[[AAR/赤き鷲はドイツ統一の夢を見るか?]] まずは状況を確認。 ブランデンブルク辺境伯は首都であるブランデンブルクのほかルッピン、ポツダムの3州を領有。 君主である辺境伯フリードリヒ2世の能力値はは3/3/2でまあまあといったところか。 国教はカトリックであり、文化はザクセンである。 なおブランデンブルクは神聖ローマ帝国の選帝侯であるが、とりあえずは自国を指名しておく。 #ref(1.jpg,left) 当面の目標としては自国文化であるザクセン文化圏を中心に勢力を広げることにする。 これは、ドイツ創設のDecisionの実行に必要な州がザクセン文化圏に集中しているためでもある。 外交戦略としては北方のデンマークと南方のオーストリアと同盟する。 初期状態で利用可能な外交枠は4であるが、マントヴァと王族婚姻を結んでいるため、あと1枠余った。 ブラウンシュヴァイクより同盟のお誘いがきたため、とりあえずこれと結んでおく。 ライバル枠には隣接するマグデブルク、アンハルト、チュートン騎士団を指名した。 早速勢力を拡大すべく、マグデブルクの領有するアルトマルクに外交官を派遣し、請求権捏造を行う。 これは近隣のザクセン文化州で一番豊かだったため。(TaxBase:9) 請求権の捏造完了とともに、マグデブルクへ宣戦布告し、領内へ侵攻。 #ref(2.jpg,left) &size(12){オーストリア、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、ホルシュタイン、ブラウンシュヴァイク、ザクセン=ラウエンブルクが同盟軍として参加}; 同盟各国は全て参戦要請に応じた。 ブランデンブルク連合軍は錚々たる面子となった。 #ref(3.jpg,left) #br #ref(4.jpg,left) 軍事力の差は圧倒的。ほとんど何の障害も無く、半年あまりでアルトマルクを攻略できた。 マグデブルクを併合し、領内へ組み込む。 #ref(5.jpg,left) &size(12){皇帝激おこぷんぷん丸の巻}; 帝国諸侯間での戦争により領土を得ると、皇帝からお叱りとともに領土の返還要求を受ける。 当然無視することになるが、獲得地に反乱リスク上昇などのペナルティが10年つく。 また、帝国諸侯との関係も悪化してしまう。ドイツ統一のためには避けて通れない道である。 この影響でブラウンシュヴァイクとの同盟が切れてしまったが、特に影響が無いので、放置。 アルトマルクのコア化は2年あまりで終了。税収がまともに入ってくるようになった。 陸軍維持限界が1万人に増えたので、陸軍規模を増強した。 なお、開幕併合という行動で近隣国を刺激したため、包囲網を形成されてしまった。 とはいえ、小国の連合に過ぎないため、特に対策はとらなくてもいいだろう。 #ref(6.jpg,left) さて、次に狙うべきはチュートン騎士団が領有しており、首都に隣接するノイマルク州。 ノイマルクはブランデンブルクのコア州であるため、はじめから請求権を持っている。 早速宣戦布告しようとしたが、オーストリアが開戦に難色を示したため、しばし間を置くことに。 そうして待っている間に、別の形でチュートン騎士団と戦端を開くことになってしまった。 デンマークがリヴォニア騎士団の有するエーゼルを狙って戦争を開始したため、参戦要請が届いた。 チュートン騎士団の戦力がどれほどのものか、この戦争でじかに確かめるとしよう。 かくして、1448年12月、バルト海沿岸を舞台とした戦いがはじまった。 開戦からしばらくの間、チュートン騎士団はリヴォニア騎士団領の防衛にあたっていたため、 チュートン騎士団の本国防衛は手薄だった。そのため、ブランデンブルク軍は次々と州を攻略した。 1450年の暮れにはクールラントに入ってリヴォニア騎士団の本隊を壊滅させることにも成功した。 #ref(7.jpg,left) その間にチュートン騎士団の本隊はリトアニア領から迂回して本国に入り、攻略された州を奪還しようとした。 そのためブランデンブルク軍を引き返させ、マリエンブルクで会戦に持ち込んだ。 兵力ではこちらがやや上回っていたのだが・・・騎士団長ヨハン・オイスタッハの指揮により敗北。 撤退にも失敗し全兵力を殲滅させられるという悪夢を味わってしまった。あちゃ~ #ref(8.jpg,left) この失敗で国内の厭戦が上がり、また資金不足により部隊の再編成に時間がかかったため、 この後ブランデンブルク軍が戦場に入ることは無かった。 1454年にリヴォニア騎士団と単独和平を締結して戦争から退いた。 スコアではまだ勝っていたため、リヴォニア騎士団には少額の賠償金支払と、チュートン騎士団との関係破棄要求を呑ませた。 単独和平によりデンマークとの関係が悪化してしまったので、外交官を派遣して修復につとめる。 なおその後デンマークは当初の目標であるエーゼルの割譲に成功したもよう。 意外とチュートン騎士団が侮れなかったため、戦略の軌道修正を施す。 ザクセン方面にもう少し勢力を伸ばしてから挑戦することにしよう。 そのため、隣国に外交官を派遣して請求権の捏造を行わせ、厭戦がある程度下がるのを待つ。 暫くして、アンハルトとヴィッテンベルクの請求権を得た。1456年の秋になっていた。 続く その頃世界は #ref(9.jpg,left) ・オーストリアがブルゴーニュを継承 ・百年戦争は終結 ・ビザンティン滅亡 など。 最初のIdeaはDiplomaticにしました。 TIME:"2013-09-20 (金) 06:37:05"