欧州への侵攻を継続しながら、アフリカ・東アジア方面へも進出していき、Ottomansにも侵攻します。
欧州は引き続き、朝貢国解放によるAE削減を多用しながら侵攻を進めています。
1645年にBrandenburgを完全併合して属国として復活させました。1649年にMamluksを外交属国化しています。
1650年の状況。列強のSpain、Great Britain、Ottomansとは同盟をしており盤石です。首都の開発度は1500を超えました。
属国Bahmanisの外交併合が完了しインドを統一しました。いつも通り外交併合直前で開発度の集約を行い、
外交併合完了後に再度開発度の集約をしましたが、この後Siamに変態する事でさらにもう一度できます。
Bahmanisの併合完了を待っていましたが、Royal Absolutismのミッションを達成しSiamへ変態しました。
Siamへ変態したことにより全ての州に再度開発度の集約ができるため、首都Bangkokの開発度は1800を超えています。
1州のみとなっていたKilwaを属国化すべく、隣接州を買い取って距離を短縮。Kilwaと同盟しこの後外交属国化しました。
Mingへ天命CBで宣戦。Nomad Frontierの発生によりMingの天命は0になっていました。
南部の州を獲得し、属国作成したYueに獲得した州を与えてOEを調整しました。
各方面に侵攻し、終戦後Qara Qoyunluを属国作成。獲得した州は各地の属国に与えていきました。
Moscovy戦中にOttomansから同盟を破棄されてしまいました。
しかしその直後、運良くSpainがGreat Britainを引き連れてOttomansに宣戦してくれました。
1673年にSpain & Great Britainとの戦争が続いていたOttomansに宣戦。
初戦で出来る限り弱体化させたかったので今回は戦勝点コスト75%の再征服CBを使いました。
戦争中に属国Yemenの外交併合が完了しており、また、統治技術と外交技術を23に上げています。
100点和平にてMamluksのコアと要塞を中心に州を獲得。
Greeceを属国作成した後、停戦期間無視で帝国主義CBにてOttomansと再戦。
その後さらに2回停戦期間無視で再戦し、合計4連戦でOttomansを弱体化させました。
その4連戦中にSerbiaを属国作成し、地方と宮廷の国難も発生しています。