[[ロシアの残光]]
#author("2020-01-15T19:09:51+09:00;2014-04-13T00:17:13+09:00","","")
[[AAR/ロシアの残光]]

*1745年の世界情勢 [#fd9df4e0]
#ref(AAR801.jpg)
Great Britainは、Spain脱落後にOttomansと協力してピレネー山脈付近の2プロビを割譲させ
さらなる内政立地を確保するためにDenmarkへ攻め入ろうとしていた。

インド征服を終え手持無沙汰だったOttomansは、アフリカ辺境のAdalとEtiopiaを併合し
過去にSpainから譲渡されたシチリア島を足場にNapleを併合した。

イベリア半島では、Great Britainと共同でSpainに攻め入り
旧イスラム圏だったGranadaを開放して属国に収めた。

後はイタリアを北上するか既に西洋化したMaliを食うか
はたまたSpainを貪り食うか、この時期にして拡張方向に困らずにいた。

見難くで申し訳ないが、Mingは既に日本本土の中国地方付近に橋頭堡を確保し
該当地域をコア化せずに、次の宣戦で日本を属国化→売却でAdm使わずして属国併合を狙うようである。

Austriaは、Russiaと協力してPoland領を得て
また北ドイツ諸邦のPomeraniaやMecklenburgを属国に治めて
属国併合を待つのみである。

対Great Britain戦への参加を拒否したのは、戦時中は属国併合が出来ず
遅々として領土拡張が進まないからなのかもしれない。

一方、RussiaはSwedenを一度属国併合→DenmarkにClaimを作成→属国独立→Denmarkを殴るで
コアを返還させ、Lithuaniaの東欧側のほぼすべてを割譲させた。

前々回の終わりの時点でSpainプレイヤーが講和をAI任せにした影響で
Portugal本土が僅か4プロビにまで追い詰められているのに対し
新大陸側のPortugal植民国家達は生き生きしている。

新大陸利権の6割近く有するPortugal植民地国家たちを見たGreat Britainは
「もう新大陸とかどうでもいい」と、悲嘆に暮れていた。

手に負えなくなるまでSpainと喧嘩してたのがそもそもの原因なんだから
もっと反省しなさい!

そして、TESOに旅立ったNetherlandは、ついに戻らず
全体チャットで「次のマルチでは陸軍国家をやろうと思う」という
早くも次回の開催を見越した予定を話し始めた。

*発覚 [#p8d493f4]
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|>|BGCOLOR(black):|
|>|CENTER:参戦国|
|>|BGCOLOR(black):|
|CENTER:COLOR(RED):Ottomans|CENTER:COLOR(RED):Great Britain|
|CENTER:Russia||
|CENTER:Ming||

宣戦予定2か月程に差し掛かり、OttomansとRussiaがGreat Britainとの同盟を破棄したことで
ついにGreat Britain自身の知るところに至った。

Mingについては、Spain本土に攻め入って海外植民地を剥奪するという名目で
既に艦隊と主力陸軍がヨーロッパに到着しており、準備万端である。

この状況下であっても、尚も海軍力で圧倒出来ると確信しているのか
Great Britainは弱音を吐くどころか「さぁ、来てみろ。蚊トンボ共!」と
虚勢か余裕か分からない煽りを始めた。

しかし、情報が漏れだしていないようだし
海軍力は数が正義、準備をし尽くした攻撃側が有利なのである。

*緒戦は順調であった...。 [#g4496ddc]
Ottomansを盟主としてGreat Britainに宣戦をしたところ、信仰の守護者であったVeniceがまさかの緊急参戦をして
「ベwwwニwwwスwww」と皆一様に草を生やした。

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VeniceはConstantinopoleトレードノードから富を吸い上げており
かねてより、Ottomansが攻め入ろうと画策していたので
Russiaは「今回の目的はVeniceではなくGreat Britainのはず。触れる事はRussiaが許さない」と釘を刺した。

たぶん、初めてOttomansに楯突いたかもしれない。

開戦と同時に、OttomansとMing海軍の奮闘により
Great Britain海軍は大敗を喫し、制海権は対英包囲網側に傾いた。

SSを撮ってしっかりと彼らの活躍を記憶したかったのだが
気が付いたら終わっていて、一枚も残っていなかった...。

決して、Russia以外の国の活躍を描きたくない等という、下劣な思惑ではないので勘違いはしないで頂きたい!

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信仰の守護者()かと思われたVeniceであったが
意外と戦力を保有しており、バルカンから順次出立していくOttomans軍に対し散発的なゲリラ攻勢を掛け
地味に存在感を示してきた。

こういう時に役立つのが下僕国家Russia、御上の御命令あらば馳せ参じ
急遽予備兵力を回してVenice軍の掃討に着手した。

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続いて、スカンディナビアや北フランスに残存していた
Great Britain駐屯兵の相当に踏み切り、それらを撃破、Great Britainの兵力を着実に削っていく。

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Irelandでは、上陸を果たしたMing軍が
港に引きこもっていたGreat Britain残存艦隊を引きずり出し、全滅させていた。

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ここまで来れば、後は本土に上陸でフィニッシュだろうと
Ottomans陸軍がGreat Britain島北部に上陸し、戦争の終止符を打たんとしていた。

*バトルオブブリテン [#t75c5e70]
流れが有利な状況で推移する中、一つの事件が起きる。

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記録的な惨敗である。

Great Britain島北部に上陸した64kのOttomans先遣隊であったが
予想をはるかに上回るGreat Britain抵抗を前に増援が間に合わず、全滅させられた。

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この敗北を挽回するべく、上陸までのタイムロスを最大限無くす為に
ドーバー海峡からLondonに直接上陸をする形に変更した。

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それを察知したGreat Britainは上陸直後のOttomans軍に襲い掛り
これを撃退、次の上陸部隊が到着する前に先遣隊を壊滅へと追いやった。

逃げ先が限られるから島への上陸戦は怖い...。

Great BritainはLondon→KentのOttomans軍壊滅→Londonに上陸予定のOttomans軍の上陸阻止を図るも
間一髪のところでOttomans軍に上陸を許し、攻撃側で戦闘に突入した。

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さすがに連戦はきつかったのか北へ撤退をしたが、Ottomansがこの機を逃す訳が無く追撃を開始する。

続く戦闘でもOttomansが勝利するが、Great Britain島北部は山が多くて戦闘幅が小さかった為か
比較的軽微な損害を負ったのみでLondon方向に撤退を開始。

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対するOttomansは2度に渡る全滅を受け、余剰兵力の大部分を失い後詰に限りがあり
慎重路線に切り替えIrelandの占領に従事していたMingの援軍を待った。

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Mingの増援を得たOttomans軍は、さらに北フランスに控えておいた予備兵力を投入
LincolnにてGreat Britain軍と激突した。

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万全を期したこの戦いはOttomansが勝利し、さらに追撃を加えるべくGreat Britain軍を追うもまさかの敗北
消耗によるManpower枯渇が目前に迫ったのか、Londonを占領しつつGreat Britain軍を迎え撃つ作戦に変更した。

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そんな時、Noble Republicへの変体を要求する反乱軍がLondonに湧き
嫌がらせ半分でこれを守る形で占領をし、革命を起こして頂く事になった。

革命帝国を作ろうとしていたRussia(実はRussiaでは作れなかった)は「やめてくれぇー!!」と反乱軍排除を求めるも
「なんで?」とOttomansに言われてしまい、萎縮して願いを取り下げた。

*ゲリラ [#a82397d6]
#ref(AAR816.jpg)
Great Britainは、占領に従事しているハグレ軍団に攻勢掛け
1.2個軍団を溶かすも、本軍が到着するのを確認するや直ぐに北部に撤退を開始した。

このプレイヤーは細かい軍操作が本当に上手い。

こうしたゲリラ攻勢を前に、占領を断続的に中断されては軍が消耗し
勝っているはずが状況は好転する気配を見せなかった。

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徐々に反応が鈍っていくOttomansとMingは
軍を小出しにした事で敗北する場面が増え始めた。

チャンスと見たGreat Britainは一大攻勢に打って出た。

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占領を優先しようとしたのか、Ottomansは軍を半分動かし残りを占領継続という形を取ったが
前線では兵力数が逆転し、遂に戦線が崩壊してしまった。

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未だにLondon付近には数多くの部隊が展開していたものの
既に軍量では2倍以上の差を付けられ、手に負えない状況になってしまっていた。

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残る兵力を重ねて必死の抵抗を試みるも多勢に無勢、一網打尽にされ
Great Britain島に侵攻したOttomansとMingは全滅をしてしまった。

Ming軍5割とOttomans軍7割に当たる軍を跳ね除けたGreat Britainぱねぇ...。

戦勝点は40点を超えてこそいたものの、そのほとんどは大陸側の領土で稼いだ分であり
これでは海軍を作った意味もないし、Royal Navyに勝ってもGreat Britainに勝てたとは言えない。

Russia「どうしたものか...。」

[[ロシアの残光 対英戦争 後篇 (1758年-1773年]]へ続く...。
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