今まで険悪ムードだったMughalsから外交が飛んできた。
唐突過ぎて良く分からなかった。
ログを見返しても、直前の文章は気持ちのいい朝を象徴する「おはようございますー。」という文章しか書かれてはいなかった。
もしやそれ以前の会話に何か...と思い見返したところ
黒羊朝を巡って国境紛争に興じようという以前触れた通りの内容のみであった。
Ottomansのメダパニ状態そっちのけでMughalsの会話は続く。
話を聞く限りでは大勢は既に定まっているようだ。
Ottomansは事後承諾でも問題無いと判断されたのだろうか...?
本当にガチガチに固まっているのであれば、次の標的は間違いなくOttomansであるので
ここは一つ動向を探る為に参加表明をしておくことにした。
しばらくして、MughalsはAustriaにOttomans参加の手筈を整えたようで
対Hansa戦の会議場に呼ばれる事になった。
会議場に呼ばれるや否や、参加者からは衝撃的な言葉が飛び出した。
~Russiaが会議チャットに参加しました~
どういうことだ...脳内で情報が錯そうし、これは何かのフリだろうとさえ思えさえした。
話を聞き進めていくと、どうも首謀者はAustria...ではなく、Mughalsのようだ。
何より衝撃的だったのは、"誰 一 人 と し て"事前承諾などしておらず
事後承諾の形で皆参加をして来ていたのだ。
その後、混乱収拾が済みHansa戦について話を詰めて行く事になった。
実利を得るAustriaとRussiaは歓喜の笑みを浮かべるかと思いきや
感情を押し殺し、飽く迄も「受動的な参加」を演出しているように見えた。
AustriaとRussiaは「欲しくない」と言いつつも作戦・分割内容を詰めていく姿勢を見せ
どう見ても欲しい事がバレバレであった。
口数が少ないOttomansに危機感を抱いたのか、節々で各国から「ちゃんと見ているか」と確認が寄せられるが
筆者はこの時、リアル重病に伴いあわや緊急搬送既の所に達していた。
結局その不信感が具現化したかの如く、対Hansa戦条約のはずが
まさかの対Ottomans要求に近い内容で内容を詰めていったようだ。
【オスマン対ハンザ条約】 1.オスマンはオーストリアの対ハンザ戦争に関してハンザ側での参戦を禁止する。 2.オスマンはムガル、ロシアに行軍権を発行する。 3-1.オスマンはロシア、オーストリア、ムガルの対ハンザ参戦国への宣戦を戦後50年禁止する。 3-2.尚、戦後50年上記三カ国に宣戦した場合ロシア、オーストリア、ムガルは即座に対オスマンを施行する。 4.他国に上記の内容をリークすること、あるいは内容を示唆する行為を禁止する。
Ottomansはこれに同意こそしたものの、穴がある事に気づいていたので
場合によってはそれを利用するつもりで居た。
後日、平常心を取り戻した後にこれを読み返した時
Ottomansの扱いがあまりに酷いと感じ締結国を何時か爆散させてやろうかと思った。
この時、何を思ったのか1:1チャットでOttomansはRussiaに対し
Hansa側での参戦を仄めかしていた。
もはや正常な判断が出来なくなっていた頃の事なので、詳細については記憶していないが
意識が朦朧としながらも、RussiaのHansa領に対する欲を推し量ろうとしていたのだと思う。
その後の会話では、RussiaはMughalsの外交的成長を歓迎し
Hansa戦を通して才能が開花する事を切に願っている様子であった。
対するOttomansは、Hansaが死ぬことでRussia/Austriaの2ヵ国の国力が増大し
欧州の地域バランスがそのどちらかによってコントロールされる事を危惧していた。
想定される危機が現実になる前に食い止めようと考えていたが
最終手段の一つが、上で触れた"条約の穴"である。
それは、上記の条約ではOttomansの他国への単独宣戦は禁じられていないという事がカギである。
Russia/Mughalsには行軍権を発行しなければいけないので宣戦すると条約違反になるが
OttomansがAustriaへ宣戦する事は個別の不可侵が結ばれない限り条約違反にならないのだ。
Russiaもこの"条約の穴"は認知しているらしく
「それを潰す方法も見つけてたので、きっと大丈夫なはず」と発言しつつ睨みを利かせてきた。
さすがは今マルチ最古参プレイヤー、第六感が働いたのだろう。
仮にHansa戦後にRussiaとAustriaがべったりであった場合
それは悪夢としか言いようの無い事態に発展しかねない。
今はAustriaのRussiaへの感情を聞き出し、対策を練るほかないと考えた。
問い合わせた結果、Austria自身もHansa戦後のRussiaの国力増大を問題視しており
有事の際にはOttomansの助力を得れるのかという質問を受けたが、共闘する意思がある事を伝えだ。
しかしながら、Austria=Russia間には殴り掛かる適当な大義名分()が見つからない。
最終局面の順位争いは兎も角、二ヵ国は関係を維持した方が
安全保障確保と利益共有が出来るのだから、この問いかけ自体ポーズであるように思えた。
程々の収穫を得た直後、思わぬ情報が転がり込んできた。
なんと、AustriaがOttomans戦のみならず、France戦を企画しているというのだ。
それぞれ詳しく触れていくと、Ottomans戦についてはEngland戦後にアプローチを受けた国があり
該当国からのリークを受け取った。
Austriaへの感情は落胆へと変わってしまった。
France戦の方はというと、Austria/Spain/Mughalsらが参加する会議チャットがあるそうで
そこでの動き次第ではSpain戦後にそれらが連携する可能性があるとの事だ。
以前触れた通り、Spain戦を経てFrance/Spain間の関係は悪化すると予想される。
2ヵ国間の関係の隙にAustriaが付け込み
ついにはAustria/Spain/Mughals(+α)の同盟が成立するというのだ。
入れ違いざまに、今度はFranceから外交が飛んできた。
攻撃目標をAustriaに定めたFrance/Ottomans/Russia 三ヵ国同盟の提案を受けた。
Russiaとは関連の話し合いを済ませ、先方からは良い返事を受け取り済みで
Ottomansの返事次第では、直ぐにでも締結へと移行出来る体制にあるとの事であった。
別件で、Hansa戦についてはAustriaから情報を得ており
FranceはAustria側で加担をするとも伝えられた。
一見すると魅力的な同盟提案であるが、ここで引っかかるのはRussiaという存在である。
Hansa戦以降に上記三ヵ国同盟が発動し、Austriaの国力を削ぐことが出来たとしよう。
France/OttomansはAustria領を、Russiaは付いてくるor残されたMughals量を取る事が各個の目標となる。
仮にRussiaがAustria領に手を付けないとなると、両国の関係修復は容易であり
Mughalsから十分に領土を得た後に国土奪還を称して再びAustria/Russiaが手を結ぶ可能性があった。
この場合、完全に育ちきったRussiaと離反タイミングによっては十分に国力が残されているAustriaを敵に回す事になる為
OttomansとFranceでは勝てる見込みは薄かった。 (Mughalsは不確定要素として考慮から排除)
と言うのも、Hansa戦が実行に移されればRussiaの版図は西はLithuaniaとスカンディナヴィア半島、東はSiberトレードノード
筆者の読みが正しければAustria戦前後でMughalsからSamarkandを奪うので、東Siberを除けばほぼ完成型である。
Russiaがしたたかに勝利を狙い続けるのであれば、各国を叩いて回りつつ自国の国力を伸ばせる最善の策と成りよう。
Franceに案の危険性を説いたところ
FranceはHansa戦・Austria戦と続くRussia領の増大までは考慮に入れてはいない様子であった。
しばしの沈黙の後、Franceは何かを悟ったかのような言葉を口にした。
OttomansとFranceは考えを一にした瞬間であった。
FranceがHansa戦を分岐点とした世界情勢の変化を読み切れなければ
Ottomansは諦めてRussiaにCrimeaを割譲して、最終戦争まで息をひそめているつもりだった。
そういうと、Franceは自信を取り巻く外交関係のすべてを語ってくれた。
Spainがアジア三ヵ国との対立を深めてから殴り掛かろうとしたものの
予想に反して、利権対立は発生せずSpain戦を強行しようとしている事..。
Austriaと1650年まで同盟を結ぶ一方で、Russiaと戦略を練っていた事....。
Spain戦の講和については、France自身は何も要求せずにHansaに北米植民地を取らせ
その後のHansa戦でAustria側に組み事で、間接的にそれを手に入れるつもりでいた事......。
France自身は、北米植民地とHansa利権で得る各国の利権が釣り合っていると計算したようであるが
完全にAustriaに丸め込まれているように思えた。
続いて語られたHansa戦立案の経緯によってなんとなく原因が理解出来た。
Hansa戦はEngland戦より以前のゲーム開始時点より練られたものであり
現時点でのAustriaの国力は考慮に入れられていなかったのだ。
両国間の関係はその後ずるずると続いて行き、実際にAustriaがこれほどまでの国力を有し
さらに+αでHansa領を得る事になろうと、「以前の約束が―」という心情が盲目にさせてしまったのだろう。
兎も角、Franceは親Austria/Russia路線から親Ottomans路線へと切り替えた。
しかしながら、Hansa戦については既に関連の条約が結ばれてしまっており
Hansa/Ottomansらが自前で解決しなければならなかった。
長文・駄文に付き話について来れない方も多いと思われるので、一度話を整理しよう。
図にすると大体"こんな"感じで、Austria/Ottomans/France/Spainが争い領土を取り合っている最中
Russiaは自由に動き回る事が出来る。
Hansa戦を境にAustria/Russiaの国力が激増する事を考えれば
実質損害0のまま国土を広げ続けるRussiaは明らかに有利な立場となるだろう。
Franceの計画では、育ちきったRussiaに欧州の外交主導権を握られる可能性が高く
さらにはAustriaはFrance側に付く事はまず無い。
以前予想していたAustria欧州覇者説よりも事態が悪化する所だったが
Franceが情報提供してくれた事で、効果的な対策を練る十分な素材が揃った形だ。
思案を張り巡らせていたところ、プレイ開始のお時間となった。
気が付くのが今さらになってしまったが、前回終了時ちょっと前に
Franceは利権回収を急ぎAustriaと共同でイタリア諸侯へと宣戦していたようだ。
敵はMilan・Savoy・Switzerland以外は目立った大国は無く、HRE諸候が3~4ヵ国付いてきていた程度であった。
すると、隣国のAustriaが声を震わせながら衝撃的な言葉を口にした。
まさかとは思いつつも画面を移すと、SavoyがFranceプロビを占領しているではないか。
先のEngland戦で消耗した結果なのか、遠目で見てFranceの活力は乏しく
いささか心配になってしまった。
その後の講和では、Franceが既に属国化しておいたNapleに
Veniceトレードノードのプロビを幾つか割譲させ講和したようだ。
しかし、以前Austriaと交わした利権交渉ではVeniceトレードノードのプロビはAustria側の利権だったようで
これに対しAustriaは猛烈に抗議を寄せていた。
周辺各国は「お?戦争か??w」「嫌なら戦争で解決するしかないよね」等と囃し立てるも
Franceは「手が滑ったのであって意図的ではない」とする声明を出し「Naple併合後売却する」と釈明をした。
France戦同様、Ottomansも東地中海諸国との戦争が日を跨いで行われた。
まともな戦力を持っているのはGenoa位なので
適当に本土も占領して終わり...のはずが、何かが可笑しい。
本土を落としたはずなのに何故か戦勝点が34%しかないのだ。
不思議に思い外交画面を見てみると、LithuaniaがGenoa側で参戦している事に気が付いた。
以前見 て い る(1482年-1507年で使った封鎖による分断は
Genoaが参戦しているため使えないので正面から殴り掛かる事にした。
既に国力差が生まれていたので何も考えずとも戦って勝てたが
Lithuaniaの補給限界の低い地域を占領して回る事が嫌になり、適当な内容で講和を行った。
前回、貿易について揉めていたAustriaとHansaであったが
今回も引き続き不仲のままのようである。
この不毛な言い争いもHansa戦に向けた国際的理解を得るための演技なのだろうか。
個別で話し合って折り合い付ければいいんじゃないかとは思った。
しばらくして、アジア地域のFogが外れている事に気づいた。
既にSpainはスマトラ島に入植をしているようで、Japanと国境を接していた。
この場合、日本を「こんにちは死ね」で追い落とすか善隣外交をするかの二択であるが
今回のSpainは後者のようだ。
その証拠に、SpainはJapanに対して頻繁に資金援助を行い
協調路線をアピールしていた。
アジアでの対立が本格化するならば、SpainはFranceに殴られた後も再び関係を修復する可能性があった。
しかし、アジアで対立が起こらずむしろ仲間を得る展開となるのであれば
態々Franceと良好な関係を維持し続ける必要は無くなるのではないか。
この時、筆者の中である案が浮上した。
その案とは...。
前回、戦争が開始される前に開始しておいた(書き忘れていた)Georgia併合が完了した。
これで属国でごちゃごちゃしていた地域も薄緑の愛国カラーに染まった。
未だに南部には手を付けていない地域があるが
こんな感じのDip 0君主が連続で3回も続き併合用のDip Pointが溜まらなかったという事情があった。
他のプレイヤーからは「拡張が遅いのはOttomansが対プレイヤー戦争を計画しているからだ」と
煽られるシーンが幾度もあったけれど、実情はもっと険しいものであった。
ある時、Morocco側でOttomansと婚姻Missionが出たから結ばないかという持掛けを受けた。
婚姻Missionはプレイヤー間であれば難なく締結出来るうえに
Dip Pointが25加算されるため、なかなかおいしいのだ。
それ故、マルチでは頻繁に「結婚しようぜ!」という生々しい発言が飛び交う。
OttomansはMoroccoからの要請を受け入れ婚姻を結んだが
後に驚きの結果を齎す事になる。
のんびり内政をしていた所、同時にいくつもの隣国CB取得POPが表示された。
目を通してみた所、どうやらQara Qoyunluからいくつかの国が独立したようだ。
これまでMughalsに「Qara Qoyunluを残し続けているのは対Mughals対策なのだろう」と
憶測で叩かれていたが、上でも触れた通り単純にDip Pointが不足していただけである。
バラバラになった国土を、今一度Ottomansという体で一つにして差し上げようとまとめて宣戦を行った。
ついでにいつまでもナイル川流域にはびこっていたMamluksに宣戦し引導を渡す事に。
特筆するべき点も無く各国を併合・属国化し、帝国主義の犠牲者として仲良く歴史の一ページに葬らせて頂いた。
戦争が終わったころ、突然のエラーが発生し区切りも良いという事で本日はお開きとなった。
初日より苦しめられて来たこの病状もリアルThe PlagueのTraitsが外れ回復へと向かい
徐々に正常な判断能力を取り戻してきた。
ここから立て直しを計れるのか、先が思いやられる。