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第六章 [[外交将軍義晴と新大陸侵攻>AAR/足利の野望(仮)/外交将軍義晴と新大陸侵攻]]
**剣豪将軍[#ve83c0e0]
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第14代将軍足利義輝
スキルは統治3、外交1、軍事5と剣豪将軍に相応しい軍事偏重型の能力
父義晴の築いた地盤を基に宿敵明との決着をつけ琉球を手に入れたいところだ。
**第14代将軍足利義輝と城下町[#ve83c0e0]
1653年…
&ref(義輝(顔).jpg);第14代将軍足利義輝です。
&ref(義政(顔).jpg);うむ。そちの武勇頼りにしておるぞ。(もう顔には突っ込むまいぞ…)
&ref(義輝(顔).jpg);早速ですが神道イベントです。今回は城下町のようですな。
|CENTER:&ref(城下町.jpg);|
&ref(義政(顔).jpg);この前は間違えて開国寄りに戻してしまったからな…今回は鎖国に動かすようにせよ。
&ref(義輝(顔).jpg);わかりました。手配しましょう。
※ 結局、鎖国には寄らなかった。
**日明戦争[#ve83c0e0]
1656年5月
&ref(義輝(顔).jpg);義政公…いよいよ我等足利家の悲願を果たす日が来ました。
&ref(義政(顔).jpg);いよいよ明と雌雄を決する日が来たか…状況を報告してくれ。
&ref(義輝(顔).jpg);はっ。我が陸軍主力はシベリア西部に集結しております。
&ref(義輝(顔).jpg);オイラートを通過して攻撃してくる明軍を要塞線で拘束し撃破する計画です。
|CENTER:&ref(幕府陸軍主力.jpg);|
&ref(義輝(顔).jpg);海軍主力は開戦後明海軍主力を攻撃し撃破後は、明の全港を海上封鎖する予定です。
|CENTER:&ref(幕府海軍主力.jpg);|
&ref(義輝(顔).jpg);また、同盟国のロシア及び朝鮮に参戦を要請し数的優位を確保します。
&ref(義輝(顔).jpg);ロシアの参戦を促すため琉球ではなくオイラートに宣戦を布告します。
&ref(義政(顔).jpg);オイラートに野心のあるロシアは応じるだろうが、朝鮮は明の朝貢国…果たして応じるかな?
&ref(義輝(顔).jpg);朝鮮は満州を領有してから自国を大国と思ったようですな。
&ref(義輝(顔).jpg);どうも明の冊封下にいるのが面白くない様子…応じるでしょうな。
&ref(義輝(顔).jpg);海上封鎖等である程度明が疲弊してきましたならば、琉球に侵攻し併合します。
&ref(義政(顔).jpg);うむ…よかろう。ただし明は今までの国とは国力が段違いだ。引き際を見誤らんようにな…
&ref(義輝(顔).jpg);わかりました。吉報をお待ち下され。
日本はオイラートに宣戦を布告した。
オイラートは日本の宣戦に驚き慌てて宗主国の明に援軍を要請、明は快諾した。
&ref(シナー.jpg);蛮夷の小日本がつけあがりおって…膺懲が必要な様アルね。
日本は同盟国のロシア・朝鮮に参戦を要請した。
&ref(ロシア皇帝.jpg);我がロシアがアジアに影響力を拡大する好機だな…応じよう。
&ref(ニダー.jpg);ウェーハッハッハ!明はオワコンニダ!ウリナラが真の中華でありアジアの宗主国ニダ!
両国とも参戦し、朝鮮は明との朝貢関係を破棄した。
&ref(義政(顔).jpg);さていよいよ明との開戦となった訳だが…今のところはこちらが優勢なようだな…
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&ref(義輝(顔).jpg);ロシア・朝鮮がどう動くかはわからないので過信は禁物かもしれません。
**日明戦争経緯[#ve83c0e0]
&ref(義政(顔).jpg);こうして日明戦争が始まったが作者が熱中するあまり1680年までスクショを取り忘れていた…
&ref(義政(顔).jpg);このため文章による戦況の報告になる。申し訳ない…
緒戦(1656年~1661年)
緒戦では日本海軍は明の海岸線の全封鎖を完了し明国民を疲弊させることで厭戦感情の増大を図った。
明海軍は優勢な日本海軍を恐れ港から出ることはなかった。
一方、陸戦では日露朝連合軍は明軍の予想以上の練度の高さに苦戦し、オイラート領でいたずらに死者を増やすばかりであった…
朝鮮の脱落(1662年~1665年)
明は連合軍の中で一番国力の低い朝鮮に主力を侵攻させ脱落を図った。
朝鮮は低い国力にも関わらず奮闘したが、首都漢城の陥落を受けて、1662年に明と単独講和をした。
その頃、日露連合軍はオイラート領で明・オイラート連合軍と戦っていたが、蹴散らしてもすぐに湧いて出てくる明軍に辟易としていた。
撃破しても明国内の要塞線内に退避してすぐに回復してくる明軍に手出しができなかったのだ。
1662年第14代将軍足利義輝死去…
第15代将軍足利和仁(4.2.4)が即位した。
琉球侵攻(1666年~1668年)
日本はどさくさにまぎれて1666年に琉球に宣戦布告し軍の一部を沖縄に侵攻させ、1667年には併合を完了した。
|CENTER:&ref(琉球併合.jpg);|
海軍が封鎖されている明軍は手出しができなかった。
かくして日本は悲願の日本統一を成し遂げたが、明との戦争は継続していた。
ロシアの脱落(1669年~1672年)
ロシアの豊富なマンパワーと縦深を活かし、圧倒的物量を誇る明軍に対し互角以上に渡り合っていた。
一方、日本はオイラート攻撃を続行し、一時はオイラートの大部分を占領するが、占領に集中した隙をつかれ各個撃破され陸軍の半数を喪失した。
このため、日本軍はシベリアの要塞線まで撤退した。
1667年第15代将軍足利和仁死去…
第16代将軍足利義春(1.4.4)が即位した。
日本の撤退を受け、明軍はロシアに対して集中攻撃をし、1569年にはとうとうロシアは折れ明と単独講和をした。
この頃には明の疲弊も極限に達し各地で反乱軍が明国内で蜂起したが、明は傭兵を大量に雇い強引に鎮圧したため戦況が変わることはなかった。
ただ明から日本に対し白紙講和の打診が相次いだが、日本は戦果を欲し戦争を継続した。
南方戦線の構築と明との講和(1673年~1675年)
オイラートでの大敗、ロシア脱落を受けて日本は北方戦線の放棄を決定、残存日本軍と新たに徴兵した兵力を日本本土に集中させた。
そして明軍がシベリア要塞の攻略に集中している隙をつき海南島に上陸、即座に占領した。
以後は海南を拠点にがら空きになった中国沿岸部を攻略し続け戦勝点を稼いでいった。
そして北京まで近づいた頃には明の主力が迎撃に戻ってきたため、講和を決心。
明は日本に寧波を割譲した。
|CENTER:&ref(寧波割譲.jpg);|
オイラート降伏(1676年)
明とは講和したがオイラートとの戦争は継続していた。
日本は全軍をシベリアに戻し、まずはオイラートが占領していたシベリアを奪回した。
この後は全軍をオイラート領まで侵攻させ次々とプロヴィンスを占領していった。
この間、明軍の援護がないオイラート軍が迎撃に出ることはなかった。
1676年、オイラートは全面降伏し大多数のプロヴィンスを日本に割譲した。
|CENTER:&ref(オイラート降伏.jpg);|
こうして十数年間に渡って続き、両軍あわせて100万以上の戦死者を出した大戦争は終結した。
**日明戦争結果[#ve83c0e0]
1680年…
&ref(義政(顔).jpg);この戦争間に将軍が二代変わったので私が総括を述べよう。
&ref(義政(顔).jpg);我が国の戦果は、沖縄を始めとする十数プロヴィンスを得た。
&ref(義政(顔).jpg);損失は、十数年もの時間と膨大なマンパワーといったところか。
&ref(義政(顔).jpg);沖縄の獲得により足利の悲願を成し遂げたぞ。
|CENTER:&ref(日本統一(真).jpg);|
&ref(義政(顔).jpg);もう明とは戦争したくないわい。今のところはな…ふふふ…
&ref(義政(顔).jpg);戦後すぐにロシアと朝鮮から同盟破棄を受けたがもう用済みよ。まあ、大分活躍してくれたが…
&ref(義政(顔).jpg);明との勝利により、我が国は名実ともに世界でも屈指の強国になった。孤立しない限りは大丈夫だろう。
|CENTER:&ref(1680年国力台帳.jpg);|
**崩れ落ちていく巨竜[#ve83c0e0]
圧倒的な財力とマンパワーにより日露朝連合軍と対等以上に渡り合った明であったが、
戦後、この超大国も崩壊の兆しが見えてきた。
戦争疲弊による反乱軍の蜂起と化外の東夷である日本に対する領土割譲…
この2点の事実を明帝国の朝貢国は重視し、
マラッカ、アッサム、アユタヤ等のそれなりの国力を有する朝貢国は
次々と明帝国の冊封体制下から離脱した。
明帝国の冊封下に残ったのは弱小国ばかりで明帝国の権威は著しく失墜した。
これにより明帝国の民は明が天命を喪失したのではないかと噂し、不安に思うようになった。
繁栄を謳歌していた巨竜は徐々に腐り果てていった…
|CENTER:&ref(奈落の天朝.jpg);|
&ref(義政(顔).jpg);巨竜とは戦う必要がない。ようは巨竜の屍肉を喰らえばいいのだ…
閑 話 [[現状確認(1696年)>AAR/足利の野望(仮)/現状確認(1696年)]]
TIME:"2017-05-28 (日) 15:27:48"