[[AAR/星条旗よ永遠なれ]]
**4章 絶対王政 [#m493d252]
*ジョージ2世(5/6/1) [#cf29e50d]
ジョージ1世の晩年を悩ませたのはブラジル問題だった
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1706年ブラジルはポルトガルから独立を認められたが、
軍のクーデターによって初代ブラジル共和国統領アントニオ・デ・ソウトは倒され
新たに軍人ディエゴ・デ・サが統領となった
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フランスはオーストリア・トルコ戦争への介入のため
南米大陸政策を転換しブラジルの弾圧から支援に移り
ブラジルはその支援の下でスペイン植民地チリの独立を煽り、影響を強めた

アメリカ議会はフランスが南米全土を勢力圏に入れるのを恐れ
ブラジルへの軍事介入を提案、ジョージ1世はこれを受け入れ
1709年アメリカ軍がブラジル首都アマパに上陸した
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アメリカはアントニオ・デ・ソウトによる傀儡政権を樹立したが
ブラジル全土での支持は得られず、ディエゴ・デ・サはディアマンティアに逃れ抵抗を続けた

1713年にはジョージ1世が崩御する
彼は遺言で彼の統治下における軍の肥大化と軍需産業の影響力の拡大((アイデアが軍に偏るのは仕方ないね))、
それらによる人民のための統治への侵害を批判した
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厭戦感情の溜まっていたアメリカ社会は休戦を要求、
唯一の帝位継承者である曾孫ジョージが若齢のため
摂政議会がディアマンティア政府と交渉にあたり
アマゾン流域および沿岸部をアマパ政府の統治((得られた領土の殆どはこの時点ではコア化しない、首都と地続きで無い植民地域内にコア州を5つ以上もつと植民国家ができてしまうため。ただし元々原住民国家のあった州については過剰拡大が発生するので植民地域内で4つに収まる限度でコア化する))におくことで
1729年までの休戦を成立させた
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1720年、ジョージ2世(5/6/1)が成年に達し親政を開始した
ジョージ2世は曾祖父の偉大なる統治神話の権威を利用して絶対的権力を振るった
ブラジル撤兵問題でアメリカ社会が分裂していくなか、
議会は有効な方策を打ち出せず、議会・諸団体は王の手腕に依存した
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ジョージ2世は先ず1721年にはメキシコを武力で完全併合し、
属国ノルウェー((この頃には南アフリカ・オーストラリアに植民地を持っていた))と中米連邦をアメリカに外交併合した

1723年にはフランス・プロヴァンス戦争に介入する
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プロヴァンス側にイギリスがついていたため
アメリカはイギリス植民地ニカラグア・カリフォルニアを占領したが、
新大陸でのアメリカの伸張を望まないフランスによって
講和((フランスはプロヴァンスの殆どを併合した))で返還させられた

ジョージ2世は新大陸からのフランスの完全排除をめざし
1729年休戦が切れるとディアマンティア政府領に侵攻し
1744年までの更に有利な休戦協定を結ぶ

1731年にはディアマンティア政府を支援したスペイン・ポルトガルへ
宣戦しスペイン植民地チリ((この時点ではコア化しない))とポルトガル植民地アラスカを獲得した
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1738年、ついにアメリカから空白地が消滅し250年続いた開拓が完了した
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ジョージ2世は探検事業の終了を宣言し海運業への移行を勧めた((この為に探検アイデアを6つめまでで止めていた))
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1740年には通貨改革を実施し交易も活発化した((Mission: Restore the Currency 「インフレーションを5%以下に下げる」達成ボーナス。いままでインフレーションが20%を越えていた))
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ジョージ2世は来たるフランスとの戦争を見据えて
ハプスブルク君主国を破り神聖ローマ帝国内で最大勢力となった
ブランデンブルク選定侯と同盟を結んだ

1741年バルト海・英仏海峡における交易業でブランデンブルクと対立していた
ホランド・グレートブリテンに宣戦布告する
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圧倒的優勢のもとで1745年アムステルダムを占領し、講和を結んだ
アメリカはホランド植民地ラプラタ((この時点ではコア化しない))、イギリス植民地ニカラグア・カリフォルニアを
ブランデンブルクはホランド領ミュンスター・アムステルダムを獲得した
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1744年ディアマンティア政府との休戦が切れるとこれを完全に併合した
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ジョージ2世はさらにイタリア半島で最大勢力となっていた
トスカーナとイタリア統一を条件に同盟を約した
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1748年フランスとの開戦を見る前にジョージ2世は病死するが
ウィリアム4世(5/1/5)が王位と彼の政策を継承した
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*ウィリアム4世(5/1/5) [#l2f39e2f]
ウィリアム4世はまず仏領コロンビアに囲まれたベラグアスを
緩衝国家として独立させ((Client State実際は1730年))、フランスとの友好を装った
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一方でトスカーナの対オーストリア戦の支援を口実にイタリア半島に大量の兵を輸送し
フランス本土への侵攻を準備した
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ティムールとの戦争((リトアニア対ティムール、フランスはリトアニア側で同盟参戦))でアラビア半島に展開するフランス軍((70k近くいた))を
アメリカインド洋艦隊が発見すると
これを好機に1751年ウィリアム4世は新大陸の全領土割譲を求めフランスに宣戦した
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アメリカ軍はトスカーナ国境からフランス本土に、
ブランデンブルクはフランス同盟国リトアニアに侵攻した((トスカーナはライン諸侯と戦争中のため来なかった))
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リムーザンでアメリカ軍10万とフランス軍7万が衝突
アメリカ軍が敗北するが
ポワトゥーの戦いで勝利し、撤退先モルビアンでフランス軍の殲滅に成功する

フランスに上陸したアメリカ軍28万はフランス各地へ散らばり
フランスの農村・都市を略奪・占領した
全ての生産物がフランス人から奪われ、人口の1/3が亡くなったと言われている
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1756年にはフランス本土全土を占領し、フランス新大陸領土全ての割譲で講和した((植民国家領土は占領しなくても得られる、面倒なので占領していなかった))
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ウィリアム4世は新大陸から欧州国家を完全に排除するのに成功し
南米にもアメリカ本土と同様の統治の樹立を試みた((首都と別大陸の州のコア化は僅かな統治点(Dev1点につきAdm1点)で済むのを利用して、ベラグアスで南米を北米と分断し南米全てのコア化コストを払った後、コア化が完了する前にベラグアスを併合し地続きに戻すというスキーム。南米の総合Developmentは1362あったため、1756年9月にAdm999点分のコア化を始め(詰りこの分のコア化は1759年9月に終わる)、1759年7月にベラグアスの併合を完了するよう1757年1月に外交併合を開始し、1759年6月に新たに貯まったAdm396点(月毎12点*33m)を残った分のコア化にあてた。))
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これに対して南米諸民族はそれぞれ大規模な反乱を起こした
フランスへの派兵で手薄になっていたため鎮圧も遅れ、反乱軍による独立も危惧された
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一方で北米でもウィリアム4世の圧政に自由主義者たちが反乱を起こし
リッチモンドは3万人の市民軍に包囲され、西インド諸島は完全にその手に落ちた
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しかしフランスから精鋭の王軍が帰還すると
市民軍は散り散りになり革命は未然に防がれた((革命を起こしても良かったのだが革命リーダーが2/2/1と魅力的じゃなかった))

南米ではフランス系との妥協が行われ
フランス系の自治を認める代わりに南米におけるアメリカ統治に協力させ((フランス文化が本土コア州の2割を超えたため、フランス文化を受容した))
残されたブラジル・ラプラタの反乱を鎮圧した
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1761年には反乱が完全に終結し
南米に唯一残っていた原住民国家マプチェ((この時点ではWesternizeし終えていた))を併合し新大陸を統一した
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新たに獲得した領土に12万ダカットをつぎ込み
全ての州で農産業の近代化が行われた
また、1762年にはパナマ運河の掘削も開始された
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これらの経済政策によって、1766年のアメリカ経済は1710年の2.3倍に達した
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新大陸を統合した超大国アメリカは、欧州への影響を強めていく
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**[[5章 アメリカ革命>AAR/星条旗よ永遠なれ/5章 アメリカ革命]]へつづく [#f451b572]
**[[5章 自由主義革命>AAR/星条旗よ永遠なれ/5章 アメリカ革命]]へつづく [#f451b572]

TIME:"2017-03-09 (木) 00:57:19"

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