[[AAR/我々は世界の海を永遠に支配し続ける]] |CENTER:&ref(kirin.jpg);| |鄭和の南洋航海は、多くのものをMingにもたらした。| かつて中国は南洋の海を支配していた。 ときがたち、中国は海を捨て陸にあがった。 官僚たちは航海者の地図を燃やし、宝船を焼き、外国から目をそらした。 *内的爛熟 [#td41790f] v1.06の明をおおきく特徴づけているのは、「内的爛熟」の特徴だろう。 |CENTER:&ref(1.jpg);| |中国。この中世の王国は巨大で、肥沃で、自足している。| 内的爛熟はこのようにべらぼうなペナルティを中国に課している。 この特徴があるために、中国は膨大なプロヴィンスをもっているにもかかわらず、収入にブレーキがかかり、軍隊は弱く、外交関係は孤立的で、国内は混乱している。これらのペナルティは派閥によって一部が解除される仕組みになっていて、たとえば官僚閥なら建設コストや安定度コストが通常に戻り、寺院閥なら陸軍の能力全般が通常に戻り、宦官閥なら交易効率や技術コストが通常に戻るといった具合である。 ところで、初期の中国は官僚閥が支配している。 官僚閥は内政に有利だが、鄭和艦隊を敵視しており、彼の海図を焼き払い、宝船を抑留している。これではいけない。私たちは世界の海を支配し続けなければならない。それも永遠に。というわけでゲーム開始から数年後におこる鄭和以後の中国の対外戦略というイベントで宦官閥を支配派閥にする選択肢を選ぼう(三つの選択肢があり、それぞれ官僚閥、寺院閥、宦官閥のどれかを支配派閥にできる)。 |CENTER:&ref(2.jpg);| |いまや中国では宦官閥が復古している。| 宦官閥のもとでは商人の活動が活発になり、顧問が活躍し、外交と技術が発展するだろう。 *十五世紀の東アジア情勢 [#p26cd8ef] 中国の初期の視界は、東アジアだけに限定されず、インド洋、とくにアラビア海からメッカ、マリンディ、モンパサあたりのアラビア半島や東アフリカ周辺にまで拡大している。これは明らかに十五世紀前半に行われた三宝太鑑鄭和の業績を反映しているのだ。 |CENTER:&ref(3.jpg);| |鄭和の遺産。| ちょっと画像が小さくてわかりにくいが、このスクリーンショットから十五世紀中葉の東アジア情勢を概観してみよう。まずでんと構えるわれらが中国(明)。東に目を転じれば、戦国時代に突入しようかという日本。将軍と大名家によって分割支配されている。そこから日本海をはさんで、儒教圏に中国、満州、朝鮮がある。北西に目をやればオイラート先輩がこっちを見ている。彼らはエセン・ハンに支配され、史実では土木の変で私たちの皇帝を捕虜にしたことで有名だ。 |CENTER:&ref(4.jpg);| |エセン・ハン。軍事力5は立派。| 東南アジアには大越、ランサン、シャン、アユタヤがいる。マラッカとブルネイはマラッカ国家精神グループに属していて、これが7に達すると植民者を得るから要注意だ。チベットは専制君主によって統一されており(のち神政に移行)、インドは群雄割拠。この世界ではだれがインドを統一するのか、まだわからない。 *Kehshuan Xu [#ha312da6] 中国の官僚選抜制度は言わずと知れた科挙制度だ。 その科挙に三十歳の若さで合格した才能ある宦官がいた。Kehshuan Xuである。 彼はそのまま宮廷に招かれ、のちに宰相となる。ゲーム的には彼はレベル2の哲学者であり、国家の威信にブーストをかける能力を有していた。明は当時国家の威信をあげるミッションを選択しており、彼の存在は貴重だった。折しも国家的時代(ナショナルエピック)のイベントが重なり、早晩、威信をあげるミッションは達成されることになる。 |CENTER:&ref(5.jpg);| |宰相として見いだされるKehshuan Xuさん。| またこの宰相は新儒教の排斥と旧儒教の促進を中国の国是とさせ、年間正統性ボーナスを得ている。中国は陶磁器の生産地でもあり、この時期、宦官閥の効果で外交枠が4確保されたこともあって、婚姻外交をすすめ、高い国家威信とも相俟って、年間正統性ボーナスはかなりのものとなっている(年間で約2の上昇)。 |CENTER:&ref(6.jpg);| |当時の明の宮廷。無能な皇帝と有能な顧問団。| Kehshuan Xuのもとで中国は行政制度と外交制度の開発を推し進めた。当初行政レベルと外交レベルはともに2で、施設もたてれずスパイもおくれず植民距離もひどく短い状態だったが、この偉大な宰相が没するころには行政レベルは4に達し、外交レベルは3に、行政レベル4で解禁されるナショナルアイデアには探検アイデアが採用された。 |CENTER:&ref(7.jpg);| |クエストオブザニューワールド、新世界への探索。| これは明らかに鄭和の艦隊の復活であり、宝船艦隊の再興であった。1455年に三十歳で登用された宰相は1476年に五十一歳で死んだ。 TIME:"2016-12-25 (日) 07:28:33"