1444年 11月 11日
彼はどうしようもなく緊張していて、震えていた。そんな馬鹿な話があるもんか。しかし、いくら内心で憤っていても、現実は変わらないことを、幼いながらに聡明な彼は認識していた。
遠征に出向いていたスルタンである父から手紙が届いたのは今さっき。使いの顔つきから敗北の知らせではないことは分かっていたから、油断していたかもしれない。
手紙にはこうあった。
「勝った。私はもう戦いには疲れた。以後は静かに余生を送るから、お前がスルタンを継ぎなさい」
1日の3度めの礼拝をすませると、老人が1人寄ってきた。
「メフメト様、ごきげんよう。宰相のハリル・パシャと申します。私めも本日は大変驚きましたが、以後メフメト様の手伝いをさせて頂きます」
メフメトは仄かな反発心を抱いた。多いのだ、こういう人間は。善人のふりをして彼を利用しようとする人々。アッラーは彼らをも天国に連れて行ってくれるのだろうか。
「ええ、よろしくおねがいします。僕はお祖父様が死んでしまった後に生まれたので、あなたをじいと呼んでもいいですか?」
微笑みながら言った。子供の笑顔の戦力をメフメトは知っていた。
「ええ、勿論ですよメフメト様。ではまず、基礎知識を勉強してまいりましょうか。
「まず、これが現在の我が国です。赤で囲った部分は不法に占拠されている我々の正当な領土です。あの偉大なるハンの後継者を自称するティムールの奴らによって奪われました。
これらの地域の民は我々の支配を望んでいるでしょう。」
「そして現在我々はアルバニアと戦争状態にあります。敵の将軍は悔しいながら非常に優秀ですが、いかんせん数で圧倒的にこちらが有利ですので、時間の問題でしょう。
ついでに、ここでプロビンスの管理画面も確認しておいてくださいね。」
「これが貿易の状況です。我々の市場にやってくる外来品はアレッポとクリミア、アレクサンドリアのいずれかを経由しています。
コンスタンティノープルでの我々の交易力は80、トップのビザンツにわずかに差を付けられています。」
「じい、コンスタンティノープルは1プロビで50も交易力を産出しています。我々はこれを奪うことによって圧倒的なシェアを獲得できるのではないでしょうか?」
「その通りです。しかしながら、コンスタンティノープルは非常に防衛に適した立地である上城塞は堅固。30年ほど前の私が若かった頃にも攻撃は試みられましたが、駄目でした。」
「そうですか...この問題は後で考えましょう」
なんだ、案外あっけないじゃないか、と彼は思った。
ある軍の将軍(名前は汚れていて読めなかった)が敵の常勝を謳われるスカンデルベク将軍麾下の部隊を破り、アルバニアを占領したという知らせが届いたのだ。
前は4-4-4-0ぐらいじゃなかったっけ?左右のユニットは格好いいが慣れると邪魔
「じい、このAutonomyと言うのは何ですか?」
「簡単に言うなら、その地域が以下に我々の影響外にいるかの度合いですな。勿論低いほうがよろしい。+と-のボタンで手動で変えれますぞ。しかし、下げれば当然彼らは怒りますし、上げれば喜ぶでしょう。とりあえず、軍に帰還命令を出しましょうか」
メフメトはこのとき、確かに一瞬迷った。だが、彼は決断ができた。この決断力が彼の名を後世にまで残るものとした。
「いえ、このまま返す刀でコンスタンティノープルを攻撃しましょう」
必要Warscoreが明記されるようになったのはありがたい)
コンスタンティノープル攻城戦はまだ続いている。今頃場内では草木、いや、もしかしたら人が食べられているのかもしれない。
それでも良い、と彼は思った。強きものが弱きものを倒すのは世界の理だ。
彼の母とは、彼女身分を理由に一生会えなかったことも。
彼女が弱かったので彼がスルタンになる前に死んだのだし、彼がもっと早く強くなれば母に合うことはできた。
むしろ。
今の帝国には余力がある。その余力を用いるべきではないか...?
「じい。我々はこれからカラマンを攻撃する。旧領回復しようじゃないか」
「お待ちください。じいはその方針自体には賛成ですが、ここに印を入れて下さい」
「これは何なのだ?」
「そこ並んでいるのは敵の同盟国です。そこに印を付けられた国家は、更にその同盟国を戦争に呼ぶことができます。しかし、そこに印をつけなければ、その国にこちらが要求する際に普段の倍の戦勝点が必要となるのです」
「なるほど、ラマザンには同盟国がないのでデメリットは今回はなく、印を付けなければ100%の戦勝点を要求する完全併合をラマザンに行うことが不可能になってしまうのだな。
ところでじいよ、質問ばかりで申し訳ないのだが、我々はビザンツの領土を全て占領したが戦勝点は100にならないぞ。父上はこれで100になると言っていたが...」
「メフメト様、最近その理が変わったのです。敵全ての領土を占領する、もしくは開戦から5年経過およびビザンツの領土を全占領する、のどちらかの条件を満たさなければ100%は達成できなくなりました」
「ならば先ずセルビアを完全に占領し属国とせよ。当初は無視するつもりでいたが、占領する必要があるのであれば一気に片付けてしまおう」
1448年 9月 22日
東ローマ帝国皇帝コンスタンティノス11世の気分は高揚していたし、周囲一同もそうであった。
あるいは、そうでないと精神の均衡を保てなかったのかもしれないし、そもそもそうした状態の精神が平常かどうかということも、彼らにとってはどうでもいいことだった。
「城門を開け」
コンスタンティノスは短く命令した。
「いえ、皇帝、城門などはもう存在しておりません!あのハンガリー人どもの大砲に...」
手を振って兵士の言葉を中断させると、コンスタンティノスは叫んだ。
眼下にはわずか1000名の勇士たち。
「神よ、帝国を失う皇帝を許し給うな。都の陥落とともに、われ死なん。 逃れんとするものを助け給え。死なんとするものはわれとともに戦い続けよ!」
逃れんとするものがいるとは彼自信も思わなかったし、実際だれも逃げなかった。
完全に囲まれた状態で敵が逃してくれるかというとそれはあり得なさそうであるし、何よりも誰もがこれから朽ちることが決定した自らの生命に酔っていた。
これが、国家としては2000年以上、帝国としては1500年続いた、人類史において永遠に記憶されていくであろう国家の最後であった。
メフメト2世は瀕死のビザンツ兵からこの話を聞き、コンスタンティノスの遺体を探し出し、それを丁重に葬った。
その兵士も直に死亡したが、他の全てのビザンツ兵と同じく遺体を辱められることはなかった。
1448年 9月 24日
メフメトはコンスタンティノープル改め、コンスタンティニエに遷都し、1000年間の間世界一有名であった帝国の首都は、新たな帝国の首都となり、一層の繁栄を迎えた。
1451年 1月 13日
旧領の回復はほぼ全て終わった。これからの敵はどうするのか。
候補は大きく3つ。ヨーロッパ方面、エジプト方面、カスピ海方面だ。
メリットとデメリットを考察してみよう。
ヨーロッパ
○後回しだんだんと技術差は出る可能性がある ×国家が近距離に多く対抗同盟を組まれる可能性がある
エジプト
○トレードノードはコンスタンティノープルに直接つながっている ×特になし
カスピ海
○最近強大化しているらしいルシャとかいう国と早期に接し、場合によっては対策を立てれる ×同盟網が複雑で敵となる数が多い
彼はエジプトを選んだ。
そうとなれば彼の行動は早い。もはや彼は子供ではないのだ。
手始めにシリアに密使を送り、反乱を秘密裏に支援、国家としてシリアの1プロビンスが独立した。
なぜか。
シリアはコアとなるプロビが多く、高税収のこの地域を侵略するのは危険性が高い。
そこに一旦クッションを置くことで不満をそらし、統治点も節約できる。
ついで彼は、各地の民族構成を調べあげた。
価値観を共有する同民族を支配することは当然ながらたやすい。
異民族支配の難しさはミタンニの昔から証明されている。
そこで気づいたのは驚くべき事実だ。
彼の父の頃は、アラブ人もベルベル人もトルコ人も似た人種だと言われていたはずだ。
しかし、今はトルコ人の仲間はアルメニア人とトルクメン人しかいない。
しかし調べを進めるうちにこちらを方が実態に近いことが判明し、彼は自身を納得させた。
1454年 9月 12日
その日は忘れられない日となった。
メフメト2世の夢にアッラーが現れこう告げたのだ。
「レヴァントを征服せよ。これは私の意志である」
折しもエジプト攻略を考えていたところにこの神の預言、彼はこれを民草に知らせた。
今ではマムルーク倒すべしの声は角を曲がる度に聞こえてくる。
アッラーの言葉を受け士気の高まったオスマン軍を前に、逆に士気の下がっていたマムルーク軍は敵ではなかった。メフメトはこう豪語した。
「決定的打撃を受けたマムルーク軍にいかほどの戦力が残存していようと、それは形骸である。あえて言おう、カスであると!」
維持費最低でエジプトに来たセルビア軍。協力したくないのはわかるが何やってるんだ...
軍が文字通り壊滅し為す術のなくなったマムルーク朝は和平を要求、メフメトの出した要求を全面的に認めることで1457年1月10日から15年の和平期間が設定された。
こうして第一次対マムルーク戦争は終わった。
しかし、未だにマムルーク朝は健在、神のご意思は達成されていない。
和平後、またすぐに戦争になることはメフメト以外にとっても明白であった。
好機は一度その後すぐに訪れた。
マムルーク朝の高官がオスマン領に近いキプロス島に滞在することが細作の手で明らかになった。
メフメトは軍をキプロスに派遣しこれを殺害、マムルーク朝を挑発しあちらがわから和平を破らせた。
経済力で勝るオスマン軍は歩兵のパラダイムシフトを通過していたため、旧式のマムルークを鎧袖一触で破った。
彼が初めて体に異変を感じたのはこの時だ。
心臓が痛い。
なぜだ、まだ29じゃないか。
彼はそう言い聞かせたがしかし、幼少期より政治の舞台に立ってきた早熟の天才の体は着実に、人生の披露に蝕まれていた。
そうした状態の中、彼は和平の文書をカイロに送った。
その返事を見た彼は愕然とする。彼は、何の条件も付けない白紙講和を相手に提示していたのだ。
この事件は彼の統治能力を疑う派閥を生み出しただけでなく、彼の精神をも強く損耗させることになった。
マムルークと個別和平してからキプロス併合するつもりが、間違って全体和平でマムルークのプロビを2つシリアに返還させただけにしてしまった
こんなイベント前からあったっけ?
1469年 8月 9日
ファーティフと呼ばれ、世界でも最も優れた君主の資質を見せたメフメト2世はしかし、37歳の若さで世を去った。
体の異変を感じてから8年の間は、黒羊朝から吸うプロビを奪ったほかは実質的に何もできず、その才能を万全に発揮することは叶わなかった。
次代のスルタンは彼の息子、メフメト1世である(どうしてこの名前になった...)
アドニスは、少し興奮していた。
「ファーティフ...彼こそが旧体制の破壊者であり、今日まで連綿と続く我らが帝国の土台を作った、ということか」
「そう。彼こそが我々の千年帝国を滅ぼした、偉大なスルタンなのだ。」
幼い頃からイスラム教徒の兵士となるべく育てられた彼には、ギリシア人の祖父の感慨は共有できなかった。ふと、彼は自分自身がギリシア人と呼べる存在なのか疑問に思った。
僕は本当に彼らの家族なのだろうか。信じる宗教も、民族としての自覚も違う家族...
このAARの視点だとどうしても書けなかったことを書いていきます。
新しくなった外交併合。
実施すると併合完了から十年にわたってDiplomatic Reputation -3がつきます。これがどう影響するかというと。
他の属国の併合が実質的不可能に。
なので属国はできるだけ同時に併合しましょう。
あとFatihをFaithと読んだ奴は処刑