[[ロシアの残光]] #author("2020-01-15T19:10:07+09:00;2014-04-14T19:26:17+09:00","","") [[AAR/ロシアの残光]] *前篇ダイジェスト [#e98701f2] 傍若無人に振る舞うGreat Britainに引導を渡さんと 半分ノリに近い形で殴り掛かったOttomans/Ming/Russia連合軍。 万全を期したOttomansとMingの海軍に成す術もなく撃沈されていくRoyal Navy達。 大陸領では、既に制海権を失い回収不能になった駐屯部隊が孤立し 各個撃破されていくのであった。 勢いに乗るOttomansは、単独でGreat Britain本土へ侵攻を敢行する。 しかし、本土決戦に備え兵力を温存していたGreat Britainを前に 第一次上陸作戦は失敗。 続く第二次上陸作戦は数ヵ月以内に作戦参加部隊が全滅するという結果に終わった。 そして、第三次上陸作戦にして ようやくGreat Britain軍を押しのける事に成功し、Mingの援軍を得て 掃討作戦に移行していくのであった。 勝利は時間の問題と思われたが、Great Britainの巧みなゲリラ作戦に対して有効な手立てが取れず 隙を見て決戦を挑んだGreat Britain軍に大敗、三度に及ぶ上陸作戦は失敗で幕を閉じた。 *出撃!バルチック艦隊 [#i062f10e] さすがに、これではGreat Britainが強かったねで終わって面白くないと感じたRussiaは 大量の輸送艦を生産して、上陸の準備を始めた。 え?輸送船を何隻束ねても艦隊とは言わないって? 史実のバルチック艦隊だって、船内中石炭だらけで、さながら武装商船状態だったし良いじゃない! #ref(AAR901.jpg) それに先立ち、北フランスに主力を集め上陸準備を始めた。その数300k この時既に開戦から7年が経過、ルール上の講和期間まで残すところ3年を切ろうとしていた。 #ref(AAR902.jpg) 生産し終えた所で、北フランスへ回航しようとしたが それを察知したGreat Britain海軍が颯爽と現れ、亡き者にしようとしてきた。 #ref(AAR903.jpg) 「こりゃ終わったな」と思ったその時 既の所でMing海軍が駆け付け、Great Britain海軍をゴリゴリ溶かして勝利した。 一歩間違えば即死するところであった。 感謝感謝。 無事、北フランスに到着して 現地に集結させていた300kの陸軍をピストン上陸させようと図る。 #ref(AAR904.jpg) しかし、既に幾度となく上陸戦を経験してきたGreat Britainは 上陸ポイントに強行軍で滑り込ませ上陸戦に持ち込み、速攻で30k溶かした。 OttomansとMingに良いところを見せようと上陸を図ったがこれでは醜態をさらしただけではないか。 Ottomans 「これだから、下僕はいつまでたっても下僕なのだよ」 Ming 「然様」 Great Britain「間違いない」 なんていう感じで、後ろ指さされる感覚を覚えた。(実際は言われてないけど) Russia「制海権が取れていても、足場がなければどうしようもない」 「ん?足場...?」 #ref(AAR905.jpg) そこには、Russia軍の到着を今か今かと待ちわびているOrkneyの民の姿が...! そういえば、制海権取れてるし 海峡渡り放題だったw Ottomans 「やれば出来るじゃないか」 Ming 「下僕にしては上出来だな」 Great Britain「ぐぬぬ...。」 といった具合にお褒め頂いた気がした。(やっぱり実際は言われてないけど) *ヒャッハー!アサルト祭りだ!! [#fe162941] #ref(AAR906.jpg) Orkney上陸計画を聞きつけたGreat Britainは、最後の力を振り絞り妨害を図るも 既に優位性を失った海上戦力を投入した所で海の藻屑を増やすのみであった。 #ref(AAR907.jpg) 北フランスから運び入れた陸軍がズンズン積み上がり 200kを超えた所でAssultを行って橋頭堡を確保、続けてGreat Britain本土へ乗り込みつづけさまにAssultを行っていく。 Great Britain本土はすべて要塞レベルが5であり、まさかAssultを仕掛けてくると思っていなかった様子であったが そもそも畑から人が生えてくる国に人命など、1シリングの価値もないのだ。 #ref(AAR908.jpg) 次々築かれていく橋頭堡を前にGreat Britainが黙っているわけが無く Assultを行ったのを見計らって攻撃を仕掛けてくるが 全体の軍量が270k有る為にAssultを行っても15k減る程度で、Moralは0.5ミリ減っている程度であった。 #ref(AAR909.jpg) これまでの戦闘では、島国という特性を利用して 戦力の逐次投入をするOttomans軍相手に数の優位を保ち勝利を収めていたGreat Britainであったが 覆しようのない物量にはさすがに敗退した。 「戦いは数だよ兄貴ぃ!」とはよく言ったものだ。 追随して来たOttomansとMingがその追撃の為に突出して行き、トドメが刺されようとしていた。 #ref(AAR910.jpg) その後も何不自由のないAssultライフを満喫し、London目がけて進撃を続けていたが 先走ってしまったOttomansがMingの援軍待たずしてGreat Britain軍に突撃し敗北。 MingがOttomans軍の敗走先に軍を重ねようと計るも Great Britainが強行軍を駆使して殲滅してしまった直後にプロビに到達した為 各個撃破に陥り、遂に全滅してしまった。 余剰戦力を失ったのと、ルール上の講和期限が残り3か月と僅かで 無理は禁物と、旧Scotland領を越境した辺りで終戦を迎えた。 *戦後処理 [#l646634a] |>|#ref(AAR911.jpg)| |CENTER:対象国|CENTER:講和内容| |Great Britain|旧Norway領の大陸領をRussiaに割譲する| ||イベリア半島に存在するGreat Britain領をOttomansに割譲する| 正直、Norwayは取る気なかったけど 建物を見てみたら7段階まで建築されていて、衝動を抑えきれなかった。 Ottomansは、イスラム帝国の領域が欲しいということで イベリア半島の4プロビを割譲させたようだ。 Mingも何か取ろうよと誘ってみたが、実はそれどころじゃない事になっていたのだ...。 *戦勝祭? [#l399afab] 戦いに勝利をして、OttomansとRussiaは得をしたものの 残るMingは悲惨なことになっていた。 #ref(AAR912.jpg) 厭戦とOverExtention状態で戦争に突入した影響で、各地では蜂起が相次ぎ 次々ソマリアカラーに染め上げれられていた。 OttomansとRussia両国が協力して反乱鎮圧を行うが 終いには、過去に征服した国家が9つ程独立を始めてしまった。 10年は立て直しに時間を要する事だろう。 *ヴェネツィア危機 [#b31f57c5] #ref(AAR913.jpg) Constantinopoleから富を吸い上げているVeniceに対して、Ottomansは終に制圧に乗り出すと宣言した。 っていうか、4/5も吸い上げてる。これは酷いw Great BritainやMingの国力が低下し 抵抗姿勢を見せるAustria如きなら軽くひき殺せると踏んでのことだろう。 裏でAustriaからRussiaに対して、Venice防衛に加わってほしいと要請が来たが RussiaはOttomansと主従関係にあり、非常に悩ましいものであった。 Ottomansから「Veniceに攻め込んだ時、Russiaはどう立ち回るのか」と尋ねられたが 最初こそ「どうしようか迷っている」とあやふやな返答をしていた。 マルチ開始時にRussiaとOttomansは2ヵ国でドイツ地方の利権を分割 即ち、Austriaを殺す事で合意に至っていたのだ。 その後、AustriaがAIにボコられ大きく弱ってしまった為 2ヵ国で殴っては顰蹙を買ってしまうと、延期に延期を重ねて来たのだが 以来、RussiaはAustriaと東欧AI諸国に対する共闘していく内に情が芽生えてしまっていた。 しかし、世界を敵として腹をくくっていたOttomansは 「一度、Russiaさんと本気でやり合ってみたかったし、この際ですから戦いましょう」と言われ 先の協約を白紙にし、合意の下で殴り合うことになった。 Spain→Ming→Great Britain→Russia&Austriaの順で戦う事で、すべてのプレイヤーを屈服させた事になるので Ottomans的には、この戦争で勝てば世界征服のロマンを達成したという感じになるようだ。 すぐさま、Austriaに友軍として駆け付ける旨伝えたところ 普段は寡黙なプレイヤーが、喜びを剥き出しにした返事をして見せて思わず笑ってしまった。 だがこのRussia、Ottomans相手であっても 互角以上にやり合えるだけの策を用意していた。 Russia「我が百ヶ年計画に畏怖するがいい!」 *大祖国戦争 [#jfca1e59] 我がロシアは、ヴェネツィアに攻め入らんとするオスマンに対して 速やかなる撤兵を求めるとともに、その刃先をヨーロッパに向け続けている限り ロシアはインド=ヨーロッパ語族の守護者としてオスマンの前に立ちはだかると、ここに宣言する。 ――1773年7月31日、長年Ottomans宮廷に忠誠を誓ってきたRussia辺境伯は独立戦争を挑んだ。 まだ麦穂が青々とゆれ、夏の日差しが照りつける季節の事であった。 [[ロシアの残光 第一次露土戦争 前篇 (1774年-1783年]]へ続く...。 [[AAR/ロシアの残光/第一次露土戦争 前篇 (1774年-1783年]]へ続く...。 [[ロシアの残光]] [[AAR/ロシアの残光]]