#author("2020-03-28T05:36:51+00:00","","")
#author("2020-03-29T01:39:54+00:00","","")
[[AAR/六芒星の誤]]

*AAR/六芒星の誤/3(1535~1578)Ottomans 栄枯盛衰 [#gfab52c3]

ある意味ハイライトと呼べる部分なので、今回は詳しく

**親はいずれ老いるもの(1535~1557) [#a81174b5]

***認めたくないものだな、老いゆえの過ちというものは [#w64b013e]

1536/?? Medri_Bahriに宣戦布告。敵同盟はMakuriaとKaffa

&ref(./008.jpg,50%);

GC開始時はEthiopia領だったユダヤの州(SEMIEN州はコプトに改宗されていたので残り1州)をMedri_Bahriが獲得していた
Najd化前にユダヤの種地(赤矢印のDEMBIYA州)を確保しておこうと思い開戦した

1536/07 (6.1.1)の君主崩御。(4.4.3)の新君主即位
1537/12 Makuria個別講和(外交関係破棄+金銭)
	属国の独立欲求を下げるために少しでも威信を稼ぎたかった

&ref(./009.jpg,50%);

1538/?? 別口で戦争していたYemenが接点にあたる州を取ってしまった
1538/07 Kaffa個別講和(外交関係破棄+金銭)
1538/11 終戦。仕方なくMedri_Bahriを属国化
	ここでの計算違いが後々まで大きく響き、Medri_Bahriを併合できたのは120年後Mughals体制下でのことだった
	当然狂信者反乱の蜂起も遅れ、投了の判断に直結した

1539/03 Mamluksに攻め込まれ、孤立していたEthiopiaに宣戦布告

&ref(./010.jpg,50%);
	そもそもEthiopiaがちゃんとDEMBIYAを保持していれば、こんなことにはならなかったんや~(泣)

1540/12 Mamluksに宣戦布告。敵同盟はDawasirとFunj
1541/10 Dawasir個別講和(外交関係破棄+金銭)、Funj個別講和(Medri_Bahriに5州)

&ref(./011.jpg,50%);
	獲得した新州のうち下2つはMedri_Bahriに、残りはステートコアに昇格後Najdに下賜した
	この判断もよくなかった。赤斜線の隣接州を1つ残しておくべきだった


***コアの種類と消失について [#r71d4c16]

詳しくは[[コア>データ/コア#kffa4084]]のページに記載されているが、ある国が州を失ったとき
その州がステートコアであれば一定期間コアは残るが''テリトリーコアは即座に消滅''する

これは講和時の割譲や分離独立派の反乱成功などに加えて、外交併合による国の消滅にも当てはまる

&ref(./012.jpg,70%);
	Najd併合後にコアが消滅している様子。他にも複数の州が同様だった。
	やむを得ずArdalanを属国作成し、周辺の州も押し付けた

今回の戦略のように属国を外交併合→属国作成でプレイ国交代したい場合、
併合時点でステートコアでない州は属国作成の際に宗主国(今回はOttomans)領として残ってしまう
	そうなると自国(交代した国:今回はNajd)の領土・国力が小さくなり、独立戦争でも苦労する

獲得した州を直後に属国に下賜(或いは和平交渉で直接属国に割譲)した場合、
基本的に属国が作成するのはテリトリーコアである。
	その後で属国が自発的に該当エリアをステートに設定し、州をステートコアに昇格してくれれば問題ないが
	今回のように属国が巨大化してしまうとステート数の上限に達している可能性が高い

これを避けるためには、領土獲得後にまずOttomansがコア化(テリトリーコア)を完了し
''ステートコアに昇格させてから属国Najdに下賜する''必要があった
	こうすることでNajd視点では"テリトリーに属するステートコア"となり、外交併合後もコアが残る

なるべく上記のことに気を付けてはいたが、和平交渉で直接属国(Najd)に割譲させるしかない場合もある
即ちOttomansでは[[コア化>データ/コア#v05e021d]]のための条件を満たせない州を割譲させるときである

代表的な例が先ほどMamluks戦の講和画面で赤斜線を引いた部分であり、隣接州を全てNajdに下賜してしまった結果
自国コアと地続きでない別大陸となってしまったため、Mamluksとの次戦講和時(1559年)にNajdに割譲させるしかなかった


***子供の成長は早いものですねえ [#oc3f15d5]

&ref(./013.jpg,50%);

己の立場を弁えないGranadaとは開戦後に同盟を破棄した
	予定外の属国の増加により外交枠を超過していたので、Castile戦で使い潰したら破棄する予定だった
	なんなら開戦後しばらく放置して、個別講和でCastileに滅ぼされれば後々楽になるとすら思っていた

1544/03 Aragon個別講和(同盟破棄+コア放棄+金銭)

&ref(./014.jpg,50%);
	包囲網が広がってきた


&ref(./015.jpg,75%);
	あの小さかったNajdちゃんが立派になって…

いつの間にか属国の方が大きくなっていた。Devポチ、借金肩代わり等で独り立ちを宥めている

1546/02 後でKOSTANTINIYYE州(Dev40)をNajdに下賜するために、首都をSELANIK(Dev14)に移転

1546/02 ミッション4-4"Build_Manufactories"達成。獲得した1357ducatsのボーナスはNajd領内の新工場建設に回した
	これも達成のタイミングを外してしまっている。条件はもっと早く満たしていたはずなので
	直轄領が減る前の国家収入が高かった時期にクリックしていれば、ボーナスもずっと大きかったと思う


&ref(./016.jpg,50%);

包囲網解除戦。ワンプロビ国家に落ちぶれていたHormuzのみ2年後に個別講和(NajdにAWAL州を割譲して滅亡)

1548/02 終戦(敗北)。いずれ売り払う予定だったギリシャ圏の属国解放×3で勘弁してもらった。
-Bulugaria(SOFYA以東はトルコ文化に転向してあった為USKUP州のみ)
-Epirus(YANYA州)
-Morea(BALLIBADRA州)

1550/01 MUNCHENで"Printing_Press"発生
1554/01 影響アイデア完了。ポリシー"Vassal_Integration_Act"が利用可能に(まだ採択はしない)

&ref(./017.jpg,50%);

Najdになった後スムーズにMughals化できるように、Sindh領が欲しかったため共戦国に指定(Sindhの同盟Kazakhも参戦)
1556/06にOman、1556/11にKazakh、1556/12にAjamとそれぞれ個別講和(いずれも同盟破棄+金銭)

&ref(./018.jpg,50%);
	コア化できないことを忘れていた。勿体無い精神が発動してNajdに割譲させたが、テリトリーコアなので併合後にコア消失していた

&ref(./019.jpg,50%);
	首都なので割譲扱いになり緑に光っているが、見ての通り不当な請求には該当していない(Timuridsコアのある州なため)

1557年の状況

&ref(./020.jpg,50%);

同盟 France
属国 Najd Timurids Hejaz Portugal Medri_Bahri

&ref(./021.jpg,70%);
	次男(Timurids)も親より大きくなった。今回の世界線ではOttomansがおかしな挙動(東欧放置でイベリア勢妨害)をした結果、
	Commonwealthが絶好調でMuscovyはRussiaに変態できておらず、一方で新大陸はEnglandの天下になっている。
	アジアに目を向けるとMingが健在でインドは寡占が進みつつあり、Malaccaが地域大国として高収入を誇っている
	
&ref(./022.jpg,50%);
	首都移転後しばらくしてから収支が赤字になり始めた。直轄領の減少にも拘らず陸軍部隊を解雇しなかった(独立欲求対策)ので仕方ないと思っていたが、
	首都を移転した際に交易首都(SELANIKはRagusaノード)も移ってしまったため、コンスタンティノープルでの徴収が減少して交易収入が低下していた
	投了後にSSを確認している時に気付いた。相変わらずのドジっぷりである




**親の屍を越えてゆけ(1557~1578) [#r68aaefe]

***老骨に鞭打ちの刑 [#k2fe2352]

1557/07 Mamluksに宣戦布告。敵同盟はDawasir、Funj、Shewa(Yemen裏切り)
1557/09 Dawasir個別講和(外交関係破棄+金銭)
1558/11 Shewa個別講和(Medri_Bahriに1州割譲+同盟破棄+金銭)
1559/01 Funj個別講和(Medri_Bahriに1州割譲で滅亡)

&ref(./023.jpg,50%);
	エジプト南西はNajdに割譲→併合後にコア消失(泣)

&ref(./024.jpg,50%);
	AfghanistanとLadakhも参戦した

1562/08 終戦。割譲:Transoxiana_5 Afghanistan_4、完全併合:Baluchistan_6 Fars_1 Ladakh_1 Khorasan_6

1564/06 Granadaに宣戦布告。敵同盟はTetouan(Tunis裏切り)
1565/10 終戦。割譲:Granada_5、完全併合:Tetouan_1
	Granadaは象牙海岸のBENGUELAに植民していたらしく、Ottomansの植民距離が届かなかったため滅亡を免れた

&ref(./025.jpg,50%);
	Franceなんか嫌いだ、Englandに滅ぼされてしまえ~

&ref(./026.jpg,50%);
	DawasirとShammerはNajdの主要文化であるBedouin文化なので、国家解放してもNajdのコアは残った
	周囲からはOttomansが凌遅刑の最中に見えるだろうが、笞刑による地形の変化も智計のうち


1568/07 KOSTANTINIYYE州をNajdに下賜。独立欲求が20%減少した
1569/12 Medri_Bahriでユダヤの狂信者反乱(8k部隊)発生。[[前回>AAR/六芒星の光/0(2020~2020)夢中の幼犬 方針#vffbb5eb]]は失敗したが、自国の国教でなければ問題なく蜂起するらしい。当たり前か

***灯滅せんとして光を増す [#sf2a596c]

"鼬の最後っ屁ぺ"ともいう

&ref(./027.jpg,75%);
	遂に3男(Portugal)にも抜かれてしまった。Top15から陥落した結果、下にスクロールしないとOttomansを表示できなくなり、MingやEnglandが見切れている

&ref(./028.jpg,50%);

現在のNajdのDev合計が1058で必要な外交点が4352点。首都(Dev16)を除いたOttomansのDev合計は257-16=241
その内40程はイベリア・ギリシャ・西アフリカなどNajdに与える予定のない州なので、それらを除いて
Najdに下賜するとNajdのDevは1058+(241-40)=1259となる。ポリシーで20%割り引けるので、最終的な外交併合コストは

4352×(1259/1058)×0.80=4143.0…(点)

なので残りは4143-3733=410(点)
毎月の併合ペースが7点のままならば、5年間で7×12×5=420(点)

計算通りに運べば約5年後に併合完了→属国作成でNajdに交代できる


&ref(./029.jpg);

という訳で借金を連打、その殆どをNajd領の工場建設(5年後完成)に費やした



&ref(./030.jpg,50%);

気付かない間に宗教戦争が終わっていた。プロテスタントが勝利したらしい
No_CBだがNajdになってしまえばOttomansの集めたAEは関係なくなる

&ref(./031.jpg,50%);

今回も無事にブラック企業は解散できたので、同日終戦(金銭のみ)。
今回も無事に[[ブラック企業>AAR/六芒星の光/4(1535~1574)裏切の痩犬 皇帝に噛みつく#m3cbfa1a]]は解散できたので、同日終戦(金銭のみ)。
最後に一花咲かすことができた



&ref(./032.jpg,50%);

併合完了まで残り1年が近づいたため借金を重ね、1年で完成する建造物に投資した

1577/01 VeniceにATINA州を300ducatsで売却
1577/10 各階級に最後の奉公(君主点献上)を命じ、技術を先行取得
	属国作成すると技術は宗主国と同じレベルになる

1577/12 建築完了、VeniceにTIRHALA州を180ducatsで売却

&ref(./033.jpg,50%);

1578/01 ポリシー採択。右端の外交併合進捗が100%に近づくまで領土を下賜

&ref(./034.jpg,50%);

翌月Najd外交併合完了。Najdコアが消失してしまった州(+Najdに下賜しなかったイベリア等の州)は

-他の属国に下賜(旧Mamluks領→Hejaz、旧Sindh領→Timurids、イベリア→Portugal)
-外国に売却(コーカサス山脈南嶺など)
-新たに属国作成(前述のArdalan)

などで処分した。残った君主点はDevポチで使い切り、国庫に残っていた資金でTimurids等の借金を肩代わりした
その後全属国の[[軍役代納金>データ/Subject Nation#e19357d6]]を有効化&全ユニット解雇(独立戦争を楽にするため)

そして…

***生まれた時から世界最大 [#f79699e2]

&ref(./035.jpg,50%);

大きすぎる赤ん坊が誕生

-君主は(4.6.4)の21歳
-王朝はNabhani(12世紀~17世紀のOmanの王朝らしい)
-何故か君主制で政府改革は第1段階すら選択されていない(代わりに進捗度が1000程貯まっていたので下画像のように改革)
-アイデアは宗教・防御・統治が完了しており、第4アイデアの攻撃は②まで取得済みだった
	5年前の台帳では取得済みアイデアの合計は9しかなかったので、属国作成された瞬間に自動で取得したのだと思う
	後程攻撃アイデアを破棄して交易アイデアを取得したが、ただでさえ技術レベルはOttomansと同じで(15.13.15)と外交が遅れており
	独立戦後に5属国をOttomansから引き継いだこともあって、長い間外交点不足に悩まされた

&ref(./036.jpg,70%);
[[前回>AAR/六芒星の光/4(1535~1574)裏切の痩犬 皇帝に噛みつく#id4badfb]]と違い、本当に腰掛け政体
[[イクター制の課税政策>データ/政体固有のシステム#z3e09533]]を選ぶのは属国を手に入れるまで待つことにした
	考えるまでもなく独立欲求は凄まじく、"寛大な課税"を選んだため待つ必要などなかった

クルド文化の州を含むエリアをステートに昇格→階級に与えて各君主点を200点回収

&ref(./037.jpg,50%);

邪魔が入らないうちにOttomansに宣戦布告(Ottomansがユニットを作成する前に占領するため、隣接州で傭兵を生産中)
	後から思えばどこでも良いので独立支援を頼んでおけば良かった。Ottomansの間にヘイトを貯めておいたので、候補は多かったと思う
	Ottomans戦はNajdのみで問題ないが、同盟が居ればその後の(宗主国Najdに対する)独立戦争を遅らせることができたかもしれない

一気に国家不穏度が&color(red){+15};されたので(安定度+1→-3で&color(red){+7};、War_Exhautionで&color(red){+8};)、
回収したばかりの統治点・外交点を消費せざるを得なかった

&ref(./038.jpg,50%);

翌月君主の性格が"Cruel"(国家不穏度&color(red){+2};)になって追い打ちされた
有能君主で喜んでいたところに冷や水をかけられた気分だった



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[[AAR/六芒星の誤/4(1578~1611)Najd 而立雖モ多惑]]

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