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ぽっちゃり系アイドルとその過激なファン ではなくフランス革命 |
遂に18世紀、ゲームはもう終盤です
史実では、世界のパワーバランスが変わる激動の世紀でもありました
AARのトップにも書きましたが、メディチ家が断絶したのも同じ18世紀であります
悲しいことにこのプレイでは早々にいなくなってしまいましたが
少しずつですが、アジアの帝国の統治に暗雲が差し始めます
パックス・オトマニカを実現していたオスマン帝国も、西欧の侵略を受け徐々に後退していきます
オスマン帝国がヨーロッパ側に大きく領土を割譲した最初の条約であるカルロヴィッツ条約も1699年に結ばれました
オスマンと西欧の力関係が逆転した時期であったのです
対してヨーロッパでは、プロイセンやロシアを始めとする啓蒙専制主義国家が台頭していきました
フリードリッヒ二世(大王)やエカチェリーナ二世、マリア・テレジアなどがその君主として有名です
フランスとの植民地戦争で勝利したイギリスは北アメリカとインドにおける勢力を確固たるものとしました
結果フランスの脅威は無くなりましたが、皮肉にもそれがアメリカ独立の一因だったりします
戦費のための植民地への課税もまた原因の一つです
ボストン茶会事件、英語にすると何とも愉快なこの事件を発端としてアメリカ独立戦争が勃発
アメリカ人にコーヒーを好む人が多いのは、この時イギリスの紅茶をボイコットしたからだという小話もあります
因みにボストン茶会事件を英語で言うとBoston Tea Partyになります どう見てもただのお茶会です
独立戦争の影響はアメリカだけには留まらず、ヨーロッパ、特にフランスの思想にも影響を与えます
そして始まったのが世に名高いフランス革命と、それに続くナポレオンの時代
革命から第一次世界大戦に至るまでの「長い19世紀」に繋がっていくことになります
18世紀とは、あらゆる意味で革命の世紀であったのです
18世紀に入ってもやることは特に変わりません
イタリアは淡々とインド征服事業を進めます
かつてインド一の国力を誇ったマールワも、今ではこの通りすっかり小さくなっています
そこでイタリアはマールワに最期の引導を渡すため宣戦しました
マールワは同盟国のデリーに参戦を求めます
盟主はデリーに移り、デリーがオスマン帝国に参戦を求めます
そして盟主はオスマン帝国になりました
第二次イタリア・オスマン戦争の開始です
イタリアはあっと言う間にインドを占領し、地中海方面に本腰を入れます
オスマン帝国はたちまち制海権を失い、イタリアが主導権を握りました
問題はその後にあったのです
最初にポーランドとリトアニアが連合したのは、伸長著しいチュートン騎士団を恐れたためでした
その後二国は何度も離れたり合同したりを繰り返します
ゲーム開始時の合同は、1432年のグロドノ合同で宣言された4回目のものです
ゲーム内ではこのヤギェウォ朝による同君連合が続き、遂には完全な統一国家ポーランド王国となりました
ところが1709年 長年に渡ってポーランドの舵を取ってきたヤギェウォ朝は断絶
後継者の絶えた最後のポーランド王、ヴワディスワフ6世はとある遺言を遺します
「死後は国をイタリア王に委ねる」と
イタリアはポーランドと同盟・婚姻を結ぶ友好国
オスマン戦にも一緒に参加しています
そんなイタリアなら安心だとでも思ったのでしょうか
ところがどっこい ことはそう単純には進みません
イタリアによる継承に異議を唱えたのがスペイン
スペインにもポーランドを継承する権利があると唱えています 何を馬鹿なことを
イタリアの海軍が対オスマンに向けられている今なら互角以上の戦いができるという考えもあったのでしょう
そしてその考えは間違っていなかったのです
さて一番困ったのはイタリアです
戦争中に突然でっかい国をまるまる押し付けられ、挙句に二正面作戦
大体兵隊さんの頭数だけ多い後進国の面倒なんてとても見切れません 迷惑な話です
リロードしたい衝動に駆られながら、急遽艦隊をスペインに振り向けます
制海権さえ握っていれば勝てずとも負けることはない
ジブラルタルに本土イタリア軍の2/3に当たる60000もの軍勢を送りました
イタリアの名将エルメスに率いられた彼らは弱体なスペイン軍相手に連戦連勝
ジブラルタルの西、カディスを占領します
なんだ簡単じゃないか
勝利ムードの流れる天幕に青ざめた使者がやってきました
彼が言うにはイタリア本土にオスマン帝国の大軍が侵入したとのこと
・・・・えっ?
うわー!なんじゃこりゃー!
フリウリの東から赤地に月の紋章をつけた奴らがゴキブリのようにわらわらと入ってきています
なんでだ!オーストリアとセルビアが通行権を与えたってのか!ふざけんな!
オスマン帝国軍の数は見ている間にもどんどん膨れ上がります
5000人ずつぐらいで北イタリア中の都市を包囲し、50000人の大部隊があたりを徘徊します
本土で留守番してた30000のイタリア軍は大敗してナポリまで逃げ帰りました
敵はかつての首都フィレンツェも包囲し、現首都ローマにも迫る勢いです
ナポリに逃げるイタリア軍にオスマン軍は強行軍でぴったり付いてきます お前は彼女か
イタリアはカディスにいる主力の半数、30000を船に載せてナポリに急行します
間に合うか・・・?
戦闘が始まった翌日にエルメス将軍がナポリに到着
ギリギリ間に合いました
一瞬でオスマン帝国軍を消し去ります
ですがまだ敵の主力が残っています 油断は禁物です
強行軍で5000人規模の敵軍を次々と叩きます
とそこにオスマン帝国軍70000が突入 そしてまさかの敗北
イタリア軍はサボイまで逃げました
これはまずいぞ
急ぎスペインで孤軍奮闘していたヴィットーリオ将軍を呼び戻します
敵の裏を突くべくヴェローナに強襲上陸 見事敵を撃破しました
サボイから帰ってきたエルメス将軍と合流して敵の主力を叩きます
今度こそ!
エルメス将軍は何とか勝利 敗戦の雪辱を果たしました
イタリアの外まで逃げるオスマン帝国主力は放っておき、残った敵とその占領地を奪還していきます
遠征軍を全滅させられたオスマン帝国は遂に諦めたのか、やっと敗北を認めてインドをイタリアに渡しました
そういやインドが発端だったね
体勢を立て直したイタリアを恐れ、スペインもカディスを割譲して和平します
やっと終わったー死ぬかと思った
一位だったオスマン帝国を二回降したイタリアは、遂にスコアが世界一になりました
しかしこれで終わるなら、混迷などとは言われないわけです
イタリアの迷走は、まだ序の口なのでした
広大の代名詞とも言えるロシア
東のカザン=ハン国を保護領にして自ら東進の道を塞いでいますが、それでも十分広大です
そして東がダメならどこに行くか
ロシアが選んだのは南でした
不凍港を欲しがるロシアが目を付けたのがクリミア=ハン国
ポーランドの被保護国です
そしてポーランドの同君連合上位国がイタリア
地中海での傷が治るか治らないかのうちに、ロシアの南進に巻き込まれてしまうのでした
技術的には勝っているかと思いきや、なんとロシアの技術グループは西欧
軍の近代化をちゃっかり終わらせていたのです
でかいだけが取り柄のポーランドとは大違いだ
因みにポーランドはまだ東欧グループであり、その中でも軍事技術はさらに遅れています
戦争が始まるや、ポーランド軍はロシア皇帝が直々に率いる敵軍相手に敗戦を重ねます
ああどんどん戦勝点がマイナスに振れていく
エルメスとヴィットーリオがイタリア軍を連れて何とかロシア軍を追い返しますが、ポーランドは頼りになりそうもありません
結局戦争には勝利しましたが、戦闘はほとんどイタリア軍がやりました
ロシアでの戦闘はなかなか人員が補充されないし土地はやたら広いし大変です
もう二度とやりたくない
それと、戦争続きのイタリアに嫌気が差してかジェノヴァが独立を求めてきました
ごめんジェノヴァ方言はわからないんだ、また今度にしてね
ポーランドを従えたイタリア
間違いなくイタリアの覇権の拡大ではあります
しかし、同時にこれはイタリアに重くのしかかるようになるのです
それが覇権国家の宿命であり、代償でもあり
そして迷走なのでした
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