イタリア遠征の成功とともに、ナポリ王国すら従属させ「帝国」と自称するに至ったフランス。
しかし、フランス脅威論が欧州を再び覆い、最大の友邦スペインが2世紀にも及ぶフランスとの同盟をついに破棄する。
イベリア半島およびブリテン島を掌握するスペインとの訣別は即ちフランスの四方がすべて潜在敵国となったことを意味し、フランスは、生存のため先制攻撃の必要に迫られた。
従属国を除き近隣の同盟国を一切失ったフランスは、国力の拡充を急いだ。
ひとまず陸軍力がフランスに匹敵する(あるいはそれ以上の)スペインやオスマン帝国に挑む危険は避け、当面は与し易い周辺の弱小国から領土を奪う方針を採る。
それは丁度、イタリア遠征の完遂やドイツ進出と重なり、結果としてフランスの拡張路線は従来から不変のように見えた。
けれどもそこには周辺国からの敵意や警戒心を気にかける様子は全くなく、今やフランスの拡張は、対仏包囲網が膨れ上がるよりも先に欧州を喰い尽くすと言わんばかりの、一種の自棄とも博打ともとれる危うい膨張であった。
トスカーナ大公国を完全に蹂躙しました。
もはや我らがフランス軍に敵うものは、イタリアのどこにもおりません!
トスカーナ地方をまとめて併合する。
そして中部イタリアのウンブリアも切り取り、フランスと同君下位のナポリを陸続きにするぞ。
フランスの目は確かにイタリアを映していたが、その本心はスペインとオスマン帝国を見据えていた。
トスカーナの征服直後、フランスはペルシア方面へと使節を送り、新たな同盟を締結する。
中東の2大国、ムガル帝国、マムルーク朝と同盟網を構築したことで、オスマンはこちらに宣戦し難くなったはずです。
大変結構。オスマンは我々以外にも多くの敵を抱えていて身動きが取りにくいだろう。
北方のロシアとも険悪な関係にあり、フランスに構っている暇はないはずだ。
というと、次の標的は……
スペインだ。フランスを南北から挟む奴らを中立のまま放置しておけないし、オスマンに比べればまだ相手にしやすい。
スペイン攻略のためにもまず、国家と軍をより強化しておくぞ。
5つ目のアイデアは軍質だ。
軍事力の増強は気持ちがいいぞい!
フランスの入念な「地固め」は尚も続いた。
1644年、フランスは同君連合下にあったナポリ王国を完全に統合。
更に北米大陸最果ての地・アラスカにも植民地国家を建設し、新大陸においても基盤をより強固なものとした。
ドイツへの進出も無事に進んでいるな。
遠征は2度行ったが、同君のボヘミアと陸続きにできたし、対仏包囲網を細切れにできたのは収穫だ。
なんでカットしたの?
敵の総勢が5桁だったり、皇帝となったスウェーデンが直轄軍30,000程度だったり、一方的に包囲と占領を繰り返しているだけだったりで、ちょっと……
ドイツにおいても我々を食い止められる勢力はおりませんな。
かつてのオーストリア・ハンガリー・スイス連合の強さが懐かしいとさえ感じる……しかし隣接地が弱小なのはありがたいことだ。
イタリアに次いで豊かなドイツを独占できるのであれば狙うに越したことはない。
何よりも我々は、シャルルマーニュの領域の完全回収を目標としているのだからな!
イタリア遠征の仕上げといこう。
またもポルトガルを釣り出し宣戦するが、むしろ今回はそちらのカリブ植民地が狙いだ。
フランス本国軍は早速南ドイツのアウクスブルク公国に進軍いたします。
勇敢なるフランス軍に栄光あれ!
地形が不利な上に、運もやや悪く両軍ほぼ同数だが、フランス軍が圧倒しているな!
規律も指揮も戦術も我らが軍が敵軍を凌駕しています、質においてもフランス軍は最強!
植民地方面軍60,000はイスパニョーラ島へ上陸し、速やかに占領せよ!
(上陸するフランス軍。それと連携するかのように、フランス植民地国家の海軍がポルトガル植民地国家の海軍を攻撃)
上陸作戦は成功のようです。
ポルトガル植民地国家の陸軍およそ40,000を2度の戦闘にて殲滅しましたぞ!
相次ぐ戦闘でアウクスブルクの心が折れたようだ。
オスマンがドイツにこれ以上拡張できないように、囲い込む形で割譲させよう。
ポルトガル本国を占領した我らが軍120,000が、ジブラルタル海峡を渡りアフリカに進軍。
同地のポルトガル軍45,000を一気呵成に叩きのめします!
3度の殲滅でポルトガルも折れたな。
これで戦える敵国はいなくなった。
ポルトガルからはカリブ植民地をいくつか、トスカーナからは適当に1州を奪い勝利としよう。
(再度ポルトガルを釣り出すべくトスカーナをあえて1州だけ残しましたが、ヴェネツィアに警告するのを忘れ滅ぼされました。下手くそ!)
スペインのブリテン島上陸への予行練習ともなる、初の大規模上陸作戦でしたが、無事成功しましたな。
フランスとその軍の勇猛さに敬意を! フランス万歳!
戦争より2年後の1665年、カリブ植民地にてフランスの植民地国家「アンティル」が誕生する。
フランス宮廷はこれを「サン・ドマング」と改名したのだった。
吉報です。
インドにおいて我々の要求が受諾され、橋頭堡の確保に成功いたしました。
大いに結構!
ゆくゆくはインドにも広大な植民地を作りたいものだ。
南インドくらいは完全併合したい。
それと、もうひとつ。
先の戦争でポルトガルは著しく疲弊しましたが、そこを突く形でスペインがポルトガル本国を全土武力併合いたしました。
ハイエナとはやるじゃないか。
これは負けてられんな。
ということで我々もポルトガルから搾り取ろう。
(1686年。カリブ植民地のほぼ全土を割譲)
ちょっとかわいそう……いささか鬼畜なのでは……
来たる大戦に備え、6つ目のアイデアは攻勢にしたぞ。
またもや軍事系アイデアだ。
同盟網もより強くしていきます。
対オスマン想定とロシアへの緩衝国としてリャザンと、スペインへの挟撃とスペイン領象牙海岸への尖兵としてマリと、同盟を締結いたしました。
徐々に有象無象の小国たちが淘汰されていき、いくらかの大国の元統合されていく欧州。
ポルトガルとの戦争、同盟網の強化の裏で、フランスのドイツ侵攻は更に繰り返された。
1687年、三度連続したドイツ遠征を終えたフランスの国土は、不完全かつ歪ではあるものの「フランク王国」の在りし日の姿に大きく近付いた。
フランス宮廷はシャルルマーニュの帝国が再現しつつあることに興奮を隠せない。
しかしながらそこには歓喜もましてや安堵もなく、彼らの意識は長らく安全かつ友好的「だった」後背地の向こう側へと、鋭く向けられていた。
眼前にそびえるピレネー山脈は、フランスを試すかのように睥睨していた。
形骸化していた神聖ローマ帝国は、消去法でフランス皇帝を次期神聖ローマ皇帝とした。
すでに名ばかりで実益を伴わない「神聖ローマ皇帝」の称号ではあったが、復古フランク帝国を標榜するフランスには幾ばくかの祝福となった。
地ならしはこれでお終いだ。
これより陸軍210,000をピレネーに集結させる!