Spain戦後、ヨーロッパ情勢を掴み切れていないJapan/Qingから問い合わせが来た。
Qingは、話しの中でJapanとSpainが繋がっている事に対して
あまり良く思っていなかった事を打ち明けた。
詳しい事情は分かりかねるが、QingとSpain間では西欧化の交渉は決裂したようである。
一方で、Spain/Japan間は仲良さげの雰囲気が漂っており
何かをきっかけに攻め入ってくるのではないかと心配していたようだ。
西欧化の手順を今一度確認しておきたいと感じ、聞いてみると
どうやらRussiaと接触し次第、西欧化を開始する予定のようだ。
一瞬「それRussiaがそのまま攻めたらどうすんのよ。」と思ったりもしたが
余計なお世話だろうし、口にはしなかった。
同時にJapanからも問い合わせがあり、Spain戦後の欧州情勢を聞かれた。
その質問内容は、情勢を聞きたいというより
Ottomansがこれからどう動いていくかを探っているようにも感じられたので
そちらの内容にはわざと触れず、大局的な情勢のみを説明するに留めた。
Spainが掌握していた利権をどう分割するかに話は移り
「適当で良い」と伝えると、Zanzibarトレードノード全域をOttomansに譲ると言い伝えてきた。
ご存じの通り、ZanzibarトレードノードはMalaccaトレードノード下流に位置し
そのMalaccaトレードノードはJapanの貿易戦略に於いて重要な地点となっていた。
Ottomansは公然の場で「貿易は捨てる」と明言し続けていたので
流出を防止する為、Japanが持っていくものとばかり思っていた。
もしかすると
貿易を捨てる→という事はMalaccaから貿易を引っ張らない→Zanzibarトレードノードを譲っても問題無い(←いまここ
といった図式が脳内で繰り広げられていたのかもしれないが、本意は不明のままである。
ともかく、JapanはOttomansに譲歩する事で
必要以上の軋轢を生みたくないor友好を維持したい様子だし
何より、Ottomansとしては受けと言っておいて損のない利権なので、ありがたく頂戴する事にした。
話しの終わりに、Japanは反乱鎮圧協力の礼を述べた。
プレイ中にも散々感謝をされ尽くしたようにも思えたが
反乱まみれでへし折れそうなところを、地中海から艦隊を引っ張ってきたのが感動的...だったのかもしれない。
Japanは恩義を感じたのか次の様なことを口にした。
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「今、何でもするって言ったよね...?」と喉までこみあげた言葉を再び体内に引っ込め
一般的な返しを行い、会話を終えた。
以前、Austria=Ottomans間では、RagusaトレードノードはOttomansが領有するという内容で批准をしていた。
その内容を忘れてしまったのか、AustriaはHungaryを全土領有していた。
Hansa戦後では確実に割譲してくれないだろうと思い
Austriaに条約履行を願い出ると、あまり乗り気ではない様子である。
解凍地域にコア化や文化転向に君主点を投じたばかりか
内政用の建築物をほぼFullまで立てていた事が原因ようだ。
すかさず、「利権内容はAustria側からの提案」「自身で覆すのは不誠実」等とご託を並べ
Hansa戦一色で染まっていた対Hansa包囲網チャットを指さしながら、利権履行を願い出た。
かなり返事を渋るも、結局はHansa戦が目前にまで迫っている最中に
Ottomansとの関係をこじらしたくないと思ったのか、批准してくれた。
傷口に塩を塗るとはまさにこのことである。
Spain戦で散々不可侵が邪魔立てしたにもかかわらず、Mughals/Russiaから1650年まで不可侵延長の申し出を受けた。
この際、何故かAustriaからは寄せられなかった。
Hansa戦に関連する条約に於けるOttomansの役割は、Russia/Mughalsの2ヵ国に行軍権さえ発行していれば問題ない。
以前、同条約について触れた際に述べた"条約の穴"とは、正にその事で
Ottomansは対Hansa戦に参戦義務を負っていないし、包囲網諸国への宣戦を禁じられていない。
結果から触れると、OttomansはMughals/Russiaからの申し出を受理した。
何故ならば、Austriaに宣戦さえ出来れば問題無いからである。
懸念材料は、France=Austria間に存在する1650年までの同盟維持(不可侵)条約であり
FranceはAustria側で戦闘に参加することは無いが、Hansa/Ottomansだけではいささか心もとない。
1600年ごろに始まると予想されるHansa救出戦から
1650年にFranceが駆けつけるまで、最低でも2戦は凌がないといけない。
"ボロ負けはしないが、勝ち目はない"というのが見立てではあるが
なるべく傷を軽く済ませる為にも、もう一つ対策を講じるおきたいところである。
Hansa救出戦時の負担を少しでも軽減する為、更なる思案を練る事にした。
古来より密造を続けてきた残る秘術(ローテーションやTradition稼ぎがそれ)をすべて開放し
戦局を有利にする事も一つの手ではあるが、戦略レベルでの不利は覆しようがない。
QingやJapanに助けを求める事も考えたが、両者とも国力は未熟だし
今はプレイヤー間戦争をするよりも、自身の利権を回収したいに違いない。
Moroccoを呼ぼうにも、何の利益も提供出来ないどころか
棺桶の呼び声と捉えかねなく、むしろ裏切られる可能性があった。
さてどうしたものか...。
そんな折、Hansaから連絡があり、一つの提案を受けた。
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対AIでは、講和内容で属国化項目が100点を超える場合、講和内容に追加できないシステムになっている。
筆者は、ver1.6でプレイヤー対プレイヤーの場合に於いてもそれが適応されるよう
修正が入ったと記憶していた。
しかし、実際にグランドキャンペーンスタートで適当な国に入って試してみるとあら不思議
戦勝点要求800点以上ある国を属国化出来るじゃない♪
Hansaを属国化させる事で外交主導権は宗主国に渡り、宗主国の外交状態が適用されるという事なのだろう。
Hansaから「Austria/Russia/Mughalsの3ヵ国と不可侵を結んでいる国は無いか」という問いかけを
4ヵ国チャットで行っていたが、丁度その3枠にリーチが掛かっている国がここに居るではないか。
そんな事は知らないHansaは、必死に呼びかけを行う。
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個人的には、あれだけ非難を浴びて精神的ダメージを負ったFranceに
これ以上の重責を担わせるのもなんだかなと思っていたので、ちょうどよかった。
彼らには黙ってはいたけど、Austriaとの不可侵を結んでいなかった。
すぐさま、Austriaに1650年まで不可侵延長の話を持掛けた所、快く了承してくれた。
OttomansがHansa戦に協力的だと、錯覚しての事だろう。
後は、彼らが驚く姿を思い浮かべながら、時を待つのみである。
Hansaを属国化すれば、対Hansa包囲網諸国との関係は険悪になる事が予想される。
そうなれば、彼らと既に利益確定してある地域を犯される心配も出てきかねない。
という事で、Austria/Russiaと交わした利権地域の回収に移る事にした。
AustriaからはRagusaトレードノードの残りプロビを売却して貰い
完了し次第、Gorden Hordeに宣戦布告を行った。
Gorden Hordeは飛び地を有しており、戦勝点を稼ぐのが若干面倒であった。
Russiaから行軍権を貰い、余すことなく占領を行い難なく割譲を終えた。
続いて、Poland/Lithuaniaに宣戦布告し、北方利権の確定を済ませに行く。
散々殴られ続けて弱っていたのか、主だった抵抗もなくスムーズに事は進んだ。
Russia=Poland/Lithuania間で和平期間が失効するらしく、戦半ばRussiaも別途宣戦すると通達してきたが
Poland/Lithuaniaの利権を取り切るのに十分な地域は占領を済ませていたので、好きにして良いと伝えておいた。
この戦争で、Moldavia/Lithuaniaから領土を割譲させ
残す既得権益はアラビア半島と東アフリカ地域のみとなった。
北方利権確定に伴い、Russiaより以前の利権ラインに従い
Dagestanを売却して欲しいと要請を受けた。
意識的に取得したものではなく、恐らくはShiravanを呑み込んだ時に
ラインを越えてしまったのだろう。
特別なこだわりも無かったので、即座にRussiaへ売却をしておいた。
Hansa救出戦まで、残すところ10年。
あまりに暇だったので、Warsangaliを征服しつつ
Army Traditionを稼ぐことにした。
Warsangali/Marehanに宣戦した所、同盟国がわんさか釣れるも
テクノロジーの差が顕著で相手にならない状態であった。
この地域の面倒なところは、Tax1/Grainという何の価値もない1プロビに対して
只管45 Dip Point(Claimで安くはなるけど)を払う必要が出て来て鬱陶しい点である。
そのTaxの低さゆえ、一発併合が出来る国が多いのも利点ではあるが
今回はWarsangali/Etiopiaが肥大化していて、2回に分割して殴らないといけない状態だった。
まぁ、開始時にBerber Ideaグループを只管征服し続けるほかなかった
Moroccoと比べれば気は楽なんだけど...。
属国化するにはあまりに育ちすぎていたので
一部を割譲・コア返還し、次回に持ち越す事にした。
http://kura3.photozou.jp/photo/show/3096919/217674484
戦争が一段落し、コア化を終えた頃
年月は1597年を示していた。
Hansaに連絡を取り、1599年頃にInsaltを送って貰い宣戦する事を再確認した。
その一方で、対Hansa包囲網チャットでは
Hansa戦を1601年頃に行う事を確認し合い、無邪気にもじゃれ合っていた。
目の前に広がる巨大利権に興奮を堪え切れない様子で
以前示していた「他の人が言うなら...。」スタンスは忘却の彼方へと過ぎ去ってしまったかのように思えた。
予想通りバーストする、Austriaの月間収入。
Ottomansに追いつきつつある、Russia/Mughalsの国力。
遂に、歴史の裏と表が一つになる瞬間がやってきた。
既に滅亡したEnglandとSpainの分まで、存分に微笑み返すが良い。
Hansa救出戦を実行した際、対Hansa包囲網諸国が条約を破棄して
なだれ込んでくる可能性があったため、OttomansはFranceと同盟(システム)を結ぶ手筈を整えた。
もし仕掛けてくるならば、Franceが参戦する大義名分を得る事になるので好都合だ。
続いて、HansaにInsaltを送って貰い、宣戦を行った。
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Russiaは異変に気付いたようだが、Austriaは未だにHansa戦の準備を続けているようだ。
直後にHansa/Ottomans間は講和し、無事Hansaを属国下位に収めた。
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Russiaは、戦争の経緯や即時和平を行った理由をVCで問いかけを行うも
Ottomansはそれを黙殺し続けた...というか、ニヤニヤが止まらなかった。
しかし、RussiaがOttomansの外交画面を見た時、VCに戦慄が走った。
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足掻き、苦しみ、そして絶望するが良い。
すべてを知った時、もはや手遅れであることを悟る他ないだろう。
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【オスマン対ハンザ条約】 1.オスマンはオーストリアの対ハンザ戦争に関してハンザ側での参戦を禁止する。 2.オスマンはムガル、ロシアに行軍権を発行する。 3-1.オスマンはロシア、オーストリア、ムガルの対ハンザ参戦国への宣戦を戦後50年禁止する。 3-2.尚、戦後50年上記三カ国に宣戦した場合ロシア、オーストリア、ムガルは即座に対オスマンを施行する。 4.他国に上記の内容をリークすること、あるいは内容を示唆する行為を禁止する。
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決まった...。
この上、戦争に踏み込んでくるのであれば、関係国をすべて参戦させて撃滅せしめるだけである。
しかし、相手は折れた。
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Russiaが矛を収める一方で、押し黙っていたAustriaがゆっくりと口を開いた。
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対ハンザ分割条約 ・ポーランド領シェラツ、Sjealland以南のハンザ領リューベック、アイスランド、ザクセン、スコットランド及び北海ノードの孤島をオーストリアの利権範囲とする。 ・バルト海ノード、ノルウェー、Sjealland以北のリューベックをロシアの利権範囲とする。 ・モルダヴィア領ベッサラビアをオスマンの利権範囲とする。 ・ロシアは北海及びリューベックノードに商人を配置してはならない。 ・ポーランドはシェラツ、ポドリアを除き中立地帯として、宣戦布告からクレーム作成までありとあらゆる外交行為を禁じる。
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まったく見覚えのない条約だった。
1~4日の間に意識混濁を繰り返している最中、気が付いたらサインをしていたものかと思い
念のためにどこで批准されたものか確認する事にした。
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ログを見てみると、確かに対Hansa包囲網チャットにそれはあった。
しかし、何故かOttomansの記憶にはそれが存在しない。
再び勢い付いた対Hansa包囲網諸国は、一気に押しの姿勢を見せ始めた。
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そう言うと、Russia/AustriaはSweden/Lithuaniaへ侵攻を開始した。
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次々占領地に染まっていく旧Hansa利権を前に、成す術も無く眺める他なかった。
いささか取り過ぎじゃないかと思えるほど、ガッツリ利権を奪う所を見るに
何か急いでいたようにも思えた。
持ち逃げされる利権とは別に、上記条約では放置された地域があった。
それがPolandの大部分を占めるKrakowトレードノードである。
PolandがAristocratic Ideaを取ったからなのか
はたまた、AustriaとRussiaが直接国境を接したくないからなのか分からないが
該当地域については文字通り中立地帯として放置されていた。
Hansaを属国にしたとはいえ、割譲orプロビを売却して行く形で
領土拡張をして行く事も可能であった。
OttomansはHansaに連絡を取り
Austria/Russiaらに侵略の動きが無い場合は、取得しに行こうという事で合意した。
Espionage Ideaで数年間監視を続け、対Hansa包囲網国に戦意が無い事を確認した上で
完全に死に体になっているPolandへ攻め入った。
Poland側に軍隊は残っておらず、ただの塗り絵状態の後
軽々と全土併合し、Hansaにプロビの売却をしていった。
南北の接合部分1プロビをPolandに売り渡してしまうという
ミスを犯してしまうも、大局的には何ら影響のない事案である。
和平期間明け、再びWarsangali/Marehanの属国を目指して宣戦した。
今度もまた、包囲網やら同盟国を大量に引き連れてきたが
そのほとんどがArmy Traditionを微量に積み上げるのに貢献する程度で
目立った抵抗は見られなかった。
該当地域の占領を終え、Warsangali/Marehanの属国化で講和を行い
Zanzibarトレードノードへの進出準備は整った。
対Hansa包囲網諸国に目立った動きは無いかと
のんびり外交チェックを行っていた所...。
あれ、Warsangaliってこんな国旗だったっけ・・・?
シングルをまったくやらない筆者は
新Verで続々と追加されるマイナー国家をまったくと言っていいほど覚えられていなかった。
国際情勢が緊迫する中で、各国にスパイを飛ばしながらの作業であった為
焦ってしまったというのが、当方の言い訳である。
まぁ...停戦明けにWarsangliを殴ればいいし...。
RussiaがBaltic Seaトレードノードの利権を掌握する一方で
どうにも先の条約が納得できないOttomansは、チャットログを洗いざらい読み返していた。
すると、驚きの事実が発覚した。
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Russiaはログを見て青ざめた様子だった。
実は、締結されたオスマン対ハンザ条約には続きがあったようなのだ。
Ottomansが会話に参加しない(寝込んでた)まま、会話が3時間程繰り広げられており
いくつもの条約が提案・締結を繰り返し、合意した内容に肉付けが図られていたのだ。
病み上がりに、さらっとログを見返そうとしたが
あまりのチャットログの多さに、読み飛ばしまくっていた。
上の条約はまさのそのログの中に存在し、Austria/Russia/Mughalsは
Ottomansが批准した条約以外のモノもすべて批准したと錯覚していたようだ。
それを知った時、5秒位息を吐き続け呆然としてしまった。
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正直な所、とても遺憾であった。
嫌疑こそ晴れたものの、旧Hansa利権の大部分はRussia領となってしまったからだ。
先方は「Ottomans側が了承したから取得した」という主張を繰り返し
その姿勢を崩さなかった。
OttomansとRussiaがHansa利権回収の舌戦を繰り広げる一方で
計画瓦解に戸惑うAustriaは、周辺国との関係改善を試みていた。
それは、晩年の武田勝頼にも等しい外交情勢であった。
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考えてみれば、今回のHansa戦を提唱したのはMughalsであった。
しかし、Austria/Russiaらが賛同したのは事実である。
形はどうであれ、実行寸前までに反対をしなかった辺り
Hansa領を本気でほしかった証拠でもあるし、今更Hansaが彼らを許す義理は無いだろう。
しばらくして、Russiaから1:1チャットで抗議が寄せられた。
Hansa戦の会話で反対をしてくれたら、こんな事にはならずに済んだというのだ。
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筆者とRussiaの中のプレイヤーは、古くからマルチに参加しては激突を繰り返し
意見をぶつけ合わせてきた、ある種の好敵手の様な仲となっていた。
それゆえ、Russiaが言葉にもならない感情をぶつけてきた理由も
本当に言いたい事も大体察していた。
お互いに一つの目標を共有してはいるのだが
如何せん、プロセスとロジックの部分が相反する間柄なのだ。
これを機に、今回も両者は別々の道を歩み始め
遂に交わる事は無かった。
ゲーム終了後、Ottomansは再度Russiaへ旧Hansa領の返還を通達したが
責任の所在はこちらにあるの一点張りであった。
利権協約を破ったRussiaに対し、こちらも破る用意があるとゆさぶりを掛けるも
まったく動じない様子だ。
当然である、それがMughalsやAustriaならまだしも
相手がRussiaとなれば攻めるのは困難極まりないし、その事を見越した上での強気発言なのだろう。
逆に、どうしたら従来の利権を返却する用意があるのかと問いかけると
「ここから先は、Hansaさんを加えて交渉をしましょう。」という返事を受け取った。
―――――――――――――Austria/Russia/Hansa/Ottomansチャット―――――――――――――
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何かを待つように押し黙る参加者達。
沈黙を破ったのは、Ottomansであった。
―――――――――――――Austria/Russia/Hansa/Ottomansチャット―――――――――――――
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Crimeaにこだわりがあった訳でもないので、譲渡してもよかったのだが
ここはHansaに任せる事にした。
あまりに悪条件であれば、もう一度交渉に介入すればいいだけの話である。
バルトノード売却交渉・改訂版 ハンザはロシアに8000ダカットを送金する。 内訳は、前金として4000ダカットを任意の期間にロシアへ送金し、ロシアはスカンディナビアのバルトノードにあるロシア領を売却する。 残りの4000ダカットは、ロシアがポロツクを併合後、ロシアのバルトノード全域返還と同時に送金する。 ハンザは今後一切、白海ノード・ノヴゴロドノード・キエフノードに商人・交易船・私掠船を送らないこと。
結局、Russiaはこれ以上の対立を招きたくないとの考えからなのか
比較的柔らかめの条件に引き下げを行った。
これには、Hansaも満足げの様子であった。
何はともあれ、救出作戦は成功である。
ホっと胸をなでおろすと同時に、Austria/Russiaらとどう付き合っていくかという
新たな問題に向かわねばならなかった。
狂い始めた世界 (1619年-1652年へ続く...。