#author("2020-01-15T13:43:26+09:00;2014-04-29T23:38:27+09:00","","") #author("2020-08-11T07:23:30+00:00;2014-04-29T14:38:27+00:00","","") [[AAR/太平洋の主]] ***[[PREV 03.Reform to Malaya>AAR/太平洋の主/03.Reform to Malaya]] [#hb0b0203] *東南アジアの主 [#m87c6a92] 今回は特に山も谷もないです。今までもなかったけど。 **大植民時代 [#a18b3b87] Brunei改めMalayaは整った経済基盤を元に怒涛のスピードで植民を続けます。 3つの植民地の同時運営による10D近くの費用、更に属国の併合で増える陸軍維持費を差し引いてもなお月収10D近くが確保できています。 加えて、植民地が都市化するにつれて収入も増えていくため、なんというか、EU4ってこんなヌルゲーだっけ?と思ってしまいました。 唯一の悩みといえば外交官の数が足りず属国の併合が滞っていることでしょうか。贅沢な悩みです。 |CENTER:#ref(Brunei_052.jpg);| |CENTER:マイナスPietyボーナスが強い| この時期は特に平和でした。もはやMalayaに戦いを挑む国は無く、起こる戦闘も植民地で時折起こる原住民の反抗のみ。それも各植民地に配備された5000の兵にすぐに鎮圧されます。 1507年にはフィリピンにも植民開始。この辺りはTropicalではないので植民がサクサク進みます。 |CENTER:#ref(Brunei_051.jpg);| |CENTER:いざフィリピンへ!| そんな平和を謳歌していた1509年、Malaya初代スルタンが亡くなります。Malaya建国の立役者は大きな戦争を経験することもなく安らかに逝ったことでしょう。 後継者は未だ成人しておらず、5年ほどの摂政政治が行われます。 その5年間のうちにバッドイベントが多発し、借金を200D近く負ってしまう羽目に。摂政政治下で汚職でも蔓延してるのかな?と妄想したり。&size(6){まぁ1/2/0だしね……。}; |CENTER:#ref(Brunei_053.jpg);| |CENTER:一口一口がでかい| 1512年、インド近辺のイスラムスンニ派国のBengalと同盟を結びます。ゲーム初めて以来初の同盟です。 後継者成人後にLan Xangを攻める予定だったため、その同盟国であるShanを抑えてもらう目的でした。 1514年8月、後継者は無事成人し、予てから予定されていたLan Xangへの宣戦を行います。 Shanへの牽制のために結んだ同盟でしたが、ちょうどその頃Bengalは他国と戦争中でとても協力を頼めそうにもありませんでした。 まぁ、台帳によるとこの時点でのMalayaの陸軍は第2位で、Lan XangとShanを合わせても及びません。さらにMalayaは3つの属国を持ちます。 ひどいミスを犯しでもしない限り大丈夫でしょう。 |CENTER:#ref(Brunei_054.jpg);| |CENTER:次期後継者。暗愚が出てこない| 大規模な会戦が1回に、数回の追討戦を経てLan Xang軍は全滅。Shanは通行権が獲得できなかったようでこちらへ攻めてくることはありませんでした。 そうなればあとは消化試合です。軍を細かく分け占領に従事させます。 |CENTER:#ref(Brunei_055.jpg);| |CENTER:鎧袖一触とはこのことか| 1516年に終戦。Ayutthayaが所持しているコアの返還を軸に、Dai Vietへの領土返還、Shanとの同盟解消、50Dほどの賠償金で和平します。 さらに続けて1517年、Peguにも宣戦布告します。 Peguの外交関係はまっさらで、なんの問題もなく全土占領、属国化します。 今回の2度の戦争で、東南アジアにMalayaに敵う国家は存在しないことがわかりました。 こんなにヌルゲーでよいのだろうか……。 **Exploration 2nd!! [#k615c06c] 1520年にはTaiwanがMalaya領へ編入。これでMingと領土を接することになりました。 Spice、Teaのトレードリーダーになったりと、Malayaも大国然としてきました。 |CENTER:#ref(Brunei_050.jpg);| |CENTER:ヨーロッパ勢にやる香辛料はない| このころ、Majapahitが併合完了し、Champa、Ayutthayaの併合も開始します。 そのおかげで、そろそろ宗教統一度が60%を切りそうになっていました。 これはまずい、ということで今までマイナスPietyだったのをプラスにシフトして、まったく進んでいなかった改宗を進めます。 少し飛んで、1534年。フィリピンへの植民も終わり、そろそろ手頃な植民地がなくなってきたMalayaは、Berqueに優秀な航海士を載せ、新たな土地を求め大海原へと旅立たせます。 ジャワ島から出発したMalaya式コンキスタドール一号はひたすらに南へ船を進ませます。 すると、新たな大陸を発見。とても人が住めるような場所ではなかったものの、航海士はこれをオーストラリアと名付けます。 更に南、原住民も少なく植民に適した土地を見つけます。船はそこから舵を東へ。 |CENTER:#ref(Brunei_056.jpg);| |CENTER:ブラック企業も真っ青な使い捨て前提作戦 in 右下| 孤立無援の洋上で水夫たちを襲う壊血病や、日に日に深刻化していく食料不足にも耐えながら、ついにオーストラリア大陸を一回りすることに成功。 孤立無援の洋上で水兵たちを襲う壊血病や、日に日に深刻化していく食料不足にも耐えながら、ついにオーストラリア大陸を一回りすることに成功。 測量を終えた調査隊は7割の死者を出しながらもフローレス島へ帰還します。 |CENTER:#ref(Brunei_057.jpg);| |CENTER:上官「帰ってくるとは思わなかったよ」| 彼らが決死の覚悟で発見したオーストラリアへは、その8年後1543年に植民が開始されます。 そのころ当の航海士は新たな探検で帰らぬ人となっていたのですが、それはまた別の話。 MalayaのBerque1隻による帰還を考慮しない探検事業は1570年頃まで続けられ、のちのMalaya繁栄の礎となります。 |CENTER:#ref(Brunei_060.jpg);| |CENTER:無駄死にではないぞ| **日本への橋頭堡 [#sb0d498b] |CENTER:#ref(Brunei_058.jpg);| |CENTER:日本征服の第一歩| 航海士がオーストラリアの洋上で悲鳴をあげていた頃、MalayaはRyukyuと戦争をしていました。 MILレベルが7になり、大砲を作れるようになったので、その実地訓練と称された大砲部隊15000はRyukyu軍を粉砕。 1プロビの弱小国を属国化している余裕はなく、RyukyuはそのままMalayaの一部となります。 コア化には8年近くかかる計算に。植民を続けていると気づけば保有プロビンス数が膨れ上がっているものです。 Okinawaを手に入れた目的、それは日本に近い港を得るためでした。現在日本はHosokawa、Japan、Takedaによる三国志を繰り広げていました。 東南アジアの平定後は日本に手を出そうと考えていたMalayaは、すでに日本から独立しているHosokawaにOkinawaを取られないために、先手を打ってRyukyuを滅ぼしました。 といっても、CBの確保に苦心しており、実際に攻めるのはそうとう先になりそうです。 なにより、HosokawaはMingと同盟しており、Hosokawaへ戦争を仕掛けるそれ即ちMingとの全面戦争、となりかねません。 今はまだやっと国力が拮抗してきたというところ。まだ確実に勝てるとは言えません。 それでも、Mingとはいずれ雌雄を決する事にはなるでしょう。 |CENTER:#ref(Brunei_059.jpg);| |CENTER:日本版三国志。Takedaは蜀ポジションかな?| **東南アジアの主。 [#de1eb09c] AyutthayaとChampaの併合も完了し、もはや東南アジアに残った敵国はLan Xang、Lan Na、そしてShanのみになります。 そのころ、Lan XangがTibetあたりに殴られ、かつて併合したKhmerを独立させたのを見て、Malayaは即Khmerへ宣戦します。 やっと独立した建国2日目に大国に戦争をふっかけられる羽目になったKhmer人達の心情はかなりのものでしょう。 大砲満載部隊による占領作業によりわずか3ヶ月で終戦。Khmerは再びMalayaへ併合されます。 |CENTER:#ref(Brunei_061.jpg);| |CENTER:ヒャッハー!新しい国だぁ~!| 半年後の1544年6月、MalayaはLan Xangへ再び宣戦布告。第二次Malaya-Lan Xang戦争が始まります。 この戦争に30000の兵を動員したMalayaにLan Xangは歯が立たず、1年後の1545年6月に属国化で和平します。 1546年、ADMレベルが7になったMalayaは2つ目のアイデアにReligious、宗教アイデアを選択します。 更に同時期、DIPレベルが6になり、大使館の建造が可能になります。このために1000Dこつこつ貯めてきたMalayaは首都へ大使館を建造。 これで属国の管理がかなり楽になります。そう考えるとアイデアもDiplomaticのほうがよかったかしら。 1550年、Dai Vietへ宣戦。なんの他愛もなく1552年に属国化。 |CENTER:#ref(Brunei_062.jpg);| |CENTER:ひとつ!| 1555年、Lan Xangの併合を開始したと同時にLan Naと開戦。こちらも数年で終戦。属国化。 |CENTER:#ref(Brunei_063.jpg);| |CENTER:ふたつ!| なんだかものすごく端折ってるように感じるかもしれませんが本当にもう数倍の戦力で踏み潰すだけなんですよね。 なんにしろ、これでほとんどの東南アジア国がMalayaに降りました。 |CENTER:#ref(Brunei_065.jpg);| |CENTER:広大なMalaya勢力圏。旧日本軍を幻視する| そして、東南アジアを手中に収めたMalayaは、今のアジアの主といえるMingとの戦争の準備を始めます。 |CENTER:#ref(Brunei_064.jpg);| |CENTER:そして新世界へ| ***[[NEXT 05.馬明戦争>AAR/太平洋の主/05.馬明戦争]] [#wdd58ee8]