第11代将軍足利義視
スキルは統治4、外交3、軍事3とバランスに優れた将軍(器用貧乏ともいう。)
父の代で日本統一を為したため、新たな目標であるアイヌ・琉球併合に向け日々精進に励むであろう。
※1 探したが肖像画はなかった。
※2 なお本物の足利義視(義尋)はこのAARでは還俗することなく僧侶として義尚の時代に生を終えている。
政争に巻き込まれることのない慎ましやかも幸せな生涯であったと言われている。
※3 余談であるが義視(義尋)の宿敵日野富子はこのAARでは摂関家に連なる公卿と結婚した。
商才に優れ夫をよく補佐したという。同じく義尚の時代に死去している。
うむ、日本統一を為した後はアイヌ・琉球併合に向け進んでいくだけだ。わかっておるな?
はっ…お任せくだされ。まもなくアイヌは我が軍門に降りましょう。
1531年6月…
今は、ステート化したプロヴィンスのコア化に全力であたっております。
1533年9月…
1538年6月…
この時期は外征を控え、寺院や工房を各所に建造しております。また、試験的ですが出雲に工場を建設しました。
1540年1月…
統治アイデアの適応性が開発完了しました。これでコア化コストが25%引きになります。
よし…そろそろアイヌ人達に蝦夷地の真の支配者が誰か知らしめてくれようぞ。
1540年3月足利幕府はアイヌに対し宣戦を布告した。
これまで原住民征討はかなりやってきたが、れっきとした対外戦争は初めてである。
開戦から1ヵ月で幕府軍はアイヌ軍を殲滅しそのまま蝦夷地各地の包囲を開始した。
国力増強に邁進してきた足利幕府にとってこれまで蝦夷地で平和に暮らしてきたアイヌ人は敵ではなかった。
1541年1月アイヌは幕府に併合された。
よくやった。この後はアイヌ人の民心に配慮せよ。反乱を起こさせるなよ。
1550年1月
尾張を開発して受容させるようにせよ。軍事点を中心に使うように…
1553年11月
1555年3月
そろそろ神主(聖職者)を増やしたいと思っていたところだ。鎖国に振れる様にせよ。
1558年1月
うむ、テルナテもティドレもパプアニューギニアに入植を始めて目障りだからな…消えてもらおう。
足利幕府はテルナテに宣戦を布告し、同国領に侵攻した。
1559年12月
足利幕府はテルナテ併合後、すぐさまティドレに侵攻した。
1560年9月ティドレも幕府軍の猛攻に抵抗できず降伏した。
こうして足利幕府は新たに領土を獲得した。
噂では幕府は活版印刷の受容に必要な資金を得るため2国を侵略したとの事であるが真偽は定かではない。
1561年突如、一向衆が北九州一帯において蜂起した。
足利義視はすぐさまテルナテ侵攻軍を戻し蜂起を鎮圧しようとしたが途上、謎の窒息事故により急死してしまう。
これを好機と見たか肥後においても農民衆が一揆を起こした。
まずいな…すぐさま義澄を将軍にし、一向衆を鎮圧せねばならぬ…
足利義政は急ぎ足利義澄を呼び将軍職を継承させた。
第12代将軍足利義澄(4.3.4)の誕生である。
第五章 北伐将軍義澄とシベリア北伐