1452年になってようやく
あの辺りは既にヨーロッパRegionに片足突っ込んだ地域じゃからの。中華まで自然伝播を待っとったら100年はかかりそうじゃが、まあ自力でどこまで来るか眺めとるのも一興じゃろ。
では文艺复兴自体は自力で何とかするという事でよろしいですね。それでは南京に軍事点を・・・*2
それは仕方ない。ともかく、今回の三帝冠プレイを始めるにあたって大きく方針転換したのを忘れておったわい。
今までは欧州へ向かう片手間に、余った植民枠を使ってオセアニアに植民国家を建設しておった。さすれば欧州諸国と同時期に、あわよくば先んじて殖民主义を自然受容できたのじゃ。*3
今回は植民できないので、殖民主义も自力受容しなければならない・・・とすると、若干の技術遅れが出るとしても文艺复兴と殖民主义を同時に自力受容していった方が、結果として得をするという算段ですね!
計算などは面倒で全くしとらん。何となく違うことをしてみたいという正統帝の気まぐれが最大の理由ともいえる。本当にこれが得策なのか、もし検証していただけるご仁がおられるならご教授願いたい。
そういや、前回プレイの15世紀~16世紀は世界の最先端を行き過ぎて相当量の君主点を無駄にしていましたから、これぐらいが丁度良いのかもしれません。君主点自体は朝貢国からどっさり貰えますもんね。*4
・・・うむ、外交点は投入せずに済んでおるな。それでは文艺复兴発生当日なれど、これを無視して権勢Ideaを取っておくのじゃ。併合コストを削減して、
そんなこんなで待望の世継、朱楠様が誕生。(1452年9月23日)
うーん、極めて平凡じゃが、父君と並ぶと世になく清らなる玉の皇子に見えるのう。
勅令も人口調査(Conduct Population Census)に切り替えました。明の全収入からすれば+4ダカットの収入増は小さなものですけど、お金は十分持っているに越したことはありませんからね。
(天下の
※
そんなことより、自分で言うのもなんだが、この戦争は無茶しすぎに見えるんだが。
ええ。
前に言ったとおり、対欽察汗国戦の目標は
それに案ずるな、包囲網対策も万事整えておる。すべて、すべて計画通りなのじゃ!ほっほっほ!
ええと、それじゃあ
まあステップを東西に横切る超大国(?)になっとるから、敬意をもって併合するとしよう。
じゃあ併合が終わるころにまた呼んでくれ。そのころにゃAEも冷えてるだろ・・・
誰が休めと言った。ほれ、
講和なんかせんぞ。そのまま西進、
あの(1,1,1)に剣で膝まづかされるとは奴らも黙っていないでsy
しばらくお待ちください
もとい、外交点計600点の支出に包囲網2回分を溜めるようなAE激増。とても耐えられるとは思えません。
まあまあ、外交点は朝貢国から巻き上げたおかげで600点失っても在庫は-100点程度。すぐに立ち直る。包囲網を組まれたとしても・・・
(報告!正統帝崩御!皇后摂政に移行!)
(報告!
・・・我が世界を覆う大明帝国、それしきで墜ちるものではない。そう、MoHならね。
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