#author("2023-11-30T10:18:44+00:00","","")
#author("2023-11-30T14:12:59+00:00","","")
[[データ/National Ideas]]

東アジア、東南アジア、タタールに首都がある国家のNIを掲載しています。
その他のアジア国家については、[[こちら>../WestAsia]]です。
アナトリア・コーカサスはゲーム上はヨーロッパ扱いだが、このページで扱う。

|>|CENTER:|c
|~ヨーロッパ|[[西欧>データ/National Ideas/WestEurope]] / [[中欧>データ/National Ideas/CentralEurope]] / [[東欧>データ/National Ideas/EastEurope]]|
|~[[アフリカ>データ/National Ideas/Africa]]|[[北アフリカ>データ/National Ideas/Africa#NorthAfrica]] / [[南アフリカ>データ/National Ideas/Africa#SouthAfrica]]|
|~[[東アジア>データ/National Ideas/EastAsia]]|[[東南アジア>データ/National Ideas/EastAsia#EastIndies]] / [[東アジア>データ/National Ideas/EastAsia#EastAsia]] / [[タタール>データ/National Ideas/EastAsia#Tartary]]|
|~[[西アジア>データ/National Ideas/WestAsia]]|[[中東>データ/National Ideas/WestAsia#MiddleEast]] / [[インド>データ/National Ideas/WestAsia#India]]|
|~[[アメリカ / オセアニア>データ/National Ideas/America]]|[[北米>データ/National Ideas/America#NorthAmerica]] / [[中南米>データ/National Ideas/America#Central-SouthAmerica]]/ [[オセアニア>データ/National Ideas/America#Oceania]]|
|~その他|[[汎用>データ/National Ideas#Hanyou]] / [[衛星国>データ/National Ideas#Clientstate]] / [[隠し国家>データ/National Ideas#Hidden]] / [[特殊国家>データ/National Ideas#ConverterOnly]]|
|>|[[効果対訳表>データ/National Ideas#tf3e16fe]]|
|>|[[コメント欄>データ/National Ideas#s1f415f8]]|

#contents
 
*東アジア [#EastAsia]

|CENTER:20|>|>|>|>|CENTER:|c
|~各国NI|~日本|[[アイヌ(Ainu)>#ANU]]|[[朝倉(Asakura)>#ASA]]|[[足利(Ashikaga)>#ASK]]|[[尼子(Amago)>#AMA]]|
|~|~|[[安東(Ando)>#AKT]]|[[一色(Isshiki)>#ISK]]|[[伊東(Ito)>#ITO]]|[[今川(Imagawa)>#IMG]]|
|~|~|[[上杉(Uesugi)>#UES]]|[[宇都宮(Utsunomiya)>#UTN]]|[[大内(Ouchi)>#OUC]]|[[大友(Otomo)>#OTM]]|
|~|~|[[小笠原(Ogasawara)>#OGS]]|[[織田(Oda)>#ODA]]|[[菊池(Kikuchi)>#KKC]]|[[北畠(Kitabatake)>#KTB]]|
|~|~|[[河野(Kono)>#KNO]]|[[佐竹(Satake)>#STK]]|[[斯波(Shiba)>#SBA]]|[[島津(Shimazu)>#SMZ]]|
|~|~|[[少弐(Shoni)>#SHN]]|[[宗(So)>#SOO]]|[[武田(Takeda)>#TKD]]|[[伊達(Date)>#DTE]]|
|~|~|[[千葉(Chiba)>#CBA]]|[[長宗我部(Chosokabe)>#CSK]]|[[筒井(Tsutsui)>#TTI]]|[[土岐(Toki)>#TKI]]|
|~|~|[[徳川(Tokugawa)>#TKG]]|[[南部(Nanbu)>#RFR]]|[[日本(Japan)>#JAP]]|[[畠山(Hatakeyama)>#HTK]]|
|~|~|[[北条(Hojo)>#HJO]]|[[細川(Hosokawa)>#HSK]]|[[毛利(Mori)>#MRI]]|[[山名(Yamana)>#YMN]]|
|~|~|[[琉球(Ryukyu)>#RYU]]||||
|~|~朝鮮|[[朝鮮(Korea)>#KOR]]||||
|~|~北中国|[[元(Yuan)>#YUA]]|[[順(Shun)>#CSH]]|[[清(Qing)>#QNG]]|[[明(Ming)>#MNG]]|
|~|~南中国|[[苗(Miao)>#CMI]]||||
|~|~西南|[[彝(Yi)>#CYI]]|[[大理(Dali)>#CDL]]|||
|>|~グループNI|[[大名(Daimyo)>#Daimyo]]|[[中国(Chinese)>#Chinese]]|||

**各国NI [#s0d9a3cb]

***アイヌ(Ainu)v1.24[#ANU]
v1.24で専用NIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍損耗&color(green){-15%};||
|>|~|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|~|
|チャシ|Chasi|要塞防御&color(green){+20%};|チャシは、高い場所に築かれ、壕や崖などで周囲と切り離された施設。&br;現存物がないのもあり、用途は色々と説があるが、&br;当時の和人は砦と認識していたようである。|
|海の富|Riches of the Sea|交易品生産量&color(green){+10%};|ここで言う海の富はクジラのこと。&br;アイヌは和人よりずっと早く捕鯨の文化があったとされ、貴重な食糧、タンバク源であった。&br;ただし、捕鯨よりも、座礁して打ち上がった鯨(寄りクジラ)を食糧としていた。&br;アイヌではこれを神からの贈り物と捉えていた。&br;その為、鯨を襲い座礁させるシャチは非常に神聖視され、&br;レプンカムイ(海の神)として讃えられている。&br;ちなみに陸(森)で最も神聖視されているキムンカムイ(山の神)は(・(ェ)・)。|
|南方との貿易|Southern Traders|州からの交易力&color(green){+15%};|当然ながら、我々の祖先和人との貿易のことである。|
|縄文人の後継者|Heirs of Jomon|威信&color(green){+1/年};|縄文人は縄文時代に日本で居住していた人々のこと。&br;現在の日本人は朝鮮から渡ってきた(渡来系)弥生人、&br;もしくは縄文人と弥生人の混血と言われているが、&br;アイヌは縄文人のDNAを色濃く受け継いでいるとされる。&br;昔の日本では、弥生人=日本人で縄文人=蝦夷=アイヌと捉えられてきたが、&br;現在では否定されている。|
|狩人と戦士|Hunters and Warriors|敵損耗&color(green){+1};|アイヌ民族は狩猟のための弓矢などの技術に長けており、&br;それは和人との抗争など軍事行動の際にもいかされた。&br;1591年の九戸の乱においては松前氏によってアイヌから召集された弓兵が参戦し、&br;毒矢を用いて攻撃を行ったとされている。|
|ユーカラ|Yukar|国教寛容度&color(green){+2};|アイヌ民族における叙事詩の総称。&br;アイヌは文字を持たないので口承で伝えられてきた。&br;「クトネシリカ」(Kutune Shirka)が有名。&br;ユーカラの英雄ポイヤウンペの物語。&br;また、その愛刀をクトネシリカという。&br;日本ではKutune→イタドリ=虎杖と意訳され、「虎杖丸の曲」という名で広まった。|
|激しい抵抗|Fierce Resistance|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|当然、和人からの侵略に対するアイヌの抵抗の事である。&br;当時のアイヌの酋長コシャマインやシャクシャインの蜂起が有名。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|人的資源&color(green){+15%};||

***朝倉(Asakura)v1.35[#ASA]
v1.24で専用NIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};||
|>|~|規律&color(green){+5%};|~|
|隠れた外交|Hidden Diplomacy|外交枠&color(green){+1};|おそらく朝倉氏中興の祖第7代朝倉英林孝景が行った&br;応仁の乱時の西軍から東軍への鞍替えの事を言っている。&br;朝倉英林は当初主家の斯波義廉に従い、西軍主力として活躍した。&br;しかし、将軍足利義政及び細川勝元から&br;裏で交渉し、守護権限行使の密約をもらって東軍に寝返った。&br;その後、越前守護代の甲斐氏と戦い、越前を平定、越前守護に任じられる。|
|越前和紙|Echizen Paper|交易品生産量&color(green){+10%};|越前和紙は越前で製造される和紙。&br;室町期に和紙の産地が形成され、朝倉氏が保護したとされる。&br;現代においても和紙生産日本一である。&br;重要無形文化財指定。|
|一乗谷の都市|Ichijodani City|開発コスト&color(green){-10%};|朝倉氏の拠点。応仁の乱にて荒廃した京より多くの公家、文人が避難したとされ、&br;華やかな京文化が開花した。北ノ京とも呼ばれた。|
|朝倉宗滴|Asakura Soteki|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|朝倉宗滴は朝倉英林孝景の子であり、&br;長年に渡り朝倉氏の参謀(実質の当主とも)として活躍した。&br;本名は朝倉教景で宗滴は法名。&br;全国にその武は轟いており、加賀の一向一揆と戦った九頭竜川の戦いでは、&br;一万で三十万の軍勢と戦い、勝利している。&br;宗滴が語ったものをまとめた書「朝倉宗滴話記」も存在し、&br;「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」という部分が有名。&br;|
|十七箇条の家訓|Seventeen Clan Code|信心&color(green){+1/年};|朝倉孝景条々のこと。朝倉敏景十七箇条とも。&br;朝倉英林孝景が制定した分国法。敏景は英林孝景の別名。&br;17ヶ条からなる領内統治の家訓で分国法の初期の一例とされる。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|仏教宗派の支配|Control of Buddhist Sects|国教寛容度&color(green){+2};|越前には曹洞宗の大本山永平寺や&br;天台宗の有力寺院の平泉寺など有力な寺院がある。&br;一向宗も多く、朝倉氏は一向宗に悩まされる事となる。|
|継体天皇の遺産|Legacy of Emperor Keitai|侵略的拡大&color(green){-10%};|継体天皇は第26代天皇。&br;現在の皇室は継体天皇を初代として樹立されたとする論がある。&br;継体天皇は母の故郷である越前で育ったとされ、最初は越前を統治していたとされる。&br;干拓や港を開いて産業振興を行ったとの伝承があり、越前開闢の祖とされる。&br;その後、越前から招聘されて皇位に付いた。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|安定度コスト&color(green){-10%};||

***足利(Ashikaga)v1.35[#ASK]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|戦争疲弊&color(green){-0.2/月};||
|>|~|後継者誕生確率&color(green){+50%};|~|
|源氏の棟梁|Head of the Genji|陸戦で得る威信&color(green){+100%};|源氏本家が断絶したのち、足利氏当主は清和源氏経基流の嫡流として武門の筆頭格の名家とみなされるようになった。|
|朝廷の守護者|Defenders of the Imperial Court|信心&color(green){+1/年};|室町幕府の仕事の一つに朝廷の保護があった。&br;朝廷行事に関する諸費用のやりくりを足利氏が受け持つ代わりに、朝廷側も様々な便宜を足利氏にはかった。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|東山文化|Higashiyama Culture|威信&color(green){+1/年};|室町幕府8代将軍・足利義政の建立した「慈照寺銀閣」に代表される文化。&br;能、茶道、華道、庭園、「わび・さび」などが生み出され、日本の伝統文化の原点を成した。|
|唐船奉行|Tosen-Bugyo|国内ノード交易力&color(green){+25%};|室町幕府の役職名。中国・朝鮮・琉球との交易を司った。|
|奉行衆と奉公衆|Bugyoshu and Hokoshu|顧問コスト&color(green){-15%};|奉行衆は文官官僚集団のこと、奉公衆は武官官僚集団のことである。|
|幕府直轄地|The bakufu Chokkatsuchi|税収&color(green){+15%};||
|将軍- 守護制の改革|Reform the Shogun - Shugo System|属国収入&color(green){+25%};|v1.23で名前のスペルミスが修正(Shogu→Shugo)された。|
|~|~|属国からの扶養限界ボーナス&color(green){+100%};|~|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};||

***尼子(Amago)v1.25[#AMA]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|インフレ削減&color(green){+0.1/年};||
|>|~|陸軍維持費&color(green){-5%};|~|
|近江源氏|Omi-Genji|陸軍伝統低下&color(green){-1%/年};|宇多源氏源成頼の子孫で、代々近江の守護として勢力を持った佐々木氏の一族を指す。&br;尼子氏は佐々木氏の流れを組む京極氏の分家。|
|出雲守護|Izumo Shugo|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|出雲守護は室町以降代々京極氏が世襲しており、尼子氏はその守護代であったが、&br;京極氏の衰退により晴久の代で出雲守護となる。|
|要塞化された城群|Fortified Strongholds|要塞防御&color(green){+15%};|尼子氏の本城である月山富田城は堅城として名高い。&br;また、本城を取り囲む10の支城は尼子十旗と呼ばれ、月山富田城の守りを更に強固とした。|
|十勇士|Ten Brave Warriors|陸軍士気&color(green){+10%};|山中鹿介を筆頭とした尼子十勇士のことを指す。|
|沿岸交易の支配|Dominate the Coastal Trade|州からの交易力&color(green){+10%};|戦国時代、瀬戸内海は海賊が横行していたため、山陰への寄港も多かった。&br;山陰の重要な港である美保関港は尼子氏が押さえており、鉄交易により莫大な利益を得ていた。|
|杵築|Kizuki|国教寛容度&color(green){+2};|杵築大社は、出雲大社のこと。&br;明治に入るまで出雲大社は杵築大社と呼ばれていた。出雲国一宮(出雲国で一番格の高い神社)。|
|石見銀山|Iwami Ginzan|交易品生産量&color(green){+10%};|世界遺産にも認定された日本最大の銀山。&br;世紀前半の最盛期には世界の産出銀の約3分の1を占めていたと言われる。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|規律&color(green){+5%};||

***安東(Ando)v1.23[#AKT]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|交易効率&color(green){+10%};||
|>|~|輸送船コスト&color(green){-20%};|~|
|秋田への行軍|March of Akita|被白兵ダメージ&color(green){-15%};|秋田(飽田)は、古来より蝦夷に対する抑えの拠点であり、秋田には専当の国司(秋田城介)があてられた。&br;安東氏は室町以来秋田城介を名乗っている。|
|アイヌ交易|Ainu Trade|首都ノード交易力&color(green){+20%};|安東氏やその従属下にあった蠣崎氏はアイヌとの交易で利益を上げていた。|
|一族の統一|Clan Unification|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|安東氏は鎌倉以来、湊を拠点とした上国安東氏と檜山を拠点とした下国安東氏に分裂していた。&br;16世紀半ばの愛季により両者は統一される。|
|貿易の拡大|Trade Expansion|商人&color(green){+1};|江戸時代、蝦夷の渡島郡は、大半が米の収穫のない土地であった&br;その為、領有する蠣崎氏改め松前氏は、石高知行ではなく、&br;蝦夷地(アイヌの土地)の特定区域を商場(あきないば)と称してアイヌとの交易権を知行として与えた。&br;この商場は次第に広がり、1679年のシャクシャイン蜂起の頃には北海道全域にあった。&size(10){&br;※松前氏は豊臣政権時には、安東氏より独立しているが(ゲーム上でも渡島は1590.8.10より安東から織田の州になり、その後、徳川の州となる)、&br;松前氏中興の祖である蠣崎信広は安東氏の娘と婚姻しており、その子が次の当主となっているので、松前氏を安東氏の一族としているのであろう。};&br;&size(6){%%決してパラド社が適当に調べて間違えた訳でも、安東氏について7つも思いつかなかった訳ではない。%%};|
|他文化の統合|Integration of Other Cultures|文化転向コスト&color(green){-15%};|安東氏配下だった蠣崎氏は、アイヌの棲み処であった蝦夷の沿岸を徐々に和人が住む地域へと変えていった。&br;v1.23で名前が一部修正(other→Other)された。|
|奥州の日之本将軍|True Shogun of Oshu|規律&color(green){+5%};|15世紀、下国当主康季は若狭国羽賀寺の再建の勅令を受けた際、&br;奥州十三湊日之本将軍と称し、天皇もその呼称を認めていた。|
|養子制|Adoption System|後継者誕生確率&color(green){+50%};|安東氏の後身の秋田氏は江戸時代に三春藩を治めたが、藩主11代のうち4人が養子である。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|植民地人口増&color(green){+15};||

***彝(Yi)v1.35[#CYI]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|被白兵ダメージ&color(green){-10%};||
|>|~|要塞防御&color(green){+20%};|~|
|彝族のカースト制強化|Strengthen the Yi Caste System|安定度コスト&color(green){-10%};|彝(イ)族には厳しい階級制があり、5層に分かれる。&br;支配層と奴隷層があり、それぞれ黒彝、白彝と呼ばれる。&br;最上位に族長の階層でもある「茲莫」(ヅモ)。&br;次に奴隷主の「諾」(ノホ)。ここまでが黒彝で人口の約7%を占める。&br;以下は、白彝で一般層の「曲諾」(チュソ)。&br;その下は奴隷とされる「安家(瓦加とも)」(ワチャ)。&br;最後に家内奴隷の「呷西」(ガシ)である。|
|山中の奥|Deep in the Mountains|敵損耗&color(green){+1};|彝族は中国王朝と戦いながら南進し、四川や雲南の深い山奥に籠った。|
|茲莫領域の繋がり|Chain of Zimo Domains|増援速度&color(green){+15%};|茲莫(ヅモ)は、彝族の族長のこと。|
|彝族の太陽暦|Yi Solar Calendar|税収&color(green){+10%};|彝族は十月太陽暦という暦法を昔から使用していた。&br;この暦法は一年を十ヶ月に分け、毎月三十六日があり、合計360日、5~6日を過年日とした。&br;地球が太陽を一周する時間は365.25日と精確に計算している。&br;世界中のどんな古代暦法よりも正確な歴法であった。|
|ピモ主義の促進|Promote the Bimoism|国教寛容度&color(green){+2};|ピモ(Bimo)は、彝族における司祭的役割を果たす宗教職能者のこと。|
|天墓の修復|Renovate the Skyward Tombs|信心&color(green){+1/年};|彝族の墓には、「向天墓」と呼ばれる彝族漢族折衷のピラミッド型墳墓がある。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|黒虎の子孫|Children of the Black Tiger|陸軍士気&color(green){+10%};|中国の民族には、虎を始祖とする民族がいくつか見られ、&br;彝族も黒虎を始祖とする伝承が残っている。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|人的資源回復速度&color(green){+10%};||

***一色(Isshiki)v1.22[#ISK]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|外交枠&color(green){+1};||
|>|~|守備兵数&color(green){+25%};|~|
|丹後守護|Shugo of Tango|首都ノード交易力&color(green){+10%};|明徳の乱で功を上げた一色満範が丹後守護に任じられて以降、細川忠興に滅ぼされるまで200年近く丹後を支配した。|
|侍所所司|Minister of Samurai-Dokoro|不穏度&color(green){-1};|侍所は、鎌倉幕府と室町幕府において、軍事・警察を担った組織。所司はそのリーダー。&br;室町においては赤松氏、一色氏、京極氏、山名氏(四職)が交代で所司を務めた。|
|天橋立|Bridge of Heaven|外交評判&color(green){+1};|天橋立(あまのはしだて)は、京都府北部の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て、&br;全長3.6キロメートル及ぶ湾口砂州。日本三景の一つ。&br;古代より奇勝・名勝として知られ、平安時代の百人一首にも登場する。|
|旧領地の奪還|Reclaim Old Territories|請求権捏造コスト&color(green){-25%};|一色氏は室町幕府の成立以来、代々丹後守護を務め本拠地としてきたが、&br;6代将軍足利義教の命で一色義貫が暗殺されると、守護職は若狭守護武田氏に与えられてしまい、大きな打撃を受けた。&br;これ以降一色氏は丹後の奪還を目指して武田氏と激しく争った。|
|稲富流砲術|Inadome Gunnery|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|一色氏の家臣であった稲富祐直を開祖とする鉄砲術。&br;祖父稲富祐秀が鉄砲名人・佐々木義国に学んで認可を得た砲術を受け継ぎ、編み出したとされる。|
|道路網の改良|Upgrade the Road Network|移動速度&color(green){+15%};||
|港の拡張|Expand our Ports|開発コスト&color(green){-10%};&br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};||

***伊東(Ito)v1.35[#ITO]
Ver1.35で伊東領の統一(Unify the Ito Domain)の効果が「無償指揮官枠+1」から「安定度コスト-10%、月間戦争疲弊-0.03」に変更

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|諜報網構築力&color(green){+20%};||
|>|~|守備兵増加速度&color(green){+25%};|~|
|御家人の家柄|Gokenin Family|威信&color(green){+1/年};|御家人とは、鎌倉幕府の将軍と主従関係を結び従者となった武士のこと。伊東氏は「曽我兄弟の仇討」で討たれた御家人・工藤祐経の子・伊東祐時を祖とする。|
|伊東領の統一|Unify the Ito Domain|安定度コスト&color(green){-10%};|伊東氏は南北朝統一の頃には日向国中央部を支配していたが、&br;南部には日向守護である島津氏が支配していた。また、北部には土持(つちもち)氏が支配しており、&br;土持と伊東の両者は初めは確執は少なかったものの伊東が次第に勢力に伸ばすに連れ確執が表面化、&br;土持が島津と同盟を結んだことがきっかけにより、1456年に戦端が開かれ、&br;以来1577年の伊東義祐が日向を追われるまでの約100年間抗争を繰り広げた。|
|~|~|戦争疲弊&color(green){-0.03/月};|~|
|天孫降臨の地|Land of God's Landing|侵略的拡大&color(green){-10%};|日本神話では、天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、高天原から日向国の高千穂峰へ天降ったとされる。&br;邇邇藝命の曾孫が初代神武天皇とされる。|
|反守護運動|Anti-Shugo Movement|コア化コスト&color(green){-10%};|室町時代の日向守護は島津氏であり、伊東氏と島津氏は日向国の領有を巡り、対立。&br;1397年島津氏久の清武城の攻撃から1577年の伊東義祐が日向を追われるまでの約200年間抗争を続けた。|
|~|~|州獲得に必要な戦争点コスト&color(green){-5%};|~|
|四十八の城砦網|Network of Forty-Eight Fortifications|要塞防御&color(green){+20%};|伊東氏最盛期は日向一帯を支配したが、その際、本城である佐土原城、都於郡(とのこおり)城を含む&br;48の支城、砦により領地を治めた。伊東四十八城として知られる。|
|新信仰への共鳴|Sympathy for New Faiths|異教寛容度&color(green){+2};|新信仰とはキリスト教のこと。伊東氏一族の伊東マンショは落ち延びた豊後で受洗。&br;1582年には天正遣欧少年使節の主席正使、大友宗麟の名代としてローマへ出発。&br;ローマ法王との謁見を果たし、後年司祭に叙任されている。&br;v1.23で名前が一部修正(new→New)された。|
|林業の開発|Development of Forestry|建造物コスト&color(green){-10%};|江戸期に伊東氏を藩主とする飫肥(おび)藩は山に囲まれ耕地が少なかった為、財政が窮乏していた。&br;飫肥藩2代藩主祐慶は対策として杉の植林事業を興したとされる。&br;植林された杉は飫肥杉とよばれ、建築や造船用の木材として重宝された。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|交易品生産量&color(green){+10%};||

***今川(Imagawa)v1.23[#IMG]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍扶養限界&color(green){+20%};||
|>|~|規律&color(green){+5%};|~|
|将軍職の資格|Claim to the Shogunate|関係改善&color(green){+10%};|今川氏は足利将軍家の親族である吉良家の分家であり、&br;「御所(足利将軍家)が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ」と言われていたように、&br;足利宗家の継承権を有していたとされる。|
|~|~|請求権捏造コスト&color(green){-25%};|~|
|東海道の支配|Control of Tokaido|交易効率&color(green){+10%};|義元の晩期には駿河から、遠江・三河・尾張・伊勢を結んで東海道の交易を支配した。|
|今川の歴史|History of the Imagawa|アイデアコスト&color(green){-10%};|九州探題を務めた一族の今川了俊の著作『難太平記』のこと。&br;足利氏の歴史とともに今川氏の歴代の活躍を記述した。|
|改定された家法|Revised Clan Laws|不穏度&color(green){-1};|9代当主氏親(1473~1526)が制定した家法「今川仮名目録」を、&br;11代当主義元(1519~1560)が補訂を行っている。&br;「今川仮名目録」は東国最古の分国法(戦国大名が統治のため制定した法のこと)とされる。|
|三国同盟|Triple Alliance|外交枠&color(green){+1};|1554年に結ばれた武田氏、北条氏、今川氏間の同盟のこと。&br;一般にそれぞれの領地の頭文字をとって甲相駿三国同盟といわれる。&br;v1.23で名前のスペルミス(Tripple)は修正された。|
|富士山の影|In the Shadow of Mount Fuji|威信&color(green){+1/年};|富士山は、標高3776mの日本最高峰の山。&br;古来より霊峰とされ、修験道の霊場であった。&br;また、古代では富士山は駿河国のものであるとされ、万葉集や竹取物語においても、&br;「駿河なる富士の高嶺」「駿河の国にあるなる山なむ」という表現が広くみられる。|
|上洛|March to Kyoto|コア化コスト&color(green){-10%};|11代当主義元は、天下への号令を示すため、京都を目指したとされる(※上洛自体を否定する説もある)。&br;その道中、進軍の妨げとなった織田家と抗争となり、「桶狭間の戦い」により義元は討ち取られ、上洛は幻となる。|
|~|~|不当な要求&color(green){-10%};|~|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|信心&color(green){+1/年};||
|>|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|>|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|>|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|>|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|

***上杉(Uesugi)v1.22[#UES]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};||
|>|~|軍事伝統減少&color(green){-1%/年};|~|
|関東管領|Kanto Kanrei|外交枠&Color(green){+1};|関東管領は、鎌倉府長官の鎌倉公方を補佐する役職。関東統治におけるNo.2。&br;上杉家は関東管領を独占し、事実上関東十州を支配した。|
|山内家と扇谷家|Yamanouti and Ogigayatu Branches|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|上杉家の主要な分家に山内家と扇谷家があり、戦国時代前期には関東で大きな影響力を持った。|
|鎌倉府|Kamakura Office|増援コスト&color(green){-25%};|鎌倉は頼朝以来、関東における政治拠点として最重要拠点であった。&br;鎌倉公方や関東管領はこの権威を利用して坂東の武士を従えた。|
|越後の竜|Dragon of Echigo|陸軍士気&color(green){+10%};|言わずと知れた上杉謙信のこと。越後の虎とも。戦国期において謙信とその配下の軍はほぼ無敗を誇った。|
|軒猿衆|Nokizaru|諜報網構築&color(green){+20%};|軒猿とは越後における忍者集団で、その情報網は上杉家の軍事的覇業を助けた。|
|阿賀北衆|Agakita-shu|規律&color(green){+5%};|揚北衆とも。越後の北部、頼朝以来阿賀川以北に住まう豪族たちの総称。&br;独立性が非常に高く、謙信ですらその扱いに苦慮したが、一方で精強であった。|
|伝国の辞|Denkoku no ji(注)|アイデアコスト&color(green){-10%};|米沢藩中興の祖、上杉鷹山が次代藩主治広に示した藩主としての心得。以後、幕末まで上杉家で受け継がれた。&br;『一、国家は先祖から子孫に伝えるところの国家であって、自分で勝手にしてはならない』&br;『一、人民は国家に属している人民であって、自分で勝手にしてはならない』&br;『一、国家と人民のために存在、行動する君主であって、君主のために存在、行動する国家や人民ではない』&br;(注)EU4の画面では「Denoku no ji」となっているが、脱字だと思われる。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|歩兵戦闘力&color(green){+10%};||

***宇都宮(Utsunomiya)v1.22[#UTN]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|建造物コスト&color(green){-10%};||
|>|~|陸軍伝統低下&color(green){-1%/年};|~|
|藤原氏の末裔|Fujiwara Descendant|外交官&color(green){+1};|宇都宮氏は、藤原北家の関白藤原道兼の曾孫宗円を祖とすると言われている。|
|那須与一の遺産|Legacy of Nasu no Yoichi|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|那須与一は、源平合戦時に活躍した武将で、弓の名手として知られる。&br;与一とは十一男を意味する通称(実際那須与一は十一男)で、名を資隆する。&br;「平家物語」の「扇の的」の話が有名。なお、那須氏は下野国豪族として、戦国末期まで存続した。&br;宇都宮氏3代朝綱の子寄資が那須氏の養子となり、那須氏4代当主となったとされたり、&br;宇都宮氏と那須氏が下野国の領有を争って度々干戈を交えたりと、縁は深い。|
|白河の障壁|Barrier of Shirakawa|首都ノード交易力&color(green){+15%};|白河の関のこと。奥州三関の一つに数えられる関所で、都から陸奥国に通じる。&br;東山道の要衝に設けられた関門として名高い。&br;現代でも、東北より北を「白河以北」という表現が残っており、東北と関東の境界として度々用いられる。|
|西日本の分家|Cadet Branches in Western Japan|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|宇都宮の分家には、豊前、筑後、伊予と西日本で大きな力を持つ勢力となった一族がいる。|
|下野国の統一|Unify the Shimotsuke Lands|人的資源&color(green){+20%};|宇都宮氏は下野国内部に那須氏他多くの国人衆と下野国の領有を争った。&br;特に鎌倉以来の下野守護である小山(おやま)氏とは、室町以降、何度も激闘を繰り広げた。|
|関東の調停者|Mediator of Kanto|侵略的拡大&color(green){-10%};|十七代当主宇都宮成綱が出ると、宇都宮氏は近隣の争いに介入して、&br;影響力を高めていき、ついには北関東の覇権を握る事となった。|
|日光山|Mount Nikko|異端寛容度&color(green){+2};|日光山は、現日光の山岳群、特にその主峰である男体山を信仰対象とする山岳信仰の修験道であった。&br;古来より神仏習合(神道と仏教が混淆し、1信仰として再構成された現象)が発展した地として有名。&br;江戸幕府を開いた徳川家康が亡くなった際、日光山に霊廟が建てられ、東照大権現として祀られた。&br;その霊廟が日光東照宮であり、日光二荒山神社等と共に世界遺産に認定された。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};||

***大内(Ouchi)v1.23[#OUC]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|不穏度&color(green){-1};||
|>|~|艦船関連コスト&color(green){-10%};|~|
|百済の直系|Descendant of Baekje|外交評判&color(green){+1};|百済(くだら、ペクチェ)は、古代の朝鮮半島南西部にあった国家。&br;百済の聖明王の王子である琳聖太子が周防国多々良浜に着岸し、&br;その子孫が同国大内村に住み、以来、姓を多々良、氏を大内としたといわれている。|
|朝鮮交易|Korean Trade|首都ノード交易力&color(green){+20%};|室町時代、朝鮮との交易は、対馬の宗氏が統制していたが、大内氏は朝鮮と直接取引を行っていた&br;。絹や扇子、刀剣など美術工芸品を輸出し、朝鮮人参、虎皮、豹皮、経典を輸入し、多大な利益を得た。|
|海賊からの保護|Protect Against Piracy|海軍士気&color(green){+15%};|室町時代、倭寇が横行し、明や朝鮮との交易の妨げとなっていた。&br;大内氏はこの倭寇の取り締まりを行い、結果、明や朝鮮との交易を独占した。&br;v1.23で名前が指摘されないと分からないレベル(against→Against)で修正された。|
|博多商人|The Merchants of Hakata City|商人&color(green){+1};|博多港は、堺と並ぶ当時の一大交易港であり、その博多を大内氏が押さえていた。&br;堺商人と細川氏、博多商人と大内氏が対明貿易において対立し、1523年に寧波の乱が起こる。&br;結果、大内氏と博多商人は対明貿易を独占し、多大な利益を得ることとなる。|
|商業外交|Mercantile Diplomacy|交易誘導&color(green){+15%};|大内氏は朝鮮や明との交易に関し、独占を果たしており、&br;しばしばその権益を外交のカードとして利用していた。|
|西洋人を歓迎|Welcome the Westerners|異端寛容度&color(green){+1};|1551年31代当主義隆は、宣教師フランシス・ザビエルと引見し、&br;望遠鏡、置時計、眼鏡などを献上され、山口にキリスト教の布教を許している。|
|~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~|
|郎党派閥|Retainer Factions|顧問コスト&color(green){-10%};|31代当主義隆の時代、家中は陶隆房を筆頭とした武断派と相良武任を筆頭とする文治派に分裂していた。&br;この分裂が後に陶隆房が謀反を起こした大寧寺の変を起こし、大内氏は大名として滅亡する。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|交易効率&color(green){+10%};||

***大友(Otomo)v1.22[#OTM]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};||
|>|~|税収&color(green){+10%};|~|
|一族の結束|Unite the Clans|人的資源&color(green){+20%};|大友氏は初代能直が源頼朝に豊後守護を与えられた。&br;その後数代の間で、戸次氏、立花氏、田原氏、一万田氏、入田氏など数多くの庶子家に別れた。&br;この一族庶子が室町・戦国期、大友宗家の有力家臣化していった。|
|豊後の支配者|Lord of Bungo|交易品生産量&color(green){+10%};|鎌倉以来、豊後守護は大友氏が世襲した。&br;大友氏が豊後守護であることは、室町幕府が崩壊するまでの約350年続いた。|
|忠臣|Loyal Retainers|規律&color(green){+5%};|1578年に耳川の戦いにおいて、島津氏に大敗して以降、&br;凋落の一途を辿り、周辺豪族は次々に離反を起こす。&br;しかし、家中には変わらず大友氏を支え続けた家臣も多くおり、&br;立花道雪、高橋紹運、立花宗茂などが有名である。|
|南蛮貿易の歓迎|Welcoming the Nanban Trade|首都ノード交易力&color(green){+15%};|南蛮はポルトガル人のこと。&br;1543年にポルトガ船が到来して以来、主に九州の大名でポルトガルとの貿易が活発となった。&br;大友氏も例外なく、府内港にポルトガル船を来航させ、&br;マカオを拠点としたポルトガル商人と積極的に貿易を行った。|
|キリスト教への改宗|Christian Converts|宣教師&color(green){+1};|第21代当主宗麟義鎮は、1551年にフランシスコ・ザビエルと引見して以来、&br;キリスト教へ傾倒し、領内の布教活動を保護した。&br;自身も洗礼を受け、ドン・フランシスコと名乗った。&br;キリスト教へ改宗した大名はキリシタン大名と呼ばれ、&br;宗麟義鎮はキリシタン大名の代表格である。|
|~|~|教皇影響度&color(green){+1/年};|~|
|天正少年使節|Tensho Embassy|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|1582年に九州のキリシタン大名の名代として少年を中心としてローマへ派遣した使節団。&br;第21代当主宗麟義鎮も名代として伊東マンショを派遣した。&br;帰国時、活版印刷を持ち帰り、日本語書物の活版印刷が初めて行われた。|
|国崩し|Kunikuzushi|攻囲能力&color(green){+10%};|第21代当主宗麟義鎮は1576年にポルトガルよりフランキ砲を輸入した。&br;このフランキ砲は国崩しと名付けられ、日本最初の大砲とされる。&br;島津氏の豊後侵攻の際、宗麟義鎮は臼杵城に籠城し、使用したとされる。&br;その巨大な砲弾と威力で敵の島津軍を驚かせ、島津軍撤退まで守りきる一因となった。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|砲兵戦闘力&color(green){+10%};||

***小笠原(Ogasawara)v1.22[#OGS]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};||
|>|~|敵損耗&color(green){+1};|~|
|信濃守護|Shinano-Shugo|要塞防御&color(green){+20%};|小笠原氏は代々信濃守護を任された。|
|諏訪大社|Suwa Taisha|威信&color(green){+1/年};|長野県の諏訪湖周辺に二社四宮の境内がある神社で、信濃国一宮(信濃国で一番格の高い神社)。&br;日本最古の神社の1つといわれ、周囲四隅には、御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が建てられていることが特徴。&br;6年に一度行われる御柱祭が有名で、御柱を更新する行事。&br;特に御柱に人が乗ったまま坂へ御柱を落とし滑る「木落し」は圧巻である。|
|木曽馬|Kiso-uma|生産効率&color(green){+5%};|木曽を中心に飼育される日本在来種の馬。&br;馬としては小型で足も遅いが、非常に丈夫で急な山道を登る力に長けている。&br;山に覆われ険しい山道も多いまさに日本向けの馬といえる。|
|~|~|騎兵戦闘力&color(green){+5%};|~|
|郡の統一|Unification of the Kori|人的資源&color(green){+15%};|信濃国は郡が10あり、最も郡が多い国であった。&br;その為、信濃守護である小笠原氏の他にも多くの国人衆が存在した。|
|小笠原流|Ogasawara-ryu|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|小笠原流とは、有職故実(ゆうそくこじつ、古来の先例に基づいた慣習や儀式などのこと)の流派。&br;小笠原流弓馬術礼法等があり、室町時代中期以降、小笠原氏が武家社会における&br;故実の指導的存在となったことから、同家の故実が武家に重んじられた。|
|中山道の改善|Improving the Nakasendo|交易力&color(green){+10%};|江戸時代に、中山道が整備されると人々の往来が活発となった。|
|善光寺|Zenko-ji|国教寛容度&color(green){+2};|長野市にある無宗派の単立寺院。。本尊の一光三尊阿弥陀如来は日本最古と伝わる。&br;江戸時代末にはお伊勢参りと共に善光寺参りが流行り、&br;「遠くとも一度は詣れ善光寺」「牛に引かれて善光寺参り」と言われるようになった。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|規律&color(green){+5%};||

***織田(Oda)v1.24[#ODA]
v1.24で1444GC開始時から選択できるようになり、合わせて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};||
|>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~|
|楽市楽座|Rakuichi & Rakuza|交易品生産量&color(green){+10%};|信長により行われた施策。&br;当時は市には市場税や営業税がかかり、&br;座(商工業組合のようなもの)は専売権を持つなど&br;既得権益を多く占め、独占を行ってきたが、&br;そのような税や専売権を撤廃し自由化を行うことで、&br;経済を活発化させた。&br;信長が行った事で有名だが、六角氏や今川氏の方が先に行ったという話もあったりする。&br;なお、以降のNIも全て信長絡みで他どこいった状態だけどまあ仕方ないよね。|
|天下布武|Tenka Fubu|コア化コスト&color(green){-10%};|信長が美濃を攻略し、岐阜と改名したあたりから使用された言葉。&br;「天下に武を布く」の意味で、日本統一の意思表示と捉えられている。&br;信長の師とも言える沢彦の進言とも言われる。&br;信長はこの言葉を印章として使用した。&br;なお、布武の部分は色々と解釈があり、単純に「武力で統一する」や&br;「七徳の武」から来る「太平の世を作る」という解釈や、&br;礼儀作法の書「礼記」の「堂上布武」からの「歩く」という解釈もあり、幅広い。|
|~|~|州獲得に必要な戦争点コスト&color(green){-10%};|~|
|織田家の司令官|Oda Generals|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|多分、信長が有力家臣に方面軍を任せた事を言っている。&br;羽柴(豊臣)秀吉が中国方面、柴田勝家が北陸方面、&br;滝川一益が関東方面等、各地方の軍団長を任せ、多方面に渡って諸大名を制圧していった。|
|権勢ある要塞|Influential Strongholds|指揮官包囲&color(green){+1};|安土城のこと。近江(滋賀県)の琵琶湖東岸に位置した信長の居城。&br;1576年より3年の月日をかけ築城された。&br;当時最大級の天守を持っていたが、本能寺の変後に焼失したとされる。|
|三段撃ち|Triple Firing|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|1575年に織田・徳川連合軍対武田軍の長篠の戦いで&br;織田軍が行ったとされる鉄砲の運用法。&br;当時の鉄砲は発射までに時間を要するという弱点を補う為、&br;隊列を三段に組み、発射後に隊列を入れ替えて間断なく発射したとされるが、&br;最近では役割分担で鉄砲だけ入れ替えたとするのが定説となりつつある。&br;なお説明文では” allowing one to fire while two others reload”と、どちらにもとれる表現になっている。|
|西方の後援|Patronization of the West|技術コスト&color(green){-5%};|ここの西方はキリスト教の事。&br;信長はキリスト教を保護し、布教を許した。&br;一般に既存の仏教が嫌いで牽制目的と言われるが、&br;嫌っていたのは既得権益や腐敗した僧と思われ、寺社への寄進は結構している。&br;なので、南蛮技術の取得や貿易目的だったという説もある。|
|検地|Kenchi|人的資源&color(green){+20%};|検地は、田畑の面積と収穫量の調査のこと。北条や武田など有名所の戦国大名も行っているが、&br;中央から全国的に検地を行ったのは信長が初めてとされる。&br;ただ、信長の時代の検地は自己申告制の指出検地であったとされ、&br;その後に秀吉が行った役人を遣わせ実測するという検地(太閤検地)とは違ったようである。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};||

***菊池(Kikuchi)v1.35[#KKC]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|連隊雇用コスト&color(green){-10%};||
|>|~|不当な要求&color(green){-25%};|~|
|名門|Distinguished Family|不穏度&color(green){-1};|平安時代中期に刀伊(女真族)の入寇を撃退した大宰帥藤原隆家を祖とする菊池氏は鎌倉幕府の御家人となり、&br;元寇の際にも大いに武功を挙げた。&br;15代当主・武光は南朝方の有力武将として一時九州を制圧する勢いを示した。|
|火の国|Land of Fire|威信&color(green){+1/年};|古くは、肥前、肥後は火山が多いことから火国と称されていた。&br;「火の国」とも呼ばれ、転じて「肥の国」となったのち、&br;前・後に分けられ「肥前」「肥後」となった。|
|阿蘇神社|Aso Shrine|信心&color(green){+1/年};|肥後国一宮(肥後国で一番格の高い神社)。阿蘇神社大宮司を世襲した阿蘇氏は菊池氏、相良氏に並ぶ大豪族であった。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|領土の要塞化|Fortify the Domain|陸軍士気&color(green){+10%};||
|宗教の共存|Religious Coexistence|異端寛容度&color(green){+1};|肥後は、戦国時代や安土桃山時代に、仏教や神道、キリスト教などの宗派が見られた。|
|~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~|
|三家老|Three Chief Retainers|自治度変化&color(green){-0.05/月};|菊池氏の重臣である赤星氏、城氏、隈部氏は三家老と称された。|
|拠点の中心|Central Stronghold|要塞防御&color(green){+15%};|菊池市家臣の鹿子木氏が建てた隈本城を、&br;豊臣政権時代に北肥後を領主とした加藤清正によって改修された城が熊本城である。&br;熊本城は、肥後が細川氏の統治に変更された後も細川氏の本拠となり、改修が続いた。&br;明治時代に起こった西南戦争では、官軍が熊本城に立て篭もり、&br;薩軍は強襲を行ったが、遂に落ちることなく、難攻不落の堅城と名を馳せた。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|外交枠&color(green){+1};||

***北畠(Kitabatake)v1.24[#KTB]
v1.24で追加された新規国家の専用NI。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|不穏度&color(green){-1};||
|>|~|分離主義年数&color(green){-5};|~|
|伊勢の統一|Unification of Ise|税収&color(green){+10%};|北畠氏は村上源氏中院家庶流で公家である。&br;第5代北畠顕能が建武政権期に伊勢国司を任じられて以後、伊勢に定着、武家化していった。|
|天照の祝福|Blessing of Amaterasu|国教寛容度&color(green){+2};|天照は天照大神の事で、日本の総氏神。&br;太陽を神格化した神で天岩戸の神隠れで有名。&br;伊勢にある伊勢神宮はこの天照大神を祭神とする。&br;第4代北畠親房は伊勢神宮外宮の神官の渡会家行の支援を受けたり、&br;内宮と外宮の対立に巻き込まれたりと色々と縁は深い。|
|天皇の後援者|Supporters of the Emperor|外交評判&color(green){+1};|北畠氏は南朝後醍醐天皇の忠臣であり、&br;第4代北畠親房は後醍醐天皇亡き後、南朝の軍事的指導者となった。&br;また、第7代北畠満雅は南北朝合一後、約定を違えて&br;北朝が天皇位の独占を行った際はそれに反発し、挙兵した。|
|九鬼水軍|Kuki Suigin|ガレー戦闘力&color(green){+20%};|伊勢国の隣国志摩国を本拠とした九鬼氏に率いられた水軍衆。&br;織田信長に仕えた九鬼嘉隆が有名で嘉隆により志摩一国を平定、領有を認められ、&br;その後は織田軍の水軍衆として伊勢長島の戦いや木津川口の戦いで活躍した。&br;特に木津川口では鉄甲船を開発、毛利水軍に大勝した事で有名。&br;江戸期には大名として存続、明治を迎える事となる。&br;北畠氏と関係ないように思えるが、信長に仕える前は一応北畠氏に仕えていた。|
|上流の人|Men of Quality|君主と同一文化の顧問コスト&color(green){-20%};|上記に書いた通り、北畠氏は公家であり、&br;武家化した後も代々公卿(三位以上の貴人や参議の官)に登っている。|
|伊賀流|Iga-Ryu|諜報網構築力&color(green){+20%};|伊賀流は、伊勢の隣国伊賀国に伝わっていた忍術流派。&br;甲賀と並ぶ最も有名な忍術流派。&br;服部・百地・藤林の上忍三家に代表される多くの著名な忍者を輩出している。|
|北畠顕家の行軍|March of Kitabatake Akiie|移動速度&color(green){+15%};|北畠顕家は第4代北畠親房の長男、第5代北畠顕能の兄。&br;父と共に建武の新政の補佐を行った。&br;その際、陸奥国へ下向、東北統治を任される。&br;後に室町幕府を興す足利尊氏へ朝廷より追討令が下ると挙兵、&br;京へ進軍し、道中の敵に対し連戦連勝、尊氏の軍も2度破り、九州へ敗走させた。&br;この際の行軍は600kmを16日間という脅威の速度で進軍したとされ、&br;豊臣秀吉の中国大返し(200kmを10日間)よりも早い進軍速度であった。&br;その後、尊氏が九州にて勢力を回復し帰還した際も挙兵、京へ進軍したが、&br;味方との連携に失敗したのもあり次第に劣勢となり、遂には21歳の若さで討ち取られた。&br;絶世の美男子だったとされる。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍士気&color(green){+10%};||

***元(Yuan)v1.30[#YUA]
Ver1.30で宿願の効果が「領有可能ステート数+5」から「政府管理限界+10%」に変更

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+25%};||
|>|~|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|~|
|大哉乾元|Dai Zai Qian Yuan|コア化コスト&color(green){-25%};|「大哉乾元」とは、『易経』の注釈部分の<彖傳>にある一文。&br;「万物をつくりだす天の原理とはなんと偉大なものか!」という意味。&br;大元の始祖、クビライ・カーン(フビライ・ハン)は&br;ここから「大元」の国号を制定したとされる。|
|神聖で魅惑的で野蛮な王国|&size(12){A Savage Kingdom Holy and Enchanted};|陸軍士気&color(green){+10%};|元ネタは、18世紀のイギリス詩人サミュエル・テイラー・コールリッジが書いた&br;三大幻想詩の1つ「クーブラカーン」の一節&br;「A savage place! as holy and enchanted」&br;と思われる。「クーブラカーン」は大元初代皇帝クビライ・カーンのこと。&br;また、詩に出てくる「Xanadu(ザナドゥ)」は、&br;クビライが今の北京に造営した都「上都」のことで、&br;後世では、Xanaduは幻想的な楽園(桃源郷)の代名詞として使用される。|
|三教九流の厚遇|&size(12){The Three Teachings and Nine Schools All Respected};|技術コスト&color(green){-10%};|三教は、儒教・仏教・道教のこと。&br;九流は、儒家・道家・陰陽家・法家・名家・墨家・縦横家・雑家・農家の九学派のこと。&br;大元は宗教については寛容であった。|
|ケシクと衛軍|Keshik and Weijun|与白兵ダメージ&color(green){+10%};|ケシクはモンゴル側の、衛軍は中国側の親衛隊のこと。|
|家のように1000マイル|A Thousand Miles As If At Home|使節の移動時間&color(green){-10%};|大元の前身であるモンゴル帝国の頃より、道路網が発達した。&br;大元時代は、「ジャムチ」と呼ばれたいわゆる駅伝制があり、&br;主要道路に10里ごとにおかれる宿駅が置かれ、宿と人馬を提供した。&br;駅伝を利用する公用の旅行者は、通行手形として牌符を携行し、&br;シャムチを自由に利用することができた。&br;v1.23で名前が地味に修正(As If At→as if at)された。|
|~|~|移動速度&color(green){+15%};|~|
|支那-モンゴル政権|Sino-Mongol Administration|統治効率&color(green){+5%}; |支那は中国のことで、大元の皇帝は、&br;モンゴル帝国の皇帝であり、中華皇帝でもあった。|
|パクス・モンゴリカ|Pax Mongolica|交易品生産量&color(green){+10%};|パクス・モンゴリカは、パクス・ロマーナから派生した言葉で、&br;13世紀から14世紀に渡りユーラシア大陸を支配した&br;モンゴル帝国の覇権による平和で安定した時代を指す。&br;陸路・海路ともに交易が活発になり、経済活動は更なる発展を遂げることとなる。&br;一方で、14世紀のペストの大流行は、モンゴル帝国の時代にユーラシア大陸を&br;横断する広大なネットワークが形成されたことが原因の1つとも言われる。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|政府管理限界&color(green){+10%};||

***河野(Kono)v1.23[#KNO]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|首都ノード交易力&color(green){+10%};||
|>|~|海軍伝統&color(green){+1/年};|~|
|伊予守護|Shugo of Iyo|海軍扶養限界&color(green){+25%};|河野氏は代々伊予守護を司った。|
|~|~|水兵維持費&color(green){-5%};|~|
|分家候補の統合|Integration of Cadet Branches|ガレーコスト&color(green){-20%};|東予には、分家である予州家があり、長く惣領の座を狙っていた。|
|大山祇神社|Oyamazumi Shrine|海軍士気&color(green){+20%};|伊予国一宮(伊予国で一番格の高い神社)。|
|湯築城|Yuzuki Castle|自治度変化&color(green){-0.05/月};|河野氏の本拠|
|内海の支配|Rule Over the Inland Sea|ガレー戦闘力&color(green){+15%};|瀬戸内海を東西に移動するうえで、河野氏は避けて通れない。&br;v1.23で名前が地味に修正(over→Over)された。|
|アジア大陸との交易|Trade With Continental Asia|交易範囲&color(green){+20%};|v1.23で名前が地味に修正(with→With)された。|
|村上水軍|Murakumi Suigun|私掠効率&color(green){+20%};|村上水軍は、日本中世の瀬戸内海を拠点に活動した水軍衆、海賊衆である。&br;能島、来島、因島の3家が存在し、その内、来島が河野氏の配下となったが、&br;独自勢力としての動きもしており、従属関係とも言えない状態であった。&br;1588年に海賊禁止令が出され、海賊行為ができなくなった。&br;江戸期では来島は1大名となり、能島と因島は毛利家家臣となった。|
|~|~|敵船捕獲確率&color(green){+10%};|~|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|交易効率&color(green){+10%};||

***佐竹(Satake)v1.22[#STK]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍扶養限界&color(green){+25%};||
|>|~|戦争疲弊&color(green){-0.02/月};|~|
|常陸源氏|Hitachi Genji|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|常陸源氏は、源新羅三郎義光を祖とする。武田氏に代表される甲斐源氏と同族。|
|二頭政治|Dual Administration|税収&color(green){+10%};|15代当主義篤(1470~1517)は、分家の山入佐竹氏を討滅後、弟義言を山入地方に、&br;弟正義を檜沢・高武方面に配置し、義言、正義はそれぞれ佐竹北家、佐竹東家の祖となり、&br;宗家を中心とする共同支配体制を確立した。その後、南家、西家が創設される。&br;なお、東西南北については、本城太田城から見ての館の位置に由来する。&br;&size(8){訳出が難しく、効果から見て上記でも妥当と思われるが、戦国期に佐竹氏は17代義昭・18代義重・19代義宣の3代にわたり前当主が隠居後も実権を握る体制が取られており、通常「二頭政治」と言えばこちらを指すような気もする…};|
|一揆の抑制|Suppression of Ikki|不穏度&color(green){-1};|第11代当主義盛は、嗣子なく没した為、関東管領山内上杉憲定の子義憲を迎えて当主とした。&br;これは山入氏ら一族の反発を招き、1407年、山入一揆が起こる。&br;乱は一年で沈静化したが、その後も宗家に敵対した。&br;山入氏は足利尊氏に従事した師義(9代当主義篤の弟)を祖としており、&br;幕府と独自に関係を持っていた山入氏は幕府から支援を受け、&br;宗家は鎌倉公方から支援を受けたため、一族の内訌を超え、&br;関東地方における幕府と鎌倉公方の代理戦争と化した。&br;1504年に山入氏義が討たれるまでの約100年間闘争が行われることとなる。|
|鹿島神宮|Kashima Jingu|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|茨城県鹿嶋市にある常陸国一宮(常陸国で一番格式の高い神社)。&br;香取神宮、息栖神社とともに東国三社の一社。&br;雷神、かつ剣の神とされる武甕槌命(タケミカヅチ)を祭神とする。&br;相撲の起源とも深くかかわりのある場所として知られる。|
|東国連合|Eastern Coalitions|外交枠&color(green){+1};|第18代当主義重(1547~1612)の時代、関東では北条氏、&br;東北では伊達氏が勢力を拡大、対立していた。&br;また、常陸国内にも小田氏等の対立もあり、苦戦をしていた。&br;そこで、義重は反北条として武田氏、上杉氏、里見氏や関東諸勢力と同名を結び、対抗した。|
|強固な中心統治|Strong Central Rule|開発コスト&color(green){-10%};&br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};|中心地は水戸城のこと。水戸城は大掾(だいじょう)氏に築かれ、&br;大掾氏の本拠であったが、1416年に江戸氏に奪われて以来、江戸氏の本拠になる。&br;1590年に佐竹氏が豊臣氏より本領安堵を受けると、江戸氏を攻め、水戸城は佐竹氏のものとなる。&br;その後、常陸国一帯を平定した佐竹氏は本拠を太田城から水戸城へ移した。&br;水戸城は那珂川周辺の扇状地にあり、海より直接船が往来できた為、舟運が発達した。&br;後、御三家水戸徳川家の本拠にもなり、&br;徳川時代に作られた庭園、偕楽園は日本三大庭園の1つとして有名。|
|誉れ高き名声|Honorable Reputation|関係改善&color(green){+30%};|19代当主義宣は、豊臣秀吉に「律儀者」と評された徳川家康に&br;「今の世に佐竹義宣ほどの律儀な者はみたことがない」&br;「しかし、あまり律儀すぎても困る」と評されている。&br;これは、関ヶ原の戦いで、佐竹氏が日和見の態度を取ったことを念頭に置いたものである。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|砲兵戦闘力&color(green){+10%};||

***斯波(Shiba)v1.22[#SBA]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|建造物コスト&color(green){-10%};||
|>|~|税収&color(green){+20%};|~|
|武衛の伝統|Tradition of Military Service|陸戦で得る威信&color(green){+50%};|武衛とは、兵衛府の唐名(中国名)で、天皇や内裏の護衛職で言わば天皇の親衛隊の役職。&br;室町以降、斯波氏当主は左兵衛督に任官された為、武衛家と称されていた。|
|三州の守護|Shugo of Three Provinces|交易品生産量&color(green){+10%};|斯波氏は、越前、尾張、遠江の三州の守護を世襲していた。|
|管領職の強化|Consolidation of the Kanrei Position|外交官&color(green){+1};|幼少の室町幕府3代将軍・足利義満を補佐した管領・細川頼之の手腕により管領職は将軍に代わり幕府を統括する職務として確立した。&br;政変により頼之を失脚させ管領となった斯波義将は長期にわたって成人した足利義満を補佐し、その公正な治世により「名管領」と謳われ、より一層管領職の位置を固め斯波氏の全盛期を築いた。|
|熱田神宮|Atsuta Shrine|陸軍士気&color(green){+10%};|尾張国三宮(尾張国で3番目に格の高い神社)。&br;三種の神器の1つであり、最も有名な剣の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社である。&br;また、織田信長が桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願したとしても知られる。|
|奥州との結びつき|Oshu Ties|騎兵コスト&color(green){-10%};|斯波氏の一門には、奥州、羽州に定着した庶流が多くあった。&br;奥州探題を歴任した大崎氏、羽州探題を歴任した最上氏、&br;高水寺城を拠点にした高水寺斯波氏等が有名。|
|斯波一族郎党の制御|Rein in the Shiba Retainers|雇用可能顧問&color(green){+1};|斯波氏は多くの一族家臣を従えていたが、斯波氏の執事の甲斐氏、&br;尾張守護代の織田氏、越前守護代の朝倉氏など斯波本家に匹敵する力を持った重臣が現れた。&br;特に朝倉氏には越前、織田氏には尾張の実効支配を奪われ、下剋上の象徴の1つとなった。|
|最上一族|Mogami Family|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|最上氏は、斯波氏の分家であり、羽州探題を世襲し、のち出羽国の戦国大名として成長した。&br;特に第11代当主義光は、関ヶ原の戦い以後の最盛期で、&br;計57万石(実高は100万石とも称する)を領する大大名となった。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|生産効率&color(green){+10%};||

***島津(Shimazu)v1.22[#SMZ]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};||
|>|~|陸軍伝統低下&color(green){-1%/年};|~|
|薩摩隼人|Satsuma Hayato|陸軍士気&color(green){+10%};|隼人とは、九州南部にいた大和朝廷にまつろわぬ者のこと。&br;時代が下ると薩摩をつけて薩摩人の勇壮な男を指すようになった。|
|薩南学派|Satsunan school|人的資源回復&color(green){+15%};|薩摩国を中心に栄えた儒学の一派。|
|三州統一|Reunion of Three provinces|生産効率&color(green){+10%};|島津氏は、薩摩・大隅・日向に広がる島津荘の統治者として現れた。&br;鎌倉時代に一時期、三州の守護を獲得したが、すぐに失い、それ以来、三州の統一は島津氏の悲願であった。&br;三州統一がなされるのは1577年に伊東氏を豊後に追うときのこととなる。|
|釣り野伏|Tsurinobuse|規律&color(green){+5%};|戦国島津氏が多用した戦術で、戦っている味方をあえて引かせ、想定の位置に敵が来た時に、用意した伏兵と共に反撃を行った。&br;島津氏はこの戦術で十倍とも二十倍ともいわれる敵を撃破していった。|
|種子島|Tanegashima|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|島の名前でもあるが、それに由来する火縄銃のことでもある。&br;島津氏は鉄砲伝来の地として、鉄砲戦術を研究し、その扱いに長けていた。|
|沖縄貿易|Okinawa Trade|交易誘導&color(green){+20%};|島津氏は琉球王国を属国として介し、東アジアと交易をおこなって利益を上げていた。|
|早くからの近代化|Early 'Westernizetion'|技術コスト&color(green){-5%};|戦国時代に西欧といち早く接触した島津氏は、そうした国からの文物を受け入れていった。&br;幕末には、琉球に西洋の船が仕切りに来航しており、&br;このことが島津斉彬を集成館事業と呼ばれる洋式産業を興させる原因となった。&br;このことは日本国内において、殖産興業富国強兵の先駆けとなった。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|税収&color(green){+10%};||

***順(Shun)v1.35[#CSH]
Ver1.28にて専用のNIが追加された。
アイデアの正式名は大順(Great Shun)である。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};||
|>|~|人的資源&color(green){+25%};|~|
|貧しい家の出|Humble Beginnings|人的資源回復速度&color(green){+10%};|順王朝を建国した李自成は農民出身である。|
|闖王|The Dashing King|外交評判&color(green){+1};|闖王は、明反乱の初期の指導者である高迎祥が名乗った号。&br;後にその後継者として李自成が名乗った。|
|隠された財産|Hidden Treasury|利息&color(green){-0.5};|1641年洛陽を落とした李自成は、守備していた明皇族・朱常洵を殺害する。&br;朱常洵は父皇帝・万暦帝に溺愛され国家予算規模の財産を与えられていたため、重税にあえぐ民衆から非常に恨まれており、&br;李自成は殺害した朱常洵の財産を没収して民衆に分け与え、大いに民意を得た。|
|天意に順ぜよ|Obedient to Heaven|安定度コスト&color(green){-10%};|『墨子』天志編上にある句。大意は「天意は常に民衆を愛しており、民衆のための政権こそ天意に叶う」であり、&br;新王朝の成立を正当化する論理である。|
|~|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~|
|完成された攻囲戦法|Perfection of Siegecraft|攻囲能力&color(green){+10%};|李自成軍は大砲を使用して城壁上の守備兵を牽制しつつ遮蔽物を前進させて城壁下を堀り、&br;火薬を使用して城壁を破壊、突入する戦法を取った。|
|棒から銃へ|From Sticks to Guns|歩兵戦闘力&color(green){+15%};|中国ではしばしば王朝末期、苛政や飢饉により大量の流民が発生し、それらの大規模反乱が起こって王朝の命脈を断つ事例が多く見られる。&br;反乱に立ち上がる流民は当然徒手空拳であるが、王朝末期の正規軍は大抵弱体化していて、そのような反乱軍にすら敗北する。&br;正規軍の武器を入手した反乱軍はますます強大化して、ついに王朝の死命を制するのである。&br;李自成の反乱軍も代表的な一例であり、明正規軍は火薬を使用した銃を採用していたため、李自成軍も次第に銃を装備した強大な軍となった。|
|天命の請求|Claim to the Mandate|信心&color(green){+0.5/年};||
|~|~|正統性&color(green){+0.5/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+0.5/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.15/年};|~|
|~|~|天命&color(green){+0.03};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+0.5/年};|~|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|威信&color(green){+1/年};||

***少弐(Shoni)v1.23[#SHN]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|貿易効率&color(green){+10%};||
|>|~|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|~|
|大宰少弐|Vice-Minister of Dazai-fu|外交評判&color(green){+1};|少弐家は大宰少弐の官職を代々有し、その権威をもって、北九州の統治をおこなった。&br;v1.23で名前が気づかないレベル(Vice Minister→Vice-Minister)の修正がされた。|
|日本の防人|Defender of Japan|陸軍士気&color(green){+10%};|少弐家は北九州の御家人として、二度の蒙古襲来も積極的に撃退した。&br;一族からも多大な犠牲を出した結果、戦後には九州最大の守護大名となった。|
|対馬を通じた外交|Diplomacy through Tsushima|外交官&color(green){+1};|少弐氏の配下だった宗氏は朝鮮との外交を積極的に行った。|
|長崎|Nagasaki city|商人&color(green){+1};|九州は大陸との交易を、活発に行っていた。特に長崎は良港として各国の商人が行き交った。&br;但し、少弐氏と関係があるかは微妙なところ。|
|肥前の熊|Bear of Hizen|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|肥前の熊とは、竜造寺隆信のこと。&br;少弐氏の配下で、大友氏衰退に伴って、一時的とはいえ、五州二島の太守として、九州の覇権を取った。&br;しかし隆信は少弐氏を滅ぼした武将である。|
|葉隠|Hagakure|陸軍伝統低下&color(green){-1%/年};|葉隠れとは、肥前佐賀藩で書かれた武士の心構えを説いた書。&br;文中の一節、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」は有名。|
|鍋島藩の改革|Nabeshima Reform|技術コスト&color(green){-5%};|鍋島家の肥前佐賀藩は、長崎の地に近かったこともあり、&br;幕末では西欧の技術を次々取り入れ、藩政改革を行った。&br;鍋島家は男系で少弐氏につながる家系。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|首都ノード交易力&color(green){+10%};||

***清(Qing)v1.35[#QNG]
Ver1.35で伝統の効果、「コア化コスト」が-20%から-25%に変更

Ver1.29にて各女真国家/満州とNIが分離し、新規に追加された。
アイデアの正式名は大清(Great Qing)である

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|コア化コスト&color(green){-25%};||
|>|~|侵略的拡大&color(green){-10%};|~|
|八旗の拡大|expand_the_banners|八旗雇用可能数&color(green){+30%};|ヌルハチが編成した軍事組織。&br;女真族全構成員を8色の旗のもとに編成、戸籍と軍隊組織を兼ねた。&br;後に蒙古八旗、漢軍八旗も編成された。|
|緑営軍|The Green Standard Army|人的資源&color(green){+15%};|元は満州のアイデア。効果は変更された(人的資源回復速度+20%)。&br;漢人によって編成された軍団。&br;清朝において主力の八旗軍を補助する役割を果たした。|
|~|~|人的資源回復速度&color(green){+15%};|~|
|弁髪か死か|Pigtail or Death|不穏度&color(green){-2};|元は満州のアイデア。&br;清朝が支配下の漢人に弁髪を義務付けた「薙髪令」のスローガン。&br;髪型を変えない者を死刑とした。|
|ボグド=ハン|Bogda Khan|信心&color(green){+1/年};|ボグド=ハンはモンゴルの君主の号。&br;清朝の2代目ホンタイジはボグド・セチェン・ハーンを名乗ったとされる。&br;ボグダは「賢明な」や「正統なる」と訳される。&br;清朝の歴代君主は中華皇帝と同様にモンゴルのハンも名乗った。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|分離主義年数&color(green){-5};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|中華の法|Chinese Laws|統治効率&color(green){+5%};|元は満州のアイデア。しれっと名称修正(The Chinese Lawsの「The」が削除)と、&br;効果が変更された(安定度コスト-10%)。&br;明の衰退と清の興隆に伴い、漢族を支配下におくことになった2代皇帝・ホンタイジは、&br;漢族知識人を積極的に取り入れ、漢族王朝風の統治機構を整備していった。|
|総督|The Viceroyalties|ステート維持費&color(green){-15%};|総督は明の時代から臨時官として総督が置かれたが、&br;清代では8総督が常設され、各地方の長官を務めた。|
|~|~|自治度変化&color(green){-0.05/月};|~|
|十全武功|The Ten Great Campaigns|陸軍士気&color(green){+15%};|第6代乾隆帝時代に10の地域への対外遠征のこと。&br;乾隆帝は10回の戦争にすべて勝利を得たとみずからの武功を誇り、&br;自らを「十全老人」と自称し,この文字を玉璽に刻み,また『十全記』を著わした。&br;10回とは、対ジュンガル(2回)、対回部(ウイグル)、四川奥地 (2回) 、&br;台湾、緬甸(ビルマ)、越南(ベトナム)、ネパール(2回)である。&br; 全部勝利と言っているが局地的に負けたり大苦戦したりしている。&br;しかし、結果的に清の最大版図を築くことに成功し、&br;現在の中国の版図の基礎となっている。|
|~|~|陸戦で得る威信&color(green){+50%};|~|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|顧問コスト&color(green){-15%};||

***宗(So)v1.29[#SOO]
Ver1.29にて新規に追加された国家で、併せて専用のNIが追加された。
中世から近代にかけて対馬を支配した一族。朝鮮や中国との外交を担当する役割を担った。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|交易効率&color(green){+10%};||
|>|~|交易誘導&color(green){+20%};|~|
|倭館|Wakan|首都ノード交易力&color(green){+25%};|中世から近世にかけて、朝鮮半島南部に設置された日本人居留地のこと。&br;はじめ朝鮮では商船入港は禁止されてなかったが、&br;倭寇が横行するようになると、制限をかけられ、入港地を限定された。&br;宗氏は江戸時代倭館を拠点に朝鮮との外交、通商を行った。|
|倭寇の伝統|Wakou Tradition|ガレー戦闘力&color(green){+10%};|倭寇は東アジアで活動した海賊の総称。&br;対馬も倭寇の拠点の一つであり、&br;倭寇を発端に宗氏と朝鮮で戦いが起こったこともある(応永の外寇)。&br;なお、どちらかと言えば、宗氏は倭寇を取り締まった側である。|
|~|~|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|~|
|対馬を巡る争い|Fight for Tsushima|海軍士気&color(green){+20%};|しばしば倭寇の撲滅を目標として、&br;対馬にて朝鮮と宗氏との間で戦が起こってる。|
|八幡船|Bahan Ship|私掠効率&color(green){+20%};|八幡船(ばはんせん)は、室町から安土桃山にかけ出没した日本の海賊船のこと。&br;八幡は倭寇の別名を意味する。江戸時代では密貿易を意味する言葉となった。&br;倭寇の船が八幡大菩薩の幟を立てて航海したから、らしい(確証なし、伝承)。|
|不屈の交渉人|Tough Negotiators|外交評判&color(green){+1};|徳川家康から朝鮮出兵で悪化した朝鮮との関係修復を命じられた宗義智は、1609年に朝鮮との和平を成立させた。&br;この功績により、宗氏は幕府から独立した機関で朝鮮と独占的に交易することも認められた。|
|港湾整備|Port Maintenance|海軍扶養限界&color(green){+25%};||
|~|~|水兵維持費&color(green){-5%};|~|
|小学校|Elementary School|技術コスト&color(green){-5%};|小学校の語源は1685年(貞享2年)対馬府中藩主宗義真が、&br;府中(厳原)に「小学校」と名づけた学校を建て、家臣の子弟の教育を行った。&br;これが、日本で「小学校」の名のつく施設の最初であるとされる。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|海軍伝統&color(green){+1/年};||

***大理(Dali)v1.22[#CDL]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+10%};||
|>|~|異端寛容度&color(green){+2};|~|
|苴咩都市の刷新|Renovate the City of Jumie|威信&color(green){+1/年};|大理国は937年に成立した白(ペー)族の国家。&br;中心地は、雲南の?海地区(現代の雲南省大理)にあり、&br;大理国の前に成立した南詔の時代から苴咩(しょび?)地区と呼ばれていた。|
|茶馬古道|The Tea-Horse Route|キャラバン力&color(green){+20%};|雲南省で取れた茶(磚茶)をチベットの馬と交換したことから名付けられた交易路のこと。|
|儒教の影響|Confucian Influences|税収&color(green){+10%};|中国の唐代で発達した漢字や儒教・仏教等の文化は、&br;朝鮮や日本と同様、ベトナム北部にも多大な影響を及ぼした。&br;この広大な文化圏を東アジア文化圏と呼ぶ。|
|仏陀の教え|Teachings of Buddha|不穏度&color(green){-1};|同上。|
|本主節|Benzhu Worship|安定度コスト&color(green){-10%};|白族は、土地を司り、村人の禍福をすべて掌握する神を本主として祀る信仰がある。&br;村ごとに本主があり、本主は産土神や伝説上の英雄であることが多い。&br;そして毎年、日は村ごとに異なるが、本主を祀る祭りが開かれ、本主節と呼ばれる。|
|棚田|Rice Terraces|開発コスト&color(green){-10%}; |雲南には白族以外に哈尼(ハニ)族が古くから定住していて、&br;唐や宋の時代は、南詔や大理国に属していた。&br;哈尼族の住む元陽には、8世紀頃から作り築いた世界最大の棚田があり、&br;現代では「紅河哈尼棚田」として世界遺産に認定されている。&br;なお、哈尼族は、本項の稲作など日本と風習や文化に共通項が多く見られる。&br;日本人のルーツの一つと言われ、日本人にとって重要な存在である。|
|滇の青銅|Dian Bronze|生産効率&color(green){+10%};|滇(テン)は紀元前3世紀頃、雲南東部の昆明ににあったとされる国。&br;多くの青銅器や彫像が発掘されており、高い青銅文化をもっていたとされる。&br;また、前漢の武帝が滇王に下賜したと推定されている「滇王之印」が出土されていることで有名。&br;「漢委奴国王印」に類似した金印で、当時の中国と周辺諸国の関係を裏付ける貴重な品である。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|交易品生産量&color(green){+10%};||

***武田(Takeda)v1.35[#TKD]
%%Ver1.35で二十四将(Twenty-Four Generals)の効果に「年間軍熟練度+0.2%」が追加%%
Ver1.35.2で二十四将(Twenty-Four Generals)の効果が「年間軍熟練度+0.25%」と更に上がりました

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵コスト&color(green){-10%};||
|>|~|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|~|
|甲斐源氏の棟梁|Leader of Kai Genji|陸軍士気&color(green){+10%};|甲斐源氏は甲斐国に土着した清和源氏の河内源氏系一門で、&br;源義光(新羅三郎義光)を祖とする諸家を指し、武田氏はその宗家。&br;なお、信玄で有名ないわゆる甲斐武田氏は、武田氏の中の分家格であり、&br;武田氏の宗家は安芸武田氏や若狭武田氏である。|
|河川ダムの守護|Shugo of River Dams|交易品生産量&color(green){+10%};|武田氏の領有する甲斐国は、笛吹川と釜無川両河川の氾濫原があり、&br;古来から大雨による水害が発生する地域があった。&br;19代当主信玄晴信(1521~1573)は、釜無川と御勅使川の合流地点に堤防を築き、氾濫を抑えた。&br;この堤防は信玄堤と呼ばれる。|
|情報網|Information Network|外国の諜報検知力&color(green){+10%};|19代当主信玄晴信(1521~1573)は情報を重要視したとされ、狼煙や伝馬制などの通信手段を整備した。&br;「三ツ者」「透破」と呼ばれるいわゆる忍者集団により、全国に広域な情報網を張り巡らせた。&br;また、「歩き巫女」に扮して情報収集を行った「くノ一」望月千代女も知られている。|
|~|~|諜報網構築力&color(green){+10%};|~|
|黒川金山|Kurokawa Gold Mine|関係改善&color(green){+30%};|山梨県甲州市に位置する金山で、武田氏の資金源となった。|
|甲州法度|Koshu Hatto|アイデアコスト&color(green){-10%};|甲州法度は、19代当主信玄晴信(1521~1573)が定めた分国法。正式名は甲州法度之次第。&br;分国法とは、戦国時代に戦国大名が領国内を統治するために制定した法。喧嘩両成敗の条項が有名。|
|二十四将|Twenty-Four Generals|無償指揮官枠&color(green){+1};|19代当主信玄晴信(1521~1573)の家臣で、講談や軍記などで特に評価の高い24人を指す名称。&br;武田二十四将。武田四天王や山本勘助の名が見られる。また、その当主の信玄は「甲斐の虎」の異名をもつ。&br;なお、武田二十四将は江戸時代から見られるようになった呼称で当時実在した呼称ではない。|
|~|~|軍熟練度&color(green){+0.25%/年};|~|
|甲陽軍鑑|Koyo Gunkan|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|甲陽軍鑑は、武田氏の戦略・戦術を記した軍学書。&br;信玄晴信、勝頼期の合戦記事を中心に、軍法、刑法などを記している。&br;天下を手にした徳川氏が軍法を甲州流に改めていたこともあり、甲州流軍学が盛んになり、&br;本書は甲州流軍学の聖典とされ、江戸時代には出版されて広く流布し、読み物として親しまれた。&br;なお、史書としては他の一次史料と比べ、誤りが多く評価が低い。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};||

***伊達(Date)v1.22[#DTE]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};||
|>|~|外交評判&color(green){+1};|~|
|奥州探題|Oshu Shugo|コア化コスト&color(green){-10%};|奥州探題は奥州の守護に代わり設置され、奥州総大将、奥州管領を経て&br;1400年より斯波氏の分家である大崎氏が任官、代々世襲された。&br;大崎氏衰退により、伊達稙宗が陸奥守護、伊達晴宗が奥州探題を任命された。|
|婚姻による拡大|Expansion by Marriages|侵略的拡大&color(green){-10%};|第14代当主稙宗は、洞(うつろ)と呼ばれる自らの血縁を家臣や周辺諸国へ&br;結婚や養子により一門とし自身の統治に置くシステムにより、大きく勢力を伸ばした。|
|連歌師集団|Renga Group|アイデアコスト&color(green){-10%};|第17代政宗は文化人でもあり、伊達家は連歌を好んだといわれており、多くの連歌師を抱えていた。|
|竜騎兵隊|Dragon Corps|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|竜騎兵は近世ヨーロッパのマスケット銃などの火器で武装した兵科を指すが、&br;伊達家では大阪の陣にて騎馬鉄砲隊が使用されたといわれる。|
|朱印船|Red Seal Ships|大型船コスト&color(green){-5%};||
|~|~|大型船戦闘力&color(green){+10%};|~|
|慶長使節|Keicho Embassy|技術コスト&color(green){-5%};|1613年に、伊達政宗がローマ教皇へ派遣した使節団。&br;大使を努めた支倉常長が有名。|
|集中的な領域開発|Intensive Domain Development|開発コスト&color(green){-10%}; &br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};|17代政宗は仙台へ居を移すと、新田の開拓と用水路の開削、流通路の確立等領内開発に努め、&br;幕府公認の表高62万石に対して実高100万石以上の収入を確保した。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|交易力&color(green){+15%};||

***千葉(Chiba)v1.23[#CBA]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};||
|>|~|威信&color(green){+1/年};|~|
|平氏の血統|Taira Lineage|外交評判&color(green){+1};|千葉氏は桓武天皇の孫・高望王の五男・良文を祖とし、桓武平氏の中でも古い系統である。|
|将門の夢|Dream of Masakado|陸軍士気&color(green){+10%};|千葉氏の祖とされる平良文は将門の叔父にあたり、&br;平将門の乱平定後、その遺領は良文が継いだとされる。|
|鎌倉公方との連合|Coalition With Kamakura Kubo|請求権捏造コスト&color(green){-25%};|千葉氏は、京都将軍家に通ずる関東の有力守護がいる中、一時期を除き鎌倉公方とその後継である古河公方を支持した。&br;後に京都派と古河派に分裂して一族は衰亡するものの、古河公方の体制下で一定の勢力を保ち続けることができた。&br;v1.23で名前が修正(with→With)された。|
|佐倉歌壇|Sakura Kadan|関係改善&color(green){+20%};|千葉氏代二十三代当主勝胤(1471~1531)は和歌に通じており、&br;一族、家臣等で構成された和歌集団を千葉氏の本拠佐倉にちなみ、&br;佐倉歌壇と称され、しばしば歌会が開かれていた。|
|香取神宮|Katori Jingu|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|下総国一宮(下総国で一番格の高い神社)。古来は、蝦夷に対する平定神して崇敬された。&br;また、武道・武術の神として武道者にも崇拝された。&br;室町時代、千葉氏と一時期対立し、社域に乱入、神領侵犯が行われた。|
|南関東の灌漑|Irrigation of Southern Kanto|生産効率&color(green){+10%};|南関東は中世まで利根川等の川の氾濫により川の中下流部は湿地帯が広がっていた。&br;江戸以降、大規模な干拓・灌漑事業が行われ広大な耕地となった。|
|水軍改革|Naval Reform|海軍士気&color(green){+15%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|人的資源回復速度&color(green){+15%};||

***朝鮮(Korea)v1.35[#KOR]
Ver1.35で伝統の効果が「首都ノード交易+25%」から「陸軍士気+10%」に変更
3番目のアイデア「郷約(Hyang'yak System)」が5番目に移動
4番目のアイデア「亀甲船(Geobukseon)」が6番目に移動し、効果に「海軍士気+5%、亀甲船が国内で利用可能になる」が追加
6番目のアイデア「奎章閣(The Kyujanggak)」が7番に移動
その他のアイデアは廃止され、1番目~4番目のアイデアは新規アイデアに変更

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|建造物コスト&color(green){-10%};||
|>|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~|
|議政府|Uijeongbu|顧問コスト&color(green){-10%};|議政府(ぎせいふ、ウィジョンブ)は李氏朝鮮における最高行政機関のこと|
|~|~|全階級の忠誠度均衡値&color(green){+5%};|~|
|金属活字|Metal Movable Type|革新性上昇量&color(green){+50%};|金属で活字を作る技術は、13世紀の朝鮮半島の高麗時代に発明された。|
|~|~|統治技術コスト&color(green){+5%};|~|
|崔茂宣の火薬兵器|Choi Mu-Seon Gunpowder Engines|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|崔茂宣(チェ・ムソン)は14世紀の高麗末期に活躍した発明家。&br;8の火砲と5種の砲弾を開発した。&br;著書に火薬製造、火砲、弾丸の製造法を記した「火薬修練之法」がある。|
|朝鮮人の職人芸|Korean Artisanery|開発コスト&color(green){-5%};||
|~|~|威信&color(green){+1/年};|~|
|郷約|Hyang'yak System|生産効率&color(green){+10%};|元々は中国の郷村社会で道徳の実践と相互扶助をはかるために設けた規約。&br;十六世紀初頭に朝鮮にも導入された。|
|亀甲船|Geobukseon|海軍士気&color(green){+5%};|亀の甲羅のように甲板を防壁で覆った船。|
|~|~|船舶の耐久力&color(green){+10%};|~|
|~|~|亀甲船が国内で利用可能になる|~|
|奎章閣|The Kyujanggak|アイデアコスト&color(green){-10%};|李氏朝鮮時代の王立図書館。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|歩兵戦闘力&color(green){+10%};||

//|ハングル文字|The Hangul Alphabet|技術コスト&color(green){-10%};|Ver1.29でスペルミス修正(Hanguel→Hangul)。平易に読み書きができるように作られた表音文字。&br;李氏朝鮮第4代国王・世宗によって考案・制定された。&br;この文字ができるまでは漢字による表記のみであった。|
//|経国大典|Grand Code for State Administration|安定度コスト&color(green){-10%};|李氏朝鮮時代の政治の基準になった法典。|
//|戸牌制|The Hopae System|人的資源&color(green){+10%};|家人の住所や職業、姓名を記したものである戸牌を門戸に掲げることによって、&br;人口管理を行う制度。|
//|経済改革|Economic Reform|税収&color(green){+10%};||




***長宗我部(Chosokabe)v1.25[#CSK]
v1.24で専用NIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};||
|>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~|
|一領具足|Ichiryo Gusoku|陸軍維持費&color(green){-5%};|一領具足は、長宗我部氏が行った農民への制度。&br;一言で言うと「半農半兵」の政策。&br;農民に開墾領地を与え、平時には農作業を行うが、&br;戦時には一領の具足(一揃いの武器と鎧)を携えて戦に召集する集団。&br;精強で忠誠心の高い軍として知られる。&br;土佐物語においては「死生知らずの野武士なり」と書かれている。|
|土佐七雄|Seven Clans of Tosa|人的資源&color(green){+15%};|土佐七雄は、戦国期の土佐にいた有力な7つの豪族の総称。&br;土佐国は守護代として入国した細川氏の勢力であったが、&br;応仁の乱後の細川氏の衰退により、在地豪族が各々勢力を伸ばした。&br;長宗我部氏の他、本山氏、吉良氏、安芸氏、津野氏、香宗我部氏、大平氏を指す。|
|四国の統一|Unification of Shikoku|侵略的拡大&color(green){-10%};|第21代長宗我部元親の時代には、四国を平定し、最盛期を誇った。|
|百箇条|100 Article Code|規律&color(green){+5%};|長宗我部元親百箇条の事。長宗我部掟書とも。&br;第21代長宗我部元親及びその息子の22代盛親が1596年頃に発布した分国法。&br;内容は身分、財産、官職、訴訟、交通、軍事、文教等非常に多岐で、&br;武士庶民問わず規定した領国法と家法双方の性格を持つ。|
|水軍の拡張|Expand the Navy|艦船関連コスト&color(green){-10%};||
|芸能の神|God of Arts|威信&color(green){+1/年};|長宗我部氏は秦氏の後裔と称しており、秦河勝を祖としている。&br;泰氏は古代の渡来民族で、秦の始皇帝の子孫の弓月君が日本に渡来が始まりとされている。&br;推古天皇の治世に登場した秦河勝は聖徳太子の側近として活躍しその地位を向上させ、&br;京都の広隆寺を建立したとされる。&br;秦氏は渡来人として大陸から文化・芸能・工芸に深く関与したとされ、&br;後世、秦河勝は芸能の神として信仰されている。|
|寺社への支援|Support of the Temples|国教寛容度&color(green){+2};|上記の長宗我部元親百箇条の第1条及び第2条には社寺の崇敬や修復が書かれており、&br;寺社の復興に力を置いた。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|船舶の耐久力&color(green){+5%};||

***筒井(Tsutsui)v1.35[#TTI]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|要塞防御&color(green){+20%};||
|>|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~|
|僧兵|Warrior Monks|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|筒井氏は大和国添下郡筒井を本拠とし、興福寺に属する僧兵から身を興したとされる。&br;興福寺は鎌倉以来、大和守護を務める。|
|永享の乱の勝利|Winner of Eikyo Civil War|戦争疲弊&color(green){-0.02/月};|ここでいう永享の乱は関東で起こった永享の乱ではなく、大和永享の乱のこと。&br;大和永享の乱で北朝側の筒井氏は、南朝側の越智氏、箸尾氏と激しく争った。&br;筒井氏は一時は敗北するも幕府の介入もあり、10年に及ぶ戦乱の末、勝利を治めた。&br;なお、ゲーム上のテキストでは、越智氏と十市氏を破ったとあるが、&br;大和永享の乱では十市氏は筒井氏側に立っており、誤りである。|
|春日大社|Kasuga Shrine|威信&color(green){+1/年};|二十二社(国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣を受ける二十二の神社)の一社。&br;世界遺産にも認定されている。興福寺との関係が深く、神仏習合が進むにつれ、&br;春日大社と興福寺は一体のものとなっていった。&br;室町期、大和国の国人衆は、興福寺の衆徒、もしくは春日大社の神人として組織された。|
|山岳戦|Mountain Warfare|敵損耗&color(green){+1};|大和国の南部、吉野は極めて山が多く、攻めにくい。|
|南の首都|The Southern Capital|信心&color(green){+1/年};|日本では長く京都が首都であるが、その前は、&br;奈良市にある平城京が日本の首都であり、「奈良の都」と呼ばれる。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|賢明な日和見主義者|Wise Opportunists|侵略的拡大&color(green){-10%};|順慶の代、筒井氏は織田信長の家臣となり、明智光秀の与力大名となった。&br;1582年、本能寺の変が起こり続けて、山崎の戦いが起こった。&br;その際、順慶は明智・羽柴の双方から加勢を依頼されたが、&br;順慶は一度は明智側に従って山崎の南方にある洞ケ峠まで兵を進めながらも、&br;最終的にはどちらに付くか日和見をしたという伝説がある。&br;(実際は洞ヶ峠に着くことなく大和へと撤兵して中立を保った)&br;この伝説により、「洞ケ峠の順慶」といわれ、日和見主義の代名詞とされた。|
|伝統と革新|Tradition and Innovation|アイデアコスト&color(green){-10%};|興福寺は、710年に藤原不比等により名付けられ、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。&br;大和国の荘園をほぼ握り、大和武士と僧兵等を擁した為、鎌倉以来、守護を置けず興福寺を守護とした。&br;筒井氏はこの大和武士より興った。&br;室町中期以降、荘園制崩界や相次ぐ兵火による消失で力を失っていき、&br;筒井氏はそれに乗じて独立、戦国大名への道を進んでいく。&br;それでも興福寺は太閤検地にて2万1000石余の知行を受け、&br;徳川の時代にも同一の知行を維持され、現代に至り、世界遺産に認定された。&br;古き伝統を持ちながら時代時代の新しき文化により生まれた文化財が多く残っている。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|布教強度&color(green){+2%};||

***土岐(Toki)v1.23[#TKI]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍扶養限界&color(green){+20%};||
|>|~|守備兵増加速度&color(green){+20%};|~|
|美濃源氏|Genji of Mino|移動速度&color(green){+15%};|美濃源氏は、中世に美濃国に土着し本拠とした清和源氏の流れを汲む一族の呼称。&br;清和源氏の嫡流である源頼光、頼国親子が美濃守を受領した事が美濃源氏の端緒であり、&br;頼国の曽孫光信のときに美濃国土岐郡土岐郷に居住して、土岐氏を名乗った。|
|蘭奢待|Ranjatai|威信&color(green){+1/年};|蘭奢待(らんじゃたい)は、東大寺正倉院に収蔵されている香木。天下第一の名香と謳われる。&br;権力者にとって非常に重宝された。ごくわずかの人のみ朝廷に蘭奢待の切り取りを許された。&br;土岐氏では、13代当主頼武が朝廷に蘭奢待の切り取りを申請、許可されている。|
|桔梗の旗|Banner of Bellflower|人的資源&color(green){+15%};|桔梗紋のこと。&br;桔梗は「吉更=さらに吉」の草木として尊ばれ、美濃の土岐一族を代表する紋である。&br;有事の際はこの旗の下に美濃各地の土岐一族が結集したため「桔梗一揆」と恐れられた。|
|要衝の城|Strategic Castles|要塞防御&color(green){+5%};|稲葉山城を指す。稲葉山城は、土岐氏の重臣斎藤氏の本城となる。&br;金華山(稲葉山)の山頂に位置する山城であり、堅城で知られる。&br;また、この地は西南北の周辺地域や諸国へと至る&br;主要街道の基点が重なり、流通・往来の主軸であった長良川の扇状地帯である。&br;結果、水運、陸運の結節点となっており、美濃国内外の制御をするに重要な拠点となっている。&br;なお、稲葉山城は後に斎藤道三から始まる美濃斎藤氏の本拠となり、&br;織田信長の美濃平定後は破却され、改めて岐阜城を建築している。&br;ただ、歴代のこの城の持ち主はあまりいい目にあっていない。|
|~|~|守備兵数&color(green){+25%};|~|
|荘園の横領|Peculation of Estates|税収&color(green){+10%};|土岐氏の重臣斎藤妙椿(1411~1480)は応仁の乱時、&br;貴族の荘園(私有地)や国衙領(公領、国有地)を横領し、美濃国内を統一した。|
|伝統に対する革新|Innovation Over Tradition|アイデアコスト&color(green){-10%};|応仁の乱以後、幕府の権威は地に落ち寺社や管領、守護といった権勢を振るった勢力は、&br;長い権力闘争や荘園制崩界により衰微していった。&br;それにより、守護代や下級身分の者が主家を倒す下剋上が起こり、&br;旧権力体制に従わない独自に領国内を統治する戦国大名が出現する。&br;土岐氏も例外ではなく、一族同士の内訌、権力闘争により衰退し、&br;一介の油売りであったとされる斎藤道三に下剋上され、当主頼芸は美濃国を追放、&br;美濃国守護土岐氏は大名として滅亡することとなる。&br;v1.23で名前がちょびっとだけ変更(over→Over)された。|
|氾濫の制御|Flood Control|交易品生産量&color(green){+10%};|美濃には、木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川が流れており、&br;下流部で合流・分流を繰り返し、たびたび水害を起こしていた。&br;その為、江戸時代以降何度となく改修が行われてきた。&br;1754年に木曽三川の分流を目的とする治水工事、宝暦治水が有名。&br;%%土岐氏全く関係ないとか言ってはいけない%%|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|連隊雇用コスト&color(green){-10%};||

***徳川(Tokugawa)v1.24[#TKG]
v1.24で1444GC開始時から選択できるようになり、合わせて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};||
|>|~|侵略的拡大&color(green){-10%};|~|
|三河武士|Mikawa Bushi|陸軍士気&color(green){+10%};|三河武士は松平氏や徳川氏に仕えた三河国出身の家臣の総称。&br;一般的に非常に精強で忠誠心が強いとされる。&br;有名な所では本多忠勝や榊原康政、鳥居元忠など。&br;また、%%非常にめんどくさい%%頑固であるとも言われ、君主に意見を曲げず諫言を行う等のエピソードも多い。&br;そちら方面では「鬼作左」こと本多重次などが代表格。|
| 関所網の強化|Strengthen the Sekisho Network|諜報網構築力&color(green){+20%};|関所は、戦国時代に織田信長や豊臣秀吉により廃止されたが、&br;江戸幕府が開かれると再度配置された。&br;江戸期の関所政策は「入鉄炮出女」と呼ばれ、江戸に持ち込まれる鉄砲「入鉄砲」と、&br;江戸を出る女「出女」を取り締まった。|
|旗本|Hatamoto|規律&color(green){+5%};|旗本は元々は、主君の軍旗を守る近衛兵のような武士団のことで、&br;信頼された直属の家臣であった。&br;江戸期に入ると将軍家直属の家臣の内、石高が1万石未満で将軍に拝謁出来る家格のものを指す。&br;通常、旗本といえばこちらを指す。&br;ものすごくざっくり言うと将軍と直接主従関係がある人の中で&br;1万石以上の領主が大名、&br;1万石未満だけど将軍と直接会える人は旗本、&br;1万石未満で将軍と直接会えない人は御家人である。&br;その数は「旗本八万騎」と呼ばれるが、これは御家人や陪臣含めた数と言われている。&br;旗本だけだと5千強くらいだったと言われる。|
|目付|Metsuke|安定度コスト&color(green){-10%};|目付とは職名の1つで、簡単に言うと監察官である。&br;現代でもある人物が悪い事をしないように見張ったり監督したりする人を&br;「お目付け役」なんて言ったりするよね。|
|松平分家|Matsudaira Branches|自治度変化&color(green){-0.05/月};|松平は元々は徳川家康が改姓する前の姓氏。&br;非常に多くの分家があり「十八松平」や「十四松平」と呼ばれ宗家松平氏(徳川氏)を支えた。&br;なお、松平のアクセントは「ま【つだ】いら」ではなく&br;「【ま】つだいら」と頭高に置くのが正しいとされているが、&br;子孫の中にはどうでもいいという人もいるようだ。|
|東照宮|Toshogu|国教寛容度&color(green){+2};|東照宮とは江戸幕府を開いた徳川家康を神格化した&br;東照大権現を祀る神社のこと。&br;日光東照宮が思いつくかもしれないが、&br;あくまで東照宮の一つで全国各地にあり、&br;現存で約130社ほどある。&br;先に挙げた総本宮で霊廟がある日光東照宮と、&br;家康の遺言に従い造成された最初の東照宮である久能山東照宮が有名。|
|飢饉対策|Famine Policies|不穏度&color(green){-1};|江戸時代はしばしば大飢饉が起こっており、多数の餓死者を出したとされる。&br;幕府も様々な飢饉対策を行っており、&br;八代将軍徳川吉宗にて奨励された&br;代用食物の甘藷(サツマイモ)栽培の奨励が有名な対策である。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|開発コスト&color(green){-10%};||

***南部(Nanbu)v1.23[#RFR]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|建造物コスト&color(green){-10%};||
|>|~|規律&color(green){+5%};|~|
|北部の源氏|Genji in the North|陸軍士気&color(green){+10%};|南部氏は甲斐源氏の分家であり、&br;新羅三郎源義光の曾孫にあたる光行が1189年の奥州征伐に従軍し、&br;その功績によって源頼朝より糠部(ぬかのべ)五郡、南部の地を賜わり、南部氏と称した。|
|「9つの門」の所有者|Owner of the 'Nine Gates'|騎兵コスト&color(green){-10%};|ここでいう「9つの門」は九戸を指す。南部氏の領有である糠部(ぬかのぶ)郡は&br;古代では蝦夷征討の前線基地があったとされるが、のちに軍馬育成のため牧場が設置された。&br;四角な柵を設け、東西南北に四つの門をつけ番人をおき、この囲いで馬を育てた。&br;木戸(門)に一から九戸まで、番号をつけ、一戸に一牧場を置く「九戸四門」の制とした、とされる。&br;糠部郡で育てられた馬は南部馬と呼ばれ、近世に至るまで名馬として有名となった。&br;なお四戸以外は、地名として現存する。|
|京都との関係|Connection With Kyoto|外交官&color(green){+1};|v1.23で名前が地味に修正(with→With)された。&br;%%こっちよりChosonjiを修正して頂きたい。%%|
|反抗的属国の失脚|Downfall of Rebellious Vassals|不穏度&color(green){-1};|南部氏は度々自身の家臣や庶子に反乱を起こされている。&br;津軽地方を横領した津軽為信や、&br;宗家に叛意を持ち九戸政実の乱を起こした九戸政実などが挙げられる。|
|中央集権化改革|Centralization Reform|税収&color(green){+10%};|戦国時代、南部氏の本拠は三戸城や九戸城であったが、&br;南部領の統治には北にありすぎた為、不来方(こずかた)の地を本拠に移し、不来方城を改築、&br;地名を盛岡に改め、中心とした。|
|中尊寺|Chosonji Temple|白兵ダメージ&color(green){+10%};|岩手県平泉にある天台宗東北大本山の寺院。世界遺産に認定されている。&br;奥州藤原氏により建立、当時の文化、繁栄を象徴する建造物であり、金色堂が有名。&br;なお、「Chosonji Temple」とあるが、「Chusonji Temple」の誤りと思われる。|
|飢饉の打破|Defeating the Famines|開発コスト&color(green){-10%};&br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};|東北地方は古来より夏季に冷たい北東風「ヤマセ」よる冷害や&br;豪雪等で作物(特に米)が被害を受け、凶作、飢饉が度々起こる地域である。&br;南部盛岡藩では、江戸時代に大小あわせて94回、凶作や飢饉に見舞われてる。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|生産効率&color(green){+10%};||

***日本(Japan)v1.35[#JAP]
Ver1.35で1番目のアイデア「天皇の下の統一(Unification under the Emperor)が2番目に移動
2番目のアイデア「土地所有改革(Reformed Land Holding)が1番目に移動し、効果「侍扶養限界+15%」と「侍歩兵が国内で利用可能になる」が追加

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|安定度コスト&color(green){-10%};||
|>|~|規律&color(green){+5%};|~|
|土地所有改革|Reformed Land Holding|人的資源&color(green){+20%};|明治政府による1873年の地租改正のこと。&br;はじめて農民個々人による土地私有が定められ、納税形態も村単位の米納から個人単位の金納となった。&br;また同年に本格的な徴兵令が施行されたが、&br;地租改正も徴兵令も1871年に壬申戸籍が編成されたことにより実現したものだった。|
|~|~|侍扶養限界&color(green){+15%};||
|~|~|侍歩兵が国内で利用可能になる||
|天皇の下の統一|Unification under the Emperor|不穏度&color(green){-2};||
|近代化|Modernization|技術コスト&color(green){-5%};|明治政府は西洋技術を取り入れて積極的な富国強兵政策を進め、急速な近代化に成功した。|
|~|~|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};||
|海の遺産|Maritime Legacy|船舶の耐久力&color(green){+10%};|古くから海洋立国だった日本は海軍の増強に尽力し、清やロシアとの海戦で勝利した。|
|日出ずる処|Land of the Rising Sun|威信&color(green){+1/年};|「日出づる処」は日本を指す呼び名。&br;607年、第2回遣隋使として小野妹子が隋の煬帝に宛てた国書を持って派遣された。&br;その国書は「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」と書き出されていた。&br;「日出づる処」は日本を、「日没する処」は中国を指す。|
|開拓団|Kaitakudan|植民地人口増&color(green){+20};|江戸時代まで完全な支配が及んでいなかった北海道に開拓使が置かれ、旧士族や屯田兵の入植が進められた。|
|列強外交|Great Power Diplomacy|侵略的拡大&color(green){-15%};|日清・日露戦争の勝利で列強入りした日本は、他の大国の注意をそらしながら東アジアで勢力を伸ばした。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|歩兵戦闘力&color(green){+15%};||

***畠山(Hatakeyama)v1.35[#HTK]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};||
|>|~|人的資源&color(green){+20%};|~|
|管領候補|Kanrei Candidate|威信&color(green){+1/年};|管領は室町幕府の将軍に次ぐ地位であり、&br;足利氏一門である斯波氏、細川氏、畠山氏(三管領)から交代で任じられた。|
|不屈将軍|Indomitable Generals|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};||
|高野山|Mount Koya|国教寛容度&color(green){+1};|和歌山県北部に位置し、空海(弘法大師)が修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つ。&br;山内には真言宗総本山の金剛峯寺など多数の寺院が存在する。|
|~|~|後継者誕生確率&color(green){+50%};|~|
|畠山郎党|Hatakeyama Retainers|顧問コスト&color(green){-10%};||
|若江城|Wakae Castle|自治度変化&color(green){-0.05/月};|畠山氏の河内経営の拠点。河内守護代である遊佐氏が代々城主となった。|
|一族統一|Unify the Clan|信心&color(green){+1/年};|畠山家は多数の分家が存在している。&br;特に畠山義就と畠山政長による家督争いは応仁の乱の一因といわれ、&br;乱後も義就の流れを組む総州家と政長の流れを組む尾州家は内紛を続け、畠山氏は以後衰退していく。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|雑賀衆|Saika-shu|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};|雑賀衆は、紀伊国の雑賀郷を中心とした地侍の集団で、&br;女性や子供も鉄砲を扱えたとされる鉄砲傭兵の集団として知られる。&br;応仁の乱後より畠山氏に仕え、各地を転戦した。&br;雑賀衆の中で最も有名であろう鈴木氏の棟梁は「孫一(孫市)」の名を名乗ったとされ、&br;日本で初めて鉄砲により討死したとされる三好実休義賢(長慶の弟)を討ち取った重意や、&br;信長時代の重秀(大抵のゲームの孫市はこの重秀である)、&br;関ヶ原の戦いの前段である伏見城の戦いにて鳥居元忠を討ち取り、後に伊達家や水戸徳川家へ仕えた重朝が有名。&br;ただし、重意と重秀は史料が乏しく講談や軍記物からの出典が多いため、存在自体も疑いがあり、現在でも謎が多い。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};||

***北条(Hojo)v1.35[#HJO]
v1.24で専用NIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|開発コスト&color(green){-10%};||
|>|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~|
|鎌倉幕府の遺産|Legacy of the Kamakura Shogunate|信心&color(green){+1/年};|鎌倉幕府は12世紀後半に鎌倉で興った武家政権。&br;源頼朝が平氏の政権を打ち倒して設立した。&br;すぐに嫡流が断絶し、その後執権の北条氏が支配者となった。&br;戦国期の北条氏は元々伊勢氏であり、&br;2代北条氏綱の時代に北条に改姓した。&br;相模国主としての正統性を得るために継承したと言われている。&br;鎌倉時代の北条氏とほぼ関連がないので、明確的に区別する為、&br;戦国期の伊勢北条氏はしばしば後北条氏と呼ばれる。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|夜戦|Night Combat|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|河越夜戦を指す。日本三大奇襲戦の1つ。&br;1546年に北条軍が山内・扇ヶ谷両上杉と古河公方を相手に10倍もの兵力差を覆して勝利し、&br;関東南西部の勢力圏を決定づけた。&br;川越城に籠城中に第3代北条氏康自らが夜戦を仕掛け、&br;扇ヶ谷上杉当主上杉朝定他有力武将を何名も討死させ、潰走させた。&br;ただ史料が少なく否定的な説もある。|
|統治改革|Reform the Administration|アイデアコスト&color(green){-10%};|北条氏は早くから伝馬制を復活させるなど、&br;内政で評価の高い武家である。|
|徳政|Tokusei|不穏度&color(green){-1};|徳政は為政者の代替わりや天災の際に行われる貧民への救済政策や訴訟処理等の政策のこと。&br;徳政令は徳政の政策の一つで厳密にはイコールではない。&br;北条氏では第3代北条氏康が永禄三年(1560年)の徳政令が有名。|
|北条の城|Castles of the Hojo|要塞防御&color(green){+20%};|北条氏の拠点小田原城を指す。相模小田原の地に建造された城。&br;特徴は城を堀や土塁で囲む外郭を持った惣構である。&br;小田原城の総構は日本の中でも長大で全長9kmあり、難攻不落とされた。&br;武田氏や上杉氏が小田原城を包囲したが、落すことができず退却している。&br;1590年の小田原征伐でも豊臣軍相手に籠城したが、降伏している。|
|関東の統一|Unification of Kanto|人的資源&color(green){+15%};|北条氏の最盛期を築いた第4代北条氏政の時代には、&br;関東全域に近い勢力を誇り、関八州の覇者と称された。|
|小田原評定|Council in Odawara|君主と同一文化の顧問コスト&color(green){-15%};|小田原評定は北条氏の重臣会議。&br;月2回開かれ、評定衆による合議により諸事を決定した。&br;なお、現代では故事成語として使われることが多く、&br;「結論の出ない会議」という意味であまりよい意味ではない。&br;これは豊臣氏による小田原征伐の際に「籠城か出撃か」「降伏か決戦か」の主張が分かれ、&br;いつまで経っても決まらなかったことからとされる。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|人的資源回復速度&color(green){+15%};||

***細川(Hosokawa)v1.35[#HSK]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};||
|>|~|ガレー戦闘力&color(green){+20%};|~|
|管領|Kanrei|信心&color(green){+1/年};|管領は室町幕府の将軍に次ぐ地位であり、&br;足利氏一門である斯波氏、細川氏、畠山氏(三管領)から交代で任じられた。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|分家と郎党|Branches and Retainers|不穏度&color(green){-1};|細川氏は近畿や四国を中心に多くの分家と、国ごとの国衆を傘下に持っていた。&br;他家がお家争いで没落していく中、細川家は一族の結束を保ち、&br;これによって応仁の乱以後、ほとんど幕政を独占することとなる。|
|堺町|Sakai City|国外ノードにおける交易力&color(green){+10%};|堺は室町頃より日本最大の貿易港となり、&br;その富によりどの勢力も手をだせなくなり、事実上自由都市となった。&br;堺を自治する組織は会合衆とよばれ、メンバーは豪商であった。|
|東軍|The Eastern Army|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|応仁の乱において、当時の細川家当主細川勝元は、東軍の中心的人物となって山名持豊と激しく争った。|
|足軽|Ashigaru|人的資源&color(green){+20%};|日本の歩兵のこと。応仁の乱から、武者に代わって戦場の主役となっていった。|
|山伏|Yamabushi|諜報網構築力&color(green){+20%};|山中で修行をする修験道の行者のこと。&br;当主の細川政元は修験道に凝り奇行で有名だったが、一方で山伏を使い各地の情報を集めていたとも言われている。|
|宝暦の改革|Horeki Reform|開発コスト&color(green){-10%};&br;&size(10){※要DLC「Common sence」};&br;&size(10){「common sence」無しの場合、交易品生産量+10%};|肥後熊本藩6代藩主細川重賢(1721~1785)主導で行われた改革。&br;当時熊本藩は財政が窮乏しており、藩財政改革が可及であった。&br;質素倹約、殖産興業など数々の経済施策を行い、また、教育や司法制度の革新も行った。&br;結果、藩財政は好転し、当時の藩政改革モデルの一つとなった。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};||

***苗(Miao)v1.22[#CMI]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|要塞維持費&color(green){-10%};||
|>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~|
|魂の生贄|Sacrificing to the Spirits|国教寛容度&color(green){+2};|苗(ミャオ)族は、すべてのものに霊魂や生命が宿ると信じ、祖先の祭祀を怠らない。&br;新年を迎える際は、酒や肉、米などを祖先に捧げる風習がある。&br;また、鼓社祭と称される祖霊の祭りでは、牛や豚、鶏を生贄に捧げる儀式が行われる。|
|龍舟節|Dragon Boat Festivals|不穏度&color(green){-1};|龍舟節は、毎年端午節(農暦の5月5日)に行われる祭りのこと。&br;祭りの中で、龍舟と呼ばれる龍を模した舟を使用し、清水江で競う「龍舟競渡」が有名である。|
|部族の統一|Unity of the Tribes|陸軍士気&color(green){+10%};|苗族は、貴州省を始め中国南部やインドシナ半島に広く分布しており、&br;赫蒙(モン)族、黎(リー)族、瑶(ヤオ)族等と交わりながら多くの支族ができた。&br;支族は、女性の服装や文様で区別され、紅苗、青苗、黒苗、白苗などと呼ばれる。|
|苗族の銀|Miao Silver|威信&color(green){+1/年};|苗族の民族衣装は、銀飾は有名で、特に女性は&br;頭飾り、首飾り、腰飾り、手飾り、指輪やブレスレットからペンダントなどまでと全身を銀で着飾る。&br;銀の装身具は美の象徴であり、また豊かさと高貴な身分をも象徴する。&br;親は娘のために私財を投げ打って銀の装身具一式を揃え、それを嫁入り道具として持たせる。&br;よって、苗族の村には必ず銀匠がおり、伝統と高い技術力を持っている。|
|慣習的な結婚規則|Customary Marriage Laws|安定度コスト&color(green){-10%};|苗族中には、同族同士で結婚してはならなかったり、同族以外の結婚を禁ずる慣習があった。&br;また、祭りの中には、自由恋愛の場であったりして、若い男女が「遊方」、&br;日本で言う「歌垣」、恋歌を掛け合うといった風習もある。&br;また、早婚や略奪婚といった慣習も残っている。|
|山への潜伏|Mountain Retreats|敵損耗&color(green){+1};||
|苗族反乱の遺産|Legacy of the Miao Rebellions|戦闘で得る陸軍伝統&color(green){+50%};|苗族は、古代の中国王朝から間接統治を受けていたが、度々王朝に対し、反乱を起こしている。&br;清の時代には「雍乾蜂起」、「乾嘉蜂起 」、 「咸同蜂起」と3度の大乱を起こしている。&br;この3度の蜂起は60年ごとであった為、&br;苗族には「三十年一小反、六十年一大反」という諺がある。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|人的資源&color(green){+15%};||

***明(Ming)v1.22[#MNG]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|要塞維持費&color(green){-20%};||
|>|~|アイデアコスト&color(green){-10%};|~|
|万里の長城の九辺鎮|Nine Garrisons of the Great Wall|要塞防御&color(green){+5%};|中国王朝は何度も修復を繰り返したが、&br;明代に大規模かつ堅固に修復され、現代に残る形となった。|
|~|~|守備兵数&color(green){+25%};|~|
|三大営の復活|Revive the Three Grand Divisions|規律&color(green){+5%};|京営は明の中央守備軍。各地域の守備軍から選抜された。&br;永楽帝の時代に五軍営、三千営、神機営の三大営を京営とした。&br;1449年土木の変で壊滅したため、1451年に兵部尚書・于謙の手で再編成された。|
|内的爛熟|Inward Perfection|安定度コスト&color(green){-10%};|元を滅ぼし久々に漢民族王朝を復興した明のもとで、&br;儒教の新しい流れが作られ、漢籍の百科全書「永楽大典」が成立し、&br;景徳鎮磁器が黄金期を迎えるなど、漢文化は爛熟期を迎えた。|
|黄河の治水|Repair the Yellow River Dykes|生産効率&color(green){+10%};|潘季馴の提唱により、複数に分かれていた黄河の流れを一本化して土砂を押し流す束流攻砂が行われた。|
|塩の専売の復元|Restore the Salt Monopoly|交易効率&color(green){+10%};|開中法に基づき、明代を通して塩の専売が行われた。|
|一条鞭法|Single Whip Law|税収&color(green){+10%};|16世紀末に張居正によって一条鞭法が施行され、人頭税と地税が銀納で一本化された。|
|紅夷砲|The Red Cannon|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};|袁崇煥や呉三桂は、ポルトガルから取り寄せた最新式の大砲を遼寧城や山海関に配備し、後金(清)の大軍を防ぎ続けた。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|関係改善&color(green){+30%};||

***毛利(Mori)v1.24[#MRI]
v1.24で専用NIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|外交官&color(green){+1};||
|>|~|海軍伝統&color(green){+1/年};|~|
|大江広元の子孫|Descendants of Oe Hiromoto|統治技術コスト&color(green){-10%};|毛利氏は大江広元を祖とする。&br;大江広元は元は下級貴族であったが、&br;源頼朝の側近となり、鎌倉幕府の政所初代別当を務め、&br;鎌倉幕府創設に大きく貢献した。&br;その後も、執権北条体制の確立にも大きく貢献しており、初期鎌倉幕府の重鎮である。|
|国人一揆の指導者|Leader of Kokujin Ikki|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|室町初期より大きく安芸国に勢力を誇った大内氏や守護代安芸武田氏に対抗すべく、&br;しばしば安芸の国人衆は団結し一揆の契状を結んだが、&br;その中心的存在が毛利氏であった。|
|外交の陰謀|Diplomatic Intrigues|外交枠&color(green){+1};|毛利氏の最盛期を築き、安芸の小領主から一代で中国地方の覇者となった毛利元就は、&br;希代の謀将「謀神」と呼ばれる。&br;特に大内氏を簒奪した陶晴賢との合戦厳島の戦いは、&br;流布による有力家臣の粛清、偽りの家臣内通、情報操作等謀略の限りを尽くし、&br;厳島に誘い込み陶晴賢を討ち取った。&br;「謀多きは勝ち、少なきは負ける」と息子へ訓戒したとされる。|
|三本の矢|Three Arrows|自治度変化&color(green){-0.05/月};|毛利元就が3人の子供に伝えたとされる逸話。&br;矢は1本では簡単に折れるが、3本束ねると折ろうとしても簡単には折れない。&br;同じように一族も結束して強靭に生きよと説く教訓。&br;なお、本逸話は創作とされていて、元ネタは元就が3人の子に書いた「三子教訓状」と言われる。|
|広島|Hiroshima|開発コスト&color(green){-10%};|広島城の事を指す。&br;戦国末期に毛利輝元が近世城郭の重要性を感じ、築いたとされる。&br;その際に建立した地を広島と命名したとされる。&br;その後すぐに関ヶ原の戦いがあり、広島の地は毛利氏から福島氏に代わり、改築された。&br;すぐに福島氏も改易され、以降明治まで浅野氏の居城となる。&br;明治以降も多くが残っていたが、太平洋戦争末期に消失した。|
|厳島|Itsukushima|船舶の耐久力&color(green){+5%};|厳島神社の事。安芸国一宮(安芸国で最も社格の高い神社)。&br;広島湾に浮かぶ厳島(宮島)に建立されている。&br;日本三景の1つであり、世界遺産でもある。&br;毛利元就は厳島神社を深く信仰していたとされる。&br;また、日本三大奇襲戦の1つ、厳島の戦いの舞台となった。|
|萩焼|Hagi Ware|威信&color(green){+1/年};|現在の山口県萩市一帯で焼かれる陶器。&br;「一楽二萩三唐津」と謳われるほど、茶人が好んだ器とされる。&br;特徴は器の表面の釉薬がひび割れたような状態になる「貫入」と、&br;そのひびから使い込むと器表面の色が変化する「七化け」。&br;毛利輝元にて朝鮮人陶工の兄弟が萩城下で御用窯を築いた事が始まりとされる。&br;現代では萩焼の技術は無形文化財に指定されている。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍指揮官射撃&color(green){+1};||

***山名(Yamana)v1.23[#YMN]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+20%};||
|>|~|外交評判&color(green){+1};|~|
|新田氏の末裔|Descendant of Nitta|外交官&color(green){+1};|山名氏は、清和源氏の支流である新田義重の子義範が&br;上野国田胡郡山名に住し、山名氏を称したことに始まる。&br;なお、新田氏と室町幕府を興した足利氏はライバル関係にあった。|
|最高の守護|Grand Shugo|コア化コスト&color(green){-10%};|山名氏は、室町3代将軍義満の時代、全国66国の内、&br;但馬、丹波など計11国の守護職を山名一族が占め、「六分一殿」と呼ばれ、山名氏最盛期を築いた。&br;その義満によって没落するも、嘉吉の乱で山名持豊が功績を立てると、&br;山名氏は十箇国の守護を得て、再度盛り返した。|
|継承問題の調停|Mediate Succession Disputes|外交枠&color(green){+1};|山名持豊は、様々なお家争いにおいて片方の後継者候補を支援した。&br;こうした行動が、室町幕府内で宗全派閥といえる集団を作り、&br;のちに応仁の乱が拡大する原因となった。|
|西軍|The Western Army|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|この西軍は、応仁の乱時の東軍西軍の意味。&br;12代当主宗全持豊は、応仁の乱の西軍総大将であり、東軍総大将である細川勝元と激しく争った。|
|東林院の取得|Acquisition of Torin'in|威信&color(green){+1/年};|東林院は京都市にある妙心寺の塔頭の一つ。&br;樹齢300年の沙羅双樹の銘木で知られる。通称は沙羅双樹の寺。&br;元々、細川氏綱が養父細川高国の菩提を弔うために建立した三友院が起源。&br;その後、山名豊国が開基となり、寺基を妙心寺山内に移して再興、「東林院」と改名した。&br;以来、細川氏の菩提寺から山名氏の菩提寺となった。&br;v1.23で名前のスペルミス(Aquisition)は修正された。|
|孤立した中心地|Isolated Heartland|要塞防御&color(green){+20%};|山名氏の本拠である但馬国及び因幡国は、周りを山に囲まれた国であり、&br;ある種周辺から孤立した地域であった。|
|山名分家の再統一|Reunification of the Yamana Branches|不穏度&color(green){-1};|山名氏は、応仁の乱でも宗全の息子が東軍に付くなどしていたが、&br;応仁の乱以後分家が事実上の独立状態になっていった。&br;戦国期の但馬守護・祐豊によって但馬・因幡守護両家の統一が図られたが、&br;毛利と織田の侵攻を前に頓挫、織田家に降伏した。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|規律&color(green){+5%};||

***琉球(Ryukyu)v1.35[#RYU]
Ver1.35で琉球三山(The Three Mountains)の効果が「無償指揮官枠+1」から「人的資源回復速度+10%」に変更

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|外交評判&color(green){+1};||
|>|~|交易誘導&color(green){+20%};|~|
|中華の冊封|Chinese Investiture|侵略的拡大&color(green){-25%};|琉球国王は成立以来、代々中国に朝貢し皇帝から「琉球王」に封じられた。|
|琉球宗教の改革|Reform the Ryukyuan Religion|不穏度&color(green){-1};|琉球には古来より最高神職(巫女)として「聞得大君」が存在したが、&br;16世紀の尚真王の時代に王の妹が聞得大君に任ぜられ、以後王権の統制下に入った。|
|首里城|Shuri Castle|威信&color(green){+1/年};|14世紀末に建造されたといわれる琉球の首城。世界遺産。|
|海上貿易|Maritime Commercialism|交易範囲&color(green){+33%};|琉球は15世紀以降、中国・日本・東南アジア・西洋諸国との中継貿易を行うことで大いに繁栄した。|
|朱印船の許可|Sign Trade Agreements|交易効率&color(green){+10%};||
|国学|National Academy|技術コスト&color(green){-5%};|1798年に設立された琉球王国の最高学府。|
|琉球三山|The Three Mountains|人的資源回復速度&color(green){+10%};|琉球王国成立以前の分裂時代、中山・山北(北山)・山南(南山)の3国を指す。&br;1429年に統一され琉球王国が成立する。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|威信自然減&color(green){-1%};||

**グループNI [#c6437f3b]
特定の集団に属する勢力に対して適用されるNI

***大名(Daimyo)v1.35[#Daimyo]
政治形態が大名(Daimyo)の国家に適用

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍扶養限界&color(green){+25%};||
|>|~|諜報網構築力&color(green){+20%};|~|
|武士道|Bushido|規律&color(green){+5%};||
|文武両道|The Bun and the Bu|アイデアコスト&color(green){-10%};||
|祖先の名誉|Honor the ancestors|信心&color(green){+1/年};||
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|五輪の書|The Five Rings|陸軍士気&color(green){+10%};|宮本武蔵の著作。|
|さすらう浪人|Wandering Ronin|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|特定の大名に仕えない武士である浪人は、戦国時代には大名や都市、一揆の傭兵になった。|
|大名軍|Armies of the Daimyo|人的資源&color(green){+25%};||
|名誉ある死|Honor unto Death|威信&color(green){+1/年};|中世~江戸の武士階層において切腹は最期の死に様を見せる場として尊ばれた。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};||

***中国(Chinese)v1.35[#Chinese]
主要文化が中国グループか、長生国(Changsheng)の場合に適用
Ver1.30で天子(Son of Heaven)の効果に「天命+0.05」が追加

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源回復速度&color(green){+10%};||
|>|~|統治技術コスト&color(green){-5%};|~|
|科挙試験|The Keju Examination|雇用可能顧問&color(green){+1};|科挙とは官僚登用試験のこと。競争率は非常に高く、非常に難関。|
|士大夫|Scholar Gentry|安定度コスト&color(green){-10%};|士大夫は当時の階級を表す1つで、「官僚・地主・商人の三位一体」とされる。|
|4階級の秩序|Order of the Four Occupations|生産効率&color(green){+10%};|ここでいう4階級は、「士大夫」、「農民」、「職人」、「商人」。|
|儀礼と礼儀の国|Nation of Rites and Etiquettes|威信&color(green){+1/年};||
|火器の練習|Firearm Training|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|火薬は、中国が発明したもの。|
|天子|Son of Heaven|信心&color(green){+1/年};|天子とは、古来中国の皇帝の称号。漢字の通り、天(天帝)の子を意味する。&br;古代より中国では、「天帝がその子として王を認め王位は家系によって継承されていく。&br;王家が徳を失えば新たな家系が天命(Mandate of Heaven)により定まる」&br;という思想で皇帝は権威を持っていた。&br;王朝の交代は、新たな徳を備えた一族が新王朝を立てる(姓が易わる)為、&br;王朝交代時の革命は「易姓革命」と呼ばれる。&br;為政者の交代は、日本では、「血統の断絶」(例:江戸時代の嗣子がいないことによる改易)に対し、&br;中国は「徳の断絶」が根拠となっていた。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|~|~|天命&color(green){+0.05};|~|
|中国|Middle Kingdom|外交評判&color(green){+1};|「中国」は、世界の中心の国という意味で、いわゆる「中華思想」に基づくものである。&br;ちなみに英語名の「China」は古代中国の王朝の「秦(しん)」が由来とされている。&br;「china(小文字)」は陶器という意味も持ち、中国製の陶器がヨーロッパで輸入され広まった際に&br;そのまま中国を意味するchinaが使われた。&br;また、同様に秦を由来とするサンスクリット語の名称が中国に逆輸入され、「支那」という別名が生まれた(現在の中国では蔑称とされるが、元々中立的な単語で蔑称の意味はない。台湾や香港では中国を指す単語として現在も使用されている。)。&br;現代中国では、外名の「china」という呼び名が気に食わない人もいるようで、&br;「中国の英語表記を従来のChinaではなくZhongguo(中国の中国語発音・ジョングオ)にすべきだ」&br;という論説が発表されて賛否両論だったらしい。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|人的資源&color(green){+25%};||

*タタール [#Tartary]

|CENTER:20|>|>|>|>|CENTER:|c
|~各国NI|~東シベリア|||||
|~|~西シベリア|[[ブハラ(Bukhara)>#BUK]]||||
|~|~満州|[[女真(Jurchen)>#MJZ]]|[[満州(Manchu)>#MCH]]|||
|~|~モンゴル|[[オイラト(Oirat)>#OIR]]|[[チャガタイ(Chagatai)>#CHG]]|[[モンゴル(Mongolia)>#KHA]]||
|~|~チベット|||||
|~|~中央アジア|[[トランスオクシアナ(Transoxiana)>#TRS]]|[[ヒヴァ(Khiva)>#KHI]]|[[ヤルカンド=ハン(Yarkand)>#KAS]]||
|>|~グループNI|[[エヴェンキ(Evenk)>#Evenk]]|[[シベリア(Siberian)>#Siberian]]|[[チベット(Tibetan)>#TIB]]|[[遊牧民(Horde)>#Horde]]|

**各国NI [#ob9d8de7]

***オイラト(Oirat)v1.35[#OIR]
Ver1.29にて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+20%};||
|>|~|コア化コスト&color(green){-20%};|~|
|土木の変で恐れられた戦士|Fearsome Warriors of Tumu|騎兵コスト&color(green){-10%};|土木の変は1449年にオイラトのエセン=ハンが明の正統帝を捕虜にした戦い。&br;明の弱体化の始まりとなったきっかけの一つとされる。|
|~|~|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|~|
|草原の戦士の生き様|Life of the Steppe Warrior|陸軍損耗&color(green){-20%};|遊牧民(Horde)アイデアと同一のアイデア。|
|四オイラト|The Four Oirats|信心&color(green){+1/年};|四(ドルベン)オイラトはオイラトを構成した主要4部族の総称。&br;時代によって部族名が異なるのだが、&br;ゲーム上ではジュンガル(Dzungars)(またはチョロース、Choros)、トルグート(Torghut)、&br;ドルベト(Dörbet)、ホシュート(Khoshut)と説明されている。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|トド文字|Todo Besheg Script|技術コスト&color(green){-5%};|1648年にザヤ・パンディタ(Zaya Pandita)がオイラト語の表記のため、&br;モンゴル文字を改良して作った文字。オイラト文字とも。|
|大ハンの遺産|Legacy of the Great Khan|侵略的拡大&color(green){-15%};|大ハンはチンギス・ハンのこと。|
|ジュンガルの抵抗|Defiance of the Dzungars|人的資源回復速度&color(green){+15%};|ジュンガル(Dzungars)はオイラトの主要部族の1つ。&br;後に遊牧民最後の帝国となるジュンガル帝国を建国する。|
|~|~|規律&color(green){+5%};|~|
|征服の栄光|Glory of Conquest|人的資源&color(green){+25%};|遊牧民(Horde)アイデアと同一のアイデア。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};||

***女真(Jurchen)v1.35[#MJZ]
Ver1.29にて満州/清とNIが分離し、新規に追加された。
全て新規のアイデア。対象はVer1.29から追加された2国家含めた女真族の国家に適用。
詳細に書くと建州女真(Jianzhou)、海西女真(Haixi)、オロチ(Orochoi)、シベ(Xibe)、ナナイ(Nanai)の5国家に適用。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};||
|>|~|人的資源&color(green){+15%};|~|
|山の子孫|Sons of the Mountain|敵損耗&color(green){+1};|ここでいう山は白頭山を指す。女真族にとって白頭山は聖地である。&br;清朝の皇室である愛新覚羅氏の祖は、&br;ブクリ山(白頭山のこと)で水浴びをしていた娘が、&br;天の神の使いのカササギが運んできた赤い実を食べ、&br;それによって妊娠して生まれた子とされている。|
|弁髪|The Queue|不穏度&color(green){-1};|弁髪(べんぱつ、辮髪とも)は東アジアの北方遊牧民族の男性の髪型。&br;頭髪を一部を残して剃りあげ、&br;残りの毛髪を伸ばして三編みにし、後ろに垂らすスタイル。&br;要はキン肉マンに登場するラーメンマンの髪型。&br;日本人の持つイメージとして中国人の髪型と思われてるがそれは誤りで、&br;清の時代に満州族が漢民族へ弁髪を強要したためと思われる。|
|~|~|信心&color(green){+0.5/年};|~|
|~|~|正統性&color(green){+0.5/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+0.5/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.15/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+0.5/年};|~|
|外地での軍務|Foreign Service|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};||
|国境地帯|The Borderlands|人的資源回復速度&color(green){+20%};||
|一夫多妻|Wives and Concubines|後継者誕生確率&color(green){+50%};||
|寛容なる族長|Generosity of the Warlord|関係改善&color(green){+25%};||
|女真八旗|Jurchen Banner Armies|八旗雇用可能数&color(green){+15%};|ヌルハチが編成した軍事組織。&br;女真族全構成員を8色の旗のもとに編成、戸籍と軍隊組織を兼ねた。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍損耗&color(green){-10%};||

***チャガタイ(Chagatai)v1.29[#CHG]
Ver1.29にて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+20%};||
|>|~|過酷な処置コスト&color(green){-20%};|~|
|山のハン国|The Mountain Khanate|敵損耗&color(green){+0.5};|チャガタイの本拠は天山山脈にあり、天然の要害に守られている。|
|~|~|陸軍損耗&color(green){-10%};|~|
|絶え間なき国境戦争|Ceaseless Border Wars|陸軍士気&color(green){+5%};||
|~|~|人的資源回復速度&color(green){+15%};|~|
|チャガタイ・ハンの子孫|Sons of Chagatai Khan|外交併合コスト&color(green){-15%};|チャガタイ(Chagatai)はチンギス・ハンの次男。&br;激しい気性と一本気な性格だったが、反して法に対して厳格な一面があったため、&br;モンゴル帝国の法律(ヤサ)の管理を任じられ、&br;「ヤサの番人」の異名を取った。 &br;チャガタイの子孫の国家(ウルス)がチャガタイ=ハンである。|
|チャガタイ文学|Chagatai Literature|威信&color(green){+1/年};||
|征服の伝統|Tradition of Conquest|コア化コスト&color(green){-25%};||
|狡猾な貴族階級|Scheming Nobility|外交官&color(green){+1};||
|征服の栄光|Glory of Conquest|人的資源&color(green){+25%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍維持費&color(green){-5%};||

***トランスオクシアナ(Transoxiana)v1.23[#TRS]
v1.23で追加された新規国家の専用NI。
ペルシャ南西部に位置し、ティムールより任命された知事(ティムールの子孫)を頭とする国家の1つで、1444GC開始時ではティムール朝の属国。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};||
|>|~|騎兵コスト&color(green){-10%};|~|
|&size(12){マー・ワラー・アンナフル,川を超えた土地};|&size(12){Mawarannahr, the land Beyond the River};|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|マー・ワラー・アンナフルは、中央アジア南部のオアシス地域の歴史的呼称。&br;アラビア語で「川の向うの土地」を意味し、アムダリヤ川北岸を指す。&br;なお国家名のトランスオクシアナとほぼ同じ意味である。&br;トランスオクシアナは「オクサス川(アムダリヤ川)より向こうの地」の意で、&br;こちらは正確にはアムダリヤ川とシルダリヤ川の間を指す。|
|楽園の入り口|Threshold of Paradise|威信&color(green){+1/年};|首都サマルカンドは当時の大都市の1つで、&br;モンゴル帝国により壊滅した都をティムールが再建し、&br;抜けるような青空とモスクの色から「青の都」と呼ばれ、隆盛を極めた。|
|熟練した外交|Adept Diplomacy|諜報網構築力&color(green){+20%};||
|テュルク人の砲兵隊|Turkoman Cannoneers|砲兵コスト&color(green){-15%};|当時、テュルク人の砲兵はインドやイランで活躍し、有名であった。|
|科学の奨励|Scientific Patronage|技術コスト&color(green){-5%};|ティムール朝の第4代当主ウルグ・ベクの時代、文化が華開き、自身も優れた天文学者等であったので、&br;文人・学者の保護・奨励、結果、学問分野で大いに成果を挙げた。&br;特に天文学の分野では、ウルグ・ベク天文台をサマルカンドに建設した。&br;天文観測を行い、その成果をまとめた「キュレゲン天文表」は、&br;世界的な正確さを誇り、イスラム世界で広く用いられた。&br;ウルグ・ベクが天文台の壁に刻み残したとされる下記の一節から、&br;彼の信念の一端を知ることができる。&br;&br;『宗教は盛衰し、帝国は無に帰する、されども科学の探究は永遠である。』&br;&size(14){('Religions rise and fall, empires crumble into dust, but the works of science are for all time.')};&br;&br;&size(12){なお、本ゲーム中のティムール朝の固有イベントにこのウルグ・ベク天文台を建設するイベントが用意されている。};&br;&size(12){新バージョンでどうなるかはさておき…};|
|シルクロードの集積地|Entrepôt of the Silk Road|首都ノード交易力&color(green){+25%};||
|チャガタイ文学|Chagatai Literature|正統性&color(green){+1/年};|ティムール朝の宰相・アリーシール・ナヴァーイーは&br;テュルク語にペルシア語の語彙と修辞を取り入れた&br;「チャガタイ語」を使って詩作を行い、&br;チャガタイ語をアラビア語やペルシア語に匹敵する文学的地位へ引き上げた。&br;ティムールと同一のNI。&br;政体が遊牧民ではない為適用されないが、&br;内部的には遊牧民の結束上昇の効果がついている。|
|~|~|遊牧民の結束&color(green){+1/年};|~|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|アイデアコスト&color(green){-10%};||

***ヒヴァ=ハン(Khiva)v1.22[#KHI]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵コスト&color(green){-10%};||
|>|~|陸軍損耗&color(green){-10%};|~|
|遊牧民の遺産|Horde Legacy|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|ヒヴァ=ハン国は、16世紀前半に成立したジョチ・ウルスのシバン家に属する王朝。&br;この地域にはトルコマン種(絶滅種)と呼ばれた馬が飼育されていた。|
|ヒヴァの砂漠|Deserts of Khiva|敵損耗&color(green){+1};|ヒヴァは、預言者ノアの息子セムが、砂漠の中心部に井戸を掘ったことにより町が生まれた。&br;また、その井戸の水を飲んだ人々が「甘い水」を意味する言葉&br;「Kheyvak!(ヒワック!)」と叫んだことから、ヒヴァと呼ばれるようになった。|
|メルブのオアシス|Oasis of Merv|キャラバン力&color(green){+20%};|メルブはカラカム砂漠の中にあったシルクロードのオアシス都市。&br;11世紀~12世紀に最盛期を誇ったが、13世紀にモンゴル帝国により廃墟となり、その後復興しなかった。&br;現代では遺跡が残っており、世界遺産に認定されている。|
|ジュマ・モスク|Djuma Mosque|布教強度&color(green){+1%};|「ジュマ」とは「金曜日」の意味で、イチャン・カラのほぼ中心に位置する。&br;※イスラム教では、金曜日が休日に当たる。&br;門、ドーム、回廊、庭などを一切持たず、内部には215もの木柱が立ち並ぶ部屋が一部屋ある。&br;モスク内にある最古の柱は古代ホラズム王国の都から運ばれたもので、柱には彫刻されており、1本1本全て異なる。|
|アムダリヤ川|Amu Darya|交易効率&color(green){+10%};|アムダリヤ川は、パミール高原・ヒンドゥークシュ山脈から発する&br;パンジ川とヴァクシュ川が合流し、北西へ向かって流れ、アラル海に注ぐ川。&br;河流域はオアシス都市が栄え、ヒヴァ=ハン国もその恩恵を受けた。&br;また、この河付近には金や石油などが埋まっているとされる。|
|イチャン・カラ |Ichan Qal'a|要塞防御&color(green){+15%};|イチャン・カラは直訳すると「内城」。&br;城壁に囲われた市街地で、中央アジア、西アジアの都市に見られる。&br;ヒヴァのイチャン・カラは現代で唯一無傷で残ったものであり、世界遺産に認定されている。|
|強国外交|Great Power Diplomacy|関係改善&color(green){+20%};|ヒヴァ=ハン国は北にロシア、南にペルシャ、&br;東にイギリス(イギリス領インド)の列強に囲まれていた。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|増援速度&color(green){+10%};||

***ブハラ(Bukara)v1.35[#BUK]
Ver1.34にて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|開発コスト&color(green){-10%};||
|>|~|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|~|
|ジョチの遺産|Jochid Patrimony|信心&color(green){+0.5/年};|ブハラ・ハンの草創期はシャイバーニー朝で、&br;チンギス・ハンの長男ジョチの5男シバンの末裔が指導者。|
|~|~|正統性&color(green){+0.5/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+0.5/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.15/年};|~|
|~|~|コア化コスト&color(green){-20%};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+0.5/年};|~|
|ナクシュバンディー教団の後援|Naqshbandi Patronage|主義思想の伝播速度&color(green){+15%};|ナクシュバンディーにより設立されたスーフィー(神秘主義)教団。|
|~|~|信仰心加速&color(orange){+0.1/年};|~|
|マハッラの学校|Mahalla Schools|技術コスト&color(green){-5%};|マハッラはウズベキスタンなどの中央アジアで見られるコミュニティの一種。|
|ブハラのユダヤ人|The Jews of Bukhara|最大異教寛容度&color(green){+1};||
|~|~|ズィンミー階級の忠誠度均衡値&color(green){+5%};|~|
|アルク|The Ark|要塞維持費&color(green){-25%};|アルク城とも。アルクは「要塞」という意味。&br;建造はかなり古く紀元前にはあったとされ、&br;ペルシャの叙事詩「シャー・ナーメ(Shahnameh、王書という意味)」にも登場する、&br;伝説の英雄シヤブシュ?(Siyavash,Siyavush?)によって建造されたとされる。|
|死の塔|The Tower of Death|不穏度&color(green){-2};|ポイカラーン(Po-i-Kalyan)のミナレットのこと。&br;モンゴル襲来時に破壊されそうになったが、&br;モンゴル帝国のブハラ占領の際、ポイカラーンのモスクは破壊されたが、&br;ミナレットは塔に感動したチンギス・ハンが&br;部下に破壊せぬよう止めたという伝承が残っている。&br;死の塔の由来は、罪人を生きたまま袋に入れて&br;塔の上から投げ落とすという処刑として使用されたことから。|
|サヒーフ・アル=ブハーリー|Sahih al-Bukhari|国教寛容度&color(green){+1};|ムハンマド・アル・ブハーリー(Muhammad al-Bukhari)によって&br;編纂されたハディース(Hadith)。&br;ハディースはアラビア語で伝承という意味で、&br;ムハンマドやその仲間の言行録のこと。&br;信仰を導く教えとなり、イスラム法の基礎ともなった。|
|~|~|対異端改宗強度&color(green){+2%};|~|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|建造物コスト&color(green){-15%};||

***満州(Manchu)v1.29[#MCH]
Ver1.29にて各女真国家/清とNIが分離し、併せて一部効果の変更、新規追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍維持費&color(green){-5%};||
|>|~|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|~|
|女真三部族の統一|United Three Jurchens|人的資源&color(green){+15%};|v1.28以前の満州アイデアからの継続だが、&br;効果が変更された(v1.28以前は人的資源+10%、コア化コスト-20%)。&br;1616年、サルフの戦いで明の大軍を殲滅した女真族のヌルハチは、&br;女真族内の敵対部族を併合し女真族を完全に統一した。|
|~|~|コア化コスト&color(green){-15%};|~|
|八旗軍|The Eight Banners|八旗雇用可能数&color(green){+25%};|v1.28以前の満州アイデアから継続(順序が3番目→2番目に変更)。&br;ヌルハチが編成した軍事組織。&br;女真族全構成員を8色の旗のもとに編成、戸籍と軍隊組織を兼ねた。&br;後に蒙古八旗、漢軍八旗も編成された。|
|満州文字|Manchu Alphabet|安定度コスト&color(green){-10%};|v1.28以前の満州アイデアからの継続だが、&br;順序と(2番目→3番目)効果が変更された(v1.28以前は技術コスト-10%)。&br;1599年、ヌルハチの命令により作成された。|
|~|~|主義思想の伝播速度&color(green){+5%};|~|
|後金|The Later Jin|正統性&color(green){+1/年};|金は12世紀に中国の北半を支配した女真族の征服王朝名。&br;ヌルハチが1616年にほぼ全ての女真部族を統一、建国宣言した際に金という国号を用いた。&br;前代の金と区別するため、ヌルハチの興した金朝は後金と呼ばれる。|
|~|~|遊牧民の結束&color(green){+1/年};|~|
|&size(15){モンゴル王朝との連携};|Link with the Mongol Dynasty|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|v1.28以前の満州アイデアから継続(順序が4番目→5番目に変更)。&br;清は1635年にチンギス・ハーンの末裔・チャハル部からチンギス・ハーンの玉璽を送られた。&br;これにより清は領域内の漢族・女真族の支配者としてだけでなく、&br;モンゴル帝国の後継者としての地位をも確立した。|
|中国の知識|Chinese Learning|軍事技術コスト&color(green){-10%};||
|七大恨|The Seven Grievances|侵略的拡大&color(green){-10%};|1618年にヌルハチが示した檄文。&br;父と祖父の殺害、国境の越境など、7つの明朝に対する非難声明となっている。&br;ヌルハチはこの「七大恨」を掲げて明とサルフの戦いへ入った。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍士気&color(green){+15%};||

***モンゴル(Mongolia)v1.29[#KHA]
Ver1.29にて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源&color(green){+25%};||
|>|~|分離主義年数&color(green){-5};|~|
|平原の姿なき騎兵|Ghostly Horses of the Plain|騎兵戦闘力&color(green){+20%};||
|イフ・モンゴル・ウルス|Ikh Mongol Uls|侵略的拡大&color(green){-15%};|日本語にすると「大モンゴル国」。&br;チンギス・ハンが築いた大帝国を指す言葉。&br;本ゲームのモンゴルはこの大モンゴル帝国の正統後継者を称した。|
|イェケ・モンゴル・ウルス|Ikh Mongol Uls|侵略的拡大&color(green){-15%};|日本語にすると「大モンゴル国」。&br;チンギス・ハンが築いた大帝国を指す言葉。&br;本ゲームのモンゴルはこの大モンゴル帝国の正統後継者を称した。|
|草原の戦士の生き様|Life of the Steppe Warrior|陸軍損耗&color(green){-20%};|遊牧民(Horde)アイデアと同一のアイデア。|
|北元|The Northern Yuan|コア化コスト&color(green){-25%};|フビライ・ハンにより建国された元帝国(大元)が、&br;明朝に中国の領土を追い出され、モンゴル高原へと逃げ、勢力を保った。&br;それ以降のフビライ・ハンの子孫の政権を北元と言う。&br;要は、本ゲームのモンゴルの別名。|
|大ハンのヤム|Yams of the Great Khan|使節の移動時間&color(green){-25%};|大ハンはチンギス・ハンのこと。&br;ヤムは、ジャムチのテュルク語に相当する駅伝制の事。&br;主要道路に10里ごとにおかれる宿駅が置かれ、宿と人馬を提供した。&br;駅伝を利用する公用の旅行者は、通行手形として牌符を携行し、&br;ヤムを自由に利用することができた。|
|~|~|増援コスト&color(green){-15%};|~|
|モンゴル族の機動力|Mongolian Mobility|陸軍指揮官機動&color(green){+1};||
|~|~|移動速度&color(green){+10%};|~|
|ケシク|The Kheshig|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|モンゴル帝国において君主(ハン)や皇族を護衛した親衛隊のこと。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍維持費&color(green){-5%};||

***ヤルカンド=ハン(Yarkand)v1.35[#KAS]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|不穏度&color(green){-1};||
|>|~|交易効率&color(green){+10%};|~|
|北シルクロード|Northern Silk Road|キャラバン力&color(green){+20%};|シルクロードは、中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称。&br;北シルクロードは、先史時代よりあるタリム盆地を経由するルート。オアシスの道とも。&br;ヤルカンドは、北シルクロードのルートで最も利用された&br;西域南道の要衝の地であった。|
|六城の地|Altishahr|税収&color(green){+10%};|アルティ・シャフルはトルコ語で「六城の地」を意味し、&br;新疆、特に南疆西部のイスラム教化したオアシス都市群を指す。&br;ヤルカンドやカシュガルは六城の1つとして比定される。|
|ターリーヒ・ラシーディー|Tarikh-i-Rashidi|外交評判&color(green){+1};|「ターリーヒ・ラシーディー」は、16世紀のモグーリスタン・ハン国&br;(東チャガタイ・ハン国)の貴族、歴史家である&br;ミールザー・ムハンマド・ハイダル・ドゥグラトにより書かれた歴史書。&br;自身の回想録であり、中央アジア史の概説が収録されている。&br;当時の中央アジア史に関する重要な史料である。|
|ホージャの権限強化|Empower the Khojas|国教寛容度&color(green){+2};|ホージャは、中央アジアでは正統カリフ&br;(イスラム教の祖ムハンマド死後、後を継いだ最初の4人。&br;カリフは代理人の意)の子孫を意味する。&br;ここでいうホージャはイスラム教一派であるナクシュバンディー教団の指導者のこと。&br;本教団の指導者の1人、アフマド・カサーニーの子孫の称号はホージャで、&br;東トルキスタン地域の指導者としての役割を担った。|
|~|~|信心&color(green){+0.5/年};|~|
|~|~|正統性&color(green){+0.5/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+0.5/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.15/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+0.5/年};|~|
|聖戦士|Holy Warriors|陸軍士気&color(green){+10%};|イスラム圏では、ガーズィーという戦士団が存在した。&br;ガーズィーは、非ムスリムに対する侵略的な宗教的聖戦(ジハード)に伴う、&br;非ムスリム人民への財産狩りや奴隷狩りなどの掠奪遠征に従事とする者、&br;「聖戦に参加する者」のこと。|
|黒山と白山|Black Mountain and White Mountains|人的資源&color(green){+10%};|ナクシュバンディー教団の指導者であった&br;アフマド・カサーニーの子孫はホージャの称号を持ち、&br;その家は「カシュガル・ホージャ」と呼ばれ、ヤルカンドで多大な影響を持った。&br;カシュガル・ホージャはアフマド・カサーニー以後、2派に分かれ、&br;それぞれ黒山党(イスハーキーヤ、またはカラタグルク)、&br;白山党(アーファーキーヤ、アクタグルク)と呼ばれ、その権勢を争った。|
|タリム交易の促進|Encourage Tarim Trade|州からの交易力&color(green){+15%};|タリム盆地は先史時代より、シルクロードの経由地として交易が活発に行われたが、&br;次第に東南アジアからインド、アラビア半島を経由する&br;海上ルート(海の道)に取って代わられ、衰退していった。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|首都ノード交易力&color(green){+10%};||

**グループNI [#a9c182fa]
特定の集団に属する勢力に対して適用されるNI

***エヴェンキ(Evenk)v1.30[#Evenk]
主要文化がエヴェンキ(evenk)の国家に適用
Ver1.30でモンゴルのデール(Mongolian Deel)が「傭兵枠+25%」から「傭兵人的資源+25%」に変更

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|敵損耗&color(green){+1};||
|>|~|州獲得に必要な戦争点コスト&color(green){-10%};|~|
|一族の旅団|Family Brigades|陸軍損耗&color(green){-10%};||
|~|~|移動速度&color(green){+5%};|~|
|トナカイの牧畜|Reindeer Herding|交易範囲&color(green){+15%};||
|自給自足|Self-Sufficiency|分離主義年数&color(green){-5};||
|シベリアの資源|Siberian Resources|建造物コスト&color(green){-10%};||
|モンゴルのデール|Mongolian Deel|傭兵維持コスト&color(green){-10%};||
|~|~|傭兵人的資源&color(green){+25%};|~|
|森好き|Love of the Forest|陸軍指揮官機動&color(green){+2};||
|新しい狩猟法|New Ways to Hunt|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|交易効率&color(green){+10%};||

***シベリア(Siberian)v1.22[#Siberian]
政体が「Siberian clan council」の国家に適用

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍損耗&color(green){-15%};||
|>|~|不当な要求&color(green){-25%};|~|
|北の狩人|Hunters of the North|敵損耗&color(green){+1};||
|シベリアの毛皮交易|Siberian Fur Trade|首都ノード交易力&color(green){+10%};||
|捕虜の奴隷化|Enslave the Captives|生産効率&color(green){+10%};||
|シベリアの僻地|Siberian Backwoods|要塞防御&color(green){+15%};||
|血で買われる土地|Land Bought with Blood|陸戦で得る威信&color(green){+100%};||
|奇襲の成功|Successful Raids|人的資源&color(green){+15%};|16世紀、ロシアのストロガノフ家の依頼を受けたイェルマークの攻撃を受けたシビル・ハン国は敗北を喫するものの、隙を見て反撃の奇襲をかけ、イェルマークを戦死させた。|
|~|~|補充速度&color(green){+5%};|~|
|狩猟地の拡張|Hunting Expansion|植民地人口増&color(green){+20};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|戦争疲弊&color(green){-0.05/月};||

***チベット(Tibetan)v1.33[#TIB]
Ver1.33で適用条件の文化にシナ・チベット(Sino-Tibetan)が追加
チベット(Tibet)国である、もしくは主要文化がチベットもしくはシナ・チベット(Sino-Tibetan)であり、かつ国教が密教の国家に適用
(For all Vajrayana countries with Tibetan as primary culture.)

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|不穏度&color(green){-1};||
|>|~|布教強度&color(green){+1%};|~|
|密教|Vajrayana Buddhism|安定度コスト&color(green){-10%};||
|ボン教の影響|Bon Influence|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|ボン教とは仏教伝来以前よりチベットに伝わる民族宗教である。|
|ヤク|Yaks!|生産効率&color(green){+10%};||
|美徳の道|The Way of Virtue|異端寛容度&color(green){+1};|ゲルク派の事か?|
|~|~|異教寛容度&color(green){+1};|~|
|ポタラ宮|Potala Palace|外交評判&color(green){+1};||
|古代の道|The Way of the Ancients|規律&color(green){+5%};|ニンマ派の事か?|
|サキャ派|The Pale Earth School|アイデアコスト&color(green){-10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|顧問コスト&color(green){-10%};||

***遊牧民(Horde)v1.29[#Horde]
ティムール、満州以外の技術グループが草原の遊牧民(Steppe Nomads)の国家に適用
政体の変更が発生した場合、条件を満たす別のNIに変更される

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|侵略的拡大&color(green){-10%};||
|>|~|分離主義年数&color(green){-5};|~|
|草原の戦士の生き様|Life of the Steppe Warrior|陸軍損耗&color(green){-20%};|遊牧民は生まれ持った巧みな馬術と強力な弓術により精強さを誇ったが、過酷な自然環境の中で生存を第一義としたため、戦死を好まず撤退を不名誉と考えず、強力な敵に対しては後退を繰り返して相手の疲労を狙う戦術を得意とした。|
|偉大なるハンの伝統|Traditions of the Great Khan|騎兵戦闘力&color(green){+20%};|匈奴の冒頓単于、フン族のアッティラ、ティムールなどカリスマをリーダーに迎えた時、強大な遊牧国家が誕生することは洋の東西を問わない。&br;中でも史上最大の大陸国家を建設したモンゴル帝国のチンギス・ハンの記憶はユーラシアの遊牧民たちに長く生き続けた。|
|馬の供給|Horse Supplies|陸軍維持費&color(green){-5%};|モンゴル帝国は常に代え馬を引き連れて遠征した。|
|草原の指導者|Steppe Leaders|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};|遊牧民の居住環境は厳しく、自然の脅威にさらされる。&br;そうした中で生活した集団は自然と軍事組織化し、集団の指導者は優れた指揮官となった。|
|征服の伝統|Tradition of Conquest|コア化コスト&color(green){-25%};|遊牧民の国家は時として広大な領域を支配した。&br;それは圧倒的な機動力・戦闘力を誇っていたことと同時に、貢納と兵役に応じさえすれば現地の社会体制を保持し自治を許す寛容さを持ち合わせていたからである。|
|ハンの兵站|Logistics of the Khan|人的資源回復速度&color(green){+20%};||
|征服の栄光|Glory of Conquest|人的資源&color(green){+25%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|安定度コスト&color(green){-10%};||

*東南アジア [#EastIndies]

|CENTER:20|>|>|>|>|CENTER:|c
|~各国NI|~モルッカ|[[スールー(Sulu)>#SUL]]|[[セブ(Cebu)>#CEB]]|[[ブトゥアン(Butuan)>#BTU]]|[[マジャアス(Madyas)>#MAS]]|
|~|~インドネシア|[[スンダ(Sunda)>#SUN]]|[[チルボン(Cirebon)>#CRB]]|[[バリ(Bali)>#BLI]]|[[バンテン(Banten)>#BAN]]|
|~|~|[[ブルネイ(Brunei)>#BEI]]|[[マジャパヒト(Majapahit)>#MAJ]]|[[蘭芳(Lanfang)>#LFA]]||
|~|~マラヤ|[[アチェ(Aceh)>#ATJ]]|[[パガルユン(Pagarruyung)>#PGR]]|[[パタニ(Pattani)>#PAT]]|[[パレンバン(Palembang)>#PLB]]|
|~|~|[[マラッカ(Malacca)>#MLC]]|[[マラヤ(Malaya)>#MSA]]|[[リゴール(Ligor)>#LIG]]||
|~|~インドシナ|[[アユタヤ(Ayutthaya)>#AYU]]|[[クメール(Khmer)>#KHM]]|[[シャム(Siam)>#SIA]]|[[スコータイ(Sukhothai)>#SUK]]|
|~|~|[[ラーンサーン(Lan Xang)>#LXA]]|[[大越(Dai Viet)>#DAI]]|||
|~|~ビルマ|[[アヴァ(Ava)>#AVA]]|[[アラカン(Arakan)>#ARK]]|[[タウングー/ピイ(Taungu / Prome)>#TAU]]|[[ペグー(Pegu)>#PEG]]|
|~|~|[[ラーンナー(Lan Na)>#LNA]]||||
|>|~グループNI|[[ジャワ(Javan)>#Javan]]|[[シャン(Shan)>#Shan]]|[[スマトラ(Sumatran)>#Sumatran]]|[[スラウェシ(Sulawesi)>#Sulawesi]]|
|~|~|[[チャム(Cham)>#CHA]]|[[ボルネオ(Bornean)>#KUT]]|[[マレー(Malayan Sultanate)>#Malayan]]|[[ミンダナオ(Mindanao)>#Mindanao]]|
|~|~|[[モルッカ(Moluccan)>#Moluccan]]|[[ラオス(Laotian)>#Laotian]]|[[ルソン(Luzon)>#Luzon]]||

**各国NI [#ob7d6a40]

***アヴァ(Ava)v1.26[#AVA]
Ver1.26にて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};||
|>|~|歩兵コスト&color(green){-15%};|~|
|パガン王朝の遺産|Legacy of the Pagan Dynasty|威信&color(green){+1/年};|元はタウングーのNI。&br;パガン王朝は現在のミャンマーにあった、ビルマ族最初の王朝。&br;「パガン」とは「ピュー族の集落」を意味する「ピュー・ガーマ」が転訛したものと考えられている。&br;ビルマ語王統史では55代の王が記されているが、初期の王は実在が怪しい。&br;現代では、実在が確認される王統記上の第44代アノーヤターを最初の王とする。&br;1287年、クビライ・カーン率いる元が侵攻、首都パガンを攻撃し、パガン朝は滅亡した。|
|ラージャディラージャ|Rajadhiraja|陸軍扶養限界&color(green){+20%};|ラージャはサンスクリット語で王の意味であり、ラージャディーラージャは王の中の王の意味。&br;主にインドの王に用いれられた。&br;ペルシア(イスラム)世界のシャーハンシャーみたいなものと思われる。|
|マヌヂエ・ダマタッ|Manu Kye Dhammathat|安定度コスト&color(green){-10%};|元はタウングーのNI。&br;Maha Thiri Ottma Zeya著の法律書。「ダマタッ」は成文法の意。&br;パーリ語で書かれたマヌイン・ダマタッのビルマ語訳を基に、&br;従前の諸々のダマタッや司法判決,同時代の慣習法等を参考にして&br;新たに編纂したビルマ(ミャンマー)の代表的成文法。|
|ビルマ文学の後援|Patronize Burmese Literature|君主と同一文化の顧問コスト&color(green){-20%};||
|丘陵部族からの募兵|Recruit from the Hill Tribes|人的資源&color(green){+20%};||
|シャン族制御の継続|Keep the Shan in Line|外交評判&color(green){+1};||
|地方統治者の抑制|Rein in Provincial Governors|自治度変化&color(green){-0.05/月};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|騎兵戦闘力&color(green){+15%};||

***アチェ / パサイ(Aceh / Pasai)v1.31[#ATJ]
Ver1.31にて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|布教強度&color(green){+2%};||
|>|~|艦船関連コスト&color(green){-10%};|~|
|輸出経済|Export Economy|交易力&color(green){+10%};||
|スマトラ島のイスラム化|Islamize Sumatra|宣教師維持コスト&color(green){-25%};||
|アチェの勃興|Rise of Aceh|州獲得に必要な戦争点コスト&color(green){-10%};||
|軍事的冒険|Military Adventures|海軍士気&color(green){+15%};||
|メッカの玄関|Porch of Mecca|技術コスト&color(green){-10%};|グループNIのスマトラNIと同一のアイデア|
|アチェ人の貸付金融|Acehnese Moneylending|利息&color(green){-1};||
|島々への定住|Settle the Islands|植民地人口増&color(green){+20};|グループNIのマレーNIと同一のアイデア|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|生産効率&color(green){+10%};||

***アユタヤ(Ayutthaya)v1.31[#AYU]
Ver1.30にてNIが全面改訂された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|Ver1.30までの効果:宗教的統一性&color(green){+20%};と受容文化枠&color(green){+1};|
|>|~|従属国開発度からの独立欲求&color(green){-20%};|~|
|白象|White Elephant|属国収入&color(green){+20%};|Ver1.30までの効果:税収&color(green){+10%};|
|賦役制|The Corvee System|人的資源&color(green){+25%};|Ver1.30までの効果:人的資源&color(green){+10%};&br;アユタヤでは、プライ(下級身分層、phrai)の成人男子は全員賦役義務を負った。&br;18歳になると手首に入墨を施され、賦役者であることとその所属を登記された。|
|中継交易の振興|Promotion of Trading Links|外交評判&color(green){+1};|Ver1.30までは5番目だった。&br;Ver1.30までの効果:交易範囲&color(green){+20%};|
|外国の傭兵|Foreign Mercenaries|傭兵維持コスト&color(green){-15%};|Ver1.30までは3番目だった。&br;Ver1.30以前でも効果は同じ。&br;日本の浪人を傭兵隊に編成した山田長政は有名。|
|大使|Embassies|関係改善&color(green){+30%};|Ver1.30までは4番目だった。&br;Ver1.30までの効果:外交官&color(green){+1};|
|公民|Phrai Luang|開発コスト&color(green){-10%};|Ver1.30までは7番目だった。Ver1.30までの効果:不穏度&color(green){-1};&br;アユタヤでは、プライは全て国王に帰属しており、「Phrai Luang(国王の民=公民)」と呼ばれた。&br;実際の賦役や徭役は地方の酋長や統治者により実施されたが、&br;あくまで国王より貸し出されているという扱いであった。|
|個人的処刑|Personal Executions|弾圧措置コスト&color(green){-20%};|Ver1.30までは6番目だった。Ver1.30までの効果:安定度コスト&color(green){-10%};|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|外交併合コスト&color(green){-15%};||

***アラカン(Arakan)v1.35[#ARK]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|小型船コスト&color(green){-20%};||
|>|~|受容文化枠&color(green){+1};|~|
|ミャウウー王朝|Mrauk U Dynasty|信心&color(green){+1/年};|ラカイン人(アラカン人)の口承等を参考にすると、その歴史は紀元前まで遡ることができるが、&br;幾つかの王朝を経て1429年にミン・ソー・モンが王朝を樹立。&br;1430年にミャウウー(ミャウーとも)に遷都し、ミャウウー王朝と呼ばれるようになった。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|ロヒンギャの移民|Rohingya Immigrants|異教寛容度&color(green){+2};|ロヒンギャは現代のミャンマーのラカイン州に主に居住する、インド・アーリア系ムスリム人の総称。&br;民族とみなすかは微妙であり、少なくとも公式的には認定されていない。&br;アラカン王国時代はラカイン人とロヒンギャは融和していたが、その後の英国統治時代からの遺恨により、&br;現代では対立、ロヒンギャは難民となっており、非常に大きな問題となっている。|
|ベンガル湾貿易|Bay of Bengal Trade|商人&color(green){+1};||
|マグとファランギ|Magh and Ferenghi|私掠効率&color(green){+15%};|マグとは、ブッダの時代に栄えたマガダ国のことでラカイン人のと同義のマグ人のこと。&br;ファランギはヨーロッパ人を指す言葉で、この時代は特にポルトガル人を指す事が多い。&br;(「フランキ砲」で有名な「フランキ」も中国で呼ばれた名称で語源は近しいと考えられる)&br;ミャウウー王朝時代、マグ人とポルトガルの奴隷商人は、&br;ベンガル湾の河川地区からラカインにかけて荒らしまわった。&br;中にはアラカン国の宮廷警護をする者たちもいた。|
|~|~|水兵維持費&color(green){-5%};|~|
|仏教徒のスルターン王|Buddhist Sultans|外交評判&color(green){+1};|アラカン王国は仏教王朝であったが、&br;ベンガル湾でムスリム商人と交易する際に、&br;イスラム名(スルターン)を名乗るほどイスラムやムスリムに寛容だった。|
|ムスリムの顧問|Muslim Advisors|顧問コスト&color(green){-10%};||
|アラカンの貿易契約|Arakanese Trade Contracts|交易効率&color(green){+10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|小型船攻撃力&color(green){+15%};||

***クメール(Khmer)v1.22[#KHM]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};||
|>|~|顧問コスト&color(green){-10%};|~|
|プレア・コー・プレア・ケオ|Preah Ko Preah Keo|陸軍士気&color(green){+10%};|「プレア・コー・プレア・ケオ」はカンボジアで生まれた2人の兄弟に関するカンボジアの伝説。&br;兄はプレア・コーと呼ばれる神の力を持つ牛、弟はプレア・ケオと呼ばれる男である。&br;カンボジアで非常に人気でその物語は小説や、映画、絵画などになっている。&br;また、カンボジア内の神社の中にはプレア・コーやプレア・ケオの像が置かれている。|
|上座部|Theravada Buddhism|国教寛容度&color(green){+1};|上座部は、仏教の分類の一つで、南伝仏教とも。&br;ざくっと言うと、出家して厳しい修行を積んだ僧侶のみが、悟りを開き救われるという考え方。&br;僧侶以外の人は、僧侶を肯定し、お布施することにより功徳を積む(恩恵を得る)。&br;タイやカンボジア等は上座部である。&br;対して日本では、全ての人々を救うという救済を第一の考え方とする大乗である。|
|~|~|関係改善&color(green){+15%};|~|
|チャム族の移住|Cham Migration|海軍伝統&color(green){+1/年};|チャム族は大越による追われ、多くがメコン川をさかのぼって現在のカンボジアに逃げ込んだ。|
|河川貿易|River Trade|交易効率&color(green){+10%};||
|ヨーロッパの傭兵|European Mercenaries|規律&color(green){+5%};||
|アンコールの修復|Restoration of Angkor|威信&color(green){+1/年};|アンコールはサンスクリット語で「王都」を意味し、クメール王朝の首都である。&br;クメールの王はその権威を示すため、王ごとに壮大な寺院を建立した為、アンコールには膨大な寺院があった。&br;アンコールは12世紀頃に栄華を極めたが、1431年にアユタヤより攻められ陥落、没落する。&br;現代では、その遺跡群が多数残され、「アンコール遺跡」として世界遺産に認定されている。&br;特にクメール18代王スーリヤヴァルマン2世が造営したアンコールワット、&br;21代王のジャヤヴァルマン7世の造営したアンコールトムが有名。|
|近代的なクメール海軍|A Modern Khmer Navy|船舶の耐久力&color(green){+5%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|人的資源&color(green){+20%};||

***シャム(Siam)v1.35[#SIA]
Ver1.35.4で再度変更された。
Ver1.35でアイデア名は同一だがほぼバラバラにシャッフルされ、かつ効果が全体的にリファインされた。ほぼ新規と言っていいので変更点は割愛。
Ver1.31にて新規に追加された国家で、併せて専用のNIが追加された。
form専用の国家。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};||
|>|~|人的資源&color(green){+25%};||
|王立詩人|Royal Poets|年間威信&color(green){+0.5};||
|~|~|統治顧問コスト&color(green){-15%};|~|
|先進的な戦象戦|Advanced Elephant Warfare|騎兵戦闘力&color(green){+15%};||
|~|~|騎兵射撃&color(green){+1.0};|~|
|経験豊富な大使|Experienced Ambassadors|外交評判&color(green){+2};||
|移住の奨励|Encourage Immigration|開発コスト&color(green){-10%};||
|領地の統合|Consolidation of the State|文化転向コスト&color(green){-15%};||
|~|~|外交併合コスト&color(green){-15%};|~|
|絶対王政|Royal Absolutism|自治度変化&color(green){-0.05/月};||
|~|~|年間絶対主義&color(green){+0.5%};|~|
|~|~|年間絶対主義&color(green){+0.5};|~|
|教育改革|Education Reforms|アイデアコスト&color(green){-10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|規律&color(green){+5%};||

***スールー(Sulu)v1.31[#SUL]
Ver1.31にて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|軽装船コスト&color(green){-15%};||
|>|~|海軍伝統&color(green){+1/年};|~|
|スールー・スルタン国|Sultanate of Sulu|布教強度&color(green){+2%};||
|マクドゥムの教え|Makhdum's Teachings|顧問コスト&color(green){-10%};|マクドゥム・カリム(Makhdum Karim)は14世紀に活躍したアラビア人宣教師。&br;商人でもあった彼はマゼランからフィリピンに渡り、&br;フィリピンで初めてイスラム教を広めた人物とされる。&br;彼がシルマル島に建造したモスクはフィリピン国内最古のモスクとされる。|
|スールー海を渡って|Across the Sulu Sea|外交評判&color(green){+1};||
|~|~|使節の移動時間&color(green){-25%};|~|
|ホロ島の港|Port of Jolo|交易効率&color(green){+10%};||
|スールー海|Dagat Sulu|船を失った際の士気への影響&color(green){-20%};||
|ココナツ農園|Coconut Plantations|建造物コスト&color(green){-10%};||
|~|~|生産効率&color(green){+10%};|~|
|真珠の養殖|Pearl Farming|交易品生産量&color(green){+10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};||

***スコータイ(Sukhothai)v1.35[#SUK]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|国教寛容度&color(green){+2};||
|>|~|外交評判&color(green){+1};|~|
|文化の発祥地|Birthplace of a Culture|威信&color(green){+1/年};|スコータイ王朝は、13世紀に興ったタイ族最初の王朝と言われる。&br;当時のタイは、クメール王朝の支配下にあったが、&br;シーインタラーティットがスコータイからクメール人を追い出し、王朝を興したとされる。|
|タイ文字|Akson Thai|技術コスト&color(green){-5%};|タイ文字は、スコータイ王朝3代の王ラームカムヘーンがクメール文字を基に作成したとされる。|
|宋胡録焼|Sawankalok Ware|交易効率&color(green){+10%};|宋胡録(すんころく)はスコータイのサワンカローク(Sawankalok)周辺で焼成された陶器のこと。&br;宋胡禄自体サワンカロークが訛ったものとされる。&br;スコータイ王朝3代ラームカムヘーンが中国から陶工を呼び、サワンカロークにて生産させたとする。&br;14世紀以降のアユタヤ王朝時代に輸出用生産が拡大、主に日本向けに輸出された。&br;宋胡禄は日本では転じてタイの陶器全般を指すようになる。|
|ワット・シー・サワイ|Wat Si Sawai|布教強度&color(green){+1%};|ワット・シー・サワイはスコータイにあるヒンドゥーの寺院。&br;スコータイ王朝が興る前のクメール王朝時代の12世紀末から13世紀初頭に建立されたと言われている。&br;3基並んだ丸みを帯びたクメール様式の仏塔が特徴。&br;現代では、スコータイ歴史公園(世界遺産)の南西部にて観覧できる。|
|父権政治|Father Governs Children|不穏度&color(green){-1};|スコータイの統治形態は父権政治で、王や国家が父で国民が子のような関係であった。&br;例えば、国民が王へ直接訴えを起こし、王が裁判を行い、公明正大に裁いたとされる。|
|ラームカムヘーン大王碑文|Ramkhamhaeng Stele|信心&color(green){+1/年};|ラームカムヘーン大王碑文は、&br;スコータイ王第3代ラームカムヘーンによって作られたとする碑文。&br;ラームカムヘーンは、スコータイ王朝を1地方の小国から広大な領域を支配する大国に発展させた王で、&br;その業績からタイの3大王の1人に数えられ、大王の尊称で呼ばれる。&br;この碑文は、当時の様相を伝える貴重な一次資料として知られる。&br;世界の記憶遺産に認定。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|戦象|War Elephants|騎兵戦闘力&color(green){+10%};|スコータイ王朝でも他のインドシナの国家と同様、戦象を用いた記録が残っている。&br;チョート国との戦争時、王子であった第3代王ラームカムヘーンは、&br;戦象を駆ってジョート国の王クン・サームチョンとの一騎討ちに勝利し、&br;「ラーマのような強者」を意味するラームカムヘーンの名を与えられたとされる。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍扶養限界&color(green){+25%};||

***スンダ(Sunda)v1.31[#SUN]
Ver1.31にてマジャパヒトとNIが分離し、新規に追加された。
一部NIについてはVer1.30までのNIでグループNIに変更されたジャワNIと同一である。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|人的資源回復速度&color(green){+20%};||
|>|~|異端寛容度&color(green){+1};|~|
|チャンディ式寺院|Candi Shrines|国教寛容度&color(green){+1};|ジャワNIと同一のアイデア|
|スンダ・ガルー連合|Union of Sunda and Galuh|不穏度&color(green){-1};|ガルー王国は碑文やチャリタ・パラヒヤンガン写本など&br;僅かな史料から確認できる幻の王国。|
|防衛堀|Defensive Moats|要塞防御&color(green){+20%};||
|精巧な木造建築|Elaborate Wooden Architecture|建造物コスト&color(green){-10%};||
|アジア諸国との交易|Pan-Asian Trade|商人&color(green){+1};|ジャワNIと同一のアイデア|
|~|~|交易制御&color(green){+10%};|~|
|セレン・タウン|Seren Taun|税収&color(green){+10%};||
|年に二度の収穫|Bi-Yearly Harvest|交易品生産量&color(green){+10%};|ジャワNIと同一のアイデア|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍士気&color(green){+20%};||

***セブ(Cebu)v1.35[#CEB]
v1.24で追加された新規国家の専用NI。
スペインの植民地前にセブ島で成立したインド化された王国。貿易拠点として栄えた。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|ガレー戦闘力&color(green){+20%};||
|>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~|
|ルマイの野望|Lumaya’s Ambition|陸軍士気&color(green){+10%};|民間伝承ではセブ王国は、チョーラ朝がスマトラ島を占領した後に、&br;若き王子スリ・ルマイ(Sri Lumay)を祖とする。&br;ラージャムダ・ルマイ(Rajamuda Lumaya)とも呼ばれる。&br;彼はチョーラ朝の王より北部の島々の方面軍として遣わされた。&br;スリ・ルマイはビサヤ諸島に移住し、チョーラ朝に反抗、独立をしたとされ、&br;セブ王国を築いたとされる。|
|チョーラ朝の遺産|Chola Legacy|信心&color(green){+1/年};|上記の通り、セブ王国を築いたとされる祖は、&br;チョーラ朝支配時にスマトラ島より移住した王子とされる。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|マガロスからの防衛|Protect against the Magalos|海軍伝統&color(green){+1/年};|マガロス?(Magalos)はミンダナオ地域の部族集団のことか。&br;モロの襲撃者や海賊ともされている。マガロス自体は「平和の破壊者」という意味。&br;セブ王国はこの襲撃者と度々戦いを行ってきた。|
|島の鎮圧|Pacify the Islands|自治度変化&color(green){-0.05/月};||
|「貿易の場」|'The Place for Trading'|禁輸効率&color(green){+10%};|セブ(Cebu)は、スペイン統治時代の名称で、&br;統治以前はスグブ(Sugbu)と呼ばれていた。&br;これはsinibuayng hingpit(貿易の場、the place for trading)を&br;口語的に省略したシブ(Sibu)やシボ(Sibo)、「貿易」(to trade)が由来とされている。&br;要はセブは「貿易の場」が語源。|
|~|~|私掠効率&color(green){+25%};|~|
|欧州への親善|Befriend the Europeans|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};||
|首都の拡張|Expand the Capital|開発コスト&color(green){-10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|交易力&color(green){+10%};||

***大越(Dai Viet)v1.35[#DAI]
安南(Annam)、東京(Tonkin)も対象。

Ver1.30で伝統の効果が「敵対的コア化コスト+50%」から「文化転向コスト-15%」に変更
順天(Thuan Thien)の効果に「天命増加+0.05」が追加

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|敵損耗&color(green){+1};||
|>|~|文化転向コスト&color(green){-15%};|~|
|偉大なる宣告|The Great Proclamation|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|『平呉大誥(ビン・ゴ・ダイ・カオ)』のことを指す。&br;1428年に大越が明から独立した時の宣告。&br;中国明朝からの解放者レ・ロイ(黎利)の腹心であるグエン・チャイ(阮薦)により書かれた。&br;ベトナムでは「呉」という語も中国を意味し、&br;『平呉大誥』は『中国を平らげたことを天下に告げる勅語』という意味になる。|
|儒学の復興|Confucian Revival|威信&color(green){+1/年};|独立を達成したレ・ロイ(黎利)は、黎朝を興し、国号を大越とした。&br;その後、明に対して朝貢を開始して良好な関係を結び、&br;その制度や文化を取り入れ、科挙や儒学の興隆に力を入れた。|
|村落の自治|Autonomous Villages|要塞防御&color(green){+20%};||
|村落の民兵|Village Militia|人的資源&color(green){+25%};||
|屯田制|Don Dien|コア化コスト&color(green){-10%};|15世紀後半、屯田兵として南部ベトナムや西部へ進出した。|
|順天|Thuan Thien|信心&color(green){+1/年};|初代皇帝レ・ロイ(黎利)が持っていた竜王より借りたとされる宝剣。&br;川で見つけたという輝く鉄刀を貰い受け、磨くと「順天」の文字が現れたという。&br;伝説では独立後にホアンキエム(還剣)湖で遊覧していると、黄金色の亀が現れ、&br;「龍の神へ宝剣を戻しなさい」と告げられ、返したとされる。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|天命増加&color(green){+0.05};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|文語の改良|Literary Reform|技術コスト&color(green){-5%};|ベトナム語を表記するために、チュハン(中国漢字)の他に、&br;チュハンを元にしたチュノムと呼ばれる文字も使われた。&br;チュノムは要するに、日本の「辻」みたいな和製漢字(国字)のベトナム版。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍士気&color(green){+10%};||

***タウングー/ピイ(Taungu / Prome) v1.26[#TAU]
アイデアの正式名はビルマ(Burmese)である。
Ver1.26で新規に追加された国家ピイも対象となった。
合わせて、効果とアイデア順序が一部変更された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};||
|>|~|陸軍指揮官機動&color(green){+1};|~|
|曼荼羅制|Mandala System|人的資源&color(green){+25%};|東南アジアにおける近世以前の国家制度。各地域の勢力が連合して国家を成した。&br;勢力間の重層的なつながりがあたかも仏教の曼陀羅の様であったためにこの名がついた。|
|象戦|Elephant Warfare|騎兵戦闘力&color(green){+20%};||
|ナッ信仰|Nat Worship|宗教的統一性&color(green){+20%};|ミャンマーの土着信仰。「ナッ」は精霊や祖霊、死霊などを指す。|
|転輪聖王|Chakravartin|陸軍伝統&color(green){+0.5/年};|仏教における理想的な王。チャクラヴァルティンとも。&br;地上をダルマ(法)によって統治し、王に求められる全ての条件を備えるという。|
|国務院|The Hluttaw|不穏度&color(green){-2};|ルトー(Hluttaw)は、英訳で「Royal release」(王家の開放?)の意。&br;Hluttawの起源は、パガン朝時代にまで遡り、&br;政府の日常業務を管理する上級閣僚評議会を開設したことによる。&br;復興後のタウングー朝(ニャウンヤン朝)時代の統治では、&br;Hluttawは最高の国政機関(国務院)として設置され、&br;詔勅の発布や地方役人を選任し国王へ報告するなど、国務政務を行った。|
|組織化された軍事作戦|Organized Military Campaigns|陸軍損耗&color(green){-10%};||
|バインジー|Bayingyi|歩兵コスト&color(green){-20%};|ポルトガル兵の子孫。&br;タウングー朝が分裂した際、シリアム一帯はポルトガル人の傭兵団が自立し、自治したが、&br;その後、タウングー朝は復興し、シリアムを再征服。&br;その際、シリアムのポルトガル人は世襲性の砲兵隊(タウンジー)として土地を与えられる。&br;現代でも、タウンジーの子孫はミャンマーに定住しており、民族問題の1つとして抱えられている。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|コア化コスト&color(green){-15%};||

***チルボン(Cirebon)v1.35[#CRB]
Ver1.31にて専用のNIが追加された。
1444GC開始時には存在しない国家で、1482年以降から選択できる

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|コア化コスト&color(green){-20%};||
|>|~|受容文化枠&color(green){+1};|~|
|ネガラ・グデ|Negara Gede|信心&color(green){+1/年};|「大王国」という意味。チルボンの現地名。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|絶対主義&color(green){+1/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|タリ・トペン|Tari Topeng|君主と同一文化の顧問コスト&color(green){-25%};|トペンと呼ばれる仮面をつけて踊るチルボンの伝統舞踊。|
|アリーの豹|Ali's Panther|陸軍士気&color(green){+15%};|チルボン王国の旗のことを指す。|
|チルマイ山|Mount Ciremai|陸軍射撃ダメージ&color(green){+10%};||
|イスラムの学校|Islamic Schools|布教強度&color(green){+2%};||
|バティック布地|Batik Textiles|生産効率&color(green){+10%};|バティック(Batik)はインドネシア伝統のろうけつ染布地のこと。&br;チルボンはバティックの代表的な産地である。|
|王家の血統|Royal Lineage|不穏度&color(green){-1};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|艦船交易力&color(green){+20%};||

***パガルユン(Pagarruyung)v1.35[#PGR]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|異教寛容度&color(green){+2};||
|>|~|要塞防御&color(green){+10%};|~|
|タントラの遺産|Tantric Legacy|布教強度&color(green){+2%};|タントラは、 ヒンドゥーで、シヴァの妃を性力として崇拝する諸聖典の通称。&br;タントラの考えは仏教へも大きく影響を与えており、密教経典の総称の意味も持つ。&br;タントラは様々な地域で形を変えて入ってきており、インドネシアにも影響を与えた。|
|金の交易|Gold Trade|交易力&color(green){+10%};|ミナンカバウは古くから知られる金の産地である。|
|イスタノ・バサ|Istano Basa|信心&color(green){+1/年};|イスタノ・バサはミナンカバウ族住む土地で興ったパガルユン王国の王宮のこと。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|ラジョ・ティゴ・セロ|Rajo Tigo Selo|不穏度&color(green){-1};|「三座の王」を意味する。パガルユン王国は、&br;「世界の王」(ラジャ・アラーム)、「アダットの王」(ラジャ・アダット)、「宗教の王」(ラジャ・イバダット)&br;の3王により統治された。|
|高等教育|High Education|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|ミナンカバウ族の男性は7歳頃になると親元を離れ、&br;スラウと呼ばれる宗教施設の共同体に移り、イスラム教育を受ける。&br;その後、12歳になると故郷を離れ、勉学に勤しむという教育の伝統があり、&br;インドネシアにおける教育界の中心的な役割を果たしており、&br;インドネシアにおいて、優秀な詩人、政治家、学者等を多く輩出している。|
|ルマ・ガダン|Rumah Gadang|威信&color(green){+1/年};|ルマ・ガダンとは、ミナンカバウ族の伝統家屋のことであり、直訳すると「大きな家」。&br;反り返ったような屋根が特徴で、水牛の角を模している。&br;単に住居だけではなく、結婚式やその他の行事が行われたり、親族のミーティングの場である。|
|母系文化|Matrilineal Culture|安定度コスト&color(green){-10%};|ミナンカバウ族では、アダット・プルパティ(adat perpatih)と呼ばれる&br;(アダットは慣習、プルパティは祖師の意)母系制慣習がある。&br;ミナンカバウの社会は世界最大の母系制社会である。&br;ミナンカバウ族では財産や土地は、母から娘に相続される。&br;いっぽう、宗教的儀式や政治の中心は男性である。&br;結婚もルマ・ガダンは女性が持ち主の為、夫は「婿入り」や「通い婚」である。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|交易効率&color(green){+10%}; ||

***パタニ(Pattani)v1.22[#PAT]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|小型船攻撃力&color(green){+10%};||
|>|~|受容文化枠&color(green){+1};|~|
|胡椒生産|Pepper Production|生産効率&color(green){+10%};|パタニは胡椒の生産地として知られていた。|
|南シナ海の貿易|South China Sea Trade|交易誘導&color(green){+20%};||
|密輸網|Smuggling Networks|諜報網構築力&color(green){+20%};||
|林道乾の一団|Lian Dao-Qian Band|私掠効率&color(green){+15%};|林道乾は明代の海賊で、後にパタニ王国の高官となった中国人。&br;後期倭寇の最大勢力となった林道乾は、明に目を付けられたため、&br;安全を求め南下、パタニへ移住した。&br;パタニ王国の女王は、豊富な知識と経験を持つ林道乾を迎え入れ、大砲の制作を命じた。&br;この作成された大砲の内、スリ・パタニと呼ばれる大砲は&br;現在のパッターニー県の県章のモチーフである。|
|~|~|敵船捕獲確率&color(green){+10%};|~|
|倉庫|Entrepot|商人&color(green){+1};||
|私有財産の保護|Protection of Private Property|安定度コスト&color(green){-10%};||
|運河インフラ|Canal Infrastructure|開発コスト&color(green){-10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|交易効率&color(green){+10%};||

***パレンバン(Palembang)v1.31[#PLB]
Ver1.31にて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|交易力&color(green){+15%};||
|>|~|艦船関連コスト&color(green){-10%};|~|
|古代の聖典|Ancient Scriptures|威信&color(green){+1/年};||
|海賊の祖先|Pirate Ancestry|反乱支援効率&color(green){+25%};||
|海峡の支配|Controlling the Strait|禁輸効率&color(green){+5%};||
|~|~|私掠効率&color(green){+40%};|~|
|王朝の中心|Center of the Dynasty|関係改善&color(green){+10%};||
|~|~|請求権捏造コスト&color(green){-25%};|~|
|交易の中心地|Trading Hub|艦船交易力&color(green){+20%};||
|通過するモンスーン|Through the Monsoon|海軍士気回復速度&color(green){+25%};||
|教養ある学者たち|Learned Scholars|技術コスト&color(green){-10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|船舶の耐久力&color(green){+10%};||

***バリ(Bali)v1.31[#BLI]
Ver1.31にて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|軽装船コスト&color(green){-20%};||
|>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~|
|島の開拓者|Island Settlers|植民地人口増&color(green){+20};||
|ジャワ文化の輸入|Imported Javanese Culture|技術コスト&color(green){-5%};||
|貴族の亡命者|Aristocratic Refugees|威信&color(green){+1/年};||
|忠実なヒンドゥー教徒|Staunch Hindus|国教寛容度&color(green){+2};||
|征服者ダラム|Conquerer Dalems|陸軍士気&color(green){+15%};|ダラム(Dalem)はバリがゲルゲル王朝支配の時代の王の称号名。&br;ゲルゲル王国はマジャパヒト王国より派遣されたクディリ王国の子孫である&br;ダラム・クパキサン(Dalem Kepakinsan)により建国された。&br;クパキサンの孫ダラム・ワトゥレンゴン(Dalem Baturenggong)王の時代に最盛期を迎え、&br;ジャワ島の東端、ロンボク島、スンバワ島までを支配下に治めた。|
|ヒンドゥー教改革|Hindu Reformation|布教強度&color(green){+2%};|上記のダラム・ワトゥレンゴン(Dalem Baturenggong)王を補佐した&br;ダンヒャン・ニラルタ(Dang Hyang Nirartha)は、&br;現代にも残るカースト制度の創設や、&br;各地の寺院の建立や増築を行うなど、&br;バリ・ヒンドゥー教の基礎を築いた。|
|奴隷の宿敵|Rivals to Slaves|人的資源回復速度&color(green){+10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|拡大による緊張&color(green){-15%};||

***バンテン(Banten)v1.31[#BAN]
Ver1.31にて専用のNIが追加された。
1444GC開始時には存在しない国家で、1527年以降から選択できる

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|布教強度&color(green){+1%};||
|>|~|人的資源&color(green){+10%};|~|
|ダイヤモンドに打ち倒される|Struck Down by Diamonds|国教寛容度&color(green){+1};|イスラム教の侵攻を表現したフレーズ「katiban inten」の訳。&br;国家名Bantenの由来とも言われる。|
|~|~|信仰心&color(orange){+0.1%/月};|~|
|星に囲まれて|Surrounded by Stars|交易品生産量&color(green){+20%};||
|東から西へ|From East to West|交易効率&color(green){+10%};||
|反発|Rebuttal|要塞維持費&color(green){-15%};||
|肥沃な土地|Fertile Lands|陸軍損耗&color(green){-10%};||
|川縁|By the River|開発コスト&color(green){-10%};||
|文化的豊かさ|Cultural Richness|コア化コスト&color(green){-20%};||
|~|~|受容文化枠&color(green){+1};|~|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|規律&color(green){+5%};||

***ブトゥアン(Butuan)v1.24[#BTU]
v1.24で追加された新規国家の専用NI。
ブトゥアンにあった中継貿易で栄えた海洋国家で、10世紀には既に成立してたとされる王国。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|交易効率&color(green){+10%};||
|>|~|小型船コスト&color(green){-20%};|~|
|インド化した社会|Indianized Society|外交枠&color(green){+1};|宋史にブトゥアンの名前が確認でき、ヒンドゥー国家で&br;ラージャにより治められていたと伝えられている。|
|北のヌサンタラ|Northern Nusantara|交易力&color(green){+10%};|ヌサンタラ(Nusantara)はそもそもは古マレー語で「列島」の意味。&br;ここでは、マレー世界の意味。&br;フィリピンはヌサンタラの最北の地域にあたる。&br;なお、現代のインドネシア語では、インドネシアの領土・領海を表す言葉で、&br;こちらの場合フィリピンは含まない。|
|ブトゥアンの貿易関係|Butuan Trade Connections|商人&color(green){+1};|ブトゥアンは早くからシュリーヴィジャヤ王国やチャンパ王国と&br;貿易を行っていた。|
|ブトゥアンの金細工|Butuan Goldwork|外交評判&color(green){+1};|当時のブトゥアンの主力貿易品として金製品が知られている。|
|バランガイ|Balangay|州からの交易力&color(green){+10%};|バランガイ(barangay)は、フィリピンの都市を構成する最小の地方自治単位。&br;元々は「帆船」の意味だが、バランガイに乗ったマレー人が各地に定住し、&br;その集団を指す言葉となった。|
|海岸線の防衛|Protect the Coastlines|大型船戦闘力&color(green){+10%};||
|長距離外交|Long Range Diplomacy|外交官&color(green){+1};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|首都ノード交易力&color(green){+10%};||

***ブルネイ(Brunei)v1.31[#BEI]
Ver1.31にて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|陸軍士気&color(green){+10%};||
|>|~|艦船関連コスト&color(green){-10%};|~|
|ガレー艦隊|Galley Fleet|ガレー戦闘力&color(green){+20%};||
|海の遊牧民|Sea Nomads|水夫数&color(green){+20%};||
|ブルネイの外交|Bruneian Diplomacy|外交評判&color(green){+1};||
|ボルネオの覇者|Hegemon of Borneo|従属国家の独立欲求&color(green){-10%};||
|島々への定住|Settle the Islands|植民地人口増&color(green){+20};|グループNIのマレーNIと同一のアイデア|
|海軍の武勇|Naval Prowess|海軍士気&color(green){+15%};||
|商人同盟|Merchant Alliances|交易効率&color(green){+10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|船舶の耐久力&color(green){+10%};||

***ペグー(Pegu)v1.22[#PEG]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|州からの交易力&color(green){+10%};||
|>|~|商人&color(green){+1};|~|
|ペグーの富|Riches of Pegu|交易効率&color(green){+10%};|イラワジ川(現在はエーヤワディー川と言う)河口に港を持っていたペグーは中継貿易の拠点の1つであった。&br;宝石、ルビー、象、チーク材、麝香等の交易品を中国とインドの中継をし、栄えたとされる。|
|マルタバン|Martabans|交易品生産量&color(green){+10%};|マルタバンは、ミャンマー南部にある都市。現代ではモッタマと呼ばれる。&br;花瓶や壺で有名であり、このあたり一帯で作成された壺はマルタバン壺と称される。|
|ダンマゼーディー|Dhammazedi|国教寛容度&color(green){+2};|ダンマゼーディーはペグー朝の第16代の王。&br;元はアヴァの僧侶であったが、前王シンソーブの時代に重用され、王の娘と結婚し、王位を禅譲された。&br;この時代、司法は王が裁くことも多かったようで、その判例を集め編纂された&br;『ダンマゼーディー司法判決集』は有名で現代にも残る。|
|ラーマンニャデーサ|Ramannadesa|陸軍士気&color(green){+10%};|ラーマンニャデーサは「ラマンの国」を意味する。ラマンはモン族の事。&br;古代ではタイやミャンマー一帯のモン族の領土を指したようである。&br;その後、ビルマ族やタイ族より領土を奪われ、モン族の国家は一時的になくなるが、&br;その後モン族の国家として復活するのがペグー王朝である。|
|精力的な交戦|Dynamic Warfare|軍事技術コスト&color(green){-10%};||
|仏教王権|Buddhist Kingship|信心&color(green){+1/年};|王の権力や統治権を仏教に求める政治形態のことで、スリランカが有名。&br;ペグーでは、ダンマゼーディーの治世に王権の正当化を目的に仏教改革が行われた。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|モン族のディアスポラ|Mon Diaspora|外交評判&color(green){+1};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|開発コスト&color(green){-10%};||

***マジャアス(Madyas)v1.24[#MAS]
v1.24で追加された新規国家の専用NI。
スマトラ島やボルネオ島からビサヤ諸島へ移住したマレー人が各地に集落を築き、その各地の集落の連合国家。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍提督機動&color(green){+1};||
|>|~|水兵維持費&color(green){-10%};|~|
|ヒニラウッドゥ|Hinilawod|アイデアコスト&color(green){-10%};|ヒニラウッドゥ(Hinilawod)は、パナイ島のスロッド(Sulod)の原住民スロッド族の頃より&br;伝わる口伝の叙事詩。29,000もの詩篇からなり、世界でも最長の叙事詩と言われる。&br;3人の半神の兄弟の物語である。|
|パナイの遺産|Legacy of Panai|海軍士気&color(green){+15%};|ビサヤ諸島の祖先は元々シュリーヴィジャヤ王国時代、&br;スマトラ島にあるパナイ(Pannay)を支配していたが、&br;外国からの侵略を受けた際にパナイ島へ移住したとされる。&br;また、有名な伝説「マラグタス(Maragtas)」では、&br;ボルネオでの圧政から逃げた10人のダトゥ(Datu、首長)が&br;パナイ島へ移住し、原住民より土地を買ったとされる。|
|ビサヤ諸島の富|Riches of the Visayas|開発コスト&color(green){-10%};|ビサヤ諸島はフィリピンでも肥沃な地と知られ、&br;農業が盛んであった。|
|海戦名人|Masters of Maritime Warfare|海軍提督白兵&color(green){+1};||
|連合規約|Articles of the Confederation|威信&color(green){+1/年};|先に挙げた10人のダトゥの1人スマクウェル?(Sumakwel)が&br;制定した法典(成文法)を指すと思われる。マダグタス法典とも。&br;先に記載した、買い上げた土地をマジャ・アス(Madya-as)と名付けた後、&br;イロン・イロン(Irong-irong)、アケアン(Akea)、ハムティク(Hamtik)地域の&br;3つのグループに分かれたが、買い取った元々の土地イロン・イロン(Irong-irong)を受け取った&br;ダトゥの1人パイブロン(Paiburong)を中心にダトゥの評議会が開かれ、&br;6つの条項からなる連合規約を採択した。&br;それがマダグタス法典である。|
|キナダトゥアン|Kinadatuan|安定度コスト&color(green){-10%};|キナダトゥアン(Kinadatuan)は、主権領域や王室といった意味か。&br;マジャ・アスは連合国家であるので、&br;上記で触れたダトゥそれぞれの主権領域やそれを治めるダトゥの王室の事のようである。|
|造船分野の拡大|Expand the Shipbuilding Sector|船舶の耐久力&color(green){+5%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|海軍提督射撃&color(green){+1};||

***マジャパヒト(Majapahit)v1.35[#MAJ]
Ver1.31にて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|信心&color(green){+1/年};||
|>|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|>|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|>|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|>|~|拡大による緊張&color(green){-15%};|~|
|>|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|ヌサンタラの朝貢国|Nusantara Tributaries|属国からの扶養限界ボーナス&color(green){+100%};|マジャパヒトは98の属国・朝貢国を従えた。|
|~|~|従属国家の独立欲求&color(green){-10%};|~|
|チャンディ式寺院の修復|Restore Candi Shrines|布教強度&color(green){+2%};||
|海のシルクロード|The Maritime Silk Road|交易効率&color(green){+10%};||
|ヌサ・トゥンガラの植民地|Nusa Tenggara Colonies|植民者&color(green){+1};|ヌサ・トゥンガラは小スンダ列島のインドネシア名|
|ガジャ・マダの誓い|Gajah Mada's Oath|陸軍士気&color(green){+10%};|ガジャ・マダは14世紀に活躍したマジャパヒトの宰相。&br;指揮官としても優れ、バリ島などを制圧した。&br;ヌサンタラ全域を征服するまで香辛料を含む&br;食事を一切とらないという誓い&br;「スンパ・パラパ(パラパの誓い)」が有名。|
|マジャパヒト大艦隊|The Majapahit Armada|重装船戦闘力&color(green){+10%};|巨大帆船のジョング船が有名。|
|~|~|海軍伝統&color(green){+1/年};|~|
|バッターラ・サプタプラブの改革|Reformed Bhattara Saptaprabhu|顧問コスト&color(green){-15%};|バッターラ・サプタプラブ?は長老会議のこと。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|外交併合コスト&color(green){-15%};||

***マラッカ(Malacca)v1.35[#MLC]
Ver1.31にて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|交易力&color(green){+10%};||
|>|~|海軍扶養限界&color(green){+33%};|~|
|臣下の王たち|Vassal Princes|属国収入&color(green){+25%};||
|~|~|従属国家の独立欲求&color(green){-10%};|~|
|海事法|Maritime Laws|艦船交易力&color(green){+20%};||
|マラッカの覇者|Malaccan Hegemony|外交評判&color(green){+1};||
|イスラム・スルタン国|Islamic Sultanate|国教寛容度&color(green){+1};||
|港湾の長|Harbor Masters|交易制御&color(green){+20%};||
|~|~|受容文化枠&color(green){+1};|~|
|ダウラト|Dualat|信心&color(green){+1/年};|ダウラト(Daulat、ゲーム上はおそらくスペルミス)は忠義、忠誠を意味する。&br;また、ダウラトは王権や統治権とも訳され、&br;マレー社会の王が有する神聖性、不可侵性がダウラトである。&br;マレーの王権思想を表す概念の言葉。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|ジャウィ文字|Jawi Script|アイデアコスト&color(green){-10%};|ジャウィ文字はマレー半島にイスラムが興隆した14世紀頃から用いられた&br;アラビア文字を基礎とした文字。&br;20世紀頃までマレー半島で広く使用され、&br;現代でも使用が確認できる。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|商人&color(green){+1};||

***マラヤ(Malaya)v1.31[#MSA]
Ver1.31にて専用のNIが追加された。
form専用の国家。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|交易力&color(green){+15%};||
|>|~|陸軍士気&color(green){+10%};|~|
|島々への定住|Settle the Islands|植民地人口増&color(green){+20};||
|先進的なガレー戦|Advanced Galley Warfare|ガレー戦闘力&color(green){+25%};||
|熟練の値切り屋|Expert Hagglers|交易効率&color(green){+15%};||
|島々の図示|Chart the Isles|海軍士気&color(green){+15%};||
|~|~|自国沿岸での海軍戦闘力&color(green){+1};|~|
|あらゆる港にいるマレー商人|Malay Merchants in Every Port|商人&color(green){+1};||
|~|~|艦船の交易力伝播&color(green){+20%};|~|
|海の遊牧民との協定|Agreements with the Sea Nomads|交易制御&color(green){+25%};||
|香辛料王|Spice Kings|交易品生産量&color(green){+10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|船舶の耐久力&color(green){+10%};||

***ラーンサーン(Lan Xang)v1.31[#LXA]
Ver1.31で伝統の効果が「布教強度+1%」から「歩兵に対する騎兵割合+10%」に変更
戦象(Elephant Cavalry)の効果、「騎兵戦闘力」が「+10%」から「+15%」に変更

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|国教寛容度&color(green){+2};||
|>|~|歩兵に対する騎兵割合&color(green){+10%};|~|
|ラオスの民族多様性|Laotian Ethnic Diversity|受容文化枠&color(green){+1};|インドシナは、「民族の宝庫」と言われるほど、多数の民族が混在、多様な文化が見られる。&br;ラオスには50以上の民族が分布していると言われる。|
|戦象|Elephant Cavalry|騎兵戦闘力&color(green){+15%};|ラーンサーンは「100万の象」という意味で、インドシナでは戦象を多く利用しており、&br;名前により強大さを示したとされる。&br;また、ある戦争では2千もの戦象を投入したという記録も残っている。|
|ラーンサーン王室の歴史|Court History Of Lan Xang|関係改善&color(green){+15%};|「ラーンサーン年代記」を指すものと思われる。&br;ラーンサーン年代記は、貝葉(椰子などの植物の葉を加工して、&br;紙の代わりに用いた筆記媒体)文書より転写されたもので、&br;上代からラーマ1世までのラーンサーンの歴史が描かれている。&br;当時を知る貴重な史料として知られる。|
|~|~|侵略的拡大&color(green){-10%};|~|
|白象|The White Elephant|不穏度&color(green){-1};|白象は、ラオスにおいても神聖視されていた。&br;なお、英語で「white elephant」は「無用の長物」という意味がある。|
|文化の開花|Flowering Of Culture|安定度コスト&color(green){-10%};||
|ヴィエンチャンの商人|Merchants of Vientiane|要塞防御&color(green){+10%};|ヴィエンチャンは現代のラオス人民民主共和国の首都で「月の都」等の意味を持つ。&br;ラーンサーン王国においても、1560年に首都をルアンパバーンから&br;ヴィエンチャンに遷都している。&br;メコン川沿いに位置し、古くから商業の拠点であった。&br;ラーンサーン王国は16世紀に最盛期を誇り、その時代に訪れたヨーロッパ人に&br;「東南アジアで最も荘厳な町」と評されている。&br;18世紀にラーンサーン王国が分裂した際も、&br;ヴィエンチャンを首都としたヴィエンチャン王国が興った。|
|ラーンサーンのルネサンス|Renaissance of Lan Xang|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍扶養限界&color(green){+20%};||

***ラーンナー(Lan Na)v1.35[#LNA]

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|州からの交易力&color(green){+10%};||
|>|~|人的資源&color(green){+10%};|~|
|マンラーイの遺産|Legacy of Mangrai|信心&color(green){+1/年};|マンラーイは、ラーンナー王朝の創始者。&br;タイ・ユワン族であり、ラーオチョン王家(チャッカラート王家)25代目の君主とされ、&br;周辺諸国と同盟もしくは武力併合を行う事で勢力を拡大した。&br;その後、大元の雲南侵入に伴い、首都を南のチエンマイに遷都し、ラーンナー王朝を築いた。&br;落雷により亡くなったとされる。|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|百万の水田|A Million Rice Paddies|交易品生産量&color(green){+10%};|タイ語でラーンナーは「百万の田」という意味である。|
|ナガの水|Waters of the Naga|税収&color(green){+10%};|「ナガ」は「ナーガ」とも呼ばれる、インド神話に起源を持つ多頭の蛇神。&br;タイでは水神として崇められ、メコン川の水底に住まうとされる。&br;乾季にはナガ神がでて水を吹きまいて、雨季には水を飲み、洪水から守ってくれると信じられている。|
|白象|The White Elephant|国教寛容度&color(green){+2};|ラーンナーの首都であったチエンマイには、白象にまつわる伝説が残っている。&br;第6代ラーンナー王パヤー・クーナーは、プラ・スマナ・テーラという&br;釈迦の遺骨である仏舎利を持つ高僧をスコータイより招聘した。&br;王と僧は仏舎利安置場所を相談したが、難航した為、&br;仏舎利の一片を白象の背に乗せ、離すこととした。&br;白象は険しい山道を上り、ドーイ・ステープの頂に到着すると、三度雄叫びを上げ、その場で亡くなった。&br;その位置に仏舎利を埋め、仏塔を供養の場として建立した。&br;上記がドーイ・ステップ寺院の興りであり、白象も寺院にて祀られている。|
|赤と黒の隷属|Red and Black Vassals|受容文化枠&color(green){+1};|ここでいう「赤」と「黒」は「紅河」と「ダー(黒)川」のことか。&br;ラーンナー初代王マンラーイはこの河の渓谷地帯の国々に対して朝貢させたという。&br;もしくは、赤タイ族(白タイとも)と黒タイ族のことか。詳しい人いたら教えて下さい。|
|象の突撃|Elephant Charge|騎兵攻撃範囲&color(green){+50%};||
|王朝の拡散|Dynastic Spread|外交枠&color(green){+1};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|開発コスト&color(green){-10%};||

***蘭芳(Lanfang)v1.35[#LFA]
Ver1.31にて専用のNIが追加された。
1444GC開始時には国家はおろかコアすら存在しないレア国家で、1777年以降選択できる。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|インフレ削減&color(green){+0.1/年};||
|>|~|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|~|
|自由選挙|Free Elections|不穏度&color(green){-2};||
|~|~|信心&color(green){+1/年};|~|
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|鉱業シンジゲート|Mining Syndicates|生産効率&color(green){+15%};||
|慎重外交|Careful Diplomacy|外交評判&color(green){+1};||
|~|~|関係改善&color(green){+20%};|~|
|国家民兵|National Militia|陸軍士気&color(green){+10%};||
|~|~|敵損耗&color(green){+1};|~|
|地域社会の統合|Integrate Local Communities|受容文化枠&color(green){+2};||
|採鉱技術の改善|Improved Mining Techniques|交易品生産量&color(green){+10%};||
|国家の拡大|Expansion of the State|開発コスト&color(green){-10%};||
|~|~|統治の拡大コスト&color(green){-30%};|~|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|政策選択枠&color(green){+1};||

***リゴール(Ligor)v1.35[#LIG]
Ver1.35で伝統の効果が「独立欲求+20」から「従属国家の独立欲求-20%」に変更
Ver1.31にて専用のNIが追加された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|艦船関連コスト&color(green){-10%};||
|>|~|従属国家の独立欲求&color(green){-20%};|~|
|自律的な属国|Autonomous Subject|外交評判&color(green){+1};||
|仏教の改宗|Buddhist Conversion|布教強度&color(green){+2%};||
|従属都市|Vassal Cities|従属国開発度からの独立欲求&color(green){-20%};||
|卓越した交易|Trade Primacy|交易制御&color(green){+20%};||
|シャムへの架け橋|Bridge to Siam|敵損耗&color(green){+1};||
|~|~|要塞防御&color(green){+20%};|~|
|叛逆の精神|Rebellious Spirits|反乱支援効率&color(green){+50%};||
|リゴール交易の保護|Protect Ligori Trade|艦船交易力&color(green){+20%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|外交併合コスト&color(green){-15%};||

**グループNI [#k8b874a4]
特定の集団に属する勢力に対して適用されるNI

***ジャワ(Javan)v1.31[#Javan]
Ver1.30まではマジャパヒト/スンダ(Majapahit / Sunda)の専用NIであったが、
Ver1.31でそれぞれの専用NIが新規に追加されたため、グループNIに変更された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|異教寛容度&color(green){+2};||
|>|~|威信自然減&color(green){-1%};|~|
|チャンディ式寺院|Candi Shrines|宗教的統一性&color(green){+20%};|チャンディ(Candi)はインドネシア語で寺院を意味する。&br;ジャワでは、他の東インドの島々と同様、インドの影響により、ヒンドゥーが信仰されるが、&br;その後、仏教が入り、習合されていく。&br;世界遺産に認定されているボロブドゥール寺院遺跡等はジャワにある仏教寺院として知られる。&br;なお、ジャワも他の東インドの島々の例に漏れず、イスラム化していくこととなる。|
|インド化|Indianization|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};|ジャワ島は古くから香料を求めるインドの貿易商人が渡来しており、インド化が進んだ。&br;特に当時のインドの王朝であるパーラ朝の影響を大きく受け、&br;美術や建築、文化にもパーラ朝の影響が見られる。&br;ボロブドゥール寺院にもパーラ朝の影響が見える。|
|ダルマ・シャーストラ|Dharmasastra|布教強度&color(green){+2%};|ダルマ・シャーストラは、紀元前2世紀ころから書き続けられたインド古法典。&br;ヒンドゥー経典とも。インドだけでなく、東南アジア世界にも大きな影響を与えた。|
|アジア諸国との交易|Pan-Asian Trade|商人&color(green){+1};|ジャワは、インドから中国に至る交易網の中継地の一つとして栄えた。|
|~|~|交易誘導&color(green){+10%};|~|
|年に二度の収穫|Bi-Yearly Harvest|交易品生産量&color(green){+10%};|ジャワは、肥沃な土地と高度な灌漑施設を有しており、二毛作や二期作が行われていた。|
|造船技術の近代化|&size(12){Modernized Ship-Building techniques};|艦船関連コスト&color(green){-10%};||
|テラコッタ金融システム|Terracotta Banking System|交易効率&color(green){+10%};|テラコッタは粘土を素焼きにした細工物や装飾用の陶器のこと。&br;マジャパヒトの遺物として多くのテラコッタが産出されている。&br;その中から発見された1つの「Terracotta Boars」は、&br;マジャパヒト王国の初期の金融システムと言われる。Boarsは豚を意味する。&br;つまりだ。長々と書いたが「Terracotta Banking System」ってのは、&br;「豚の貯金箱でお金貯める」ってことなんだな多分。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|海軍維持費&color(green){-20%};||

***シャン(Shan)v1.35[#Shan]
主要文化がシャン(shan)の国家に適用

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|後継者誕生確率&color(green){+50%};||
|>|~|受容文化枠&color(green){+1};|~|
|要塞都市|Fortified Cities|要塞防御&color(green){+15%};||
|水稲栽培|Wet Rice Cultivation|生産効率&color(green){+10%};|シャン族は古くからの稲作農耕民で、灌漑による水稲栽培を生業とした。|
|ソーボワ|Sao Pha|不穏度&color(green){-1};|ソーボワはシャンの国家で使用される君主の称号。&br;「Sao」は「主」、「Pha」は「空」や「天」の意味で「天主」や「空の主」という意味になる。&br;日本語だと「藩王」と訳され、イギリスの植民地時代にも置かれた。|
|宝石貿易の支配|Control of the Gem Trade|首都ノード交易力&color(green){+10%};|シャン族の住むシャン高原は昔から宝石の産地として知られており、&br;ルビー、琥珀、サファイア、翡翠等が多く産出された。|
|侵略者|Raiders|陸軍指揮官白兵&color(green){+1};||
|~|~|略奪速度&color(green){+10%};|~|
|シャン族の年代記|Shan Chronicles|信心&color(green){+1/年};||
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|拡張主義|Expansionism|人的資源&color(green){+25%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|人的資源回復速度&color(green){+15%};||

***スマトラ(Sumatran)v1.31[#Sumatran]
主要文化がスマトラ(Sumatran)の国家に適用
Ver1.31で「国教がイスラム教グループである」という条件が撤廃された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};||
|>|~|交易範囲&color(green){+15%};|~|
|貿易への依存|Reliance on Trade|交易効率&color(green){+10%};||
|メッカの玄関|Porch of Mecca|技術コスト&color(green){-10%};||
|香料海賊|Spice Pirates|小型船攻撃力&color(green){+10%};||
|~|~|私掠効率&color(green){+15%};|~|
|学問の中心地|Center of Scholarship|顧問コスト&color(green){-15%};||
|インド洋の商人|Merchants of the Indian Ocean|商人&color(green){+1};||
|シュリーヴィジャヤの遺産|Legacy of Srivijaya|威信&color(green){+1/年};|シュリーヴィジャヤ王国はスマトラ島のマレー系海上交易国家。&br;起源ははっきりしないが、7世紀にはマラッカ海峡を支配した。|
|海の支配|Rule of the Sea|海軍扶養限界&color(green){+25%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|要塞防御&color(green){+20%};||

***スラウェシ(Sulawesi)v1.31[#Sulawesi]
主要文化がスラウェシ(Sulawesi)の国家に適用
Ver1.30までは「マカッサル(Makassar)、ブトゥン(Buton)、ルウ(Luwu)に適用」という条件だった

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍扶養限界&color(green){+25%};||
|>|~|水兵維持費&color(green){-10%};|~|
|アジア内貿易網|Intra-Asian Trade Network|交易誘導&color(green){+10%};||
|バジャウ族|The Bajau|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|バジャウ族(サマ族)は陸地に特定の住居を持たず、&br;舟上で水上を定期的に移動しながら生きる漂海民。&br;現代では、フィリピンのセブ島やスールー諸島、&br;ボルネオ島サバ州、スラウェシ州に分布している。|
|プラウ船|The Prau|小型船コスト&color(green){-20%};|マレーにて使用されていた小型帆船のこと。|
|スラウェシの統一|Unification of Sulawesi|税収&color(green){+10%};||
|アイデア普及の促進|Encourage Diffusion of Ideas|主義思想の伝播速度&color(green){+10%};||
|貿易の中継港|Entrepot of Trade|交易力&color(green){+10%};||
|不均衡の為の反抗|Asymmetrical Resistance|敵損耗&color(green){+1};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|交易効率&color(green){+10%};||

***チャム(Cham)v1.31[#CHA]
主要文化がチャム(cham)の国家に適用
v1.30まではチャンパ(Champa)専用NIであったが、Ver1.31にてグループNIに変更。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|小型船攻撃力&color(green){+15%};||
|>|~|海軍伝統&color(green){+1/年};|~|
|ミーソン寺院群の記憶|Memory of the My Son Temples|国教寛容度&color(green){+2};|ベトナム中部にあるミーソンは、チャンパ王国の聖地として知られる。&br;寺院などの遺跡群は現代にも残っており、「ミーソン聖域」として世界遺産に認定されている。&br;チャンパ王国はインドの影響を大きく受けており、&br;遺跡の寺院にもヒンドゥーシヴァ派の影響が色濃く残っている。|
|航海の民族|A Seafaring People|小型船コスト&color(green){-20%};|古チャム人は優れた航海技術を持っていたとされ、&br;チャンパ王国は交易国家として繁栄した。|
|南インドとの縁|South Indian Connections|交易力&color(green){+10%};||
|チャム族の移住|Cham Migrations|植民地人口増&color(green){+15};|チャンパ王国は北の大越から度々侵攻を受け、1471年に首都ヴィジャヤを奪われた。&br;以降、チャム族の多くはディアスポラとなり、メコン川をさかのぼって現在のカンボジアに逃げ込んだ。|
|制旻の遺産|Che Man's Legacy|関係改善&color(green){+20%};|制旻は、ジャヤ・シンハヴァルマン3世とも呼ばれる13世紀末頃のチャンパ王。&br;この時代、チャンパは度々中国の元朝より内政干渉を受けていた。&br;制旻は元に対して反乱を起こし、元を首都ヴィジャヤから撤退させ、独立を果たした。&br;この時、仇敵の大越(陳朝)と関係を改善しており、共同で元の撃退を行っている。&br;また、元との和平後、陳朝の君主陳英宗(チャン・アイン・トン)の&br;妹である玄珍(フエン・チャン)と婚姻し、領内の平和をもたらした。|
|沈香|Agarwood|交易効率&color(green){+10%};|沈香は、代表的な香木の一つ。&br;チャンパ王国は沈香の主な産出国で、中でも特に質の良いものは伽羅と呼ばれ、&br;非常に希少で珍重され、チャンパ王国の主要な交易品目であった。&br;正倉院収蔵の蘭奢待もチャンパ王国産とされており、&br;徳川家康がチャンパ王に宛てた沈香を求める信書も残っている。|
|他国支配への抵抗|Resisting Foreign Rule|要塞防御&color(green){+10%};|チャンパ王国は1471年に大越に首都ヴィジャヤを奪われたあとも、大越の南下政策により征服され、&br;大越に自治権を認められる形で半ば属国化していた。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|海軍扶養限界&color(green){+25%};||

***ボルネオ(Bornean)v1.31[#KUT]
主要文化がボルネオ(bornean)の国家に適用
v1.30まではクタイ(Kutai)専用NIであったが、Ver1.31にてグループNIに変更。
合わせて名称もボルネオ(Bornean)に変更された。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|州からの交易力&color(green){+10%};||
|>|~|交易誘導&color(green){+20%};|~|
|最初期のインド系国家|Earliest Indic State|交易効率&color(green){+10%};|クタイ王国は、5世紀初め頃、カリマンタン島東部、マハカム川下流のクタイ周辺で勃興した国。&br;インドネシアにおける最も古いヒンドゥー王国である。|
|イスラムの交易コミュニティ|Muslim Trading Communities|異教寛容度&color(green){+2};||
|ボルネオの富|Riches of Borneo|交易品生産量&color(green){+10%};|ボルネオ島は、象牙やチーク材、真珠、翡翠などが多量に産出されていた。|
|海賊行為への対処|Anti-Piracy Measures|要塞防御&color(green){+10%};|ボルネオの周辺の海洋民であるイスラム教徒は海賊として恐れられていた。|
|入植の奨励|Encourage Immigration|人的資源&color(green){+15%};||
|クタイ地域の統合|Consolidation of Kutai|税収&color(green){+10%};||
|内陸部の征服|Subdue the Inlands|不穏度&color(green){-1};|ボルネオ島の山岳や森林に囲まれた内陸部は、多くの部族集団がいた。&br;内陸部の部族の1つであるビダユ族(陸ダヤクとも)は、首刈りの風習を持つことで恐れられ、&br;東南アジアでもヨーロッパ勢力の進出が最も遅れたところであった。|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|首都ノード交易力&color(green){+20%};||

***マレー(Malayan Sultanate)v1.31[#Malayan]
主要文化グループがマレー(malayan)で、かつ主要文化がスマトラ(Sumatran)ではなく、かつ国教がイスラム教グループの国家かもしくはパハン(Pahang)国に適用
Ver1.25までは主要文化がスマトラ(Sumatran)でも適用された。
Ver1.31にて新規追加されたパハン(Pahang)国への適用の条件項目が追加された

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|艦船関連コスト&color(green){-10%};||
|>|~|交易誘導&color(green){+10%};|~|
|インド洋交易|Indian Ocean Trade|商人&color(green){+1};||
|スーフィーの遺産|Sufi Legacy|異教寛容度&color(green){+2};||
|香料諸島|Spice Islands|生産効率&color(green){+10%};||
|古典マレー語|Classical Malay|アイデアコスト&color(green){-5%};||
|交易船|Trading Fleets|海軍維持費&color(green){-20%};||
|~|~|水兵維持費&color(green){-10%};|~|
|パサイ王国の後継者|Heirs of Pasai|正統性&color(green){+1/年};||
|島々への定住|Settle the Islands|植民地人口増&color(green){+20};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|戦闘で得る海軍伝統&color(green){+50%};||

***ミンダナオ(Mindanao)v1.24[#Mindanao]
マギンダナオ国(Maguindanao)及びラナオ国(Lanao)に適用。
v1.24より追加されたグループNI。フィリピン南部の国家のNI。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|歩兵戦闘力&color(green){+10%};||
|>|~|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};|~|
|イスラム化されたバランガイ|An Islamicized Barangay|異教寛容度&color(green){+2};|バランガイ(barangay)は、フィリピンの都市を構成する最小の地方自治単位。&br;元々は「帆船」の意味だが、バランガイに乗ったマレー人が各地に定住し、&br;その集団を指す言葉となった。|
|ダトゥの統一|Unite the Datus|税収&color(green){+10%};|ダトゥ(datu)は、上記のバランガイの首長の事。|
|ミンダナオの富の保護|Protect the Riches of Mindanao|交易品生産量&color(green){+10%};||
|モロの水兵|Moro Sailors|海軍維持費&color(green){-20%};|モロ(moro)はフィリピンの諸島に住むムスリムの総称。&br;フィリピンへ入植してきたスペイン人による命名で、&br;元々は、アフリカ北西部のアラブ人やムスリムの総称として&br;用いられた「ムーア人」という意味。&br;16世紀から約300年間、スペイン植民者と闘争を続けた(モロ戦争)。&br;成立ちから分かるように蔑称の意味を含むので注意。|
|港の防衛強化|Fortify our Ports|要塞防御&color(green){+20%};||
|ゲリラ戦|Guerrilla Warfare|陸軍士気&color(green){+10%};||
|ミンダナオの海賊|Pirates of Mindanao|禁輸効率&color(green){+10%};||
|~|~|私掠効率&color(green){+25%};|~|
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|人的資源&color(green){+10%};||

***モルッカ(Moluccan)v1.35[#Moluccan]
主要文化がモルッカ(Moluccan)の国に適用
v1.24にて離島の征服(Dominance over the Outer Islands)の効果が植民者+1から植民地人口増+20に変更されました

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|生産効率&color(green){+10%};||
|>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~|
|香料諸島|The Spice Islands|交易効率&color(green){+10%};|モルッカ諸島(マルク諸島)は、スラウェシ島の東、ニューギニア島の西、&br;ティモール島の北に位置する約1,000の島々で構成される諸島。&br;クローブ、ナツメグ、ビャクダン等の香料(香辛料)の原産地で豊富に取れるため、&br;香料諸島(スパイス・アイランド)と呼ばれた。&br;中世ではスペイン、ポルトガル、イギリス、オランダなどが香辛料貿易の利権を激しく争った。|
|共有文化遺産|Shared Cultural Heritage|信心&color(green){+1/年};||
|~|~|正統性&color(green){+1/年};|~|
|~|~|遊牧民団結度&color(green){+1/年};|~|
|~|~|共和制伝統&color(green){+0.3/年};|~|
|~|~|実力主義&color(green){+1/年};|~|
|貿易の代理|Agents of Trade|商人&color(green){+1};||
|4つの王国|Four Kingdoms|不穏度&color(green){-2};|モルッカ諸島は植民地以前、&br;テルナテ王国、ティドーレ王国、バチャン王国、ジャイロロ王国&br;の4つの大きな王国があった。&br;4王国は「4つのマルク山」とも称された。|
|離島の征服|Dominance over the Outer Islands|植民地人口増&color(green){+20};||
|パプア人との同盟|Alliance with the Papuans|小型船攻撃力&color(green){+15%};||
|実利的外交|Pragmatic Diplomacy|外交官&color(green){+1};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|水兵維持費&color(green){-2};||

***ラオス(Laotian)v1.22[#Laotian]
主要文化がラオス(Laotian)の国家に適用

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|税収&color(green){+10%};||
|>|~|国教寛容度&color(green){+2};|~|
|プラ・ラック・プラ・ラム|Phra Lak Phra Lam|不穏度&color(green){-1};|プラ・ラック・プラ・ラムは、ラオスの民族叙事詩で、「ラーマーヤナ」のラーオ語版。&br;プラ・ラックとプラ・ラムは登場人物の名であり、&br;それぞれプラ・ラックがラーマ(主人公)、プラ・ラムがラクシュマナ(主人公の弟)にあたる。|
|ニタン・クンブロム|Nithan Khun Borom|威信&color(green){+1/年};|ニタン・クンブロムは16世紀に成立したとされる叙事詩、歴史物語。&br;ラオスの建国神話が記されている。&br;Nithanはタイ語で物語、おとぎ話の意味で、Khun Boromは伝説の人物の名。&br;クンブロムは、父のインドラ(帝釈天)より、タイ地方を統治するため、送られた。&br;25年間の統治後、クンブロムの七人の息子に地方を分割し、統治させた。&br;クンブロムの長兄はラオスを治め、その子孫ファー・グムがラーンサーン王国を建国した。&br;以上より、ラオスではクンブロムを父祖としている。|
|ピー宗教|Satsana Phi|異教寛容度&color(green){+2};|Satsana Phi(サーサナー・ピー)を直訳すると「精霊宗教」であるが、&br;ピーは日本語で言う精霊・お化け・妖怪と幅広い意味合いを持つ。&br;タイ語族の地域で信仰されたアミニズムの一種。&br;良いピーの為、米や水などの供物を捧げ、悪いピーを追い払う為、&br;家の前にサボテンを置くと行った風習が見られる。&br;仏教やヒンドゥーが伝来、普及した後もピー信仰は絶えず、他の宗教と混淆を果たした。&br;現代でも、ラオスの少数民族の村では、寺で行われる仏教行事に参加し、&br;悪霊を病気の原因として語るといった姿が見られるという。|
|ラオスの民族多様性|Laotian Ethnic Diversity|受容文化枠&color(green){+1};|インドシナは、「民族の宝庫」と言われるほど、多数の民族が混在、多様な文化が見られる。&br;ラオスには50以上の民族が分布していると言われる。|
|ラオスの戦象|Laotian Elephant Cavalry|歩兵戦闘力&color(green){+10%};|ラオスの戦象は、他の地域より多くの数が見られ、数千単位にて運用された。|
|南シルクロード|Southern Silk Road|交易効率&color(green){+10%};|ラオスは、東南アジアの陸上貿易路において中心にあった。&br;南部へはメコン川を下り、ビエンチャンに向かうルート、&br;北部へはビルマとラーンナーからラオス経由で雲南へ向かい、&br;そこから中国の南部シルクロードと合流するルートがあった。|
|ラオスの丘陵戦|Laotian Hill Warfare|要塞維持費&color(green){-10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|陸軍扶養限界&color(green){+20%};||

***ルソン(Luzon)v1.24[#Luzon]
パンガシナン国(Pangasinan)、トンド国(Tondo)、マニラ国(Maynila)に適用。
v1.24で新規に追加されたグループNI。フィリピン北部の新国家用のNI。

|項目名|原語|効果|備考|h
|>|&ref(データ/National Ideas/Traditions.png,nolink);伝統|海軍伝統&color(green){+1/年};||
|>|~|交易品生産量&color(green){+10%};|~|
|バランガイ州|Barangay State|海軍維持費&color(green){-20%};|バランガイ(barangay)は、フィリピンの都市を構成する最小の地方自治単位。&br;元々は「帆船」の意味だが、バランガイに乗ったマレー人が各地に定住し、その集団を指す言葉となった。|
|~|~|水兵維持費&color(green){-10%};|~|
|楽園の征服|Conquest of Paradise|敵損耗&color(green){+1};||
|支那-フィリピン貿易|Sino-Philippine Trade|艦船交易力&color(green){+10%};|効果が何気にv1.24にして初めて追加された効果で、&br;この効果は通常のアイデア及びNIでルソンアイデア以外に同じ効果を持つアイデアは存在しない。&br;他には協商同盟(Trade Leagues)と提督の機動PIP以外に上昇させる方法がない超レアな効果。&br;%%まあProtect Tradeに出すLight Shipの数増やせばいいだけな訳だが。%%|
|タガログの習合|Tagalog Syncretism|異教寛容度&color(green){+2};||
|ルソンの水兵|Luzon Sailors|海軍伝統低下&color(green){-1%/年};||
|安全な避難所|A Safe Haven|顧問コスト&color(green){-10%};||
|砂糖生産の拡大|Expand the Sugar Production|生産効率&color(green){+10%};||
|>|&ref(データ/National Ideas/bonus.png,nolink);宿願|海軍士気&color(green){+20%};||


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