[[AAR/モンゴルを再び偉大に]] *大元成立[#w846ada7] **新たなる野望[#ve83c0e0] 時代は18世紀に入りました。 少し進んだ1702年、世界情勢はこのような具合でした。 &ref(1702world.jpg); &ref(1702dip.jpg); 属国はインドのマルワ、アラビア半島のイエメン、そして東欧のモルダヴィアとリトアニアです。 それぞれ外交マップでは赤線を引きました。 インドシナ方面は小国を朝貢させつつアユタヤとマラッカに侵攻。 アユタヤは小国になった後で朝貢させましたがDAI VIETに征服されて消えました。 インド亜大陸はゴリゴリ征服して直轄地域にしています。 豊かなエリアを選んで奪っているのでヴィジャヤナガルとの国境線は複雑に。 アナトリア地方はオスマン以外のコアがほとんど消えているため、 属国開放のできるアラビア半島を中心に土地を獲得しつつ、山岳地帯をちょこちょこ奪って自分でコア化するという流れになりました。 将来の天命値を考えると決定的に弱体化させる必要があるので、ペルシャリージョンの早期奪取にはこだわっていません。 アフリカとの接点ですが、ちょうどアファー三角地帯の国となったオマーンを再び外交で朝貢させて蓋としました。 将来的にはエジプト地域にマムルークを属国解放してもう一つの蓋とする予定です。 ウラル以西のロシアはかなり小さくなりました。ここを奪えばもう用はありません。 ポーランドは前のページで書いた通り、最終的にどうするにせよ、もっと弱体化させる必要があります。 &ref(1702country.jpg); 国力。月収でスペインに負けています。あらら。 &ref(1702armys.jpg); 陸軍。こちらは圧倒的。 &ref(1702navies.jpg); 海軍。この時点では自力生産はしていません。 &ref(1702gp.jpg); 列強。 #br モンゴルはいまだ遊牧民のまま。 台湾への植民も始まっていないため当初目標としていた実績2つはどちらもまだ達成できていません。 ですが台湾はいざとなれば自力で植民するだけですし、元になるだけならもういつでもできます。 あとはオスマンを叩きさえすればいいわけですが、それだけを目標にプレイするのは今となっては物足りません。 そこで、朝貢国でもいいので、全ユーラシア大陸を支配下に組み込むことを新たな目標と定めました。 (日本列島も含む島嶼部は面倒なので除外しました) これなら朝貢強制CBの使い道もありそうなので天命を維持する形で元になる動機があります。 残りは120年。列強、そしてHRE諸国がひしめく欧州を制圧するにはきっと工夫が必要になるでしょう。 オーストリアとイギリスも大勢力ですが、国力的にも地理的にも、ラスボスはスペインでしょうか。 #br **変態への決断[#ve83c0e0] 1702年末、ポーランドに再び侵攻します。 今回はスペインがついてこないので思う存分蹂躙。 &ref(vspoland.jpg); オスマンを十分に叩いたら元に変態できるよう、HRE地域との壁を作りつつ拡大するためハンガリーを開放しました。 1706年、ロシアのウラル以西を併合。ロシアはシベリア国家に。 &ref(russia.jpg); 1707年、ついに植民者が台湾へ。最初の国はブルネイでした。 1709年、ヴィジャヤナガルを強制的に朝貢国化。高い自由欲求はお金でなだめます。 1714年、オスマンから各地の要塞を奪取。ギリシャ・マムルークを解放しました。 &ref(1714.jpg); この時点で朝貢国の開発度合計は2888となりました。 隣接する非朝貢国はロシアとオスマン2か国で合計開発度は1042。 いよいよ行けると踏んで中華皇帝SHANを冊封体制から追い出しました。 1715年、オーストリアへ初めて侵攻。CBはハンガリー領の再征服。1717年、全コアを奪って停戦。 &ref(1717.jpg); 1718年、ロシアを攻めて朝貢を強制。 1719年、台湾の3州全てに植民者が。ブルネイ2州、マラッカ1州。侵略に備えてブルネイの冊封を停止。 停戦が明けた1725年に1州を脅し取りました。 &ref(taiwan2.jpg); 1719~25年にかけて、ポーランドおよびボヘミアとその同盟国をそれぞれ攻め、国境線はこのような形に。 &ref(1725.jpg); 飛び地は属国に与えることで、直接接する国はオスマンのみをキープ …というはずでしたが、属国開放画面にボヘミアが出てきてくれません。 慌てて調べると、この州(赤矢印の先)の文化はCzechではないため、ボヘミアのコアがあっても国として解放できないようです。 文化の影響は今まで意識したことがありませんでした。。。 この1州だけでSaxony(139)、Poland(162)、Silesia(48)、Saltzburg(502)の計5か国(851)に接してしまいます(カッコ内は開発度)。 この1州だけでSaxony(139)、Poland(162)、Silesia(48)、Saltzburg(502)の4か国(851)に接してしまいます(カッコ内は開発度)。 オスマン(945)を加えると隣接する非朝貢国の開発度は1796…。 とはいえ、いざとなったら衛星国にすればいいと気づき、ひとまずはこの州を自領としたままで予定通り中華皇帝として即位することに決めました。 1725年3月、停戦の切れたSHANに易姓革命のため宣戦布告。11月に停戦。そして・・・ &ref(emperorM.jpg); モンゴルは中華皇帝となりました。幸いなことに天命増減もプラスです。 +1だった安定度を+2まで上げてdecisionを選択! &ref(YUAN.jpg); ようやく大元帝国が成立しました。 NIは元のものを採用しました。 さて、政体が変わったことによる派手な影響はwikiを見ていただくとして、地味な影響としてはEstate要素がありました。 これまではTribesがStateの50%もの州を要求していたのですが、元になった後はNobilityが10%を求めるだけに低下しました。 変態直後は彼らに州を与えていない状況なので手作業でちまちまと割り当てます。 これにより直轄領となった州の自治度が大幅に低下し経済力は向上しましたが、啓蒙主義の受容に必要な資金が増えてしまいました。 啓蒙主義の伝播州は変態以前から10%に到達していたのですが、時代先行ペナルティが消えるまで受容を待っていたことが裏目に出たかっこうです。 資金力的には大した問題ではありませんでしたが、なんだか悔しい事態でした。 #br ***[[次回:目標達成>AAR/モンゴルを再び偉大に/目標達成]] [#z3b58410] TIME:"2017-11-29 (水) 00:24:47"