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第五章 [[北伐将軍義澄とシベリア北伐>AAR/足利の野望(仮)/北伐将軍義澄とシベリア北伐]]
**外交巧者の将軍[#ve83c0e0]
1594年6月第13代将軍足利義晴即位
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第13代将軍足利義晴
スキルは統治3、外交5、軍事3と外交能力に長けた縦横家
継母山科文の代行から引き継ぎ覇業を邁進する。
※ 義晴の実母は朝鮮王朝出身である。義晴を生んだ後、イベントで離縁した。
**第13代将軍足利義晴と山科文の治世[#ve83c0e0]
&ref(義晴(顔).jpg);第13代将軍足利義晴です。
&ref(義政(顔).jpg);うむ、よろしく頼むぞ。(グラが一気に変わったな…)その前にそちの継母山科文が統治した時期に何があったか教えておこう。
&ref(義政(顔).jpg);まずは管理君主制に移行し、更に各地に工場を建設して収入を増大させた。
|CENTER:&ref(国力台帳.jpg);|
&ref(義晴(顔).jpg);おお!いよいよ我が国も明に対抗できる国力を得るようになりましたな!
&ref(義政(顔).jpg);そうだ。更に明は中華帝国の政策である国勢調査で税を25%も上昇させている…要はドーピング状態の明とほぼ同等という事だ。
&ref(義晴(顔).jpg);義政公!するといよいよ…
&ref(義政(顔).jpg);慌てるな。焦って事を急いて失敗したら意味がない。まだ仕込みが必要だ。
&ref(義政(顔).jpg);次は植民について説明しよう。まずはシベリアだ。
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&ref(義政(顔).jpg);義澄の北伐もあり着実に進んでいる。ただ、西からロシアが東進してきている。対策が必要だ。
|CENTER:&ref(東南アジア・太平洋図.jpg);|
&ref(義政(顔).jpg);オーストラリア・ニュージーランド・パプアニューギニアを除いてほぼ完了した。
&ref(義政(顔).jpg);マラッカがオーストラリアに植民してきて目障り極まりないが、明の朝貢国だからな…まだ生かしといてやろう。
&ref(義政(顔).jpg);そして…どことも外交関係がないブトゥン王国があったのでな侵攻しておいた。もう陥落寸前だがな…
&ref(義晴(顔).jpg);なるほど。某の役目はまずはブトゥンの併合からですな。すぐに併合しますぞ!
**ブトゥン王国併合[#ve83c0e0]
1594年7月…
足利義晴は即位してすぐにブトゥン王国首都ブトゥンを陥落させ、これを併合した。
|CENTER:&ref(ブトゥン併合.jpg);|
&ref(義政(顔).jpg);くっくっく…700ダカットか…たっぷり貯めこんでるではないか。ありがたく使わせてもらおう。
**モルディブ王国侵攻・併合[#ve83c0e0]
1594年10月…
幕府はブトゥン併合後、直ぐに軍を移動させインド洋の島国モルディブに侵攻させた。
1595年8月モルディブは併合された。
|CENTER:&ref(モルディブ併合.jpg);|
&ref(義政(顔).jpg);81ダカットか…しけてるのう…
**マラッカ・アユタヤ戦争[#ve83c0e0]
1595年9月日本の同盟国マラッカがアユタヤに宣戦布告した。
アユタヤ側にラーンナがついた。
マラッカは盟約に基づき幕府にも参戦を要請した。
&ref(義晴(顔).jpg);よかろう。ここでインドシナにも唾をつけておくか…
|CENTER:&ref(マラッカ・アユタヤ戦争戦力表.jpg);|
幕府はマラッカの要請に応じ参戦した。
**後継者誕生[#ve83c0e0]
1597年7月義晴は皇族有栖川徳(6.2.1)を正室に迎え、その後嫡子義輝(3.1.5)が誕生した。
&ref(義政(顔).jpg);外交は苦手か…まあよかろう。
**和約[#ve83c0e0]
1598年7月日本はアユヤヤと単独和平をした。
これによりインドシナの一部を割譲させた。
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**国際貿易&日露同盟[#ve83c0e0]
1606年1月…
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&ref(義晴(顔).jpg);国際貿易が発生しました。すぐに受容できるよう手筈を整えます。あとロシアとの同盟を結びました。
&ref(義政(顔).jpg);対明戦を意識した同盟だな。ロシアもかなりの強国だ、頼りになるだろう。
**南蛮貿易[#ve83c0e0]
1612年4月…
|CENTER:&ref(南蛮貿易.jpg);|
&ref(義晴(顔).jpg);南蛮貿易が発生しました。
&ref(義政(顔).jpg);まあ現状維持でいいだろう。これ以上鎖国化を進めるメリットはない。
&ref(義晴(顔).jpg);わかりました。シベリアの植民がほぼ終わりましたので新大陸への植民を始めました。
なおこの後選択を間違えて開国に振れた模様…
**絶対主義の時代[#ve83c0e0]
1616年2月改革の時代が終わり、絶対主義の時代に入った。
|CENTER:&ref(絶対主義の時代.jpg);|
**帝国主義の萌芽[#ve83c0e0]
時は過ぎ1650年…
日本は足利義晴の長期に渡る治世において大きく領土を拡大し国力を大幅に向上させた。
|CENTER:&ref(アメリカ西海岸上陸.jpg);|
日本は1600年代初頭にアメリカ西海岸に植民を開始した。
ネイティブアメリカンや中米国家を併合しながら1650年までには強大な植民国家の建設に成功した。
|CENTER:&ref(国力台帳(1650年).jpg);|
国力も200ダカット越えを達成した。
宿敵明にはまだ及ばないが三位以下を大きく引き離すことができた。
|CENTER:&ref(陸軍比較(1650年).jpg);|
足利義晴はこれまで歩兵主体の軍に対し砲兵の割合を増大させた。
列強に比肩しうる陸軍を保有することができた。
|CENTER:&ref(海軍比較(1650年).jpg);|
海軍は大幅な増強を実施し、世界一位規模の海軍に育て上げることができた。
1650年7月足利義晴死去…嫡子の足利義輝(3.1.5)が第14代将軍として即位した。
第七章 [[剣豪将軍義輝と日本統一(真)>AAR/足利の野望(仮)/剣豪将軍義輝と日本統一(真)]]
TIME:"2017-05-18 (木) 23:42:33"