#author("2020-01-16T20:19:07+09:00;2020-01-16T20:14:48+09:00","","") #author("2020-01-16T20:19:40+09:00","","") [[AAR/普通にEarly Reich]] あらすじ: 神聖ローマ帝国の2位勢力まで拡大したブランデンブルグ。 しかし急激なブランデンブルグの成長にHRE領邦は憂慮し、包囲網を組んで牽制する。 だが皇帝のお気に入りのブランデンブルグは宗教戦争のドサクサに紛れ、 プロスタントでありながらプロテスタント諸国を討伐する裏切り者となった……。 #ref(AAR/普通にEarly Reich/1552_lubeck_war.jpg,100%) 包囲網が組まれて今までのように気軽にClaim付けて神聖ローマ領邦をつまみ食いするわけにも行かないので 1552年にHRE外でデンマークと化したリューベックを暇潰しに併合しに行きました。 この頃プロテスタント化が抑えきれないので、諦めてプロテスタント化しました。(SS撮り忘れ) しかし今後はClaimを使わずとも、Cleansing of HeresyCBでAEを抑えつつお手軽宣戦できるようになります。 カトリック諸国との関係が悪化するので必死に外交官を飛ばして関係維持に走ります。 どれだけカトリックを尊重してると口で言いながら、目下の領土はプロテスタント一色へ ちなみにケルンもプロテスタント化して貰ってます、併合した後が大変だしね。 ボヘミアとは逆に関係が改善しています。 #ref(./printing_press_institution.jpg,50%) #ref(AAR/普通にEarly Reich/printing_press_institution.jpg,50%) 1551年、未だにColonialismを受容していないのにPrinting PressのInstituionが発明される。 せめてドイツ地域にしろよ、なんだノルウェーって 当分の間Embrance出来そうにないのでアイディアに君主点を全振りしています。 1570年頃に両方共伝搬してきたので即受容して技術に全振りしました。 4番目のアイディアはQuantityにしています。 この先の戦争の事を考えるとマンパワーは大いに越したことは無いし、最初の2つだけでも効果が大きく有用です。 Quantityは拡張プレイしてるならとりあえず取っておいても損はないほど強いアイディアなのでお薦めです。 5番目はDiplomaticにしようか迷いましたが、Milが余ってたのでOffensiveにしました。 Offensiveは包囲が早くなったり、Disciplineボーナスがあるため質を重視するブランデンブルグ向けのアイディアです。 まあ普通にやっていてもOffensiveは非常に強いのでどこでプレイしてもだいたい取ります。 #ref(./1553_paris_siege.jpg,100%) #ref(AAR/普通にEarly Reich/1553_paris_siege.jpg,100%) 1553年にカスティーリャから対フランス戦の宣戦依頼が来たので受諾。 暇してる軍を派遣してパリ包囲でFavorを稼ぎます。 #ref(./1553_naple_war.jpg,100%) #ref(AAR/普通にEarly Reich/1553_naple_war.jpg,100%) その後フランス軍が強くて軍が壊滅しかけたので、ここは弱そうなナポリから順番に潰すことにしました。 いつの間にかPU解除されて皇帝に戻ったオーストリアが一緒です。 1559年には死闘の末カスティーリャ勝利でフランスが領土割譲で終戦しました。 以後、この調子で弱ったフランスを殴るカスティーリャ(スペイン)がテンプレ化し、 ブランデンブルグもそれにお付き合いしてフランスを消滅寸前まで定期的にぶん殴るようになりました。 #ref(./HRE_league.jpg,100%) #ref(AAR/普通にEarly Reich/HRE_league.jpg,100%) 1564年、神聖ローマ帝国の三十年戦争に伴うリーグ戦が開始しているのを確認。 ここは高みの見物を決め込みたいですが、ボヘミアとはそろそろ縁切りしてシュレジエンを巻き上げたいので 後にカトリックリーグに加入しました。 そんなことしてたら1565年にボヘミアから同盟切られましたが想定通りです。 #ref(./ottoman_alliance.jpg,100%) #ref(AAR/普通にEarly Reich/ottoman_alliance.jpg,100%) 1567年、なんとまさかのオスマン帝国と同盟が組めるようになりました。 ポーランドとオーストリアのライバル関係を二度見した後同盟締結決定。 これでポーランド、カスティーリャ、オスマン、オーストリアという盤石の同盟関係です。 史実や前世の同盟孤立っぷりを考えるとドイツとは思えない外交状況です。 するとオスマン様の威光で戦力差が広がったのか包囲網が瞬く間に瓦解し、再び神聖ローマ領邦を食えるようになりました。 というわけでブラウンシュヴァイクから2州割譲で終戦。 #ref(./1573_bohemia_silesian_war.jpg,100%) #ref(AAR/普通にEarly Reich/1573_bohemia_silesian_war.jpg,100%) 1573年にシュレジエン割譲のミッションが出たので ポーランド、オーストリアを誘ってボヘミアにシュレジエンへのConquestで宣戦しました。 三十年戦争のリーグ戦の影響でプロテスタント盟主となり、外交的に孤立したボヘミアはただの餌です。 本来宗教を共にする味方のはずのブランデンブルグがあっさり裏切ってカトリック側に付いてますしね。 100年前と違って十分な国力を得たブランデンブルグにとってもガチれば十分勝てる相手になりました。 #ref(./1574_bohemia_afterwar.jpg,100%) #ref(AAR/普通にEarly Reich/1574_bohemia_afterwar.jpg,100%) 1574年にシュレジエン3州を割譲して終戦しました、AEが怖いので領土割譲は控えめです。 領土が汚くなったので、後でもう一度宣戦して解体して国境を綺麗にする予定です。 ハンガリーが便乗宣戦していますが、コア化できる部分は飛び地になってるのでザクセン地域が分捕られる危険はないでしょう。 #ref(./greatpower_in_brandenburg.jpg,100%) #ref(AAR/普通にEarly Reich/greatpower_in_brandenburg.jpg,100%) シュレジエン割譲でDevが一定値に達したお陰で1574年についに列強入りしました。 #ref(./1578_denmark_war.jpg,100%) #ref(AAR/普通にEarly Reich/1578_denmark_war.jpg,100%) 汚い国境の整地を兼ねて外交的孤立のデンマークに宣戦布告 同盟国のワラキアとユトレヒトとアーヘンなど物の数に入りません。 そういう訳でユトランド半島の2州、アーヘンを頂いて終戦。 アーヘンをあえて割譲したのはそろそろ気軽に宣戦できる国が減ったので、南ドイツにクレームを付けるためです。 本当はブルゴーニュに宣戦してケルン奪還したかったのですが、同盟国含めて倍近い敵がいるので諦めます。 同盟国はDistant warでやる気がないのか宣戦してくれないので、弱っても手が出せません。 このままケルンを飼い殺しにするのも疲れたので1582年に併合開始しています。 ついでに1州国家に転落していたトリーアに宣戦、1584年に併合します。 1585年にカスティーリャから呼ばれたので、1588年までブルゴーニュ同盟も含むフランスフルボッコタイムを堪能しました。 #ref(./1589_brandenburg.jpg,100%) #ref(AAR/普通にEarly Reich/1589_brandenburg.jpg,100%) 1589年にケルン併合、北ドイツの大半がブランデンブルグの領土になりました。 ついでにヘッセンに宣戦、1591年に併合しています。 さらにさらにブレーメンも孤立してたので1592年に併合しました。 もうこの辺は列強国のAEさえ上限超えなければいいやの精神で併合しまくってます。 初心者はもうちょっとゆっくり拡大したほうが身のためです。 この頃には南ドイツ領邦のAEは-150近くまで達しています。 #ref(./1589_2nd_bohemia_silesia_war.jpg,100%) #ref(AAR/普通にEarly Reich/1589_2nd_bohemia_silesia_war.jpg,100%) 1594年に和平期間の切れたボヘミアフルボッコタイム、前もって2州にクレームは付けてあります。 バイエルンとザルツブルグが参戦していますが、オーストリアだけでも余裕で始末できることでしょう。 #ref(./brandenburg_1600.jpg,100%) #ref(AAR/普通にEarly Reich/brandenburg_1600.jpg,100%) 1598年に余裕の勝利で2州割譲で終戦。 ようやく領土が綺麗になりました、南以外の国境はよく見ると汚いですが。 ちなみに三十年戦争はカトリックの不戦勝で終わりました。 これで心置きなくプロイセン化できます。