1482年 第二次モスクワ戦を執り行い、モスクワを分断する形でウラル方面への拡張を行います。
珍しい事に戦闘数0で戦争に勝利。
自国が主体の戦争であってもCold War(冷戦)実績の達成条件を満たせるものなのですね。
戦争後ライバルであったモスクワが弱体化した為かポーランドがキプチャクとの同盟に難色を示し始めたので、キプチャクとの同盟を破棄。
デンマークへの備えとして、まだまだポーランドとの同盟は維持しなければいけません。
1484年 モスクワ征伐で領土を接したOdoyevとKazanの強制併合を行います。
しかしながらこれ以上のハン国への侵攻は、スンニ派領土を改宗できない為停止。
宗教アイディアによる改宗強度+補正が待ち遠しいです。
内政へ力を入れている間に、ブランデンブルクがチュートン戦に自国を招いた為形式参戦。
この時点では軍事技術が5の為、欧州の軍事技術7国家へは勝ち目がありません。
ちなみにルネサンスの受容をしたのは1500年を過ぎてからですね。
主たる戦争相手が後進国の場合、技術開発をなるべく後回しにして広く浅く領土の開発へ君主点をつぎ込むのが筆者のプレイスタイルです。
さてブランデンブルクとポーランドがチュートンを制圧する様子をのんびり眺めていたら、港湾封鎖を行っていた交易船がうっかりミスでチュートンに沈められてしまいました。
領土制圧後は港から船団が飛び出す事を忘れていた為であり、油断大敵ですね。
チュートン戦に気を取られている間に、スウェーデンがイギリスと手を組みデンマークからの独立を果たしていました。
国力の下がったデンマークが自国へのライバル指定を解除してくれましたので、安全保障の観点からは喜ばしいですね。
西方では海戦で失敗してしまいましたが、東方ではモスクワ分断が上手く働きペルミでの反乱が広がっております。
1497年 予定とは違いモスクワではなくノガイからテングリ教permが反乱独立をしましたが、即宣戦属国化。
モスクワへのpermコアも残っているので、将来のモスクワ解体が楽になります。
1498年 宗教反乱が気になったので見てみたら、キプチャクの属国であったリャザンがいつの間にやら独立を果たしていました。
ロシア化ディシジョンの条件領土ですので、強制併合しておきます。
和平期間を見る限りでは、1480年代にモスクワがキプチャクから和平での属国解除を飲ませていたみたいですね。
2度もノブゴロドに領土を奪われておきながら、ハン国の侵攻を防ぎきれるとはモスクワの底力も恐ろしいものです。
未来の話ですが棚から牡丹餅は続くもので、1517年にはプロテスタントスウェーデンから宗教混乱によってカトリックサーミが反乱独立を果たしました。
こちらは外交属国化の後、併合します。
1501年 第3次モスクワ戦。
ペルミコアの回収は後回しにして、モスクワ本土を大きく奪い取ります。
そろそろキプチャクにモスクワ領土を奪われる事を警戒するべき時期ですからね。
軍事技術を7へ引き上げたうえでの、砲兵の集中運用による敵軍殲滅画像が記念に残っておりました。
共和制国家は1/1/4の軍事系指導者を君主将軍とできますので、乱数に恵まれますと戦闘面で楽ができます。
1509年 宗教ideaを採用し、聖戦CBが利用可能となったのでノガイへ侵攻。
ノブゴロドはインドを目指し、アラル海とカスピ海へ挟まれた細長い道を通り抜けます。
AI UzbekかSibirのどちらかがBukharaへの変体を果たしている事はなかなか見ごたえがありますね。
アラル海東岸まで南北に伸びる橙色の部分がBukharaです。
2番目に宗教ideaを選ぶ本プレイでは外征での停滞期間が長かったので、上級者の場合はスカンジナビア半島へ進出して国力を増加させる余裕もあるでしょうね。
征服内容ばかりを記しておりますが、交易プレイですので1517年時点でのノード比較を載せておきます。
世界で一番豊かな交易ノードはジェノアの26.32ダカット。前回比+6.79ダカット。
ノブゴロドは18.49-3.31の15.18ダカット。前回比+5.44ダカット。
……あれ? ジェノアの方がより豊かに成長していますね。
Kazanノードを支配したノブゴロドは豊かになりましたが、その分Outgoingも1.91から3.31へと増大していますのでそのせいでしょうね。
神は言っている、下流ノードで交易資金を吸い取るポーランドとブランデンブルクを滅ぼせと。
奴らは合計で2.15ダカットを奪い取っていると。
……よし、見なかったことにしよう。
ポーランドとブランデンブルクはノブゴロドにとっての大切な同盟国ですからね。
キプチャクとの領土紛争を控えている身としては、同じキリスト教徒とは仲良くするべきでしょう。
50年前よりも実績解除目標から遠ざかっているとの事実を突きつけられてしまいましたが、インドさえ手に入れればどうにかなります。
コショウ一粒黄金一粒。
毛皮を求めてシベリアをアラスカまで走りぬけるよりも、我々は香辛料貿易での一獲千金を目指したのですから。
ちなみに現時点でのノブゴロドの主要交易品目は毛皮と海軍軍事物質(材木)そして穀物であり香辛料のこの字も存在いたしません。あしからず。
1517年 第四次モスクワ戦を執り行い、モスクワ公国を滅ぼします。
1521年 デンマークに誘われutrecht戦へ形式参戦。
ペルミ併合後外交枠が空いていたのでデンマークと同盟を結んでいた為、オランダ方面への拡張へ誘われます。
ノブゴロド海軍は全て交易船であり、輸送船を保持していない為形式参戦の予定でした。
……3年たってもデンマークがutrechtへ強襲上陸を行わず、終戦の気配がない為賠償金を支払い単独講和。
単独講和によりtrustを失った為か、後年デンマークが自国との同盟破棄を通達。
元ライバル国との関係維持は中々難しいものですね。
スウェーデンへの牽制のつもりでデンマークとの同盟を狙っていましたが、失敗。
1527年 ポーランドに誘われキプチャク戦へと参加。
キプチャク領へのクレーム保持と興味のある地域指定をしていなかった為、領土は貰えず。
戦争自体はポーランドが1領邦を切り取っただけであっさりと終わりました。
1529年 ポーランドに誘われチュートン・スウエーデン戦へ形式参戦。
自国領土をスウェーデンに荒らされますが、要塞で粘っている間にリトアニア軍が支援へ駆けつけてくれた為追い払うことに成功。
今回もまた敵国へのクレーム保持がない為、領土は貰えず。
1531年 ノガイ征服 1領邦国家のノガイを滅ぼします。
1535年 第一次ブハラ戦
サマルカンドノード内の領土が欲しい為、ブハラから領土を削り取り始めます。
1539年 第二次ヒヴァ征服
交易の中心地サマルカンドを手に入れ、青の都へと入場を果たします。
1548年には植民地主義を受容しました。
1551年 第二次ブハラ戦
インドへの道をアフガニスタンが蓋をしていたので、ブハラを攻めて時を過ごします。
ティムールの保護下にない諸ハン国との戦いは消化試合でしたが、インド近辺になりますと同盟関係が複雑に入り組み始めて一筋縄では行きませんね。
1559年 統治技術が10となった為、ロシア化を行います。
ミッションを含めてロシア化のおかげでステップ・ウラル地域へのクレームが大量に手に入りますので、拡張が楽になりますね。
史実にてイヴァン雷帝が「全ルーシのツァーリ」を名乗りロシア・ツァーリ国を成立させたのが1547年ですので、やや遅いロシアの成立でした。
サマルカンド周辺地域を手に入れておりますが、Samarkandノードの支配率はまだ56%前後です。
交易の中心地はありませんが、ブハラとチャガタイの支配地域が多い為トレードパワー差が低いのですね。
自国領土の大半がterritory領域であり、自治率下限75%補正によりトレードパワーへマイナス補正を受けているせいでもあります。
ロシアへの変体を記念して、ここで商業共和制国家のもう一つの悩みを公開いたしましょう。
ずらりと並ぶ支配率0%文化の数々と、主要文化合計79%の歪な支配率。
これは文化転向を繰り返したからではなく、Novgorod・White Seaノード以外の土地は全てterritory領域で固定している為です。
商業共和制国家は共和国伝統へのマイナス補正回避の為に、states内領邦数を20へ抑える必要があります。
そして文化支配率の判定は、states内領土の開発度を元に算出されますのでterritory領域は0%判定となります。
筆者が人文主義ideaではなく、宗教ideaを採用した理由の一つでもありますね。
異文化の受容ができない為、人文主義の受容文化上限+1のidea効果に価値がない事。
異文化の受容ができない為、受容済み文化の改宗強度+2%補正が受け取れず改宗作業で苦労することが理由です。
では最後に1559年時点での、ノード比較を見てみましょう。
今回は時代の変化が順位へと大きく影響しております。
まずはBeijing・Bengal・Goaと未発見の為統計に乗らなかった非欧州地域がランクイン。
そしてConstantinopleの大幅躍進が目につきます。
世界で一番豊かな交易ノードはジェノアの25.25ダカット。前回比-1.07ダカット。暫定1位を辛くも維持。
ノブゴロドは20.13-4.16の15.97ダカット。前回比+0.79ダカット。暫定3位から暫定5位へ後退。
ジェノアの豊かさがマイナスへと変化しております。
前回との差を詳しく見ますと、ジェノアのLocalは増大しましたがIncomingが減少していますね。
オスマンがシリアを征服した為、Aleppoノードの富をConstantinopleへ吸引。
またエジプト地域への影響力が増えた為、Alexandriaノードの富をもConstantinopleへ吸引。
下流ノードであるジェノアへのAlexandriaからの交易流出が受け取れなくなったのでしょう。
Constantinopleのoutgoingは0.99ダカットとほぼ全額をオスマンが吸い上げております。
よってConstantinopleの下流域であるRagusaへ資金が流れ込まず、より下流であるWienもランク外となるほどノードの豊かさを失います。
ゲーム上での交易の流れを見ると地中海からエジプトへと向かう東方貿易がオスマンによって支配され、ヴェネチア・ジェノバが没落した史実が上手く再現されております。
一方では新大陸の富を吸収し始めたSevillaが豊かさを増やしており、Incomingは前回比17.35-9.23=+8.12ダカットの増加。
第2発植民国家の主要交易拠点であるEnglish ChannelのIncomingは前回比8.28-5.31=+2.97ダカットの増加。富がさほど伸びてはおりません。
北米の開発はまだ途上である事が読み取れます。
没落する地中海と新興国の争いへノブゴロドはどこまで食い込めるのか?
次のライバルはConstantinopleかSevillaか。富を求める欲望の領土拡大はまだまだ続きます。