1444年11月のとある朝、あの奇怪なふれが出されてから1か月がたち、チュニス市民は一斉に、それでいて礼儀正しく、町から飛び出した。
彼らの足跡は、15㎞東に続いた。そこには、修繕できるかすら怪しい古ぼけた建物が並んでいた。この地こそが、あの古の植民都市カルタゴであった。
その中に、壮麗な、イスラーム風ながらもギリシア建築を彷彿とさせるような建造物があった。
この名は「キャスル・モスク」。このカルタゴへの遷都において、宮殿をモスクへと改装したもので、ハフス朝チュニスの権威を具体化したものだった。
そして数日後の最初の礼拝、ハフス朝当主ウスマーンは高らかにこう宣言した。
「カルタゴという古の都市の伝説は、今、気高きイスラーム戦士の下に復活しようとしている。我々はもはや、アル=アンダルスの失敗を繰り返さない。地中海の臣民共よ、イスラーム=カルタゴの新たな伝説の前に平伏せよ!」
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