周辺国に荒らしまわられたSpainはアフリカ周回のプロビや南米への進出で
他の海洋国家、Great BritainとNetherlandらの国力差は追いつかれてしまった形だ。
しかし、現状で周囲3ヶ国が結託している状況が続く限り
新たな外交ルート開拓が必要となるのは間違いないだろう。
Netherlandは、南フランスの獲得に成功し
南北新大陸に「ORANDA」「ORENOORANDA」という謎めいた植民国家を建国した。
それに伴い、それまでお世辞にも強いとはいえなかった海軍力は強化され
徐々に海洋国家として国力を付け始めている。
OttomansはUnify Islamを達成し、Bulchistanらのインド諸藩を属国に収め
インドへの進出を加速させつつある。
シベリアをRussiaに取り上げられたMingは、無事西洋化を達成し
技術もあっと言う間に先進国にまで上り詰めた。
現在は、対岸のOttomansとインド進出レースを繰り広げており
先の戦いで受けた進出の遅れの取り戻しを図っている。
シベリア統一(ただし、カムチャツカを除く)を成し遂げたRussiaは完全に安定期に入り
残す利権の回収をしつつ、内政をして時間をつぶしていた。
かつて、Austriaを2度にわたってボコってきた因縁のPoland=Lithuania=Bohemiaの3ヶ国同盟に
引導を渡すために、Austria=Russia共同で攻め入ることにした。
Russiaの圧倒的軍事力を前に、3ヶ国はひき殺されてThe Endかと思われた。
しかし、バグなのか、はたまた操作ミスだったのか
宣戦布告後に30k×2の軍団が遥か東目がけて突撃を開始し、あっと言う間に殲滅されてしまった。
質ド返しの物量戦主義のRussiaにして60kの損失は非常に痛い...。
Russiaの不甲斐ない立ち回りをする一方で、Austriaは自領で奮闘し
なんとか攻め入ってきた分は追い返しているが、かなりつらそうだった。
それもそのはず、3ヶ国合わせて120k近くの戦力を有していていたのだ。
これ以上、泥仕合にお付き合い頂くのも何かと不憫な思いをさせてしまうと考え
旧Hesse領を欲しがっていたNetherlandと手伝ってくれると名乗り出ていたOttomansをCtAで呼び
何とか講和に漕ぎ着けた。
平和な期間にうんざりしつつも、内政に勤しんでいると
Great Britain島で清教徒革命が勃発し、VCを賑わせた。
しかし、万全の体制のGreat Britainを前に沸いたが運の付き
本土に控えていた軍団に瞬殺され、Cromwellはあえなく御用となった。
この時、Spainが「お、Support Rebelsしようと思って開いたら反乱者Oliver Cromwell だ」と
発言した事で、Great Britainの怒りを買い、新たな火種が生まれてしまったように思えた。
定期的にLithuaniaからSupport RebelsをされているとPOPが出てイラっとしたため
和平明けに直ぐさま宣戦をこなった。
相も変わらず、Poland=Lithuania=Bohemiaの3ヶ国でつるむも
今回はあいにく軍の暴走()も起きなかったためにあっと言う間に殲滅
Ukraineのコアプロビ返還と同盟切りだけで講和をした。
コアを完全に回収したUkraineは
残念ながら数年後には属国併合でRussiaの血と肉となって頂く予定だ。
Portugalが北米Netherland植民地(ORENOORANDA)とのの植民地戦争に介入し
Spainがそれに参加した事で、Great Britainが激しく抗議をした。
現在、PortugalはGreat Britainが保護+同盟を結んでおり
Spainも同盟を結んでいる状況にある。
しかし、何故かGreat BritainではなくSpainだけに同盟参戦要請を送ってきたようで
北米でのPortugal植民地増大に力を貸そうとしていると脅威を煽る。
当事者のNetherlandは「別によくね?」と何故か諦めムードであり
「同盟参戦断ったら同盟切れるし仕方ない」と理解を示していた。
VCで内政について、OttomansとMingの会話が弾んでいた頃
Russiaの元にド偉いPOPが表示された。
死にかけAI国家オールスターズがNetherlandに殴り掛かり
Netherlandが救援要請を送ってきたのだ。
何故だったか、いつからだったのか
理由は忘れてしまったが、Netherlandの同盟国はRussiaだけになっており
AI国家らは「Ah この同盟国家程度なら楽勝wwwうぇ」と判断したらしい。
この動乱に対して、OttomansとGreat Britain、さらにはSpainも同盟を再度送れるよう
関係修復を開始したが、VCではNetherlandの悲鳴が響き渡っていた。
急いで全軍をスカンディナビア方面とNetherland本土に送り込み
事態の収拾を図ろうとするも、既に現地ではNetherland軍は壊滅してしまっていた。
幸い、Russiaは万全の体制であり、敵側の戦力を軽く蹴散らすことは叶ったが
同盟締結後に参戦したGreat Britainの動きがなんだかおかしい。
というのも、Netherlandを助けに行く訳ではなく
スカンディナビア半島の2プロビを占領してさっさと帰ってしまったのだ。
同盟国ってそんなのだっけ・・・と思いつつ、Franceの本軍を溶かした頃に
Ottomans軍もようやく到着、南Franceに居た残存兵力を壊滅させ、終息へと向かった。
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締結に伴い、Great Britainが占領した2プロビを要求し「ん?」と若干思ったが受け流し
後はNetherlandとRussiaの占領地域を戦勝点分要求して講和をした。
この際、Russia側の確認ミスで、Bourbonnaisを占領していたのがNetherlandと思っていた場所が
実はOttomansが成した事で、該当地域がOttomansの手に渡り
更には内陸非コアプロビであった為に割譲も行えず、属国独立→解放を行った。
しかし、OttomansがUnify Islamを達成していたことで改宗成功率-2%がプロビに乗ってしまい
Netherlandの手に渡ったところでTaxの高さも相まって改宗が出来ず、阿鼻叫喚状態になっていた。
申し訳ない...。
未だにPortugalに関して言い合いを続けていたGreat BritainとSpainであったが
遂に戦争状態に突入してしまった。
理由は、少し前にPOPで出ていたSpainの対Great Britain破門であり
それまで散らしていた火花が、一瞬にして怒りの炎に変貌したようである。
Netherlandは、袋叩きにあっているときに助けに来なかったことを引き合いに出し
Ottomansも参戦こそするも、両者とも積極的に攻め入らないと明言した。
MingはSpain側で参戦したが、もしSpain側に軍を軍事支援をする動きを見せれば
即刻、RussiaとOttomansが軍事介入を開始すると脅迫した。
このタイミングにして、Franceが北米植民国家同士の紛争にEnforce Peaceを使って
Spainと戦争状態に突入し、事態をことさら悪化させたのであった。
思わぬ援軍に、Great BritainのテンションはMAXにまで跳ね上がるが
SpainはFranceにコアプロビを返還して、さっさとご退散願ったようだ。
開戦早々、海上ではGreat Britainが奇襲攻撃によりSpain海軍を壊滅へと追いやり
戦いの部隊は陸上戦へシフトしていった。
意気揚々とSpain本土に攻め入ったGreat Britainであったが、陸軍系のIdeaをあまりとっていなかったせいか
イベリア内部で態勢を整えたSpain軍に押し返されてしまった。
この時点までは、Spain側が圧倒的に戦勝点で勝っていたが
Bordeauxの占領に従事していたSpain軍が壊滅したり、同君下位のNapleが
Ottomans軍に謎の突撃を敢行して全滅したりで、時と共にその優位も次第に失われていった。
とはいえ、講和に達する程の戦勝点を双方獲得することが出来ない状況を前に
Great Britainは「こちらが現状勝ってるから、まだ講和に応じない」とSpainからの白紙和平を跳ね除けた。
いつまでもにらみ合いを続けるOttomans/Ming/Russiaであったが
さすがに、厭戦が減らないなどの弊害が起き始めてきたので
3か国とも戦争から退こうという提案がなされた。
Netherlandが「Mingなんて、別にヨーロッパに来れないし、来た所で勝てるだろうし余裕っしょ」と言ったことで
一瞬、Mingの闘争心に火がついたように見えたが
しばらくしてNetherlandが謝罪したため、事なきを得た。
この3か国は何のために参戦したのかわからないまま白紙和平を行い
Great BritainとSpainの喧嘩は、その後数年に渡って継続されるのであった。
ここへ来て、戦勝点20%を行ったり来たりすることで
戦争が永遠と続くという、現状のルール規定が問題視された。
というのも、戦勝点20%以下を5年間維持するか
50%以上獲得しないと延々と戦争がだらだら続き、勝手いる方はいず知らず
負けている方はその間何もできず拘束され続けられるということが発覚したのだ。
いや、最初から気づけよって話かもしれないけどさ...。
2014/3/25 以前、戦争ルールの項 ・戦争開始より5年が経過し、戦勝点が20%以下であった場合は白紙和平を行う。 ・戦争で一方の国が99%以上の戦勝点を取った場合及び、50%の戦勝点を取った状態で3年が経過した場合 戦争が決着したものとして戦勝点分の要求を飲まなければならない。 2014/3/26 改定、戦争ルールの項 ・戦争開始から10年経過した時点で、強制的に講和を行う。 ・戦争開始から5年経過した時点で 戦勝点がプラスの側は、任意のタイミングで戦勝点分の講和を行うことが出来る。
さすがに同様の事案が発生すれば、それこそマルチの戦争が破綻してしまうのでルール改定を行い
新ルールの適用は次の戦争からということになった。
つまり、今回の英西戦争は双方で何かしらの妥協点を見出さない限り
いつまでも続くため、和解が求められるのだ。
結局の所、スコア上負けていたSpainが折れて
本土のいくらかを割譲して講和したようだ。
Spainですら手も足も出ないほどの海軍力を保持しているGreat Britainを前に
もはや、味方に付けた方が制海権を確保できるレベルになりつつある。