Spain戦...Hansa戦......それらが連結する事はぱっと見ではないように思える。
しかしながら、西欧が競り合い消耗する中である三ヵ国が国力を温存、拡大し続ける事になる。
一つ目は、中欧、Austria...。
ミッドランドゆえ、外交的窮状に悩まされがちの国家である。
二つ目は、東欧、Russia...。
拡張方向が広大ゆえ、これもまた外交的窮状に悩まされがちの国家である。
三つ目は、西亜、Ottomans...。
我が国並びに、当AARの舞台となる国である。
Hansa戦を境にして、欧州のパワーバランスはAustria/Russiaの勢力拡大へとつながる事は、既に触れた通りだ。
仮にHansaを救出する術があるとして、OttomansはHansa戦に関連する国々
Austria/Russia/Mughalsらの逆鱗に触れる事に疑いの余地は無い。
Austria/Mughalsであれば、Hansa/Ottomansで凌げなくはない。
Austria/Mughals/Russiaらに、Hansa/Ottomansと説得したFrance/Moroccoで対峙すれば
これもまた凌げなくはないだろう。
残念ながら、FranceはHansaの救出にはあまり乗り気ではなく
下手をすれば、参戦を拒む可能性もはらんでいる。
更なる懸念材料として、Franceがこちら側で参戦をしてくれた場合に
Spain/Japanらの動向はどうなるだろう。
Spain/Japanは、伝え聞いた話が本当であれば
MughalsはSpain/Japanと利権交渉を終えており、またSpain/JapanはAustria/Mughalsとコネクションを持っている。
また、JapanはSpainから西欧化の恩恵を受ける代わりに
アジア側の戦略的パートナーとなっている。
SpainはFranceに攻め入られ、Hansaにより利権を少なからず奪取されるので
後々の禍根を残す事に繋がりかねない。
中立・同盟になるより、敵になる確率の方が格段に高いのだ。
このシチュエーションが現実になるとして、Franceがこちらの陣営に付くかと問えば答えは「ノー」となりかねない。
ここで筆者はピーンと来た。
FranceがHansa戦に協力を行い、尚且つSpain/Japanが欧州の動乱に介入して来ないように導く術。
それは...。
Spain戦でFrance/Hansa/Moroccoに可能な限り領土を取って貰う、ただそれだけである。
Franceからの話では、Spain戦で獲得するであろう北南米利権はHansa/Moroccoに譲渡するだけで
France自身は何も取得しない方針のようなのだ。
そして、Hansaに譲渡した北米利権をFranceが受け取るからこそ
FranceはHansa戦に賛同している節がある。
北米利権などかすむ様な利益がSpain戦で得られるならばどうだろうか。
Franceが国力を増せば、同盟国として頼りがいのある相手となるであろうし
是非とも、取得の後ろ盾となりたい。
Spainの国力大幅低下は、Spainをヨーロッパ=アジアのコネクターたらしめる地位から引きずりおろし
再びヨーロッパとアジアで外交の切り離しを行う「逆Universalis」が実現する。
そうなった場合、JapanがSpainの戦争に付いてくる可能性は薄れ
Japanとその同盟国のQingは、自我に目覚めアジア方面で利権追求を目指すはずである。
そう、Mughals/Russiaへ向けて...。
Hansa戦が分岐点と位置付けるなら、Spain戦はその前哨戦であり
AustriaやRussiaの影響力が伸びきる前に事態に着手出来る、最後の地点となり得るのだ...!
後はFramceを説得し、Spain戦の講和内容を拡大して貰うだけだ。
さっそく、Franceに外交を飛ばしてみた所、信じられない言葉が返ってきた。
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分からない。意味が分からない。
これから戦争をして利権を奪い取ろうという所で、何故その相手が内容を知っているのか。
いや...戦争前に交渉をした際に口が滑り
詳しい内容まで話してしまった、おっちょこちょいさんなのだろう。
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ヤベェヨヤベェヨ...言葉を交わさなくても相手が講和内容を知っていましたとか、どこの未来人よ。
それともスペースノイドが覚醒して、電子信号だけで意思疎通できちゃう、そういう流れ...?
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対西戦概要 1.開戦時期:1562 2.目的:スペインの過剰な発展の抑止 3.要求 ①モロッコースペインIVORY COAST分割条約の破棄、ブラジル植民国家とラプラタ植民国家の利権の譲渡 ゴールドコースト-ベニンの4プロヴィンスの利権のモロッコへの譲渡 ②カルフォルニア植民地国家とアラスカ植民地国家の利権のハンザ同盟への譲渡
これがAustriaに事前に伝わり、他国へと漏れ出した原文のようだ。
てか、内容的に絶対Spain逆上するでしょ...。
リークは勧められたものではないが、外交手段の一つである。
しかし、リークした事が他国にバレると外交的信用は落ち込むし
当事者間で発覚すれば、ダメージは殊更重いものと成り得る。
ここで、Ottomansは最後の一撃を食らわせた。
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物証は十分過ぎるほどであった。
AustriaとSpainの関係性、それに付随するFranceの両国への不信感。
幾度かに渡って続けられてきた、謀略も遂に大詰めとなった。
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Spain領を割譲させるに当たり、Ottomansを仲介して
Moroccoにも領土を取って欲しいという願いを寄せられた。
Franceだけが大幅に領土を増やす事になれば
周辺国はFranceを敵視するだろうし、その際の生命線はOttomansとのコネクションに限られる。
そんな綱渡り的な外交状況に陥るより、関係各国と共にリスク分散を図りたいと言ったところなのだろう。
他人を信じ過ぎないのは、とても懸命な判断である。
Franceの意思をくみ取り、MoroccoへはOttomansから領土割譲に参加するよう、伝える事にした。
会話中、「ここで動かないとOttomansさんが危ないですしね。」と何度か発言していたのだが
もしかして、近日中にOttomans戦が実行されるのではないかと一瞬心配になった。
単に、将来的なOttomansの外交的窮地を見据え、それを含めて動いてくれるという
いきな計らいなのかもしれないが、直線的に物事を受け止めず裏を勘ぐってしまうのが筆者の悪い癖である。
しばらくして、対Hansa戦の会議チャットにSpain戦の詳細が書き込まれた。
どうもAustriaのみならず、Mughalsも経緯から講和内容に至るまでが耳に入っているようで
事細かに説明をしてくれた。
機密情報(?)をこんなにペラペラ喋っていいものなのだろうか...。
先方は、Austria/Russia/Mughals/Ottomansの4ヵ国同盟が揺るぎない体制にあるという判断の下
情報共有を行おうとしているのかもしれない。
しかし、筆者にとってはこれは真逆の評価で
軽々とリークされてしまうと、却って信頼がおけない相手という見方にしかならないのだ。
車にしても人間関係にしても、適切な距離関係というのが大切なのである。
Russiaはあまり関心を寄せていない様子だが、既にFranceから話を受けていたのかもしれない。
話を続けていく中で、AustriaとMughalsは仲良さげに談笑していたが
Ottomansはこれをほくそえんで見守っていた。
France/Hansa/Moroccoに連絡を取り、4ヵ国で話し合う場を設ける事にした。
Ottomansを除いた3ヵ国は、既にSpain戦に向けて打ち合わせを行っており
準備万端の様子であった。
既にFranceに伝えた、Hansa戦とSpain戦の関連性を説き
続いてその後のビジョンを説明した所、案外すんなりと受け入れて貰えた。
Hansaは兎も角、Moroccoは「Ottomansが呼ぶなら付いていくよ」的な軽いノリであるが
実利を共有するという重要なポイントは押さえてあるので、寝返る心配は薄いだろう。
Spainには悪いが、Ottomansからすれば領土を大幅に減らすのがHansaかSpainかの違いでしかないので
この辺りは割り切って事に挑むほかないだろう。
会話の途中で、もしHansa戦が滞りなく行われるのであれば
北米に首都を移してでも抵抗を続けるとHansaが告げていたが、ここはそうならない為の集会である。
Spain戦の講和について話をしていると
Franceから「プレイヤー間戦争でつぶし切る場合、どの程度の割譲を迫るべきか?」という問い合わせを受けた。
ドロップアウトするか否かは、該当プレイヤー国家を取り巻く外交状態によるだろうし
しばらく殴られ続ける状態が続くのであれば、ほぼ確実にそうなるだろう。
問題は、Hansa戦が行われるであろう1600年の各国間で不可侵が失効するまでに
どれだけSpain領を切り取れるかだ。
この命題に対して、Franceは「和平期間を無視して殴り続けよう」と呼びかけ
HansaとMoroccoもこれに同意した。
既に3ヵ国で打ち合わせが済んでいたようなのだが
初戦の作戦は、Franceから資金援助を受けたMorocco海軍を筆頭に、France/Hansaが海戦を行い制海権を確保。
同時に陸軍をピレネー山脈から侵攻させ、文字通りたこ殴りにするという内容のようだ。
Franceは、Spainへ事前のモノと異なった講和を突き付ける事で
Austriaが不可侵を破って攻め入ってくる事態を懸念していた。
それを聞き、Ottomansは動きがあれば知らせ
現実となれば静止するポジションに徹すると伝えておいた。
さすがに不可侵を破ってまで攻める事は無いだろうとは思っていたが
相手が事の本質に気づくようなことがあれば、あり得なくはない話だ。
プレイ開始後まもなく、MughalsとJapanは西欧化を開始した。
MughaはRussiaから、JapanはSpainから
それぞれ隣接して西欧化のトリガーを引いたようだ。
それを見たQingが、羨ましそうに「僕にも欲しいなぁー」等と言っていたが
彼はどこにも西欧化の要請をしていないのだろうか...?
Mughalsは他国に支援を求める事無く、湧き続ける反乱軍を黙々と潰していた。
一方で、ボルネオ島に駐屯しているSpain軍が、Japanと対反乱軍で協力体制を敷いており
如何に両国の関係が良好かを物語っていた。
彼らが夢見た、世界のUniversalis...。
そんな淡い夢は、脆くも崩れ去る事になる。
参戦国 | |
France | Spain |
Hansa | |
Morocco |
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待ってましたと言わんばかりに、見物決め込むような発言を続ける外縁国たち。
中には、「どちらが勝つかを予想しようじゃないか。」等と
のんきな事を言っている国すらあった。
しかし、そんな彼らの野次馬感情も、次の一言で凍りついた。
――――――――――――――――――――全体チャット――――――――――――――――――――
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Franceの要求に対し、「聞いていた話と違う!」という抗議が寄せられていたが
実際の要求が異なるのは、ごくごく自然な事なんじゃないかと思わず突っ込みたくなった。
開戦と同時に、Spain西部の沖合で大海戦が勃発した。
その数なんと、France/Hansa/Morocco:Spain=650隻:170隻もの規模であった。
(画像撮り忘れた><)
三ヵ国側の船数が異様に多いのは、MoroccoがFranceより資金援助を受けた結果
その大部分をガレー船生産に費やし、500隻を優に超える数を揃えたからであった。
例えそれが外洋であっても、数の差はいかんともしがたく
Spain海軍はみるみる溶けて行き、壊滅に等しい被害を被った。
続いて、陸上戦力はピレネーを超え、続々とSpain領へと侵攻を開始した。
Spain側はというと、本土防衛用+急遽募兵した傭兵軍しか揃えられず
アジアや新大陸側に孤立した軍隊は、制海権を喪失した事で合流が出来なくなったようだ。
占領を後回しにし、軍を合わせたまま南下を始めた三ヵ国側を前になすすべもなく会戦で敗北を喫するSpain軍。
続く追撃戦でも、撤退先に先回りしたFrance軍に捕まり
さらに奥地へと追いやられてしまった。
初めこそ数の差で押し負けていたSpainであったが、消耗が激しいからと
バラバラに動き出した三ヵ国側を各個撃破に持ち込む姿勢に切り替え始めた。
この方針転換は功を奏し、主力のFrance軍を除く二ヵ国の陸軍の質が残念な事も相まって
孤立した軍隊を叩く→殲滅→撤退→三ヵ国側がバラバラに動き出す→また別の所で孤立した軍隊を叩く...を繰り返し
序盤の劣勢を覆そうと必死に刈り取りまわっていた。
しかし、三ヵ国側が再び敵主力を補足、殲滅する方針に切り替えた事でSpainの命運は尽き
遂にSpain陸軍はイベリア半島から消滅をしてしまった。
欧州勢がSpain戦の講和内容に浮き足立っている一方で
得るはずの援軍を失ったJapanは、西欧化に伴う反乱軍に苦しめられていた。
VCでは、三ヵ国側に苦しめられるSpainの断末魔と
反乱軍の出現に手を焼くJapanの悲鳴の二重奏が奏でられていた。
Japanは隣国のQing/Mughalsに救援を求めるが
Qingが快く応じたのに対して、Mughalsは無関心の様子であった。
反乱軍の主な出現プロビは東南アジアのSunni地域であり
海軍を持たないQingよりも、それを持つMughalsに助けを求めたかったというのが本音だろう。
しかし、Mughalsは一身上の都合と称して援助を行わない事を表明し
Japanの東南アジアプロビは、みるみるソマリアカラーに染め上げられていった。
Spain戦の謀略が、巡り巡ってJapanへの被害という形に繋がった事は重々承知していた。
多少なりとも責任を感じていたので、地中海に停泊していた輸送艦隊を紅海に回し
Japanの反乱鎮圧を手伝う事にした。
潰した反乱軍はせいぜい3~5軍団程度だったが、Japanは大げさなまでに感謝を寄せてくれた。
徐々に生気を失いゆくSpainの声を前に
対Hansa会議チャットでは、困惑を隠しきれないようすであった。
――――――――――――――――――――対Hansa戦チャット――――――――――――――――――――
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不気味にも押し黙るRussiaであったが、あちらも何か考えがあるのかもしれない。
しばらくして、AustriaがSpainと連絡を取り付け
Austria/Mughals/Russiaらが介入の動きを見せ始めた。
Mughalsも、一連の動きの最中に西欧化を終えており
国力を十分に保持していた。
ここまでは、Franceの読み通りと言ったところか。
しかし、どのような形で介入をするかが一向に決まらず
そうこうしているうちに、Spain戦は講和を済ませてしまった。
終戦時に、Spainが「まだ攻めて来るんですよね?」と質問すると
まだまだやるつもりであるという返事が三ヵ国側から寄せられていた。
Austria/Mughals/Russiaらの見立てでは、和平期間が切れる15年後までまだ時間があるので
Spainと連絡を密にしつつ、対策を練ろうという流れとなった。
そう、和平が守られるなら...。
事は、思うようにいかないというのが常である。
―――――――――――――――――――――4ヵ国チャット――――――――――――――――――――
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終戦から数年でFrance/Hansa/Moroccoは準備を整え、再び攻め入った。
この際、和平期間を無視して攻め入った事にAustria/Mughals/Russiaらが
ルール違反だと抗議を寄せるも、ルールには和平期間については定義されていなかった。
和平期間順守については、かなり昔のマルチで議論がなされていたのだが
「和平を破る事でシステム的にデメリットを負う」という理由で、ルールから排除されていたのだ。
Austria/Mughals/Russiaらは、文字通り完全に出し抜かれてしまい
手も足も出せない状態になってしまった。
今回は事前の作戦打ち合わせが無かった為か、参加国側はバラバラの経路で侵攻を開始した。
その隙を見逃すわけもなく、果敢にもSpainは南部から単独で北上を開始したMoroccoを包囲、撃滅。
続いて、Moroccoを救出に向かおうとして突出し過ぎたHansaを途上で捉え
これを壊滅させてしまう。
残すFranceは不利と判断し、ピレネー山脈付近に撤退を試み
Spainの勢いを失わせようと計った。
Mountainプロビに攻撃を掛ける訳にもいかず、にらみ合いが続いた。
元々傭兵主体であったHansaは直ぐに軍を建て直し合流
続いて、Moroccoも軍団を再編成して前線に合流を果たした。
完全に軍量で負けてしまったSpainは、再び持久戦へと持ち込もうと南部へ撤退を開始しようとするが
既の所でFranceがこれを捕まえ、三ヵ国側が勝利した。
続く追撃戦でも敗北したSpainは、主だった組織的抵抗を停止させ、ゆっくりと最後の時を待つのみとなった。
AustriaはFranceとの間に1650年まで不可侵(同盟維持)が存在しており
Franceの計画を邪魔したくても、それを破棄する他に方法は無かった。
孤立無援の状態でタコ殴りに遭い続けるSpainを前に、覚悟を決めたAustriaは
Spainへ「Franceとの条約を無視して攻め入るから、Spainには耐えて欲しい」というメッセージを1:1で送ったようだ。
戦争準備を整え、介入に関連した打ち合わせをRussia/Mughalsと行い
Ottomansにも協力をするよう声を掛けられた。
当のOttomansは協力するつもりなどまったくなく、適当な空返事を返しておいた。
この時のOttomansは、世界最強クラスの軍の質(イベントの所為で他国と1.3以上のMoral差)と
Espionage Idea保持していた。
ポテンシャル的には、MughalsとRussiaなら一ヵ国で返り討ちに出来る戦力である。
Austria/Mughals/Russiaらが机上の対France戦議論を繰り広げる一方で
Ottomansは、有事に備えてFrance側での参戦準備を行っていた。
この期に及んで、即時介入か事後宣戦かで議論は纏まらず
時間を掛けすぎたからか、ついにSpainは根をあげてドロップアウトを申告した。
Austria/Russiaは必至でSpainを呼び止めようとするが
既に燃え尽きたSpainは、前言を撤回することは無かった。
Spain戦後に疲れ果てていたのはFranceも同じであった。
元の計画では、Austria/Mughals/Russiaらの背を突く形で
Ottomansが汚名を一身に浴びる予定が遂に実現せず
Spain滅亡の実行者として祭り上げられたからである。
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先ほどまでの迷走具合とは打って変わり
Austria/Mughals/Russiaらは、Franceの方針転換を容赦なく非難した。
いやいや、そんな気力あるなら早く介入しとけと.....。
散々に言い散らす中で、一つ聞き逃す事が出来ないワードが耳に飛び込んできた。
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思わず「Hansa戦を計画している貴方達が言えた口じゃないでしょ。」と言いそうになったが、必死で堪えた。
一方的な物言いがちらほら見受けられたので、Franceに「事の真相を打ち明けましょうか?」と問い合わせるが
こちらを気遣ってか「慣れているので、大丈夫です。」と返事を返されてしまった。
Franceの疲労とは裏腹に、ここからがHansa救出戦のスタートラインである。
本来であれば、Austria側が先に条約を破棄する事で
無し崩し的に既存条約が失効する状態に持ち込む計画が、頓挫してしまったのは手痛いダメージだ。
特に、Hansa=Austria間で1600年に失効する不可侵と
France=Austria間で1650年に失効する同盟のタイムラグは、どうにかしないといけない。
未だHansa戦に於ける課題は山積しており、それらを解決していくのには時間を要するだろう。
先達て、Hansaを助けるべきか否かを迷っていたFranceは
ついに助ける方向へと舵を切る事を表明した。
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正直、OttomansはFranceに感謝をしていた。
Ottomansの将来的な窮状を見越して、あえて自身の外交路線を投げ打ったように感じたからだ。
「Ottomans側に付いた方が利益が大きかったから」「Austriaが信用できなかったから」...etc
いろいろな見方が出来るかもしれない。
しかし、Spain戦後の「Ottomans真犯人論を暴露しよう」という提案を跳ね除けたのを見ると
自分の事だけを考えて動いていないという事は確かに思えた。
それはOttomansにとって、信頼を置くとして見るのには十分な行動であった。
細やかな礼として、OttomansはFranceに一方的な防衛協定を持掛けた。
フランス=オスマン友好宣言 ・オスマンはフランスから参戦を受けた場合、フランス側の勝利を目指して全力で戦わなければならない。 ・オスマンはフランスと敵対する戦争陣営に参加してはならない。 ・今条約はフランスの任意なタイミングまで続き、破棄を言い渡すタイミングも一任されるものとする。
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フランス=オスマン友好宣言 ・オスマンはフランスから参戦要求を受けた場合、フランス側の勝利を目指して全力で戦わなければならない。 ・フランスはオスマンから参戦要求を受けた場合、オスマン側の勝利を目指して全力で戦わなければならない。 ・オスマン・フランスは互いの国家と敵対する戦争陣営に参加してはならない。 ・今条約は破棄後、EU4内部時間で40年間有効。ただし両者の合意がある時のみ、即座の破棄が可能。 ・この条約は1810年まで続く。
個人的には、一方的な条約で構わな方のだが
Franceとしては対等な立場で付き合っていきたいという気持ちが強いようだ。
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両者はこれに合意し、以後もその関係を保ち続けて行く事になる。
和平期間無視で戦争を行ったFrance/Hansa/Moroccoは
反乱処理などの戦後処理に追われていた。
国力が膨大なFranceや傭兵主体のHansaは、終戦後に帰還した軍団で十分知り仕切ったようなのだが
元々陸軍力に乏しいMoroccoは、次々湧き出る反乱軍に手を焼いていた。
丁度、手持無沙汰だったOttomansは、北アフリカに軍を向かわせ
これらの殲滅に手を貸す事にした。
中央アジアでは、Spain戦へ介入出来なかったフラストレーションをぶつけるかの如く
インド諸藩主に連続宣戦を行っていたMughalsに、再び災厄が舞い降りた。
急な拡張でOiratにAEが乗り、懲罰戦争を吹っかけられたのだ。
拡張を急ぐあまり、MughalsのManpowerは枯渇しており
本人からはため息交じりの救援要請が、Russia/Qing/Japanに寄せられていたが
それに応じる姿勢を見せる国家は現れなかった。
今プレイ開幕から、反乱軍にもみくちゃにされながらも西欧化を続けていたJapanは遂に西欧化を果たし
その真価を発揮するのに十分足るだけの足場を整えた。
とりわけ、Japanは反乱鎮圧に貢献・その間に攻め入らなかったQingに対し礼を述べ、友好をアピールしていた。
Spainの死は、ヨーロッパのパワーバランスを大きく変質させた。
Franceの台頭とAustriaの外交的没落。
Austria/Russiaの拡張を執拗に阻むOttomans。
France/Hansa/Ottomans/Moroccoの強固な連携。
Hansa戦を見据え、水面下で対峙する4ヵ国同盟と対Hansa包囲網諸国。
その影響は、ヨーロッパにみならずアジアにも波及した。
空白の利権地域と、アジア地域でのJapanの台頭。
今後の連携を匂わせる、JapanとQingの友好宣言。
クッション材を失い、アジア諸国と直接・間接的接点を断たれたMughals。
外交に予定調和というモノは存在しない。
何故ならば、人の心のありようは常に変化をするからだ。
ある者はこう言った、「死は誰にでも微笑む、出来る事は微笑み返すだけ。」
Ottomansも今出来る事を考え、準備を怠らないようにしよう。
そう、"他者へ微笑む"準備を...。