#author("2023-08-30T01:22:25+00:00","","") [[AAR/Exploration Way of Byzantium]] *Exploration Way of Byzantium/3話-Doctrinal Enforcers [#c2e40160] **前回までのあらすじ [#w267386b] #ref(52.jpg,nolink) 東ローマ帝国の生き残りをかけた戦略が実を結び、皇帝一行は新天地にたどり着いた。 この計画の発案者である皇帝Loannes8世(2/2/2)は船旅の途中で息を引き取った(1456年)ものの、その後継者Konstantinos11世(4/2/2)も同行していたため、 王朝交代の混乱もなく予想に反してスムーズに世代交代が行われた。 堅実なKonstantinosは始めこそ先帝の計画に反対だったが、自らの軍事指導力ではトルコ人勢力には立ち向かえないと判断したため、同行を決意したのである。 個人の武術や軍隊指揮力こそ劣っているものの行政能力には秀でている皇帝は、まずたどり着いた島の都市化を進め、先の「ポルトガル」「カスティリャ」王国からの移住を促した。 皇帝崇拝が強固である東ローマ帝国ではあったが、新天地への移住を希望するものはわずか800人((Manpower÷10ぐらいが船に乗る妥当な数値だと思った))程度であり、一国としての体をなすためにはまずは人口が必要だったのだ。 彼ら両国は、かつて500年前東ローマの総主教が破門した異端宗教を信奉していたが、1500年((帝政ローマの開始から換算して))の歴史を誇るローマ帝国の権威と才能に恵まれた皇帝の前に改宗しないわけがなく、やがてギリシア人と同化していった。彼らの一部はイベリア半島の再征服活動の際得られた古代ギリシア哲学文献((レコンキスタによりイスラーム勢力が吸収していた古代ギリシア哲学が再び欧州世界に伝わっていた。12世紀ルネサンスの一環))を皇帝に献上するなど、文化の発展にも大きく貢献したそうだ。 先帝の意志を継ぎ開発をすすめ、未開地の探索も積極的に推進したKonstantinos11世は16年の在位ののちに1472年崩御。柔軟な発想((Trait:Scholar/+5% Technology cost))の持ち主で積極的な探索により自らの航海技術も高かったという((Trait:Navigator/+10% Ship durability))。 後継者のTheodora2世(0/2/3)は、統治能力こそ劣っていたものの、軍事的には比較的恵まれた才能を持っていた。 都市計画は前帝の計画をそのまま用いたため混乱することなく進み、1483年には旧都コンスタンティノープルに劣らない大都市に発展し、この地への移住者も増加。ローマ帝国の出発点であるイタリア半島を中心に行われていた古代ローマ、ギリシアの文化復興運動((ルネサンスのこと))の成果も取り入れ、人口も7000まで回復した。((Manpower+Sailors))もっとも文化復興といってもローマ帝国が分裂した当時の文化をずっと引き継ぎ守っていたつもりではあったが・・・ 国としての体を整えた東ローマ帝国は、先帝の時代に発見した新しい大陸への進出を模索する。 それは古代ギリシア人が行った植民活動を思い起こさせるものであり、今後の東ローマ帝国の活路でもある。 後世の歴史学者は、この新しい植民活動が行われ始めた15世紀後半を、発見の時代 - Age of Discovery - の始まりと定義したのだった。 **今回の概要 [#kaeea472] #ref(53.jpg,nolink) DLC Pax Romana -神聖ローマ帝国に特殊ギミックが追加。統一後にアナトリアまで領土を拡張することで東西ローマ皇帝を名乗ることができるようになる -新しい年代の追加。共和制ローマ建国が行われたBC753年から西ローマ帝国の滅亡のAD476年まで1日単位で選択可能に -ネストリウス派、アリウス派キリスト教の追加。ゲーム後半で行われる会議イベントで異端になるのを防げる可能性も -新建築物、「風呂」の追加。この建築物があるプロビンス上の軍隊は士気回復速度が200%増加 -新ユニットパック、新音楽 2019 Q1 発売予定 9.99USD **分かりづらい。説明しろ [#l9e47164] 1500年に入り植民やdevポチで一旦国としての体をなすようになったので本格的に西アフリカに侵攻し正教((上記画像ではあたかもユスティニアヌス大帝が正教を広めているかのように書かれているが、正教がカトリックと完全分離するのはユスティニアヌスの死後500年後のこと。あとどうでもいいがPax Romana期はそもそもキリスト教はローマの国教ではない))を広めます。 君主点の使い過ぎ等もあり西洋諸国とは大きく技術が離されていますが、((1505年でビザンツの軍事技術が6、カスティリャが9。ちなみにマリ王国はビザンツと同じ6))よほど変なことをしない限りは自分から西洋諸国と戦う機会はしばらくはないでしょう。 なお、後から気づいたのですが、今回のプレイではポルトガルに加えてカスティリャとも良好な関係を築けているため、西アフリカ海岸の未入植地点にInterest((要The Cossacks))をつけておくと植民されずに済むことが多いかと思います。(フランスとかイングランドとかは問答無用で来るが) **西アフリカ諸国への侵攻 [#g49c0570] おおざっぱに言えば今後の拡張計画はこんな感じ。((プレイ前に描いた図で、少々現実味がないところがあるが・・・)) #ref(50.jpg,nolink) 最初は一番近い西アフリカを攻めます。 この時点で侵攻できる西アフリカの国は、 -Jolof -Mali -Benin -Kongo の4国(画像参照)。 #ref(54.jpg,nolink) 理由はそれぞれ海岸線に面したプロビンスを所有しており、奪った後コア化ができるから。 それで、 1.JolofはMoroccoとゲーム開始時から同盟しており、手を出しづらい 2.Maliはそもそもでかすぎてビザンツじゃ単独で倒せない 3.Kongoもでかすぎて倒せない ということから必然的に最初に戦うのはBeninになります。 なる予定でした。 しかし・・・ #ref(55.jpg,nolink) これは勝てない。 テストプレイの段階ではBeninとKongoは互いをライバル視することがほとんどであり、よくBeninは孤立して同盟なしの状態が多かったのですが、これにはやられました。 「西アフリカ諸国なんてヨーロッパ諸国から見れば楽勝でしょ!Institutionも受容してるんだし技術差ついて余裕」と思う方もいるとは思いますが、1500年段階では上記の通り技術差はそこまで致命的ではなく、軍量もビザンツ側が劣っているためすぐには大きな拡張はできません。 加えてアフリカプレイをしたことがある方なら御存知かと思いますが、初期のアフリカの歩兵陸軍ユニットは能力が高く((技術5~8ではHigh Americanを除くと世界1位の強さ。あのオスマンが所属するAnatorianよりも高い))、ビザンツの所属するEasternが逆転するのが軍事技術10あたりからですから、厳しい戦いを迫られます。 実際、初めて戦争して稼げた戦勝点このようにごくわずかであり、しかも1529年になってからのことでした。 #ref(56.jpg,nolink) **忍耐の時 [#z0b0eb02] というわけで、この1529年までの間何をしていたかというと・・・ #ref(57.jpg,nolink) #ref(58.jpg,nolink) 探索・植民・カスティリャ様のお供。 この間、Colonialismが発生しますが、植民国家をすでに作成しているためdevポチをしなくても自然に受容されていきます。 #ref(59.jpg,nolink) なお、Cape Verdeは1プロビンスの島であり、ここに首都がある限りはInstitutionは自国では発生しません。((よく見るとすべてのInstitution発生条件にに1プロビの島が首都ではないことが明記されている)) 後の計画では東アフリカに首都を移そうと思っていたのですが、わざわざそんなことをするまでないと思い結局やりませんでした。 #ref(60.jpg,nolink) また、2番目のideaにはReligiousを選択。周りに正教圏が無く、Deus Vultが使いたい放題なのとこの辺りはスンナ派のプロビンスがあり、このアイデアがないと改宗に時間がかかりすぎると思ったからなのですが、 #ref(51.jpg,nolink) 西アフリカの南半分ってスンナ派のプロビンスがほとんどないのマジ!!!? これ本当にこのプレイをするまで知らなかった。GC開始時ではなんと、"スンナ派の国なのに国内にスンナ派のプロビンスが1個もなく、すべてFetishistである"という国すらある。どことは言わんが でも実際のところ2手目はReligiousがおそらく最適解であることには変わりはないとは思います。 アフリカへの拡張プレイである以上正教の聖地がなかなか取れず宣教師が増えないため1個目のアイデア((宣教師+1))が手放せず、序盤にprestigeが足りなさすぎるビザンツには5個目のアイデア((Yearly Prestige +1))ですら有効だったからです。((普通の国であればPrestigeなんて余る一方でありこの枠は死に枠扱いされることもありますが)) ただし #ref(61.jpg,nolink) Theodora2世(0/2/3)(在位33年)の後を継いだのはIoustinianos3世(0/3/2)。蛙の子は蛙とはよく言ったものですが、Adm0が2代続いたせいで本当にAdm点が足らず、Castileが毎月+1Adm点をくれた((列強コマンドのInfluence nation))のもありましたがアイデアを進めるほど余裕がなく、結局Deus Vultまで進めたのは1500年の終わりのほうになってからでした。それまでは3つ目のアイデア((改修強度+3))で止めています。 ここで普通の国ならアドバイザーを雇って君主点の足しにはできるんでしょうが・・・1514年の収入がこちら。 #ref(62.jpg,nolink) 毎月の総収入が5ダカットってマジすか・・・ なお、これはマリ王国の金山を奪えばそれなりに改善されるのですが、今回のプレイではとにかく軍量が多く((3番目と4番目にQuantityとOffensiveをとった))、維持費が収入の大部分を占めるようになり、"陸軍維持費MAXで2桁以上の黒字になる"のはまさかの1700年代後半から。草 **宝くじ当選2回目 [#f8249f55] 先ほどCastile様の対仏戦争に同行した話の続きですが、今回もなんと #ref(63.jpg,nolink) はい。 でも今回はAcceptせず、最後まで個別和平しませんでした。 理由は単純でこれ以上CastileのTrustを下げると同盟を切られかねないこと、あとはInflationがすでに10%を超えており、これ以上あげたくなかったことが挙げられます。 この結果、 #ref(64.jpg,nolink) Castile様のだいすきこーる。1回の戦争で40も稼げるんですね。今回形式参戦しないでちゃんと占領戦に参加したからっていうのが大きかったんでしょうか。 **最後に [#g15e0ed7] 1500年~1530年は文字通り"忍耐"が必要でした。 このペースで言ったら絶対オスマン倒せずに時間切れで実績解除できないぞ・・・とか正直かなり焦っていましたが、そりゃまあCape Verdeの1プロビ国家から始めるのであって最初からオスマンのようにガンガン拡張できるわけではないし本番は帝国主義CBが解禁されてからなのできっと大丈夫。 技術的にはまだまだ西洋にかなり劣れをとっていますが、Ioustinianos3世(0/3/2)は1517年に崩御し妻のMaria De Avis((家名から分かる通りポルトガル王家から嫁いできた))(4/3/1)が新君主の成人まで政治を執ります。ビザンツの政体はこの状態でも普通に戦争が行えるのでとりわけ問題はありませんでした。adm0が2連続はつらかった・・・((しかし、実は後の時代、Adm0君主が51年も実権を握り続ける時代があった。それは後のお楽しみ。)) #ref(65.jpg,nolink) いや、強制改宗が正教プロビで起こるのはしってたよ?でもね?なんで西アフリカでそれが起こるんだよ! 続き→[[AAR/Exploration Way of Byzantium/4話-Phoenix Invasion]] 前→[[AAR/Exploration Way of Byzantium/2話-3500マイルの彼方で]]