#author("2020-02-28T17:52:20+09:00","","") #author("2020-02-28T20:44:03+09:00","","") [[AAR/六芒星の光]] *AAR/六芒星の光/5(1574~1616)瀕死の病犬 北欧でのたうち回る [#q039018b] **アフリカへの道 [#j12d1cee] ***Ethiopia戦 [#iac9fd43] 1550年頃から"そろそろユダヤの種地を確保しておきたい"と思っていたが 通り道にあたるHormuzがMamluksと同盟していたこともあり、なかなか攻める口実(CB)を作れなかった "Bohemiaに続きNo_CBで攻めるしかないか"と考えていたところ +EthiopiaがYemenと戦争し、JAZAN州(下画像の黒矢印)を獲得+Najran解放 +Yemen領BISHAH州でMikhalfの分離独立反乱発生 +Yemen軍はBISHAH州に到達できず(或いは鎮圧に失敗して)Mikhalf独立成功 +Ethiopia領のJAZAN州にMikhalfのコアが残っている +急ぎMikhalfとの関係改善(同盟・婚姻・独立保障・贈り物・影響など) +Mikhalfを外交属国化 以上の流れによりNo_CBを回避できた &ref(./089.jpg,50%); ゲーム開始時にユダヤ教の州はDEMBIYA(画像の&color(red){赤矢印};)・SEMIEN(その右上)の2州存在していたが、 開戦前にはSEMIEN州の方はコプト教に改宗されていた Ethiopiaは初期の超優秀(6.5.5)君主が"狂信的(布教強度&color(green){+1%};)"な性格の持ち主なので この君主が長生きしたり宗教アイデアを早期に取得してしまうと、ユダヤの2州が両方とも改宗されてしまうことがある((実際テストプレイ時、1520年頃に確認したら既にユダヤ州がなくなっていたため泣く泣くリスタート、ということを経験した。)) 1574年10月 宣戦布告(Medri_BahriはFunjに攻め込まれていて裏切った) 1577年5月 (3.3.3)の後継者死亡。新しい後継者は(3.1.6)((当時はRAZEで君主点を稼げたこともあり"優秀な人材はMughalsに変態してから来て欲しかった"などと%%意味不明の供述を繰り返しており%%罰当たりなことを考えていた)) &ref(./090.jpg,50%); 1578年10月 終戦。無事ユダヤ教のDEMBIYA州を獲得 "''遊牧民族アゼルバイジャン人によるイスラム世界実現のための聖戦司令部''"&color(green){NAJD};(('''&color(green){N};omadic_&color(green){A};zerbaijani_Headquarters_of_&color(green){J};ihad_for_&color(green){D};ar_al-Islam''')) としては、このような不届きな邪教を信奉する州が国内にあるなど耐え難い ということで維持費0で((邪教徒のために費やせる金などない!!))改宗開始(後から思えばコア化が済んでからでも良かった) 1579年5月 Jaunpurと同盟("外交"アイデア②で追加された外交枠を埋め忘れていた) ***アラビア沿岸道_工事のお知らせ [#t29f14e7] &ref(./091.jpg,50%); ピクニックのお誘い2回目。Mamluksは3国全て(Tunisは属国)に裏切られ哀れだった 後に発生予定の狂信者反乱部隊が迷子になると大変なので、通り道の整備を開始 &ref(./092.jpg,50%); 1580年3月 Hormuzに宣戦布告(Yemenの同盟Ajuuraanも参戦) 1580年8月 Yemen個別講和(2州+金銭) 1581年1月 Warsangariに宣戦布告(援軍はHadramutのみ) 1581年5月 Hadramut個別講和(2州+同盟破棄+金銭) 1582年2月 Ajuuraan個別講和(4州+金銭) 1582年12月 Mamluks戦終了(又も内陸飛び地の不要な州BURAYDAHが返還され、Favorは2しか稼げなかった) 1584年4月 DEMBIYA州においてユダヤ教の狂信者反乱が発生(当初は僅か10kの小規模反乱だった) 1584年9月 Hormuz戦終了。11州を獲得し、首都とNajd領アフリカが地続き(海峡含む)になった 1585年1月 (3.1.6)の新族長が即位。新後継者は(1.0.4)とAq_Qoyunlu王朝で初のイマイチ能力の持ち主だった 1585年8月 Warsangari戦終了(10州+金銭)→旧Ajuuraan領とも地続きに 1585年8月 Transoxianaをライバル指定 Ethiopia戦以降の獲得領土 &ref(./094.jpg,50%); 交易経路的に必要だったのはホルムズノードに属するHORMUZ州、MUSCAT州くらいで他の州は道路((交易会社設立のためにサンジバルノードに属する州も獲得しておきたかった←次の時代の時代目標用)) 1585年の領土 &ref(./093.jpg,50%); チリ並みに細長い。南半球からサンクトペテルブルクまで伸びた糸((飼い主に糸でつながれた哀れな犬。精一杯ご主人様の役に立てるよう、敵をたくさん連れてくるワン🐶)) **頼もしき仲間たち [#u2f2687d] ***(元)皇帝陛下のおな~り~ [#sb6fae44] 前回図らずも敵対することとなったSilesiaと再び誼を結ぶことができたので、(外交枠超過&color(red){+1};) &ref(./095.jpg,50%); 早速Hungary戦で活躍の機会を設けることにした (元)皇帝の力を発揮してもらうために敵に不足があってはいけないと思い Austria・Riga・Ragusaも共戦国に指定した(FlorenceはSpainと同盟していた) &ref(./096.jpg,50%); 固い絆で結ばれた仲間たちの力を信じて、Najdは更なる戦いに身を投じることにした (そろそろインド方面への進出も果たしたかった) 半年後に1州(QUHISTAN)+金銭で終戦 &ref(./096Ajam.jpg,50%); Hungary戦で快進撃を続ける友軍の奮闘を見て"Najd軍も休んでいる場合ではない"と感じたので宣戦布告 (ペルシアノードでのシェア拡大とライバルに&color(purple){屈辱};を与えてのPP稼ぎが狙いだった) 1588年9月 Ragusa個別講和(同盟・ライバル破棄+金銭) 1589年3月 Nogai個別講和(Ottomansとの同盟破棄+金銭) 1590年1月 外交アイデアコンプリート、経済・軍質との[[ポリシー>データ/ポリシー#quick]]採択((その際に経済+影響、軍質+影響の両ポリシーを廃止した)) 1590年6月 Transoxiana個別講和(同盟破棄+&color(purple){屈辱};+金銭)賠償金は960ducatsで"意外と金持ちだな"と思った &ref(./097.jpg,50%); Ajam戦終了。包囲網入りしそうな国の多くとは停戦期間が設けられているため、幾許かの余裕はある ***狂信者の兵力は世界一チイイイイ!! [#eea17db7] &ref(./098.jpg,50%); 狂信者反乱の発生から6年、反乱軍の規模がOttomans軍を上回り世界最大の軍事集団となっていた 折角道路を整備しておいたのに、反乱部隊はMamluks領を通り陸路でアラビア半島入りした((反乱部隊から見て"WarsangariかMahraの小型船が海峡を封鎖している"と判定されたのだと思う。両岸を黒塗りして以後は海峡を通過していた)) 1591年8月 イマイチな後継者が成人してしまったため廃嫡 1592年5月 Saxony個別講和(同盟・ライバル破棄+戦後補償) 1593年1月 Riga個別講和(完全併合) 1593年3月 Salzburg個別講和(同盟・ライバル破棄+金銭) 1593年6月 Mantua個別講和(同盟・ライバル破棄+戦後補償) &ref(./099.jpg,50%); いつの間にか世界4位の軍事力を持っていた(注:世界一の軍事力の持ち主は狂信者) 1594年1月 OttomansがHungaryと個別講和(2州+金銭) 1594年1月 Florence個別講和(同盟・ライバル破棄+金銭)←Spainとの同盟は無事に破棄できた 1595年3月 SilesiaがHungaryと個別講和(3州+金銭)←Austria/Hungaryの国境にあたる州を取られてしまった 1595年5月 経済基盤のアジア地域が反乱軍に占領され、貯金箱(賠償金)も底を尽いた結果再び借金生活へ 1595年7月 Austria個別講和(1州+同盟・ライバル破棄+金銭)地中海沿岸のGORZ州を失いAustriaは内陸国になった &ref(./100.jpg,50%); Hungary戦終了。Spainが包囲網に加わるギリギリまで領土を奪った。 この結果DEV合計が1000を超え、Najdは帝国級国家に昇格した **安全な敵国領へ逃げ込め! [#dd71fc43] ***これが飼い主とペットの絆の力 [#oea08cef] 約半年後に狂信者反乱が[[領有する州の過半数を占領>データ/反乱#ec6a4810]]しそうになったので &ref(./101.jpg,50%); Baluchistanに宣戦布告。Ottomansが原因不明の借金((ペットの飼育には経済的な負担がつきもの))と疲弊((ペットの世話には精神的な負担がつきもの))、人的資源((ペットと遊ぶには肉体的な負担がつきもの))、関係性((ワンワンッ💛キューンキューン♡))を理由に参戦拒否 &ref(./102.jpg,50%); 左が1595年10月、右が1596年1月((1590年に比べて反乱軍の規模が縮小したのは、Ottomans領を通過しようとして2~3部隊が鎮圧されたため。ご主人様の言うことをきかない悪い子だったのでお仕置きされた)) 戦争中でも首都(画像の&color(red){赤矢印};)の占領が2年間続くと[[強制的な要求>データ/反乱#ec6a4810]]を飲まされてしまうため、 Ottomans領の安全地帯(画像の&color(red){赤丸};)に砲兵部隊を配置しておき((他の州だとOttomans領を通過しようとする反乱部隊と戦闘になる))隙を見て適宜解放した 1598年6月 同盟国JaunpurがDelhi(旧)を完全併合し、Delhi(新)に変態した((この瞬間Jaunpur改めDelhiはNajdの仮想敵となった。Favorが勿体ないので表面上は同盟関係を維持した)) &ref(./103.jpg,50%); 終戦。Multanは共戦国ではなかったが、少しでもDELHI州に近づいておきたかったので気にせず割譲させた。 そろそろ包囲網が危険水準に入りかけている 終戦後にBrandenburg・Veniceと同盟(外交枠超過&color(red){+3};) ***間違っても自国に"しんにゅう"しないように気をつけろ!! [#ibb16566] 既に領有する州の過半数を反乱軍に占領されているため、月末までに開戦が必要だった &ref(./104.jpg,50%); ライバルDenmarkが同君下位Bavariaから独立戦争を起こされ劣勢だったので、この機会にLithuaniaのコアを返してもらうことにした (SilesiaはBavariaと共に既に交戦中) 自国領を通過するのは危険だったためBaluchistanとの終戦時に部隊を"Exile"状態になる州へ配置しておき、 自国領に進入しないように注意しながらパンジャブ→中央アジア→ウラルと迂回して、 サンクトペテルブルク経由で安全な敵国への避難に成功した &ref(./105.jpg,50%); Estonia個別講和(3州+金銭)。ここでSpainが包囲網に加わってくれたお陰でDenmarkからも思い切って領土を奪うことができ、 その後の欧州侵攻に弾みがついた(決して注意不足の作者がAE管理を怠ったわけではない) &ref(./106.jpg,50%); 突然反乱成功のダイアログが出て驚いた。 Muscovyかどこかで発生したGreat_Horde分離独立反乱部隊がLAKIA州を占領して5年経過したらしい。 狂信者反乱部隊に占領された州と見分けがつかず、反乱一覧にも表示されなかったため気付かなかった #br 1602年1月 LONDONにて"Global_Trade"発生 1602年11月 Mikhalfの属国取り止め((外交枠超過状態の改善に加え、狂信者反乱部隊が黒塗りした州をMikhalf軍が勝手に解放してしまうのが気に入らなかった。&br;属国取り止め後もDenmark戦終了までは友軍扱いとなりNajd領アフリカなどを解放したため、反乱部隊の無駄な移動が増えて(周辺国が)困った))外交枠超過は&color(red){+2};に改善 1602年12月 Great_Hordeに宣戦布告。敵同盟はPermのみ 1603年10月 (5.3.3)の新しい後継者誕生。やはりAq_Qoyunlu王朝は凄かった((作者の脳内お花畑では、この後継者の治世の下で華麗に国家変態を成し遂げるNajdがワルツを踊っていた)) 1606年10月 Perm個別講和(朝貢国化)。Najd初の朝貢国。何故これまでは朝貢国を作らなかったのか?自明の理である((和平交渉の画面にその様な項目が追加されたことに気付いていなかったのだ!!)) 1606年10月 Great_Horde完全併合(4州)で終戦 1607年1月 統治技術17解禁。先行取得だったが"統治効率&color(green){+10%};"と"次の時代開始までに5大学設立"のため必要だった &ref(./107.jpg,50%); 終戦。ドイツ侵攻の橋頭堡とNorway,Sweden,Finlandの種地を確保。借金に苦しんでいたので賠償金も満額請求した。 **狂信は理解から最も遠い感情だよ [#xf1fa74e] ***一体いつから--反乱軍を味方でないと錯覚していた? [#f58a62f5] 1607年1月 Astrakhan・Galicia-Volhynia・Medri_Bahriが朝貢国になることに同意 1607年1月 Denmarkからの賠償金で各地に大学設立開始 1607年1月 Circassiaに宣戦布告。他に同盟の居なかったKharabakhも共戦国に指定 &ref(./108.jpg,50%); 1608年1月 反乱軍の規模が374kに増大し、兵数的にはOttomans・Ming・Spain・Franceを同時に相手取ることが可能になる 1608年3月 Kharabakh完全併合(MELIKATES州)で個別講和 &ref(./109.jpg,50%); 1609年2月 なんと反乱軍がOttomans軍との会戦に勝利。反乱軍は味方扱いらしい(規律も当時のNajd軍と同じ115%だった)((流石に威信と陸軍伝統は獲得できなかった。また反乱部隊が士気回復に努めたためかKYZYL-YAR州がユダヤ教になった)) 1609年2月 Multan本国から分断され、独立を果たしたばかりのSindhに宣戦布告(当然同盟なし)。 1609年3月 Circassia完全併合(ALANIA州)で終戦 1609年5月 Denmarkで構築したスパイ網を消費してSwedish_Separatistsの反乱支援開始 1611年8月 イベント"Steady_Boys!"で10年間規律&color(green){+2.5%};の効果を獲得 ***%%チ。ドの0圧%%ナジュドとの同盟が・・・消えた・・・? [#o888ac7b] &ref(./110.jpg,50%); Veniceが新たにBrandenburgをライバル指定した結果、このままでは同盟破棄されそうになる &ref(./111.jpg,50%); 幸いBrandenburg(当時のFavorは11か12前後だったと思う)が参戦してくれそうだったので、まずHamburgに宣戦布告 &ref(./112.jpg,50%); 次にSindhと終戦(完全併合)→Brandenburgに参戦要請 &ref(./113.jpg,50%); 最後にBrandenburgとの同盟破棄((もしかしたら鯉つも心の中で「なん…だと…」って言ってたかもしれない)) これらにより①Veniceとの同盟関係を維持できた(②外交枠超過も&color(red){+1};まで戻った)((いやぁ、友情って本当にいいもんですね。)) ③[[宮廷と地方>データ/国難#e72623f3]]国難を起こすために安定度を下げておく必要もあった為一石三鳥の悲劇だった。 &ref(./13k.jpg,75%); 彼我戦力比。((味方の歩兵どんくらいおるかわかる?しゃァない_よう分かるように_キロの単位で教えたげるわ………13kや))Najd軍は砲兵くらいしか残していないのでバランスが無茶苦茶 1612年2月 絶対主義の時代突入 1612年2月 Najd領北欧BOHUSLAN州にてNorwayの分離独立反乱が発生。Denmarkへ広がることを期待 1612年2月 イベント"Strong_Military_Leadership"発生。[[宮廷と地方>データ/国難#e72623f3]]国難を早めるため安定度&color(red){-1};を選択 1613年1月 SLESVIG州にてDenmarkの分離独立反乱が発生 →度量の&color(red){広};いBrandenburgが「(元)友達の&color(red){シマ};だから」と鎮圧(&color(red){C};r&color(red){a};sh_&color(red){r};evolted_Se&color(red){p};aratists)を代行してくれた。((手羽先市護、鎮圧代行。図体ばかり大きくとも我の知る優しナ〇。ドに、死神と化し反乱の羽虫どもを誅殺すること能わぬべし。たとえ袂を分かてども我が友情に翳りなし。&br;昔日の面影は残らずとも我は友の手先なり、羽虫飛び交う市を護るためいざ鎮圧を代行せん。奴を罵り歪む口…勝手に護りに奔る足…これが…そうか…友を想う…&br;&br;&color(white){________________________________________________};心&color(white){________________________________________________};&br;&color(white){________________________________________________};か&color(white){________________________________________________};&br;)) 今更になってNajdに同盟破棄されたBrandenburgのツライ((ツライさんなのだー!))思いを想像して涙した 5年後に&color(red){F};ree_to_join_co&color(red){A};litions権を行使し、%%ツライさん%%Brandenburgは残念ながら敵チームの一員になりフアンがおこった((「ツライです…。Najdが…大好きなので…。BA(Break_Alliance)なんて(制度)なければよかったのに…」)) 1613年2月 Lubeck個別講和(LUBECK州をNajd、WISMAR州をBrandenburgに割譲しLubeck滅亡) 1613年3月 ELFSBORG州にてSwedenの分離独立反乱が発生するも、Hamburg軍に鎮圧されてしまう 1613年7月 前回から5年が経過して再び可能になった"[[Enforcing_faithful_Adherence>データ/宗教(個別)#b83578da]]"の実行で汚職&color(green){-2}; ***謎国家への前進③ [#e3b21ab1] サーボルちゃん「あなたは"へんたい"のにがてな%%の%%けものなんだね!大丈夫だよ、フ0ンズによって得意なことは違うから!((あなたは"変態"の(皆が同盟するのは)苦手な除け者なんだね!大丈夫だよ、フ0ンズ(AI)によっては(同盟した方が)得な子と間違うから))&br;すっごーい、へーきへーき、たーのしー♪((すっごーい兵器があるから平気、兵役たーのしー♪))なかまもいるんだしね(笑)((けんかごっこは"おすまんさん"におまかせなのだー!))」 &ref(./114.jpg,50%); 1613年7月 欧州の飛び地を除く殆どの州がユダヤ教になったので狂信者の要求を受諾、Najdはユダヤ教国家への変身を果たした((同時に"''遊牧民族アゼルバイジャン人によるイスラム世界実現のための聖戦司令部''"&color(green){NAJD};('''&color(green){N};omadic_&color(green){A};zerbaijani_Headquarters_of_&color(green){J};ihad_for_&color(green){D};ar_al‐Islam''')は&br;"''ユダヤの教義に歯向かう者は人に非ず''"協会&color(green){NAJD};('''&color(green){N};obody_&color(green){A};gainst_&color(green){J};ewish_&color(green){D};octrine_Association''')へ再改編された)) この瞬間"積年夢見たMughalsへの変態資格を失った"ことにダメッコ作者((勘違いが得意で知らないことばかりのなまけものフ0ンズ。))は未だ気付いていない((ツライさん「こんな巨悪を許しては、%%P%%AAR%%K%%の危機なのだー!」)) ちなみに最終的な狂信者反乱軍の規模は430kだった。兵数的にはOttomansを除いた列強の合計と同程度だった ただしこれはNajdが陸軍戦力を縮小していたことも一因となった。要求受諾で反乱軍の一部がNajd軍に統合されるので、 砲兵を10連隊ほど残して残りは解雇していた。 統合の結果Najdの兵力は121連隊となり、一時的にOttomansに次ぐ世界2位の陸軍大国となった。 &ref(./115.jpg,50%); 扶養限界(94連隊;受諾時に自治度が上がったため)を超過した陸軍を整理し、落ち着いた頃の収支 多重債務による利子の支払いと(必要のない((当時はMughalsに変態後のことを気にして汚職にも気を配っていた)))汚職対策のせいで陸軍維持費を最低にしていても赤字だった この後包囲網解除戦を予定していたので、要塞をMathballしていなかった点も一因となっている **新生&color(green){NAJD};の実力 [#k54b6e16] ***Hamburg戦の顛末 [#bc3272c5] 1613年8月 Luneburg個別講和(同盟・ライバル破棄+金銭) 1613年9月 ザンジバルノードで貿易会社を設立しKISMAYO州を組み込む 1614年2月 イベント"Poor_Government_Policies"発生。暫く(実際には永遠に)政府改革の予定はないので [[政府改革進捗度>データ/政府改革#ce732782]]&color(red){-25};を選択 1615年2月 Somaliを受容文化に昇格。Mughals化すれば必要なくなる(と当時は思っていた)がこの頃は君主点に困っていなかった &ref(./116.jpg,50%); 軍事点が溢れそうだったので将軍ガチャ。FireやShockの高い将軍は1人か2人居れば十分なのでSiegeの高い将軍が欲しかった Siege5が出るまで粘るつもりだったが、4が複数出たので妥協。 結局Siege4の3人とFire+Shockの高い2人、追撃用に機動5(一番上の[["Goal_Oriented">データ/指揮官#q9c20836]]持ち)を残した((優秀な君主を将軍にしたのはHungary戦の頃。安定度3だと[[宮廷と地方>データ/国難#e72623f3]]国難を開始できないので、戦死→安定度&color(red){-2};を狙った。&br;当時はイマイチ後継者が成人前であり、継承危機で平均的な新族長が就任すれば問題ない程度には君主点にも余裕があった。&br;ツライさんのお陰で安定度を下げる必要もなくなったので、その後部隊に配属することはなかった)) 1616年5月 Bremen個別講和(完全併合) &ref(./117.jpg,50%); 終戦(ペンを握らなければ_平和は訪れない____ペンを握ったままでは_平和を噛み締められない_) 包囲網が広がりいつ懲罰戦争をしかけられてもおかしくない状況。BREACH!!(突破せよ!!) ***絶対主義 [#oca6683d] やっと戦争が終わったので各州の自治度を下げる &ref(./118.jpg,50%); 3年前に国中を占領した[[反乱軍の要求を受け入れた>データ/反乱#nc29f5af]](自治度&color(red){+20%};、10年間州不穏度&color(green){-100};)ばかりなので 殆ど全ての州の自治度を下げることができ、絶対主義が一気に&color(green){56};まで上昇した &ref(./119.jpg,50%); 1616年5月 Beja・Jimma・Jangladesh・Mewar・RyazanがNajdの朝貢国になることに同意 1616年5月 Great_Britainと同盟。Spain(同君連合でPortugalを従えていた)やFranceなど植民国家との戦争時の活躍を期待 1616年5月 属国Lithuaniaにユダヤ教の2州を下賜し、Lithuaniaの国教であるカソリックへの改宗(維持費0)を試みる 前述のとおり属国内で狂信者反乱を起こす計画は失敗したため、この試みは無駄に終わった ***1616年の状況 [#fb7c1d88] 領土 &ref(./120.jpg,50%); 中東等で領土が広がった結果多少マシになって、糸から紐ぐらいにはなった(((同盟国兵士の)命を刈り奪る形をしてるだろ?←細目で見るとあの刀に見えなくもない)) 外交 &ref(./121.jpg,50%); 同盟 Ottomans,Afghanistan,Chagatai,Delhi(元Jaunpur),Silesia,Venice,Great_Britain(外交枠超過&color(red){+2};) 属国 Lithuania 朝貢国 9国 宗教 &ref(./122.jpg,50%); カソリックを信仰する欧州国はSpain・Denmark・The_Papal_STATE(+Lithuania)の3国まで減少 よく見るとROMAもプロテスタントになってしまっている。実に恐ろしきは宗教改革なり((軍事覇権を確立したどっかの狂信者集団も居たようだが、あれは災害みたいなものだったから…)) その他 &ref(./123.jpg,50%); -次戦に備えて陸軍維持費を戻したため大赤字 -宗教アイデア未取得&聖地未征服にも拘らず宣教師3人体制 -ポリシーの組み合わせでは"影響"アイデアが要らない子状態 -借金苦と属国内での狂信者反乱計画のため"Encourage_Conversion_to_Judaism"は未実行 -"Form_Mughal_Empire"が選択できないのはDELHI州等を所有していないため(だと思い込んでいた) -ミッション"Conquer_New_States"は時代能力"より厳しい処置"(=Harsh_Treatmet_cost&color(green){-50%};)発動と同時に達成予定 &ref(./124.jpg,50%); -Horde_Unity&color(green){+5%};、"軍質"完了&color(green){+5%};、経済/軍質ポリシー&color(green){+5%};、イベント&color(green){+2.5%};、絶対主義&color(green){+2.8%};が合わさり規律が&color(green){+120%};を超えた -大半の州の自治度を下げた結果、陸軍扶養限界は126まで増加 -戦争さえ始めれば[[宮廷と地方>データ/国難#e72623f3]]国難も進捗し始める ------------------------------------- [[AAR/六芒星の光/6(1616~1646)暴走の猛犬 四面楚歌]] [[AAR/六芒星の光/6(1616~1659)暴走の猛犬 四面楚歌]]