[[グランド・アルメは世界最強ォォ]] #author("2020-01-15T20:02:47+09:00;2014-03-19T20:47:23+09:00","","") [[AAR/グランド・アルメは世界最強ォォ]] *ムスリム達の思惑 [#vbfd6204] 外交のタイムリミットがたったの1日しかないことから ゲーム終了直後よりFrance・Ottomansの熾烈な外交レースが始まった。 (9日目終了時~10日目までは時間にして約20時間足らずしかなかった。) 9日目のプレイ終了後の何気ない雑談の最中 敵対陣営の盟主たるOttomansに何気なく探りを入れてみるものの、はぐらかされてしまった。 「今回の最終戦争は続きが無いことからFranceとOttomansのどちらがより良いロマンを提供して 自陣営へ靡かせる事が出来るかが重要だ」というアドバイスをOttomansに託し Franceは自身の外交フィールドへと頭を切り替えた。 そんな最中、外交を飛ばしていたMughalsが不穏な事を言い出した。 Mughals「まず先にOttomansさんからお話がありましたね」 Mughals「Franceならいけそう」 敵視点で戦力分析している時点でこちらに加わる気無いじゃないですか、やだぁー! #ref(AAR1001.jpg) この後も話は進まず、Franceの中ではOttomans陣営に加わったものと解釈したが なかなか先が思いやられる展開である。 *逆襲のRussia [#n33c790e] 前回の戦争でさんざんボコっておきながら頼るのもお門違いと思いつつも 恐る恐るRussiaへ外交を飛ばしてみた。 交渉材料は中央アジアと東アジア利権の奪還というロマンで話を持ちかけ 加えて積年のライバルOttomansと決戦の刻であると説いた所、まさかの快諾。 #ref(AAR1002.jpg) Ottomans戦でのFranceの介入やGermanyとの対Russia戦でかなりヘイトを買っていると思いきや 交渉開始3分で話がまとまりビックリしたほどであった。 RussiaのFrance陣営加盟は連携の問題上GermanyかCommonwelthのどちらか、或いは両方を味方に引き入れる必要が生じ 必然的にその2カ国の重要性が増したのであった。 *ポーカーフェイス [#j0de98b7] 早速Germanyの方から当ってみることにした。 話始めにRussiaの陣営加盟があったかどうかを訪ねてきたが どことなくその敵方に回りたいという思惑があるようにも見て取れた。 参戦交渉を進める為、既に同盟関係にあると考えられていたOttomans=Mughalsのインド洋・太平洋の島々の対Germany割譲を盛り込んだ 新航路政策というロマンを掲げて陣営加入を呼びかけたもののたった一言で切り捨てられてしまった。 Germany「ロマンが足りない」 France 「ぐぬぬ...。」 Germany曰く、3B政策の実践というロマンならよし そうでなくばParisを燃やすと言い出した。 France「いや...てっきり3B政策はOttomansとの同盟の大義名分にでもすると思っていましたよ。」 もちろん二つ返事で3B政策の支持をしたものの 「まだ外交時間もたっぷりあるし、あちらの話も聞いてみます」と言い残し それ以降の音沙汰がなくなってしまった。 ゲーム終了時にOttomansも言っていたが、このGermanyは計算高く 最後までどちらに着くか本当に分からないのだ。 #ref(AAR1003.jpg) これはもしや脈無しか...などと悲嘆になりつつももう一方のCommonwelthに話を持ちかけることにした。 *ワルシャワ公国 [#z778a999] 散々GermanyやOttomansに弄ばれて国力をそがれまくったCommonwelthであったが 意外と戦力は残っているのと、元々陸軍系の国家アイディアが満載な事からなかなか侮れない。 ただし収入面がボロボロであり、陸軍の維持だけで毎月マイナス10Dという悲惨な状況にあった。 こちらから挨拶するや否や「Ottomansさんからもお話を頂きました」と告げられた。やべぇ。 一体どういう案で誘われたかを聞いてみたところ Commonwelth「主に経済面でのお話で、600Dの経済支援を約束して頂けました。」 France 「そうですか。Commonwelthさんの経済状況芳しくないからそれはなかなk...600D?」 Commonwelth「はい、600Dです」 France 「えっ」 Commonwelth「えっ」 耳を疑った。 てっきりOttomansの経済状況的に%%10万ドルポンっと%%10000Dポンっとくれたのだろうと思いきや まさかの600Dである。 すかさず攻勢に出ることにした。 France 「こちらに付いてくださればFranceから2000D、他の陣営参加国より追加で経済支援を行います。」 France 「それに加え、パン=スラブ主義の実践と題してバルカン半島のOttomans領をCommonwelthさんへの割譲をお約束しましょう。」 Commonwelth「それでしたら、私はFrance陣営への加入をお約束できそうです。」 もしこの時Ottomansが万単位での経済支援をしていれば、恐らくFranceは競り負けていたに違いない。 #ref(AAR1004.jpg) 諸手続きをCommonwelthと済ませ、 この合意を引き合いに出してGreat BritainとPortugalとの交渉を有利に運ぶ事にした。 *海洋の覇者達 [#ec6bc9c7] 早速Portugalから話を持ちかけてみると、どうもGreat Britainがどちらに参戦するかが気に掛かっている様子であった。 前項でも触れたとおり、Great BritainとPortugalは同一の貿易レーンを抱えており もし敵対することがあればそれらが寸断の危機にさらされ、自慢の海軍の運用すらままならなくなってしまうのだ。 そんなこんなでGreat Britainの方に当ってみるが、これまたPortugalと行動を共にすると言い出した。 さすがにこれではらちが明かないと考え勝負に出る事にした。 France 「Great Britainさんはこちら側で参戦をしてくださると合意してくださいました。」 Portugal「ピクッ」 France 「Portugalさんを信頼してお話させて頂きますが、CommonwelthとRussiaもこちらサイドに付いています。」 France 「Great Britain=France=Portugal海軍が合わされば外洋の制海権は揺ぎ無いものになr...」 Portugal「入ります、やらせてください。」 France 「Good Boy」 もちろん、Great Britainが合意した事実は無い。 #ref(AAR1005.jpg) すぐさまPortugalの合意を得れた事とRussia=Commonwelthの参戦が決定している事を伝えると Great BritainもFrance陣営での参戦を約束してくれた。 #ref(AAR1011.jpg) France「圧倒的ではないか我が軍は...!」 その後、5カ国合同の会議チャットを作成し合意を取りまとめ 戦略の打ち合わせへと移行して行ったのであった。 *統合幕僚本部 [#e7ced77f] #ref(AAR1006.jpg) プランはこうである。 OttomansとMughalsのリンクがほぼ確実な事から、消耗の激しいRussiaではなくCommonwelthが前線になると考えられていた。 Germanyが敵方に付く事になればCommonwelth前線説はほぼ確実となるであろう。 #ref(AAR1007.jpg) 何故ならばGermanyとOttomans=Mughalsが連携するには該当地域を通過する必要があるし 仮にCommonwelth領をスルーしてどちらか一方に兵力を集中させた場合 戦闘に負けでもすれば撤退不能判定に陥り即壊滅なんて事もありうるのだ。 Germanyがこちら側に付けば6カ国合同での攻勢をと考えてはいたものの バランス的にGermanyプレイヤーはこちらに靡く事は無さそうだと薄々感じていた。 Germany=Ottomans=Mughalsの3カ国連合が成立していたという最悪のケースを想定した 具体的な戦略に話を移すと、まずは孤立しているGermanyと連携を取り易くする為に Commonwelthへの侵攻が考えられる。 #ref(AAR1013.jpg) そうなった場合、Commonwelth=Russiaは対Ottomans=Mughalsをカルパティアラインで防ぎ止め 残るGermanyはFrance=Portugal+その他余剰戦力で片付ける事で各個撃破を目指すのがベストだ。 #ref(AAR1012.jpg) その間France海軍は北海を、Portugalは西ヨーロッパ・アフリカ沿岸の守備を Great Britainはアジア方面の制海権の奪取と強襲上陸によるゲリラ作戦を依頼した。 France・Portuhal方面への攻勢の可能性についても指摘はあったものの FranceのFort Deffence 33%UP 国家アイディアの効果とマジノ線よろしく要塞スパムが完成していたので 恐らくそれは無いだろうと踏んでいた。 #ref(AAR1009.jpg) そればかりかフリーになったCommonwelth=Russiaに攻勢に出てもらえればいいだけの話で むしろバルカン半島に首都を構えているOttomansからすればその作戦はリスキー過ぎると言える。 #ref(AAR1010.jpg) それに加え、対Mughals CoalitionにJoinして宣戦を行えばアジア方面の国々がMughals領に雪崩れ込み 実質2:5というリンチに近い構図にまで持ち込むことも可能であったのだ。 ここにAI TuscanyやAustriaも引き込んでゲームセットに持ち込みたい思いもあったが 残念ながらルールでAIとの同盟は禁止と釘を刺されてしまっている為に利用は出来ない。 *盛り上がって参りました [#e26b43c6] 遂に最終日のプレイ時刻となった。 RussiaとCommonwelthにはOttomans=France両国に関係改善を行って さも未だにどちらの陣営にも就いていないかの如く振る舞って貰い、Ottomans陣営にプランを組ませないようにした。 これはRussiaの動向を気にかけていたGermanyに対して さもFrance陣営にRussiaが参加していないように見せかけて呼び込もうという汚い作戦でもあった。 VCでは最終戦争を前にした"こうどなじようほうせん"が繰り広げられ 予想通りOttomansはRussiaとCommonwelthの陣営勧誘を活発化させていた。 #ref(AAR1014.jpg) 一方で戦争解禁まで8年間ある事から Rome開放ミッションでもやって時間を潰すことにしたFrance。しかも結構おいしい。 しかし、この判断が大きな過ちを起こす結果になろうとは...。 *あっ [#w25d703d] 国境線に200k以上の大軍を配備して優越感に浸りつつ、Sweizerlandに即宣戦を行う。 なんでSweizerlandなのかというと、Tuscanyの同盟国である為にほぼ確実に付いて来くるし 両国まとめて踏み潰してArmy Traditionを稼ぎまくろうとしていたのだ。 #ref(AAR1015.jpg) France「いい余興だ、Ottomans陣営を震撼させやろう」 #ref(AAR1016.jpg) France「あっ」 #ref(AAR1017.jpg) France「...。」 開戦から僅か2ヶ月でFrance陸軍はピレネー以南に追いやられてしまった。 *これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない! [#z763b84d] まずい、非常にまずい。 Ottomans陣営を震撼させるどころかヘボったFranceを見限って陣営参加国が逃げて行きそうではないか。 あまりの事態にGreat Britainが「あーぁ、知らない。」やMughalsが「これじゃ戦争にならないよー」と 遺憾砲を撃ち込んでくるが当のFranceは一体何が起きているかすら理解出来ていない。 次々出てくる軍団消滅のポップアップを前にFranceは「あうあうあー(^q^)」状態に陥り もはや思考停止寸前であった。 #ref(AAR1019.jpg) 落ち着いてMoralの欄を見てみるとまさかの賃金上げ忘れが原因だと発覚。 「SSなんて撮ってないではよ気づけよ」と感じる方もいらっしゃるかと思うが Kiokuという自動撮影ツールで勝手にパシャパシャ撮ってくれていたのをサルベージしただけで その頃、中の人はレジオンドヌール勲章がヤフオクで流れているとCommonwelthから聞きつけURLを張って貰い 画面を戻して連戦連敗のポップアップを目にするまで、まじまじと観覧していた。 手元に残された69kの陸軍を休み無くこき使った結果、どうにか白紙和平に持ち込むことが出来たものの 最早Manpowerは底を尽き、最終戦争所の話ではなくなってしまった、なんてこった。 *黄昏の帝国 [#a544d7b3] 最終戦争間近(戦争解禁約5年前)にしてFranceが自爆した事で世界情勢が大きく動くかと思われた。 OttomansのCommonwelth=Russiaへのラブコールは尚も続き こりゃダメかなとFranceの中の人も軽く諦めていた...が、誰一人として離反者が出なかった。 年間36kものManpowerを算出する国力と、実はちゃっかりArmy TraditionがMAXになって 負けてなお強勢を誇るFranceだったからなのかもしれない。 さすがFrance、初心者にはうってつけの国(?)である。 ぶっちゃけ外交戦争の時点で優劣決まってて 「今更France如きが弱ったところで大局に影響ないわ」とか思われていたのはないだろうか。 *開会式 [#t61b829a] 1689年も僅か1ヶ月を残すところとなった時、恐らくすべてのプレイヤーが身構えたに違いない。 その頃にはFrance陸軍も傭兵交じりでLimit+20連隊まで配備し終えていたものの 頼みのManpowerは10kちょっとしかなかった。大丈夫かこの国。 いざプレイヤー間戦争解禁の1690年に差し掛かって見ると、お互いに宣戦布告はせず 冷戦の如くにらみ合いが続くだけであった。 それが1691年、1692年...1695年と静かに時間だけが過ぎて行き さすがにFrance陸軍も編成を終え、Manpowerも30kまで回復し終えていた。 この間はてっきりFranceへの配慮からかと思っていたが、Franceはあることに気がついてしまった。 France「あ、やべぇ。OttomansのMil Lv今22だ」 そうだ、そうだった。 Ottomansの弱みであるMill Lvが23に達した時、こちらの優位性は恐らく完全に失われ 質と数を兼ね揃えた化け物国家に変貌してしまうのである。 当初の予定通り、MughalsのCoalitionにJoinするよう呼びかけ すぐさま戦闘態勢には居る...が、ここで対Mughals CoalitionでAIを呼び込む事に Ottomans陣営が異を唱える。 すかさず、前日のルール策定の時点ではその件に規定は無かったと話すも それでは攻め側が有利になってしまうという理由で投票がなされることになった。 Ottomansは「プレイヤー間の最終戦争」であるからAIの介入は最小限に抑えるべきであると説き Franceやその他プレイヤーもこれに同意したことで、空しくもアジア国の介入による Mughals足止めのプランは頓挫してしまった。 代案として、France陣営がGermanyにCoalitionを組んだ後に宣戦を行う形で決が採られたが MughalsはGermanyとの関係改善がまだ済んでおらず 『Call to Arms』を行えるまでの間、しばらくお留守番する羽目になった。 これはなかなか大きいかもしれない。 戦争開始直前、他のプレイヤーより「この大戦が起きた原因って一体何?」という 質問が飛び出していたので、何となくストーリーを作ってみた。 *プロローグ [#w880db76] ''1693年11月19日'' Germany国王に拡張主義の国王が即位したことを契機に ヨーロッパには今までに経験した事の無い程の戦乱到来が予見された。 当時の歴史学者が皆口を揃えて書き記している。 「Germanyに野心に燃える世継ぎが誕生した事は天災であるが、その抑止力たるFranceの没落は人災に他ならない。」 Franceの国力低下は結果として周辺各国の拡張欲を燃え上がらせる事につながり 複雑に絡み合った欧州外交が暴発するのは時間の問題であった。 #br #br ''1694年4月3日'' Commonwelth国王の死去とヤゲヴォー朝断絶の知らせは、Germanyの領土欲をかきたてるには十分であった。 婚姻を結んでいたRussiaは領土保全を大義名分に、遠戚に当たるミハイル・ヤノーシュをCommonwelth王に就かせ 正当性を疑う者は自身の軍をヤノーシュに貸し与え弾圧をさせた。 反目した貴族達は国外へ亡命を余儀なくされ、その多くはGermanyやOttomans、さらにはFranceへと散り散りとなった。 #br #br ''1694年11月27日'' Germany国王はサンスーシ宮殿内にて元Commonwelth貴族達の帰還を手助けすると宣誓し 証人を外相、蔵相、陸相の3名らと書き綴った王印付きの証紙をCommonwelth=Russiaへ送りつけ 速やかにConstantinopolisへ密使を走らせた。 Ottomansのスルタンは2度目のOttomans戦争の盟を引合いにだし、何故あの時助けたのかと今一度尋ねた。 すると密使は 「世界は広がり続けるが束ねる者は未だに現れず、ただいがみ合うばかり。」 「人の世に思いを馳せるムハンマドの子らならば理解出来るはず、枢軸こそ世に安寧をもたらすものではないか。」 スルタンはヨーロッパへ領土の広まりに思いを馳せ 亡命中のCommonwelth貴族らをハギア・ソフィアに集め公文書に調印し、彼らを喜ばせて見せた。 #br #br ''1695年1月20日'' 事態を重く見たRussiaはシベリア出兵の際に規律を保ち整然と軍務をこなしていたFrance軍を思い起こし St.Petersburgよりツァー自ら船に乗り交渉へと向かった。 ツァーが宮廷に向かっていると耳にしたFrance皇帝は、まるで古き間柄であるかのように迎え、そして接した。 この日、隣国のGermanyに脅威を覚えていたFrance皇帝はツァーと 互いの危機に駆けつけると盟約を交わし、亡命中のCommonwelth貴族達を国外追放してしまう。 #br #br ''1695年2月17日'' GermanyとOttomansが共同でRussiaに対し最後通牒を送りつけ、関係各国は予備役の動員を発令した。 武装中立同盟を唱え、海洋国家同士の連携を保持していたGreat Britain=Portugalの議会でも 欧州大戦機運高まりを前に、大陸不干渉を打ち出すべきか否かを激しく議論されていた。 Russiaのツァーの呼びかけでヤルタにてヨーロッパ情勢を巡る会談が催されると もちろんGreat BritainとPortugalにも招待状が送られていた。 彼らは悩んだ末、ヤルタの地へ赴く事にしたが、ホスト国がRussiaとあってGermanyとOttomansの2ヶ国は不参加を表明した。 この判断が結果として対Germany・Ottomans包囲網へと発展していくことになろうとは...。 #br #br ''1695年4月23日'' Mingに向け歴史的大遠征を計画していたMughalsの皇帝の元に一通の親書が届いた。 そこには「ヨーロッパ大戦は不可避なものとなり、OttomansとGermanyが危機的状況にある」と綴られていた。 皇帝はただ一言「転進せよ」とだけ言い放ち、古き友が待つヨーロッパの地へと軍を差し向けるのであった。 #br #br ''そして、1695年5月2日........。'' ..........。 ......。 ..。 #br 私は自由を憎んだわけではない。私はむしろ自由の観念で養われてきた。 私は自由と同時に平和を渇望する。だが、そのためには勝利の道を歩まねばならない。 ナポレオン・ボナパルト [[グランド・アルメは世界最強ォォ 十日目 最終戦争]]へ続く... 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