最早、多くを語るまい。
これまでとは違い
物語の一節が舞台であるからだ。
マルチへの初参加とあって、外交に不慣れであったEnglandは
次々寄せられる意見書や交渉に対し
時間が取れなかったことで、冷ややかな視線を送られ孤立を深めていた。
時同じくして、私は重病を患ってしまい
十分な配慮を果たすことが出来ず、彼の窮状に気が付けずに居た。
彼の参加に際して、長く楽しんで貰う為にも
「参加者全員で支えていく」という意見が挙がり支持を集めるが
そんな幻想は脆くも打ち砕かれてしまう。
2日目にして「十分な連絡を取り合えない」「外交的に孤立していた」「周辺国のプランニングを疎外した」等の理由から
最後通牒を突きつけられてしまったのだ。
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彼は辛辣な言葉を残し、ついに戻ることは無かった。
これが外交だというのなら
そんなもの滅んでしまえと呪いさえした。
かつて、自らの手で葬ってしまった人物を想っていた。
彼は、今マルチのRussiaプレイヤーの師であり
Russiaプレイヤーを見て育った私からは、言わば始祖のような存在でもあった。
ソフト・パワーとハード・パワーを使い分け、複合的な外交指針を打ち立てる彼に惹かれた私は
多くのことを学び、実践をしていく為に努力を重ねた。
彼が目指した未来は、どのようなものであったか。
他のメンバーに知られている彼の像は、「敏腕外交官」という部分が強調されたものであるが
最後に私が見た志はもっと広域的な見立てで後の世を案じているように感じさせられた。
最後の夜、他のプレイヤーとマルチの方向性について激論が交わされる中
ひっそりと胸のうちを明かされることとなった。
―――――――――――――――――――――――――――――某日、深夜―――――――――――――――――――――――――――――
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私はあまりに長い間眠っていたのか。
苦しむ表情を浮かべるプレイヤー達を助けるべく
上からの改革を志したのではなかったのか。
時間を得ながら、あまつさえ先の志を知りながらも
生ける屍として手をこまねくばかりであった。
かつて私が羨望の眼差しで見たもう一人の人物、Russiaプレイヤー。
彼はハード・パワーの暴走を認知しながらも
競争原理促進の観点から、むしろ後ろ盾として育む姿勢を見せた。
危険な水域にある事を忠言した時、人は"Action天魔王"と蔑み
事の重大性から目を背けハード・パワーの跳梁ともなった。
二つの思想の共存が叫ばれ、導き出された答えが排他ならば
この手で終わらせ、すべての認識を再生する他あるまい。
それは、ハードによる支配ではなく、ソフトによる普遍化によってでもない。
かつて系譜を途絶えさせた...。
開始時間が近づき、いつものようにVCへ参加し他のプレイヤーを待った。
外交状態を確認しつつ庶務をこなしていると
Russiaプレイヤーが最初に姿を現した。
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静寂が続く中、誰一人として姿を現すことはなかった。*5
まるで、最後に互いを確かめ合う為に与えられた時間であるかのように...。
しばらく続いた沈黙の後、ゆっくりとRussiaが口を開いた。
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Russiaが揺さぶりを掛けるとしたら、Mughals/Qingらに対してだろうし
差し詰め、現場でOttomansが約束している領土獲得案を不戦の元に飲む代わりに
寝返るよう勧誘を行ったと見て間違えないだろう。
ともすれば、そんな時限爆弾を放置しておく必要も無いので
Mughals/Qingに確認と侵攻計画の履行を行うことにした。
注:ここから複数の会話がリアルタイムで交わされていた為、分かりづらくなってます。
全体チャットを青、対Russiaチャットを赤、1:1チャットを緑で表記します。
―――――――――――――――――――――――――――対Russiaチャット―――――――――――――――――――――――――
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―――――――――――――――――――――――――――対Russiaチャット―――――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――――――――全体チャット―――――――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――――――――対Russiaチャット―――――――――――――――――――――――――――
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―――――――――――――――――――――――――――1:1チャット―――――――――――――――――――――――――――
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Russiaは急激にブレイクダウンしていった。
不幸な事に、その瞬間になって初めて他のプレイヤーが到着し始める。
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覚悟を決めたらしい。
次の戦いの最中に全体チャットに居残り勧誘を続ける事を考えると
介入の可能性は潰えてはいない。
そればかりか、Hansaを筆頭にやる気満々と見える国も散見できることから
引き続き注視する必要があるだろう。
前哨戦を経て、遂に本戦の幕が開けようとしていた。
Qing/Mughals/Ottomansの三ヵ国は、前回とは違い開幕から一斉に攻め入る動きを見せた。
対するRussiaは、前回と変わらずOttomans側に全軍を集結させている。
Ottomansと対峙を続けていたRussiaは、右翼側の一部軍団170kを切り離し
東より迫り来るQing/Mughalsを妨害へ向かわせるようだ。
Russiaに動きがあると2ヶ国に通達し、前面の防備を厚くするように助言をしておく。
まとまった数で運用をしていたQingに対し
Mughalsは消耗を避ける為なのか、6~10kの小隊が多く見受けられた。
前線に到達できると判断したRussiaは、強行軍を駆使して行軍に急加速をかける。
Mughals領から出撃する本体をすばやくすり抜け、占領中の軍へ攻撃を開始した。
バラバラにやってきた他の軍団も、壊滅しては次が到着し...と言った具合に
逐次投入の様相に徹し、Mughalsの本体が到着するまでに前衛の約1/3が刈り取られてしまった。
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Russiaは、Mughals本体が迫っているのを察知し
次なる攻撃目標をQingに定めた。
迎撃体制が整っていたQing前衛を回避
後衛の軍団に目掛けて攻撃を開始した。
プロビ毎の移動時間が長い事*8が祟り、Qingもまた合流に手間取り
後衛の1軍団と増援に駆けつけた2軍団が餌食となった。
Mughalsから寄せられた援軍も虚しく、各個撃破に終始した。
2ヶ国で囲い込む動きを見せるも、Russiaは層の薄い箇所を食い破り
MughalsとQingに甚大な被害を与えて西部へ帰還を果たした。
場数が違いすぎて相手にならんか、ならば...!
国境の整地に従事していたOttomansは、遂に北進を開始する。
Russiaが東へこぼれないよう右翼を前進、クリミア北東部を決戦の地と定める。
戦端は、Borisoglevskの地で開かれた。
双方共に軍団に余裕があることから、そこへ侵入を阻止せんと
互いに阻止線を構築し激戦を繰り広げられた。
Bahumの戦線からRussiaが撤退し、Ottomansが西から合流を図る左翼正面のRussia軍をキャッチした為
戦線は西側へ広がる形となった。
右翼の戦場に次々援軍が投じられ
左翼・中央の軍団が右翼に集結した事で、戦いの規模は膨れ上がっていく。
3つの戦線のうち、それを接続するVoronezhの戦いでOttomansが勝利し
戦線は2つに分断された。
しかし、Russiaの後衛へ攻撃を加えるほどの余力は無く
BorisoglevskへRussiaが増援を次々突入した事を受け、Voronezhを放棄。
Borisoglevskでの勝利をもってして、東から迫る友軍との合流に備える事とした。
Voronezhから寄せられた援軍を受け、Borisoglevskの戦いは有利に進み
後一歩で勝利と言ったところで、事件は起きた。
Moroccoに対し、Japan/Hansa/Franceが宣戦。
海賊行為の禁止が要求された。
その報は、Moroccoの同盟国であるOttomansにも寄せられた。
第二次露土戦争 後編 (1775年-1796年へ続く...。