#author("2020-01-15T16:52:43+09:00;2015-05-26T20:26:45+09:00","","")
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[[AAR/二番煎じのJihad]]

AAR/二番煎じのJihad/3話 俺たちは強い(17世紀)?

17世紀に入ったので現状の確認をして見ます
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列強の一角といって良い程になったとはいえ技術力ではまだまだ
収入も半分程度でしかない。アジアの富を得る為にインド・マラッカなどを攻めたい



 1601年
ティムール領を回復するためにはペルシャから奪う必要があるのだが
オスマン・ペルシャ同盟のために手が出せない
その為イエメンに宣戦し、ペルシャを誘い出す
オスマンが付いてきてくれるのがうれしい

 1607年
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同盟参戦のため戦勝点が倍必要になるので、4州のみ
それでもティムールとつながることが出来た

 1618年
再びイエメン・ティムールと戦争

 1627年
軍事技術が時代に追いつく。西洋化から115年かかった

 1639年
civil war開始 反乱が起きるが正当性があがるので悪くない
civil war開始 反乱が起きるが正統性があがるので悪くない

 1644年
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ロシアとの国境が決まる しかし互いにこれが最終的な決着とは思っていない

 1647年
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ロシアがオイラットに攻め込まれているのを見て戦争を決断
面倒な欧州との戦争は避けて、より弱い国から500州を達成するつもりだったが
方針変更

 1651年
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後からはじめたNAJD・ロシア戦争が終わったというのに
いまだ続くオイラット・ロシア戦争をみて、今度はオイラットに宣戦する
何でコンクエストで宣戦しているのか
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 1656年
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終戦コンクエストのせいでdip300使用
ティムール経由とはいえ東への道がつながった

 1657年
ペルシャを引き釣り出すためにインドに進出

 1668年
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インド領のコア化コストの高さ(+150%)に、うんざりして東南アジアを目指す

 1678年
オスマン参加でロシアに宣戦し、続いてペルシャに宣戦する
すでにオスマンは、NAJDと共闘しているためペルシャ側に参加できない
全力でペルシャを叩きティムール領の回復が一気に進んだ
一方ロシア側は、かなり圧されていた オスマンは十分な兵力があるのだが
あまり戦ってはくれないようだ

 1681年
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かつては、NAJDの弱兵はアフリカ・アジアでしか勝てないといわれたが
ついに寡兵を持ってロシア軍を破る
相手の将軍も優秀だが、英雄カナサニの名が欧州に鳴り響いたことだろう

 他にも戦争しているが、細かいことは省いてしまいました
だって記録が残ってないんだもの



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