AAR/シャヤカ帝国興隆史

第一話 シャヤカ帝国の成立 (1444-1500年)

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もくじ

はじめに

y.jpg はーい。今回はポルトガルでまったり植民プレイをしてくよー。え?滅亡寸前の国家のプレイが専門なんじゃないかって?細かいことを気にしたら負けだよー。それにぶっちゃけ朕はそんなにプレイが上手くないからたまには息抜きがしたいんだよー。

y.jpg もう茶番を用意するのが面倒だからさっさと自己紹介だよー。今回の相方はこの人ー。

h.jpg どうもエンリケです。皆さんには航海王子などと呼ばれております。

y.jpg 今回のプレイ目標はTurn the Tableの実績の解除。第二目標は朕の帝国での北アメリカ大陸の統一だよー。夢がひろがりんぐだね!じゃあ早速やっていこー。

新大陸の発見

エンリケ航海王子の反逆(1444)

 1444年ポルトガル王国はレコンキスタをほぼ完了させイスラーム勢力の脅威を取り除きいち早く大航海時代へと乗り出していた。時のポルトガル国王アフォンソ5世は香辛料貿易の利益を求めエンリケに対して東廻りのインド航路の開拓を命じていた。しかし当時の外交顧問であったシャーヤ=カ=ハーン伯はエンリケをそそのかし全ポルトガルの常備軍と艦隊を率いてアゾレス諸島へと向かった。

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 シャーヤ伯はアゾレス諸島に14連隊の衛兵を配備し立てこもるとカスティーリャ王国との外交を密に進め本国からの制裁を巧みに交わしていた。シャーヤ伯はエンリケに1艦隊の指揮を命じアゾレス諸島の西域探索を行わせた。そして1445年にはバミューダ諸島の発見に至った。

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北アメリカの発見(1457)

 1456年バミューダ諸島への入植を開始したシャーヤ伯はその本拠地をバミューダ諸島へと移し、さらに西域の探索を開始した。エンリケ率いる小艦隊は同年フロリダ半島を発見。1457年にはルイジアナ地方の一部を発見した。

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h.jpg あの、これ私こき使われてるだけですよね?何で「エンリケの反逆」って言われてるんですか?「シャーヤ伯の反逆」と呼んだ方がふさわしいかと・・・

y.jpg 朕の名前を反逆者として取り上げるとか不敬罪だよー。それにポルトガル本国ではエンリケが首謀者でシャーヤ伯の存在は明るみになってないという脳内保管がされているから問題ないよー。

h.jpg はぁ、そうですかぁ・・・

新大陸の開拓

北アメリカ開拓の開始(1462)

 バミューダ諸島への入植を完了したシャーヤ伯は続いてルイジアナ地方の入植への足掛けとしてサンブラス岬への入植を開始した。この入植によりシャーヤ伯一行はクリーク族などのアメリカ先住民族の集落を発見したとされている。

ミシシッピ戦争(1464-1469)

 シャーヤ伯はルイジアナ地方へのいち早い入植を目論み先住民族の同盟関係を巧みに利用し1464年クリーク族に宣戦を布告することでミシシッピ川南部に位置するチカソー族をこの戦争に巻き込んだ。シャーヤ伯はこの戦争でチカソー族が有していた土地を完全に併合し、クリーク族からは多額の賠償金を獲得した。さらにルイジアナ地方開拓の足掛けを手に入れたシャーヤ伯は1468年にチョクトー族の集落に侵攻を開始。翌1469年にはこれを完全併合した。これらの戦域は主にミシシッピ川周辺に及んだため、この一連の戦闘を差してミシシッピ戦争と呼ぶことが一般的である。シャーヤ伯はこの戦争で得た賠償金を活かし本格的なルイジアナ地方への入植を開始した。

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シャヤカ帝国の成立(1475)

 ミシシッピ戦争の成功を収めたシャーヤ伯はルイジアナ地方の本格的な入植を開始し、1471年にはカンザスを発見するまでに至っていた。ルイジアナ南部での勢力圏を確固たるものとしたシャーヤ伯は1475年にシャヤカ皇帝1世を名乗りシャヤカ帝国の樹立を宣言。ここに北アメリカ初となるヨーロッパ人による国家が誕生した。

ポルトガル王国の南アメリカ開拓(1478)

 シャーヤ伯がシャヤカ帝国の建国を宣言し北アメリカでの開拓を続ける一方、新大陸の情報を聞きつけたポルトガル王国本国も大西洋探索を始めることとなった。1478年ポルトガル王国は現在のブラジルに到達し南アメリカ大陸を発見しここに入植を開始した。しかしシャヤカ帝国とカスティーリャ王国による外交的圧力によりポルトガル王国はこの植民地を放棄するに至った。これは南アメリカにおけるカスティーリャ王国の優位を確立するものとなった。

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ルイジアナ戦争(1484-1497)

 シャヤカ帝国は建国宣言後ルイジアナ奥地の探索を開始し、1484までにはルイジアナ一帯を発見していた。シャヤカ1世はルイジアナ地方南部に位置する先住民族の集落を次々と武力併合。1494年にはカンザスへの入植に着手した。1497までには南ルイジアナ地方に存在していたオザーク族、フォックス族、スー族などの先住民部族の集落を全て併合したと言われている。この一連のルイジアナ侵略を差してルイジアナ戦争と呼ぶ。ルイジアナ戦争はシャヤカ帝国のルイジアナ地方での絶対的優位を確立するものとなったが、同時にルイジアナ近郊の諸部族から大きく警戒される事となった。

第一次インディアン戦争(1497-1509)

 シャヤカ帝国がルイジアナ中部までその勢力圏を北進させていた頃、ヨーロッパでは1497年からイベリア半島の覇権をめぐってカスティーリャ=アラゴン戦争が勃発しており、カスティーリャ王国はアラゴン王国並びにオーストリア大公国を筆頭とする北イタリアの神聖ローマ帝国諸侯と戦争状態にあった。シャヤカ帝国はポルトガル本国の伸張抑制のためカスティーリャ王国との外交関係の維持を決意しこの戦争に参戦していた。この混乱に乗じシャヤカ帝国を警戒していたイロコイ族をはじめとするミシシッピ川東部に位置するアメリカ先住民族連合軍がシャヤカ帝国に対し宣戦を布告。ここに第一次インディアン戦争が勃発した。

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 シャヤカ帝国軍は先住民族軍の圧倒的な数の前に苦戦し長期に渡る激戦を強いられたが、その前線を12年間守り通しついに1509年、イロコイ族を中心とする先住民族連合の解体を強制しこの戦争は終結した。シャヤカ1世はこの戦争を経てルイジアナ地方全域の早期掌握を考えルイジアナ地方の境界線を優先して二方面から植民を行う「蟹挟作戦」を提唱した。

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y.jpg シャヤカ帝国が自立してしばらくするまでは拡張で増えた要素に楽しむのに必死になっててスクショが少ないよー。いつもなら撮ってるようなところも取り忘れたりしてます。ごめんなさい。

h.jpg Mapもなしですか?随分とずさんなAARになりそうですね・・・

y.jpg しばらくはこんな感じですが懲りずに見てくれるとうれしいです・・・

第二話 ルイジアナの統一


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