[[ロシアの残光]]
#author("2020-01-15T19:08:46+09:00;2014-04-05T10:57:22+09:00","","")
[[AAR/ロシアの残光]]

*1583年の世界情勢 [#m610f9a4]
#ref(401.jpg) 
北欧がRussiaとGreat Britainによって平定され始め
NetherlandsがDenmarkに向けて着実に北ドイツ諸邦を食っている。

西アジアでは、OttomansがTimuridsをPersiaに食わせてそれを併合
インドへの足掛かりを獲得した。

その対岸では、既にMingがインドへ侵攻を開始しており
それと国境を接するOrissaの陥落も時間の問題である。

Austria領内にポツンとある緑の領域は
FranceやらLithuaniaやらに殴られた結果、Stiriaという見慣れない国を独立させられたようだ。

Spainについては、植民地がFogだらけで見えないのだが
アフリカ沿岸の殆どを領有し、南アメリカに植民を開始している。

アフリカ周回ルートを持って、アジア側に多少進出したが
Mingの権益に足を踏み入れた事で、Mingから警告を受けていた。

*スノーダストメモリーズ始動 [#d583993f]
作戦名がダサかったので、ちょっと変更した。

開始早々、ヨーロッパ側に張り付かせていた軍を全てMing側に送り
宣戦理由が無かったのでねつ造を開始した。

しかし、運悪くたったの7%進んだだけで発覚してしまい
Mingに準備の時間を与えてしまった。

如何にWesternizeの最中と言え相手はMing
それも中に人が入っているのと、極寒地の占領が必要なことから油断は出来ない。

すかさずMingが「え、やんのかぁ...。」と溜め息交じりの発言を繰り返していたが
さすがに思い当たる節がありすぎるのか、理由は聞いてこなかった。

この動きに対してSpainが「お、世界の警察か」などとはやし立てるが
今回はFranceじゃないので、そんなご立派な宣戦理由は有していない。

ねつ造終了と共に、他の関係国へ攻め込む旨伝え宣戦布告をした。

*Ming本土、いらないよ [#w2d96951]
|>|#ref(402.jpg)|
|>|BGCOLOR(black):|
|>|CENTER:参戦国|
|>|BGCOLOR(black):|
|CENTER:COLOR(RED):Russia|CENTER:COLOR(RED):Ming|
|CENTER:Netherland||
|CENTER:Great Britain||

宣戦布告と同時に、Mingの植民地(北米・シベリア)以外には興味が無いと伝え
なるべく早期講和を行えるように交渉の骨子だけは提示しておいた。

今のMingの領土は、首都のBeijin付近を境にひょうたん状に広がっているので
そこさえ押さえてしまえば、北側は思う存分に占領する事が出来る。

#ref(403.jpg) 
前回のマルチで行われたIroquois戦で、補給線の大切さを実感したRussiaは
Oirat Hordeから行軍権を貰い、真隣にそれを確保し
直ぐに南北分断する形で侵攻を開始した。

この際、不確定要素として
属国のKoreaの方面にどれだけのMing軍が居るか予想が付かず
15k程の予備軍を1軍団だけ配備しておいた。

*北京攻略 [#waa02889]
#ref(404.jpg) 
Beijin近郊を第一線と定め、シベリア方面では2k程度の軍団をばら撒き占領に当たっていたのだが
どうもMingが抵抗の色を見せない。

時折、血迷ったKorea軍が殉職に近い形で2kの軍団に8k程度で突っ込んでくるも
そもそも質が違うので相手にならない。

Beijinの周囲やシベリアプロビじゃ徐々に陥落し始めたころ
さすがに厭戦の上昇がきつくなったのか、「そろそろ軍を動かしますか」とMingは告げた。

*大勝 [#g85dc234]
#ref(405.jpg) 
発言通り、31kのMing軍が朝鮮半島に姿を現した。

やや対応に遅れた為、2kの占領軍団が2個程食われてしまったが
直ぐ近くでその護衛にあたっていた15k軍団を向かわせ、これの討伐に成功。

シベリア方面のMing軍を駆逐出来たことで南側に戦力を集結させ
急いで南進し、敵主力の殲滅に向かう。

Mingも首都を占領されながら指を咥えて見ている訳が無く
インド遠征に備えて居たらしき主力を北上させ、近辺の兵力を駆逐して回っていた
Russiaの主力に攻撃を仕掛けてきた。

#ref(406.jpg) 
さすがに多勢に無勢、戦域幅のペナルティも相まり
一時は潰走しそうになったものの、周囲の兵力を急いで向かわせ何とか撃退した。

こちらもかなりの損害を受けてしまったが
残りのManpowerが241kあるので、時が解決してくれる軽微なものと言えよう。

*すれ違い [#d2ba3c75]
Beijin以北の大部分が陥落し、本格的な南進が始まった。

時折、Russiaの占領部隊へMing軍が攻勢を掛けてくるも
護衛部隊で対応→勝利のパターンが出来上がっていた。

また、北米ではGreat BritainがCherokeeとMingの植民地軍に勝利し
Mingの敗戦はほぼ決定づけられていた。

今回は予定通りRussiaが勝てたからよかったものの
約束されていたGreat BritainとNetherlandからの援軍は到着しないばかりか
NetherlandがMingと単独和平をしたのを見て、内心やきもきしていた。

*擦り付け合い [#pe845422]
最早、軍事的抵抗が無意味と悟ったのか
Mingが今回の戦争の首謀者探しを始めた。

当然、最初はRussiaを疑ってかかってきたが
実際の発案者はGreat Britainなので「NUTS!」と言って、否定した。

ところが、どうもOttomansの中では首謀者はRussiaであるという認識にあったようで
「Russiaさん、さすがにそれは無いでしょう」と言い始め
若干の隔たりを感じざるを得なかった。

援軍来ないし、味方は単独和平するし
首謀者に祭り上げられるしで、Russiaの中の人は若干心穏やかではなかった。

その空気を察したのか
Great Britainが気を利かせ「あ、オレオレ!」と名乗り出て、Mingは納得の色を見せたが
危うくMingと手を組んでOttomansを殴り掛かろうかと画策し始めるところであった。

|>|#ref(407.jpg) |
|CENTER:対象国|CENTER:講和内容|
|Ming|中国北部に位置する植民地域すべてを対Russia割譲する|
||北米地域に区分される地域のすべてを対Great Britain割譲する|
||Cherokee属国化の解除|


粗方戦勝点を稼ぎ、Ming領北米プロビの約半分を対Great Britain割譲し
Cherokee属国化の解除、シベリア植民地域の対Russia割譲で講和をした。

Russiaとしては、シベリアのロマン要素が回収出来て腹一杯の結果である。

*斜陽の帝国 [#x3611aca]
自動撮影ソフトの誤作動により、以下SS少なめとなってしまうがお許し願いたい。

|>|CENTER:参戦国|h
|COLOR(RED):Netherland|COLOR(RED):Spain|
|Ottomans||
|Great Britain||

対Ming戦で動かなかった(Great Britainは北米で戦ってたけど)3ヶ国は事前の取り決め通り
さっそくSpain戦に乗り出したようだ。

宣戦時にSpainは、盟主であるNetherlandに対して「これは間違えですよね?」と聞き正すも
「これは参加国合意の元での行動です」と、戦争突入への意思表示を行った。

Austoriaを除けば、周辺国はすべてグルになっているばかりか
元同盟国のOttomansまでその戦列に加わっているので、Spainの国運は絶望視された。

宣戦時に「Spainは海上戦力を殆ど作っていなかったので、今じゃなくてもいつか戦争を吹っかけるつもりだった」と
Great Britainは語っていたが、今まで戦端は開かずともずっと敵視していたようだ。

*奮闘 [#j5a9fdc8]
戦況は、Spain vs 3ヶ国という袋叩きの様相を呈していた。

海上では、事前に索敵をしていたGreat Britainが
本港に停泊しているHeavy Ship 20隻程を除けば、ほぼ壊滅に近い損害を与えたようだ。

初戦の奇襲にもめげず、Spainは徹底抗戦の構えを見せる。

Great BritainとNetherlandの軍が陸上より侵攻するも
Spainが各所で勝利し、2ヶ国を国境から追い出す場面も見受けられた。

しかし、勝利の余韻に浸る間も無くOttomans陸軍が駆けつけ押し返してしまい
戦力で勝る3ヶ国側がイベリア半島に雪崩れ込む。

本国を舞台に必死の抵抗を見せるも物量で圧倒的に劣る為
開戦から2年以内に、その戦力は半数にも満たない数になっていた。

*遠征軍 [#v5c12ed2]
Spainの主力が壊滅し、巻き返しは不可能と思われた頃
なんとMingがSpain側で参戦をした。

恐らく、それを踏まえてSpainも時間稼ぎをしていたのかもしれない。

ルールに乗っ取り、同盟成立から2年間は軍事的介入はしていなかったものの
沈みかけたSpain船に飛び乗ってくるとは、なかなか冒険家である。

Spain本土のプロビの大部分に敵軍が群がっているのを見てか
はたまた西洋化直後で海軍が貧弱であったからか
さすがに本土に陸軍を運び入れる事はしなかったものの、何より精神的支えになるに違いない。

Mingの参戦は、傾ききった大局にもはや影響は与えなかったものの
包囲網を張られつつある国同士で連携し、巻き返しを狙っているようにも見えた。

|>|#ref(408.jpg) |
|CENTER:対象国|CENTER:講和内容|h
|Spain|Unifi Islamの条件プロビ対Ottomans割譲|
||Provenceの対Netherland割譲|
||CitizとGibraltarの対Great Britain割譲|

この戦争でSpainは本土南部/北米領/南フランスをそれぞれいくらか失い
その復讐に燃える炎が、遠く離れたRussiaの地にまでほのか伝わってきた気がした。

[[ロシアの残光 落陽帝国 (1610年-1633年]]へ続く...。
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