後にオスマン帝国に併合されることとなり、ここにヴェネツィアの独立国としての歴史は終焉する。

同時期に西アフリカにも侵攻し領土も奪った皇帝であるが、彼は必ずしも常に成功しているわけではなかった。
有名な例としては、マダガスカル島への侵攻があげられるだろう。現地のAntemporo公国へ侵攻した皇帝は、1万2000もの軍を引き連れ、現地軍と戦った。
そこにはわずか7000の軍しかおらず、侵略は容易なものかと思われた。しかし、東ローマ帝国の海軍の輸送力は低く、全軍を2度に分け輸送せねばならなかった。
第一軍は無事に上陸し占領を開始するも現地軍と戦闘になり敗北。この救援に駆け付けた第二軍は第一軍の敗走中に上陸することとなり、士気の上がっていた現地軍はこれをことごとく撃破。
島内で逃げ惑う軍だが逃げ場はなく、結局全軍が現地軍に捕虜にされるか殲滅されてしまった。
指揮官であった皇帝はなんと現地の木材を使い船を自力で製造し、東ローマの救援が来るまで海上に避難していたそうで、この地が皇帝の墓となることはなく、結局一度東ローマ国内に戻った皇帝は体制を立て直し、今度は徹底して現地軍を打ち破った。

東ローマ帝国は徐々にではあるものの、かつての勢いを取り戻しつつあった。
アフリカへの正教布教もだんだんと軌道に乗り始め、海岸沿いはむしろ正教徒が多数派となっていた。


このころ、帝国民はわずかではあるが、淡い希望を抱き始めていた。
「いつの日か我々の子孫は、&ruby(Basileus){皇帝};に率いられ、母なる&ruby(Hellas){ギリシアの地};((Hellas->ヘラス。ギリシアの土地、もしくはギリシアそのもののこと。高校で世界史を取ったらかなり序盤で出てくる))に戻ることができるのではないか・・・」と。

**信仰と侵攻 [#cf05e04b]
今回も前回に引き続き西アフリカ、東アフリカへの侵略を進めます。
1551年段階のビザンツ周辺の地図がこんな感じ
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西アフリカはふつうにClaimをつけて拡張していくとして、東アフリカへはマダガスカル島のKilwa領に属国のコアがあるのでReconquestでKilwaを殴りつつ
ついでにアフリカ本土の領土も奪いそこを拠点に進めるといったところでしょうか。
一見Mamluksはまだまだ元気そうですが、実際にはオスマンに連戦連敗しており、もはや力はないといってもいいでしょう。

これを念頭に置いてこの拡張計画(第3話に貼ったものと同じ)をもう一度ご覧ください。
#ref(AAR/Exploration Way of Byzantium/3話-Doctrinal Enforcers/50.jpg)

なぜ始めの計画でシナイ半島を迂回してわざわざアラビア半島からオスマンに接しようとしているかというと、GC終了までMamluksがそれなりの勢力を保って生き残ると踏んでおり、
余計な対立を避けたかったためです。実際のところVer1.23ではMamluksは相当強化されており、何もしなくてもオスマンが勝手にやられていくとかいう怪現象が起こっていたようでした((筆者は1.23~1.24まではEU4休止期間に入っていたため未プレイでありあくまで聞いた話であるが))。
しかし、Mamluksがオスマンよりも強いと噂されていたのはどうやら1.24までの話で、1.25からはミッションシステムによりオスマンが相当強化されたようで、Mamluksは相対的に弱体化。
むしろオスマンがアナトリアに未回収コアを持っていた時代((Ver1.22までの話))よりも強いという話さえあり、強さは今まで通りに戻ったともいえます。
にしてもオスマンのPermanent Caimをもらえる大量のミッション群はえげつない((ビザンツもPurple Phoenixを入れればこれくらいはPermanent Claim付きのミッションを貰えるのであるが・・・))。
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それでは本題に入りましょう。

まず初めにかなりどうでもいいことですが、Mali vs Songai戦争に形式参戦だけして放置してたら領土を1プロビとられました。
Stateでもないプロビを1つ取られたところで別になんら変わりもしないんですがね・・・
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Printing PressはCapeをdevポチして受容します。君主点こそきついですが、OrthodoxのIconの一つにDevコストが-10%があるので多少はコストが軽減される以上、忘れず((ぶっちゃけこれ使うの本当に忘れる))に使っていきましょう。EstatesのBorghers補正(Influence50~74、Loyalty60以上)で-10%、StatesのEdictで-10%かけられるので3割引までは楽に達成できます。
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前述の通りKilwaに宣戦布告。相手はアフリカ本土から軍を輸送してくる必要があるのでマダガスカル内で戦う分には有利です。
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相手の首都はこっちの海軍がkilwaの海軍に勝てない都合上占領できないので戦争目標達成後の時間経過による戦勝点稼ぎをしなければならないのですが・・・


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〇ねオスマン(直球)


実はこの戦争の直前、属国だったAthenを併合していたのですが、これが完全に裏目にでてしまった結果になりました。
Athenを介してオスマンと接しているのであれば何も手出しはしてこなかったはずですが、併合して領土が接した瞬間に急に敵対化した模様。完全に予想外でした。
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**第二次対オスマン戦争 [#ia69a9c9]
しゃあないので停戦が切れていたBeninに宣戦布告し西アフリカに拡張することにしました。前回の対仏戦争で大量にFavorがたまったので念のためSpain((Castileは1552年にAragonを外交併合してSpainに変態していた))を呼んでおきます。
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で、Beninに宣戦布告した瞬間・・・

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横からオスマンに戦争を吹っ掛けられた。いまだに宣戦布告されるときのドゥーンって音は慣れないですね。
幸いなことにSpainとPortugalは対オスマン防衛戦争についてきてくれていますが、前に西アフリカ侵攻用に結んでおいたSongaiとの同盟は切れてしまいました。
ちなみに第二次オスマン戦争とありますが、筆者の中での第一次はGC最序盤のSeize Landした後に吹っ掛けられたあれです。GC前に行われていたであろう戦争はノーカンで。

ここで驚愕の事実が発覚。
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あれ?オスマン強すぎじゃね・・・?
海軍こそSpainがいるので数量は勝っていますが、オスマンの陸軍の量がえげつなさすぎる。
砲兵はほぼ同じですが、歩兵の量がビザンツ側の2倍ほどあり圧倒的に差をつけられています。
しかもこっちは複数国いるのに相手はオスマン単騎だぞ?どこぞの転生物の主人公が無双する漫画かこれ?

というわけでとりあえずBeninとの戦争は多少領土を奪ってすぐに停戦し、オスマンとの戦争に備えます。
本当はもっとがっつり領土を奪う予定でしたが、結局2プロビしか奪えませんでした。
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主に被害を受けるのはSpain(というよりその属国のNaples)ですが、個別講和を防ぐためにビザンツもヨーロッパへ軍を回します。
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正直な話、旧Athen領は奪われてもいいのですが、Spainとの同盟関係だけはできれば剥がしたくなく((最初のほうでCastileとの同盟はどうでもいいと書いたがFavorも溜まっていてもったいなかった))、
停戦はスペインとの同盟破棄をされない形で持っていくことにしました。
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一応この条件でなら即停戦に応じてくれるようですが、できるだけLength of warの補正をかけていきます。

イタリア半島への上陸は海軍量の差からオスマンでもなかなかできず、上陸されたとしても大軍ではないので押し返すことはできています。
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以下、ビザンツの雄姿を。

GC開始から数えて初めてオスマンに陸戦で勝利。もちろん相手の乖離していた1Kの軍隊を量で潰しただけともいう。
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戦闘で大勝利。もちろん別の野戦でモラルが切れたオスマン軍を追撃して壊滅させただけともいう。
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戦争目標のAthenを奪還して少しでも講和を有利にしようと思ったら10Kの軍がオスマンの50Kの軍に襲われて壊滅する図。
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この戦争中に相手のプロビを海軍で封鎖すれば多少は講和に有利に働くことに気づき実践していたのですが、ついでにこんなどうでもいい実績も獲得していました((というかこんな実績もまだ解除してなかったのか・・・))。
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というわけで講和。地中海のプロビ全部を奪われ、かつWar Reparationsも要求されていますが、結局Spainとの同盟を切られることもなく終わったので上々の出来ではないでしょうか。
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**Make Byzantium Great Again [#rfa3769f]
第5話で本当に話したかったのはここから。
先ほどのようにオスマンには好きにされて来ましたが、裏を返せば地中海の領土がなくなった以上オスマンには自分から何かしなければ干渉されないことになります。

まず手始めに同盟関係がボロボロになっていたMaliに宣戦布告。
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実はこの時期、ビザンツはかなり成長し、Army Force Limitは24((ただし三番目に取ったQuantityは未コンプ))でMaliとほぼ同じ規模まで伸びたうえに、軍事技術は先行しているのでまず負けはしません。
収入のほうもかなり上昇し、前回のSSのころ((1530年、総収入8.5ダカット))の約1.8倍まで伸びました。

※画像は1565年のもの。純収入がかなり伸びているように見えるがこれは植民をしていないため
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そういうわけで普通にMaliをボコボコにし、
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領土を切り取り、
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肥大化。
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ここで切り取った中には金山プロビが2つ含まれているため、Autonomyが下がるまで待てば相当の収入増が期待できます。
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青で囲ったのが今回奪ったところ。東のほうにもう1プロビンスあるのでこれも次期に取りたいですね。

意気揚々と次の目標を定めていたところ、とんでもない事件が。
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&size(10){スペイン書くのめんどくさすぎて草};

恒例のスペインのポルトガルいじめイベント。
SpainがTlemcenに侵攻したところ、独立保障していたPortugalが引っ張り出されてSpain-Portugalの同盟が切れたみたいです。
最初はHistorical Friend補正がつくのでSpainとPortugalはすぐに同盟を結びますが、GC期間のどこかで何らかの拍子でこの同盟が切れた挙句PortugalがSpainにぼこぼこにされるのは日常茶飯事といってもいいかもしれません。

さすがにここでSpainと同盟を切られるのはまずいのでSpain側に加担しPortugalと戦争開始。勿論ビザンツがわざわざ手を出さなくとも最初から勝敗が決まっているようなものですが・・・
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これによりGC開始時から百数十年続いたPortugalとビザンツの同盟は終了。この後もPortugalは定期的にSpainに殴られ続けて消滅していきました。


気を取り返して外交的に孤立していたSongaiに宣戦布告。
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特筆することもなく普通にボコボコにし、
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大量に割譲させて、
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コアがあったMossiを属国として復活させました。
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Mossiはコアを持っている範囲がそれなりに広くReconquestCBの獲得に使えるほか、Adm点の消費がきついところをDip点に負担を逃がせます。

Institutionが受容できておらず技術レベルを上げるのに余計にコストがかかるので戦争と並行してideaを進めていきます。ようやくQuantityのゴールが見え、Adm点が足りなさ過ぎて
進めるのが遅すぎたReligiousも何とか最後まで行けそうでした。Explorationは最後までとってもそんなに変わらないと判断し、ここではまだ取得は先延ばししています。
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そして再びMaliに宣戦布告。早速ReconquestのCBを使います。
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普通にぼこb・・・
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ボコボコ((一時期戦勝点-55%まで落ち込んだ))にされました。ごめんなさい。

これの原因として、こちらが落とした敵側の要塞があまりにも早く奪還された結果、敵の要塞に隣接するプロビンスでこちらが占領していたものがすべて解放されてしまい戦勝点を喪失し、
加えてこちら側のプロビンスも大量に占領された結果((首都こそは占領されなかったものの首都以外の西アフリカにあるプロビは全て占領され戦勝点を稼がれた))こんなことになってしまった。
さっきまず負けないとか言ったやつ誰だよでてこいよ

それでも国力的にはビザンツのほうが上なので態勢を立て直し再び戦勝点を盛り返し、2プロビと450ダカットだけ奪って停戦。もうこんな失敗はしたくないですね((War Exhaustionは11.5まで伸びていた))。
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なお、この戦争中にQuantityアイデアをコンプしArmy Force Limitが大幅に増加したほか、賠償金によりInstitution受容に必要な条件が整いました。
ちなみに事前にCapeを17/19/2のDev38((この時点でCape Verdeのdevを超えている))まで上げ、すでにInsititutionを国内に発生させています。
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**Now Byzantium is Great [#c8001dd9]
Quantityアイデアをコンプしたことにより軍量が相当伸び、もはや西アフリカに敵はいなくなりました。
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Insititution受容まで伸ばすのを止めていた技術も再び上げていきます((受容割引ボーナスを見ればいかに遅れていたかがわかる。この時期であれば早い国ならもうAdmレベル14まで到達でき4つ目のアイデアが解放できる))。
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そしてついに・・・
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Great Powerに載った。第8位だが感無量。

**最後に [#z46d5b3a]
今回のプレイで相当拡張が進み、いよいよBasileus実績も視野に入ってきました。
収入こそ他の大国に比べればまだまだですが、Dev数だけ見れば中堅国くらいのランクにはなったでしょうか。
君主はIoannes9世(3/1/3)が1558年に崩御し、Manuel3世(3/2/4)が即位しました。ここまでで初めて能力の合計が9((3/3/3の君主の合計。いわゆる平均))以上の君主の登場です。


そういえば最近「前回までのあらすじ」をどの人称で書くかがかなり迷っています。一応今は「プレイ終了時の年代に生きる紀伝体好きのビザンツの歴史学者」視点で書いていますが、いろいろ気を付けないと時間軸が変になるので難しいですね。
どうでもいいですが連続で英語タイトルが続いてしまいました。単純なネタ切れってやつなんでしょうか・・・?

続き→[[AAR/Exploration Way of Byzantium/6話-正教徒革命の夜明け]]
前→[[AAR/Exploration Way of Byzantium/4話-Phoenix Invasion]]

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