#author("2020-01-04T09:22:14+09:00;2014-04-28T02:17:54+09:00","","") #author("2020-01-26T16:48:42+09:00;2014-04-28T02:17:54+09:00","","") [[AAR/太平洋の主]] ***[[PREV 02.ハイエナ戦法>AAR/太平洋の主/02.ハイエナ戦法]] [#qc2a45ec] *Reform to Malaya [#x7885d76] Q,なんでタイトルがDecisionと同じForm MalayaじゃなくてReform to Malayaなの? A,筆者が間違えたからです。 それでは、第三回''Re''form ''to'' Malaya、始まります。 **Exploration!! [#c6b58346] 1474年、ADMレベルが4となったBruneniはようやく一つ目のアイデアを得ます。 選んだのはもちろんExplorationアイデア。 貯めておいた1200のDIP点を使って一気に3段階まで解放し、早速ジャワ島西部のプロビンスDemakへ植民を開始します。 |CENTER:#ref(Brunei_030.jpg);| |CENTER:DIPレベルは捨てました| Demakへ辿り着いた植民者たちを待ち受けていたのは、一面に広がる熱帯雨林。そして前触れもなく現れる原住民たちでした。 この地域のプロビンスはほぼ全てがTropical。その上、原住民の数も2000~7000と非常に多く、同数の兵を用意しても維持費を下げているとこちらが全滅しかねません。 収入を植民に割いたせいでまだ常に維持費をマックスにしておく余裕がなかったBruneiは、都市成立後のTaxを犠牲にするのを承知で原住民の掃討を行います。 |CENTER:#ref(Brunei_031.jpg);| |CENTER:お前たちに恨みは……あるわ。者共、やってしまえ!| 100点ほどのMIL点と引き換えにジャワ島西部プロビンスの好戦的な原住民は消滅し、植民はつつがなく継続されます。 そんなころ、Brunei初代スルタンが亡くなります。 Makassar、Malacca、Acehを征服し、更にタイ地方への道を拓くことで勢力圏を大幅に広げた初代スルタンは名君と呼ばれることでしょう。 新しい後継者は3/5/2となかなか。Bruneiには優秀な統治者が多いようです。 更にその一月後、Malaccaの併合が完了します。それによってBruneiは東南アジアにおいて最大の領土を持つことになりました。 そして、Acehの併合も開始。BruneiがMalayaとなる日も近いです。 |CENTER:#ref(Brunei_033.jpg);| |CENTER:植民中のヒトコマ。香辛料をよこせ香辛料を| **じゅんぷうまんぱ……あれ? [#i6cff4a3] 戦国時代の様相を見せる東南アジアをぼーっと眺めながら植民を続けていると、Mingから禁輸されたというポップアップが。 確認するとライバル指定されていました。 この世界のMingはさしたる大反乱もなく繁栄を続けており、今はまだ領土を接していませんが、Bruneiがこのまま大陸方面やTaiwanへ領土を広げた際、いざこざが起こるのは避けられないかもしれません。 ひえぇ、Ming怖い。 |CENTER:#ref(Brunei_034.jpg);| |CENTER:Mingとは別に、気づかぬうちにPeguに包囲網作られてました| 気を取り直し、Bruneiは今まで放置してきたMajapahitへ手を付けます。 と言うのも、MajapahitはBruneiの南、Java Seaを挟んだ向こう側に位置していますが、海を挟んで接している領土はMahapahitの首都であり、領有権の捏造ができません。 |CENTER:#ref(Brunei_029.jpg);| |CENTER:なぜそこが首都なのか(無茶ぶり)| こちらが禁輸でもされていればCBも手に入ったのですが、MajapahitはBruneiが自らを超える海軍力、陸軍力を持つのを確認するとすぐに禁輸を解除してしまいました。 AIながらうまいと思わざるを得ないタイミングに少し感心し、マラッカノードでぶん取られる交易収入を見てやきもきしながらも、どうしようもないので無視してきたのです。 初手植民地にDemakを選んだのは、Majapahitと接しているからです。たとえ植民中でも領土が接していれば領有権の捏造ができます。 さぁ、今までの(一方的な)恨み、晴らさせて貰おうか! BruneiはDemakに20000の兵を上陸させると、1478年6月にMajapahitへ宣戦布告します。 Majapahitはその半分の兵しか持たないにもかかわらず、戦力の分散という愚を犯し一方的に敗走しました。 その二年後、1480年には全土の占領が完了します。 |CENTER:#ref(Brunei_032.jpg);| |CENTER:圧倒的ではないか、我が軍は!| さぁ属国化するかと和平画面を開いたところ、たった4プロビにも関わらず必要戦勝点が100点を越えており、1領割譲とトレードパワーの譲渡、約100Dの賠償金で和平します。 Majapahitとはその10年後、1487年に再戦し、今度は無事属国化することに成功します。 これで実質マラッカノードの独占が実現しました。 |CENTER:#ref(Brunei_035.jpg);| |CENTER:流入が多く豊かなマラッカノード。月9Dはうまい| **第三次対Ayutthaya戦争 [#h3fd1965] 同じく、1487年の暮れにAcehの併合が完了します。 Acehは10隻ものBerqueと2隻のEarly Carrackを持ち、それがそのままBrunei海軍に編入されます。 結果BruneiはBarque25隻、Early Carrack7隻の大艦隊を得ます。(Cogは12隻) 植民も順調に進み、収入の増加で2つの植民を並進できるようになります。 1487年3月にはBrunei初の植民地であるDemakが都市化しBrunei領に編入され、SundaとPriagnganにも植民者を派遣。 残るMalaya建国に必要な空白地は残り一つになりました。 Khmerの併合も開始し、それが完了するタイミングでAyutthayaが属国化できるように領有権の捏造も進めます。 この時期はTempleの大量建造やマラッカノードの独占が実を結び陸軍の維持費を最大にしても毎月6Dほどの収入を確保できており、Ayutthayaに引導を渡すのに少しの不安要素はありつつも不足はありませんでした。 しかし、いざ開戦しようとした時二代目スルタンが亡くなります。 幸いにも後継者は成人しており、Regencyになることは避けられましたが、セーブアンドロードのできないアイアンマンモードでは心臓に悪いです。 1493年3月、Ayutthaya同盟国であるShanがBengalと戦争中なのを好機と見たBruneiは、Ayutthayaへ引導を渡すため三度目の宣戦をします。 目論見通りShanは参戦を断り、Ayutthayaはもう一つの同盟国であったChampaと破滅への戦争へ向かいます。 |CENTER:#ref(Brunei_036.jpg);| |CENTER:状況開始!| 致命的な差ではないものの、BruneiはMILレベルを先行しており、更に致命的な差としてAyutthayaの数倍の戦力が流れ込みます。 数度の会戦でAyutthaya軍は壊滅。1493年の12月には戦争の大勢は決まります。 |CENTER:#ref(Brunei_037.jpg);| |CENTER:Majapahit観戦武官はこれは虐殺だと呟いたそうです| この戦争中にKhmerの併合が完了。 そして、1496年の3月に終戦。Ayutthaya、Champaの両国はBruneiの属国となります。 |CENTER:#ref(Brunei_039.jpg);| タイ地方はほぼBruneiの庭となりました。残るはLan NaにLan XangそしてPegu。これらの国がBruneiに降るのも遠い未来のことではないでしょう。たぶん。 |CENTER:#ref(Brunei_040.jpg);| |CENTER:Bruneiはこんなに大きくなりました| **Reform to Malaya [#l5e739e8] 1497年、わずか5年の在位で3代目スルタンが崩御。次期スルタンは4/2/2とそこそこ優秀ではあるものの正当性が低く、一気に20まで低下してしまいました。 周囲に同じスンニ派国家が少ないBruneiは婚姻関係を増やして正当性を回復させることが難しいです。一番近い国でもインドに近いBengalくらいです。 1497年、わずか5年の在位で3代目スルタンが崩御。次期スルタンは4/2/2とそこそこ優秀ではあるものの正統性が低く、一気に20まで低下してしまいました。 周囲に同じスンニ派国家が少ないBruneiは婚姻関係を増やして正統性を回復させることが難しいです。一番近い国でもインドに近いBengalくらいです。 そしてなにより、安定度低下が痛い。Khmerを併合したことで異教プロビンスを大量に抱え込んだBruneiは、安定度を-1から0に上げるだけでも120程度のADM点を必要とします。 それでもマイナスのままは怖いので0まで上げておきます。ああもったいない。 その後すぐ後継者が誕生。1/5/2と特化型ではありますが優秀といえるでしょう。Bruneiすげぇ。 |CENTER:#ref(Brunei_041.jpg);| そして1499年1月22日、ついにBruneiはジャワ島西部の4プロビンスの所有、すなわちMalayaへの変体条件を満たします。 (テストプレイしたのにも関わらず植民中でも変体できることに気づかなかったのは内緒) 震える手を抑えながら、いざForm Malaya! 特にファンファーレが鳴るわけでもなく、領土が紫色、国旗が赤白黒黄の4色に。 毎度思いますが変体する際はポップアップの一つでも出してくれるといいと思います。 なんだか嬉しさが中途半端ではありますが、ようやくこれで第一目標であるMalayaへの変体が完了しました。 |CENTER:#ref(Brunei_042.jpg);| |CENTER:スラウェシ島にも植民を開始しています。| 15世紀中に変体できたのは僥倖でした。当初の予定ではもう30年ほどかかる予定でしたので。 次回はBrunei改め、Malayaの東南アジア蹂躙(予定)をお楽しみください。 1500年時点での世界地図を載せておきます。 個人的にマップセーブは勢力圏がわかってしまうためあまり使用したくありません。 なので100年の節目ごとに掲載していきたいと思います。 |CENTER:#ref(Brunei_0043.png);| |CENTER:日本の覇者はHosokawaかTakedaか。Koreaも健闘しております| ***[[NEXT 04.東南アジアの主>AAR/太平洋の主/04.東南アジアの主]] [#n0961b13] **以下コメント返し [#c2d28719] -'''おっこれは期待 -- 2014-04-25 (金) 22:05:28''' -'''戦争時とか余力のない時に反乱起こすことが多いからharsh treatmentに軍事点つぎ込むのは結構やるよね。初東南アジアAAR続き楽しみにしてます。 -- 2014-04-26 (土) 00:53:12''' ありがとうございます!タイトル投稿からわずか数分、数時間でコメントが付くとは思っておらず歓喜に震えました。 拙いとは思いますが完結目指して頑張りたいと思います。 -'''ブルネイは植民が悠遊出来るので相当強い。 -- 2014-04-26 (土) 00:31:35''' そうですね。筆者も何度かテストプレイしましたがそれはよく感じました。正直植民だけに傾注すれば太平洋を我が物にするのはそう難しいことではないと思います。 なので、プレイが進むにしたがって目標を追加するかもしれません。 -'''アユタヤが没落するのはよく見る気がするんだけど、史実通りなん? -- 2014-04-26 (土) 03:17:21''' Wikipedia見ただけで恐縮ですが軽く調べてみたところ、どうやら史実では14世紀ごろが最盛を誇っていたようですね。 スコータイ王朝との同君連合、アンコール=クメール王朝の属国化など。マラッカが敵だったのは史実も変わらずのようです。 これからもコメントはなるべく返していきたいと思います。 なにか間違っていることを言っていたり、ここはこうしたほうが良かったんじゃ?などありましたらコメントしてくださると嬉しいです。 #br #br 以下チラシの裏 &size(6){ちなみに[[AAR/ハートマン軍曹白熱教室]]さんの方で}; &size(6){'''AAR講座を見てAAR書いてみようと思いました。ありがとうございます -- 2014-04-25 (金) 21:51:33'''}; &size(6){とコメントさせていただいた生徒は私であります。}; &size(6){いろいろとお世話になったにも関わらず一話、そして今話の方で階層化を忘れるなど失態を犯してお恥ずかしい限りです。}; &size(6){これからも応援しております。};