Q1.何でタイトルが八・九日目なんですか? A.何かの拍子でSSを消してしまい、ついでに脳ミソからその日のプレイ内容が消失してしまいました。 他のプレイヤーにも聞いたところ、何も覚えていないほど何も起きなかった日のようです。 Q2.手抜きですよね? A.いいえ、違います。 プレイ時間も1時間30分と実質20年しか進まなかったこともあり、本当に何も起きませんでした。 Q3.手抜きですよね?(威圧) A. ...。(死んだ魚の目) Q4.あっ A.(察し)
・旧大陸で主力が壊滅したIroquoisがUSAに戦争を吹っかけられ、あわや大惨事寸前にまで発展した。
・前Ottomans戦の条約内容通りの領土割譲が行われた。
・VCに謎のオーストラリア人が訪れ、Great Britainが「オーストリア植民待ったなし」と発言し『Send an Insult』を行った。
狂犬Franceと野心に燃えるGermanyが仲良く執政期間中な為、しばしの平和な時が流れた。
Franceは八日のプレイ終了時にTuscanyがVeniceに対して戦争を吹っかけていたので
それに便乗参戦している状態からスタート。
颯爽と陸軍をVenice領に流し込み、屍の山を築いてさっさと帰国した。
最早この時期になると苦戦するほどのAI国家が残されておらず
ただの塗り絵に成りがちなのだ。
その間、Iroquoisが全世界に向けて対France包囲網を呼びかけていたが
先のOttomans戦の影響で陣営が定まった為に、康応する動きは最早皆無だ。
この時の教皇庁がIroquoisによってコントロールされているのも合わさり
宗教の時代から帝国主義へと移行しつつあるというささやかな皮肉にも見て取れた。
「一時の平和は最も精力的に外交が繰り広げられる期間だ」とどこかの偉人が言っていたがまさにその通りで
この時、水面下ではフラグの回収をしに戦端を開こうとする動きがあった。
この年のSt.Petersburgは8月だというのに、記録的な大雪に見舞われた。
公会場ではツァーの慈愛により炊き出しが行われ
下級貴族の子らや地方から農作物を運び入れに来た商人でごった返していた。
普段販路を行きかう馬車が積雪を前に立ち往生しているのを目撃した通行人らは
力を合わせやっとの思いで窮地から救い出した。
いつもと違う生活、そして風景。
だが、今年はあまりにも違いすぎた。
遠くで誰かが叫んでいる。
市民「おいあれを見ろ、屯田兵のコサック達が息を上げて入城してくるぞ。あいつらはいつもせかせかしているな」
守衛「いや、あれは...。」
数刻もしない内にSt.PetersburgはGermany強襲軍により制圧され
クレムリンに住まうツァーもあわや捕縛されるすんでであったと後年の歴史書物では記載されていた。
参戦国 | |
アーリア同盟 | ロシア帝国 |
---|---|
Germany | Russia |
France | Great Britain |
Mugharls | Iroquois |
一体何が起きたのか、恐らくそれはRussia自身が一番理解できていなかったに違いない。
事前に手に入れておいたIngermanlandを橋頭堡として
宣誓無しにGermany軍がSt.Petersburgに侵攻、即時陥落させてしまったのだ。
それに加え、当初の計画通り背後からはFrance軍が続き
ウラル=アルタイ地方ではMugharls軍がヨーロッパ側とアジア側の補給戦を分断させた。
計画との大きな違いは、当日のCommonwelthにはプレイヤーが不在であり
前戦力をRussiaにぶつけることが適った点か。
完全な奇襲にする為に、RussiaとGreat Britainらが同盟を結んでいたCommonwelthや
Russiaの保護国であるChagatai付近1プロビには近づかない形で軍を潜ませ
戦端が開かれてから前線に駆けつけるというスタイルをとった。
Great Britainが何故Russia側で参戦したのかは条約関係のようだが
戦闘には参加する気配は無く、観戦に終始していた。
この事態にRussiaとの同盟関係にあったIroquoisが遅れて参戦をしたものの
もはや大局を覆す要因にはならなかった。
理由は2つ、1つは大西洋への入り口のSt.MartinがFrance領の為
2つ目は単純にIroquois陸軍はまだまだ未成熟であるばかりか
下手に本国から兵力を運び出せば、FranceはUSAを使ってIroquois本土をボコボコに出来たのだ。
対Russia戦は起こるべくして起きたと言っても過言ではない。
前回のOttomans戦の際、対Russiaに対する講和内容が甘かったのは
Germanyの中ではスカンディナビア利権を巡って「もう一戦やる気」だったからだ。
それに加え、Mugharlsは明の利権を巡って未だ解答を得れておらず
FranceとしてみればRussiaはIroquoisサイドの対Franceの重要なファクターなのだ。
これら3国が抱える対Russia構想が合致し、今回の包囲網が形成され
今回の戦争が引き起こされた形だ。
再び戦況に話を戻してみる。
今回の作戦では、主な戦闘はGermanyが請け負い
Mugharlsはウラル=アルタイラインの構築によるRussiaのアジア方面軍との寸断
FranceはMugharlsのサポートと一番ド底辺の占領が主な仕事であった。
Russiaの貧しい土地でFranceが占領作業を行う点に関しては
過去にGermanyに助けられた恩があったのでその役目を求められた時に快諾した背景があった。
無論、予想通りManpowerとTresuryがゴリゴリ減っていくがこれで恩が返せるなら安い物だと思っていた。
元々ヨーロッパ側に居たRussia陸軍の大部分は開幕の戦闘で壊滅していたが
残存兵力が封鎖に加わっていたFrance軍を突破してアジア側に逃げ込む場面も見られた。
しかし、既に封鎖は完了しており
Mugharlsがよそうよりも多いほぼ全軍を投入してくれたことでRussiaのヨーロッパ方面奪還は厳しい状況であった。
Iroqupoisはというと、本国の兵力をRussiaのアジア側の港には運ばず
本土でじっと戦況を見つめている様子。
途中、あまりに仕事が無かったFrance艦隊で貿易艦隊を襲って見せたりしたが、一向に動きが見られない。
海軍モラルが低いのは賃金をケチったままになっていたからで
この海戦は勝利しているのでご安心ください。
筆者はこの手のミスを頻繁に犯す。
恐らくIroquoisはOttomansの参戦を促していたに違いないが
実は参戦のトリガーを既にFranceは把握しており、事前に芽を潰すことに成功していたのだ。
ヨーロッパ側のRussia領が陥落してから数ヶ月
未だにスカンディナビア半島とアジア方面には160k以上の兵員が残されていた。
占領や封鎖に従事していたFrance・Mugharlsは徐々にManpowerが苦しくなりつつあり
補給ラインが繋がっていないことも合わさって兵員の補充もやや滞りがちであった。
この隙をRussiaが見逃す訳も無く、まずはもっとも消耗の激しいウラル=アルタイラインでの攻勢が展開された。
担当するはFrance・Mugharlsの2カ国であったのだが
Franceが駆けつける間もなくRussia主力が撃退されて唖然。
西洋化を果たしてからまだ50年もしない内に陸軍国家Russiaの主力を弾き返すだけの力量を身に着けていたようだ。
Russiaはアジア方面の主力を使って波状攻撃を行うも、全く持ってびくともしないMugharls陸軍。
もはや封鎖線の主力であったはずのFranceが予備軍的な位置づけにすら見えてきた。
結局3度の攻勢は全て失敗したことでRussiaの余剰戦力は大幅に削がれ
継戦能力は著しく低下してしまった。
アジア方面での攻勢に失敗したRussiaに止めを刺すため
Franceは補助戦力をスカンディナビアへ向かわせるのであった。
Russiaの現地軍は42k、対するは42kのFrance陸軍と消耗軽減の為後ろに控えるGermany60k。
圧倒的兵力によりスカンディナビア半島へなだれ込んでいく最中
Great Britainが何か言い出した。
Great Britain「Londonが陥落したんだが」
またAI Tuscanyが上陸でも仕掛けたのかと思ったが今回は事情が違った。
主だった戦闘がヨーロッパ側で起きない為に暇をもてあそばしていたGermanyが
10隻程の輸送艦隊を編成し、Londonへ侵攻したのだ。
これにはGreat Britainも焦りを見せ
周辺地域に駐屯する兵力を急ぎ本国に戻してぶつけるが、さすがに質的問題で一瞬で壊走。
続いて旧Scotland領にてGreat Britainを煽りつつ待ち構えるGermany陸軍
さすがに2倍以上の兵力をぶつけられれば負けるだろうと思いきやGermany陸軍が勝利を収めてしまった。
未だ完成していない状態のGermany陸軍がここまで強いというのはやや予想外であった。
これを目にして満足したのか、結局Germany陸軍は輸送艦を使って帰国をしてしまった。
鋭意執筆中...。