AAR/神権シクWCOF
① 発見の時代

宗教改革の時代前半

オスマンとの同盟

かねてよりイスラム教の聖地メッカ・メディナへの巡礼を考えていたスルタンShah Shuja’ Beg I Sammaは、使節団を計画しペルシア地域の西方の調査と探検を命じていました。
1512年、長年の旅から戻ってきた使節団から伝えられた西方の状況は、スルタンを驚かせるのに十二分でした。
圧倒的な勢力でイスラム世界の中心となっていたマムルーク朝が、オスマン朝と呼ばれる新興勢力に圧倒されていたのです。
スルタンはすぐに外交官にオスマン朝との同盟模索を命じ、同年中にオスマン-デリー同盟が成立しました。

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1511年、ムスリム技術グループに属する属国オマーンを併合したことにより、ヨーロッパの大部分の地図が開けました。
ぱっと見だとモスクワ/Muscovyがポーランド/Polandに食われロシア形成できなくなったこと以外はいつも通りでしょうか。
若干フランス/Franceが調子いいような...

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Σ(・□・;)

オーストリア/Austriaを同君下位国に置くフランスってネタですか...?
何が起きたらこんな大事件が起きるんだ。
(プレイ後に調査したところ、1.オーストリア君主が後継者不在で死亡2.ブラバント/Brabantの同君下位国に3.フランスが継承戦争を起こし勝利、オーストリアを同君化 のようでした。)

あとしれっと包囲網組まれているミラノ/Milan、見逃してないからな。

 

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1512年、オスマン/Ottomansとの同盟を成立させます。これがどんな影響を及ぼすかは言うまでもない。
試走時はだいたいライバルになってしまい、オスマンのAEを常に気にする必要があったため大変でした。

 

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第一次アフガニスタン戦です。ティムールからの独立後弱ったアジャムを攻めホラーサーン一体を支配したようです。
属国ホラーサーンの再征服CBを使います。オスマンとの同盟が成った今トランスオクシアナの評価なんでどうでもいいです。

 

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黄金時代を発動させます。ルネサンスの広がり以上に自国の拡大スピードが速くこのタイミングとなりました。
(まだ発見の時代であることに突っ込みを入れてはいけません)

 

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敵同盟国のハサー/Hassaからはホルムズ湾ノードに属する2州のみを割譲させます。これ以上沿岸州を取るとオスマンの恒久的請求権がいずればらまかれるのでその時同盟を切られます。

 

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ホラーサーンの旧領を中心に割譲させます。
この直後好感度を使ってトランスオクシアナの持つHERAT州をホラーサーンに戻してもらい、同盟を切っています。

 

新たな信仰の目覚め

サーマ朝のスルタンは、かつてのデリー・スルタンと同じように宗教に関して非常に寛容なことで知られていました。その寛容さは、当時デリー国内で最大の都市であり首都のすぐ南に位置するTHATTA州において、シク教と呼ばれる新興宗教が勃興しても何ら弾圧を考えなかったほどにです。
しかしながらスルタンは心の中でデリー国内の宗教不一致に心を悩ませており、いずれスンニ派とヒンディーの間で大きな対立が起きるのではないかと危惧していました。
そんなある日宮廷にシク教の開祖であるGuru Nanakが訪れます。スルタンは彼を宮廷内に招き入れ、その会話のうちにスルタンはシク教に興味を持ち始め、徐々に熱狂的な信者になっていきました。
そのスルタンにはもはやイスラム教への信仰はなく、かつてのような寛容さもありません。
1515年、彼は突然シク教への改宗を宣言し、各地に宣教師を派遣しました。
ここに1206年から始まったデリー・スルタン国は終わりを迎え、デリー・シク王国が誕生することになります。

 

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1515年、周辺の国がだいたい停戦下に入ったのでシク教に改宗します。あらかじめ安定度は2に上げておきました。
改宗後宣教師をDOABA州に派遣し、宣教師を3人体制に変えヒンディー信仰州をより濃い青に塗り変えていきます。

 

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ペルシアに大きな勢力を誇り、ティムール崩壊後にペルシアの支配者となっていたアジャムも今や2州を持つのみになりました。敵同盟国まで行く暇はないので折れてくれることを願います。

 

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あっさり折れました。2州とも属国に併合させて終戦です。

 

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第三次ジャウンプル戦です。ミッション達成に必要な土地を確保しに行きます。
グジャラートには(略)。なぜ君は没落している国家と同盟するんだい?

 

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3州だけ残して講和します。包囲網入り候補国が思ったより少ないのですがこれあっていますかね。

 

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1524年、アジャムを属国解放してオスマンを連れてマーザンダラーン/Mazandaranと開戦します。
黒羊朝/Qara Qoyunluとファールス/Farsを共戦国指定し、属国アジャムの旧領をすべて回復させに行きます。

 

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1526年、バフマニーとの停戦が切れたのでヴィジャヤナガルが宣戦する前にこちらが呼びつつ宣戦します。
敵同盟国ベンガルはボロボロで5kくらいしか動員していません。

 

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もろもろ奪って講和です。しばらくアジャムに統治をお任せします。

 

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属国アフマドナガルの旧領回復と一州を取って講和です。
南部3州をヴィジャヤナガルに渡していますが、これはとある計画のためです。

 

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待て、いつ同盟を切っていた。
えー、どうやら第三次ジャウンプル戦後に同盟を切っていたようです。
ヴィジャヤナガルと共に攻め込みます。敵同盟国オリッサ/Orissaは広さだけでハリボテなので問題なし。

 

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オリッサからはヴィジャヤナガルに一州割譲させています。きちんと目的があります。

 

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COTを中心に割譲、グジャラート湾ノードの支配率を上げていきます。

 

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モスクワ戦でノガイ方面に遠征しているようなので空き巣します。

 

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当然接敵なしで講和、恒久的請求権を持つ地域を中心に割譲させます。

ヒマラヤを超えて

デリー・シク王国とカシミール地域で領土を接する国家、明王朝。15世紀においてはその圧倒的な経済力から中央アジアに進出し、シルクロードを保護、国内は繁栄を極めていました。
しかしながら16世紀にはいるとその勢いに陰りが見え始め、1534年、南部二地域の部分的独立をきっかけに一気に崩壊に向かいます。
国王は崩壊する明への遠征を決意、1537年に宣戦し大勝利をもってヒマラヤの向こうに道を見出すのでした。

 

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1537年、崩壊の進む明/Mingに宣戦布告します。目的は屈辱によるPP稼ぎ、ここ最近は攻めやすいライバル国家がなくPPが50を切っていました。

 

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1540年、見事に人的資源が切れたので屈辱と数州のヤルカンドへの返還で講和します。
カシミール地域の隣接州はあえて残しておきます。この決断が後に大きな成果を生むのでした...。

 

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人的資源がある程度回復した1544年、第4次バフマニー戦を開始します。

 

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バフマニーの属国化で講和します。南部一州はヴィジャヤナガルのコアが埋まっているので渡しますが、これでミッション達成されると同盟を切られるのですぐ好感度使って返還させています。
古のメーワール戦で使ったやつと同じですね。きちんとFreeの外交官が二人います。

 

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1547年、第二次グジャラート戦です。ついでにくっついてくるジャウンプルの併合も狙います。

 

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両方全土併合で講和します。これによりグジャラート湾ノードの支配率は70%近くに上昇しました。
それくらいしかないとも言います。
このあたりからAEはほぼ無視しています。

 

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これは独立戦争起こされたなフランス君よ。

 

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1550年、首都を開発し植民地主義を受容します。かなり遅いようですが統治技術はさらに遅れています。
だから問題なし!!(逆に問題あり)

 

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二番目には統治アイデアを取得していました。三番目に宗教アイデアを選択、聖戦獲得まで突っ走ります。

 

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50年前にベンガルに隣接した後も放置していましたが、1555年ついにベンガルに直接宣戦します。
しかし中華はなかなかにカラフルですね。

シク教の保護国からシク教国へ

1555年、シク教の第三代グルがなくなり、第四代グルにデリー・シク王国の国王が推挙されました。国王はこの報告を驚きをもって受け入れましたが、国王の後継者がイスラム教に肩入れしていたのもあり、これを機にデリー王国を帝国化したうえで、シク教のグルがデリー帝国の統治者・ミスルダーを兼任する政教一致化を決定しました。
この決定は国内に混乱を生みましたが、これによりデリー・シク王国改めデリー・シク連邦の影響力は世界に轟くことになりました。

 

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1555年、政府改革進捗度がたまりTier6が選択可能になったので神権制に移行します。これによりついに神権シクが誕生、タイトルを回収しました。
なおゲーム上ではGreat Misldarが統治します。

 

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1556年、ベンガルから11州奪って講和します。カトマンズ/Kathmanduを独立させ後で属国化します。

 

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1557年、オリッサとの戦争を開始します。もうヴィジャヤナガルさんは呼びません。

 

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全土併合で講和、獲得領土のほぼすべてを属国アーンドラ/Andhraに投げつけます。

 

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1558年、ついに南インドの雄、ヴィジャヤナガル王国と決別します。
同盟を切るまで属国アーンドラを活用しGC開始時ヴィジャヤナガルの領土だった場所でさえ返還させていました。
今までありがと、今後会うときは敵だね。

 

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同年チベット国家のグゲ/Gugeに宣戦します。グゲは明と戦争しており領土を獲られるとまずいので(問.どちらがでしょう?)急ぎます。

 

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1559年、隣接している明に宣戦布告します。独立保障を掛けているオイラトまでの遠征が大変そうです。というか人的不足だ...。

 

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グゲのほうは全土併合で講和です。

 

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明朝の元皇帝は周辺国に殴られまくった結果カシミール地域まで逃げ込んでいました(逃げ過ぎでしょ)。1560年、一プロビになった明を属国化して講和します。

 

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(添付した画像が間違えていました。申し訳ございません。)
なお中華文化を捨てて主要文化をチベットにしたようで中華内のコアが50年で消えてしまいます。気を付けつつ再征服を楽しむつもりです。

 

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1563年、停戦の切れたヴィジャヤナガルに再征服CBで宣戦します。軍事技術はこちらが2つ分上なので余裕でしょう。

 

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ついてきたポールバンダル/Porbanderには全土併合を要求します。

 

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終戦、属国の旧領すべてとマドゥライ/Maduraiの種地をいただきます。

1563年の状況

ヴィジャヤナガルへの宣戦直前のデータになります。
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デリーはインド内で拡大を続けています。あまり外には手を出していない現状です。
世界の状況は特に特筆すべき点はないでしょうか、オスマンの巨大化だけは妨害し続けたほうがよさそうです。

列強ランキングは早々にトップに、この中ではミラノだけ見慣れないメンバーです。

 

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同盟国:オスマン
属国:アジャム・ホラーサーン(辺境伯)・ヤルカンド・明(辺境伯)・カトマンズ・アーンドラ・バフマニー

オスマンとアジャムが隣接してしまっているのでできるだけ早くの併合を狙います。

 

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グジャラート湾をほぼ抑えたことにより交易収入が増えてきてはいますが、まだ工場が詰まっていないので圧倒的ではないです。
また交易会社の数が少ないため商人の数も少ないです。

 

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シク教への変更から10年間はヒンドゥー教プロビの改宗に布教強度+10%のバフが入るのでシク教のインド国内の浸透度は高いです。
ただイスラム教プロビの改宗は優先度低めです。今のところは反乱対策で交易会社に突っ込んでいます。
州数はまだたったの146州、ただヒンドゥー教には追い付きました。


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