Great Britainは、それまで内政に勤しんでいたスカンディナビア並びに
イベリア半島の領土を失った為、陸戦能力を大きく削がれる結果となった。
事実、スカンディナビア半島側のプロビを受け取ったRussiaはコア化+文化転向をした結果
月間Manpower産出量が1k程度増えたので、かなりの痛手だったに違いない。
アフリカ西部からインド南部までをその支配下に収めるOttomansは
その膨大な軍事力を欧州方面への進出に使おうとしていた。
欧州進出第一歩となる目標はVenice。
長年に渡って首都Constantinopleより貿易収益を吸い上げて来た宿敵である。
それを長年に渡って保護してきたAustriaはRussiaを呼び込み対決姿勢を見せ
ユーラシア西部で両雄が激突しようとしていた。
Mingは、先の戦争で国内が分裂状態に発展し、向こう10年は立て直しがきついかと思われたが
意外と早く分離独立した国家を再征服し、以前の力を取り戻しつつあるようだ。
シベリア辺境伯に甘んじてきたRussiaは、Austriaと歩調を合わせ
Ottomansに対して自主外交権を求め反旗を翻した。
RussiaがOttomansに戦いを挑んだところで勝てるはずが無いと
ほとんどのプレイヤーが思っていたであろう。
だが、それは大きな間違いである。
Russia「今まで黙ってたんですけど、月間Manpower13k/Max Manpower980k/Treasury 139k/Force Limit 681なんですよ」
Austria「ファッ!?」
さかのぼること100年程前、1669年のSpainが脱落した時の事。
実はその時、既にMingの国力を上回り、Ottomansのそれに追い付きつつあったのだ。
それもそのはず、拡張控えめに内政に勤しみ
半分以上のプロビに建築レベル7の建物が建ち並んでいたのだ。
他のプレイヤーから「うわっ…Russiaの技術、低すぎ…!」と笑われていたが
技術にNeighbor Bonus -10~15%が付くまで君主ポイントを建築物に費やし、来る決戦に備えていた。
その間に攻め込まれては元も子もなかったので
Ottomansに下僕として仕え隠れ蓑にし、世界に覇を唱えるが如く拡大し続けるOttomansに全プレイヤーのヘイトが集まるように仕向けた。
何故下僕になったかというと、SpainとMing、Great Britainを見ればわかるが
力あるが故に叩きのめされ、武力で屈服させられると容易に想像できたからだ。
話を戻すと、Spainが脱落する寸前に
Russiaは、Spainに対してある持ちかけをしていた。
Russia「後50年、もし待って頂けるのであれば、全力を持って支援します」
50年という数字がどこから出てきたかというと、Limit上限の数倍以上の軍を動員し
Spainを取り巻く包囲網を排除する為の資金をプールする時間がざっとそれ位だったのだ。
以前にも触れた通り、Spainはもはや精根尽き果て脱落してしまった。
仲間候補を失ったRussiaは
偶然VeniceがOttomansの貿易収入を吸い上げ、それをAustriaが保護しているのを発見した。
しかし、AustriaはAIに阻まれ拡張が遅れ
国力は全プレイヤー中最低クラスであった。
だが、利点もある。
Spainと違いAustriaはRussiaと国境を接する事ができるばかりか
同じ陸軍国家である為、外交関係がさほど複雑なことになっていないのだ。
後者はともかく、前者についてはAustriaの拡張を支援し
共同戦線を張れる強みがある。
ランドパワーとは、元来ランドパワー同士で惹かれあうもので、そこに利害対立が無ければSo Good!!
AustriaとRussiaが何気なく共同戦線を張っていたのは、AustriaはともかくRussiaにはそうした意図があり
その時からRussiaは、Ottomansを仮想敵国と定め戦う準備を始めていたのだ。
Russia「私は、このRussiaは、むざむざやられはせん !」
敵方がなるべく増えない為にも外交は絶やさず
Great BritainとMingに同盟を打診した。
Mingに外交を送ったところ、何故か終始無反応で
結局のところ、なんの交渉も持てぬまま時間だけが過ぎて行った。
Great Britainについては旧Norway領を取り上げた経緯が有る為
こちら側に靡く可能性は低いとみていた。
案の定「NorwayをRussiaが取ってくれて箍が外れた。これで思う存分封鎖できる」と言われてしまった。
Ottomans/Ming/Great Britain vs Russia/Austriaの構図になったとしたら勝てるかどうか微妙だ。
と言うのも、最終戦争は10~20年後だろうと思っていたRussiaは、まだArmy Limit上限を突破して軍を作っておらず
OttomansとMingから事前に聞き出した情報が正しければ、その2ヵ国が現在配備している軍量は合計で千連隊を超えていたのだ。
Russia「こりゃどうしたものか」
若手幕僚「それでは、作戦会議を始めさせていただきます。」
参謀総長「うむ、よきにはからえ」
若手幕僚「まず、Russia軍の近況を確認します。お手元の資料3pをご覧ください。」
海軍部長「なんと貧弱な海軍よのぉ...。」
若手幕僚「我がRussiaは陸軍に偏りきり、ランドパワーとしての色合いを強くおびています。」
「そして、当初予定されていたLimit上限突破の策は、予定よりも早い開戦に伴い、未だ実行に移されていません」
情報部長「それについては私から説明をさせていただきます。
「開始以来、RussiaはOttomansと同盟を維持し続けて参りました。」
「この際、RussiaはOttomansの軍量の-30%を維持し、格下であるというイメージを植え付ける事に成功したという報告が入っております。」
参謀総長「ほう...。」
情報部長「この事はOttomansの慢心を招き、開戦時期によっては我が方の優勢を保持出来るかと思われます。」
参謀次長「いやはや、それは早計過ぎやしないか?」
情報部長「...?」
参謀次長「資料7pによると、"敵方にMing、Great Britainが参戦する兆しあり"とあるが、時間を与えすぎると返って取り返しのつかんことになるのではないかね?」
「いや、そればかりか、MingとGreat Britainが旗色を明確していないから良いものを、もし仮に敵方に付くとおおっぴらになったらどうなるか。」
「下手をするとAustriaまで我々より離反する可能性すらあるではないか。」
情報部長「情報については黙殺し、Austiraへの情報漏えいは無いように計らっております。」
「しかしながら、次長がおっしゃる通り、時間を掛けた所で事態が好転するとは考え難いのもご指摘の通りだと考えます。」
参謀総長「兵站部、我がRussiaの防衛ラインの構築はどうなっておる?」
兵站部長「それにつきましては、今から配布致します資料の表面をご覧ください。」
兵站部長「既に国境線とその隣接2プロビにレベル5の要塞を建築し終え、あるいは建築終了を待つのみになります。」
「これがもたらすものは即ち、継戦能力を維持し続けるだけの頑強な抵抗をし得る事を意味します。」
参謀総長「それでは、兵站部は長期戦に勝機があると考えるか?」
兵站部長「いえ...如何にRussiaの月間Manpowerが膨大といえ、情報部の調べによると、MingとOttomansの合計月間Manpowerは我々の1.5倍以上あります。」
「万全を帰したとして、打って出ぬ事には徐々に我が方の旗色は敗色を帯びると考えます。」
参謀総長「なるほど、分かった。」
作戦部長「具体的な作戦考案へと移らせていただきます。」
作戦部長「Ottomansの領土は首都を構えるバルカン半島と兵畑のインド、それらを繋ぐ小アジアと中央アジアで構成されています。」
「我々の同盟国であるAustriaに負担無く且つ、最大限に戦える場所を考えた場合、必然的にバルカン半島と小アジアに狙いを定めるべきと考えます。」
「仮にMingが敵に付いたとしても、この地域で戦うことは撤退を思うように出来なくさせる事に繋がります。」
「作戦ルートは、今からお配りいたします資料2pに記載されている地図を元に説明を致します。」
「バルカン半島にAustria軍とRussia全軍の3割を割き、残る可能な限りの戦力を小アジアへ差し向けOttomansとMingの分断を計ります。」
兵站部長「さすがにそこまで突出するとなると消耗が厳しいと思うが大丈夫か?」
作戦部長「小アジア方面の作戦は、飽くまでバルカン半島側の展開を有利にし、小アジア東部の山岳を利用して防衛をしつつ援軍到着を待つ云わば時間稼ぎになります。」
参謀次長「問題は、小アジアの山岳地帯に首尾よく突破を許してくれるかどうかか...。」
作戦部長「仮に突破に失敗した場合は、一度本国に戻り態勢を整えつつ、敵に消耗をさせる方針に切り替えれば良いだけの話です。」
兵站部長「要塞も容易く落とすことは出来ず、こちらは悠々とあちらは齷齪とさせる寸法か。」
情報部長「OttomansとMingの分断部分については、AustriaにOttomansを小アジアに包囲、殲滅する為の布陣として伝えて誤魔化した方が良いな。」
参謀総長「話は纏まったようだな。 この戦争...何としてもカツオ。」
各位部長「ッ...!(総長、今噛んだよな...?)」
開戦3年程前になって、急にGreat BritainがRussia側に参戦したいと好意的に接してきたが
こりゃどう見てもスパイだと思っていた。
疑り深いRussiaプレイヤーは、念のためにAustriaに同盟を組めるラインまで関係改善を促しておき
開戦時期以外の情報は伝えず、沙汰を待つだけにした。
EU4の戦争はCBを選べる攻撃側が有利だとRussiaプレイヤーは予てより主張していた。
無論、この戦争で負ける気が無かった&先手を打ちたかったRussiaはAustriaにClaimをねつ造して貰い
時期を打ち合わせた上で宣戦布告に踏み切った。
Great Britainは開戦直後にOttomansと同盟を組み、スパイ容疑から確信へと変わっていった。
ルール上、同盟を組んでから2年間は動けないので
その間に何とかバルカン半島を制圧し、小アジアに雪崩れ込みたい所である。
≪ゲームシステム関連≫ ・システム上の同盟を結んでから1年間は『Call to Arms』をしてはならない。 ・同盟参戦等によりやむを得ず参戦が必要になった場合は、2年間の間は自国領より動いてはならない(海軍は可) ・プレイヤー間戦争開始後に結ばれた同盟については2年間『Call to Arms』使用してはならない。 ・プレイヤー間で同盟を組んでから2年以内にプレイヤー国に対して宣戦布告をしてはならない。
意外だったのが、Mingの外交である。
嘘か真か分からないが、どうやらMingはOttomansと外交を取り交わして居なかったようで
Russiaから送られてきた外交チャットは、そもそもが届いてすらいなかったようなのである。
結局のところ、対英戦争の時に組んだOttomans=Mingの同盟が作用して敵方参戦してしまった。
てっきり、外交的に相手にする気が無かったから無視していたと思っていたRussiaは若干憂鬱になりつつも
当初の予定通りの動きで軍の先行移動入力を済ませるのであった。
MingとGreat Britainの参戦を受け、Austriaが予想以上に動揺したように見えたので
心理的悪影響を最小限に抑えるべく、予定よりも多い全軍の5割をバルカン半島に割いた。
何故かボスポラス海峡ではなくクリミア半島を経由してくるOttomans軍を順次キャッチして殲滅に取り掛かる。
Mingの到着を少しでも遅らせる為にも、補助軍を110k程を中央アジアに割き
アンテナとして利用する作戦に出た。
バルカン半島では、Ottomans軍の主力が到着し激突
戦闘でボロ勝ちした後、Austriaがボスポラスを封鎖して孤立させ
以後、殲滅戦に移行していく事になった。
用意しておいた歩80k/砲25kの傭兵軍団2つでAssultしまくり、Austriaが活動しやすいように整地しておいた。
しかし、肝心の小アジア東部での攻勢は
クリミア半島を突破しようとするOttomans軍の殲滅に時間を掛けすぎ、なかなか南進出来ずにいた。
バルカン半島の戦線が安定したのを見計り、小アジア東部に転進させたが時既に遅く
全軍を同地に集結させ終えたOttomansと山岳地帯でにらみ合いになってしまった。
ヒトラーと同じことしでかしてしまった気がする...。
この時点での戦勝点はこちらが圧倒的有利の状況ではあったものの
まだGreat BritainとMingのどちらも戦線に到着していない状況なので、油断はできない。
Mingの到着前に何としても小アジア東部を突破したいRussiaは
現地で展開中の部隊すべて投入し多正面戦闘を構築し、他の戦線からの援軍を待つ事にした。
2か所で継続的に行われている戦闘は、一見Russiaが押されているように見えて
Moralが下がった軍を後方で回復させつつローテーションしていた為、見かけほど切迫していなかった。
徐々に各所に散っていた部隊が集結してあと一歩でトドメをさせるという時に
ついにMingの援軍到着を許してしまった。
中央アジアに散布した部隊に見向きもせず、ただ只管前線目がけて走ってきたようだ。
だが、その後もローテーションと逐次投入される補助軍により宣戦を維持して
Austriaがポスポラス海峡を越えるまで時間を稼ぐ。
何とか北部戦線で勝利し、南部戦線へ援軍を差し向けようとしたが
新たに到着したMingの援軍により捕縛される。
得るはずだった援軍を失った南部戦線はついに崩壊してしまった。
ボスポラス海峡からの援軍は、時間を掛けすぎた影響でGreat Britain海軍到着し
制海権を喪失してしまう事につながった。
これ以上、この場所で戦闘を続けることは無意味と判断し
Russia本土への撤退を開始する判断を下す。
バルカン半島には、ほぼ無傷のAustria軍が展開しているが
OttomansとMingの物量を押し返せるほどの数かと言われると疑問符が付く。
勢いに乗るMingは、Moskvaに向け進撃を開始し
Assultを使いながら電撃的に北上を続け、Russiaの予想をはるかに上回る速度で奥深くまで突き進んできた。
首都目がけて突き進んできたであろうこの作戦は、実は的外れであり
Russiaの首都は、まさかのシベリア北極部Cherdynにあったのだ...!
将官「良いか諸君、首都はMoskvaでもSt.Petersburgでもない。 Cherdynだッ!」
なんていう、とある映画のワンシーンが脳裏をよぎった。
Russia「策を二重三重に張り巡らせて初めて計画と呼べるものになるのだよ!」
Mingの攻勢に対して防衛ラインの構築を急ぐも
集結前の軍にぶつけられ苦しい展開が続く。
突出するMingに対してOttomansは南でどっしり構えて占領に従事し
Mingが敵地のど真ん中で孤立し始めていた。
息があっていない敵軍の様子に一安心したが、Russiaの軍が如何せん少ない。いや、少なすぎる。
合流途上で撃破された軍を考えても、手元に300kしかないのはおかしいと不思議になりつつも
目の前に広がる絶望的戦力差にどう立ち向かうかで頭がいっぱいで、そんな事に考えを割いている時間はなかったのであった。
ユトランド半島でGreat Britain撃退に成功したAustria軍がRussia側の戦線に参加し
前線で孤立するMing軍に総攻撃を開始した。
2度目の冬をRussiaの極寒の地で過ごしたMingは
Manpowerが尽きたのか抵抗が鈍くなってきており、不利と見たMingは戦闘半ばでOttomans領へ撤退を開始した。
しかし、クリミア半島方面ではGhazi効果でManpowerを回復しつつあるOttomansが未だ健在であり
バルカン半島では渡河したOttomans軍がConstantinopleに到着。
後詰が無いRussiaには絶望すら覚える光景であった。
Mingの攻めが失敗し、要塞レベルが高いRussia領を落とすのは厳しいと判断したOttomansとMingは
「Russiaは既に死に体だ」と言い放ち、狙いをAustriaに切り替えバルカン半島側に転進を始める。
Russiaとしては、今回の戦争でOttomansと戦えたことで
多少無念であれど満足はしていた。
だが、AustriaはRussiaが参戦すると聞いてVeniceを守ると決意した身であり
云わば、OttomansとRussiaの対決に巻き込まれたといっても過言ではない。
「Austriaさんは軍を今すぐ本土に戻し、強制講和の期間まで粘り逃げ延びてください」とRussiaは発言しつつ
Russiaの残存兵力をAustria領に差し向け、Austriaだけでも助けようと図った。
Russia「いいか、一人でも多く突破しAustriaのもとにたどり着くのだ...我々の真実の戦いを後の世に伝えるために...!」
Ottomansの「仲良く死んで頂きますよ」という言葉と共に
AustriaとOttomansとの国境線には大群が展開し始め、もはや命運は尽きようとしていた。
この状況にディスプレイ前でうな垂れつつも、尚も抵抗を続けるが
数的劣勢を抱えるRussiaとAustriaは手薄な個所に攻撃を受ける→即壊滅を繰り返し
状況は悪化の一途を辿っていった。
この状況下においてもAustriaは冷静に前線の状況を見渡せており
逆に敵の手薄な個所を奇襲し、溶かし返す奮闘ぶりを披露していた。
前線の兵数も圧倒され、講和までの期間も残すところ3年と
Austria領の半分を塗り替える事も不可能ではなかった。
Russia「終わったな」
Russiaが諦め、悲嘆に暮れていたその時、一筋の電波が脳裏を過ぎる...!
??? 「Ваша армия является, будучи в Центральной Азии.」
Russia「なんだ今のニュータイプ的電気信号は。 っていうか、発信主がロシア人だから何言ってるか分からねぇ...。」
――この時、シベリア北極部で起きていた重大な事実に誰一人として気づかないで居た。
戦争の流れを大きく変える、その決戦存在に...。