#author("2020-01-23T07:07:13+09:00;2019-06-22T12:53:15+09:00","","") [[AAR/ウズン・ハサンは毛刈りの夢を見る]] *正史 [#m4aff558] 10世紀以降に中央アジアから中東へ移動した遊牧民族オグズは22~24の氏族の集合体であり、 その中には後にセルジューク朝、オスマン朝、黒羊朝、そして白羊朝を創設することになる部族が含まれていた。 14世紀中ごろにイル・ハン朝の支配を脱した中東で、バヤンドル部族はディヤルバクルを中心に部族連合を形成。 次第に「『白い羊』に属する者」、Aq Qoyunluと呼ばれるようになる。 しばらくは東の大国ティムール、のちにジャハーン・シャー率いる黒羊朝に服属するが、周辺国との同盟などで勢力を蓄え1467年にジャハーン・シャーを暗殺、黒羊朝を一挙に併呑する。 1469年にはティムール朝を破りイラン西部を獲得し、一挙に大帝国へと躍進することとなった。 #ref(./Aq003.jpg,80%) アレクサンドロス並みの急拡大。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%BE%8A%E6%9C%9D#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Aqquyunlu.pngより引用 しかし1478年にウズン・ハサンが没すると王位争いで国内が混乱し、分裂を始める。 アルダビールに拠点を置くサファビー教団教主のイスマーイールが部族を糾合し、まずはタブリーズを、次いで白羊朝全土を支配化に収めることとなる。 *始まりは大胆に [#n5038b8a] ウズン・ハサンの足跡を辿る実績ですが、まず再現不可能な侵略スピードに驚かされます。 全土併合は戦勝点と過剰拡大の観点から非現実的であるため、割譲・移譲・国家開放を併用します。 1444年12月、可能になり次第即刻HisnKayfaに宣戦布告します。 #ref(./Aq004.jpg,80%) 請求権がないので安定度を下げてしまいますが、Qara Qoyunluの警告を回避しつつ豊富な永久請求権を獲得します。 請求権がないので安定度を下げてしまいますが、Qara Qoyunluの警告を回避しつつ豊富な恒久的な請求権を獲得します。 #ref(./Aq005.jpg,100%) #ref(./Aq006.jpg,100%) 戦後周辺国家との関係を改善し、Qara Qoyunlu包囲網を形成します。 #ref(./Aq008.jpg,80%) 今回はQara Qoyunlu自身が南のMushasha、北のArdabilと同盟を結んだことでさらに自らの拡張の余地を狭めてくれました。 さらなる囲い込みと同盟国の拡張のため、Samtskhe、Trebizond、Dulkadirと立て続けに戦争し史実通りに勢力を蓄えていきます。 #ref(./Aq007.jpg,80%) SamtskheをGeorgiaに #ref(./Aq010.jpg,80%) #ref(./Aq011.jpg,100%) 囲まれているうちにHumiliate達成 1453年、Trebizondの包囲に派遣した君主ジャハーンギールが戦死します。 これにより史実と同じ年にAq Qoyunluの英主ウズン・ハサンの即位がなりました。 #ref(./Aq009.jpg,100%) *第1次オグズ戦争 [#y656365a] 1460年、MamluksのFadlが併合され、MamluksとQara Qoyunluが領土を接します。 同じライバルを持つ関係であるため、関係改善と婚姻を合わせることで同盟を締結。 同年、中東全体を巻き込んだ第1次オグズ戦争を開始します。 #ref(./Aq012.jpg,100%) #ref(./Aq013.jpg,100%) 圧倒的戦力差 #ref(./Aq014.jpg,80%) 4年後には全土の占領と同盟国(特にArdabil)の分離和平を実施。 領土を約束した同盟国にも割譲することで国力を一気にそぎ落とします。 #ref(./Aq015.jpg,80%) #ref(./Aq016.jpg,80%) *お前が死ぬまで殴るのをやめない [#mb6b7749] 分離で白紙和平させたArdabilの停戦終了が1467年10月。 次なる戦争はArdabil宣戦によるQara Qoyunluつり出しを計画していました。 ところが、 Ajamが小国Bitlisとの戦争で借金まみれになり、 GeorgiaがQara Qoyunluから流れてきたArmenia独立軍に粉砕され、 OttomansがSerbia/Bosnia連合とKaramanそれぞれの戦争で人的資源を破壊されます。 この結果Ardabilに宣戦布告しても誰もついてきてくれない状況となっていました。 #ref(./Aq017.jpg,80%) #ref(./Aq018.jpg,80%) のちにGeorgiaを蹂躙するArmenia独立軍 困り果てたところに一筋の光明が。 #ref(./Aq019.jpg,100%) 隣接してないのに領土を欲しがるOttomans 安定度も下がりますが時間もないので第2次オグズ戦争を開始します。 Ottomansの力もあり楽々と首都を陥落させ、戦勝点を稼ぎます。 OttomansがうっかりArmenia独立軍が占領するYerevanを落としかけたので慌てて和平を行い、広い領土を誇るIraqを独立させます。 #ref(./Aq020.jpg,80%) 時間もないのでArmeniaの独立を見届け、陸軍が戻り次第三度Qara Qoyunluに宣戦布告します。 #ref(./Aq021.jpg,80%) 人的資源も枯渇した敵国をよそに全土占領を進めていると、またしても問題が発生。 #ref(./Aq022.jpg,80%) Qara Qooyunlu最北端、Ganjaにどの国の中核もなく、Armeniaが邪魔で占領もできないことが判明。 そのため、Armeniaから通路をいただくこととなりました。ミッションで請求権が得られていて本当によかったと思います。 また、停戦協定無視で安定度-3の時は宣戦できないことを初めて知りました。 しょうがなく安定度を上げて宣戦した瞬間、 #ref(./Aq023.jpg,100%) これ以上ないぎりぎりのタイミング Aq Qoyunluの英雄、ウズン・ハサンは中東制覇の途上でこの世を去ってしまいました。 しかし、彼が始めた戦争が終われば実績達成は目前です。 1475年、Armenia街道を奪い、Qara Qoyunluの全土を征服。 属国解放と残りの領土の回収を実行します。 #ref(./Aq024.jpg,100%) これにて、晴れてTabrizの領有とQara Qoyunluの滅亡を果たし、ウズン・ハサンの夢は現実となったのでした。 #ref(./Aq025.jpg,100%) #ref(./Aq026.jpg,100%) *急拡大のつけ [#ve2efa30] 実績達成のつけは大きく、合計3度の協定違反と領土拡張はOttomansの同盟離脱と中東全域の包囲網を残しました。同盟国であるAjam、Mamluksも過剰拡大値がすでに50を超えています。 #ref(./Aq027.jpg,80%) #ref(./Aq028.jpg,80%) このAq Qoyunluもウズン・ハサンの死後、周辺国(もしかしたら北方のArdabil)に吸収されていくかもしれませんが、それはまた別の物語で。 [[AAR/ウズン・ハサンは毛刈りの夢を見る]]~Fin.~