[[AAR/星条旗よ永遠なれ]] **2章 第一共和政 [#u2302c87] *独立と変革 [#ac969917] 16世紀までのアメリカ王領植民地の拡大は グレートブリテン本国の経済・軍事的援助によるものであった http://art1.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593536.v1448021422.png しかし本国のジョージ王による新たな課税・軍事費負担は 王領植民地にとって、自立した植民地社会への不当な圧政と捉えられた http://art1.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593266.v1448021421.png メキシコが自らの王を戴くのを見て、アメリカ王領植民地も チェサピーク植民地の創始者の子孫ジョセフ・バッフィンを首領に担いで ジョージ王の統治機関を接収し独立を宣言、新たにUSAを建国する http://art9.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593531.v1448021422.png メキシコ・ブラウンシュヴァイクの国家承認を得たアメリカ((ここからのアメリカ=USA))が最初に衝突したのは西インド会社、その後継者ハイチである http://art17.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593528.v1448021422.png ハイチ共和国は西インド会社の支配地域を領土として独立したが、北アメリカ植民地はその最大の債権者でもあった ハイチは独立に際して全ての債権の無効を宣言すると、アメリカはその補償としてキューバ全島を要求する最後通告を発し((Fabricate Claimをそれっぽく))、アメリカ・ハイチ戦争が勃発した ハイチ共和国は西インド会社の支配地域を領土として独立したが、独立に際して全ての債権の無効を宣言した 最大の債権者であったアメリカはその補償としてキューバ全島を要求する最後通告を発し((Fabricate Claimをそれっぽく))、アメリカ・ハイチ戦争が勃発した http://art9.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593270.v1448021421.png アメリカ側にメキシコ、ハイチ側に英国が介入したが リチャード・サマセット将軍のハイチ首都ドミニカへの上陸によって決着がつき ハイチのキューバとイスパニョーラ島西部のアメリカへの割譲で講和した 議会派が勝利した英国はこの講和においてアメリカの独立を承認する http://art9.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593404.v1448021421.png 独立を達成し宗主国の庇護をうしなったアメリカ社会は変化を余儀なくされた((National IdeaがColonial Nation汎用のものからUSA独自のものに変わる)) http://art9.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593525.v1448021422.png 経済重視・金権主義的な価値観は西に広がる大地への開拓精神に置き換えられ 民兵のみの植民地軍から新たに徴兵制に基づく常備軍が設置された((Economic/Plutocratic Ideaを切ってExploration/Quantityに変えた)) http://art1.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593522.v1448021422.png このような社会変革はアメリカ哲学協会によって思想面で支えられた((Unamiを所持・英国と平和状態でMTTH200m、American Dreamイベント)) http://art1.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593518.v1448021422.png トルデシリャス条約の補完として、英国の下を離れたアメリカとスペインに対して 教皇が五大湖・ミシシッピ川上流におけるスペインの優越権を認めると ジョセフ・バッフィンはこの裁決を不当として、プロテスタントに改宗した。((アメリカNIは異端・異教への寛容度がマイナスの際に発生するペナルティを無効化するため国教を変更しやすい)) http://art9.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593431.v1448021422.png 独立したばかりのアメリカには産業が整っておらず、 海運業も北のスペイン系カナダ人・英国人に押されて 政府の歳入は人頭税による収入が半分近く占めていた http://art9.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593422.v1448021421.png 人頭税を払えない人々は免除される開拓地に移住していった 彼らは主にミシシッピ川・五大湖沿いやメキシコとの国境地域に居を構えた((植民者は拡張・探検アイデア、アメリカNI、量・拡張のポリシーで最大5人、また探検・拡張ポリシーとプロテスタントのChurch powerで植民地ボーナスを得た)) http://art1.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593418.v1448021421.png *明白なる天命 [#ea3f30ae] 1609年の執政官選挙でバッフィンに代わり、商人閥のヒュー・ベッドフォードが選ばれた 外交面でフランスとの同盟の締結に成功し、安定した長期政権(1609~1637)を維持する http://art1.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593261.v1448021421.png スペイン領カナダとの境界紛争も平和裏に国境が決定され、スペインの内陸進出の排除に成功した((自国で入植するより他国が入植したのを奪う方が早いというモットーだったのだが……)) http://art9.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593410.v1448021421.png 一方ハイチは海運業に成功し、アフリカ大陸の象牙海岸に進出して奴隷貿易を展開していた http://art9.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593252.v1448021421.png ブラジルに植民地を持つポルトガルはハイチの海上ネットワークと同盟しており、しばしばアメリカと互いに船の拿捕を行った 大西洋におけるこの影響力を敵視するアメリカはハイチに再び宣戦布告、 アメリカはイスパニョーラ島とドミニカを占領するも 逆にハイチはマイアミやグアドルーペに上陸、ポルトガルもアメリカ首都リッチモンド((Province名James River))に上陸する http://art17.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593245.v1448021421.png しかし海上ではアメリカ海軍が圧倒的で補給を失った上陸軍は降伏 ハイチはリーワード諸島を残しカリブ海領土すべての割譲で講和した http://art17.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593239.v1448021421.png 艦隊を失ったハイチは、その後アフリカ植民地をティンブクトゥに併合されてしまった ハイチの没落をみた英国はアメリカとの関係改善を模索、 英王室の遠戚シドニー・タルボット(1637~1641)が執政官になると米英同盟を成立させた http://art17.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593232.v1448021421.png 北米大陸では開拓民が原住民と度々問題を起こし((境界が接したらConquest CB、アメリカNIを解放し終えたら原住民国家に対する特別CBで宣戦。探検アイデアのコンプリートボーナスと被るので探検アイデアは6つ止め))その度に軍隊で原住民国家を征服したが、 原住民からの略奪((いわゆる原住民貯金箱、北米原住民国家から徴収し終えたら南米国家にも遠征した))で国庫は潤った http://art9.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593226.v1448021421.png ハイチと原住民国家の併合は1650年までに完了し、アメリカ領土はついに大陸を横断する これに際して議会は「大共和国」の成立を宣言した((総合Developmentが1000を越えた)) http://art1.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593280.v1448021421.png メキシコは中米に植民地を広げ、 英国はコスタリカでカリブ海から太平洋へ渡りカリフォルニアに植民地を形成した 南米ではフランスがインカ帝国を征服し、ホラントがラプラタに、スペインがチリに植民地を築いた この頃、ポルトガル領ブラジルは本国やアフリカ植民地との地理的近さから入植者も多く南米最大の植民地に成長した http://art1.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593275.v1448021421.png 海軍出身の執政官マシュー・ブロック(1641~53)の強い意向を反映し、アメリカは太平洋に進出、ハワイ・グアム・マニラに拠点を築き中国との交易を試みる http://art17.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593221.v1448021421.png しかし中国大陸は分裂状態でしばしばアメリカ商人が襲われ、これといった利益を出せずに失敗した((一応広州・成都ノードからフィリピン→アメリカ大陸にTransferできるのだがあまり旨味はなかった)) http://art17.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593219.v1448021420.png *共和政の終焉 [#md36f5ba] 広大な領域国家に変貌したアメリカは1650年代にはハプスブルク君主国を抜いて世界一の経済空間と化した http://art1.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593215.v1448021420.png 農業閥の執政官ウィンストン・ムーア(1653~1656)、ダニエル・デーヴィス(1656~1660)は長年のデフレ政策((EU4は普通にプレーしていたら収支が大幅な+になるよね))を転換する http://art9.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593208.v1448021420.png 原住民からの略奪を担保として農地改革と交通網の整備、 アフリカ奴隷の導入によるプランテーション経営の拡大が行われた((限界借入額60800d-工場完成までの収支-80d*60m=56000dで約140近くの工場を建てた))が、 超広域の全国的な改革は官僚たちの腐敗によって天文学的財政赤字を生み出した http://art1.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593204.v1448021420.png 1660年、ダニエル・デーヴィスは破産を宣言、社会不安に伴い((安定度-3,National Unrest+3がかかる。破産と同時に全ての君主点を没収されるため事前に安定度を+2~3にしたほうが良い。反乱はアメリカNIが完全に抑えてくれたが、士気-100%のペナルティで鎮圧が難しいので注意))戒厳令を発して自ら終身独裁官に就いた((破産によって共和国伝統が0になる)) しかしその年8月に議場で暗殺される http://art17.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593199.v1448021420.png アメリカ議会はグレートブリテン王室であるタルボット家からアメリカ皇帝を推戴することで 事態の収拾にあたった((共和国伝統が25未満の状態で独裁官が死亡すると王制に移行する)) 彼の名は皮肉にもジョージ(4/2/5)といった((更に言えば当時英国の方もジョージ2世)) http://art1.photozou.jp/pub/150/3110150/photo/230593195.v1448021420.png **[[3章 好感情の時代>AAR/星条旗よ永遠なれ/3章 好感情の時代]]につづく [#jed860d1] TIME:"2017-03-21 (火) 23:53:56"