第三の道、唯一の道~イバード派OF~
第三の道、唯一の道~イバード派OF~/0.プレイ計画

0.大航海時代

しばらくSSが少な目です。まさかWCOFできるとは思っていなかったので...

 

ホルムズ戦からイエメン形成まで

軍の配備、州への防衛布告、軍事顧問を雇って12/13(遅れちゃった)に宣戦。

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①ホルムズ軍を撃破
②援軍としてきたダワーシル軍を撃破
③逃亡したホルムズ軍を殲滅
④ダワーシル全領土占領
⑤ダワーシル軍殲滅、ここでダワーシルを個別講和で属国化
⑥そのまま首都を包囲しているホルムズ軍を殲滅
⑦半島側全プロビを占領し半島側すべてを奪って講和

二つ注意点があります。

 
終戦後はナジュドと同盟を切りアジャム・エチオピアと同盟し、外交関係を構築します。
属国化したダワーシルのCBを使ってナジュラーン→ラシード&ミフラフと戦争、ラシードを属国化したらイエメン・ハドラマウト・アデン+αが釣れました。
同盟国呼べるとは言え軍量は不利ですがバラバラなので一つずつ処理します。

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1464年にオスマンと同盟。白羊朝とも同盟しています。

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1466年にラシードを併合したことによりイエメンに変態しました。領土を見てもらうとわかりますが、実は最低限確保したい土地をマムルークに取られています。
イエメンのミッションが進まないので非常にイライラです。

この後はまずはアフリカの角→ザンジバルへと拡大しつつマムルークの隙を狙う予定です。オスマンは借金で来てくれません。

 

文化転向とルネサンスについて

ver1.36で他国から制度を共有お願いすることができるようになったため、土地開発による制度発生の意義は薄くなっています。
ただ少しでも他国に対し優位を取りたい場合は、制度を発生させたほうが良いでしょう。
君主点との兼ね合いではありますが、今回は中東とヨーロッパに比較的近いのにもかかわらずルネサンス・植民地主義・活版印刷と開発によって制度を受容しています。

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ルネサンス受容のための土地として、イエメンのZabid州を選択しました。
アラビア半島は大部分が砂漠かつ乾燥気候であり計+60%(沿岸砂漠でも+45%)、とても開発に適した土地とは言えません。
ただこの州は数少ない乾燥気候でない地であり、且つ海岸地形(それでも+15%)・COT持ち(アデン湾ノード)・イエメン文化州であるので、非常に開発に適した土地であると言えます。
コア化直後に首都移転→開発→制度受容をしつつ、イエメン文化に主要文化を変更しました。

イエメン新ミッションで大暴れ

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形成後にミッションを進め3-3からPP30・TP+100(アデン湾ノード、恒久)・提督を獲得。
PP30もPPが減り気味な今にとってはありがたいですがやはりTP+100が大きいです。アデン湾ノードのうちアラビア半島側しか領有していないのに圧倒的な支配力をたたき出します。
ザンジバルを完全確保するまではアデン湾ノードを首都ノードとして稼ぎます。

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1473年、マムルークが黒羊朝&トランスオクシアナと戦争を始めました。マムルーク軍がトランスオクシアナの方に行ったところでマムルークに宣戦。
途中で黒羊朝&トランスオクシアナとの戦争が終わりマムルーク軍が戻ってきたので戦勝点を戻される前に最低限だけ奪って講和しました。

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 これによって進めたかったミッションをやっと進められました。対異端布教強度+3.0%、CCR-10%などの補正を得られるので早めに獲得したかったのですが、ようやくと言ったところです。

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1490年、黄金時代を発動させました。
今回のプレイでは基本・マムルーク・アラビアも3回で黄金時代を発動できるのでいつ発動すべきかなどは考える必要がありません。惜しみなく発動させていきます。

まあ勘違いしててマムルークでの黄金時代再発動ができなかったうえにアラビア形成をしなかったのですが(希望や予定はだいたい崩壊するもの)。

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オスマンの借金がようやく減ってきたので連れまわします。CBは属国ヒジャーズの再征服CBです。領土はメッカ・メディナをよけて獲得しました。メッカ・メディナを獲得しなかった理由は後程。

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アフリカの角で一定の領土を確保したのでミッション2-4を達成。アフリカ方面は同盟国がいないので独力で対処する必要があります。オマーンのミッションによる恒久的請求権も活用して侵略を進めます。

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あっ...
白羊朝の同盟国であるアヴァ―ルにオスマンが攻め込み、詰まりが解消してしまいました。まあ1500年までよく耐えたと考えておきましょう。オスマンはこの後黒羊朝に攻め込みミッションを達成しています。

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1508年にケープ州に入植しました。西欧勢がケープに植民するのはだいたい1520年頃なので、結構余裕をもって確保することができました。植民順はマヘ→コモロ諸島→ケープです。
第一次マムルーク戦のあたりで探検アイデアを選択し、植民を開始しています。
今回はあまり植民に注力はしないつもりで、インド洋と東南アジアの橋頭堡、オーストラリア植民地ができる頃には探検アイデアを破棄するつもりです。

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Zabid州の南のMokha州を開発し、植民地主義を発生させました。

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 対エチオピア。封建的神権制のシステムにより隣接州に請求権が得られるため、戦争で請求する州は隣接州が中心です。エチオピアはこれ以降もバターみたいに削っていきます。


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